01:絶剣の生命
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アインクラッド 7月15日
春が過ぎて、夏がやって来た。
キリトによればユウキと同じくALOからやってきたとされる新たなる仲間、リーファが加わり、攻略は更に円滑に進む事になって、立ち塞がるボスを次々叩きのめし、ついに74層にまで辿り着く事となった。まぁ、攻略が円滑に進んだ理由は、そんなに強いボスが出てこなかった事と、キリトとリランの人竜一体がいつの間にか強くなり、どんなボスにでも互角に立ち向かえるほどのものとなっていたのもある。
キリトが言うには、リーファはキリトにとってとても大事な人であり、この人までがSAOに巻き込まれてしまった以上は、この世界を一刻も早く終わらせなければならなくなったそうで、一層力を入れて戦闘に取り組むようになったそうだ。
しかし、そんな日々が続いたせいなのか、リーファとシノンが、戦いまくり、1ヶ月の間に10体以上のボスを仕留め、レベルが100を超えたキリトにとうとうストップをかけ、ノーリランウィークを急きょ実施してしまった。
その結果アスナの元にリランが来る事となり、そしてキリトはというと、2週間の休暇を取る事となり、その間はシノン、ユイとの3人の日々を送る事にしたそうだ。本人もちょうどいい休暇だと言って、ノーリランウィークを受け入れ、そのまま休暇を楽しむ運びになった。
「はぁ~あ。2週間丸々お休みかぁ。ボクは毎日戦闘でもいいんだけれどなぁ」
アスナと対になる位置の椅子に座っているユウキが、つまらなそうに足を揺らす。
ここはアスナの自宅だ。リランを預かったアスナもまた、キリト同様に休みをもらう事となり、攻略にはヒースクリフが出向く事になった。そして、この休みには、ある時から行動を一緒にし始めて、あまりに気が合う事から、この家で一緒に暮らす事となったユウキも含まれていた。
ユウキは絶剣と呼ばれるほどの実力を持つプレイヤーであるが故、攻略組の間でも強力な切り札のように扱われ、様々な戦闘に駆り出されてきて、リーファやアスナ、キリトやリランの隣に並んで、もはや千単位のモンスターを狩り、何体ものボスを千切っては投げ、千切っては投げてきた。
あまりに戦ってくれるユウキに、ヒースクリフも息を呑んでいたが、戦いばかりに駆り出されるユウキの身を案じたのか、アスナと共にしばらく休むよう指示を下したのだ。本人は納得できないと反論したけれど、ここでアスナとリランが入り、このアインクラッドで、いつまでも戦い続けるのはとても危険な事であると教えると、ユウキは渋々休暇を呑んでくれた。
《お前は戦い過ぎなのだ、ユウキ》
アスナの肩に乗るリランが《声》を送ると、ユウキはリランに向き直る。
「だって、バトルってすごく楽しいじゃないか。あのはらはらとドキドキ、爽快感は他の行動とかじゃ絶対に味わえないものなんだから」
《それでも戦い続けるのは危険なのだ。現に、アスナが一度戦い過ぎて死にかけた事がある》
アスナは自分がまだ《閃光のアスナ》と呼ばれていて、戦いに明け暮れていた罅のうち、眩暈を起こして、フィールドボスに襲われ、死にそうになった時の事を思い出した。あの時、リランが助けに来なかったらどうなっていただろうかと、未だにぞっとする事がある。
「まぁまぁ。この世界で楽しい事は戦いだけじゃないわよ、ユウキ。この世界はそう、すごく輝いているんだから、戦闘だけで過ごすのは勿体ない事よ」
「確かに、この世界にはALOとは違う魅力があるみたいだよね。でも、ALOみたいにオープンワールドみたいな感じじゃなくて、層分けされてるし、翅が無いから完全に徒歩で行くしかないんだよねー」
「それは仕方がないわよ……って、そういえば貴方のやってるALOは、空が飛べるんだっけ」
ユウキは頷き、笑顔になった。
「そうだよ。それがALOの最大の魅力って言われてるくらいに、自由に空を飛びまわる事が出来るんだよ。戦闘もそうだけど、あの飛んでる感じも病み付きなるんだ」
この世界、SAOは空を飛んで移動する事など出来なくて、全て徒歩での移動になる。しかしALOにいたっては背中に翅を生やして、そのまま鳥のように飛んでいく事が出来る。
あらゆる地形を無視して、地上からの束縛を離れて、山の上や湖の上、街の上を飛ぶ事が出来る……そんな情景を想像しただけで、アスナは心が躍った。
「空を飛べる、かぁ。でも、この世界でも空を飛ぶ事は出来るわよ」
「え、ほんと!?」
「本当よ。ここにいるリランの背中に私達が乗って、飛んでもらうの。丁度、キリト君が戦闘中にやっているような感じでね。リランの背中に乗って飛ぶ爽快感も、すごいんだから!」
「ほんと? ねぇリラン、飛んでくれるの?」
リランは目を輝かせるユウキに一瞬驚きつつ、頷いた。
《お前達が望むのならば、喜んで飛んでやろう。戦うのであれば体力をそこそこ使うが、飛ぶだけならば容易い。飛びたくなったら言うがいい》
「やった! じゃあ出かける時になったら、アスナとボクを乗せてフィールドを飛んでよ!」
リランが頷くと、ユウキは飛び上がるように喜んで、椅子の背に負いかかった。
「まさかSAOでも空を飛ぶ事が出来るなんて、夢にも思ってなかったよ。それにしても竜の背中に乗って飛ぶなんて、ALOでも早々出来ない事だよ。こんな事なら、カイムも一緒に来てればなぁ」
アスナは一瞬だけきょとんとした。基本SAOプレイヤーの名前しか口にしてこなかったユウキが、SAOプレイヤーではない人の名前を呼んだ。カイムというのは、ALOでのユウキの仲間か何かだろうか。
「カイム? そのカイムっていうのは、ユウキのお友達?」
ユウキはハッとしたように、アスナに向き直ったが、すぐさま表情を微笑みにした。
「そ、そう。ボクの友達で、仲間で、すごく、大事な人なんだ。その人も生粋のゲーマーだから、ドラゴンの背中に乗って飛んだりしたら、すごく喜んでたと思うんだ」
「そうなの。その人も、何だかキリト君みたいね」
「うん。カイムはキリトによく似てる。というか、後で知ったんだけど、カイムとキリトって、リアルの方で友達みたいなんだ」
「ユウキの友達が、キリト君のリアルの友達! すっごい偶然があったものね」
「ほんとだよ。さてとリラン、本当に、ボク達を乗せて飛んでくれるの?」
リランは本来ならばアスナやユウキを覆い隠してしまえるほどの大きさだが、今はとても小さくなっている翼を広げて見せた。
《いいだろう。この層を飛ぶのも我は初めてだ。お前達と一緒に楽しませてもらおう》
「期待してていいわよリラン。この街は所謂貴族街みたいなものだから、上から見たら絶景よ」
《期待しておこうではないか》
リランを肩に乗せたまま、アスナは立ち上がってユウキに声をかけた。
「さぁてと! 出かけるとしましょうか。貴重なお休みを、空の旅を満喫しましょう」
アスナの言葉に、ユウキは頷いた。
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「わっはーい! すごい、すごい――!!」
まるでジェットコースターに乗っているように、ユウキは声を張り上げる。今、アスナとユウキはリランの背に跨り、この層のフィールド上空を飛び回っている。常に暖かい風が吹き付けてきて、下の方には緑色の塊のようになっている山々、糸のような青い川、そしてミニチュアのような街が見える。
風に耐えつつ目の前に視線を向けてみれば空と雲、青と白で構成された世界が広がっている。そして自分達の身体の下で、リランはその身体を懸命に動かして、風を掴みつつも、その白金色の翼を力強く羽ばたかせていた。
リランに乗って飛んだのは今日だけではないが、やはり、リランとの飛行は地面に足を付けて冒険している時とは全く違う爽快感がある事を、アスナはしみじみと感じながら、自分の腹の方に手を回しているユウキに声をかける。
「どうユウキ! リランの背中は最高でしょ?」
「最高だよ――! 竜の背中に乗って飛ぶのが、こんなに気持ちいいなんて、知らなかった――!」
「ALOで飛行するのとも、何か違うの?」
「全然違う! 自分の翅で飛ぶのと、全然違うよ!」
本当にジェットコースターに乗っているかのように燥ぐユウキに、アスナは思わず笑顔になった。ユウキは本当に笑顔が可愛くて、見せられると顔がほころんでしまうのだが、正直なところ、ユウキがどうしてここまでの笑顔になれるのか、気になる時がある。今ならば、話を聞く人間の数も少なくて、話しても誰かに聞かれる恐れはないし、リランもキリトやシノンなどに、聞かれない限りは口外したりしない。
「ねぇユウキ」
「なに、アスナ」
「私、貴方について知りたい事が沢山あるんだけど、今なら聞いていい?」
ユウキの「えっ」という声が届いてきた。恐らく、ユウキ自身もさぞかし驚いたような顔をしている頃だろう。
「無理にとは言わないわ。でも、私達今まで一緒に暮らしてきたのに、ユウキの事何も知らないなって思って……嫌な事言ったなら、ごめんね」
ユウキから返答はなかった。恐らく、いきなりこんな事を言われて、ショックを受けてしまっているに違いない。
「もし、話してくれたなら、その時は――」
「――嫌いにならない?」
「えっ?」
「ボクの事を詳しく聞いて、ボクの事を嫌いにならない?」
ユウキの言葉に少し驚いていると、更に声が聞こえてきた。
「正直、ずっと一緒に暮らしてきて、アスナはいい人で、優しい人だってわかってたから、話したいって思ってた。でも、話してしまったら、アスナがボクの事を嫌いになるんじゃないかって思って、ずっと言わないで来た」
先程までのユウキとは違う、少し弱弱しくて、風に流されてしまいそうな声。それをなんとか、風から守りつつ、アスナは耳に入れる。
「大丈夫よ。たとえどんな話でも、私はユウキを嫌いになったりしないわ。だから、話してほしいわ、ユウキ」
《その話、我も興味があるぞ。お前が話す気ならば、このまま降下して、人のいない場所に降り立ち、そこで話を伺うが……どうする》
ユウキは何も言わず、しばらく黙ったが、それから十数秒後に、口を開いた。
「……降りて、リラン。ボク、話すよ」
リランは頷いて、少しずつ高度を下げ始めた。今までミニチュアのように見えていた景色が少しずつ近づいてきて、やがてミニチュアから仮想現実の者へと変化を遂げた。そしてリランは、
周りを見ても、どこにもプレイヤーの姿はなく、あるのは木々と湖だけ。茂みの辺りからモンスターが出て来そうに思うが、凶悪なドラゴンが降り立ってきたのを感じ取ったのか、動物達も、モンスター達も姿を消してしまっている。リランが小さくなっていないため安全地帯ではないが、ほぼ安全地帯に近しい地形。これなら、プレイヤーにもモンスターにも邪魔されずに話が出来そうだ。
「ここなら、話しても大丈夫そうだね」
「そうだけど……ユウキは、話してもいいの。貴方自身が傷付きそうな話なら、別にやめてもらっても……」
アスナの言葉を遮るように、ユウキは首を横に振った。
「ううん。ボクもアスナと暮らし始めた時から、いつか話さなきゃいけないって思ってたところなんだ。でもまさか、こんなに早く来てしまうなんて、思ってなかったけれどね」
ユウキはその場に座り込み、口を開いた。
「ボクね、実は現実世界にはいないんだ。ずっと、この世界にいるんだ」
アスナもリランも座り込んだが、すぐさまユウキの言っている事がわからなくなってしまった。――現実世界におらず、この世界にいるとはどういう事を差すのか。ユウキは、ずっとSAOの世界にいるという事なのだろうか。
「どういう事なの」
「アスナ、メディキュボイドって知ってる?」
「前にシノのんとイリス先生から聞かせてもらったわ。確か、ナーヴギアの機能を医療用に転用したものだっけ」
「うん。というよりも、どっちもVRにダイブするための機械だね。ボクはメディキュボイドの被験者になって、ずっと病院にいるんだよ。それで、ずっとVRの世界、ネットの世界で暮らしてるんだよ」
「VRの世界で……!?」
ユウキは俯き、言い辛そうな事を言おうとしているかのように口を動かし、やがて、声に出した。
「ボクね……エイズだったんだ」
「エイズ……!」
《なんと……!》
ユウキの口から飛び出した単語を耳に入れると、頭の中に勉強中に知った事が、アスナの頭の中に再び姿を現した。
後天性免疫不全症候群――英語名の頭文字を取って、エイズと呼ばれるそれは、ヒト免疫不全ウイルス事HIVが免疫細胞に感染し、破壊し、免疫不全を起こし、様々な病を発症してしまう、恐るべき病気だ。
元気に走り回り、お喋りをし、剣を振るうユウキがそれになっているなんて、嘘じゃないのかと、アスナは考えたが、ユウキの真実を告げる瞳を見て、それが嘘ではない事を思い知った。
「生まれたばっかりの時に、輸血用血液製剤を投与されたんだけどさ、その中にHIVが入っててさ。感染しちゃって、そのままエイズになっちゃったわけ。ボクは12歳の時までエイズを発症しなかったんだけど、親と姉ちゃんはボクよりも早く発症して、ボクよりも早く死んじゃった。エイズを発症したボクは病院に入れられて、メディキュボイドでの治療を行う事になって、3年間、続けてきた」
アスナは言葉を失った。自分は彼是2年、この世界で暮らして、戦ってきたわけだが、ユウキはそれよりも1年も多くこの世界で生きてきたのだ。現実世界に戻る事なく、ずっとVRの世界で……いや、だからこそ、ユウキの強さはSAOプレイヤーとは比べ物にならないくらいに大きいものなのだ。
「そんな……父さんと母さん、お姉さんに死なれて……貴方はずっと、VRの世界で、たった一人で生きてきた人だって言うの」
ユウキは頷いた。
「みんなボクから離れていったよ。HIVが伝染るからって言って」
リランの歯を食い縛る音が耳元に届き、頭の中に声が響く。
《HIVは太い血管に流れる血液や、濃度の高い体液からしか感染せぬ。無知による差別か……》
「そういう事だね。んで、病院に入れられてから、ボクはそんなに長くない命だって、先生方に言われてたんだ。生きられても3年がいいところだろうって」
「そんな……!!」
泣きそうになるアスナを目にしながら、ユウキは微笑んだ。
「でもね、ボクはある人に助けられたんだよ」
アスナはきょとんとして、涙を引っ込ませた。
「ある人?」
まるで、違う世界で自分の帰りを待っている人の事を考えているような、穏やかで寂しそうな目をして、ユウキは続けた。
「ある時、ボクのところに一人の男の子が来てさ。先生達はみんなその子に吃驚して、大騒ぎしてたんだよ。そしてボクもその男の子が何者であるかを知って、仰天しちゃった」
「どういう事なの」
「その人の身体には特殊なウイルスがいたんだ。ウイルスって聞くとちょっと身構えちゃうけど、実はそうじゃなくて、とんでもないものだったんだ。なんとそれ、身体に入ってしまったら殺す事が出来ないHIVウイルスを、食べて殺してしまう力を持ったウイルスだったんだよ」
「HIVウイルスを……殺すウイルス……?」
「そう。しかもそれだけじゃないんだ。その人のウイルスはHIVウイルスを食べ尽くすと、そのまま死んじゃって、それ以上の悪さとかはできないんだ。勝手に増えてHIVウイルスを殺し尽くしたら、それで終わり。エイズってHIVウイルスがいなくなりさえすれば治ったも同然だから……つまり、今まで絶対に不可能って言われてた、エイズの特効薬そのものだったんだよ」
エイズは確かに弱める事が出来るけれど、完全に治癒する事は出来ない、エイズになる前の身体に戻す事は出来ないと言われているのはアスナも知っていた。そのせいなのか、ユウキの口から出てくる経緯は、常識から外れているように思えた。
「な、なんなのそれ……その男の子が、貴方の言うカイムなの」
「そうだよ。カイムのウイルスは治療薬と混ぜられてボクに投与された。そしたら本当にボクの身体の中のHIVは消えて行って、免疫力も少しずつだけど、回復し始めたんだ。余命3年だったのが……元の身体に戻るまで4年って言われるようになったんだ」
「す、すごい。まるで魔法みたい……」
思わず口にしてしまうと、ユウキも頷いた。
「先生達も口をそろえてそう言ってたよ。現代医学がひっくり返ったなんて。おかげでボク、予定よりもずぅぅっと長生きできるようになったんだ。というか、元の身体に戻りかけてるんだけどね。どれもこれも、カイムのおかげ。カイムはボクの命の恩人なんだ」
「そんなものが存在していたなんて……それって何年くらい前の話? そんなものが発見されれば、ニュースはそれ一色で埋まっちゃうんじゃ?」
「年は2年前……あぁ、アスナはその時にSAOに潜っちゃったから、丁度ニュースを見る事が出来なかったんだね。アスナの言う通り、テレビもネットも、全部エイズの特効薬が発見される、その正体はたった一人の日本人の少年の身体から見つかった特殊ウイルスっていうニュースでいっぱいになっちゃったよ」
ユウキはあまり話を理解できていないような苦笑いをする。
「あまりよくわかってないんだけど、そのウイルスが生まれたカイムの身体の中にある細胞って、元からHIVに耐性を持つ遺伝子組織の細胞だったんだって。そのおかげでHIVウイルスを殺すウイルスができたんだけど……ここからはカイムの事も話さなきゃなんだけど、アスナはいいの」
「いいわ。寧ろ、聞きたい」
ユウキは頷いたが、どこか悲しそうな顔になった。
「カイムにはボクと同じようにお姉さんが居たそうなんだ。カイムはそのお姉さんの事が大好きで、家族の誰よりも信頼してたんだって。
でも、お姉さんはカイムと一緒に事故に巻き込まれて大怪我して、輸血したんだけど、輸血用の血液の中にHIVが入ってて、お姉さんもエイズになっちゃったそうなんだ」
ユウキは俯いた。
「大好きなお姉さんが病気になっちゃったのが、カイムは凄く悲しんだんだけど……ひどい事に、お姉さんはボクよりも早くエイズを発症して……20歳になった直後に、亡くなったんだって」
アスナは思わず口を覆った。
「そんなっ……」
「それからカイムはずっと落ち込んでたそうなんだけど……その後、血液検査をやったら、HIVに耐性を持つ珍しい細胞の持ち主だった事が分かったそうなんだ」
そこでリランが反応を示した。《声》が頭に届いてくる。
《待てユウキ。カイムとカイムの姉が事故に遭ったのであろう? という事は二人同時に輸血を受けなければならない状態になっていたはずだ。カイムは姉と同じにはならなかったのか》
「そうだよ。実はカイムも同じだったんだ。カイムもHIVウイルスに感染しちゃって、エイズになってたはずなんだけど、カイムは今言ったみたいに、HIVに耐性を持ってる細胞の持ち主だったから大丈夫だったんだ。カイムの身体に入ったHIVウイルスは、何もできない状態だった。
問題はその後。病院でもう一回採血してもらったら、そのHIVウイルスが突然変異を起こしていて、HIVを殺す、これまで発見された事のないものに変化してたんだって。お医者さんは飛んで
「そして、貴方のところにカイムがやってきて、貴方を……」
「そういう事。カイムのウイルスがどうしてそんな事になってたのかは、、まだ原因は不明らしくて、お医者さんは総出で解析を行ってるそうなんだけど、やっぱりわからないってさ。でも、ボクはわかる気がするんだ。カイムはきっと、もうお姉さんみたいに死ぬ人が出て欲しくないって思ってたんだ。その思いにカイムの身体が反応して、ウイルスを変化させたみたいな――そんなふうに考えてる」
「カイムの意志がウイルスを変化させて、HIVの特効薬を作り出し、ユウキを助けた……」
ユウキは苦笑いする。
「まるで作り話みたいだよね。でも、本当の事なんだよ。カイムは間違いなくボクを助けてくれた命の恩人。その人が、SAOの後に発売されたフルダイブゲームであるALOにいるって聞いた時に、ボクは速攻でALOに行って、カイムを探して、出会った。それから仲良くなるのに、あまり時間はかからなかったよ。でも驚いたのは、カイムがキリトの友達だったって事だね。それで、本来ならSAOにログインしてるはずだったけれど、その日は事情があってログインできず、翌日にナーヴギアを回収されちゃったらしいんだ」
アスナは実に奇妙な運命が、自分達のすぐ近くで繰り広げられていた事を悟り、驚きを隠せなくなった。
自分達の仲間になってくれたユウキを、カイムというトンデモ細胞の持ち主が救い、そのカイムが、今攻略組を最も助けていて、自分の親友であるリランの《ビーストテイマー》であるキリトのリアル友人。まるで
「そう……という事は、ユウキはいつか、元の身体に戻れるって事なのね」
「うん。でも、完全に元に戻ったとしても、身体はガリガリに痩せてて非力になってるだろうから、リハビリに1年以上は費やすだろうなぁ。本当に復帰できるのは……いつになるやらー」
「それでも、貴方が死んじゃわないだけよかったと思うわ。だってそれなら、リアルで会いに行く事が出来るだろうから……」
ユウキは驚いたような顔になって、アスナと目を合わせる。
「まさか、ボクに会いに来てくれるの、アスナ」
「えぇ。えぇ! リアルに帰ったら、まず最初に、貴方のところへ行きたい」
次の瞬間、ユウキの目は大きく見開かれて、ぽろぽろと涙が零れ始めた。アスナは驚いて、ユウキに声をかける。
「ユウキ?」
アスナの想いを悟ったのか、ユウキは笑んだ。
「う、嬉しいなぁ……ボクに面と向かって、そんな事を言ってくれたの、カイムだけだったからぁ……」
思わず、アスナはユウキの身体に手を伸ばし、しっかりと抱きしめた。ユウキの持つ独特で心地よい温もりが全身に広がった。
「今までずっと、頑張って来たねユウキ……すごく、頑張ったわ」
「それ、カイムにも言われた……」
「貴方は酷い目に遭い過ぎたのよ。でも貴方はずっと、それに屈せずに生きてきた……普通の人なら折れちゃいそうな出来事に出くわしても、負けないで生きてきた」
アスナはユウキを離し、その両肩に手を乗せて向き合った。
「話してくれてありがとう、ユウキ。そして、そんな貴方を、私はこれから支えていきたい。リアルでも、貴方と友達でありたい」
「ボクもだよアスナ。ボクも、リアルでアスナと友達になりたい。友達で、ありたい」
ユウキは手で目元を擦り、涙を全て拭き取ってから、再び笑んだ。
「そのためにも、生きて帰ろう、アスナ」
「えぇ!」
ユウキの笑顔に、アスナも笑顔で答えると、リランが微笑みつつ《声》を送ってきた。
《我も力になるぞ。お前達が生きて帰らなければ、お前達の望みは叶わないからな》
「うん。あぁーっ、まさかここまでアスナに話す事が出来るなんて。おかげでものすごくすっきりした! まるで、全身デトックスをしたみたい!」
《それはよかったな。さぁ、フライトを再開するか?》
「勿論!」
ユウキはジャンプして、座るリランの背中に降り立ち、前方を指差した。
「リラン、
「待ちなさい、ユウキ!」
思わず笑いながら軽やかに立ち上がり、リランに近付いたその時だった。
《……す……けて》
アスナは立ち止まり、振り返った。今、森の音に混ざって、《声》が聞こえてきた。もし普通の声ならば、聞き間違いかと思うところだが、頭の中に直接響いてきたため、そうとは思えなかった。咄嗟に、アスナはリランに振り向いた。
「リラン、今何か言った?」
《何も言っておらんが》
「どうしたの、アスナ」
リランとユウキは、どうやら聞いていないらしい。気のせいだったのだろうか――そう思ってリランに乗ろうとした次の瞬間、
《たすけて》
もう一度、はっきりとした《声》が聞こえてきて、アスナは振り返った。やはり気のせいではない。リランとは違う、少し高い声色を持つ何かが、自分に語りかけてきて、助けを呼んでいる。そしてそれは今……振り返った森の奥の方にいる。
「いる!」
そう言って、アスナは森へと走り出した。背後から驚くユウキとリランの声が聞こえてきたが、アスナは構わずに走った。
原作との相違点
1:ユウキがカイムにより確実に生存。
カイム自体実在しないトンデモウイルスの持ち主だが、このトンデモウイルスは将来ナノマシンで実現するかもしれないらしい。
2:カイムの姉が死亡している→誰が姉かは前作を読んだ人ならわかるはず
次回、今まで名前だけ登場していたキャラクターが正式に登場。乞うご期待。