キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:変わり果てた三番目

 

          □□□

 

 

「キリト、大丈夫……?」

 

「無理もない。知らなかったとはいえ、《EGO(イージーオー)》の力を使ったのじゃ。今は休んだ方がいいぞ」

 

 

 二人の少女に声を掛けられつつ、キリトはベッドに横になっていた。身体が鉛になってしまったかのように重い。まるで風邪や感染症に(かか)った時のようだが、その時と違って熱はない。なので頭がぼーっとしているような事はないのだが、身体の重さと(だる)さは強かった。

 

 

 整合騎士アリス・シンセシス・サーティなる者に連行されたキリト達は、当然の如く地下牢獄の牢屋にぶち込まれた。そこで処刑人や審問官の到着を待つ事になっていたのだが、そのような出来事に出くわす事などなかった。何故なら、獄吏(ごくり)も整合騎士も、最後までリランの存在に気付かなかったのだから。

 

 シノンのスカートの中という一番のプライベート空間に身を隠していたリランは、キリト達が牢屋に入れられ、獄吏(ごくり)が姿を消した直後に飛び出した。そして――かなりの危険が(ともな)ったものの――自慢の火炎ブレスでキリト達を壁に繋ぐ鎖を燃やした。

 

 二年間暮らす中で見てきたが、リランはこの世界における謎の生物になったとしても、火炎を吐く能力を持ったままだった。いざとなった時はその炎を持って助けてやると言ってくれていたが、その時が到来したのだった。

 

 いかなる神聖術でも、金属質の道具でも歯が立ちそうにない鎖は真っ赤になるまで熱せられた事により、温度が融点へ到達。キリトはそこでリランの火炎の温度の恐ろしさを知ると同時に、更なる恐ろしさに出くわす事になった。なんとリランは真っ赤に熱せられた事で柔らかくなった鎖に噛み付き、そのまま噛み千切って見せたのだ。

 

 何でできているかは定かではないが、鉄を含んでいるため、融点は一五三六度以上になっているはず。そして今まさにそれくらいの温度になっているはずの鎖に噛み付けば、口の中を火傷するでは済まされないはずだ。なのにリランは一五三六度以上の温度の鎖に平然と噛み付き、噛み千切ってしまった。そして、無傷だった。

 

 その光景にはキリト、シノン、ユージオの三人で目を点にしてしまった。「どうなってるんだ、お前の身体」と尋ねてみると、リランは「火炎を吐けるのだから、如何なる温度も平気で当然であろう?」と一言。

 

 続けてシノンとユージオとルコの三人に動いてもらい、鎖が丁度絡まった部分を作ってもらうと、同様に火炎ブレスを照射。三本の鎖の交わる一箇所をいっぺんに真っ赤にし、融点に到達させると、やはり喰らい付いて噛み千切った。そうなっても尚、リランの口の中には火傷などなく、牙も折れていなかった。焦げてしまいそうな毛皮も白金色を保ったままだ。

 

 増々この世界におけるリランの存在の謎さに磨きがかかってしまったが、気にしている余裕などなかった。手足が自由になったならば、脱獄できる。

 

 キリトはふと《ステイシアの窓》を開いて、鎖の強度を確かめてみた。この鎖は囚人を捕まえておくためのものであるため、神聖術などで強化されているか、さまざまな特殊金属を混ぜ合わせる事で強度を確保した合金であろう。その予想通り、《クラス三十八オブジェクト》と書かれていた。

 

 確か、ギガスシダーから作った剣が《クラス四十六》、青薔薇の剣が《クラス四十五》とあった。それくらいの《クラス》を持つモノを《神器》というのだが、この鎖も割とそこに近しい存在であったらしい。道理でぶつけたりしても切れる気配がなかったわけだ。

 

 だが、そんなものでも温度に弱いとは。神聖術で強化されても、合金だとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。現実世界における金属の摂理(せつり)には、この世界の金属も逆らえないようだ。

 

 そんな事を頭の片隅に入れてから、キリトは今度は牢屋の鉄格子を《ステイシアの窓》で確認してみた。《クラス二〇オブジェクト》。自分達の右腕の(かせ)から伸びる鎖よりも遥かに(もろ)い。この鎖をぶつける事ができれば、簡単に壊せてしまうだろう。キリトは三人に指示し、鞭のようにして鎖を鉄格子にぶつけるんだと指示。

 

 四人で息を合わせ、ぶんっと鎖を振るって先端を鉄格子に衝突させた。すると、大きな音を立てて鉄格子は上下の枠から外れてぶっ飛んでいき、向こうの牢獄の格子にぶつかって落ちた。これにより獄吏が起きて襲って来るかと思ったので、臨戦態勢を取ったが、果たしてそれが現れてくる気配は全くなかった。

 

 どういう事かと思っていると、ルコが「いびき掻いて寝てる人いる」と言ってきた。どうやら獄吏は深すぎる眠りに入っているようで、この程度の騒音では起きないらしい。恐らくこの無人牢獄を見回りする《天職》をこなしているうちに、ちょっとやさっとの音くらいでは目を覚まさないようになってしまったのだろう。

 

 そんなふうになってしまった彼の事をどこか悲しく思いながら、キリトは四人を連れて脱獄。螺旋階段を駆け上がると、植物園のようなところに出た。目の前にはセントラル・カセドラルという名を付けられた白亜の巨塔が見える。どうやらここがカセドラル前の広場という事らしい。

 

 その証拠に、大地の女神とされるテラリア神を(かたど)ったブロンズ像が立つ噴水が設置されていた。だが、そこにいたのはテラリア神の像だけではなかった。最悪な事に、整合騎士が待ち構えていたのだ。

 

 長身で、深い紫色のマントを伴う鎧を身に纏った、波打つペール・パープルの髪をした、顔立ちがまさしく美貌(びぼう)の男性。そして余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)という言葉がそのまま当てはまるような態度の持ち主。

 

 彼は自らを《エルドリエ・シンセシス・サーティワン》と名乗った。更に「私は《アリス・シンセシス・サーティ》の弟子である」と言い、ここで待ち構えていたのもアリスがキリト達の脱獄を予想していたからだとも言った。

 

 あのアリスにも弟子がいるとは。そして自分達の脱獄もお見通しだったとは。ユージオの幼馴染であるというアリスにここまで見透かされている事にはある種の恐怖を覚えたが、キリトはすぐに振り払った。怯えている場合などではない。こうなってしまっては、エルドリエを退けて道を切り開くしかないのだ。

 

 そのための武器はある。エルドリエが神器と思わしき蛇を模した鞭を抜いた直後に、キリトはある事を念じながら胸に手を当てた。怪物となったライオスと戦っていた最中、どういうロジックが働いたのか不明だが、自身の胸から剣を召喚する事ができた。

 

 今は戦いを避けて通れない時だ。頼む、あってくれ――キリトのその願いは通じた。胸の中に燃えるような熱さが湧いたかと思うと、剣の柄が飛び出てきたのだ。それを勢いよく引き抜くと、あの時の純白の炎剣が姿を現した。まさかこんな形で剣が出てくるとは思っていなかったのだったのだろう、エルドリエは大いに驚いていたが、流石は整合騎士、すぐに戦闘態勢になって攻撃を仕掛けてきた。

 

 本当に蛇のようにしなり、うねって飛んでくる鞭を、キリトは純白の炎剣で迎撃。隙を見つけてはエルドリエに斬りかかったが、彼は鞭を即座に束ねて盾を作り、キリトの剣を防いだ。だが炎剣の力はキリトとエルドリエの予想を上回るものであったようで、防いだエルドリエを容易によろけさせた。隙有り。キリトは一閃を叩き込もうとしたが、ユージオがそれを止めた。

 

 そして、「その人はエルドリエ・ウールスブルーグ。四帝国統一大会の優勝者だった人だ」と言った。学院の掲示板に書かれていた、今年の四帝国統一大会の優勝者その人であると。それを聞いた途端、エルドリエの挙動がおかしくなった。何かを思い出しかけているような言葉を口にし、完全に動きを止めたのだ。

 

 そのまま行けば、自分が何者であったかを思い出すかもしれない。「思い出すんだ、全部思い出せ」とキリトは発破をかけるように言ったが、そこで邪魔が入った。もう一人の整合騎士が飛竜に乗って現れ、弓矢で攻撃してきたのだ。しかもその矢は炎の力を宿していたらしく、着弾時には爆発するものと来ていた。

 

 空中から爆撃を仕掛けてくる整合騎士を相手にするのは流石に困難だ。どうするべきかと思った時、キリト達を呼ぶ声があった。いつの間にか、庭園の一角に扉が出現し、そこから「こっちじゃ!」とこちらを呼ぶ声が響いていた。他に逃げ道はない。キリト達は一目散にその扉に向かって走ったのだった。

 

 逃げ込んだ扉の先にあったのは、大図書館だった。いや、超大図書館と言えた。床から天井まで四十メートル以上はありそうな円筒形の空間で、壁面には階段と通路が幾重にも設けられており、その両側に巨大な書架がいくつも並んでいる。書架の中にはびっしりと本が並んでおり、どれくらいあるのか把握する事さえもできない。無数の本と本棚で構成された世界。それが現在地だった。

 

 そして、そんな空間にキリト達を呼び込んだ存在は、すぐ目の前にいた。ベルベットのような光沢のある黒いローブと、同素材の帽子を身に纏い、栗色の巻き毛と、髪と同じ色の瞳をした小柄な少女。

 

 一見すると人形のように可愛らしいが、瞳に宿る光からはとてつもない叡智(えいち)や知識を感じさせる、只者ではないとわかる少女が、キリト達を大図書館に呼んだのだと自ら言った。

 

 その説明を聞き、少女の名前がカーディナルだというのを聞き、こちら全員の自己紹介をし、右手に嵌っている枷を外してもらった直後だった。急にキリトは身体に重さとふらつきを感じた。それも尋常ではないくらいで、立っているのも困難なくらいだった。

 

 その事を言うと、カーディナルは普段はあまり使う事のないベッドへとキリトを案内した。シノンとユージオの方を借りながらキリトは移動し、そこへ寝た。

 

 

 ベッドへ横になっていると、少し気持ちと身体が楽になった。だが、そのまま寝られるはずがなかった。カーディナルが何者であるか、ここが何なのか、確かめずにはいられなかったからだ。かなり失礼な事になってはいるが、キリトはベッドに横になったまま、カーディナルに尋ねた。

 

 

「……ええっと……君は確か、カーディナルって言ったな」

 

「そうじゃ。わしはカーディナルじゃ。かつては世界の調律者であり、今はこの大図書館のただ一人の司書じゃ」

 

 

 カーディナル。その名前に引っ掛かりを覚えないわけがなかった。カーディナルと言えば、かつては《SAO》のマザーシステムとして搭載されていたものであり、今は《ザ・シード》規格のゲームに標準搭載されているシステムと同じ名前だ。その名を冠していると聞くと、必然的に《カーディナル・システム》が少女の姿を取って具現化してきた存在ではないかと思えて仕方がなかった。

 

 

「この大図書館は、一体?」

 

 

 ユージオが尋ねると、カーディナルは若干の笑みを浮かべて答えた。

 

 

「ここにはこの世界が創造された時より、あらゆる歴史の記録と天地万物の構造式、お主達が神聖術と呼ぶシステム・コマンドの全てが収められておるぞ」

 

「あらゆる歴史? って事は、四帝国の建国以来の年代史とかが、全部ここにあるんですか?」

 

「そうじゃ。読みたければ、書架にある本を読んでもよいぞ。どれでも幾らでもな」

 

 

 そう言われるなり、ユージオは目を輝かせた。ここにこの世界の全ての歴史が詰められているのだから、そうなって当然だろう。だが、彼はすぐにはっとしたような表情になり、更にすまなそうな顔になってキリトを見つめてきた。キリトをここに置いて自分だけ本を読みに行くわけにはいかないと思ったのだろう。

 

 

「行ってこい、ユージオ。俺なら大丈夫だ」

 

「でも……」

 

「ここになら、もしかしたらアリスをあんなふうにした術の正体が書かれた本があるかもしれない。それがあれば、きっとアリスをお前の知るアリスに戻す方法もわかるはずだ」

 

 

 キリトに続いてシノンが伝える。

 

 

「キリトは私とリランが一緒にいるから、大丈夫よ。それに、ここにならルコの《お役目》について書かれてる本もあるかもしれない。頼んでばっかりで悪いけど、探してみてもらえないかしら」

 

 

 ユージオは「あっ」と言ってルコを見た。

 

 シノンの言う通りだ。これだけ広大な図書館ならば、ルコと同種族の存在の情報が書かれた本も、ルコの《お役目》に出てきている《はじまりの姫巫女(ひめみこ)》と《(まもり)(かんなぎ)》が何なのかわかる本もあるかもしれない。

 

 ユージオが求めているであろう、アリスがあんな事になってしまった原因を載せた本もあるはずだ。ルコは言葉こそたどたどしいものの、読み書きはほとんどできるし、本を読む事も苦手ではない。二人で探せば、見つけられるかもしれないのだ。

 

 

「……わかった。行って来るね、三人とも」

 

「頼んだぜ、ユージオ」

 

「うん。ルコ、行くよ」

 

 

 ユージオはそう言ってルコを連れ、図書館の奥へと向かっていった。これでこの場にいるのは自分達――現実世界についての知識を持つ者達だけとなった。そして今ならば、リランを元の姿に戻しても良さそうだ。

 

 

「リラン、()()()んだったな」

 

 

 自分の方に乗れるほどの小さな狼竜に姿を変えている《使い魔》は頷いた。

 

 

《あぁ。久しぶりだが、戻らせてもらおう》

 

 

 少女の《声》でそう告げた直後、《使い魔》リランの身体は白金色の光に包み込まれた。それがほんの少しの規模の爆発のように広がった次の瞬間、それまでリランのいた空間には小さな狼竜ではなく、一人の少女が姿を見せていた。

 

 狼竜形態の際に頭部に生える(たてがみ)と同じ金色の長髪、その身を包む毛並みと同じ白金色のローブを伴う衣服、血色の良い肌をした、シノンと同じくらいの身長の少女。閉じられていた(まぶた)が開かれると、紅玉のような瞳がこちらを見つめるようになった。

 

 リランの本来の姿であり、《メンタル(M)ヘルス(H)ヒーリング(H)プログラム(P) 試作一号 コードネーム:マーテル》が正式名称の少女。その突然の出現に、カーディナルと名乗った少女は全く驚いていなかった。

 

 

「ほほぅ。そやつの本来の姿はそうであったのか。面白い事もあるものじゃ。流石は無登録民の連れなだけある」

 

 

 カーディナルはどことなく面白がっていた。これくらいの現象を面白いと思えるという事は、純粋にこの世界で生まれた存在ではないのだろう。つまりは自分達と同類であるという事。ならば、こう言っても通じるはずだ。

 

 

「もし普通のアンダーワールド人が見たなら、「神様の使いなのか!?」とでも言うはずだぞ」

 

「あぁ、そうじゃろうな。公理教会の最高司祭が口述して筆記官に書き取らせた創作物を信じているのが、アンダーワールドの民じゃ。今の現象を見れば、まさしくお主の言ったような言動を取るじゃろうな」

 

 

 シノンはキリトとカーディナルを交互に見て、呟くように言った。

 

 

「創作物? じゃあ、この世界に神様っていうのは存在しないの? ステイシア、ソルス、テラリア、ベクタっていう神々は……」

 

 

 カーディナルはシノンへ顔を向けた。

 

 

「一体足りぬな。正確にはエインガナ、ステイシア、ソルス、テラリア、ベクタの順じゃ。まぁ、エインガナは完全に正体不明であるため、数えなくてもよいがの。それら神々の名は、緊急措置用の最高権限アカウントとして登録されているが、外の人間がそれでログインしてきた事はこれまで一度もない」

 

 

 そこまで聞いたところで、いよいよキリトの中に確信が生まれた。このカーディナルは、そしてアンダーワールドは――。

 

 

「……このアンダーワールドは人間の手で製作された世界だ。製作した者達の名前はラース。Rath。そうだろう」

 

「そのとおりじゃ」

 

「そして君はカーディナル・システムだ。あらゆる仮想世界を維持するための自律型プログラムであり、マザーシステム」

 

「それを知っているか。という事は、あちら側でわしの同類と接した事があるという事か?」

 

「その制作者と知り合いだ。だけど、その人からの話の中に、カーディナル・システムの中に擬人化インターフェースが組み込まれてるっていうのはなかったぞ。君は一体どういう存在だ。ここで何をしている?」

 

 

 カーディナルはぐるりとキリト達を見ていった。すぐさま意思を固めたような顔をして、口を開く。

 

 

「それでは、この世界についてお主らに話すとするかの。随分と長い話になるが」

 

 

 カーディナルは椅子に深く座り、話し始めた。

 

 この世界、アンダーワールドは、ある目的のために外部の者達によって作られた人工世界だ。

 

 原初――カーディナルがまだ意識を持たぬ管理者だった頃、現実世界から、この世界を作ったラースの研究員達四人の人間がこの地に降り立ち、人工フラクトライトの子供を育てた。

 

 四人は実に様々な事を人工フラクトライトの子供に教え、その際に後の禁忌目録の礎となった、善悪の倫理観も教えていった。

 

 しかし、この四人のうちの一人に問題があった。その者は確かに知性に秀でていたが、善意を持っていない、悪しき心の持ち主であったのだ。その者の悪しき心は子供達にも伝染していき、結果、子供に所有欲や支配欲と言った、利己的な欲望が伝えられてしまった。その子供こそが、今の人界を支配する貴族や皇族、公理教会の上級司祭達の祖先に当たる。

 

 その悪しき心の上級民達の中で最も邪悪な心の持ち主であり、この人界――この世界そのものを支配している存在が、最高司祭《アドミニストレータ》である。このアドミニストレータが禁忌目録を作成して民を支配し、現在のこの世界の支配者として君臨し、世界を永遠に停滞させている原因となっている。また、彼女はこの世界で唯一、外部との連絡手段を持つ者でもある。

 

 彼女が支配者として君臨する公理教会という絶対統治機関が作られたのは、今から数えて(およ)そ三百五十年前の事。原初の四人のログアウトから数十年後、住人達は、《悪しき心の持ち主であった一人》の子を祖先とする、悪しき心の領主数人によって支配されていた。

 

 そんなある時、反目していた領主家の間で政略結婚が行われ、その間に一人の女の赤子が生まれる事になった。

 

 

「天使のような可愛らしい容姿と、全フラクトライトの中でも、最大級の利己心を併せ持った赤子。名を《クィネラ》と言う」

 

「「「クィネラ!!?」」」

 

 

 そこまで聞いたところでキリトは二人と一緒に驚いた。中でもキリトは驚き過ぎて上半身を起こしてしまったが、すぐにふらつきが来てしまい、ベッドへ仰向けに倒れた。三人の反応を見たカーディナルは当然のように驚き、話を中断してしまっていた。

 

 

「お、おい、どうした。ここからが本題なのじゃぞ?」

 

 

 少し慌てるカーディナルを半ば無視し、シノンがリランに言う。

 

 

「リラン、クィネラって……!」

 

「……いや、まだだ。まだ慌てるような時ではない。カーディナル、続きを頼む」

 

 

 リランに言われ、カーディナルは少し訝しむような顔をしてから、続きを話した。

 

 後にアドミニストレータと名乗る事となるクィネラという少女は、《神聖術の修練》という天職を与えられ、神聖術(システム・コマンド)の解析を始めたが、その中で権限を上昇させる事ができる仕組みを発見した。それは動物でも人でも、殺せば殺した分だけ自分の権限が上昇し、支配者に近付けるというものだ。

 

 殺したら偉くなった。続ければ段々と、どんどんと、本当の意味で偉くなれる。殺せば殺すほど私は偉くなれる――味を占めたクィネラは自身の権限を上昇させるためだけに、無害な動物達を殺して廻った。

 

 結果としてクィネラの権限レベルは際限なく上昇し続けていき、同時にコマンドの解析も進行。いつしかクィネラは天命回復や天候予測といった、数々の術を操れるようにもなった。当時の民にとって、その術は奇跡にも等しいものだった。そんなクィネラを、「神の申し子である」と言ってセントリア民達が(あが)(たてまつ)るようになるまで時間はかからなかった。

 

 神の申し子として扱われるようになったクィネラは、祈る場所が必要だと告げ、村の中央に白大理石の塔を建てさせた。それこそがこのセントラル・カセドラルの原型であり、ここから公理教会三百五十年の歴史が始まる事となる。

 

 神の子となったクィネラの支配は徐々に完全なものとなっていき、同時に人口と居住地域も拡大していく事になったが、そうなってきた時クィネラは、己の目が届かない部分が出てきて、不安になった。

 

 辺境の地かそこらで、自分と同じように《神聖術行使権限》の秘密に気が付いてしまう者が現れ、自分に楯突いてくるのではないか。この世界で最も偉い支配者の自分を脅かす者が出てくるのではないか、と。

 

 だからこそ、クィネラは自身の支配をより完全なものに近付け、天敵の出現も無くすため、明文化された法を作り、それで民を縛り上げる事にした。

 

 その法の第一項には公理教会への忠誠を、第二項に殺人行為の一切の禁止を記した。殺人をすれば、殺した者の権限レベルが上昇し、支配者クィネラに近付いてしまうからだ。それをほぼ完全に防ぐべく、徹底的に民を縛り上げ、自由は約束されているものの、不自由極まりない法――禁忌目録を作り出し、配布した。こうして世界からクィネラの天敵になりうる存在は消えた。

 

 しかしそれでもクィネラの欲は止まらなかった。クィネラは更なる権限を、更なる秘蹟(ひせき)を、自分を縛り上げる絶対的なものである天命の克服を狙った。そのあくなき探求心と支配欲と利己心の行く末に、クィネラは手に入れてしまった。この世界に存在するシステム・コマンドの一覧を。

 

 何もかもが魅力的に見えるコマンドの数々。手を出したクィネラはまず、自分の権限を最上位にまで引き上げた。そして次は、カーディナル・システムのみが持つはずの権限の全てを自分自身に付与していった。

 

 地形や建築物の操作やアイテムの生成は勿論、天命の操作までも可能にした。これにより彼女は自分自身の寿命を克服する事に成功したのだ。そこでクィネラは自分自身の時計の針を巻き戻し、自身の容姿を十代の時のそれにした。最も自分が美しいと言われていた頃の姿へと。

 

 そして最後には、自分自身と同じ権限を持つ存在がいる事を、クィネラは許せなくなった。この世界の支配者は自分だけだ。自分だけいれば良いのだ。そう思ったクィネラは、カーディナル・システムを己の中に取り込もうとまでしたが、それが最大の誤算を招いた。

 

 クィネラはカーディナル・システムの基本命令を、書き換え不可能の行動原理として己のフラクトライトに焼き付ける事になってしまったのだ。

 

 《秩序の維持》という命令を書き込まれてしまったクィネラは一昼夜昏倒する事になった。そして目を覚ました時、クィネラは人間とは異なった存在へと変わり果てていた。

 

 飲食等を必要とせず、老いる事もなく、ただ己が支配する箱庭(せかい)の今の姿を永遠に維持する事を望むだけになっており、そのためにならば、どんな冷徹な事も、残酷で残忍な事も進んでやるようになっていた。

 

 そうして、クィネラはアドミニストレータと名乗るようになった――そこで一旦カーディナルの話は区切りが付けられた。

 

 

「……クィネラが、そんな……そんなのって……」

 

 

 リランは(うつむ)いていたが、キリトの寝転がるベッドからは顔が見えた。信じられないようなものを見たような顔になっているうえ、口調が素に戻っている。それはシノンも、そしてキリトも同じだった。

 

 

「あり得ない。クィネラがそんなふうになるなんて、あり得ない事だ」

 

「そうよ。あのクィネラがそんな最悪の支配者になっているなんて、あり得ないわ。だってクィネラはイリス先生の娘の一人なのよ?」

 

 

 シノンが言ったそこでカーディナルが突っかかるように言ってきた。

 

 

「おい、どうしたのじゃ。お主達は何の話をしている? お主達がクィネラを知っているなど、あり得ん事じゃぞ」

 

「だから、あり得ないのはクィネラがそうなっている事だって!」

 

 

 キリトが言い返しても、カーディナルは首を傾げるだけだった。

 

 クィネラ。正式名称は《メンタルヘルス・ヒーリングプログラム 試作三号 コードネーム:クィネラ》。同じ《MHHP》であるリランとユピテルをそれぞれ姉と兄とし、《SAO》に実装されたAI。いや、正確には《SAO》に実装されるはずだったが、色々な兼ね合いから見送られ、稼働していない状態のまま封印されていた。

 

 そして《SAO》がクリアされた後は、開発者(ははおや)であるイリスによって引き取られ、自分達が当時遊んでいた《ALO》へと連れてこられた。そこで一時的にキリト達と同じ時間を過ごし、ナビゲートピクシーとしての役割を果たしてくれていた事もあった。

 

 この世界には居ないユイと同じくらいの身長で、紫がかった銀色の髪の毛と瞳をしていて、とても素直で心優しく、一緒にいると楽しい、舌足らずな少女。それがクィネラだった。

 

 しかし、丁度《SA:O(オリジン)》への参加の誘いが来た頃に、イリスは「必要とされる場所ができた」と言って、クィネラをどこかへ連れて行った。それから一年以上経過しているが、結局クィネラがどこへ行ったのか判明する事はなかった。今日、この時までは。

 

 あれから時間が経過しているのだから、大きく成長したのではないかと思っていたが、なるほど確かに、クィネラは成長していたようだ。しかし、それはキリトが思っていたようなものではなく、忌避(きひ)すべきだった(おぞ)ましいものとなっていた。

 

 到底信じられる話ではない。あのクィネラが、この世界の恐るべき独裁者になっているなど。

 

 

「お主達、クィネラの何を知っているというのじゃ?」

 

 

 カーディナルは深い疑問を持った表情で尋ねてきた。これは最早話さずにはいられない。キリトはカーディナルに、この世界で歪んだルールを作ったという支配者のかつての姿を話した。話が終わった頃、カーディナルはこれ以上ないくらいに驚いたようで、目を見開かせていた。

 

 

「なんじゃと!? クィネラは元々外の世界にいた存在で、そこにいるリランの妹に当たるとな!?」

 

 

 リランが俯いたまま答える。

 

 

「あぁ。クィネラは我の一番目の妹だ。過ごした時間こそは短かったが、間違いない。この塔の最上部から感じられる《アニマボックス信号》はクィネラのものだったのか……」

 

「そんな馬鹿な……クィネラに姉がいるなど、これまでわしでさえ知る事がなかったぞ。あいつの記憶の中に、そんなものは……」

 

 

 キリトはカーディナルを見た。先程からずっと思っていたが、カーディナルは随分とクィネラの事に詳しいうえ、外の世界の事、ラースの事までよく知っている。特にクィネラの事に関しては、まるで本人から直接聞いたか、その記憶をコピーされたかのようだ。

 

 その事に関して、キリトは尋ねる。

 

 

「カーディナル。さっきから思ってたけど、君はクィネラについてよく知ってるな。君はクィネラの何なんだ?」

 

 

 カーディナルは我に返ったような反応をしてから、キリトを見つめ返した。そこで彼女の話は再開された。

 

 クィネラがアドミニストレータを名乗るようになってから七十年程経った頃、彼女に異変が起きた。普段ならば何気なくできていたコマンドを即座に思い出して唱える事や、少し前の記憶を思い出すなどの行為に時間を要するようになっていたのだ。

 

 どういう事だろうと思ったアドミニストレータは、自身に解析を掛けて異変を探り当てたが、そこで驚愕する事になった。三百五十年以上というあまりに規格外な年月を生き続けて来た事により、アドミニストレータのフラクトライトの記憶容量は限界に達していたのだ。

 

 そこでアドミニストレータは思考を巡らせて対策を練り上げた。そうだ、自分を新しいフラクトライトに移植してしまえばいい。そうすれば、圧倒的支配者の座を維持したまま、記憶容量を確保する事ができる。

 

 アドミニストレータは当時、公理教会の修道女見習いであった十歳ほどの少女に目を付け、その少女を呼んだ。そして自分の前までやってきた少女に慈愛に満ちた笑みをかけ、「これからあなたは私の子供になるのですよ」と言い、自分自身の魂を少女に移植するという、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を使った。

 

 そして失敗した。何故ならばアドミニストレータは、カーディナル・システムを取り込もうとした際、メインプロセスだけではなく、サブプロセスも取り込んでしまっていたからだ。「世界を維持せよ」という命令を課せられたメインプロセスと、「メインプロセスの過ちを正せ」という命令を課せられたサブプロセスが、アドミニストレータの中に存在していた。

 

 このうちのサブプロセスが、アドミニストレータが魂を転写しようとした少女に先に乗り移り、肉体を得てしまったのだ。

 

 

「奴が取り込んでいたカーディナル・システムのうちのサブプロセスが肉体を得た姿。それがこのわし、カーディナルじゃ」

 

 

 キリトは目を丸くして、アドミニストレータの分裂体を見ていた。なるほど、アドミニストレータが自身を転写しようとして失敗した結果、誕生しているならば、アドミニストレータの事を誰よりも知っていて当然だろう。

 

 キリトは更に続きを尋ねる。

 

 

「その後はどうなった」

 

 

 カーディナルは答えた。

 

 アドミニストレータがそれまでの自分の肉体を消去しようとしたその時、突然()()()()()()()()()()。どうしてそうなったかは定かではないが、とにかくアドミニストレータに隙が生まれた。

 

 そこを突くようにして、カーディナルはアドミニストレータに攻撃を仕掛けた。最初の一発を当てる事に成功し、そこからカーディナルとアドミニストレータという二人の神の戦いが始まった。だが、カーディナルが優位に立てたのは最初の一撃の時だけであり、アドミニストレータは瞬く間に戦況をひっくり返した。

 

 結果、カーディナルは追い詰められていき、ついにはとどめを刺されそうになったが、またそこでアドミニストレータは()()()()になった。頭を抑え、喉を抑え、苦しみ出したのだ。

 

 その部分が気になったのはキリトだけではなくシノンもそうだったようで、彼女が先にカーディナルに尋ねた。

 

 

「苦しみ出した?」

 

「あぁ。どうしてそうなったのかは定かではない。だが、恐らくは魂の転写――後に《シンセサイズの儀》と呼ばれる出所不明の術を使おうとした反動みたいなものが来たのじゃろう。その隙を突いて、わしはこの大図書館へ逃げ込み、入口を破壊し、空間自体をカセドラルから切り離す事で、助かったのじゃ」

 

 

 直後、カーディナルは眉を寄せた。

 

 

「しかし、助かっても、最早アドミニストレータを討つ事は不可能になっておった。いつ復帰できたのかはわからんが、アドミニストレータは立ち直った後、自分の職務の大部分を代行し、同時に自分を守ってくれる、忠実で最強の守護者である整合騎士という手駒を作り、わしに奇襲される危険性を徹底的に潰した。わしはアドミニストレータに誕生させられてから今に至るまでの二百年間で、お主らのような協力者が現れるのを待ち続けておった」

 

 

 カーディナルはキリトを見つめた。

 

 

「そしてついに現れた。キリト。《皇獣(おうじゅう)》を従えるだけではなく、《EGO》という力を得たお主と、その仲間達がな」

 

 

 キリトはまたしても目を見開いた。

 





――補足――

・この作品におけるクィネラについては『フェアリィ・ダンス 01』の『08:空都にて』と『09:三番目の幼き命、そして』と、『フェアリィ・ダンス 05』の01~08までを参照。実に6年ぶりの再登場

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