キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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06:決闘前夜

 血盟騎士団本部から戻って、第22層の俺の家。時刻は既に夜7時を回っていて、俺の周囲にはシノン、アスナ、ユピテル、リラン、ユイ、リズベット、シリカ、リーファ、ユウキが寛いでいる。

 

 俺はアスナにユピテルとの時間を与えるべく、ヒースクリフとのデュエル申請にオーケーしてきた。その直後、74層ボス戦に挑んでいたギルド団員達が帰って来て、戦ったボスは比較的強いものではあったものの、聖竜連合と風林火山、血盟騎士団の連中が力を合わせた結果、脱落者を1人も出さずにクリアできたこと、75層の街が古代ローマ都市のような風貌で、大きなコロシアムがある事を報告してきた。その報告を聞いたヒースクリフは、そのコロシアムを使って、デュエルをしようと持ちかけてきた。

 

 既にヒースクリフとデュエルする事に覚悟を決めていた俺は、場所が変わった事なんてどうでもよかったので、それにもオーケーし、明日の午前11時から75層の街のコロシアムでヒースクリフとデュエルする事を決め、本部を出て、こうして第22層の街に戻ってきた。

 

 その時には、イリスに聞き込みに行っていたリーファ達も戻って来ており、第22層の街にて合流。行動を起こしていた全員が俺の家に集結する事になったのだった。リビングの椅子に座る者達の中で一人、ビスケットを食べていたリズベットが、俺に声をかける。

 

 

「まさかキリトが血盟騎士団の団長とデュエルする事になるなんてね」

 

「仕方ないだろう。アスナとユピテルを血盟騎士団から離すには、ヒースクリフを打ち倒して納得させるしかないのだから」

 

 

 シリカがピナを膝に乗せて頭を撫でつつ、俺に顔を向ける。

 

 

「でも、ヒースクリフさんとキリトさん、このどちらが勝っても、アスナさんは休暇を取れるんですよね。何でヒースクリフさんは、キリトさんとのデュエルを?」

 

 

 その理由については、俺はもうわかっているような気がしていた。ヒースクリフは多分、俺とリランの力、シノンの力に魅力を感じていて、引き込まなければ気が済まなくなっているのだ。

 

 ヒースクリフ自身、アインクラッド最強のプレイヤーや、生きる伝説、聖騎士などと謳われるくらいの実力と、ユニークスキル《神聖剣》を持つプレイヤーで、俺が《二刀流》スキルを手にするまでは、ヒースクリフが唯一のユニークスキル使いだった。

 

 ヒースクリフの持つ《神聖剣》は、人間要塞を思わせる圧倒的な防御力と、長剣による強力な一撃が最大の特徴だ。まるで城塞壁のような分厚い盾による防御で相手の攻撃を防ぎ続けて、相手が隙を見せた瞬間に、長剣による、鋭くて一撃必殺並みの威力を持つ攻撃を放ち、崩す。しかもアスナから聞いた情報によれば、ヒースクリフは盾を使ったソードスキルも持っているらしく、事実上盾と剣の二刀流といっても過言ではないらしい。

 

 如何なる攻撃にも耐えて、決して崩れない圧倒的な防御力と、一撃必殺並みのソードスキルを放つ事の出来る人間要塞。それが血盟騎士団ギルドリーダー、ヒースクリフ。こいつがいるだけで血盟騎士団は、攻略は安泰するというのに、なぜ俺やシノンの力を欲するのか。その理由も、俺はわかっている。

 

(あいつは……)

 

 きっと、俺達の実力が自分自身に届きそうなものだからだ。ヒースクリフはこれまで最強のプレイヤーを名乗り、それに伴う戦いを繰り広げてきた。第50層の巨像も、自分が中心になって戦うはずだった。しかし、そこにリランを連れた俺が現れ、俺は更に《二刀流》スキルを取得。それに続けて、偶然降って来て、俺の妻になってくれたシノンが《射撃》スキルを取得。

 

 シノンの射撃の腕前はお墨付きで、俺の二刀流の攻撃力も、他のプレイヤーからすれば圧倒的な性能を持つスキルだし、俺と力を合わせて戦ってくれるリランもまた、人間要塞の防御力を攻略してしまうくらいの力を持った存在だ。これだけ強力なスキルと力を持つプレイヤーは、このアインクラッドのどこを探してもいないだろう。

 

 《神聖剣》使いヒースクリフ、《二刀流》使いの俺、《射撃》使いのシノン、そして神聖剣の防御すらも砕く可能性を抱え、クォーターポイントボスと並んでも差し支えない実力と高い知性を持つリラン。これだけの要素が揃えば、血盟騎士団は並ぶものなしの最強ギルドになってしまうだろう。ヒースクリフはそれを望んで、俺とシノンとリランを引き込もうとしているのだ。

 

 そして、この最強ギルドを使って攻略を進めてゲームをクリア、現実に戻った時に、全てのプレイヤーを解放するべく最強のチームを作り上げて、クリアに導いた英雄として名を馳せたいクチなのだろう。あいつもまた、名声がほしいんだ。

 

 

「ヒースクリフは俺とリラン、シノンの力が欲しいんだ。俺は二刀流使いだし、シノンは射撃使い、リランは《笑う棺桶》を文字通り殲滅してしまい、クォーターポイントボスとすら、互角の戦いを繰り広げる<使い魔>だ。俺達を血盟騎士団に引きずり込んで、ボス狩りの兵器にするつもりなんだ」

 

「ボス狩りの兵器……それ、私が後で間違ってるって気付いたものじゃない!」

 

 

 アスナがユピテルに膝枕させながら、驚いたように言う。

 

 

「あくまで推論だけど、あいつは、血盟騎士団の力を出来る限り膨れ上がらせるのが目的なんだよ。今の時点で、血盟騎士団はアインクラッド最強のギルドだが、ヒースクリフは更に血盟騎士団を大きくしたいんだ。恐らく、いずれはディアベルやクライン、エギルにも手を伸ばすと思う」

 

 

 ユウキが困ったような顔をする。

 

 

「そんなに血盟騎士団を大きくして、強くして、一体何のつもりなんだろう。今の血盟騎士団は十分に強いのに」

 

 

 シノンが少し険しい顔をしながら、手元のカップを回す。

 

 

「多分、ヒースクリフもヒースクリフなりに、血盟騎士団を強くして、これからの攻略に備えようとしているんじゃないかしら。次は75層ボス戦、76層以降は敵もうんと強くなってきて、一筋縄じゃ上手くいかなくなるだろうし、犠牲者も出るかもしれない」

 

 

 ユイの隣に座っているリランが、小難しい顔をしながら《声》を送る。

 

 

《確かにこれからの攻略はより厳しいものとなるだろう。我のような存在を持たない血盟騎士団や聖竜連合だけでは、難しくなるかもしれん》

 

 

「だから、ヒースクリフ団長は、おにいちゃんとシノンさん、リランを引き入れようとしてるんだね」

 

 

 リーファの言葉に頷く。恐らく、それが目的なのだろう。

 

 

「あいつもプレイヤーの生存の事を第一に考えてるって思いたいんだが、どうも何か企んでいるような気がするんだよな。腹に一物あるっていうか」

 

 

 アスナは苦笑いする。

 

 

「まぁ団長自身結構変わった人だからね。何か企んでいるような顔をしてると思ったら、実はそれがデフォルトの顔で、何も考えていなかったとか、「もし一人で食事をする事があるのであれば、その時は自分勝手で、自由で居なさい」とか言い出したり」

 

「そんな人なんですか、ヒースクリフさんって」

 

 

 ユイが驚いたような顔をすると、アスナは頷いた後に、俺の方へ顔を向けた。

 

 

「それでも、デュエルの時はどんな戦法を取って、どんな攻撃を仕掛けてくるか全然分からないのが団長だから、なるべく注意して戦ってね、キリト君。そして、巻き込んでごめんなさい」

 

「注意は怠らないし、謝る事ないって。実際俺も、ヒースクリフといっぺん手合せしてみたいって考えてた頃だしな。明日は楽しませてもらうよ」

 

 

 アスナはどこか複雑な思いをしているかのような顔をして、膝元で眠っているユピテルの頭をそっと撫でてあげた。

 

 明日から、アスナは長期の休暇を取り、ユピテルとの日々を過ごす事となるが、俺は明日の戦い、絶対に負けたくないと思っていた。明日俺がヒースクリフに負ければ、その時は俺は血盟騎士団に加えられて、自らのスキルとリランとシノンを――ボス狩りの道具としてヒースクリフに利用される事になるだろう。

 

 誰かに利用されながら戦うのは嫌だ。明日の戦いは何としてでも勝たないと。

 

 

「そうだリーファ。イリスさんから聞いたユピテルの情報はどうなった」

 

「あぁそうそう。イリスさんから沢山聞いてきたよ。アスナさんもシノンさんも、ユイちゃんも聞いてよ」

 

 

 リーファの言葉に、あの時血盟騎士団本部に赴いていた全員がその方へと身体を向けた。特にアスナの表情は自分の子供の事のように深々と聞くものとなっていた。

 

 

「それで、ユピテルはどんな子だったの」

 

 

 アスナの問いかけに、リーファが答えた。

 

 まずユピテルの状態は、かつてユイが陥っていた症状である言語機能と記憶機能の著しい破損だそうだ。そのため俺達のように言語を話す事が難しい状態になっており、記憶も自分の名前とマナーなどは健在しているものの、人間関係や、かつて自分がどんなところにいたのか、どんな経験を積んできたのかなどはすべて消えてしまっているらしい。

 

 それにユピテルは元々精神年齢が20歳くらいにまで成長していたそうなのだが、ユイと同じ症状により退行。幼児とほとんど同じくらいにまでなっているそうだ。

 

 そこまで聞いて、アスナは泣きそうな顔になり、ユピテルの頭を撫でる。

 

 

「まるで赤ちゃんみたいになってるのはそのためだったのね……どうしてそんな事に」

 

 

 ユイがユピテルとアスナを交互に見ながら、言う。

 

 

「恐らくですが、ユピテルさんの中にもわたしと同じように大量のエラーが蓄積されているのだと思われます。わたしはカーディナルシステムによって幽閉され、使命を全うできずにエラーを蓄積させていましたから、ユピテルさんもイリスさんとカーディナルシステムによって封印されて役目を果たせず、エラーを蓄積して破損してしまったのだと思います」

 

「そうなんだ……ユイちゃんはどうやって直ったの。ユイちゃんも確か、最初はユピテルとほとんど同じような状態だったよね」

 

 

 アスナの問いには、俺が答えた。

 

 

「ユイはカーディナルシステムにアクセスできるコンソールを使って、カーディナルの情報群にアクセスして、言語機能や記憶機能を修復したんだ。でもその時はカーディナルシステムに見つかって、消去されそうになったんだよ。それを何故だかリランが助けて……」

 

 

 リズベットが表情を曇らせる。

 

 

「つまりユピテルの記憶や言語機能は、そのコンソールとやらにアクセスすれば、なんとか修復できるかもしれないけれど……」

 

 

 ユイが悲しそうな表情を浮かべた。

 

 

「わたしの時と同じように、カーディナルシステムに消去されてしまう可能性が大きくなります。いえ、エラーを蓄積してしまったプログラムなど、絶対的支配者であるカーディナルシステムからすれば異物以外の何者でもありませんから、カーディナルシステムはコンソールからアクセスしてきたユピテルさんを問答無用に消去するでしょう」

 

 

 アスナが目を見開いて、ユイを見つめる。

 

 

「そんな! で、でもユイちゃんの時はリランが助けてくれたんだよね」

 

《そうだが……あの時は何故我があのような行動を取り、あのような事が出来てしまったのか、全く覚えていないし、わからないのだ。もう一度やれと言われても、出来ない》

 

 

 歯痒そうな表情を浮かべるリラン。俺も一瞬、ユピテルの記憶を取り戻したら、リランの力を使ってユピテルをカーディナルシステム管理下から切り離し、アスナのローカルメモリに入れればいいと考えた。

 

 けれど、そもそも何でリランがあんな事を出来てしまったのか、どういう仕組みであのような事になったのか理解できていないから、再度できるという保証はない。もしリランが出来なかったら、ユピテルはカーディナルシステムによって殺されてしまうだけだから、それなら最初からやらない方がましだ。

 

 

「悪いけどアスナ、リランの力を使うのはとてもお勧めできないよ」

 

 

 アスナは今にも泣き出しそうな顔になって、目尻に涙を浮かべつつ、ユピテルの身体を抱き締めた。部屋の中を重い沈黙が覆ったが、ユウキがアスナに声をかけた。

 

 

「でもアスナ、いい情報もあったよ」

 

 

 アスナは顔を上げてユウキに向き直った。そこで、ユウキではなくシリカが口開く。

 

 

「あたしはよく理解できなかったんですが、ユピテル君にはもともと、高い自己進化能力があるそうなんです」

 

「自己進化能力……?」

 

 

 ユウキが頷く。

 

 

「そうだよ。自分で自分を進化させる事の出来る能力さ。もしアスナが、ううん、ボク達がしっかりとユピテルを育てていけば、ユピテルは色んな事を自分から学ぶようになって、その元の精神年齢にまで戻す事が出来るかもしれないって、イリス先生が言ってたんだ」

 

 

 アスナが驚いたような顔になる。

 

 

「っていう事は、この子は今も尚成長し続けてるって事なの」

 

 

 リズベットが笑みながら頷く。

 

 

「そういう事よ。だから吉と出るか凶と出るかもアスナ次第、ううん、ユピテルと触れ合うあたし達次第って事。だからさ、あたし達でユピテルを育てていこうよ、アスナ」

 

 

 アスナはじっとユピテルの事を見つめた。

 

 MHHP、ユピテル。今は本当の幼児のように振る舞っているけれど、その中には大きな進化能力があり、俺達が力を貸してやればグングン成長していく。一気に成長して、最終的にどんなMHHPになるのか、俺もなんだか気になって来たし、楽しみになってきた。

 

 

「成長したユピテルかぁ……どんな子になるんだろうな」

 

 

 俺の言葉にアスナは頷いた。その顔には、どこか安心しているような表情が浮かべられていた。

 

 

「もうどうしようもないんじゃないかって思ったけれど、そうでもなかったのね。それを聞いただけで安心した」

 

 

 アスナとユピテルを見ながら、シノンが微笑む。

 

 

「子供関連の事でわからない事があったなら、出来る限り力になってあげたいと思うわ。私もこうやって、ユイを育ててきたわけだし」

 

 

 確かに俺とシノンは、ユイをここまで育てて来たから、アスナよりも子供関連の事はいろいろ知っているつもりだ。今こそ、アスナの力になってやれるはず。それを察してくれたのか、アスナはシノンへ顔を向けて、笑んだ。

 

 

「そうだね。いざとなったら頼りにするね、シノのん」

 

 

 それでもわからない事は沢山あるから、今度イリスさんやサーシャさんにいろいろ聞いておいた方が良さそうだ。いざとなった時に頼られて、何も出来なかったらアスナをがっかりさせるだけになりそうだし。

 

 

「それはそうとキリト君、明日、団長とデュエルする運びにしてしまって、本当にごめんなさい。わたしがもっとしっかり説得すれば、団長もあんな事を言い出さなかったかもしれない」

 

「いやいや、俺も前からヒースクリフと戦いたいって思ってたって、さっき言っただろ。アスナが謝る事はないさ」

 

 

 シリカがキラキラした目で、俺を見つめてきた。

 

 

「明日、75層のコロシアムでしたよね? あたし、ピナと一緒に応援しに行きます!」

 

 

 リズベットが強気な笑みを顔に浮かべる。

 

 

「せっかく騎士団長と戦うんだから、勝たないとね。武器のメンテは大丈夫かしら?」

 

「問題ないよ。エリュシデータも、リズの作ってくれたダークリパルサーも絶好調さ」

 

「そっか! あたしの自信作がどんな活躍を見せてくれるのか、明日は応援に行かないとね」

 

 

 ユウキが少し残念そうな顔をする。

 

 

「いいなぁキリトばっかり。ボクもヒースクリフさんと戦いたいよぉ。まぁ明日は観戦に行くけどさ」

 

「多分今度相手にしてくれるって。ユウキもありがとうな」

 

 

 そして、リーファが心配そうな表情をする。

 

 

「圏内デュエルだし、初撃決着モードでやるだろうから大丈夫だとは思うけれど、危なくなったらリザインしてよ? デュエルでも、HPがゼロにされる事があるそうだから」

 

「勿論、自分の命を優先するさ。危なくなったら即リザイン。よし覚えた」

 

 

 リーファは軽く口の中で声を出して、頷いた。直後に、リズベットが立ち上がる。

 

 

「さてと。もうそろそろ、あたし達も自分の家に帰るわね。大事な決闘を控えたキリトの休みを邪魔するわけにもいかないし」

 

 

 続けてシリカも立ち上がり、リーファもユウキも、アスナもユピテルを負んぶして立ち上がる。

 

 

「明日、絶対に応援に行きますから、キリトさん!」

 

「しっかり戦ってよ、おにいちゃん」

 

「終わったら感想を聞かせてね、キリト」

 

「それじゃあ、頑張ってねキリト君。おやすみなさい」

 

 

 皆にお休みと返すと、皆はそそくさと家を出て行って、沢山の人がいたリビングは、俺、シノン、ユイ、リランの4人だけの空間に戻った。

 

 明日の戦い、どうなるか全く想像は付かないが、俺もシノンも、リランも攻略のための兵器にされるつもりはないし、そんなふうに戦わされるのは絶対に嫌だ。明日は絶対にヒースクリフに勝って、血盟騎士団入団を阻止してやる。

 

 

 

 

     ◇◇◇

 

 

 

 

 第22層 深夜12時

 

 

「たっ、はっ、せやっ!!」

 

 

 昼間の暑さが嘘のように涼しくなった22層、ログハウスの裏庭で、俺は一人2本の剣を振るっていた。この層はモンスターが出現しない地であるため、俺の目の前にモンスターはいない。が、俺の目の前には確実に敵が存在していた。

 

 明日75層のコロシアムで交える事となるであろう、イメージ上のヒースクリフの姿。まだ戦った事もないのに、俺の目の前には確実であると思われる、ヒースクリフのイメージ上の姿がある。

 

 ヒースクリフは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の討伐戦の時にも参加していて、戦いを繰り広げていたが、あの時の戦い方を俺はしっかりと覚えている。十字を模した剣と盾のコンビネーション攻撃。

 

 神聖剣特有のソードスキル。どれもこれも、ヒースクリフだけが持っていたものだから、よく記憶に残っている。あの時神聖剣の刃は《笑う棺桶》の狂人達に向けられていたけれど、明日その刃は俺の方へと向けられ、振るわれるのだ。

 

 

「はっ、だぁっ、せぃっ!!」

 

 

 盾と剣のコンビネーション攻撃。それを少し想像しただけで、目の前にヒースクリフの姿が映し出されて、本当に盾と剣を利用した攻撃を仕掛けてくるが、それに合わせて俺は伏せる、バックステップ、側面へ動くを繰り返し、避ける。デュエルはどちらかのHPが半分に減ったところで決着が付くから、どんな些細な攻撃も受けないように回避を心がけつつ、

 

 

「はぁっ、せぇあっ!!」

 

 

 アスナの話によれば、《神聖剣》の最大の特徴は個人要塞を思わせるくらいの圧倒的防御力。真正面からぶつかっても勝機は薄いどころか皆無に等しい。《神聖剣》という名の要塞を攻略するには、壁に真っ向からぶつかるのではなく、側面などに飛んで隙間を縫うように突き、斬る。

 

 その瞬間をイメージしつつ、俺は両手の剣に光を宿らせてソードスキルを放つ。ボス戦では人竜一体ゲージを溜め込むのに貢献してくれる大技。

 

 16連撃ソードスキル《スターバースト・ストリーム》。

 

 全てとは言わないけれど、10連撃以降を、イメージの中のヒースクリフにぶち当てる。咆哮と共に最後の一撃を直撃させて、イメージの中のヒースクリフを吹っ飛ばし、地面へ激突させた直後、ヒースクリフは見慣れたポリゴン片となって爆散した。

 

 

 これまで様々な敵と戦って来て、修羅場を潜り抜けてきたためのなのか、今ならどんな敵の姿も瞬時にイメージ出来て、イメージの中で戦う事が出来る。実物を用意する事なく戦う、あくまでイメージトレーニングでしかないのだが、これを踏まえておくと、実戦でもなかなかうまくいくものなのだ。

 

 傍から見れば見えない敵と戦っているように見えるから、変な奴だと思われる可能性極大だが……これをやっておくのとやっておかないでは雲泥の差が出る事すらもある。だからこういうのを怠ると後々大変な事になると言っておくのだが、あまり真面目に聞いてくれるプレイヤーは少ない。

 

 

「こんなもんでいいか」

 

 

 呟きつつ、俺は剣を鞘に仕舞って、懐から水の入った小瓶を取り出し、中の水を口に流し込み、音を立てて呑んだ。きんきんに冷えている水が、激しい運動を繰り返して乾ききった喉を潤しつつ、身体の中に染み渡っていく。

 

 あくまで擬似的な感覚でしかないけれど、脳が現実のそれと同じ感覚を得ているから、ほとんど違和感というものがない。水を飲むのも、剣を振るうのも、みんな現実のそれと同じだ。

 

 

「……」

 

 

 この世界は、茅場晶彦が自らの欲望のために作り出した世界であり、きっと茅場晶彦自身が楽しんでいるであろう場所だ。この世界のどこかに、茅場晶彦は間違いなく存在しているはずなのだが、茅場晶彦が今どこで何をしているのかは全くわからない。

 

 そもそもあいつはこのゲームの調整が行える者だろうから、管理者専用の部屋にでも居て、俺達プレイヤーの事をじっと観察しているのだろうか。いや、あるいは、プレイヤー達の事などとうに無視して、俺達のようにこの世界の住人の一つとなって、暮らしているのだろうか。

 

 

「一体、あんたはどこに……」

 

 

 同じ開発班であったイリスによれば、茅場晶彦はスーパーアカウントを持っており、それでログインをしているらしい。ので、もし普通のプレイヤーとはあからさまに違う動きの出来る奴が居たのであれば、それが茅場晶彦で間違いないらしいのだが、俺はそんな奴を見た事はないし、そんな奴の情報も見た事ない。

 

 やはり茅場は、俺達と同じようにどこかで居を構えて、静かで暖かな暮らしでも送っているのだろうか。攻略からも、現実世界からの(しがらみ)からも解放されて、静かで暖かに。

 

 

「いや」

 

 

 今はそんな事を考えている場合ではない。明日は俺達が血盟騎士団に入れられてしまうかもしれない、ヒースクリフとの決闘の日。今は茅場の事よりも、明日の事を最優先に考えるべきだ。

 

 

「もう少しやるか……」

 

 

 そう呟いて剣を再度構えたその時、近くから俺以外の、草を踏んだような音が聞こえてきた。応じるように俺はその方へと顔を向ける。

 

 月の光に照らされて姿がはっきり見えている、俺の妻であるシノンがそこにいた。その服装は薄い寝間着の上からいつものパーカーを羽織っている、非常に簡素なものだった。

 

 

「シノン、起こしちゃったか」

 

 

 シノンはゆっくりと一歩、歩み出た。その時初めて、俺はシノンの顔が青ざめている事に気付いてハッとする。

 

 

「シノン、どうした」

 

 

 シノンは何も言わずに俺の元へ駆け寄ってきて、そのまま胸にぶつかってきた。いつもなら「こんな時間まで何をやってるのよ」と言って来るだけだが、今のシノンがいつものシノンではない事がすぐさまわかった。

 

 シノンの身体は小刻みに、がたがたと震えていたのだ。力を込めて俺の服を掴み、握り締めている。

 

 こんなシノンを見るのは、この前リランが暴走した時以来だ。

 

 

「お、おいシノン、どうしたんだよ」

 

 

 シノンは俺の胸に顔を擦り付けながら縮こまった。

 

 

「ごめん。ごめんなさい。でも、こうせずにはいられないの。お願いキリト、しばらくこうさせて……」

 

 

 シノンは震えながらも、小さな声で訴えるように言った。流石に今のシノンを離したりする気にはならず、俺はそっと、震えるシノンの身体を抱き締めた。そのまますとんと、シノンと一緒になってその場に座り込む。

 

 

「もしかして、何か怖い夢でも見たのか。それこそ、また――」

 

「ねぇ、キリト」

 

「なに」

 

「あなたは、生きてるよね」

 

「え?」

 

「あなたは生きてるよね、死んでないよね、死なない、よね……?」

 

 

 まるで小さな子に戻ってしまったかのようなシノンの口調に、俺は驚いたが、声が出せなかった。

 

 シノンは顔を上げて、俺と目を合せてきたが、瞳は小刻みに震えていて、顔にはこれ以上ないくらいに怯えているような、大きな不安に襲われているかのような表情が浮かんでいた。

 

 シノンはいつもは大人びてるんだけど、すごく感情が高ぶった時とか、極度に不安になった時とかは、子供っぽくなったりする。

 

 

「あなたは死なないよね? 死んじゃわない、よね……?」

 

 

 俺はそっとシノンの頭に手を伸ばして、胸元にシノンの顔を押し付けさせた。今は余計な事を聞くよりも、本当の事を話す事が先決だ。

 

 

「当たり前だろ。俺はシノンを残して死ぬつもりなんかないし、シノンとずっと一緒に居るつもりだ。それはずっと前から行って来ただろ」

 

「そうだけど……そうだけど、急に、信じられなく、なって……」

 

 

 その時に、俺はシノンが今考えている事がわかったような気がした。もしかしてこの娘は――。

 

 

「まさか、俺が死ぬ夢を見たとか」

 

 

 シノンは何も言わずに頷いた。俺の明日の戦いの事で緊張しているけれど、シノンもまた、戦う俺の事を心配してくれて、緊張してしまっていたんだ。その結果として、俺がヒースクリフに殺される夢を見てしまったのだろう。

 

 

「大丈夫だよシノン。俺は死なないし、ヒースクリフにだって殺されないさ。これでも危なくなったらすぐリザインしようと考えてるし。あいつの攻撃力がどれくらいのものかわからないけど、それでも殺されそうになったら、すぐリザイン。これで死なない」

 

 

 シノンは俯き続けていたが、やがて首を横に振った。

 

 

「そうじゃないの、そうじゃないのキリト……そうじゃ、ないの……」

 

「え?」

 

 

 シノンは俺の胸元に顔を擦り付けた。

 

 

「……明日、戦いが終わったら、二人きりの時間を作ってほしい。夜から次の日の朝まで、私とあなたの二人きりの時間にしてほしい」

 

 

 急に話が切り換えられたような気がして、俺は首を傾げる。

 

 

「ユイとリランもいないって事か、それ」

 

「うん……」

 

 

 シノンがこう言う時は、大抵本当に俺にだけ聞いてもらいたい話がある時だ。ここ最近はリランとユイとずっと一緒だったから、溜まっていたんだろう。

 

 

「わかったよ。君がそんなふうって事は、何か思ってる事があるって事だろ。明日、二人きりの時間を作ろう。そこで話してほしい」

 

「……約束したからね。そのためにも、明日は」

 

「死なないよ」

 

 

 そう言って俺は、シノンの震える身体を抱き締めた。

 明日はヒースクリフとの決闘だが……シノンのためにも負けないし、死なない。

 

 あの個人要塞を、突き崩してやる。

 


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