キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:炎猫の化身

 

 

          □□□

 

 

 

「あああああああああああああぁぁあああああああああああああぁぁぁぁああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ」

 

 

 唐突に聞こえてきた絶叫に、戦闘中であるにもかかわらずキリトは手を止めてしまった。《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》となったファナティオとの戦闘の音をかき消してしまうくらいに、大きな声だった。

 

 

「今の声は!?」

 

「メディナ先輩……!?」

 

 

 真っ先に反応を示したのはグラジオだった。そして彼の言う通り、聞こえてきた絶叫の声色は確かにメディナのそれと一致しているようだった。

 

 

「い、や、やああああああああッッ」

 

 

 ファナティオを元に戻すべく共に戦っているルコが、突然悲鳴を上げた。自身の身体を抱き締めるような仕草をして、立ったままその場に(うずくま)る姿勢をする。《EGO化身態》となったファナティオから攻撃を受けたわけではないが、何かしらの異変を起こしたのは間違いなかった。

 

 ファナティオと言いルコと言い、メディナの絶叫と言い、異変があまりに連続で起こり過ぎて頭が付いていけなくなりそうだ。

 

 

「ルコ!?」

 

 

 異変の二つ目であるルコの元へシノンが駆け付け、リランにフォローしてもらいながら《EGO化身態》となったファナティオから遠ざけさせた。そのままシノンはルコをキリトのところへと持ってくる。

 

 

「ルコ、お前までどうしたんだ!?」

 

 

 ルコの両肩を支えるようにして手を置いたところ、かなり激しい振動が伝わってきた。酷く震えている。ルコの体質からして、寒いわけではないだろう。

 

 顔を覗き込んでみたところで、キリトはごくりと唾を飲み込んだ。ルコの表情はこれ以上ないくらいの恐怖に満たされたものとなっていたのだ。

 

 

「怖……い……」

 

「え?」

 

 

 ルコはか細い声で伝えてくる。

 

 

「キリト……メディナ、怖いの、なった……」

 

 

 メディナが怖いものになった――ルコ特有の途切れ言葉を繋ぎ合わせるとそうなった。どういう事だ。ルコはいつものならば、誰かが《EGO化身態》になった、もしくは《EGO化身態》になりかけているのを察知して「誰々、止めない、駄目」と言ってくるが、「怖いのになった」と言ってきたのは初めてだ。

 

 メディナは再会した時既に《EGO化身態》になりかけていたが、それが進行して完全な《EGO化身態》になってしまったのだろうか。だとすると、これまで《EGO化身態》が敵になろうとも――現にファナティオの《EGO化身態》を相手取っている今この状況でも――恐れを見せなかったルコが、初めて明確な恐れを見せるくらいにまで異常且つ凶悪な《EGO化身態》となったという事になる。

 

 いずれにしても最悪の状態だ。せっかくシェータが《EGO化身態》にならずに助かったが、ファナティオが代わりに《EGO化身態》になったという状況だというのに、駄目押しが追加されてきた。

 

 

「メディナ先輩……メディナ先輩!!」

 

 

 グラジオが回れ右をして走り出した。このカラント・コアのある場所に至るまでに通った道へ戻っていく。

 

 

「グラジオ、待て!」

 

 

 キリトの制止など届かなかった。意外にも足の速い彼の後姿は、気付いた時にはかなり小さくなっていた。戻ってくる気配はない。

 

 

「どうすんのよ! グラジオったら、一人で行っちゃったわよ!」

 

「まだファナティオさんの鎮圧が終わってないのに!」

 

 

 リズベットとリーファが焦りながら言う。グラジオがこのままメディナのところへ向かうつもりなのは間違いないが、今向かってしまったら、《EGO化身態》となったメディナの餌食になってしまう事だろう。

 

 彼を助けに行かなければならないが、リーファが既に言っているように、《EGO化身態》となったファナティオの鎮圧を途中で放棄するわけにもいかない。咄嗟に頭の中を回転させてみるが、この後に取るべき行動が思い付かない。いつもならば思い付いてくれるというのに。

 

 その時、不意に聞こえてきたのはベルクーリの声だった。

 

 

「仕方ねえ! おいキリト、お前さんはリランと嬢ちゃん達を連れてグラジオを追いかけろ! ファナティオはオレとシェータとリネルとフィゼルに任せておけ!」

 

 

 キリトは驚きながらベルクーリに振り向いた。大分追い詰めてはいるものの、《EGO化身態》となったファナティオは未だ健在で、《EGO化身態》の天命もかなり残っている。それにそもそも、ファナティオをこの短時間で追い詰める事ができたのは、キリト、アスナ、リズベット、リーファの《EGO》の力によるものなのだ。

 

 先程メディナと戦った時に薄々感じていたが、今現在のファナティオとの戦いではっきりとわかった。《EGO化身態》は《EGO》による攻撃を弱点としているという事が。だからこそ、かなり強い方に入る《EGO化身態》となったファナティオが相手でも、苦戦せずに戦えていたようなものだ。

 

 ここで自分達が抜けてしまったならば、形成は一気に逆転してしまい、ベルクーリとシェータ、リネルとフィゼルが危なくなってしまう。

 

 

「ベルクーリさん、どうするつもりなんですか」

 

 

 ユージオの問いかけに、ベルクーリは不敵な笑みで答えた。

 

 

「ユージオよ。お前さんと嬢ちゃんの出身地の村では、オレが北の《果ての山脈》に住んでいた白い龍を倒し、勇者と呼ばれたっていう伝説があるらしいな」

 

「え? あぁ、はい。《ベルクーリと北の白い龍》っていう、ルーリッドの村の英雄譚です」

 

「その話がどうかしたのですか、小父様」

 

 

 アリスの質問にベルクーリは時穿剣(じせんけん)を構え直して再度答える。

 

 

「その時の記憶は《アレ》に消されちまったから憶えてねえけど、オレはきっとその伝説の通りの勇者だったんだろう。んで、本物の最高司祭殿によると、勇者や英雄と呼ばれた奴は必ず《EGO》を持っていた。その《EGO》の力で魔獣や伝説の獣をバッタバッタ倒してたうえ、《EGO化身態》にもならないお前さん達みたいな心構えを持っていたから、伝説にも残ってる。そういう事なんだろ」

 

 

 そこまで聞いたところで、キリトははっとした。ベルクーリがルーリッドの村の伝説に登場する勇者ベルクーリと同一人物であるというのは、クィネラとカーディナルの調査でほぼ確実であるとされている。そして勇者や英雄は《EGO》を獲得していたという話。

 

 これらを併せる事で導き出される答えと言えば――。

 

 

「まさかベルクーリさんも、《EGO》を!? だけど、あんたが《EGO》を使ってるところなんて見た事が……」

 

 

 言いかけたキリトに「ふっ」と言って、ベルクーリは時穿剣を地面に突き刺した。そして彼がその柄の先端に両手を置いたその直後に異変が起こる。時穿剣から青い光が発せられたかと思うと、その刀身に光で構成された複雑な紋様が浮かび上がった。

 

 《システムクロック》なる世界時計を素材に作られていたそれは比較的武骨な見た目の大剣だったが、今の姿は英雄譚から抜け出してきた大聖剣だ。無論、そうなった時穿剣など初めて見る。それはアリスも同じだったようで、かなり驚いているようだった。

 

 

「小父様の時穿剣が……!」

 

 

 ベルクーリは大聖剣を引き抜いて構える。その顔には強さと余裕を示す不敵な笑みがずっと浮かんでいた。

 

 

「《アレ》に支配されなくなった辺りから、オレは時穿剣に親近みたいなものを感じるようになってな。それについて本物の最高司祭殿に聞いてみたら、教えてくれたんだ。オレは《アレ》の支配下に置かれるより前に《EGO》を獲得していて、そいつは今は時穿剣と同化しているってな」

 

 

 キリトは時穿剣の刀身に浮かぶ紋様を再確認して目を見開いた。青い光を放つその紋様は、よく見ると一本の剣の形を作っていた。恐らくあれがベルクーリの本来の《EGO》のシルエットなのだろう。

 

 その剣の紋様を中心にして線の紋様が規則正しく広がり、時穿剣を包み込んでいる。なるほど確かに、《EGO》と時穿剣が同一化しているかのようだ。そしてそこから感じられる力のオーラは、自分達の使う《EGO》が放つものと同じだった。今、時穿剣はベルクーリ・シンセシス・ワンの《EGO》となっている。

 

 

「こいつがあれば、ファナティオを元に戻せる。なんて言ったって、オレが勇者って呼ばれてた頃から一緒にいる《EGO》なんだからな」

 

「ベルクーリさん……!」

 

 

 キリトの声を受けてもベルクーリは振り向かなかった。だが、その背中を見るだけで、どういった顔をしているかは把握できた。

 

 

「いいから行けって。グラジオもメディナの嬢ちゃんも、きっとお前さん達の助けを求めてるはずだからよ」

 

「……わかった。ベルクーリさん、シェータ、リネルにフィゼル。どうかファナティオを助けてくれ」

 

「言われなくても、最初からそのつもりだっつうの」

 

 

 キリトの頼みを背中で受け、ベルクーリは《EGO化身態》となったファナティオへ駆け出した。その後を追うようにして同じく走り出したシェータとリネルとフィゼルの背を確認した直後に、キリトは皆に号令してリランの背に飛び乗った。

 

 整合騎士四人を除く全員がリラン、ユピテル、冬追(フユオイ)の背中に乗ったのを認めると、リランに来た道を戻るよう指示を下す。リランはすぐさま《カラント・コア》に背を向けて、通ってきた道を駆け始めた。

 

 ここはメディナと戦った広間からはそんなに離れていない。もしかしたらリラン達の乗る必要もなかったかもしれないが、今はとにかく急いでグラジオと合流し、メディナのところへ向かいたかった。

 

 二分ほど進んだところで、走るグラジオを見つけ出した。彼は三匹の龍が一気に走ってきた光景に驚いていたようだったが、キリトは即座に彼を拾い上げ、リランの背に乗せさせた。そして一人戦線離脱したグラジオを責めたりする事なく、「一緒にメディナのところに行こう」とだけ言ってリラン達を急がせた。

 

 そこから更に一分程度進んだ辺りから雰囲気が変わった。空気が震えて熱を帯びている。何かが猛烈なエネルギーを外界に向けて放出し、その影響によって空気が、大気が加熱されているかのようだ。

 

 熱はリランが歩を進めていくごとに強くなっていき、最終的に熱風が吹いてくるくらいにまでになった。気温も上がっているらしく、暑くて汗が出てくる。夏の暑さなど比ではない。もう少し暑くなるような事があれば、呼吸さえ難しくなるだろう。それくらいにまで空気が過熱されている。

 

 炎と熱を放っていたものと言えば、デュソルバートとリズベットの《EGO化身態》が直近で確認されたそれであったが、どちらも鎮圧されて《EGO》を取得済みであり、リズベットに至っては《使い魔》形態となっているユピテルの背中で暑そうにしているので、再出現しているというのはありえないだろう。

 

 彼女達と同じ性質を持つ《EGO化身態》が現れているという事なのか。だとすればそれは――。

 

 

《キリト!》

 

 

 考えるキリトの頭の中に直接《声》が響いてきて、リランの足が止まった。前を見てみたところで、目を大きく見開く事になる。

 

 そこは惨劇の起きた現場だった。メディナの連れていた《冒険者達》と思わしき者達が、大量の死体になって地面に転がっている。

 

 どれも上半身と下半身が切り離されているだとか、胸に巨大な穴が開いているだとか、頭が吹き飛んでいるだとか、無惨な姿をしていた。とてつもなく大きくて凶悪な力で蹂躙されたのは間違いなかった。

 

 皆が悲鳴を上げる事さえできず、言葉を失い、立ち尽くすしかなくなっていた。誰もがそんなふうになってしまうくらいに、目の前の光景は現実離れした地獄の光景だった。一体何が、誰がこんな事をしたというのだろう。

 

 これまで確認された事がないくらいの強さと力を持った魔獣や《EGO化身態》が通りかかってきて、この凄惨な現場を作り上げたのだろうか。いや、周辺の地面や地形にそれらしき痕跡は見受けられないので、違うのだろう。

 

 では、人間がやったのだろうか。だとすればそれはどんな人物だというのだろう。最早そいつは人間ではなく、人間の皮を被った殺戮機械(さつりくきかい)か何かなのではないか。ここまでの惨状を作り出せる暴力を出せる人間など存在するわけがない。だからそいつは人間のようで人間ではないはずだ――目の前の光景が信じられないためなのか、そんな考えが頭の中を(よぎ)って仕方がなくなっていた。

 

 惨殺死体の群れの中心で、火柱が上がっていた。天まで届きそうなくらいに激しく燃え上がるそれは、赤黒い色をしていた。

 

 外部の者達の手で鎮圧されて《EGO化身態》から人へ戻った者が、自身の利己心(エゴ)を拒絶してしまった時に発生する黒い炎に似ていなくもないが、あの炎は黒の中にはっきりとした赤色が混ざっている。そのせいでただ黒いよりも遥かに禍々しく感じられた。

 

 この炎の柱こそが、周囲に熱をばら撒いている元凶であると把握できた。その中にいる存在を認めて、キリトは更に目を見開かせる。

 

 

「メディナ……!?」

 

 

 赤黒い炎に包まれているのは少女だった。色は完全に炎の色に塗り潰されてわからなくなっているが、体型や顔の形は不思議と判別でき――あろう事かそれは、メディナのものと一致していた。

 

 

「メディナ先輩ッ!!」

 

 

 グラジオは叫びながら飛び降りて、炎の柱に向かっていく。

 

 あの赤黒い炎は恐らく、近付く全てを拒絶して焼き壊すものだ。接触しようものならば瞬く間に焼き尽くされてしまう事だろう――メディナの周囲の草が綺麗に焼失し、小規模な焦土ができているのを見て、キリトはすぐさまそう理解した。しかしそれでもグラジオは先輩の元へと走っていくのをやめない。

 

 その時、キリトと同じ事を思い付いたであろうユージオが冬追の背中から飛び出すようにジャンプして着地。意外にも足が速いという特徴を持つ彼はあっという間にグラジオに追い付いて羽交い締めにかかり、半ば強引に制止させた。

 

 

「グラジオ、行っちゃ駄目だ!!」

 

「離してくださいユージオ先輩! メディナ先輩が、メディナ先輩がぁッ!!」

 

「メディナの周りの死体を見てよ! メディナの起こす炎に焼かれて灰になっていってる。今のメディナに近付いたら、君も同じように焼き尽くされてしまう!」

 

 

 ユージオの言葉を受け、キリトはメディナの周りを認めて背筋を凍らせた。メディナの周りには冒険者達の惨殺死体が転がっているが、その内メディナの近いところにあるものは、彼女の身を包む赤黒い炎に同じように包まれ、一気に炭化していっていた。

 

 その光景を目にしたグラジオは「ひっ」というか細い声を漏らし、凍り付いたように動きを止めた。

 

 

「「メディナ!!」」

 

「「メディナさん!!」」

 

 

 この場にいるほぼ全員で呼びかけたその時、赤黒い炎で燃え盛るメディナの身体を、同じ色の光の粒子が包み込んだ。人が《EGO化身態》に変わってしまう際に発生するプロセスだ。

 

 先程の再会時、既に《EGO化身態》になりかかっていた彼女は今まさに正真正銘(しょうしんしょうめい)の《EGO化身態》になろうとしている。止める手段は誰も知らない。いや、そもそも存在自体していないだろう。一度《EGO化身態》になってしまいそうになったら、もう《EGO化身態》になるしかないのだ。

 

 キリトとその仲間達の視線を集めているメディナは、赤黒い光の球体となった。自分とシノン、ユージオとルコが修剣学院から連れ出される切っ掛けとなった事件を起こしたライオス・アンティノスと同じだ。赤黒い光の粒子に包み込まれて異形の卵となり、そして怪物となって孵化するのだ。

 

 彼女を《欠陥品》と(ののし)り、虐げていたが故に惨めな末路を辿ったライオスと同じ道を通ってしまうなど、あまりに残酷で理不尽な話だ。何故身に覚えのない罪を着せられて理不尽に虐げられていた被害者が、虐げていた加害者と同じ怪物にならなければならないというのだろう。

 

 キリトは奥歯を食い縛っていた。胸の中が熱いのは《EGO化身態》を前にして《EGO》が(うず)いているのと、メディナをひたすら苦しめる理不尽な境遇に対する燃えるような怒りのためだった。

 

 そして、どこまでも痛めつけられて苦しめられ、今まさに更なる理不尽に襲われたその少女は、卵の殻を突き破って新たな姿を顕現(けんげん)させた。

 

 ――猫だ。しかしそれはその言葉から連想されるような姿と大きさをしていなかった。リランに匹敵するくらいの巨体をしていて、身体のあちこちが赤黒い装甲を伴う人工物のような部位になっていて、背中には複数本、両肘には一本、刀のように細長く鋭い黒い棘が伸びている。

 

 尻の先から生える尾はとても長く、先端は剣のようになっていた。その他の部位はメディナの髪の色と一致した色の毛に包み込まれているが、首元のそれは雄の獅子の(たてがみ)のようになっている。

 

 まるで得体の知れない何かがメディナの記憶を読み取り、その中に登場してきた猫という動物を歪んだ解釈で具現化させたような姿だった。そしてそれはあろう事か、四本足ではなく、二本足で地面に直立していた。右手に巨大な異形の剣を携えて。

 

 

「メディナさん……そんな……こんな事って……」

 

 

 アスナの後ろにいるシリカが信じられないような顔をして、新たな姿のメディナを見つめていた。彼女だけではなく、キリトの周りにいる全員が同じ顔をしてメディナを見ているしかなくなっていた。

 

 かつて冒険者達という名の信奉者達から救世主と呼ばれて崇められていた少女は、恐ろしいまでに凶悪な力を持った神へと変じてしまった。そんなふうに感じられて仕方がない。

 

 そして《赤黒(せきこく)猫人(びょうじん)》とも言うべき存在となったメディナはその(あぎと)を開き、咆吼(ほうこう)する。発せられた声は悲しみと嘆き、怒りと憎悪が複雑に混ざり合った、悲痛に感じさえするような声色だった。ここへ戻って来る前に聞いたメディナの絶叫に似ていなくもないというのが、余計に悲壮感を強くしてくる。

 

 それは《欠陥品》と罵られ続け、ついに壊れようとしている彼女の心の音だった。

 

 

「メディナ先……輩…………」

 

 

 ユージオに羽交い絞めにされたまま、グラジオは動揺で染まった声を出していた。グラジオは先輩であるメディナを誰よりも慕っていたし、だからこそメディナが対策本部から離反した時にも付いて行っていた。そのメディナがあんな姿になってしまったのだから、動揺して当然だ。

 

 だが、そういった感情に呑み込まれて立ち止まっているわけにはいかない。メディナにはまだ希望が残されている。鎮圧だ。今まさに出現しているであろう《EGO化身態》の天命を、彼女の天命と完全に同化してしまう前に削り切る事ができれば、彼女を本来の姿へと戻す事ができる。エルドリエ、リーファ、デュソルバート、リズベットをそうさせられたように。

 

 

「皆、降りて戦うぞ! メディナを元に戻すんだ!」

 

 

 できるだけ皆を鼓舞するように言い、キリトは地面に降り立って二本の剣を抜いた。片方はリズベット特製の《リメインズ・ハート》。もう片方は《EGO》である白き炎剣。これが一番《EGO化身態》との戦いで上手く効果を発揮してくれる――《夜空の剣》には少し申し訳ない――組み合わせだ。先程《EGO化身態》となったファナティオを追い詰められたのもこの組み合わせだったから、今回もこのままこれで戦う。

 

 キリトに続いて降りた仲間達の内、アスナ、リーファ、リズベットもそれぞれの《EGO》を抜き払う。この四人で攻撃を仕掛ければ、《赤黒の猫人》となったメディナを元に戻すのにも、そこまでの時間を要さないはずだ。

 

 それに《EGO》を持っている自分を含めた四人だけではなく、シリカとルコ、ユージオとアリスもいるうえ、リランとユピテルと冬追という強大な力を持つ《使い魔》達もいる。ベルクーリ達大人の整合騎士達がいなくなっているのは痛いが、それでも何とかできる方だ。

 

 武器を構えた皆の姿を確認する。その中で一人だけ抜刀できていない者を見つけ出した。グラジオだ。ユージオによる拘束から解き放たれて、その後ろにいる彼は今、《EGO化身態》となったメディナを見つめて呆然と立ち尽くしている。

 

 

「グラジオ、剣を抜きなさい! メディナ殿を助けるのです!」

 

 

 グラジオの前方で剣を構えるアリスが大きな声で言うが、グラジオは身体と瞳を震わせているだけで、背中に携えている両手剣を抜こうとしない。

 

 

「アリス様……ユージオ先輩……おれ……おれ…………」

 

 

 その口から漏れる声もかなり震えているものだった。尊敬し、親愛の気持ちを抱いていた先輩が怪物になってしまって、心も頭もついていかないのだろう。だが、そうしている間にメディナは苦痛に苛まれ、《EGO化身態》の天命に蝕まれていく。立ち止まっている時間などないのだ。

 

 何かしら彼を突き動かせそうな言葉を出そうとした時、先に口にしたのはユージオだった。

 

 

「グラジオ! メディナは君を《傍付き練士》に選んだ先輩だろう!? 他の貴族出身の奴らと違って、君を大切にしてくれていたんだろう!? だから君はメディナが対策本部を勝手に抜けた時にも付いて行ったんだろう!? 君にとって、メディナは大切な人なんじゃないのか!?」

 

 

 グラジオは「あっ」と小さな声を漏らし、はっとしたような顔をした。ユージオは更に続ける。

 

 

「……今、君の先輩は苦しんでる。苦しくて仕方がなくて、耐えられなくなって、あんな姿になってしまったんだ。それで、あの姿になってもまだ、苦しみ続けているんだ。君は大切な先輩が苦しんでいるところを黙って見ていられるほど、薄情者じゃないんだろう?」

 

 

 ユージオはまさにキリトの言いたかった事を言ってくれた。それを最後まで聞いたグラジオはというと、ユージオの背中と、その前方にいる《赤黒の猫人》を交互に見た後に(うつむ)いた。何かを考えているのは間違いないだろう。そしてそれはグラジオの性格上、きっと良い方向に進んでいるはずだ。

 

 間もなくして、キリトの予感は当たった。グラジオは顔を上げてユージオの右隣に並び、両手剣を構えた。

 

 

「そうですね、ユージオ先輩。ここでメディナ先輩を助けないなんて事をしたら……おれ、《傍付き練士》を辞めさせられちゃいます。おれを選んでくれたメディナ先輩に恩返ししないまま《傍付き練士》失格になるなんて、真っ平ごめんです!」

 

 

 グラジオの飴色の瞳は真っすぐ《赤黒の猫人》を捉えていた。覚悟が決まったようだ。もしかしたらユージオにあれだけ言われても立ち向かえないのではないかと危惧していたが、杞憂だった。グラジオは上級修剣士達に引けを取らないくらいに誠実な剣士だった。

 

 

「待っててください、メディナ先輩――」

 

 

 勇気に火が点いたグラジオが言いかけたその時、《赤黒の猫人》がもう一度吠えた。自分達という敵を認めて臨戦態勢に入ったのか――と思ったそこで、更なる動きを見せる。

 

 後ろ足に力を入れて跳躍したかと思うと、空中で一回転し、両腕を広げる姿勢を取ったその瞬間、()()()()()()()()()()。いや、正確には自分達人間の手の小指に当たる部分と、肘から伸びる鋭く長い棘の間に人工物のような質感の皮膜が形成され、飛竜の翼を思わせる形へと変化したのだ。

 

 

「な……!」

 

「なにそれ……!?」

 

 

 リーファとシリカが消え入りそうな声で言ったが、それもまたキリトが言いたい事だった。《EGO化身態》は基本的に常識の通じない異能力を持つ存在であるが、腕を翼に変形させるなんていう能力を持ったそれを見るのは初めてだ。

 

 ……いや、よく考えてみれば、足を変形させて蛇そのもののようになっていたエルドリエ、全身を炎の鎧で包み込んでいたデュソルバート、砂漠を緑化して樹木を操っていたリーファ、戦闘中に即席で盾や鎧を作り出していたリズベットといった、強力な《EGO化身態》はいつも信じがたい能力を遺憾なく発揮していたのだ。《赤黒の猫人》が腕を翼に変形させて飛行能力を獲得した事など、最早驚くに値しない事なのかもしれない。

 

 このアンダーワールドは神聖術という名の魔法が存在する事以外は現実世界と変わらない異世界のようになっているが、結局のところ根幹にあるのは――ものすごい強化改造がされている――カーディナル・システムという、ゲームを作るためのシステムソフトウェア。如何にもゲームっぽいものが出てきたとしても、おかしな話ではないのだ。

 

 そんな気持ちにさせてくる見た目になった《赤黒の猫人》は、即席の翼をはばたかせて、上空へ飛びあがった。そこから急襲してくるかと思いきや、こちらに一切目もくれず、ある方角へと飛んで行ってしまった。

 

 

「ええっ!?」

 

「ちょっと、待ちなさいメディナ!」

 

 

 アスナとリズベットが驚いて言うが、《赤黒の猫人》となったメディナにその声が届く事も、《赤黒の猫人》が戻ってくる事もなかった。

 

 完全に置いてきぼりを喰らう形になってしまい、その場にいる全員が呆然としてしまっていた。《赤黒の猫人》が翼を得たかと思えば逃げ出すなど、誰が予想できるというのだろう。

 

 

「メディナ、なんで急に飛んで行ったんだろ」

 

「見たところ東の方に飛んで行ったようですが……」

 

 

 ユージオとアリスが呟く。確かに《赤黒の猫人》は後姿は東の方角に消えていった。つまりも東にある何かを目指して飛んで行ったというのは間違いないが、それは何なのだろう。今まさに障害となっていた自分達をそっちのけてまで向かった場所とは、どこの事なのか。

 

 

「……東の……空……ここから東……」

 

 

 その時聞こえた呟きは、シノンのものだった。キリトの近くを立ち位置にしていた彼女は、下を向いてぼそぼそと何かを言っていた。何か思い当たるものでもあるのだろうか。キリトは声をかける。

 

 

「シノン、何かわかるのか?」

 

 

 そうキリトが言った直後だった。シノンはかっと顔を上げて、ユージオとグラジオの方を向いた。

 

 

「ねぇユージオ。あんた、メディナは苦しんでるって言ってたわよね?」

 

 

 急に言葉をかけられたユージオは半分驚いたように頷く。

 

 

「あぁ、うん。言ったけれど……」

 

 

 ユージオの回答を聞いたシノンは、間髪入れずにグラジオに尋ねた。

 

 

「それでグラジオ。メディナが苦しむ原因を作ってたのって、結局はメディナを欠陥品って言ってた、央都にいる貴族達よね?」

 

「はい。央都にいる貴族の人達は、皆してメディナ先輩を罵ってましたし、嫌がらせも数えきれないくらいやってました。おれはその人達のやる事なす事が全然理解できなくて――」

 

「やっぱりそうだわ……そうなんだわ!」

 

 

 声色からして、シノンは何かを掴む事に成功し、焦っているようだった。だが、何を掴んだのかをキリトは把握できない。

 

 

「何がわかったんだ」

 

 

 シノンはキリトに顔を向けてきた。

 

 

「メディナが向かっているのは《央都セントリア》よ! あの()は《央都セントリア》を襲って、そこにいる貴族達に復讐するつもりなんだわ!」

 

 

 

 


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