キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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13:オルティナノスの役目

 

 

          □□□

 

 

 

(キリトだけじゃなく、リーファとアスナ、リズベットまで《EGO》を得るとは……)

 

 

 相も変わらず明るいような騒々しいような央都セントリアの街中を、メディナは歩いていた。耳には絶えず街の喧騒が届けられてくるが、メディナの頭の中にまで届いてくるような事はなかった。昨日キリト達から聞いた話が山彦のように響いて止まない。

 

 キリト達は、いつの間にか強くなっていた。何でも、南帝国のカラント討伐完了後にもう一度向かったところでリーファが《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》となり、キリト達によって鎮圧され、《EGO》を手にしたという。

 

 そして昨日は、北帝国に向かったリズベットが《EGO化身態》になり、キリト達がリーファの時と同様にこれを鎮圧。その最中にアスナが《EGO》を獲得し、鎮圧されたリズベットもまた《EGO》を手に入れたというのだ。

 

 挙句の果てに、リズベットはその《EGO》を使ってキリトに新たな剣を作り、与えたという。二人は完成したそれを見せてくれたが、確かに良い剣であるとメディナも直感で思った。しかし、それはそこら辺にある量産型の剣と比べれば強いものの、《EGO》と比べると弱い方だった。

 

 だから、《EGO》という強大な武器を既に持っているキリトにとってはお荷物みたいなものであるというのに、キリトはそれを嬉々として受け取り、使っていくと言っていた。

 

 全く持って理解しがたい。何故、そんな回り道をするというのだろう。全く勢いを落とさずに増えていくカラントと、そこから生まれる魔獣と、呼び寄せられてくる《EGO化身態》を一匹でも多く倒し、平穏を取り戻さなければならないというのに。それこそが我々の使命だというのに。回りくどいったらありゃしない。

 

 

(ならば)

 

 

 自分は回りくどい事はせず、彼らよりももっと早く、強くならなければならない。最高司祭様に認められてもらうために。オルティナノス家の汚名を雪ぐという、自分の志を受け入れてもらうために。志半ばで落命した父のようにならないために。

 

 

「あの、救世主様。どうしました」

 

 

 ふと掛けられてきた声にメディナは振り返る。灰色の髪と弱弱しい――不謹慎だが恐らく最高司祭様のお顔よりもそれが強い――顔つきが特徴的な、冒険者達の一人の少女がそこにいた。

 

 彼女とは先程から一緒に街を歩いていたが、ただ一緒に歩いているだけと思ってあまり気に留めていなかった。しかし今、何かを心配しているような表情がそこにあったので、気になった。

 

 

「どうした、そんな顔をして」

 

「それはこちらが言いたい事です。救世主様、何だか怖い顔をしている気がします」

 

「いや、特に怖い顔をしているつもりはないんだが」

 

「もしかして、元気が出ないんですか。わたしのプリン、食べますか?」

 

 

 プリンというのは菓子の事だ。彼女の得意料理であるようで、妙にぷるぷるとしている甘いものである。その味わいはメディナも気に入っている方だが、今食べたい気分ではない。

 

 

「心配してくれてありがとう。だが、プリンならまた後にしてくれ。今はいい」

 

「むぅ、わかりました」

 

 

 メディナはふと少女の顔を見つめた。彼女とは南帝国で出会い、それ以降ずっと一緒に居る。今ちょっとしたお使いに向かわせているグラジオを合わせた三人で行動する事が、メディナにとっての日常になりつつあった。そんな彼女に、当初から抱いている疑問を投げかける。

 

 

「ところで、お前は何故私とずっと一緒に居るんだ?」

 

 

 少女はきょとんとしたような顔になった。そんな当たり前の事をなんで聞くの――そう言われている気がした。

 

 

「それは、あなたが救世主様だからです」

 

 

 少女は自信満々にそう答えたが、メディナの聞きたい答えではなかった。

 

 

「そうじゃない。一体何故、お前達は私の事を救世主だと思うんだ」

 

「うーん?」

 

 

 少女は明らかに答えに困っていた。しかし、その答えを聞かないでいる気にはなれない。もう少し揺さぶりをかけてみるか――と思ったその時だった。

 

 

「これはこれは救世主様。奇遇ですね」

 

 

 今度は前方から声がしてきた。聞き覚えこそあるが、聞き心地の良いものではない声色。少女の時と同じようにして顔を向けてみたところで、メディナは思わず身構えた。

 

 鼠色の髪の毛で、なんとなく聖職者だとわかる白い服に身を包んだ長身の男が、メディナに向かって一礼していた。北帝国で出くわした、身分も身元もわからない怪しい男――ハァシリアンだった。

 

 

「貴様は確か、ハァシリアン……何の用だ」

 

 

 顔を上げて、ハァシリアンは微笑んだ。

 

 

「そんな警戒なさらずとも、危害を加えるつもりなんてございませんよ」

 

「では、何故ここへ?」

 

「第一、人界の民を脅かして世界を破滅に導こうとしているのは対策本部である。そのように思いませんか?」

 

 

 いつぞやの時のように、ハァシリアンは唐突に言ってきた。こいつはいつもこうなのか。

 

 

「また、訳のわからない事を」

 

「命令を簡単に無視し、挙句自ら怪物となって人界の人々の命を奪わんとする近衛兵達を野放しにし、表面的な対策しか行わず、貴女を否定する彼らの正義は、一体どこにあるのでしょう? そして、対策本部が抱え込んだ大罪人が本当の最高司祭様を(あや)め、偽者を最高司祭様の座に就かせているのは(まぎ)れもない真実です」

 

 

 キリトは本来の最高司祭様を殺し、偽者にその座を奪わせている。そのどちらもがハァシリアンの言ってる出鱈目だと、既にわかっている事だ。時折考えてもみたが、やはりどうやっても、最高司祭クィネラ様が偽者であるというのも、裏で悪行をしている極悪人であるとも思えなかった。

 

 

「それはお前のでっち上げた嘘だろう。今の最高司祭様が偽者であるなど、あり得るはずがない」

 

「では何故、貴女は今彼らから離れ、仲間達と共にこのようなところに留まっているのです? 彼らの傍は居心地が悪い――そう思っているのではないですか?」

 

 

 問いかけられた途端、メディナは思わず目を見開いた。確かに今、キリト達の傍にはあまり居たいと思えなくなってきていた。

 

 その理由について話そうとしたところで、ハァシリアンは突然拍手を始めた。あまりにも場違いなその行動に思わず驚く。

 

 

「貴様、何のつもりだ!?」

 

「いえ、貴女の真実を見極めようとする力に喝采を送りたくなったのですよ。流石はオルティナノス家最後の救世主だ。強く、正しく、決して誇りを失わない」

 

 

 ハァシリアンの言葉の最後の辺りを聞いて、メディナはもっと目を見開いた。

 

 強く、正しく、決して誇りを失わない。それはオルティナノス家に伝わる信条の言葉だ。

 

 

「何故その言葉を……!?」

 

 

 ハァシリアンは答えなかった。ふふんと笑い、彼の者にとってのいつもの調子を取り戻す。

 

 

「偽りの公理教会、偽りの最高司祭に魂を売る必要は寸分もありません。さぁ、(わたくし)と共にご自身の使命を果たすのです!」

 

 

 偽りの公理教会、偽りの最高司祭様。その言葉に腹が立った。こいつは何も知らないのだ。最高司祭クィネラ様がどれほど優しく、人界の人々を守るためにいつだって苦心されているか、何一つ知りえていない。

 

 

「貴様、今の公理教会と最高司祭様を偽者扱いして、無礼にもほどがあると思わないのか!」

 

 

 ハァシリアンは「んー?」と言った。こちらに聞こえないように言ったようだが、メディナの耳には確かに聞こえていた。

 

 

「無礼? 本当の最高司祭様を殺した大罪人とそれを抱き込む集団と、本当の最高司祭様の真なる忠臣である私。果たしてどちらが正しく、どちらが背信の徒であると思いますか。その大罪人から、貴女は詳しい話を聞けていないはずですよ? 勿論、偽者の最高司祭からも」

 

 

 メディナは声を出せなくなった。確かに、ハァシリアンの話が嘘であるというのは、自分が勝手に考えた事であり、キリトやクィネラ様に確認した事ではない。

 

 一度確認しようとはしたものの、その時は丁度デュソルバート様が《EGO化身態》になってしまったとわかって急行せねばならなくなり、結局答えは聞けず仕舞いとなってしまっていた。

 

 ハァシリアンの話は嘘。しかしその裏取りは未だにできていない。

 

 

「ふむ、貴女は随分と複雑に物事を考えるようだ。流石は思慮深いオルティナノス家の女性と言ったところだが」

 

 

 そこまで言われたところで、メディナは声を出せるようになった。今、問わねばならない事はこいつの言っている事の信憑性(しんぴょうせい)ではない。

 

 

「貴様、オルティナノス家について、一体何を知っている」

 

 

 ハァシリアンは鼻で笑った。

 

 

「真実は至極単純なモノ。向き合うだけの強ささえ持っていれば、その手の内に掌握する事ができます。真実に対して疑いがあるのであれば、確かめてみればいいだけの事なのです、救世主様」

 

「確かめる? 真実をか」

 

「ええ。貴女が望むのであれば、私が貴女を真実にご案内して差し上げましょう」

 

 

 そう言ってハァシリアンはその右手を差し伸べてきた。繊細な作業を行っているのか、随分と綺麗な指をしている。その手を取る気にはなれなかった。

 

「もしや、恐れているのですか? 貴女はご自分が真実と向き合うだけの強さを持っていないと思っているのですか? ならば、ご先祖様はさぞかし悲しまれるでしょうね」

 

 

 ハァシリアンの言っている事は、的を得ていた。真実を知って受け入れるだけの心がなければ、オルティナノス家に被せられた汚名を(そそ)ぐ事など夢のまた夢となるだろう。ここは――こいつの言う事に乗るしかない。

 

 

「……承知した。その真実とやらを見せてもらおうじゃないか。だが、少しでも何か不審を感じられれば、即座に貴様を叩き斬る」

 

「ありがたき幸せにございます、救世主様」

 

 

 ハァシリアンはそう言ってもう一度一例をした。胡散臭さが全く消えないが、それでもこいつの言っている真実を見ないでいるのは我慢ならなかった。話を聞いて不安になったのだろう、近くの少女が声をかけてくる。

 

 

「ねぇ救世主様、どこへ行くの」

 

「ちょっとここで待っていてくれ。すぐ戻って来るから。グラジオにも言っておいてくれ」

 

「……はい、救世主様」

 

 

 少女はやや不服そうだったが、聞いてくれたようだった。確認したハァシリアンがまた怪しい微笑みを浮かべる。

 

 

「では、参りましょうか。どうぞこちらへ」

 

 

 ハァシリアンは一言述べて、路地裏の方へ向かっていった。その背中を追いかけるようにしてメディナも同じ場所へ歩みを進めた。少し建物の陰に隠れたところに着いた辺りで、ハァシリアンは立ち止まり、神聖術を使った。

 

 すると、ハァシリアンの前方に一筋の光の柱が立ち上り、そこから扉が現れてきた。何もないところに扉などを作り出す術など、メディナは知らない。きっとクィネラ様やカーディナル様くらいしか使える者の存在しない、高度な神聖術だろう。そんなものを行使できるこいつは一体何者なのか。

 

 疑いの目を向け続けるメディナにハァシリアンは向き直り、「こちらへどうぞ、私の救世主様」とまたしても一礼。メディナは若干の心地悪さを抱きながら、開いた扉を(くぐ)った。

 

 その先に広がっていたのは、奇妙な空間だった。とても大きな部屋――というよりも人界のどこかにあるとされる闘技場のようにも感じられるほど広く、大理石の床にはあちこち大きな凹みができていて、同じく豪華な大理石で構成されている壁には、どす黒い色をした木の根らしきものが無数に絡み付いている。

 

 それはセントラル・カセドラルを覆い尽くしている禍々しい巨樹、カセドラル・シダーの姿に似ていなくもなかった。

 

 

「ここはどこだ」

 

「セントラル・カセドラルの最上階ですよ」

 

 

 メディナは驚いた。ここがあのセントラル・カセドラルの最上階だと? 確かそこは今天上にあり、クィネラ様もカーディナル様も立ち入る事ができなくて苦戦されているところであったはず。なのに何故こいつは平然と入れているのだ。

 

 思った事の前半を問いかけると、ハァシリアンは答えた。

 

 

「私は元老院統括代理。本物の最高司祭様より拝命を(たまわ)っています故、この聖域への出入りを唯一許されているのです」

 

「本物の最高司祭様……」

 

 

 今の最高司祭クィネラ様は偽者で、ハァシリアンの言っている最高司祭様こそが本物。出鱈目にも程があるとしか思えなかったその言葉が、真実性を帯びつつある気がしてきた。

 

 しかしまだ信じるには足らない――そう思うメディナの胸中を察したように、ハァシリアンが更に続けた。

 

 

「ええ、そうですよ。貴女は特別に謁見を許されている。背後をご覧ください、救世主様」

 

 

 メディナは振り返り、そしてもう一度驚かされた。そこに一人の女性がいた。紫色の光の粒子で満たされた繭らしきものの中にいるその人は、本紫色のとても長い髪の毛をしていて、女性であるメディナでさえも息を呑んでしまうほどに美しい裸身をしていた。

 

 しかしメディナを驚かせたのはそこではない。その女性の身体的特徴や顔立ちが、最高司祭クィネラ様と瓜二つだったのだ。

 

 

「なっ、最高司祭様が、もう一人……!?」

 

 

 どういう事だ。どうして最高司祭様が二人いるというのだ。これはなんだ、ここにいる最高司祭様は一体なんだ――近付こうとしたメディナの身体は、すぐさま動かなくなった。ハァシリアンがメディナの両肩を背後から両手で掴んできていたのだ。

 

 

「それ以上近付かないでください。この亡骸は目覚めの時を待つ、非常に繊細な存在。迂闊(うかつ)に近付くべきものではないのです」

 

「……これはどういう事だ。どうして最高司祭様が二人いるんだ」

 

「だから何度も申し上げているでしょうに。今、人界を取り仕切っている最高司祭は偽者であり、この方こそが本物の最高司祭、アドミニストレータ様であると」

 

 

 本当の最高司祭様の名前はアドミニストレータ――ハァシリアンの話の真実性がどんどん成長していく。

 

 

「この人はどうして亡骸になっているんだ」

 

「大罪人と極悪人によって命を奪われたのです。しかし、完全に亡くなられているわけではありません。深い深い眠りに就き、救世主による救いを待っておられるのです」

 

 

 大罪人と極悪人。それぞれキリトとクィネラ様の事だ。ハァシリアンはキリトが本当の最高司祭アドミニストレータ様を殺害し、クィネラ様が最高司祭を名乗って人界を乗っ取ったと言っていた。

 

 

「大罪人と極悪人……救世主による救い?」

 

「えぇ。それでは過去覗術により、今から真実をお見せ致します」

 

 

 そう言ってハァシリアンはメディナから手を離し、神聖術を詠唱した。彼の右手の指に黒色の光が、左手の指に白色の光が浮かび上がったのを確認すると、ハァシリアンは更に詠唱を続け、白黒の光を混ぜ合わせた。直後、ハァシリアンの両手が包む空間に穴のようなものが出現する。

 

 

「さぁ、ご覧ください救世主様。真実を――」

 

 

 言われるまま、メディナは穴の中を覗き込んだ。

 

 

 そこで、一人の女性と少年が対峙していた。片方は裸身の女性。アドミニストレータだ。そしてもう一人は黒い衣装を身に纏った双剣の少年――キリトで間違いなかった。ハァシリアン曰く本物の最高司祭様であるというアドミニストレータはというと、全身ぼろぼろで、あちこちから血が噴き出しているという、見るも無残な姿だった。

 

 

《こうなったら……仕方がないわね……予定より随分と早くなってしまったけれど……一足先に、行かせてもらうわね……》

 

 

 アドミニストレータが独り言のように言うと、キリトが剣を向けた。

 

 

《いや、どこにも行かせないぞ。世界をここまで好き放題した罪、お前に(つぐな)ってもらう》

 

 

 そう告げるキリトの目線は、いつものように真っ直ぐだった。しかし、その眼差しでアドミニストレータに剣を向けている理由がわからない。

 

 

《小癪な……小僧めがああああああああッ!!!》

 

 

 アドミニストレータは激昂し、キリトへ突きを放った。それをキリトはいなして弾き、アドミニストレータを踏み付けて空中へ舞い上がる。そしてそこから急降下攻撃を放ち、アドミニストレータの胸に二本の剣を突き刺した。

 

 急所を突かれたのだろう、アドミニストレータは聞き取れない声で何かを言ったかと思うと、すぐさま一切の身動きをしなくなった。わかったのは、キリトの放った一撃で完全に絶命したという事だった。

 

 アドミニストレータが斃れたのがはっきりわかったところで、穴の中で見えていた光景は終了した。

 

 ハァシリアンの言う本物の最高司祭様が、確かにキリトに殺されていた。その事実が壁のように迫ってきて、受け入れられないメディナは、そのまま押し潰されそうになった。

 

 

「なっ、な、な……!」

 

「ほぉら、私の言った通りじゃありませんか。これでお解りでしょう。私の言っていた事は全て、紛れもない真実であると。そしてあのキリトと言う奴の行動に正義など存在しないと」

 

 

 本物の最高司祭様を殺し、偽者の最高司祭を就かせて人界を支配している。それがあのキリト――ハァシリアンの言っている事が真実であるというのが、受け入れられない。まさか、あのキリトが大罪人で、あのお優しいクィネラ様が人界を乗っ取る極悪人であるというのが事実であるだなんて。

 

 

「こんな、馬鹿な事が……」

 

《メディナ・オルティナノス……選ばれし者……》

 

 

 混乱する頭の中に《声》が響いてきて、メディナはびっくりする。クィネラ様のそれにそっくりな、優しくて美しい、値の張る楽器のような声色だった。

 

 まさかと思って見つめた先にいたのが、アドミニストレータ様だった。今見た光景の時とは違って安らかな顔をして、繭の中からこちらを見下ろしている。

 

 

「最高司祭……アドミニストレータ様……!?」

 

《悪しき黒の竜剣士によって倒された私を復活させれば、貴女を再び配下として認めましょう……》

 

 

 《声》の伝えた内容にメディナは目を見開いた。すぐさま、ハァシリアンに顔を向ける。

 

 

「今のは一体なんだ。アドミニストレータ様の《声》か?」

 

「えぇ、そうですよ」

 

「しかし、ここにあるのは亡骸なのでは」

 

 

 ハァシリアンの表情が少し険しくなった。

 

 

「これは本当の最高司祭様の遺された意思です。私はこの《声》に従い、貴女様を探し続けていました」

 

「だ、だが、いくら最高司祭アドミニストレータ様と言えど、亡骸が話すなど有り得ん……」

 

 

 ハァシリアンはメディナの問いかけに答えなかった。

 

 

「……オルティナノス家第三代目当主タヴァルは遠い過去、《果ての山脈》から送り込まれてきたオークの先遣隊を相手に戦った。だが、彼の行動は功績を嫉む一部の貴族によって疎まれ、事実を捻じ曲げて伝えられてしまった。タヴァルはオークと戦おうとせずに一目散に逃げ出し、近隣の村や町に多大な損害を出してしまったってね。彼は誰よりも勇敢に戦い、勝利を収めたというのに、貴族たちの話を真に受けてしまった皇帝によって不敬罪を言い渡され、央都を追放されてしまったのです」

 

 

 メディナは何度目かわからない驚きに襲われる。今、ハァシリアンの言った話はオルティナノス家だけが知っている話だ。

 

 

「何故その事を知っているんだ。あらゆる記録から抹消され、今や我ら一族しか知りえない事なんだぞ」

 

 

 ハァシリアンはふっと言って答えた。

 

 

「以前申し上げたでしょう。私はオルティナノス家に仕えてきております故、オルティナノス家に関してはよく存じているのです。汚名を着せられて周りの貴族達に疎まれ、虐げられるオルティナノス家。しかしその実態はどの家、どの一族よりも真なる正義を貫く者達。

 そして貴女は、約束の時に現れた最後の救世主なのです。その貴女に、私は最高司祭様より預言を言いつかっています。オルティナノス家最後の当主、メディナこそが本物の最高司祭様を目覚めさせ、人界に真なる平穏を取り戻す事ができる救世主であると。自身の復活に手を貸せば、必ずやオルティナノス家に栄誉を与えると」

 

 

 オルティナノス家にもう一度栄誉を与える――その言葉がメディナの頭の中の雑音の全てを消し去った。

 

 かつてオルティナノス家は、最高司祭様より《欠陥品》という汚名を着せられてしまい、没落を余儀なくされた。ハァシリアンの言う本物の最高司祭様であるというアドミニストレータ様を復活させる事ができれば、その《欠陥品》という呪縛から解き放ってくれる。クィネラ様がしてくれない事を、してくれる?

 

 

「本当、なのか。私達に栄誉を、与えてくれるのか」

 

「えぇ。私は貴女の忠実なる配下として、復活の道の手引きを務めます」

 

 

 《欠陥品》め。偉そうにするな――。

 

 《欠陥品》が。お前達に存在する意義などない――。

 

 貴族達に何度も何度も言われた言葉が頭の中で反響する。あいつらがこちらを《欠陥品》呼ばわりするのは、かつて最高司祭様がオルティナノス家に《欠陥品》一族と言ったから。

 

 その最高司祭様が再び栄誉を与えてくれるのであれば、もう誰も《欠陥品》呼ばわりなどしなくなるだろう。貴族達も《欠陥品》呼ばわりしていた事を泣いて詫びるに違いない。

 

 誰も《欠陥品》呼ばわりしなくなり、肥沃な地を与えてもらえ、安らかに暮らしていける。父が夢見た光景が、アドミニストレータ様の復活の暁に広がっている気がして止まなかった。

 

 

「……アドミニストレータ様を復活させるためには、何をすればいいのだ」

 

「まずは《異界からの戦士達》を集めて軍団を作りましょう。その後に聖なる植物である《カラント》を守りつつ、生まれ来る魔獣を倒してください」

 

「《カラント》を守れだと?」

 

 

 ハァシリアンは(うなづ)き、詳しい事情を説明してくれた。

 

 最高司祭アドミニストレータ様の復活に必要なのは膨大な神聖力だ。しかしそれは普段は霧のように空間に広がっているため、集めるのは至難の業。だが、あの《カラント》は、そんな大気中の神聖力を寄せ集めて形を取らせる力があるのだという。

 

 その形こそが、人界に蔓延る魔獣だ。《カラント》は空間神聖力を吸い集め、尚且(なおか)つその場所の過去の記憶を参照する事で、魔獣という固形物にする事ができる。

 

 それだけじゃない。《カラント》は怪物を呼び寄せる力もまた持っている。だからこそ、《カラント》の周りには魔獣と怪物がうようよ居たのだ。

 

 その《カラント》より生まれた魔獣と、呼び寄せられた怪物はとても濃密な神聖力の塊。この魔獣と怪物が倒される事によって、とても濃密な神聖力が空間に霧散し、それを更に《カラント》が吸い集める。

 

 これを少し繰り返す事で、《カラント》は《果実》を付ける。その《果実》こそが、最高司祭様復活のために必要なモノなのだ――と、ハァシリアンは話した。

 

 

「この果実を集め、私のところに持ってきてください。そうすればやがて、本来の最高司祭様は目を覚ますでしょう」

 

「……その時こそが……」

 

「えぇ。オルティナノス家が《欠陥品》と呼ばれなくなる日です。長らく夢見てきたのでしょう?」

 

「……あぁ。何よりも夢見てきた。我が一族の悲願だ」

 

 

 ハァシリアンは一歩メディナに近付き、(ささや)くような声で言った。

 

 

「ならば、やるべき事の確認をしましょう。貴女のやるべき事は、異界の戦士達による軍団の結成と統率。それから《カラント》が生み出す魔獣、呼び寄せる怪物の討伐を行い……《カラント》を斬ろうとする者達から《カラント》を守り、神聖力の果実を私の元へ持ってきて、最高司祭様を復活へ導く事です」

 

 

 メディナは下げていた顔を上げた。

 

 

「いいだろう……やってやる。汚名を雪ぎ、栄誉を手にする。我が一族はそれを願ってここまで生きてきたのだから」

 

 

 

          □□□

 

 

 

「メディナ先輩、どこに行っちゃったんですか」

 

「わかりません。救世主様はわたしにここに居ろと言っていたので……」

 

 

 メディナの《傍付き練士》グラジオは帰ってきて早々頭を抱えた。メディナから頼まれた買出しを終えて、冒険者達が集まっている央都の一角に戻ってきたのだが、肝心なメディナの姿がどこにもなかったのだ。

 

 メディナ先輩はどこに行ったんだ――いつもメディナの傍にいる灰色髪の少女に尋ねても、既に聞いている「わかりません」の一言くらいしか返ってきていなかった。

 

 

「もしかして、メディナ先輩のところに誰か来たりしませんでした? その人に連れられて行ったとか」

 

「はい、鼠色の髪の毛をした背の高い男の人が来ました」

 

 

 グラジオは引っ掛かりを覚えた。鼠色の髪の背の高い男の人。何だかつい最近、どこかで見た事があるような気がする。だが、中々詳細を思い出す事はできない。

 

 

「鼠色の髪……背の高い男……誰だっけ……」

 

「あっ、救世主様!」

 

 

 ふと呟いたその時に少女の声がして、グラジオはびっくりした。何事かと思って視線を向けてみれば、先輩の姿が前方に確認できた。

 

 

「メディナ先輩!」

 

 

 グラジオは自分を《傍付き練士》に選んでくれた人に駆け寄った。彼女は俯いていた。

 

 

「どこに行ってたんですか。皆で心配していたんですよ」

 

 

 メディナは答えない。グラジオは続ける。

 

 

「買出し、ちゃんと終わらせてきましたよ。あぁいや、そうじゃなくて……メディナ先輩、鼠色の髪の男の人とどこに――」

 

「グラジオ」

 

 

 呼びかけられ、グラジオは言葉を途中で切った。呼びかけたのは勿論メディナだった。

 

 

「お前、以前言っていたよな。私に力を貸してくれるって。私の目的を果たすための手伝いをしてくれるって。それは今も同じか」

 

「え? えぇ、はい。そのつもりですけど……」

 

 

 メディナは顔を上げた。その表情を見てグラジオは思わず身体をびくりとさせてしまった。

 

 彼女の表情はこれまで見た事がないくらいに険しく、その翡翠色の瞳には彼女の使う剣のような鋭い光が宿されていたのだ。

 

 

「なら、今一度私に協力してくれ。お前の力が必要だ」

 

 

(アリシゼーション・リコリス 04に続く)

 


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