キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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05:救世主メディナ

 

           □□□

 

 

「私が救世主? 何を言っているんだ」

 

 

 メディナは率直に目の前の少女に尋ねた。特徴がないのが特徴的とも言える顔で、灰色の長髪の少女は素直に答えてきた。

 

 

「だって貴方は、私達を助けるために現れてくれたじゃないですか。だから、貴方は救世主様です」

 

 

 何を言っているんだろうという疑問は変化を見せなかった。

 

 確かに彼女達はジャイアント族の脅威から助けられただろう。だが、そのジャイアント族を倒したのは、ここにいるアスナの息子であるとかいう電気の獣ユピテルと、氷の力を操るようになったユージオだった。

 

 悔しいが、自分なんて彼らが戦う様を見ていただけだ。なのにこの者達は自分の事を救世主様などと呼んでいる。

 

 訳がわからない。いや、訳をわかれという方が理不尽だ。何なのだろうか、この者達は。

 

 

「救世主? メディナ殿が救世主とは、真実ですか」

 

 

 整合騎士アリスが問いかけると、赤茶髪の青年が(うなづ)いた。得意げな顔だ。

 

 

「あぁ。この方は間違いなく、救世主様だよ」

 

「それはなぜ?」

 

「救世主様だから、救世主様なんだよ」

 

 

 アリスも、その隣にいるユージオどころか冬追(フユオイ)さえも首を(かし)げている。彼女らもこっちと同じ気持ちになっているのだろう。こいつらの訳のわからなさに混乱するしかなくなっている。

 

 これまで散々《欠陥品》と呼ばれてきたものだが、今回はその真逆の救世主。最低のものから最高のもの。

 

 《欠陥品》扱いの次は救世主様扱い?

 

 何のつもりなのだ、一体。

 

 そんなにこっちを振り回して楽しいか。

 

 行き場のない怒りが胸の中に生じ、メディナは口からそれを出しそうになっていた。

 

 

「お供しますよ、救世主様。俺達の力を使ってください」

 

 

 メディナの怒りを一旦抑えたのは、青髪の青年だった。健気とわかる顔でメディナを見つめている。が、その言葉には疑問しかない。

 

 

「お前達の力を使えだと? 変な事を言うんじゃない。さっきはジャイアント族相手に戦えもしなかったろう」

 

「さっきまではそうだったんですけれど、救世主様に助けられてから、急に力と勇気が湧いてきたんです。さっきは抜けもしなかったですけど、今なら救世主様のために、この剣を振るう事ができます!」

 

 

 そう言って青年は腰の鞘から長剣を引き抜いて構えた。どんな敵でもかかってこいと言わんばかりの顔をしている。

 

 それだけじゃない。先程までの弱腰はどこへやら、その姿勢は勇気とやる気に満ちた剣士のものになっている。今ならば魔獣が相手でも立ち向かっていきそうだと、直感が告げていた。

 

 本当に彼は変わってしまったらしい。このごく短時間のうちに。

 

 

「俺も同じですよ。救世主様の一番槍になって、どんな敵でも討ち倒して見せます!」

 

 

 赤茶髪の青年も槍を構えた。やはり青髪の青年と同じで、弱々しい雰囲気は一切なく、いかなる困難にも果敢に立ち向かわんとしている戦士の姿勢と顔をしていた。

 

 変わりすぎだ。本当に先程までの青年と同一人物なのかさえ疑わしい。この二人はどこか別なところの誰かと何かで繋がっていて、それと中身が入れ替わったんじゃないか?

 

 

「そしたら、私が誰よりも近くにいて、救世主様をお守りいたします」

 

 

 最後に少女が短剣を引き抜き、メディナの傍で身構える。背中しか見えないが、そこからは確かな意志が溢れ出ているのがわかった。この私――メディナ・オルティナノスを危険なものから守ろうとしている確固たる意志が。

 

 三人はほぼ一瞬で別人みたいになってしまった。

 

 何が起きたのだろう。誰かナニカしたか。何をどうしてしまったからこうなったのだ?

 

 頭の中で疑問という名の水でできた雨が降り、洪水を起こしそうになっているメディナに、問いかける声があった。最悪な事に、キリトだった。

 

 何故お前なんだ。……グラジオだったら良かったのに。

 

 

「メディナさん、何かしましたか?」

 

「さん付けするな気色悪い。何もしていないぞ。それくらいわかるだろうに」

 

「いや、だって……なんかこの人達、急に君の事を救世主だなんて呼び出したから」

 

「私だって混乱してるんだ」

 

 

 メディナはふと思い付いてキリトを(にら)んだ。

 

 そうだ、こいつならばこういう事もできるんじゃないか。こいつの周りはやたら女だらけだが、それはこいつがそういう術を知っているからじゃないだろうか。

 

 それを応用すれば、こんなふうに自分を急に救世主呼ばわりする者達を作り出す事だってできるはず。

 

 いや、そうに違いない。そうでないなら、この朴念仁(ぼくねんじん)に女達が興味を持つ理由が付かない。

 

 

「キリト、白状しろ。お前がやったんだろう」

 

 

 キリトは「えっ」と言って驚いた。その仕草もなんかむかつく。

 

 

「いやいやいや、俺は何もしてないって」

 

「嘘吐け。大方ルコあたりに、特定の者を救世主と呼ぶようにさせられる神聖術を教わったりしたんだろ。それで今それを使ってこの状況を作り出した」

 

「そんな術はないよ。いや、あったとしても使わないよ」

 

「どうだか。お前ならやりかねない」

 

「なんでだよ!」

 

 

 一向にキリトは吐こうとしない。こうなればいっそ締め上げてみようか。こいつへのむかつく気持ちを原動力にすれば、ちゃちゃっとできそうだ。そうしてみよう。

 

 キリトに近付き、その胸ぐらを掴もうとした。その次の瞬間だった。

 

 

「皆、魔獣だよ!」

 

 

 リーファの叫ぶ声がメディナの行動を止めさせた。魔獣だって? それは全部ザクザが倒したんじゃなかったか。真偽を確かめるべく、その方を見てみる。

 

 リーファは嘘を言っていなかった。足の生えたサボテンみたいな容姿の魔獣が四匹ほど、こちらに向かって走ってきていた。最後尾の背後には岩山が見える。

 

 ザクザという脅威から逃れるために隠れていたのかもしれない。それでザクザが死んだから出てきた。そういう事だろう。

 

 

「ちっ……こっちは忙しいんだ。邪魔するな」

 

 

 そう言って剣を引き抜いたメディナの前に、(おど)り出た影が三つあった。様子が急変したベクタの迷子達だ。全員揃って各々の武器を抜き払い、陣形を取る。それはメディナを守る立ち回りだった。

 

 

「な、なんのつもりだ、お前達」

 

「救世主様は下がっててください。俺達《冒険者》であいつらをなんとかします!」

 

「救世主様、俺の活躍をご照覧あれー!」

 

 

 「うおおおおお!」という如何にもな掛け声を上げて、二人の青年が魔獣達に駆けて行った。そして残った少女が「私がお守りします!」と言って短剣を構え、迎撃態勢を取る。

 

 先程からの疑問がもっと強くなって、頭の中で領域を拡大してきた。

 

 この者達は本当にどうしてしまった?

 

 本当に何が起きてこうなった?

 

 考えてみる。でも当然答えは出ない。何の心当りもなければ、思い当たるものもない。本当に何もない。彼らが急に変わってしまったという事だけが真実だ。

 

 そしてその者達はというと、ここにいる誰よりも早く魔獣と交戦し、その足止めに成功していた。しかし彼らは二人なのに対し、魔獣は四匹。取り囲まれれば袋叩きにあってやられてしまうだろう。

 

 ちょっと考えればわかりそうなのに、何故行くんだあいつらは。

 

 

「あぁもう!」

 

 

 メディナは剣を抜き、魔獣の(もと)へ駆けた。宣言通りに少女がメディナに随行してくる。何をするかは予想できないが、最早(もはや)どうでもよかった。

 

 サボテン型魔獣のうちの一匹に接敵し、横一文字の一閃を放った。手応えが返ってくると同時にサボテン型魔獣は上半身が横にずれ、落ちる。耐久力はないらしい。これならば楽勝だろう。

 

 

「どぉりゃあああッ!」

 

 

 赤茶髪の青年の掛け声がして、そちらに振り向く。驚くべき事に、青年はその大槍の穂先をサボテン型魔獣の身体に突き刺したかと思えば、そのまま持ち上げて、背負い投げの要領でぶん投げた。

 

 地面の砂地が巻き上がる程の勢いで叩きつけられた魔獣は、次の瞬間には絶命していた。魔獣がいくら耐久力がないからと言えど、一撃で倒してしまうとは。あの青年は思ったよりもやり手だ。

 

 

「おりゃりゃりゃりゃあッ!!」

 

 

 更にもう一人の青年が、威勢のいい掛け声を出して鋭い長剣(さば)きを放ち、サボテン型魔獣の一匹を細切れにして倒してしまった。メディナはごくりと唾を呑む。

 

 おい、さっきは怖くて動けなかったなんて嘘だろう。お前達は強いじゃないか。

 

 何でさっきはザクザと戦おうとしなかったんだ。相手が大きすぎるから怖くなっていたのか。

 

 まだまだ疑問が湧いてきて――動きが止まってしまった。

 

 

「危ないです、救世主様!」

 

 

 少女の声で我に返った時、メディナは背後を魔獣に取られていた。今は考え事に耽っている場合ではなかった。拙い、やられる――そう思ったメディナに、攻撃が飛んでくる事はなかった。

 

 「お守りします」と言って短剣を構えていた少女が、メディナと魔獣の間に割って入り、その短剣を深々とサボテン型魔獣の(ひたい)――だろう――に突き刺していた。

 

 

「救世主様――!」

 

 

 かと思えば、次の瞬間に青年二人が、動きの止まっている魔獣を左右方向から突き刺した。合計三方向から一気に刃を突き立てられた魔獣から動きは完全になくなり、三人がそれぞれの武器を引き抜くと同時にその場に崩れ落ち、絶命の光に包まれて消滅した。

 

 それまで魔獣を狩り慣れていたキリト達ではなく、ついさっきまで怯えていたはずの冒険者達が魔獣を倒した。あまりに意外過ぎる展開。メディナは目が点になりそうだった。

 

 後ろにいるキリト達を振り返れば、きっとこれ以上ないくらいの間抜け(づら)が拝めるに違いない。いや、一緒にアリスまで間抜け面になってしまっていないだろうか。見たいようで見たくない。

 

 

「め、メディナ……」

 

「やれちゃったね……」

 

 

 キリトとユージオがゆっくりとした足取りで歩いてきた。冒険者達だけで魔獣の殲滅(せんめつ)ができた事が信じられないというのが動きだけでわかる。もし今自分も歩けば、きっと彼らと同じようになってしまうだろう。

 

 

「あぁ、やれた……」

 

「お怪我はありませんか、救世主様」

 

 

 短剣の少女が声をかけてくる。怪我の心配は本来こっちがするべきなのだが、先程の立ち回りからして、彼女は怪我をしていないだろう。他の二人も同様だ。四匹の魔獣を一度に相手にしたというのに怪我一つしていない。なんという身のこなしだろう。

 

 

「あぁ、大丈夫だ。お前達のおかげで助かったという事なのかもしれない。ありがとう」

 

「良かったです。救世主様が怪我していなくて……」

 

 

 少女も青年二人も安心したような顔になった。しかし疑問は変わらない。どうしてここまでこの三人は自分の事を心配してくれるうえ、自分のために戦おうとまでしてくれたというのだろう。

 

 キリトが神聖術を使ったわけではないのはわかった――未だに疑わしい部分はある――が、そのために尚更この者達が自分を救世主と呼んで来るのかわからなくなってしまった。何者だ、お前達は。

 

 

「何なんだ、こいつらは……何故私を救世主などと呼んで、助けてくれたんだ?」

 

《これはもしかしたら、メディナさんの力なのかもしれません》

 

 

 《声》が頭の中に響いて、「うわっ」とびっくりする。急に来るために心臓に悪いと思える《声》。声色はルコのものとよく似た、少年にも少女にも聞こえるもの。今は電気の狼の姿をしているユピテルの声色だった。

 

 

「メディナさんの力?」

 

 

 アスナの問いかけに雷電狼は《声》で答えた。そのまま喋れないのは何故だ。

 

 

《さっきですが、この人達はメディナさんとの接触を受けた事により、メディナさんを救世主と呼ぶようになり、尚且つ勇気と戦闘能力を得たように思えました。推測ではありますが、メディナさんには特定の人物に触れる事で、その潜在能力を覚醒させるような力が備わっているのかもしれません》

 

 

 メディナは驚いてユピテルを見た。この三人が急に協力的になり、更に魔獣と戦えるほど強くなったのは自分の力のおかげ?

 

 そんな話は聞いた事がない。生前の父上にもそんな話をされた事などなかったし、今までそんな場面に出くわした事だってなかった。

 

 

「そうなのか、ユピテル」

 

 

 むかつく事に、キリトがメディナの尋ねたい事を尋ねた。ユピテルは首を横に振る。

 

 

《本当かどうかは定かではありません。ですが、ベクタの迷子と呼ばれる、この三人は、明らかにメディナさんとの接触で大幅に変化しました。それまで何もなかったのですから、原因がメディナさんにあるとしか考える事ができません》

 

 

 ふと自分の(てのひら)を見てみる。特定の人物に触れる事で、その者の潜在能力を覚醒させ、自分を救世主だと呼ぶようになる能力。触れられた者は見違えるほどの強さを得る力。

 

 きっとそれを使えば、今まで戦えなかったり、役立つ事ができなかった人々を覚醒させ、魔獣との戦いに備えさせたり、その他の多くの事に役立たせる事ができるだろう。

 

 そしてそれは全て、この私が接触したおかげで起きた事。つまり私の功績。そうなればきっと、全ての貴族、人界の人々の認識が改まり、最終的にオルティナノス家の汚名を(そそ)ぐ事もできるのではないだろうか。期待で胸の中が膨らんでいく。

 

 だが、冷静になって考えてみると、まだ確証が得られていない。この者達以外にもベクタの迷子なる存在がいるのであれば、その者達にも触れてみる必要がある。

 

 そこでこの三人と同じ事が起きれば確定。起きなければこの三人が謎なだけとなる。

 

 真偽はどちらだ。確かめたい。

 

 

《それにこれは、好機ではないか》

 

 

 今度はリランの《声》が飛んできた。そう言えばリランはユピテルと姉弟であるという話だ。しかし、どう見ても全く似ていない。

 

 

「好機? 何が好機なの」

 

 

 リーファの問いかけに狼竜は《声》で答えた。

 

 

《この者達が何故メディナを救世主と呼んでいるのかは定かではない。しかし、この者達は魔獣が相手でも怯えずに戦い、勝利を収めた。それだけの事ができるという事は、この先にいるかもしれない魔獣やジャイアント族の増援とも戦えると考えて良いはずだ》

 

「つまり、こちらの戦力の増強を狙えるという事ですね」

 

 

 整合騎士アリスにリランは頷いた。

 

 この冒険者達は正直なところ不気味だ。しかし強さの面から見れば、魔獣相手でも戦えるほどの実力者。連れて行く事ができれば、確かに心強いだろう。

 

 

「どこかに向かわれるのですか、救世主様」

 

 

 早速少女が尋ねてきた。メディナは答える。

 

 

「あぁ。ここより更に南下し、その先にいる魔獣と、ジャイアント族と戦う必要があるんだ」

 

「ならばお供しますよ、救世主様」

 

 

 青髪の青年が答える。他二人も同じような反応。この者達はやる気になっているらしい。頼もしいと考えるべきか、厄介と考えるべきか。

 

 

「そう言ってくれるのはありがたいとは思う。だが、この先で待ち構えている敵の強さは、先程の魔獣とは比にならない可能性がある。それでもお前達はやるのか」

 

 

 少女が頷いた。その表情は悲しげなものに変わる。いや、どちらかと言えば寂しそうな顔だ。

 

 

「私達……いいえ、私は行くべきところがわからなかったんです。この辺りの村で保護してもらってはいましたし、村の人達は優しかったです。ですが、それでも私は孤独だったんです。何も覚えていなくて、何をしたらいいかわからなくて、どこへ行けばいいのかもわからなくて、誰もわかってくれなくて……」

 

 

 ずきりと胸の内が痛んだ気がした。どこへ行けばいいか、何をすればいいか、何もわからないうえ、誰も教えてくれないし、わかってくれもしない。どこまでも孤独。そんな日々が頭の中に蘇ってくる。

 

 この少女は自分と同じ思いをしていると、直感でわかった気がした。

 

 

「だから私、救世主様にお会いできて、嬉しかったんです。ようやくやるべき事が、やりたいと思える事が見つかった気がしたから……だから、ご一緒させてください、救世主様」

 

 

 少女はそう言って頭を下げてきた。続けて青年達も「お願いします」と頭を下げてくる。この者達にはいくべき場所も、帰るべき場所もない。記憶がないから、どうしたらいいかわからない。

 

 そんな者達を跳ね除けて行くのが良い事か。良いわけがない。

 

 

「……皆、相談がある」

 

 

 メディナの言葉に即座に答えたのは、ユージオだった。

 

 

「この人達を連れて行きたい。そうだよね?」

 

「あぁ。さっきの戦いを見ただろう。こいつらの戦闘能力は、魔獣と渡り合えるくらいのものだ。この先の戦いにもきっと役に立つはずだ」

 

 

 先程の戦闘を皆だって見ていたのだから、受け入れざるを得ないはずだ。この者達の戦闘力と立ち回りを。居場所がない事を。この者達を連れて行くしかないと、わかるはずだ。

 

 メディナのその思いは、早く通じた。一応この場の全員をまとめるキリトが答えてきた。

 

 

「そうだな。よし、この人達も連れて行こう。ただ、どこまで戦えるかはわからないから、俺達で支えつつ進む事にする。それでいいな」

 

 

 皆が頷いたのがわかった。冒険者を名乗った者達の顔に安堵の笑みが浮かぶ。普段はむかついて仕方がない奴なのがキリトだが、今回はそこまでむかつく事は言わなかった。珍しいように感じるが、どうでもいいか。

 

 メディナはひとまずキリトに返す。

 

 

「……礼を言う」

 

「いいさ。それじゃあ、早いところ《南の回廊》まで急ぐぞ」

 

 

 キリトの号令を受けた皆は、更に南を目指して進んだ。

 

 ごつごつとした岩山地帯と砂漠地帯を南に抜けていくと、もう一度熱帯雨林地帯に入り込んだ。迷路を形作る壁のように立ち並ぶ植物達の間を抜け、むっとした暑苦しい空気の中を進んでいくと、大きな湖に辿り着いた。

 

 透き通っているものの、底が見えないほど深い湖の向こう側に、大きな建物があった。アリスに聞いてみたところ、それこそが《南の回廊》であるらしく、先程のジャイアント族が通ってきた可能性があるのだという。

 

 そしてこの先にエルドリエがいる。早く助けに行かないといけない。アリスの進言を受けた一同はリラン、冬追に飛行能力、ユピテルに跳躍力を発揮してもらい、湖を飛び越えて、回廊内へ入り込んだ。

 

 回廊の中は迷宮のように入り組んでいた。これも暗黒界の者達が攻め込んできた際に、その行軍を遅らせるためであるらしい。しかし先程のジャイアント族は平然とあそこまでやってきていたから、迷宮は役に立たないのかもしれないと、アリスは言っていた。

 

 そして今は、エルドリエが危ないという状況である。迷路は明らかに役に立たないどころか、足を引っ張ってしまっているような状態だった。

 

 こんな事ならば抜け道くらい作ればいいのに。いや、それがあっては暗黒界人が攻めてきた時に利用されて駄目か。

 

 色々と考えながら進んでいたところ、激しい戦闘音が聞こえてきたのがわかった。勿論それを聞いたのはメディナだけではなく、この場にいる全員だった。

 

 

「この音って!?」

 

「エルドリエ……!」

 

 

 ユージオが言った後に、顔を青くしたアリスが走り出す。聞いた話によれば、エルドリエはアリスが鍛えた整合騎士だという。なのでアリスにとっては多くの整合騎士の中で、エルドリエは特別な存在なのだ。ずっと心配しているみたいだったのは、そのためだった。

 

 アリスの後を追って回廊の中を走っていく。角を左に曲がり、突き当りを右に曲がり、真っ直ぐの道を進んでいくと、広場に出た。

 

 そこで声を失うくらいに驚いた。広場は周囲が溶岩の流れる水路に取り囲まれており、(あたか)も円形の立会場のような風貌(ふうぼう)になっている。その周囲には恐ろしい事に、カラントなる魔獣を生み出すとされる花が大量に咲いていた。カラントの群生地帯だ。

 

 その中心付近で、大きな黒い影が二つ、踊り合っていた。

 

 片方は、赤い身体に茶色い髪をしている点を除けば、先程のザクザと同じジャイアント族だ。ザクザ同様に棍棒を手に持ってぶんぶんと振り回し、敵と戦っている。

 

 そのジャイアント族の敵と言える存在が問題だった。姿を見た途端、背中に悪寒が走り、鳥肌が立ってしまった。

 

 ――紫色の鱗に身を包んだ蛇だ。いや、正確には蛇ではない。何故なら蛇のような細長い身体からは人間のものによく似た手足が生えており、地面にしっかり付けている。上半身に該当する部分には黒い装甲と鎧が纏われていて、頭には竜のそれを思わせる黒い角が生えている。だから、蛇ではない。

 

 しかしその右腕を見た途端、やはり鳥肌がひどくなった。蛇人とも言うべき存在の右腕は、紫色の蛇になっているのだ。その蛇を、蛇人は鞭のようにぶんぶんと振り回して、ジャイアント族に打ち付けている。

 

 蛇と人が融合したような化け物がいて、しかもそいつの右腕は本物の蛇で、鞭みたいに使っている。悪夢の特上盛り合わせ。目にしてしまったがために悲鳴が出そうになるのを、メディナは口を押さえつける事で防いだ。

 

 

「見て! ジャイアント族と……あれは何!?」

 

 

 アスナの言葉に従いたくなかった。あんなもの見たくない。メディナにとって何よりも嫌いなものは蛇だ。見る事さえ嫌なのに、何で見ろと言ってくる。いや、見なければわからないから、見るしかない。

 

 

「《EGO(イージーオー)化身態(けしんたい)》だ。自分の利己(エゴ)を暴走させてしまった誰かが、カラントに呼び寄せられてきたんだ」

 

 

 キリトが冷静に観察した結果を話す。何でこいつはこんなに冷静なのだろうか。肝が据わり過ぎている。何なら今だけ、こいつの肝の強さが欲しかった。

 

 その隣付近で同じく冷静なアリスが、暴れ狂うジャイアント族に応戦する蛇人に目を向ける。

 

 

「待ってください。あの《EGO化身態》……どこかで見覚えが」

 

「えっ。アリス、あの《EGO化身態》を見たことがあるの」

 

 

 ユージオの問いかけにアリスは首を横に振る。

 

 

「いいえ、正確にはあの《EGO化身態》の特徴に見覚えがあると言いますか……蛇……紫……鎧……」

 

 

 その三つの単語をアリスが口にした次の瞬間、反応したのがシノンだった。

 

 

「それって、エルドリエの特徴じゃない。確か彼も紫の髪をしていたし、神器は鞭だったわよね。しかもそれは伝説の蛇を加工して作ったっていう話じゃなかった?」

 

 

 エルドリエがどんな人だったのかは、メディナは詳しく知らない。だが、そうではない皆の者は一斉に顔を蒼褪めさせ、アリスが口を開けた。

 

 

「で、では……あれはエルドリエ……!? エルドリエほどの騎士が……自分の利己に呑み込まれて、《EGO化身態》なる怪物に……!?」

 

「拙いぞ。それなら早く鎮圧しないといけない。遅れれば、エルドリエが元に戻れなくなって死ぬぞ!」

 

 

 エルドリエが死ぬ? 整合騎士になれる程の者が、怪物になった末に死んでしまう? 信じがたい話だったが、それが真実であるという事だけは、周りの皆の様子と焦りから察する事ができた。

 

 今、この場は危機的状況だ。ジャイアント族の侵攻もあるが、エルドリエの命が失われる危険性がある。今、彼の命がここで散らされるようなことがあってはならない。

 

 

「ど、どうすればいいんだ。エルドリエ様を助けるには、どうすれば……!?」

 

「それは――」

 

 

 メディナの問いかけにキリトが答えようとしたその時、一際大きな声が轟いてきた。驚いて振り向いてみたところ、怪物と化したエルドリエと交戦していたジャイアント族が、エルドリエの右腕の蛇に巻き付かれ、宙に持ち上げられていた。

 

 

「兄弟達よ、兄弟、きょうだいいいいいい――」

 

 

 ジャイアント族が絞り出したような声を出した直後、蛇はその首に巻き付いて絞め上げた。皆が「あぁっ」と声を上げると――

 

 

 ごきっ。

 

 

 骨が折られる嫌な音がはっきり聞こえ、ジャイアント族の首があらぬ方向に曲がった。手応えを感じたのであろう蛇人が力を緩めると、物言わなくなったジャイアント族は地面へ音を立てて落ち――絶命の光を出して消えた。

 

 勝利を噛み締めた蛇人は、静寂を取り戻した広場で一人佇んでいた。その身体からはぞっとするような殺気が漏れ出て止まらないでいる。次の獲物を探しているのかもしれなかった。

 

 

「エルドリエ……エルドリエ――ッ!!」

 

 

 その時、アリスが大声を上げて蛇人に走り出してしまった。アリス様、なんてことを――メディナが思った直後には、蛇人はその禍々しい目でアリスを捉え、(あぎと)を開いて咆吼していた。更に右腕の蛇がしなり、本体同様にしゃああと吼える。

 

 狙いをアリスに付けたのだ。もう、やり過ごしたり、対策を考える事はできなくなった。

 

 

「アリス!」

 

「皆、行くぞ! あれがエルドリエなら、一刻も早く鎮圧するんだ!!」

 

 

 ユージオとキリトが叫び、それぞれの武器を抜いてアリスの後を追っていった。続いてメディナと冒険者を除く全員が広場に駆けつけていく。メディナは冒険者達と一緒に置き去りにされる。

 

 相手はエルドリエであり――蛇。最悪の敵だ。戦いたくない。見ているだけでいたい。だが、それではオルティナノス家の名に汚泥を塗り重ねる羽目になる。

 

 

「むかつく……! 行くぞお前達。救世主様とやらに続け!」

 

 

 メディナは剣を引き抜き、冒険者達と共に広場へ走った。

 


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