キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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13:ヴァーデュラス・アニマ

 

           □□□

 

 

「スグ!」

 

「直葉!」

 

 

 二人くらいの声によって、桐ヶ谷(きりがや)直葉(すぐは)は意識を取り戻した。もう起き上がる事さえできないくらいにまで身体が重くなっていたのは、どれくらい前だっただろうか。

 

 そんなふうに感じられるくらいにまで、今の身体は軽かった。適切なところに力を入れて、ゆっくりと上半身を起こす。

 

 取り戻した意識だが、まだはっきりとしているものではなかった。霧が立ち込めていて、前後左右がよく見えなくなっているかのようだ。とにかくぼんやりとしている。

 

 

「スグ……!」

 

 

 もう一度声がした。振り返るとそこに兄が居た。桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)というのが本名で、今はキリトという名前になっている家族が、腰を下ろしてそこにいた。

 

 その顔は、今にも泣き出してしまいそうなものになっている。どうしてこんな顔をしているんだろう。何かあったのかな。そんな事を考えていると、

 

 

「直葉……」

 

 

 もう一度声がしたが、兄によるものではなかった。顔を向けてみると、そこには一人の女性がいた。

 

 髪の毛は白水色で、その目は青水色。耳の前の辺りを小さなリボンで結んで、房を作っているのが特徴的な髪形をしていた。

 

 この人にも見覚えがある。いや、見覚えがあるとかないとかいうレベルではない。

 

 確かこの人の名前は――。

 

 

詩乃(しの)……さん……」

 

 

 思うと同時に口が動いたその時だった。急に頭の中がはっきりしてきて、記憶が取り戻されてきた。

 

 

「あ」

 

 

 今この瞬間を迎えるより前に自分は何をしていたか。

 

 この人に何を言って、何をしてしまったか。

 

 

 そうだ、あたしは。

 

 この人を殺そうとした。

 

 言ってはいけない事を言いたい放題言って、散々傷付けた。

 

 そして、その首を絞めて、殺そうとした。

 

 その後、自分から怪物になって――もっとひどく、殺そうとした。

 

 この人だけじゃない。おにいちゃんも、リランも、何の関係もないルコちゃんまで殺そうとした。

 

 皆を、殺そうとしてしまった。

 

 

「あ……ああ、あ、ああ、ああ」

 

 

 身体ががたがたと震えて止まらなくなる。あたしは、なんて事をしてしまったんだろう。大切な人達に向けて、なんて事を――。

 

 怖い。

 

 誰かが怖いのではない。自分自身が恐ろしくてたまらない。

 

 あんな事を平然とやってしまった自分自身が、何もかもを壊そうとして、大切な人さえも殺そうとした自分が、許されない事をした自分が、怖い。

 

 この人たちは、きっとあたしを責めるだろう。いや、責めるで済ますわけがない。きっと、もっとあたしがやったようなやり方で――。

 

 

「直葉ッ……」

 

 

 そう思っていた直後に行動を起こしたのは詩乃だった。彼女は早いようで遅いような速さで、直葉の身体を抱きすくめ、その胸に直葉の顔を招き入れたのだ。

 

 彼女の匂いがして、暖かい。

 

 兄や母に抱き締められたのは一度や二度ではないけれども、こうして詩乃に抱き締めてもらったのは初めてだったかもしれない。詩乃の胸の中はこんなふうだったのか――そんな事が頭の中に浮かんで、すぐに消える。

 

 彼女の身体が小刻みに震えているのがわかった。不思議な事に、それが恐怖によるものではないというのも把握できた。

 

 

「ごめんなさい、直葉」

 

 

 詩乃の胸の中で、聞こえてきた声に直葉は目を見開いた。しばらく、言われた言葉が何なのかわからなかったが、意味がわかってきたところで、涙が止まらなくなった。

 

 

「なんで、なんで謝るの……あたし、詩乃さんに、酷い事した。詩乃さんに、酷い事いっぱい言って、殺そうとした……!」

 

 

 今でも鮮明に思い出せる。詩乃の首を絞めている時の肉を潰していく感覚、詩乃の苦悶に満ちた表情。もう少し兄が助けてくれるのが遅かったならば、確実に詩乃を殺していただろう。

 

 それだけじゃない。直葉は続けた。

 

 

「詩乃さんを、おにいちゃんの大切な人を、殺そうとしただけじゃない……おにいちゃんの事も殺そうとした……怪物になって、皆を殺そうとした……皆、みんな、殺そうとしたぁ……謝って許されるようなものじゃない事、いっぱい、やった……!!」

 

「あんたにそうさせたのは私よ……元はと言えば、私が最初から全部悪かったのよ」

 

「そんな事、そんな事ない……だって、詩乃さんはぁ……!」

 

 

 詩乃が首を横に振ったのがわかった。彼女の声が続いてくる。

 

 

「私はあんたの大切なおにいさんの和人に、あんたが知らない間に出会って、あんたの知りえないところで一緒になってた。それから私は……和人と出会って、一緒に暮らすようになって、お互いを好きになってから……とても幸せだと思っていたわ。毎日が楽しくて仕方がなかったのよ」

 

 

 それは兄と詩乃を見れば自然とわかる事だった。お互いに愛し合い、お互いに幸せであるというのが、《SAO》に巻き込まれて二人のところに行った時既にわかっていた事だった。

 

 

「だけどそれは、あんたから奪った幸せだった。本当はあんたが無事に帰ってきたおにいさんと幸せに暮らすはずだった。それを私は奪った。あんたの目が届かないところで、私はあんたのおにいさんと、あんた自身の幸せを奪って、自分だけ勝手に幸せになろうとしていたのよ。和人が《SAO》に囚われている間、ずっと現実であんたが心配してたっていうのに、私はそんな事何も知らないで、暢気(のんき)に暮らしてた。あんたの心を踏みにじりながら、幸せな日々を送ろうとしていた。あんたはそれが許せなくて、認められなかったんでしょう。

 当然よ。私、本当にどこまでも身勝手で、和人の本当の家族であるあんたの事を何も気にしていなかったんだもの。あぁしてあんたに殺されそうになったのも、仕方のない事なのよ」

 

 

 詩乃の胸の中で、もう一度直葉は目を見開いた。すぐさま首を横に振る。

 

 

「違う……そんな事ない。詩乃さんは勝手なんかしてない。あたし、詩乃さんとおにいちゃんの事、認めてた。詩乃さんとおにいちゃんがお互いに好きで、システム上で結婚してるって話を聞いた時、最初はびっくりしたけど……受け入れられてた」

 

 

 直葉は両手で拳を強く握った。詩乃がどういった人物で、どういう過去を生きてきたのかが頭の中に浮かび上がり、自分のやった事がどれほど身勝手なものだったのかがはっきりしてくる。

 

 

「だって、詩乃さんは……ずっと苦しんできた。あたしよりも、ずっとずっと苦しんで生きてた。誰も信じられなくて、独りぼっちにさせられて、苦しんできた人だった。その詩乃さんがようやく信じられて、本当に好きになれた人がおにいちゃんだって聞いた時……おにいちゃんと会って、お互いに好きになれて、本当に良かったって思った」

 

 

 先程の身勝手な暴挙の事で埋め尽くされそうになっている頭の中、今度は詩乃との思い出が浮かび上がってきた。

 

 同い年のはずなのに大人びていて、和人を支えてくれて――自分を本当の妹のように可愛がってくれる詩乃の優しい笑顔、「直葉」と呼んでくれる声。それらが泡沫(うたかた)のように浮かんでは消えていく。

 

 この笑顔をくれる人を、手にかけようとしていた自分への恐れが強くなり、身体が震えて止まらなかった。

 

 

「詩乃さんがあたしの義姉さんになってくれるってわかった時、本当に嬉しかった。だって詩乃さん、あたしを本当の妹みたいに思ってくれて、一緒に過ごしてくれて、何回も良くしてくれたから……だから、詩乃さんがおにいちゃんのお嫁さんになるっていう話も、すごく良いって思ってた。詩乃さんと早く家族になりたいって、そう思ってた」

 

 

 そこまで言ったところで、詩乃を殺そうとした時の自分自身の状態が頭の中に思い浮かんだ。

 

 

「だけど、あたし、この世界に来てから……詩乃さんの事を忘れてるような時があって……詩乃さんが危ないはずなのに、気にならなくて……しばらくしたら、一番最初に詩乃さんとおにいちゃんが恋人になったって話を聞いた時のびっくりしてた感覚が戻ってきて……だんだん、詩乃さんの事を認められなくなってきて……!

 そしたら、《声》がしてきたの……誰もいないのにどこかから《声》が聞こえてくるようになって……おにいちゃんと詩乃さんが付き合ってるのは間違いだ、詩乃さんはおにいちゃんを奪った女だなんて言ってて……最初はそんなの違うって、《声》の言ってる事は間違いだって思ってた……そのはずなのに、どんどん、《声》に違和感がなくなってきて、あたしは苦しくなってきて……あたし、その《声》に従うようになっちゃって……それで、詩乃さんを殺そうとして……失敗して……怪物になった……」

 

 

 聞かれてない事まで、直葉は喋っていた。言ったところで言い訳にしかならないのに、言わずにはいられなかった。とめどなく零れてくる涙と言葉が繋がっているかのようだった。

 

 

「……進想力に当てられたのだな」

 

 

 不意に聞こえたのは、リランの声だった。狼竜の時のものではなく、少女の時のものだ。詩乃の胸の中から離れないまま、直葉は小さく声を漏らした。

 

 

「……え?」

 

「お前の中には、小さくとも和人への不安があったのだ。和人がまたどこか遠くに行ってしまって、今度こそ帰ってこれなくなるのではないか、自分の見ていないところで本当に死んでしまうのではないかという不安が、《SAO》の時からずっとあったのだ」

 

 

 直葉は否定できなかった。いや、ようやく心の中にある(くすぶ)りの正体がわかった気がした。

 

 確かに、《SAO》に兄が囚われてからというもの、ずっと兄に対する不安があった。

 

 《SAO》みたいな事はもう起こらないとわかっているはずなのに、また同じような事が起きて、兄が手の届かないところへ囚われてしまうのではないか。

 

 そして、自分の知りえないところで、その命を奪われてしまうのではないか。他の人達は、兄をそういったところへ連れて行こうとしているのではないか。

 

 詩乃なんて、和人を連れ去る筆頭みたいなものではないか――そんな身勝手極まりない考えと気持ちが、直葉の心の片隅で燻るものの正体だった。

 

 

「……うん……思ってた。またおにいちゃんが、《SAO》に囚われた時みたいになるんじゃないかって……それで、あたしが見てない間に、死んじゃうような事が起こるんじゃないかって、怖かった……そんな事を、周りの人達が起こすんじゃないかって……そんなふうに考えてた……んだよ、きっと……」

 

「スグ……」

 

 

 ようやく兄の声が聞こえたが、続いたのはリランの声だった。

 

 

「お前には和人に対する家族としての愛情が確かにあったのだ。だが、この世界に来た際にそれが進想力に触れて、和人を自分の手の届く所だけに置いて独占したいというエゴへ変異してしまい、進想力によって更に増大し、やがてお前を支配して、《EGO化身態》へと変えてしまった」

 

 

 おにいちゃんはあたしだけのもの。だってあたしはおにいちゃんの妹なのだから。誰にもおにいちゃんを連れて行かせない――そんな気持ちが、エゴが確かにあったのを、直葉は感じ取っていた。

 

 あの時話しかけてきていた《声》の正体は、そのエゴだったのだ。あたしの中にあるおにいちゃんへのエゴが、《声》という形を取って話しかけてきていた。

 

 あたしはそのエゴに負けて身を任せ、そして詩乃さんを殺そうとした。詩乃さんをおにいちゃんを奪っていると決めつけ、詩乃さんを殺そうと怪物になった。そういう事だったのだ――と、直葉は理解する。

 

 なんて酷いんだろう。おにいちゃんは誰のものでもないのに、あたしだけのものだと決めつけて、その通りにしようとしていただなんて。

 

 あたしはなんて、醜い妹なのだろう。

 

 

「スグ」

 

 

 聞こえた声に直葉はびくりとした。兄の声だ。兄が話しかけてきている。それはきっと、罵るためだ。

 

 お前がそんなに酷い妹だったんだなんて。

 

 お前が妹だなんて、思いたくもない。

 

 お前は妹じゃないし、もう家族でもなんでもない。

 

 きっとそんな事を、次に兄は言うのだろう。

 

 当然だ。妹があんな事をしたうえ、兄を独占しようとしているような奴だったなんて聞いて、嫌悪を抱かないわけがない。あたしはそんなふうに罵られても、仕方がない奴なんだから。

 

 

「いいよ、おにいちゃん。あたしを軽蔑して」

 

「え?」

 

 

 直葉は詩乃の胸から離れた。顔を上げる気にはならない。兄にどの顔を向ければいいというのだ。

 

 

「あたしは詩乃さんを殺そうとした。進想力のせいだったとしても、あたしの中には詩乃さんを殺して、おにいちゃんをあたしだけのものにしたいって気持ちがあったんだよ。そんな事を考えてる妹なんて、嫌でしょう。いいよ、あたしと縁を切って。あたしみたいな妹なんて、おにいちゃんの迷惑にしかならないでしょ」

 

 

 そこまで言って、直葉は口を閉じた。

 

 

「……」

 

 なかなか兄から返事が来ない。妹があまりに醜かったから、言葉が出なくなってるのだろうか。

 

 いや、そうなっていても不思議ではないだろう。実際にあたしは――。

 

 

「……スグ、ごめんな。今まで本当に悪かった」

 

 

 ようやく来た返事に直葉はきょとんとした。思わず顔を兄に向けてしまったが、更にそこで驚かされる。兄が一切嫌悪を抱いていない顔をして、直葉を見つめていたからだ。

 

 

「……確かに、お前が詩乃を殺そうとしたのにはびっくりさせられたよ。その後に《EGO化身態》になったのにも驚かされたし、肝が冷えた。そうなった原因が、俺に対する想いだったっていうのも話も事実だろう。その事に戸惑ってないって言うと、嘘になる」

 

「……」

 

「だけど、俺はお前を責められないよ。だって、お前をそんなふうにしてしまった一番の原因は、俺だから」

 

「え?」

 

 

 直葉はもう一度きょとんとした。兄が顔を少し下げる。

 

 

「俺はお前が誰よりも俺の近くに居てくれていて、世話を焼いてくれていて、心配してくれてるって事をいつも忘れて、ずっと詩乃の事ばかり気にかけてしまっていた。俺が詩乃を守れるのも、支えていられるのも、いつだってお前が俺のすぐ傍で支えてくれてるからだっていうのに、その事を全然気にかけないでいてしまった。

 お前が不満に思って当たり前だし、あんなエゴを抱く事になっても不思議じゃなかったんだよ。お前を凶行に走らせて、《EGO化身態》にならせたのは俺なんだ。俺がお前をあそこまで追い詰めたんだ。だから、本当にごめん」

 

 

 直葉は首を横に振りたかった。だが、身体が言う事を聞かなくなったかのように動けなかった。

 

 

「おにいちゃん、なんで……なんでおにいちゃんまで謝るの……悪いのは全部あたしなのに……何もかもあたしが悪いのにぃ……!!」

 

 

 涙が出そうになったそこで、兄がもう一度言葉を掛けてきた。

 

 

「それにさ、スグ。ありがとうな。本気で詩乃を殺さないでくれて」

 

「え?」

 

 

 直葉は何を言われているのかわからなくなりそうだった。言葉の意味はわかる。だが、どうしてそう言われているのかがわからない。

 

 兄は続ける。とても穏やかな顔をしていた。

 

 

「お前は《EGO化身態》になった時、急に態勢を崩したりする時があったし、詩乃への攻撃を自分で止めているような動きをしていた。それで、最後には剣を持つ腕を自分から握り潰して、攻撃をやめていた。まるで詩乃を攻撃したくない、殺したくないって思っているみたいに。あれがお前の本心だったんじゃないのか。本当はお前、詩乃を傷つけるのも、殺すのも嫌だって、思ってくれてたんだろう」

 

 

 直葉は目を見開いていた。自身への嫌悪で満ちる胸の中で、僅かに動くものの存在を認める。兄の言葉が続けられた。

 

 

「……って言っても、それは俺の予想でしかない。だからスグ、にいちゃんに教えてくれないか。お前は今、どう思ってるんだ。詩乃が俺と一緒にいる事は、認められない事か。詩乃を殺して、俺を独り占めしたいと思ってるか。できるならでいいから、お前の本心を教えてくれ」

 

 

 そこまで言われたところで、胸の中の動きが強くなった。詩乃の事をどう思っているか。詩乃と兄が一緒に居る事についてどう思っているか。

 

 そんなの、ずっと前からわかっていた。もう、どこにも曲がってなどいない。曲げてはいけない。

 

 そうして真っ直ぐになった気持ちを吐き出そうとすると――大粒の涙が一緒に出てきた。

 

 

「あたし……おにいちゃんの事は大好きだけど、独り占めしたいとは思わない。詩乃さんとおにいちゃんが、結婚して、お互いに幸せになってほしい。あたしは、そんな二人の、妹でいたい! 早く……早く……」

 

 

 胸の中で動くものは、直葉の身体を昇った。そして、大きな声となってその姿を見せた。

 

 

「詩乃さんの、ちゃんとした義妹(いもうと)になりたい!! 詩乃さんを、義姉(おねえ)さんって呼びたい!!」

 

 

 その叫びと共に、胸の中を満たしていた不快な感情や、曲がってしまっていた気持ちが消えていったのがわかった。溜まっていたものがようやく出て行ってくれたかのようだ。

 

 そのためか、それ以上言葉を続けようとは思わなかった。今の叫びこそが、直葉の現在の心の有り様だった。果たして、受け入れてもらえただろうか。

 

 あれだけ勝手なことをしてしまったあたしを、受け入れてもらえるんだろうか――直葉の不安をすぐに打ち消してくれたのは、詩乃の声だった。

 

 

「えぇ。私も同じ気持ちよ。こんなに身勝手な私だけれども、あんたに義姉(あね)として迎え入れてもらいたい。たまにあんたと一緒に色々話したり、出掛けたりして、お茶したりしたいわ。ううん……直葉」

 

 

 直葉は少しはっとして詩乃を見つめた。詩乃は目元に涙を溜めながら、微笑んでいた。

 

 

「帰ったら、一緒に街へ出かけて、お茶しましょう。付き合ってくれる?」

 

 

 即座に、その時の光景が頭の中に浮かび上がった。とても楽しくて、胸の中が暖かく、心地よくなる。断る理由など、どこにもなかった。

 

 直葉は零れる涙を抑えもせず、頷いて、精一杯の笑みを返した。

 

 

「はい! 一緒に、お茶して、詩乃さんの事、もっともっと教えてください!」

 

「ええ。いっぱい教えてあげるわ。だから、あんたの事も沢山教えて頂戴(ちょうだい)ね」

 

 

 勿論だ。いっぱい、いっぱい話さなきゃ――直葉が思ったその時だった。

 

 

「リーファ、胸、見て」

 

 

 不意に後ろから声がした。振り返ってみれば、この場に共に来てくれていた小さな少女であるルコの姿があった。直葉の胸元を指差している。

 

 ふと誘われるまま見下ろしてみたところ、胸元に緑色の光の珠が浮かんでいた。ルコが言っていたのはこれで間違いなさそうだ。

 

 いったい何なんだろう、これは――そっと両手で掬い上げるようにしてみると、光の珠は直葉の胸から、両手へと場所を移動した。

 

 直後、珠は肥大化して、形をゆっくりと変えていく。まるで見えない手で作り変えられていっているかのように、珠から剣へと変わっていった。

 

 そして変形が完了すると、光は弾けて実体を得た。両手にずしりと重さが来て前のめりになりかけるが、すぐに体勢を立て直して、しっかり持つ。

 

 重さの正体は、先程から見ていた通り、剣だった。全体的にシンプルな形をしている諸刃(もろは)の長剣で、鍔と刃の間の真ん中に緑色の宝玉らしきものが()め込まれている。全体的に神聖な雰囲気を纏っていて、聖剣であると言われたら頷けるような姿形をしていた。

 

 

「これは……剣?」

 

「まさか、スグの《EGO(イージーオー)》か!?」

 

 

 兄の言葉に思わず驚かされる。《EGO》と言えば、兄が使っている白き炎剣と同じ物であり、話によればその人だけが持つとされる非常に強力な武器であるという。

 

 そしてそれは、その人が持つ利己(エゴ)と想いが昇華したものであるとも聞いていた。

 

 

「これが……あたしの……《EGO》……」

 

 

 胸の中で渦巻いていたものがきちんとした形になってくれたもの。この剣はあたしの心の形。その姿を見ているわけだが、不思議な事に複雑な気持ちや残念な気持ちなどは湧いてこず、(むし)ろ深い納得感のようなものがあった。

 

 ふと《ステイシアの窓》を開いて、詳しい性能等を確認してみた。そこで意外な事がわかり、直葉は思わず(つぶや)いた。

 

 

「あれ、名前がある。《ヴァ―デュラス・アニマ》っていうみたい」

 

「えっ、名前があるのか?」

 

「うん。あれ? って事は、おにいちゃんの《EGO》には名前はないの」

 

 

 兄は頷き、不思議そうな顔をしてヴァ―デュラス・アニマを見つめた。

 

 

「あぁ。俺の剣には名前がないんだよ。これも個人差みたいなものなのかな」

 

「そうなのかな。威力はよくわからないけど、クラス五十六ってあるよ」

 

「クラス五十六!? 《夜空の剣》と《青薔薇の剣》よりずっと強いじゃないか」

 

 

 直葉はもう一度驚く。この剣は兄とユージオが使っているものよりも強いものなのか。自分の心はなんてものに昇華したというのだろう。確かに驚くべき事なのだが――同時に嬉しさが隠せなかった。

 

 

「ねぇ、おにいちゃん」

 

「うん?」

 

「この剣で戦えば、あたしはもっとおにいちゃんの役に立てるかな」

 

 

 そう問いかけると、兄は微笑んだ。

 

 

「あぁ、勿論だよ。この世界の異変を終わらせて、皆で現実世界に無事に帰るためにも、力を貸してくれ、スグ」

 

 

 直葉は笑みを返し、頷いた。先程の荒みが嘘のように、心が晴れ渡っている気がした。

 

 だが、その中でとある事を思い出し、もう一度兄に問うた。

 

 

「ねえ、おにいちゃん。さっき言ったよね?」

 

「え?」

 

「あたしをあんなふうにしてしまってごめんって、言ってたよね?」

 

「あぁ、うん……本当に悪かった」

 

「そう思ってくれてるならさ――」

 

 

 直葉は《ヴァ―デュラス・アニマ》を置いて、兄の手を取った。きょとんとした顔になった兄に、首を少し傾けながら伝えた。

 

 

「たまにはあたしとの時間を作って、構ってもらえないかな」

 

 

 兄は少し驚いたように目を見開いていたが、やがて困ったような笑みを浮かべた。

 

 

「……いいよ、構ってやる。ただし、お前の義姉さんが()かない範囲と時間でな。それでもいいか」

 

「それでいいよ!」

 

 

 そう答えてから、直葉は詩乃に向き直った。詩乃もまた笑みを浮かべ、「いいわよ」と言葉なく伝えてくれていた。

 

 

(アリシゼーション・リコリス 03に続く)


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