キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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18:アドミニストレータⅢ ―剣の巨人との戦い―

 

 

「クィ…………ネラ…………!?」

 

 

 直後、クィネラの目が吊り目に戻ったかと思えば、それは一気に見開かれ、表情が激しい怒りと恐怖に支配されたようなものとなった。そうなったクィネラは自身の喉を両手で抑え付けた。まるで自身の首を絞めているようにも見える。

 

 

「こ、のぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 先程までの余裕な支配者の様相は消えていた。激しく自身の首を絞め、ぶんぶんと首を横に振っていた。その動きが止まった時、顔が上げられてきたが、また垂れ目の優しい顔つきで、苦しげな表情になっていた。

 

 

「ソードゴーレムの弱点は…………極端に高い温度で……加熱された後に……極端な低温で急激に冷却……される……です…………」

 

 

 そう言ったかと思えば、クィネラの表情が怒りに染まって吊り目に戻り、正反対な事を言い出す。

 

 

「やめろ、やめろやめろッ!!」

 

 

 そしてまた、垂れ目と苦しげの顔に戻る。

 

 

「温度なのです……ソードゴーレムは……温度に弱いのです……リラン……ねえさま……キリトにい……さま……」

 

 

 キリトは目を見開いてクィネラを見ているしかなかった。先程からクィネラの様子がおかしくなっている。それまでクィネラはこちらの事を憶えている様子がなく、まさに冷徹な独裁者の暴君といった言動を取っていた。

 

 なのに今は、リランの事を「ねえさま」、キリトの事を「キリトにいさま」と言っている。その呼び方は自分達の知っているクィネラが、こちらを呼ぶ時に使っていたものだった。

 

 キリトと同じように驚きっぱなしになっているシノンが、そのクィネラに声をかけた。

 

 

「クィネラ、あんたなの、クィネラ!?」

 

 

 クィネラは元の焦燥と憤怒の顔に戻り、首を横に振った。床に突っ伏せるような事があれば転げ回りそうなのが目に見える。

 

 

「違う! 違う! うるさいうるさいうるさいうるさいッ!!」

 

 

 直後、その身体が硬直したかと思うと、弱弱しくも優しげな顔が上げられてくる。

 

 

「ソードゴーレムは……人々を素材にして作られた剣でできた……言わば金属人形です……ですが、金木犀の剣や青薔薇の剣……キリトにいさまがお使いになられている剣とは違い……特別な力を持つ神器ではありません……永劫不朽(えいごうふきゅう)のような再生力……を持っているのでは……ないのです……ただとても頑丈なだけの金属であり……とても鋭利な刃物でしかない……のです…………」

 

 

 クィネラは元に戻らなかった。苦しそうな表情のまま、続けてくる。

 

 

「この世界における金属は……現実世界と同じです……熱されれば真っ赤になって柔らかくなります……そしてそこから急激に冷やされれば……硬くなりますが……靭性(じんせい)を失って脆くなります……それは……ソードゴーレムも同じなのです……」

 

 

 クィネラは元に戻って狂乱する。長い髪を振り乱し、喉を押さえつけていた。押し潰してしまいそうなくらい力を込めているせいで、咳き込んだ。

 

 

「このっ、ごっ、がはっ、かはっ、げほっ、このッ、このおおおおおおおッ!!」

 

 

 咳が止むと同時に、クィネラは自分達の知っているに近しいクィネラになった。

 

 

「ソードゴーレムを八百度以上に加熱して……すぐに氷点下百五十度以下に冷却してください……そうすれば……ソードゴーレムの身体の剣は……急激に脆くなり……自壊します……」

 

 

 キリトはクィネラからの話を頭の中でまとめていた。鉄壁の難攻不落要塞に思われたソードゴーレムの弱点は温度。刃物を作る際にする《焼入れ》を極端すぎる温度でやるという事だ。

 

 なるほど確かに、これならば如何にソードゴーレムの剣でも耐えきる事は不可能だろう。例えそれが人々で作られているのだとしても、金属である以上は、温度による変形と脆化(ぜいか)には逆らえないのだ。

 

 

「お願いです……リラン……ねえさま…………キリト……にいさま…………シノンねえ……さま…………《この人》の暴挙で剣にされてしまった人々を……今も尚苦しむ整合騎士とガーダー達の記憶を……解放してあげて、ください…………どうか……」

 

 

 クィネラはぼろぼろと涙を零しながら訴えていた。弱くも優しい、見覚えのある顔で。しかしそれは瞬く間に憤怒と憎悪と焦燥の表情に塗り潰され、また首を絞めながらぶんぶんと振る動きをし始めた。

 

 そこからのクィネラの声はキリトには聞こえていなかった。狙いが真っ直ぐにソードゴーレムに向いたからだ。ソードゴーレムは無敵ではない。そしてその無敵でない事を証明する点を突き、倒さねばならない。

 

 

「キリト、今のは一体? 最高司祭様の様子が何だかおかしくなりましたが……」

 

 

 アリスの真っ当な疑問は聞こえた。それはキリトも思っていた事だ。クィネラの様子が明らかにおかしくなっている。これまでクィネラは自分達の事を忘れていると思っていたが、急に思い出したような素振(そぶ)りをし始めた。

 

 何かしらの秘密が彼女にはある。それを突き留めて暴き出す事を、キリトは最優先目的にしていた。その中でキリトに声をかけてきたのは、カーディナルだった。

 

 

「キリト、改めて頼む。ソードゴーレムを破壊してくれ。あの女をもっと追い詰めてやるのじゃ」

 

「あぁ、それは任せろ。だけどその前に聞きたい。クィネラに何が起きているか、わからないか」

 

「それについては(おおよ)その見当が付いているのじゃが、確信には至っておらぬ。あいつの異変についての詳細を暴くためには、あいつを解析する必要がある。これまで、あいつは自分自身への解析を許すようなへまはしてこなかったが、今のような動揺がもっと強くなれば、隙ができて、解析が通るはずじゃ」

 

「その隙を作れそうなのが、ソードゴーレムの敗北なのか」

 

「そうじゃ。あいつが自白したソードゴーレムの弱点……猛烈な高温での加熱からの極端な低温での冷却。このうち、加熱はお主ができるな」

 

 

 キリトは自身の胸に手を当てた。《EGO》がそこにあるのがわかった。

 

 自分の胸から呼び出される白き剣は、リランの火炎をも超える高熱を宿している。その白い外観も、あまりに高すぎる熱のために白以外の色が飛んでいるためだ。

 

 握っている時は熱さを感じないし、こちらが燃えたりする事もないが、その刃で斬られたものはそこから焼け爛れ、降りかかってきた雨は刀身に到達する前に蒸発し、可燃物は刃を近付けただけで発火する。

 

 この剣の力を最大まで引き出し、ソードゴーレムに当てれば、クィネラが教えてくれた八百度まで加熱する事ができるだろう。

 

 だが、続けて必要になるのが氷点下百度以下に冷却するという工程である。ただ冷やすだけならば、凍素神聖術でできるが、氷点下百五十度以下となると、どれだけの規模の神聖術が必要になるか判断が付かない。

 

 ここにいる全員で力を合わせて唱えて凍素をソードゴーレムを凍結させたところで、そこまで持っていけないだろう。

 

 

「冷やすなら、僕に任せて」

 

 

 そこで割り込んできたのがユージオだった。キリトは少し驚いて向き直る。

 

 

「ユージオ? 確かにお前は凍素系神聖術の扱いが上手いけどさ……」

 

 

 ユージオは首を横に振った。軽い笑みを浮かぶと思ったその顔には、険しい表情が浮かんでいた。

 

 

「そうじゃないよ。青薔薇の剣と、僕に埋め込まれた《モノ》の力を使うんだ」

 

 

 キリトは首を傾げた。横でアリスが同じように首を傾げているのが見え、彼女が先に問いかけた。

 

 

「あなたに埋め込まれた《モノ》?」

 

「うん。アドミニストレータは僕を整合騎士にする時、特別な力をあげるって言って、僕の身体に何かを埋め込んだんだ。それは、凍素系神聖術を超える威力の冷気を操る力を与えてくれる《モノ》だった。これを使えば、ソードゴーレムを極端に冷やす事ができるよ」

 

 

 この部屋の真下で整合騎士となったユージオと冬追と戦った時、確かに彼はすさまじい冷気を操って、アリスと激闘を繰り広げていたのが見えていた。

 

 氷で盾や長剣、ナイフを作ったりして臨機応変に戦い方を変えるのに始まり、挙句の果てにはアリスの飛び交う刃を凍らせる事で墜落させるなんていう芸当まで披露して見せた。

 

 あれだけの力があれば、ソードゴーレムを極端に冷却する事もできるだろう。必要なものは揃った。

 

 だが、ある疑問が咄嗟(とっさ)に湧いてきて、キリトはそれをユージオに(たず)ねた。

 

 

「けれど、大丈夫なのか。確かにあの時のお前はすごい力を出していたけれど、明らかに分不相応っていうか、それこそ俺の《EGO》みたいな、何らかの反動がありそうな感じだったぞ。もしかして天命を消費して使うようなもだったりするんじゃ?」

 

 

 ユージオは黙った。やはり、あの力はユージオ自身の天命を削ったうえで行使されるものであったらしい。アリスが驚いて「そんな!」と言ったが、しかし彼は表情を変えずに口を再度開いた。

 

 

「そうだよ。だけど、今力を使わなければ、ソードゴーレムを倒す事も、アドミニストレータを倒す事もできない。僕はアドミニストレータの誘惑に負けて、君達に剣を向けてしまった。大切な人であるアリスを殺す寸前までいってしまった。その償いをしないままでいるなんて、僕にはできないよ。だから、やらせてくれ、キリト」

 

 

 ユージオの眼差しは本気だった。止められても止まる気のない者の光が、その目で瞬いている。最早彼を止める方法など存在しないし、あったとしてもそれを採用する気にはキリトにはなかった。

 

 (うなづ)き、ユージオに返答する。

 

 

「わかった。ただし、天命を使い切って死ぬのは無しだぞ。ここで死ぬような事があれば、お前は未練のあまりこの世界を壊すために暴れる悪霊か何かになりそうだ」

 

 

 全く(もっ)て場違いな冗談を交えて言ったところ――ユージオは笑わなかった。

 

 

「僕は死ぬつもりはないよ。君とシノンと同じで、やりたい事がいっぱいあるからさ!」

 

「よし、その意気や良しだ。さぁ、早速取り掛かるとするぞ!」

 

 

 ユージオが右に並んだのを確認してから、キリトは胸に手を当てて、意識を集中させた。さぁ、出番が来たぞ――そう心中で唱えたところ、胸が一気に熱くなり、柄が飛び出してきた。力を込めてそれを掴み、勢いよく引き抜くと、キリトの《EGO》である白き剣が姿を現した。

 

 白以外の色を飛ばしてしまうほどの高熱を宿す剣。その登場により、周囲の気温が上がり、ルコが「あちちち」と(こぼ)したのが聞こえた。色が飛ぶほどの高熱が発せられるものだから、皆が一旦キリトから距離を置く。

 

 直後、ルコが呼びかけてきた。

 

 

「ルコが温度見て、キリトに教えるね」

 

 

 そう言ってルコは神聖術を軽く詠唱し、一枚のウインドウをその眼前に出現させた。《ステイシアの窓》に似ているそのウインドウに、ソードゴーレムのステータスがモニタリングされているのだろう。そこには温度もあるはずだ。いや、温度もわかるからこそルコは呼び出したに違いない。

 

 あんな小さな子供に観測対象にされた事も知らないで、敵を殲滅(せんめつ)する以外考える事のできないソードゴーレムは、またまた耳障りな金属音を身体中から巻き散らしながらキリトへと駆けた。

 

 右手を振り上げて、叩き切らんとしてくる。そうして振り下ろされてきた巨大な剣を、キリトは自身の利己(エゴ)の化身たる白き剣で受け止めた。

 

 

「ふぅッ……!」

 

 

 途轍(とてつ)もなく重いために、受け止めたが最後潰されてしまう事が確定しているはずの巨大剣の重さは、大幅に軽減されているように感じられた。これも《EGO》の力なのだろうか――そう思いながら、キリトはぐんと両足に力を込めて踏ん張った。

 

 どしぃんという音と共に床が割れ、キリトを中心としたクレーターが生まれる。だがキリトはそこに潰されるような事はなかった。ユージオくらいの剣士が放つ剣撃ほどにしか感じられない剣をじっと受け止めていた。

 

 ソードゴーレムはキリトを潰すべく、体重を乗せてくるが、キリトは後方に押されるだけだ。黒き剣ではできなかった事が白き剣ではできているという事に、キリトは内心驚きながらも、白き剣に意識を向け続けていた。

 

 そうしているうちに、ソードゴーレムの力が弱まってきた。白き剣が放つ熱がソードゴーレムの腕に流れ込んでいるのだ。あまりに極端な熱が入ってきた事で、機能に不全が出てきているのだろう。クィネラがあの時教えてくれた弱点は本当の話だったようだ。

 

 

「ソードゴーレムの右手、五百度! でも、身体の方、上がってない!」

 

 

 ルコの報告を耳に入れ、キリトは白き剣から力を抜きつつサイドステップし、ソードゴーレムの巨剣から逃れた。更に後方へステップを繰り返してソードゴーレムの全身を見れる位置まで離れ、改めてその姿を目に入れる。

 

 ソードゴーレムが全て剣でできているのは変わりないが、よく見れば両手が浮遊剣となっている。だが人間の背骨に該当する巨大剣に、骨盤と肋骨に該当する刃物が密着しており、四本の足も背骨剣を根幹にして生えるような形になっていて、ほぼくっ付いている。

 

 各パーツが浮遊しながらも、ほとんど密着しているのだ。ソードゴーレムが動くたびに金属音が鳴っていたのは、それが原因だ。全てはあの背骨の剣から始まっている。

 

 つまり、背骨の剣こそがソードゴーレムの核。あそこの温度が上がれば、繋がっている部位の全ての温度が上がってしまうようになっているはず。

 

 狙うべきところはあそこだ。

 

 

「そこだな、ゴーレム!」

 

 

 キリトは右手に握る白き剣に意識と力を込めた。全身の血流と同調させ、白き剣を本当に自分の身体の一部のように思う。すると白き剣が猛烈な熱を放出し始め、ごうごうと燃え盛る。やがてそれは白き剣を中心にして渦を巻き始めた。

 

 その感覚は記憶にあった。そうだ、これは黒き剣でも使えたもの。

 

 それを発動させるための呪文を、キリトは唱えた。白き剣でも使えるのかどうかなど、気にしている余裕はなかった。

 

 

「エンハンス・アーマメント!!」

 

 

 そう叫んで思いきり白き剣を突き出した。白き剣は辺りを真っ白に染め上げる光を放ったかと思うと、それを一気に刀身へ吸収し内部にて圧縮し――光線状の白き炎の嵐に変えてソードゴーレムへ放った。

 

 リランの放つ火炎ビーム光線に似ても似つかない筒状の白き炎の嵐はソードゴーレムの核である背骨の剣に直撃した。白き炎の奔流(ほんりゅう)に押し込まれそうになったソードゴーレムは、先程のキリトのようにその場で踏みとどまろうとし、脚の関節に該当する部位を骨盤に、両腕に該当する剣を肩に密着させた。

 

 それが(あだ)となった。白き炎を浴び続ける事により、背骨剣の温度が急上昇。黄金の刀身が真っ赤に染まっていく。その熱は密着する全ての部位へ伝わり、両腕も、四本の足も、肋骨も骨盤も赤に染め上げられ、猛烈な熱気を放つ。

 

 そして間もなく赤は(だいだい)へ変色し、更なる熱気を生み出すようになる。その姿はただの金属を鋭利な剣に作り直す鍛造(たんぞう)にて見られる、熱せられた金属のそれだった。

 

 今、途轍もなく巨大なハンマーで叩かれるような事があれば、全部の部位が分厚くも平たい板になる事だろう。だが、ここにそんなものはないし、そうするために熱しているわけでもない。

 

 

「ソードゴーレム、全部の温度、八四十度!」

 

 

 またしてもルコの報告が耳に飛んできた。クィネラが自白した時には八百度くらいあれば良いという話だったが、それを四十度も超えてしまったらしい。だが、そんな事はもうどうでもよい。自分がするべきだったのは加熱する事だ。

 

 キリトはぐんと白き剣を降ろし、白き炎熱の嵐を止めた。解放されたソードゴーレムがどしんと床を踏みしめるが、動きが(にぶ)いどころではない。橙色に変色して水蒸気を放つ身体をどう動かしたらいいのか、わからなくなっているかのようだ。

 

 いや、ソードゴーレムの性質上、戦闘行為の継続をしようとしているのだろうが、可動部が適切でないどころではない温度にされてしまったせいで、上手く動けないのだろう。

 

 ソードゴーレムの麻痺を確認したキリトは、この作戦における相棒に呼びかける。

 

 

「ユージオ――ッ!!」

 

 

 腹の底からの声で咆吼すると、受け取ったユージオが両手で青薔薇の剣を構えた。刃先を下に向け、突き刺す寸前の姿勢を作る。

 

 

「はあああああああッ!!」

 

 

 そこから一秒も立たないうちに、ユージオは青薔薇の剣の刃先を床に深々と突き立てた。直後、ユージオはかっと目と口を開き、キリト同様に咆吼した。

 

 

「フロストコア、リリース・リコレクションッ!!」

 

 

 聞いた事のない単語を含むその声の直後、ユージオの胸部が水色の光を放った。何かがユージオの胸の中で光を発しているかのようだ。それを中心にして、猛烈な冷気が放出された。

 

 床も空気も、何もかもを白く包み込んでしまう絶対零度は高速で床を這い、道中にある破片や塵の全てを凍らせながらソードゴーレムへと到達。その脚を氷漬けにした後に、その全身を駆け上がって真っ白に染め上げた。

 

 ぶしゃああああという音と共に激しい水蒸気が上がるが、冷気がすぐさまそれさえも凍らせ、ソードゴーレムの周囲の空間自体が白く染め上げられた。その中で、橙色になっていたソードゴーレムの身体が真っ白になったのが見えた。急冷が始まったのだ。

 

 すぐさまルコの声がする。

 

 

「ソードゴーレム、冷たくなった! 今、氷点下百度!」

 

 

 クィネラの教えてくれた温度は氷点下百五十度だった。まだ五十度足りない。キリトはすぐさまユージオに呼びかける。

 

 

「ユージオ、もっとだ! もっと勢いよく冷やせ!!」

 

 

 ユージオは咆吼で答えてきた。剣に全身の力を込め、冷気の勢いを増加させる。

 

 

「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」

 

 

 それは魂の叫びだった。ソードゴーレムに流れる冷気が吹雪へ変わり、絶対零度の世界が哀れな剣人形を包み込んでいく。ユージオは勢いを止めようとせず、全身から声を絞り出して絶叫する。

 

 

「うおおおおおあああああああああああああああああああああッ!!!」

 

 

 やがてユージオからぶちぶちという音が聞こえてくるようになった。直後、ユージオの目から、鼻から、口から血が流れ出す。それはユージオ自身の天命が削れていっているが故だった。

 

 彼の言っていた通り、この冷気はユージオの天命を使ったうえで放たれているのだ。しかし、それで止まってしまう彼ではなかった。自身の天命全てを支払うつもりかのように、ソードゴーレムに冷気を送り込み続けた。

 

 

「ソードゴーレムの温度、氷点下百九十六度!!」

 

 

 ルコの報告で、目標の達成をキリトは確認した。氷点下百五十度を下回って、氷点下百九十六度まで行かせてしまった。その温度は、現実世界で言う液体窒素の温度である。ソードゴーレムはただの冷気ではなく、液体窒素に突っ込まれたような状態になっていた。

 

 金属から剣を作る時、まず金属を炎の燃える炉に入れて橙色になるまで熱し、ハンマーで叩いて剣の形にする。十分に剣の形になったら、その時には温度が下がって黒色になっているので、再度炉に突っ込んで橙色に戻し、水や油に入れて一気に冷やす。

 

 この《焼入れ》という工程を経た金属は硬くなるが、丈夫さを失い、脆くなる。そのままではいけないので、再度加熱して叩き、水に入れて冷やす《焼戻し》をして、靭性を持たせる。こうする事で、鋭くも丈夫な剣が生まれる。

 

 だが、その焼入れの際に水ではなく、液体窒素に入れられるような事になればどうなるか。あまりの急激な温度変化に金属は付いて行けず、一気に硬くなりはするが、靭性の全てを失い、ちょっとの衝撃にさえ耐える事ができないくらいにまで脆くなる。

 

 その柔軟性のない硬さが裏目に出るのだ。並みの金属ならばそうなってしまう状態にされたソードゴーレムは、黄金の刀身の全てを白に染められたまま動かなくなっていた。霜と氷に包み込まれたその姿は、精巧に作られた雪像のようだ。

 

 

「どう……だ……」

 

 

 ソードゴーレムを(そび)え立つ雪像にさせた張本人であるユージオから、か細い声がしたかと思うと、どさっと倒れるような音がした。振り向けば、目と鼻、耳と口から血を流したユージオが床に大の字になって倒れていた。

 

 

「ユージオ!!」

 

 

 呼びかけながら駆け寄ったのは、キリトよりもアリスが先だった。彼女は倒れたユージオを抱き上げて揺する。今にも泣き出しそうな表情を顔に浮かべて、何度もユージオの名前を呼ぶ。

 

 

「ユージオ、ユージオ!!」

 

 

 しかし彼はぐったりとしていて動く気配がなかった。

 

 まさか、ここで死んでしまうのか。本当に命を支払って、ソードゴーレムを凍らせてしまったというのか。目が見開かれ、背筋が凍結しそうになりながら駆け付けようとしたその時、今度はルコが駆け付けた。

 

 アリスのすぐ(そば)に膝を付き、先程唱えたものよりも強い治療の神聖術を唱え、ユージオの身体を暖かい光で包み込んでいく。

 

 数秒経過したそこで、ルコは柔らかい笑みを浮かべた。

 

 

「大丈夫。神聖術が効く。ユージオ、死ぬ前で、踏みとどまった。このまま、治せる」

 

 

 アリスは呆気に駆られたような顔になった。すぐさま、肩の力が抜けたようになり、ユージオを見下ろす姿勢になる。

 

 間を置かず、その表情は深い安堵(あんど)のものとなり、その瞳から涙がぽろぽろと流れ――ユージオの頬に落ちていった。それが要因となったのか、血の気が抜けて青白くなっていたユージオの顔に、生気が戻っていく。

 

 

「……よくやったわ……ユージオ……」

 

 

 アリスの(つぶや)きが、キリトの悪寒を消し去った。ユージオは助かった。だが、安心はできなかった。もう聞き慣れてしまった金属音が、僅かに耳に届いてきたからだ。その発生源にキリトは振り返る。

 

 雪像のようになっていたソードゴーレムが、小刻みに震えていた。ぎしぎしと音を立てて、今にも動き出しそうになっている。

 

 

「ソードゴーレム……!」

 

「まさか……まだ生きてるっていうの!?」

 

 

 キリトとシノンの悲鳴のような声が重なったその時、ソードゴーレムは完全に再起動した。霜に包み込まれて白くなった脚を動かし、床をどしぃんと踏み付け、こちらに迫ってこようとした――。

 

 ――その時だった。ばきぃんという、金属が折れるような音が部屋の中に響き渡った。

 

 思わず「えっ」と言って発生源を確認したところ、そこはソードゴーレムの右前脚だった。ソードゴーレムの直立を可能にしていたその部位は、真ん中から折れてしまっていた。

 

 続けて同じ音が聞こえたかと思うと、後ろ脚が全部同じように折れ、残っていた左前脚も砕けた。全ての支えを失ったソードゴーレムの上半身は、その場に垂直に落ちる。今度こそどしんという轟音が鳴り、衝撃が床を伝わった。

 

 だが、そこからソードゴーレムは金属音を立てる事しかできなくなった。脚が無くなっているために、当然前へと歩き出す事ができない。

 

 しかしソードゴーレムは、その事を認識できていないかのように動こうとしていた。脚が無くなっている事に気が付かず、目の前にいる敵を殲滅するという本能のまま、もう動けないのに動こうとし続け、やがてバランスを崩して前のめりになった。

 

 そのままぐらりとソードゴーレムは地面へ倒れ込んでいき、床に衝突。がしゃあああああんという金属と爆発が混ざったような音を大音量で(とどろ)かせたかと思うと、その身体は一瞬にして、大小様々な形状の金属片となって砕け散った。

 

 特に、核であった背骨剣は真っ二つに割れた後にばらばらになって、そこから生えていた腕も肩も、骨盤も肋骨も、何もかもが連鎖するように砕け、ただの金属の欠片になっていった。

 

 ソードゴーレムの最期の光景に呆然としていたその時、キリトの近くに何かが飛んできて落ちた。遠目で見たところ、それは金属ではなく、紫色の結晶。ソードゴーレムを動かしていた《敬神(パイエティ)モジュール》だった。

 

 ソードゴーレムの心臓であったその結晶は、まだ光を放っている。ソードゴーレムは砕け散ったというのに、まだ動かそうとするのをやめないでいるのだ。敵を殲滅したい、殺したいというクィネラの悪意を根源とする、どす黒い妄念が垣間見えたような気がして、キリトはまた悪寒を背筋に走らせていた。

 

 だが、それも長くは続かなかった。ユージオがソードゴーレムを凍結させるために力を振るい始めた時から、彼の事を傍で見ていた白き獅子竜が歩き出した。冬追(フユオイ)という名を持つそれは力強い獅子の様相で歩き、床に転がる敬神モジュールへ向かった。

 

 やがて紫に光る結晶が足元に来る位置まで行ったところで、冬追は立ち止まった。そのまま敬神モジュールを見下ろしていたが、一瞬鼻許(はなもと)(しわ)を寄せて牙を剥いたかと思うと、その前脚で敬神モジュールを思いきり踏み付けた。

 

 ぱきっという何とも気が抜けるような音がしたかと思うと、冬追は後ろに下がった。それまで前足があったところには、潰れて粉々になった紫の結晶が散らばっていた。まるでソードゴーレムの今の有様の縮図のようであり、光を発する事は既になくなっていた。

 

 天井を見上げてみたところ、ソードゴーレムを動かしていたという記憶の欠片達も、光を放つのを止めて沈黙していた。

 

 その時を以て、ソードゴーレムの完全停止が確認された。

 

 クィネラが最高傑作と自画自賛していた金属の化け物は、様子がおかしくなったクィネラ自身が弱点を教えた事によって呆気なく崩壊してしまった。

 

 

「まさか、ソードゴーレムが……こんな事で……」

 

 

 クィネラは床に散らばる金属片を唖然とした顔で見ていた。ソードゴーレムの敗北が、こんなに呆気なく訪れた事が信じられないのだろう。完全にこちらを見失い、注意があらぬ方向に向いてしまっている。

 

 その機会を、彼女の天敵であるカーディナルが逃さなかった。何らかの神聖術で出現させたであろう光の珠が、構えられている杖の先端に浮遊している。それは恐らく、クィネラを解析するためのものだろう。

 

 

「今じゃあッ!!」

 

 

 カーディナルが掛け声と共にぶんっと杖を振るうと、光の珠が見えない指や手で弾かれたように飛んだ。それは真っ直ぐに飛翔して、金属片の群れを飛び越え、それを呆然自失で見続けるクィネラへ向かっていく。

 

 

「!!」

 

 

 クィネラが気が付いて向き直った時には、光の珠がクィネラの身体に吸い込まれていた。恐らくだが、一瞬のうちにクィネラのあらゆる情報が調べられていっている事だろう。

 

 そこから一秒も経たないうちに、カーディナルがはっとしたような反応をした。表情が険しいものに変わる。

 

 

「なるほど、やはりそういう事じゃったか……これが貴様の真実か!」

 

 

 何か重大な事に気が付いたのは間違いなかった。その事をキリトが聞き出すよりも前に、クィネラが声を張り上げた。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!」

 

 

 彼女は出鱈目に腕と髪を振り乱していた。纏わりつく蟲を払おうとしているようにも見えるが、いずれにしても、最早(もはや)上位者の余裕などどこにもなかった。

 

 そんな見苦しい動きを続けたある時、クィネラは絡み付く糸を振り払えたような手応えを含む仕草をした後に、その動きを止めた。顔が上げられてくる。

 

 表情は――弱弱しくも優しい雰囲気の、垂れ目だった。

 

 

「やりまし……たね……リランねえさま……キリトにい……さま……シノンねえ……さま……」

 

 

 春の陽光のように暖かい声色で、クィネラは確かに言った。だが、直後にそれは奪い去られ、その目が吊り目に戻ると同時に見開かれ、強い憤怒と焦燥の顔になった。

 

 

「このぉ……出てくるなぁッ!! これは私の身体だッ! 器ごときが持ち主に逆らうなぁッ!!」

 

 

 クィネラは喉を押さえつけて狂乱していた。絶対に見られたくないもの、出てきてほしくなかったものを見られてしまったかのようだ。

 

 あの余裕さを崩さず、冷徹極まりない女王が取り乱している姿に、誰もが目を奪われている。

 

 

「これはお前の身体ではない……私のものなんだ! 私の美しい身体だッ!!」

 

 

 クィネラは大声で叫び散らしていた。これまでの彼女からは考えられないように喉を激しく押さえつけ、頭を掻きむしらんとしている。しかし、その叫びが誰に向けて放っているものなのか全くわからない。

 

 この場に居もしない亡霊を怒鳴りつけているかのようだ。あるいは何かしらの幻覚に囚われているかのようにも見える。

 

 

「どうなってる……!?」

 

 

 キリトが思わず零した直後、カーディナルが言葉を発した。

 

 

「……これで全てに合点がいった」

 

 

 クィネラがきっとカーディナルを睨みつける。やはり先程のような余裕さも冷徹さもなくしている。冷たい皮膜の内側に隠れていた本性が(あらわ)になっていた。

 

 

「貴様がこれまでやってきた《シンセサイズの秘儀》……人間の記憶を抜き出して、他の人間の人格を植え付け、中身を全くの別人に変えてしまう外道の術。そんなものがどうして使えるのか、わしはずっと不思議じゃった」

 

 

 カーディナルは杖の先端をクィネラに向けた。クィネラは喉を鳴らして少し後ずさる。

 

 

「その理由は簡単じゃった。お前がそもそも《シンセサイズの秘儀》の原点に当たる術で誕生した存在であり、お前自身が《クィネラという女》の身体に無理矢理入り込んでいる全く別の人格……言うなれば、《アドミニストレータという名の悪霊》だったというわけじゃ」

 

 






――原作との相違点――

・ソードゴーレムが過熱と冷凍で自滅する。

・ユージオとカーディナルの生存。(これはアリシゼーションリコリスでも同じ)

・アドミニストレータがニ重人格。


――補足説明――

Q.八百度に熱した金属をマイナス百九十六度に冷やせば、割れやすくなる?

A.割れやすくなる。本来熱した金属を冷やす時には水(三十度~二十度程度)を使わないといけない。あまりに冷たすぎるものに入れると、ひび割れやそれ自体の割れに繋がる。マイナス百度に急に冷やされれば、もっとひどい事になる。

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