キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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12:緑樹の女龍 ―化身態との戦い―

 

 龍だ。あの緑樹の女龍の頭部によく似た形をした龍の頭が、リランから少しだけ離れたところに姿を現していた。龍の頭の後部からは木の根のようなものが伸びており、緑樹の女龍により緑化された地面と繋がっている。

 

 その数は一つではなかった。

 

 同じ物が複数地面から伸び、リランの元へ迫ってきていた。

 

 

「あれは……!?」

 

 

 次の言葉を出すより前に、樹木の蛇龍が噛み付きかかってきた。当たる直前でリランは急加速しながら降下する事で回避する。がちんっという金属がぶつかるような音が聞こえた。あれが樹木の蛇龍の咀嚼音らしい。

 

 いくら何でも硬すぎないか。今のは金属の音だったぞ。これはつまり、噛まれれば金属の牙でやられるのと同じだという事だ。絶対に喰らってはいけない攻撃だとわかってしまった。

 

 引き続きリランの背後から三本くらいの樹木の龍が迫ってきているのが見えた。こっちを逃がすつもりは毛頭ないのだろう。

 

 リランも振り払うべく必死に回避行動を繰り返す。おかげで少しでも気を抜けば空中に放り出されてしまいそうだった。もしそうなったならば、その時は迫り来る樹木の蛇龍に呑み込まれて終わりだろう。想像しただけで寒気がしてくる。

 

 ……考えるべきはそこではなかった。今はこの状況の打破を最優先で考えよう。

 

 だがどうするべきだ。緑樹の女龍の装甲は分厚く、あらゆるものを焼き切る白き炎剣で斬り付けても、傷がほとんど付いていなかった。

 

 だからリランのブレス攻撃を頼ったというのに、緑樹の女龍はリラン対策と言わんばかりに樹木の蛇龍を伸ばしてきた。まるでリランの存在と対処策を知っているかのようなやり方だ。完全に裏を掻かれた。

 

 いや、冷静に考えてみれば、この状況は妥当だった。何故なら緑樹の女龍の基になっているのは直葉/リーファ。自分達と共に《SAO》をクリアに導き、リランの存在とその力をいつも傍で見てきた一人である。

 

 あってほしくない事ナンバーワンだけれども、リランという存在が脅威になった時にはどうすればよいか、どういった対処策を取るべきか――無意識のうちにそんな事を思い付いていても不思議ではない。

 

 そういった知識や考えが《EGO化身態》となった今、遺憾なく発揮されているという事なのだろう。

 

 これは(まず)い事になった。緑樹の女龍はリランの攻撃手段潰しを熟知している。元から一筋縄ではいかないだろうとは思っていたが、予想以上に緑樹の女龍への対抗手段が見当たらなくなった。

 

 

「キリト、降りましょう!」

 

 

 後ろからシノンの声がした。両手に力を入れているのに精一杯で振り向けない。彼女の声は続いてくる。

 

 

「このままリランに乗ってても(らち)が明かないわ。一旦地上に降りて、できる事を探しましょう!」

 

 

 このままリランに乗っていても、樹木の蛇龍に追いかけまわされるだけだろうし、最悪の場合全員リランに乗っていたがためにやられる可能性も大いにある。シノンはいち早く気付いてくれたようだ。

 

 改めてシノンが伴侶で良かったとキリトは思った。そしてその大切な伴侶を、妹に殺させるわけにはいかない。誰も死なせるものか。

 

 咄嗟(とっさ)に思考を回して次の作戦を編みながら、キリトはリランに指示する。

 

 

「リラン、無理言ってすまない! 俺達を降ろさせてくれ!」

 

《それはできるが、対抗手段はあるのか? あいつの防御を我のブレスなしでどうやって打ち破る!?》

 

「いや、お前のブレス頼みなのは変わらないよ。お前がブレスを撃ち込める状態を作るのさ。俺達がこの蛇共を狩る!」

 

 

 つまりリランが逃げ回る必要がない時間を僅かなでもいいから作り出し、その隙に緑樹の女龍にブレスを撃ち込ませ、防御を打ち破る。それがキリトが編んでいる作戦だった。

 

 その事をリランは全て伝えないでも理解してくれたようで、一気に降下を開始した。風の音が耳を塞がんとしてくる中で、がきんがきんという金属同士の激突音が何度か響いてくる。樹木の蛇龍が相変わらずリランに噛み付こうとしているのだ。

 

 もしかしたら、樹木の蛇龍は対リラン用のものであり、自分達に向けたものではないのだろうか。いや、それは地上に降りてみるまでわからない。地上に降りた自分達を狙ってくるか、そうではないか。

 

 樹木の蛇龍の攻撃を回避し続け、リランは地上すれすれの高度にまで降りてきた。咄嗟にルコを抱えてジャンプし、キリトは地上へ降りる。

 

 三人の着地が確認できた頃、リランは再び地上を離れて空へ舞い上がっていき、その後ろを樹木の蛇龍が追いかけていった。樹木の蛇龍の身体に当たる部分はいくらでも伸びていくようだ。

 

 その根元は緑樹の女龍が緑化させた地面になっている。あの根元を斬る事ができれば、樹木の蛇龍もあれ以上伸びる事ができなくなり、地面に落ちるしかなくなるはずだ。

 

 その時こそ、リランのブレスで緑樹の女龍の装甲が破壊できる瞬間。一刻も早くそれを実現させなければならない。

 

 キリトは緑樹の女龍の方を見た。四本足に左腕を加えた五本足で、どすんどすんと大きな音を立てて走っていく。

 

 向かう先にいるのはシノンだ。緑樹の女龍はシノンに狙いを付けているらしい。

 

 そうだ。リーファは最初シノンを殺すつもりで襲っていた。そのリーファが《EGO化身態》となった姿が緑樹の女龍なのだから、シノンを殺すという目的が根本に残っていても何ら不思議ではない。

 

 あいつの原動力がわかった。シノンの殺害と、それを邪魔する者の排除であろう。またしても悪寒が背中を撫で上げる。

 

 

「シノン!」

 

 

 キリトの呼びかけに答えず、シノンは緑樹の女龍に矢を射かけた。空を裂き、矢は緑樹の女龍の顔の一部に突き刺さるが、天命の減少はほとんど見受けられない。やはり攻撃が通っていかないのだ。

 

 

「リーファは私が引き付けるわ! あなたとルコはリランを狙ってる蛇を斬って!」

 

「なんだって!?」

 

 

 そうなれば何が起きるか。緑樹の女龍が目的を果たそうと一層躍起(やっき)になるに違いない。つまりはシノンがやられる可能性が大幅に高くなってしまう。こちらはそれを何よりも防ぎたいというのに。

 

 キリトは首を横に振り、シノンに大声を送る。

 

 

「駄目だ! リーファの狙いは最初から君だ。あいつは確実に君を殺すつもりでいるんだぞ!」

 

「だけど、今のリーファには攻撃が通じないんでしょ! それを破れるのはリランだけど、あの蛇がいるせいでできない!」

 

 

 緑樹の女龍が巨剣で薙ぎ払いを仕掛ける。シノンは咄嗟に大ジャンプして回避し、空中で緑樹の女龍の顔面に何本も矢を放った。先程と変わりなくダメージがほとんど入らない。

 

 傷を負わせて鎮圧まで持っていくには、リランのブレスくらいの非常に高い出力で装甲を破壊するしかないというのが証明されてしまっている光景だった。

 

 

「でも、その蛇を狩る事だって、リーファが襲ってくるような状況じゃできないでしょ。私がリーファを引き付けてるから、その間にキリト達で蛇を狩って!」

 

 

 シノンは続けて伝えてきた。この状況を打破するには、やはり誰かが囮になって緑樹の女龍の注意を引き付け、リランを狙う樹木の蛇龍を斬り倒すしかない。

 

 この中で切れ味抜群の剣を持っているのは自分だけなので、結局囮をシノンにやらせて、自分が樹木の蛇龍をやるしかないのだ。

 

 

「……わかった! すぐに終わらせるから、少しの間だけ耐えてくれ!」

 

 

 シノンが(うなづ)いたのを見てから、キリトは一旦緑樹の女龍から目を逸らして、その従者的存在である樹木の蛇龍を見た。それらは全て無制限に伸び、空中を飛び回るリランを追跡し続けている。

 

 良い予想が当たった。樹木の蛇龍はリランを妨害するためだけのものであり、地上の戦力である自分達を対象にしてはいない。

 

 そして不思議な事に、樹木の蛇龍の数は五匹程度であり、それ以上増えないでいる。何故だ。

 

 いや、気にしている場合ではない。今やるべき事は樹木の蛇龍を斬り倒し、リランにブレス攻撃させ、緑樹の女龍の装甲を破壊する事だ。

 

 

「ルコ、やれるな?」

 

 

 いつもはユイのような子供、今はこの場で唯一頼れる相棒と言えようルコは頷き、神聖術を唱えた。暖かい赤い光の粒子のようなものがキリトの身体の中に流れ込む。身体が深部から熱くなり、全身に力が(みなぎ)ってきた。

 

 続けてルコは掌を上空へ突き上げる。そこに黄金の光が集い、大きな光の剣が作り上げられた。

 

 なるほど、あれで樹木の蛇龍を斬る作戦か。というか、ルコも樹木の蛇龍の伐採をするつもりでいるらしい。

 

 普通の子供ならば真っ先に逃げる事を選びそうなこの状況にも、ルコは果敢に立ち向かおうとしている。つくづく、人界に居る子供達とは全く違うのだと痛感させられるものだ。

 

 

「いくぞ!」

 

 

 ルコに声掛けした後にキリトは即座に走り出す。地面は緑化の影響で踏み心地抜群だ。足を取られる事もない。

 

 緑樹の女龍は自身に有意な地形を作り出したのだろうが、そのメリットはこちらも傍受できるものだった。恐らく緑樹の女龍にとっては計算違いだったはず。いや、そうであれ。

 

 キリトは樹木の蛇龍のうちの一本に接敵する。先端はリランを追い回すのに必死で戻ってくる気配はないし、枝分かれして新たな頭が生まれてくる事もなさそうだ。

 

 

「だあッ!!」

 

 

 先程緑樹の女龍を斬った時と同じ要領で樹木の蛇龍の胴体であろう部位に一閃を放った。確かな手応えが返ってくるのと同時に樹木の蛇龍は横一文字に真っ二つになった。

 

 残されたのは、まるで巨木の切り株――《ギガスシダー》をユージオが斬り倒した時のような光景だ。数秒置いて、リランを追っていたであろう龍の頭が砂地に墜落。

 

 切られたトカゲの尻尾みたいに動き回るかと思いきや、龍の頭は身動きする事なく、黒い灰になって消えていった。そして切り株から新しい頭が生えてくる気配もない。これは一度きりの消耗品だったのだろうか。

 

 いまいち緑樹の女龍の特徴が掴めない。これまで経験してきたゲームのボスモンスター戦ならば、こういった取り巻きや部位は破壊しても一定間隔で復活する特性を持っていたりしたものだが、緑樹の女龍はそうではないのだろうか。

 

 

「キリト、斬った!」

 

 

 ルコの声がした。素早く振り返ってみると、こちらにあるものと同じ切り株ができていて、その傍にルコがいた。どうやら彼女も樹木の蛇龍を一匹斬り倒したらしい。そして数秒後に空中から龍の頭が降ってきて地面に激突、灰になって消える。

 

 キリトは空を見上げた。リランが未だに樹木の蛇龍三匹にドッグファイトを仕掛けられている。

 

 あと三匹斬れば、リランを狙う者がいなくなり、ブレスで緑樹の女龍の装甲を打ち破れるだろう。

 

 

「まだまだッ!」

 

 

 キリトは続けてダッシュし、三匹のうち手前の一匹の樹木の蛇龍に接敵した。勢いを載せてそのまま一閃を放ち、先程同様に樹木の蛇龍を切り株に変える。切り落とされた樹木の蛇龍の頭は轟音を立てながら地面へ落ちて、灰になって消えた。

 

 やはり新たな樹木の蛇龍が生えてくる様子はない。こういうものは凶悪の域にまで到達した再生力なんかを持っていたりするものだが、どうにもそうではないらしい。

 

 全てがワンオフでしかないなど、何か事情があるように思えてくる。

 

 

「やああッ!!」

 

 

 ルコの掛け声がした。振り返ると、ルコが神聖術の剣で蛇龍のうち一匹を切断していた。これで残すは一匹のみ。ここまで来ればリランがブレス攻撃を使えそうなものだが、どうだろうか。

 

 見上げてみた次の瞬間、上空から何かが地上目掛けて落ちてきた。ほぼ同刻、緑樹の女龍を爆発が次々と襲い、悲鳴のような咆吼が上がる。何が起きたかと思うまでもない。リランのブレス攻撃に違いなかった。

 

 樹木の蛇龍が一匹になった事により余裕ができて、こちらが指示するよりも前にブレスを放ってくれたらしい。見上げてみると、ホバリングしているリランの姿が見えたが、すぐさま生き残りの樹木の蛇龍が噛み付きかかってきて、別方向へと飛んでいった。続けてのブレス攻撃はやはり樹木の蛇龍を全滅させる必要があるようだ。

 

 緑樹の女龍の身体は炎上し、木が燃える際のようなバキバキという音が数回聞こえてくる。赤い炎の中で(つる)が燃えて落ち、装甲が砕けていくのが見えた。そうして下半身の大部分、右前後ろ足の内部組織が剥き出しになる。

 

 これで一部の防御が破られた。あそこを攻撃すれば、天命を削る事ができるだろう。そう思った直後、ルコの声が聞こえてきた。

 

 

「残りは、ルコに任せて! キリトは、シノン、助けて!」

 

 

 ルコを振り返ってすぐにシノンへ向き直る。緑樹の女龍の敵視を引き受け、逃げに徹していたシノンは今、膝を付いて動けなくなっていた。

 

 樹木の蛇龍の伐採に集中していたのでわからなかったが、シノンも相当緑樹の女龍に攻撃されていたのだろう。それらを全て避けていたのだから、疲労が蓄積していてもおかしくはない。無理をさせてしまった。

 

 そして厄介者である樹木の蛇龍は一匹を残すのみ。もうルコに任せてしまっても大丈夫だろう。ここからはシノンに加勢し、緑樹の女龍を討つ事に専念するべきだ。

 

 

「わかった。ルコ、くれぐれも無茶するんじゃないぞ!」

 

 

 ルコが頷いたのを確認してから、キリトはシノンへ、そして妹の元へ走った。

 

 

「キリト……!」

 

「遅くなってすまなかった」

 

 

 地面に膝を付いたシノンからの声を聞き、キリトはシノンと緑樹の女龍の間に入った。つい先程までは異変を起こした妹であり、今はその異変に呑み込まれた姿となっている緑樹の女龍。

 

 燃え盛っていたその身体の一部は鎮火したものの、蔓や樹皮が燃え落ちてしまい、内部組織――緑の粒子のような光が(うごめ)く黒い筋肉が剥き出しになっていた。恐らくあそこが弱点だろう。

 

 

「キリト、リーファがなんだかおかしいの」

 

「おかしいって、何が」

 

「リーファは私をずっと追いかけ回して攻撃してきてたんだけど、途中で何もしてないのに体勢を崩してたりしてたの」

 

 

 キリトは少し首を傾げた。何もしていないのに体勢が崩れていたとはどういう事だろうか。

 

 シノンの反撃が効いていたのかとも思ったが、そんな事はないというのは先程シノンと矢が緑樹の女龍の樹皮に刺さっただけで終わっていたのを見たから、わかっている。では、シノンが言う現象はなんなんだ。

 

 

「どういう事なんだ。本当の事なのか」

 

「あ……!」

 

 

 尋ねた直後、シノンが声を出すと同時に緑樹の女龍が上半身をもたげ、咆吼した。龍の声と少女の声が混ざったような歪な轟音が、一部が緑化している砂漠地帯に響き渡ると、緑樹の女龍の周囲から地面を突き破るようにして何かが現れた。

 

 最悪な事に、それは樹木の蛇龍だ。ついさっき伐採した樹の巨蛇達の新たな個体が現れてしまった。しかも今回は六匹であり、先程よりも一匹多く召喚されてきている。

 

 樹木の蛇龍達はそれぞれ展開したような動きをした。六匹のうち三匹は空へ伸びていき、飛ぶリランをまたしても追いかけ回すようになった。リランからのこれ以上の攻撃を防ぐためだろう。

 

 そして残った三匹は、その顔をこちらに向けてゆっくりと伸びてきて、緑樹の女龍を守るような陣形を作り上げた。リランと同じくらいの脅威がここにいると判断してたのだ。

 

 緑樹の女龍という本体がいるのに、そこに取り巻きが三匹も加わってきた。向こうは四体でこちらは二人。そもそもの力量が違い過ぎるというのに、数で上回るなんていう状況まで作り上げてきた。

 

 実に最悪なパターンである。最大の火力源であるリランを攻撃不能に陥らせたうえで、次点の高火力保持者である自分とシノンを潰す。

 

 これもリーファが実際に見てきた知識があるからこそ成せる業だろう。緑樹の女龍の基がリーファであるという点が最大限にまで祟っているような気がした。

 

 

「くそッ!」

 

 

 キリトは吐き捨てるように言って二刀流を構え直した。攻撃を仕掛けてくるのは本体か、取り巻きか。

 

 次で起こりうるであろう光景を頭の中で想像しながら待ち構えていたその時だった。緑樹の女龍が突然(うめ)いたかと思えば、上半身がだらりと地面へ崩れた。合わせて樹木の蛇龍達も地面に倒れる。

 

 

「え……!?」

 

 

 思わず目を見開いて緑樹の女龍を注視した。肩で息をしている。まるで激しい運動をした後に息切れを起こしているかのようだ。

 

 しかし、こちらから見て激しい動きと思えるような行動を緑樹の女龍が取っていたようには思えない。もしかして、これがシノンの言っている緑樹の女龍が体勢を崩す時があるという話だろうか。

 

 

「体勢が崩れた……!?」

 

「キリト、あれよ! リーファ、さっきからあんなふうに体勢を崩す時があったの。でも、なんでなのかわからなくて……」

 

 

 キリトはふと頭の中でこれまで得た情報や知識の検索を行った。

 

 そう言えば、自分とシノンも含め、リーファ達はその全員が《STL(ソウルトランスレーター)》を使用してアンダーワールドにダイブしているという話だった。

 

 《STL》は人間の脳内に存在する魂そのものと言えるフラクトライトに直接情報を送り込む事で、現実世界と何ら変わらない感覚の再現を可能とする機構をしている。つまり、今自分達はフラクトライトに直接あらゆる感覚情報を流し込まれているような状態である。

 

 この中で《EGO化身態》なんていう常軌を逸した力を操る存在へ至り、暴走すると何が起こるか。フラクトライトに尋常ならざる感覚情報が流れ込み、通常ではありえない負荷がかかってしまう事だろう。そしてそれは、《EGO化身態》になっている以上ずっと続いてしまう。

 

 そして今、リーファが《EGO化身態》となった姿である緑樹の女龍が息切れを起こしたように一時的に行動不能に陥っている。ここから考えられる答えは一つ。

 

 リーファ/直葉のフラクトライトが、濁流のように押し寄せて暴走する感情と感覚情報によって悲鳴を上げているのだ。

 

 命が削れているのではない。魂そのものが削れていってしまっているのかもしれない。魂が削られるなんていう話は前代未聞だが、最終的に何が起こるかはわかる。

 

 直葉の魂が消耗しきり、身体から魂がいなくなる。つまり、直葉が死んでしまう。肉体が死を迎えると魂は天に昇るという一般的に提唱されているプロセスを経ず、魂がどこにも行く事なく消えて、肉体が空っぽになる。

 

 《SAO》に囚われて、ベッドに横たわったまま動かない自分の死を何よりも恐れていた直葉が、《STL》に横たわったまま死ぬ。その光景がいとも容易く想像されて、悪寒が全身を駆け回った。

 

 そんな兄の姿も見えていないのか、妹は動き出そうとしていた。だが、すぐさま再度体勢を崩して地面に倒れようとする。そしてまた動き出そうとするを繰り返していた。

 

 

「駄目だスグ、やめろ! もう動くな、力を使うなッ!!」

 

 

 思わず叫んでいた。シノンが後ろで「え?」という声を漏らしている。直葉/緑樹の女龍に何が起きているのかがわからないのだ。キリトはシノンに踵を返して、すぐさま妹に向き直る。

 

 

「《EGO化身態》になっているせいで、スグのフラクトライトにかかっちゃいけない負荷がかかっているんだ。あいつが時々動けなくなるのは、負荷のあまりフラクトライトが悲鳴を上げてるからなんだ」

 

「……!!」

 

 

 それより先は言わないでも伝わったようだった。シノンは一度か細い声を出すと、すぐさま立ち上がってキリトの隣に並んだ。

 

 

「直葉、お願い! もうやめて! このままじゃあんたが死んじゃう。そんなの駄目よ……絶対に嫌よ! 死なないで直葉!!」

 

 

 果たして緑樹の女龍はついに立ち上がった。樹木の蛇龍は動けないままになっているが、緑樹の女龍だけは巨剣を杖代わりにして上半身を起き上がらせた後に、巨剣を両手で構え直す。その姿勢は剣道で竹刀を構えた時のそれに酷似していた。

 

 やはり緑樹の女龍は直葉であり、その魂へ容赦なく負荷が流れ続けている。この負荷によって時々動けなくなり、地面に倒れ込む。それでも(なお)、直葉は戦いをやめようとしない。

 

 その根底にあるのは、恐らくシノン/詩乃への殺意だ。直葉は詩乃を叩き潰して殺すまで止まらないつもりなのだ。緑樹の女龍はそれを込めた咆吼を上げ、巨剣を振りかぶった。

 

 こちらにしかと狙いを付けてそれを振り下ろそうとしたその時、その背中が爆発した。爆炎が上がり、その身を包む自然物の装甲に燃え広がっていく。

 

 キリトは咄嗟に顔を上げた。先程と同様にリランがホバリングして、口から炎の混ざった煙を出していた。緑樹の女龍が止まって樹木の蛇龍の追跡も止んだところを狙って、リランが攻撃してくれたのだ。

 

 

「リラン……!!」

 

 

 思わず名を呼んだ直後、頭の中に《声》が響いてきた。

 

 

《直葉を止めるには鎮圧するしかない。天命もあと少しだ。手を緩めるでないぞ!》

 

 

 リランの言う通りだった。《ステイシアの窓》で緑樹の女龍の天命を確認したところ、残量がかなり少なくなっていた。最初に一撃を加えた時は全然減っていなかったというのに。

 

 リランのブレス攻撃を受けて炎上していたというのもあるだろうが、元から天命が少ないのが緑樹の女龍だったのかもしれない。或いは負荷によって直葉のフラクトライトがダメージを受け、それに伴って緑樹の女龍の天命も減っていたのか。

 

 きっとこのまま放置するだけでも、緑樹の女龍の天命が尽きてくれるかもしれない。だが、もしそうなった場合、その時は直葉の魂が削り切れて、なくなる事を意味する可能性も高いだろう。

 

 緑樹の女龍の天命は、自分達の手で削り切るしかない。魂が削れるという、通常では考えられない苦痛から直葉を救うのだ。

 

 キリトは苦しむ緑樹の女龍に目を向け直した。自然物の装甲は全て焼け落ち、あちこちから赤黒い血が流れているのが見える。人工物のような見た目の装甲は燃えずに残っているが、内部組織が剥き出しになっている領域の方が既に多い。

 

 全身弱点になっているのも同然だ。そこに入れて効果的な重い一撃は、リランのブレスだ。もう一度リランにブレスを撃たせて、終わらせる。

 

 

「リラン、もう一回やれ! 直葉を――」

 

 

 言いかけたその時、緑樹の女龍がふらつきながら立ち上がり、身体を震わせながら上を向いて咆吼した。同刻、緑樹の女龍から赤黒い血が四方八方に飛び散ったかと思えば、周りの緑化した大地から無数の木の根が空に向かって伸びていく。

 

 まるで何らかの意思を持った触手のようなそれは、ホバリングしているリランを瞬く間に捕まえてしまった。

 

 

「リラン!?」

 

 

 呼びかけに返事は来なかった。驚いたリランが逃げようとするより前に、木の根はリランの全身を覆い尽くし、口を塞いだ。これ以上リランに好き勝手させないために、緑樹の女龍が抵抗してきたのだ。

 

 植物の急成長と操作。そんな力を使ったがために、緑樹の女龍の身体から血が(あふ)れたのだろう。緑化された大地のあちこちが、赤黒い血で汚されていた。

 

 

「あぐッ」

 

 

 唐突に耳に届いた声に驚き、キリトはそちらを見た。シノンが再び地面に膝を付いてしまっていた。キリトは即座にシノンと緑樹の女龍の間に入り、庇うような姿勢を取る。

 

 

「シノン、攻撃が飛んできたのか!?」

 

「違う、目が……直葉の血が飛んできて、見えなくなって……これじゃ弓が……」

 

 

 キリトは顔を青くした。確かに今、シノンの目元にはべったりと赤黒い血が付着してしまっている。衣類で擦れば落とせそうにも見えるが、そうすれば目に入り込んで余計に症状が悪くなるだけだろう。迂闊に手を出せない。

 

 緑樹の女龍の悲鳴が聞こえた。振り返れば、そこには火傷だらけで血を流し続けている緑樹の女龍/妹がいた。その手に巨剣を握り、もう一度立ち上がろうとしている。

 

 全身が火傷に塗れ、血が溢れ出し、魂がぼろぼろになろうとも、シノンを殺すという目的を果たそうとしていた。

 

 

「スグ……お前……」

 

 

 向かおうとしたキリトを、止める声があった。

 

 

「キリト、嫌、どこなの、どこにいるの。あなたが見えないの。どんな顔をしてるの。怒ってるの」

 

 

 キリトははっとして振り返った。膝を付いて、血によって目を開けられなくなっているシノンが、泣いていた。

 

 

「私が、あなたの傍にいるせいで、直葉があんな事になったから、直葉が死にそうになってるから、怒ってるんでしょ……私があなたの家族を追い詰めたから……」

 

「シノン……何言って……?」

 

 

 シノンは目を固く閉ざしたまま首を横に振った。

 

 

「あの()は……直葉は、私の事を義姉(おねえ)さんだって言ってくれてた……だけど……あの娘は無理に言ってたのよ……本当は私を家族に認めたくなかった……だから……あの娘は怪物になって私を殺そうとしてきた……私には……あなたの傍に居ていい資格なんてなかったのよ……だから……こんな事になった……」

 

「……」

 

 

 驚きのあまり言葉が出なかった。シノンの声が続いてくる。先程から、もはや慟哭だった。

 

 

「あなただって……嫌気が差したんでしょ……」

 

「違う、そんなわけないだろ!」

 

「ううん……もう、嫌でしょ……こんな事ばっかりの私なんて……もう……!!」

 

 

 駄目だ、錯乱していて言葉が通じていく気配がない。ここまで酷くなった彼女を見たのはいつ以来だっただろうか。

 

 いや、そもそも最初からシノン/詩乃の心はぎりぎりの状態だったのだ。

 

 直葉に殺されかけたうえに、その直葉が怪物になって改めて襲ってきて、しかも直葉は怪物になっているせいで死にそうになっている。そんな状況を次々と見せつけられたうえ、目潰しまでされてキリトの顔も見えなくなった。

 

 今は大分補強されて丈夫になったものの、心に弱い部分のある詩乃が耐えられる状況ではない。恐らく目潰しが決め手になったのだろう。本当の最悪の状態に陥ってしまった。

 

 どうすればいいんだ。どうすれば――そう思ったその時に、またしても緑樹の女龍の声がした。

 

 そうだ、あいつはまだ詩乃を狙っている。ここで止まっていては、その目的が果たされてしまう。

 

 

「スグ……!!」

 

 

 キリトは振り返り――瞠目(どうもく)した。緑樹の女龍の行動が原因だった。

 

 緑樹の女龍は右手で巨剣を持っていたのだが、その右手を左手で握り潰していたのだ。つい今聞こえた声は、それによる悲鳴で間違いなかった。

 

 そしてそのまま、次の行動に出ようとしない。左手は右腕を潰したまま動かないし、落ちてしまった武器を拾おうともしない。

 

 どうしてしまったというのだろうか。何故自傷に走っている?

 

 どうして急に攻撃するのをやめた? お前の狙いは詩乃を殺す事じゃ――。

 

 

「……!」

 

 

 そこまで考えたところで、頭の中に電気が走ったようになった。絡まっていた糸が解かれ、繋がるべきところに繋がっていく気がした。

 

 緑樹の女龍となった直葉には、そのフラクトライトに激甚な負担がかかっており、そのために時折息切れを起こし、その果てに今の傷だらけの状態になったのだと思っていた。だけど詩乃を殺したいから、戦う事をやめようとしないのだと考えていた。

 

 しかし、そんな目的を抱いていたとされる緑樹の女龍は自ら右腕を握り潰し、剣を持つのをやめた。あれでは目的を果たせない。

 

 何故そんな事をするのか。

 

 もし、その理由が――詩乃を殺そうとする自分自身を止めようとしているからだとすれば。

 

 詩乃を殺したいという衝動と共に、詩乃を殺したくないという衝動が存在しているのだとすれば。その二つの衝動に板挟みになった結果が、息切れや行動不能だったりしたのであれば。

 

 それはあくまで希望的観測でしかない。だが、そうであるとしか思えない。いや、そうであるとしか思いたくない。

 

 頭の中でまとめ上げたキリトは、改めて詩乃へ向き直った。

 

 

「……詩乃。俺達は勘違いしていたんだ」

 

「勘違い……? 私が不幸を呼ばないって……勘違い……?」

 

「違うよ。あいつは、スグは本当は君を殺したくないんだ。君の事を、ちゃんと認めてるんだよ。けれど、君を認められないっていう気持ちもあって、その間に挟まれてどうにもならなくなってるんだ。だから、あぁして暴れて、苦しんでる」

 

 

 詩乃は首を強く横に振った。血で汚された目元から涙がぼろぼろと零れる。

 

 

「嘘よ、そんなわけない! あの娘は本当は私を殺したいのよ! 私が、あなたの傍に居てはいけないから、あの娘は怪物になってまで、私を殺そうとしてるの。都合の良いような事を言わないで! 私から離れてよ、和人(かずと)ぉ!!」

 

「離れないよ。俺は君の傍に居たい。だって、誰よりも君が好きだから。君はどう思ってるんだ」

 

 

 何度も繰り返してきた言葉をもう一度かけると、詩乃は一旦静まった。数秒置いて、その口が開かれる。

 

 

「私だって……私だってあなたが好きよ……あなたと一緒に居たい……あなたの傍にいつも居たい。あなたと……あなただけじゃない、直葉とも、家族になりたいっ……!」

 

「なら、それを直葉に教えよう」

 

 

 キリトはふらつく詩乃/シノンを支えながら立ち上がり、弓に矢を番えさせた。そのまま彼女の左半身に回り込み、共に弓を支え、手を重ねて(つる)を引き絞る。

 

 

「キリト、どうなってるの……?」

 

「君は今弓を構えて、矢を撃てる姿勢だよ。狙いは俺が付けてる」

 

「今、私達の前に居るの、直葉……?」

 

「あぁ、いるよ。今も君を殺したい衝動と、君を殺したくない衝動に挟まれて……見ない方がいいくらいに痛々しい姿になってる。終わらせてやるんだ、俺達の手で」

 

 

 思えば、俺もそうだ。俺も詩乃と過ごす事ばかり考えていて、一番近くで一緒に暮らしている直葉がどう思っているのか、全然気にしてこなかった。

 

 今、直葉が苦しんでいる原因を作ったのは、結局のところ俺なのだ。だから、終わらせなければならない。この悲劇を、あいつの苦痛を――キリトは、弦を引く手に力を込めた。伝わったのか、シノンも同じように自身の手に力を入れ、きゅうと弦と共に矢を引く。

 

 そのまま狙いをしっかりと付ける。場所は、装甲の剥げた緑樹の女龍の眉間。

 

 

「――撃てッ!!」

 

 

 号令のように言い放ち、キリトは矢を掴む手をシノンと共に離した。最大限の力を込められた矢が放たれる。

 

 矢は真っ直ぐに空を裂いて突き進み、狙い通り緑樹の女龍の眉間に着弾。既に傷だらけだった緑樹の女龍は数秒間身動きを取らずに固まり――やがてゆっくりと瞼を閉じ、前のめりに倒れ込んだ。

 

 間もなくして、その身体は緑と黒の粒子に分解されていき、囚われていた直葉が解放された。

 






――くだらないネタ――

・推奨BGM「泡沫ノ言葉/他者」。YouTube等でどうぞ。

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