キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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20:器

 

 

           □□□

 

 

 

 赤、紫、緑、青といった光がちらつくトンネルの中を、リランは進んでいっていた。いや、トンネルのような穴を垂直に落ちていっていると言った方が正しいかもしれない。そこはずっと行方不明だった一番目の妹であるクィネラの身体の中だった。

 

 電脳の世界で生まれ、電脳で構築されている身体の中を、核を目指してリランは進んでいっていた。核とは、自分達《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》には必ず搭載されている《アニマボックス》の事だった。

 

 彼女はこれまで、自身の家族の《アニマボックス》を診る事は多々あった。しかし、そういう事は滅多になく、あったとしてもその時は弟であるユピテルと合同作業である事が多かった。

 

 何故なら、診て修正すべき箇所を見つけ、実際に修正するのが得意なのはユピテルの方だったからで、リランはどちらかというと悪事を働く者が張ったセキュリティやファイアウォールを壊す方が得意だった。

 

 今回もユピテルが一緒に居てくれれば、とても心強かったが、彼は今この世界にはいない。それに今回の作業はクィネラの《アニマボックス》に巣食う邪悪な存在を切り離すという、どちらかと言えば破壊作業に分類されるものだ。リラン一人だけでも十分に何とかなる。破壊による修繕をしよう。

 

 そう思いながらトンネルを更に垂直に落ちていくと、視界が白く染まり始めた。底が見え始めたのだ。着地体勢――と言っていいものなのか――を取り、リランは目を一度閉じた。

 

 

「ここが、わたくしが見ていく世界……!」

 

 

 声が聞こえてきて、リランは目を開けた。様々な色の光で照らされたトンネルは終わり、見た事のない風景がそこに広がっていた。あちらこちらに木材や石材でできた家々があり、多くの人々が行き交っている。その服装は現実世界の中世のヨーロッパ付近で見受けられたものに似ていない事もない。

 

 四七六年から一四五三年までの時代にタイムスリップしてしまったのかと誤解してしまいそうだが、そうならなかった。ここはアンダーワールドという名の仮想世界であり、そこに築かれた街の一角だ。どうしてそんな場所に来てしまったのかという疑問も、リランを襲う事はなかった。

 

 

「こんな感じなのですね、この世界は。本当にファンタジーの世界みたいです」

 

 

 聞き覚えのある声による独り言が聞こえてきて、リランはそちらに向き直った。そこでほんの少しだけ驚く事になった。その場所に居たのは、紫がかった銀色の髪をセミロングにして、白い服と黒いスカートに身を包んだ、本紫色の瞳をした垂れ目の、背丈の小さな女の子。

 

 その娘は自分の妹であるクィネラだと、リランは瞬時に理解できた。彼女の声、目つきと目と髪の色が、クィネラのものと一致していたからだ。先程から聞こえてくる彼女の独り言に、アンダーワールドの外部から導入された存在ではない限りは知りえない単語を沢山含んでいるのも、クィネラである事を裏付けるものだった。

 

 

「クィネラ……!」

 

 

 リランの呼びかけにクィネラは反応しなかった。恐らくここはクィネラの記憶領域の中だ。自分が見ているのはクィネラが過去に体験した出来事の記録。話しかけたところで自分に反応する存在はいない。

 

 ある意味過去の世界で孤独にされていると考える事もできるが、果たしてリランはそんなふうには思わない。図書館で一人、歴史書を読んでいるような感覚だった。

 

 その時、クィネラが何かに気付いたような反応をした。耳を澄ませたところ、着信音のようなものが聞こえてくるのがわかった。何かがクィネラに通話しようとしているらしい。

 

 クィネラは周囲をきょろきょろと見回すと、物陰に急いだ。リランもその後を追って、同じ物陰に足を運ぶ。

 

 しゃがんだクィネラがウインドウを展開した。紫色のその窓は、《ステイシアの窓》に似ているが、表示されている中身は、棒グラフのような図形が下部にいくつか並んでいたり、中心には円形グラフのようなものがあって、最も右上に位置するところには英単語があるなど、構造が全く違っていた。

 

 それが何を表しているのかをリランが確認するより前、声が聞こえてきた。

 

 

《もしもしクィネラ、聞こえているかい》

 

 

 その声は聞き覚えがあるどころじゃない。もしかしなくてもこれまで生きていた中で一番よく聞いていた声だ。それを耳に入れたクィネラの表情がほころぶ。

 

 

「かあさま! はい、しっかり聞こえております」

 

 

 クィネラにそう言わせた声の主は、イリス/芹澤(せりざわ)愛莉(あいり)だった。自分達全ての《電脳生命体》を産んだ張本人であり、母親とも呼ぶべき人。リランにとっては自身を産んでくれたママだ。

 

 なので、その声は聞き慣れているどころではないのだが、聞くのは久しぶりだと思った。最後に聞いたのは二年くらい前だっただろうか。

 

 そのイリスからの声は、クィネラに答えてきた。

 

 

《よしよし、通信状況はばっちりだね。もしかしたら通信できないんじゃないかって懸念(けねん)してたんだけど、そんな心配はなかったようだ》

 

「はい。かあさま達との通信も問題なくできております。これもわたくしが管理者となるからでしょうか」

 

《そうかもしれないね。さてクィネラ、そこでは何が見えているのかな》

 

 

 クィネラはウインドウから目を離し、建物の影から表通りを(のぞ)いた。一緒になって覗いてみる。小さいながらもちゃんとした街並みと、そこを行き交う人々が見えた。現実世界で街を見た時とほとんど変わりがない――人々の服装と雰囲気以外。

 

 

「ここは、街ですね。沢山の人々があっちに行ったり、こっちに行ったりしております。服装は歴史データで見た中世の欧州の人々が着用していたものによく似ていて、よくあるファンタジーの世界の街といったところです」

 

《うんうん。こっちで作った通りの様子っぽいね。アンダーワールドは陸自と政府提供のウルトラスパコンを使う事で作り出されている世界なんだが、世界観はファンタジー世界のようになっているんだ。見方によっては本当のファンタジーの異世界って感じられるかもしれないね》

 

 

 アンダーワールドに来てから、ここはどこが製作して管理している世界なのかとキリトと議論を繰り広げた事が多々あった。その時には「《ラース》というベンチャー企業が作っている」とキリトから聞いていたが、その《ラース》はただの企業ではなく、何か巨大な裏が存在するものだとリランは推測していた。

 

 今、その答えが明らかになった。ラースの裏に居るのは陸上自衛隊と日本政府。アンダーワールドは、まさかの日本という国の中心機関が力を出して作り出した一大プロジェクトだった。あまりに予想外の事実に、リランは驚くしかなくなっていた。

 

 瞬きを何度も繰り返すリランを他所(よそ)に、クィネラの記憶映像の再生は続く。

 

 

「この世界が、わたくしが見ていく事になるところなのですよね」

 

《そうだ。そこで陸自のお偉いさん……いや、今はラースのお偉いさんか……が望んでいる《A.L.I.C.E(アリス).》が誕生するまで世界を維持できるように管理し続け、《A.L.I.C.E.》が誕生したら現実世界まで持っていくっていうのが、君に依頼したい事なんだ》

 

 

 リランは首を(かし)げた。今、イリスは《アリス》という単語を口にした。奇しくもそれはつい先程まで自分達と行動を共にしている整合騎士の少女アリスの名前と同じだ。

 

 ラースこと陸自の上の者達は、アリスを望んでいるという事なのか? だとすれば今、何らかの方法でアリスを現実世界に連れて行く事ができれば、ラースの目的は達成されるという事なのだが――この事をラースは知らないのだろうか。

 

 疑問を抱くリランを変わらず放置したまま映像は再生されていく。

 

 

「《A.L.I.C.E.》というのは確か、人工フラクトライトの欠陥を克服して、本当に人間と何も変わらなくなった《電脳生命体》の事ですよね」

 

《そうだ。君にはそれを見つけ出して、連れてきてもらいたいというのが、私を含んだラースの人達のお願いってところだよ》

 

 

 

 クィネラの表情が難しいものを見ている時のようなそれになる。不服がありそうでなさそうな、何とも言えない顔だ。

 

 

「承知いたしました。ですが、かあさま。この世界には既に無数の《電脳生命体》の人々が生きておられます。その中からたった一人《A.L.I.C.E.》に該当する人を見つけるのは、少々難しいかもしれません……」

 

 

 確かに、《A.L.I.C.E.》が出てくるまで世界を維持、管理して、《A.L.I.C.E.》が出てきたら捕まえろというのは、命令としては抽象的すぎる。そもそも《A.L.I.C.E.》がどういう特徴を持っているのか、それがわからないと、どうにもならないではないか。リランは心中でそんなつっこみを入れたい気分になっていた。

 

 

《そうだよねぇ。もう既に無数と言えるくらいに《アニマボックス搭載人工フラクトライト》は増えちゃってる。その中から少人数の《A.L.I.C.E.》を見つけ出せなんて言われたら、私ならそんなお役目ぶん投げる》

 

「《A.L.I.C.E.》は一人ではないのですか」

 

《あぁ。どうにも《A.L.I.C.E.》っていうのは、他の人工フラクトライトとは異なる行動や言動を取ったモノが該当するらしくてね。普通なら極めて困難な事を達成しただとか、普通ならできない事をやってのけただとか、そういうある種の偉業を達成できた人工フラクトライトは、真の知性を得る事ができ、《A.L.I.C.E.》って呼んでいいらしい》

 

 

 普通ならば極めて達成困難な偉業――これもまた随分と抽象的だ。具体的に何をすれば人工フラクトライトが《A.L.I.C.E.》になるのかは教えてくれないのか。リランは不服に思ったが、しかしクィネラはそう思っていないようだった。

 

 

「なるほどです。達成困難な偉業を成し遂げた人工フラクトライトが、《A.L.I.C.E.》なのですね」

 

《ざっくり言うとそういう事らしいんだ。そんでもって、その《A.L.I.C.E.》になれた人工フラクトライトを量産して、最終的に……》

 

 

 

 イリスの声は次第に小さくなった。クィネラが首を傾げて「かあさま?」と呼びかけても返事がない。一体どうしたのかとリランも思って耳を澄ませてみたところ、「そんなの……たい……ない……」という言葉が(わず)かに聞こえてきた。

 

 何を言ったのかもう一度確認するより前に、正常に戻ったイリスの声がしてきた。

 

 

《ごめんクィネラ。《A.L.I.C.E.》の事は私からラースの上層部に、クィネラ一人じゃ難しすぎるから別な方法を取ろうって伝える事にするよ。だから、君は《A.L.I.C.E.》を探さないでも、現実世界に連れて行かなくてもいい。

 君にはとにかくその世界を管理、維持していくために最善を尽くしていってもらいたい。君はとても優しくて賢い娘だし、色々な機能を使える力が付与されている。君なら素晴らしい管理者として、《A.L.I.C.E.》が現れるまで……いや、《A.L.I.C.E.》が現れた後も、その世界を安定的に維持していけるだろう》

 

 

 命令を急に変えられても、クィネラは混乱していなかった。そればかりか、とても嬉しそうな顔をしている。イリスにこうやって役目を与えられた事が喜ばしいのだろう。

 

 それに加えて、これからこの世界で生きていく事に対してわくわくしてもいるらしい。この時点ではまだ、クィネラには子供っぽさが残っていたようだ。

 

 

「はい。かあさまのご指名の通り、わたくしは管理者として、この世界を素晴らしいって(おっしゃ)っていただけるような形にしたうえで、維持していってみせます!」

 

 

 クィネラは張り切った様子で言っていたが、直後に疑問を抱いた顔になった。

 

 

「その前にかあさま、質問があります」

 

《なんだい》

 

「困っている人、傷付いている人、助けを求めている人、心や精神が病んでしまっている人がいらっしゃったならば、癒して差し上げてもよろしいのでしょうか?」

 

 

 クィネラの問いかけを受けるなり、イリスから弾んだ声が返ってきた。

 

 

《勿論さ。その世界には、君の助けを求める人々が沢山いるだろう。そういった人達を見つけたならば、進んで救いの手を差し伸べてあげるんだよ。君の使命は、管理者としてその世界を維持していく事と、弱り、疲れ、助けを求める人々を癒していく事だからね。その事を忘れるんじゃあないよ》

 

 

 クィネラの顔に(まぶ)しいほどの笑みが浮かんだ。

 

 

「はい! お任せください!」

 

 

 その返事を聞いたイリスは嬉しそうな声で《よろしい!》と言った。その様子を見ていたリランも、無意識のうちに微笑(ほほえ)んでいた。その頭の中で思考を巡らせる。

 

 どうやらクィネラは、イリスとラースの手によって管理AIとしてアンダーワールドに導入されたという事らしい。そしてその時点では、まだクィネラは自分の知るクィネラで、あの残酷で冷徹な女王であるアドミニストレータに憑依されてはいなかったようだ。

 

 一体いつ、クィネラはアドミニストレータに身体を乗っ取られたのか。いやそもそも、どうしてそんな事になったというのか。もう少し先に進めばわかりそうだが、よくある動画再生のように早送りや倍速といった機能はないので、どうやって先に進めばいいのか。

 

 ふと考えようとしたその時にも、クィネラの記憶映像の再生は続いていた。イリスの声が届いてくる。

 

 

《その世界の時間で一ヶ月くらい経過したら、その都度こちらに通信を繋いで報告をしてくれ。困っている事やわからない事、君で解決できそうにない事があったなら、すぐにでも通信してくれても構わないよ》

 

「承知いたしました。では、また一ヶ月後にお話させてくださいね、かあさま」

 

《あぁ。経過を楽しみにしているよ、クィネラ》

 

 

 その答えを聞いて、クィネラはイリスとの通信を終えた。どうやらこれがクィネラが初めてこの世界から現実世界への通信をした時の光景であったらしい。一通り思い返してみても、異変らしきものは把握できなかった。

 

 

「さてと……責任重大です。頑張らないといけませんね!」

 

 

 クィネラは張り切った声で独り()ちて、物陰から表通りへと移動していった。その足取りの軽さからして、この世界を管理し、維持していくという使命に前向きだとよくわかった。

 

 初めて会った時には小さな娘だったクィネラは、この時点で既に見違えるほどの成長を遂げていた。その姿と様子に、リランは目を奪われそうになっていた。

 

 

「クィネラ……お前は……」

 

 

 そう呟いた直後、急に目の前が白く染め上げられた。とても強い光を当てられているかのようだ。あまりの白い光にリランは目元を腕で(かば)いつつ、目を(つむ)った。

 

 光が止んだところで、リランはすぐさま目を開いた。先程まで街の一角だった眼前の光景は、どこかの家の一室になっていた。煉瓦(れんが)造りの壁と木材の天井と床で構成されていて、ところどころに金銀の装飾が施された家具が設置されている。少し古い時代の貴族の家の一室といった内装だ。

 

 その一角に置かれたベッドに、クィネラが腰を下ろしていた。服装は先程と違って、薄着であるものの肌の露出の少ないものになっている。寝巻だろう。

 

 

「そろそろ、かあさまにご報告しなければなりませんね。お元気かしら」

 

 

 如何(いか)にも楽しみにしているような表情と声色でクィネラは言っていた。喋り方は自分と初めて出会った頃よりもずっとはっきりとしたものになっているが、まだまだ成長段階なのは違いない。

 

 今のクィネラは、丁度自分が神代(こうじろ)凛子(りんこ)――育てのママ――に育てられていた頃と同じくらいだろうか。

 

 あの頃の自分は凛子に(そば)に居てもらい、色々と教わったものだが、そのくらいの段階であるにも関わらず、クィネラは既に独り立ちと世界の管理を任されている。

 

 本来ならばイリスや自分達と共に過ごして、性格や人間性、能力を育てる必要があるはずなのだが、そんな余裕がなかったという事か。(ある)いは育て方のパターンのデータを取るため、あえて独り立ちを早い段階でやらせたのか。

 

 そんな事をしている場合ではないとわかっていても、興味が湧いてきてしまって、考え事をせざるを得なくなっていた。

 

 頭の中で色々考えるリランの横で、早い一人暮らしをさせられているに近しいクィネラが、顔に不安を浮かべながら(つぶや)く。

 

 

「でも、世界の維持と管理というのは、なかなか難しいものです。ちゃんとかあさま達がお望みになられた形にできているでしょうか……」

 

 

 ここからでは外の様子を把握する事はできないが、クィネラの事だ。しっかりと世界の維持と管理ができているに違いないし、精神的に疲れ、苦しむ多くの人々に癒しを与えていただろう。

 

 もし声を届ける事ができるならば、「お前はちゃんとやっているよ」と言ってやりたいところだった。そんなリランに見届けられながら、クィネラは通信を開始しようとしたが――。

 

 

《あぁ、やっぱりそうだ……とっても可愛い子だ……とってもとっても可愛い》

 

 

 突然どこからともなく声が聞こえてきて、リランは驚いた。それはクィネラも同じであり、ぎょっとしたような反応をしてから、周囲を見回す。間もなく、戸惑った声がクィネラから漏れた。

 

 

「えっ……今の声は……!?」

 

 

 明らかにイリスの声ではないと、リランは即座に掴んでいた。正体不明の何かが、ほぼ一方的にクィネラに声をかけてきている。

 

 

《まるで本物の天使ちゃんだ……こんな()がいるだなんて……全然わからなかったよぉ……現実世界じゃあり得ないくらいの可愛さだぁ……》

 

 

 背筋に悪寒が走った。まるで穢れに穢れた粘液で塗れた舌で舐めあげてくるような、男の声。まともな人間の男が出せるようなものではない。

 

 姉同様に耳にその声を入れてしまったであろう妹は、両手を胸の前で組んだ姿勢を取って、周囲を確認していた。

 

 

「……あの、わたくしに話しかけてきているのはどなたでしょうか……? かあさまではありませんよね?」

 

 

 戸惑うクィネラの(もと)へ、そしてリランの許へ声が届けられてくる。

 

 

《あぁ、いい……いいよ、いいよぉ……仕草もすごくボク好みだ……見た目も声も……ボク好みの最高の娘だよぉ……》

 

 

 まるで常軌(じょうき)(いっ)した思想を持った誘拐犯のような言い方だ。その口調からだらだらと穢れが(にじ)み出ているのがわかる。きっと本人に自覚はないだろう。

 

 そんな穢れた声の主にクィネラは問いかける。

 

 

「ですから、あなたは誰なのですか。わたくしに連絡してきているという事は、ラースの方ですよね? わたくしに何か用、なのですか……?」

 

 

 クィネラは身体を小刻みに震えさせていた。顔に強い恐怖の色が出てきている。できればその耳を塞いでやりたいところだが、これは記憶の映像だから意味がない。

 

 無防備に晒されるクィネラに向けて、気色悪いどころではない声が続いてくる。

 

 

《ボクさぁ、君に興味があったんだよ。アンダーワールドを管理する事になったすごいAIとかいうのがどういうものなのか、どんな姿をしているものなのかってね。これも研究者の(さが)ってものなのかなぁ》

 

「わたくしに、興味が……?」

 

《そうだよ。だから君を見る方法を色々探したんだ。だけど、今のラースにはこの世界を覗き込んで、そこにいる人工フラクトライトを観察するものがなくてさ。とってもヤキモキしてたんだけど……あの自分の作ったAIを自分の子供とか言ってる頭のおかしい博士が、それを可能にするアプリを作りかけにしていたじゃないか。だからこっそり抜き取って、ボクの方で開発を進めてみたんだよ。そしたら今みたいに、君を見れるようになったんだぁ》

 

 

 リランは目を見開いた。

 

 自分の作ったAIを自分の子供と言う頭のおかしな博士――それは(まぎ)れもなくイリスの事だ。その同僚と思わしきこの男の口振りから察するに、彼女はこの世界を覗く事ができるアプリケーションを作っていたが、途中で放棄したという事らしい。

 

 そんなものを作っていたのは、きっと自分の行く事のできない仮想世界で、一人頑張って世界の維持と管理をする使命を背負ったクィネラを見守るためだろう。

 

 だが、その開発が途中で取りやめになったのは、恐らくラースの方でそのアプリが何らかの問題を引き起こすと判断されたからだろう。だが、この男はそれを無視して開発を進め、イリスより先にクィネラを覗く手段を得てしまったという事らしい。

 

 そんな事は、(よこしま)な考えで頭を満たしているような奴くらいしかできない。頭がおかしいのはどっちだ。リランが今まさに思った事を、クィネラが言った。

 

 

「自分の作ったAIを自分の子供とか言ってる頭のおかしい博士とは、かあさまの事ですよね……? かあさまはおかしな人ではありません……かあさまは、わたくし達を産んでくださった、優しくて素晴らしい方です……」

 

 

 反論するクィネラの声は身体同様に震えていた。この男が怖くて仕方がないのだ。イリスからアプリを盗んで完成させるような事をしでかす男だ、何をしてきてもおかしくはない。

 

 そのいかれた男の声が続く。

 

 

《あ~……そこだよ、そこ。君はボク好みで素晴らしいんだけど、その部分だよ。そのさ、あの頭のおかしい博士を母親呼ばわりしてて、ちょっと弱弱しい性格してるところ。そこが全部を台無しにしちゃってるよ》

 

「台……無し……? 何を仰っているのですか……」

 

《さっきから言ってるけど、君は見た目も仕草も声も、最高にボク好みなんだよ。だけど、その性格と弱っちいところが惜しすぎるんだ。今のままじゃ最高の支配者とは言えない。だからね――》

 

 

 男は言葉を途中で止めて黙った。この間に何かを操作しているというのが、リランは理解する事ができた。わずかな沈黙を挟んで、男は言った。

 

 

《君にボクが好きな性格をインストールして、全部をボク好みの支配者にしてあげる》

 

「え? あ゛う゛ッ!?」

 

 

 リランははっとしてクィネラに向き直った。クィネラは真っ直ぐ上を見ているような姿勢で硬直していた。まるで雷に打たれたかのようだ。間もなく、頭を両手で抑え付けて下を向く。

 

 

「あ、あ゛あ゛、い゛やあ゛ッ、何か、入ってきて……い゛や゛ああ゛ああッ」

 

 

 クィネラはぶんぶんと首を横に振っていた。そのまま床に倒れ込んだかと思えば、今度は激しくのたうち回る。何かを拒絶しようとしているのだけはわかった。

 

 

「クィネラ!!」

 

 

 リランの思わずの呼びかけはクィネラに届かない。彼女は床に這いつくばり、のたうち回るのをやめられないでいた。

 

 

「いやぁ、駄目、嫌ああぁ! 来ないで、来ないでくださいぃッ、ああ゛、あ゛あああッ」

 

 

 苦しむクィネラにかけられる声があった。寒気を感じさせる粘つく男の声だ。

 

 

《大丈夫だよぉ。君は美しくて可愛くて、最高の性格をした女王様に生まれ変わるんだ。そして君の手で王国が出来上がる。心配しないで。その王国の支配に、ボクは最大限協力してあげるからさぁ》

 

「いやぁ゛……あ、あ゛あ゛ああ゛……」

 

《君がそのアンダーワールドを支配する王国を作り上げたら、ボクを第一の(シモベ)にしてね。そしたらいつか王国を現実世界まで広げて、支配しようねぇ》

 

 

 男の声は高揚を隠せないものになっていた。身勝手極まりない世界を妄想して、そこから抜け出せなくなっているようだ。クィネラが苦しみの余り床を転げ回っているのにおかまいなし。それがリランに強い怒りを(つの)らせた。

 

 

《そうなれば……世界は………………様の思い通り……なって……ボクは――》

 

 

 男の声にノイズが混ざった。ここからクィネラは正常でなくなったのだ。周りの風景にまでノイズが混ざり出し、床や壁、天井があり得ない色に変わっていく。その中で、クィネラの声がした。

 

 

 

「…………かあ…………さま…………ねえ…………さま…………た……すけ…………て……」

 

 


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