キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 グロ注意回。


07:高貴なる悪意

 

 

「いぎいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいんいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ」

 

 

 

 突然耳に絶叫が届けられてきて、キリトは立ち止まった。臓腑(ぞうふ)を震わせてくるような、全身の毛が粟立(あわだ)つような叫び声。あまりにも激しすぎる苦痛を与えられたせいで出されているようなものだった。

 

 シノンもフレニーカも聞いたらしく、彼女達は顔を蒼褪(あおざ)めさせていた。

 

 

「えっ、今のは、何……?」

 

 

 フレニーカが戸惑ったように周囲を見回しながら言う。彼女からすれば、今の絶叫が誰によるものなのかわからないので、唐突な出来事に混乱するしかないだろう。だが、キリトとシノンはそうならなかった。今の絶叫の声色は、今まさに探しているルコのそれだったからだ。

 

 

「今のは……ルコのなのか!?」

 

「今のって……まさか、ウンベールの部屋から……!?」

 

 

 シノンは震える瞳である方向を見ていた。これから向かおうとしているウンベールの部屋がある方角だ。ルコの絶叫と思わしき声の発生源は、確かにその方角だった。最悪の事態が頭の中で想像される。今、ウンベールの部屋に向かっているのは、ティーゼとロニエとユージオと、ルコだ。ルコがウンベールとライオスに正体を(さら)すような事になれば、起こりうる事など一つしかない。

 

 

「「「ルコッ!!!」」」

 

 

 キリト、シノン、リランの三人で叫ぶと同時に、ウンベールの部屋へと駆け出した。湾曲しているのが特徴的な廊下を東へ走る。思ったところで無駄であるというのはわかっていたが、それでも思わずにはいられない。四人とも、どうか無事でいてくれ。ルコ、何もないであってくれ。叶う事のないであろう願いを胸に、キリトは走った。

 

 円を描いている三階廊下の一番東に位置する部屋の前に辿り着いた。ここが問題のウンベールの部屋だ。扉が半開きになっており、中から妙な匂いがしてくる。如何(いか)にも(たち)の悪い貴族が好んでいそうな香によるものだろう。そしてそこに混ざるようにして、人の気配がする。その数は六つほど。

 

 ティーゼとロニエ、ユージオの三人がこの部屋に来ているという話で、更にこの部屋にはライオスとウンベールもいると予想されていた。そこにルコを加えると丁度六人になる。悪い予感が当たってしまったようだ。ライオスとウンベールのいる部屋に四人がいる。

 

 

「ぐああああッ、あああああああああッ、腕が、腕があっ、俺の腕があぁあっ、天命が減る、減っていくうううううううッ」

 

 

 半開きの扉の中から声がした。ウンベールの声だ。中で何かが起きているのは間違いない。キリトは半開きの扉に蹴りを入れて強引に開き、中へ飛び込んだ。

 

 部屋の中で待ち構えていたのは、混沌だった。上半身裸のウンベールとライオスがいて、ウンベールは左腕の先が切断されたようになくなっており、血を垂れ流している。奥にあるベッドにはティーゼとロニエの姿があったが、どちらも制服を脱がされ、下着も着崩されているという、半裸にされた状態で拘束されていた。

 

 そして、ウンベールの比較的近い位置に、青薔薇の剣を手に持ったユージオが(ひざまず)いていて――ライオスのすぐ傍で、ルコが仰向けになって倒れていた。

 

 

「キリト、シノン……」

 

 

 こちらに気が付いたユージオが顔を向けてきた。固く閉じられた右目からは血が流れ出ている。眼球を損傷したかのようだ。キリトはユージオに尋ねる。

 

 

「ユージオ、これは……!?」

 

 

 キリトの問いかけに答えず、ユージオが言った。

 

 

「キリト……ティーゼとロニエとルコが……あいつらに……特に、ルコに、あいつら……」

 

 

 ユージオの言葉は絶え絶えだった。言葉を発するので精一杯なのだろう。だが、その声の中には確かに強い怒りが感じられた。その対象となっているであろう腐敗貴族に、キリトは向き直り――唖然とした。

 

 腐敗貴族の片割れであるライオス・アンティノス。そのすぐ傍に、小さな少女の姿が確認できた。自分達が探しているルコで間違いなかったのだが、帽子を外されたその頭は血に(まみ)れており、獣のそれの形状をしている一対の耳のうち、左耳が根元からなくなっていた。

 

 

「ル……コ…………?」

 

 

 シノンが今にも消えそうな声を出したその時、答える声があった。傲慢極まりない邪悪な声色。ライオスが主だった。彼の者は貴族がしているとは思えないくらいの邪悪な悪鬼のような顔をして、こちらを見ていた。

 

 

「これはこれは、大罪人キリト殿とシノン殿ではないか」

 

「……お前、何をしたんだ」

 

 

 もっと色々言えるはずなのに、そんな言葉しか出てこなかった。ライオスは律儀に答える。

 

 

「なぁに、私とウンベールで、この娘達に貴族裁決権の下、罰を下してやろうと思っていたのだよ。しかし、その邪魔をそこのユージオ上級修剣士がしてきてね。ウンベールの腕を切り落とすなどという蛮行に及んだのだ。だが、そんな事はどうでもいい」

 

 

 ライオスは目を爛々(らんらん)と輝かせて近くを見た。片耳を失って、頭部が血塗れになっているルコが椅子に座らされている。よく見れば腕も足も拘束されていた。

 

 

「実に残念だよ、キリト修剣士殿にシノン修剣士殿。まさか貴殿らが人界に潜り込んだダークテリトリーの指金であったとは。この小娘達を捕まえようとした時に、偶然居合わせたこいつを捕まえなければ、これからもずっと惑わされたまま……人界は知らぬ間に危機を迎えるところであった」

 

 

 そう言ってライオスはルコの(うなじ)を強引に掴んで持ち上げた。「うぐいいいッ」という悲鳴がルコから上がる。それさえもライオスは楽しんでいるようだった。

 

 

「こいつのこの耳と角! これはダークテリトリーにいる亜人達の特徴だ。これを連れていたキリト修剣士殿とシノン修剣士殿は、ダークテリトリーの指金に他ならない! そうだろう!?」

 

「……」

 

 

 キリトは何も答える気にならなかった。ルコがダークテリトリーの民であるという証拠は何もない。現に彼女からダークテリトリーの話など、聞けた事など一度もなかった。そして彼女が人界を害する存在であるというのも、あり得ないという事がわかってもいる。もし仮に彼女がそうだったのであれば、とっくに自分達に危害を加えてきているはずだからだ。

 

 ルコの事情など微塵(みじん)も知らないであろうライオスは続ける。

 

 

「沈黙するという事は、私の言い分は正しいわけだ。実によかった。貴殿らのおかげで私は救世主となった。人界に潜入していたダークテリトリーの先兵を駆逐し、人界の救世主となったのだ!」

 

 

 そう言ってライオスは右手に剣を持った。鏡のように様々なものを映す銀色の刀身の、大振りの長剣だ。その刃で突きを放つ姿勢をライオスは取る。刃の先端は、ルコの頭部にある獣耳の右側を捉えていた。

 

 

「いや、まだか。これから私は救世主となるのだ。このダークテリトリーの指金を存分に苦しめてから駆除の後に、貴殿らを同じように駆除する事によってな! さぁ、人界の貴族がやるに相応(ふさわ)しい仕事に取り掛かるとしようか!!」

 

 

 禍々しい声でそう言い放ち、ライオスは突きを放った。切れ味が邪悪なくらい良いであろう長剣の刃は、真っ直ぐルコの右獣耳に吸い込まれるように向かい、突き刺さり――一秒も立たないうちにルコの右獣耳を根元から(えぐ)り取った。

 

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁッッ」

 

 

 耳を(つんざ)くようなルコの絶叫が部屋の中に響き渡ると同時に、ぶしゃっとルコの右獣耳があった部位から血が噴き出て、部屋の壁を汚した。仲良くしていたルコへの、常軌(じょうき)(いっ)した仕打ちの光景にティーゼとロニエが「いやあああッ!!」と悲鳴を上げる。だが、キリトは声の一つも出なかった。シノンも声を上げていない。

 

 それに気をよくしたのか、ライオスが笑った。

 

 

「ふはははははははははッ!! 実に良い声で鳴くものだな、ダークテリトリーの子供というのは! どうだ、私の刃の味は? 三等爵士(さんとうしゃくし)嫡男(ちゃくなん)たるライオス・アンティノスの振るう刃で身体を切られるというのは、どのような快感なのだ?」

 

 

 ルコは声を出さなくなった。口を開けたまま、ぐったりとしてライオスに項を掴まれるままになる。その変化に異様な速度でライオスは反応し、ルコの顔を(のぞ)き込もうとする。

 

 

「おい、まだ死ぬ事は許可していないぞ。貴様の事はこれからバラバラにするのだ。最後まで鳴け。まぁ、鳴かぬなら強引にでも鳴かせてやるがな」

 

 

 その一言が引き金になった。頭の中で何かが弾け飛んだような感覚が襲ってきた。同時に思考がかなりの速度を出して巡り巡る。

 

 ライオスはこれからルコを殺すつもりだ。ダークテリトリーの者達の仲間と決まっているわけでもないのに、ルコをそうだと決めつけ、ルコが何もしない事を良い事に、与えられるだけの最悪の苦痛を与えたうえで、殺そうとしている。それが貴族のやるべき事などと抜かして。

 

 言葉はたどたどしいけれども、思いやりがあり、誰かに危害を与えたりする事など決してせず、自分達の言う事だってしっかり聞いてくれる、可愛い子供のルコ。その笑顔は今でも目を閉じるだけで思い出せる。その笑顔を浮かべる(けが)れの無い生命が、穢れ切った腐敗貴族ライオスの手で奪われようとしている。

 

 フレニーカを守ろうとしてやってきたティーゼとロニエを半裸にしていたという事は、これから彼女らを犯すつもりでいたのだろう。それだけで飽きたらず、ルコを楽しんで殺そうとしている。

 

 その行為に対する怒りは酸のようになって、キリトの脳内にある思考の全てを溶かしにかかろうとしていた。そして、今やるべき事だけをキリトの脳内へ残す。

 

 

「おや? こいつの角は宝石なのか。これは高く売れそうだな。よし、次はこれを斬り取るとしよう――」

 

 

 我欲(がよく)(くら)み切っている悪鬼そのものの目をしたライオスが言いかけたその時だった。

 

 ひゅんとキリトの真横を細い何かが通り抜けていった。

 

 それも一回ではなく、三回ほど通っていったのがわかった。

 

 姿勢を変えないまま横目で見てから、改めてライオスを見た時、三本の矢がライオスの胸に深々と刺さっていた。

 

 

「あ?」

 

 

 ライオスはぽかんとした顔をして自身の胸を、そこに刺さる矢を見た。自分に何が起きたのかわからないのだろう。しかしキリトはすぐに把握する事ができた。今のはシノンの放った矢だ。傲り高ぶり、ルコを(もてあそ)ばんとしている邪悪な腐敗貴族を、誰よりも先に()()しようとしてくれたのだ。

 

 これでこいつは動けなくなった――それがわかった時、既にキリトはライオスのすぐ傍まで接近していた。つい先程から頭と胸を満たしている怒りが、キリトの身体に爆発的な瞬発力を与えてくれていた。

 

 

「シッ」

 

 

 口許から声が出た時、キリトはギガスシダーの枝より製造された黒き剣を抜き払い、一閃を放っていた。あまりの速さに空気そのものが切断され、やがてルコを掴んでいるライオスの左腕に鋭利な線が走る。

 

 間もなくして、ライオスの左腕の肘より先がごとりと床に落ち、ルコは解放された。

 

 穢れた手から離されたルコを、キリトは咄嗟に抱きとめ、脚に渾身の力を込めてライオスを蹴り上げた。後ろ向きに吹っ飛ばされ、ライオスは絨毯(じゅうたん)の上に尻餅をつく。

 

 

「は……あ……?」

 

 

 ライオスは完全に言葉を失ったように、自分の左手を見ていた。何が起きたのかわかっていないようだ。教えるかのように、シノンの声が響いた。

 

 

「駆除されるのはお前よ、屑野郎」

 

 

 驚くほど低くて冷たい声。まさしく冥府の主が出しそうな声色がそう告げたその時に、ぶしゃあとライオスの左腕の切断面から血が噴き出した。ライオスの胸や腹が、着ている制服と同じような色合いの赤色に染め上げられていく。実に醜悪な血染めだ。

 

 

「ぐ、あああああああああああああああ、身体に矢がああああッ、腕が、私の腕があああああああああッ、血が、血が出てえええええええッ」

 

 

 両目と口を限界付近まで開き、ライオスは絶叫していた。先程までルコの絶叫で部屋を満たさせていたライオスが、今度は自分の絶叫で部屋を満たそうとしていた。まさか自分が叫ばされるなど、駆除される側にされるなど、思ってもいなかったのだろう。キリトは冷静にそんな事を考えて、ライオスを離れた位置から見ていた。

 

 ライオスは右手から剣を滑落させ、左腕の切断面を覆い、鮮血の噴出を止めようとした。しかしその甲斐(かい)(むな)しく、鮮血は止まる気配を見せなかった。見る見るうちに天命が減っていっている事だろう。

 

 

「あ、あああ、血が、血があ、誰が、誰があ、私にぃぃぃ、この、私にぃぃぃぃ、こんなごどをッ」

 

 

 ライオスは限界まで開かれている目をぎょろりと動かし、キリトを、その手に抱かれているルコを、弓を構えたシノンを捉えた。焦点が合っているのかいないのか、わからない。

 

 

「き、さまら、この、私に、わたしに、よくも、やりやがったな、三等爵士の、嫡男のわたしに、よくも、やってくれたなあああ、このさんとうしゃくしのちゃくなんの、わたしに、きさまらのような、平民が、へいみんがああッ」

 

 

 ライオスの口から言葉が出てくるが、その声は徐々におかしなものとなってきていた。まるで壊れかけの機械や、狂い切った獣が出すような音になっている。

 

 異変はそれだけで終わらず、彼の者の身体にも起こる。傷口から噴き出していた鮮血が、徐々にどす黒い色へ変わり始めたのだ。更に、幽鬼のような彼の者の顔、その口や目からも、どす黒い粘液のようなものが出始める。

 

 まだ終わらない。彼の者の周囲どころではなく、部屋の空間に、無数の赤黒い光の粒子のようなものが(ただよ)い始めた。神聖術かとも思ったが、明らかに異なっているというのがすぐに分かった。

 

 何かがおかしいと感じさせるのに十分な異変が、彼の者に起きていた。そんな様子のまま、彼の者は言葉を出し続けた。

 

 

「許さんぞ、ゆるさんぞ、ゆるさんゆるさんぞゆるさんぞゆるさんぞゆるさんぞゆるさんぞゆるさんゆるさんゆるさんゆるさんゆるさんゆるさんゆるさんぞ、このこのこのこのこの、へいみへいみんが、へいみんどもがあああッ、このこのこのこのこのこの」

 

 

 その言葉は呪詛や怨念に近しいものだった。そこから一秒足らずの時間で、三等爵士の嫡男とやらであるライオス・アンティノスに向け、赤黒い粒子が流れ込み始めた。部屋の中全体にいつの間にか湧いてきた粒子の全てが、ライオスへと流れていっている。

 

 ライオスは異変に襲われていた。いや、ライオスが襲われているのか、それともライオス自身が引き起こしているのかはわからない。キリトはルコを抱き締める手に力を込めつつ、彼の者へ剣を向け続けた。

 

 

「なんだ……!?」

 

 

 キリトが思わず零したその時だった。ライオスは粘液に塗れる口を限界まで開き、

 

 

「愚民どもがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ」

 

 

 と一際大きく絶叫した。それに合わせるようにして、ライオスの全身を赤黒い光の粒子が覆い尽くし、やがて爆発を起こした。部屋のものを吹き飛ばしてしまうような爆風ではなかったが、目を向けるのが難しい風が襲ってきた。

 

 収まった時すぐに目を向け直したところ、ライオスがいた空間には、人と同じくらいの大きさの赤黒い光の球体が浮かんでいた。見方によっては卵にも見える何かが、そこにあった。

 

 

「な、何が……起きて……」

 

 

 ユージオが弱弱しく言ったその時だった。赤黒い光の球体を突き破って、中から何かが飛び出してきた。腕だ。赤黒い粘液らしきもので構成されている巨大な腕が、禍々しい卵から出てきていた。

 

 

「ひいいっ、ひっ、化け物、ばけものぉぉ!!」

 

 

 ライオス同様に片腕を斬られ、その傷口を紐で縛る事で止血していたウンベールが恐怖に耐えきれずに叫んだそこで、卵から生える腕がウンベールの身体を掴んだ。獲物を見つけたかのようだった。

 

 

「ひええっ、ひぎゃっ、ぎあああああああああああああああああああッ」

 

 

 ライオスに続いて絶叫するウンベールを捕まえた腕は、空中で軽くウンベールを振り回すと、ぎゅんと卵の中へと引っ込んでいった。ごぷり、という嫌な音を立てて、ウンベール・ジーゼックは卵の中へと消えていき、部屋の中に静寂が取り戻された。

 

 だが、光の卵は止まらなかった。再びその中から腕を飛び出させたかと思うと、ベッドで動けなくなっているティーゼとロニエへ迫った。ウンベールのように喰らうつもりでいるのだ。

 

 

「いやっ、いやああああああ――――――ッ!!」

 

 

 ティーゼが叫んだその時、卵から飛び出した腕に複数の矢が突き刺さった。矢を受けた腕は動きを止める。シノンが咄嗟に矢を放ってくれたのだ。腕は卵の中へと引っ込んだ。

 

 そこから二秒ほど経った頃だろうか、禍々しい光の卵は窓の方へと急に速度を出して飛び、窓を窓枠と壁ごと突き破り、外に出ていった。

 

 あまりの光景に絶句して、しばらく動けずにいたが、やがてユージオがふらふらとした足取りで立ち上がり、今まさに赤黒い光の卵に狙われていたティーゼとロニエに近付いた。

 

 そして小さな声で「大丈夫だよ」と言ってから、青薔薇の剣を器用に使って、ティーゼとロニエを縛る紐を切り裂き、彼女らを自由にした。直後、ティーゼがユージオの胸に飛び込む。それは身体の自由を取り戻したロニエが、シノンの胸に飛び込むのと同時だった。

 

 

「ユージオ先輩、ごめんなさい、私のせいで、こんなっ……」

 

 

 泣きじゃくるティーゼに、ユージオは首を横に振った。

 

 

「大丈夫だよ。ティーゼは何も悪くない。悪いのは全部あいつらだ」

 

「でも、でもッ、ルコちゃんが、あんな……!」

 

 

 ティーゼの言葉でキリトははっとし、胸元のルコを見た。ライオスに頭部の獣耳を切断されたルコは、ぐったりとしていて動く気配がない。傷口からも血が出続けている。息こそしているが、天命が刻一刻と減っていっているのは間違いないだろう。

 

 

「ルコ……ルコッ!!」

 

 

 揺さぶらないように、キリトはルコに声掛けをした。返事がない。気を失っているわけでもないようだが、返事ができないくらいにまで弱ってしまっている。

 

 

「ルコッ!」

 

「ルコちゃんッ!」

 

 

 直後、シノンとロニエが駆け寄ってきた。ルコの様子を見て、シノンが「ああ……」とか細く言い、やがてぼろぼろと涙を零し始める。意識がライオスという悪鬼を仕留める事から、ルコへ向いたのだ。いや、留めていたものが溢れ出したのだ。

 

 

「ルコ、こんな……私達が、私が目を離したばっかりに、こんなッ……」

 

「ルコちゃん、私達のせいで……こんな、どうしたら……」

 

 

 ロニエも同じように泣いている。だが、残念ながらそんな事をしている場合ではない。ルコの命の灯は、今にも消えかかっているのだ。このまま消させてしまうわけにはいかない。キリトは二人に、そしてユージオとティーゼにも呼びかける。

 

 

「とにかく止血だ。神聖術で止血して、できるだけ天命を回復させるんだ!」

 

 

 二人は涙を(ぬぐ)い、傷と天命の回復を促す神聖術を唱えた。そこに加わってキリトも同じ術を唱える。二年一緒に過ごしてきた事でわかった事だが、ルコは類稀(たぐいまれ)な回復力を持っていて、傷の治りも、減少した天命の回復も早い方に入る。これだけの重傷を負ったとしても回復できるかもしれない。その可能性に賭けるように、キリトは神聖術をルコへかけ続けた。

 

 

「ルコ、しっかりしろ……!」

 

「ルコ……死なないで、ルコ……!」

 

 

 キリトとシノンが言ったのはほぼ同時だった。直後、ユージオのところにいたはずのティーゼがやってくる。

 

 

「ルコちゃん、助けてあげるから……!」

 

 

 キリトは少し驚いた。先程から把握できていた事だが、ユージオも右目を激しく損傷しているようだった。その治療をしていると思っていたティーゼは、ルコの治療を優先してきた。

 

 

「ティーゼ、君はユージオの治療を……」

 

「……僕は大丈夫だよ」

 

 

 そう言って、ユージオがキリトのすぐ隣に腰を下ろしてきた。その顔を見てみたところ、灰色っぽい布で右目を覆う事で血を止めているのがわかった。

 

 

「ユージオ、お前……」

 

 

 ユージオは(うなづ)いて見せた。「こんなでも僕は平気だよ」という意思表示だ。血色は少し悪くなっているが、そこまで酷くはない。ティーゼによるものか、それともユージオ自身によるものか、神聖術で何とかしたようだ。

 

 

「キリト、ルコの状態は」

 

 

 キリトははっと我に返り、ルコを見た。相変わらずぐったりしているが、血は止まった。何とか天命の減少を防ぐ事ができたかもしれないが、残っている天命は僅かであろう。術の仕様を続けなくてはならないのは変わりない。まだ足りないのだ。

 

 その事をユージオに話した時だった。苦痛で弱り切っているルコの顔が動きを見せた。閉じられていた(まぶた)が僅かに開かれ、瞳がほんの少しだけ(のぞ)く。

 

 

「き、り………………と………………」

 

「「「「ルコ!!」」」」

 

 

 キリト、シノン、ユージオ、リランの四人で呼びかける。気が付けば、リランがキリトの背中から離れ、飛行してルコを見下ろしていた。時間を置かずに、シノンが再度目に涙を浮かべて、ルコに伝える。

 

 

「ルコ、ごめんなさい。私達のせいで、あんたは……」

 

 

 ルコはシノンに答えなかった。今にも閉じられそうな目で、消え行ってしまいそうな声で、キリトへ伝えてきた。

 

 

「きり、と……あい、つ……とめない……だめ…………」

 

「え?」

 

「あ、いつ……とめな……きゃ……いけ…………ない……あいつ………ほっとく……だめ…………」

 

 

 今にも消えてしまいそうな声だが、聞き取れた。あいつを止めないと駄目。あいつを放っておいては駄目。あいつとはライオスの事だろうか。

 

 

「あいつって、ライオスの事か?」

 

「う……ん………………あい、つ…………とめ…………て………」

 

 

 確かに、キリトに斬られたライオスはまさしく異変そのものへとなり、ウンベールを取り込んで外に出ていってしまった。

 

 しかもウンベールを取り込んだ後すぐにティーゼとロニエまで取り込もうとしていたので、まだ人間を取り込もうとしている可能性は高い。つまり、この学院内で更なる被害を出そうとしているかもしれないのだ。野放しにしているわけにはいかないだろう。

 

 だが、だからと言ってルコを放っておくわけにもいかない。

 

 

「いや、まずはお前だよルコ。お前を治すのが先だ」

 

 

 そう言ってキリトは神聖術を続けようとしたが、ルコはその手を伸ばして、キリトの手に当ててきた。今にもなくなってしまいそうではあるが、なくならないように踏みとどまっている温もりがそこにあった。

 

 

「おねが、い…………キリ…………ト…………あい、つ………………とめ、て………………」

 

「……!」

 

 

 キリトは目を見開いた。こんなになっているというのに、ルコはライオスを止める事を願ってきている。何がどうなってあぁなったのかも、これから何を仕出かすかもわからなくなったのがライオス。その危険性をルコは訴えてきていた。だから、ここまであいつを止めるように言ってきているのだろう。今やるべき事は、もしかしたら――。

 

 考えたキリトは、神聖術の使用を一旦止めて、ロニエとティーゼに声を掛けた。

 

 

「ロニエ、ティーゼ。ここでルコに神聖術をかけ続けてくれ。君達だけで十分なくらいにルコは回復できてるから。俺とリランはここを離れる」

 

 

 シノンが驚いたように顔を向けてくる。

 

 

「キリト、あなた……」

 

「ライオスを追う。何が起きてるのかさっぱりだけど、あいつを野放しにしておくわけにはいかない。俺達で蹴りを付ける。ルコをここまで傷付けて、ティーゼとロニエまで傷付けようとしたあいつを、許しておけない」

 

 

 そう言ってキリトはルコをロニエに預けて立ち上がった。しかし、そこから時間を置かずにキリトに続いて立ち上がった者がいた。シノンとユージオだった。

 

 

「……私も行くわ、キリト」

 

「シノン? いや、君はルコの傍に……」

 

「私もあなたと同じ気持ちよ。あいつを放っておけない。ルコを駆除するとか言ったあいつを、完全に駆除しなきゃ気が済みそうにないわ」

 

 

 そう告げるシノンの瞳には明確な怒りが宿っていた。最早我が子のように感じられていたルコにあれだけの仕打ちをしたライオスへの、猛烈な怒りだ。これはあいつを叩きのめさない限り、消える事はないだろう。そのシノンに続いて、ユージオが言って来る。

 

 

「僕も行くよ、キリト」

 

「ユージオお前、戦えるのか」

 

「正直上手く戦えるかどうかは不安だけど、あいつを野放しにしておけないんだ。だから行かせてくれ、キリト」

 

 

 ユージオの残された左目に宿る意思は、とても強く感じられた。恐らく来るなと言っても来るつもりだろう。ならば連れていくしかない。

 

 

「わかった。二人とも、一緒に来てくれ――」

 

 

 と、言いかけたその時だった。入口の方から声と気配がしてきた。

 

 

「おい、何の騒ぎだ!? ものすごい音と悲鳴が聞こえてきたんだが」

 

 

 キリトは思わず驚き、部屋の入口へ向き直った。そこには新たな二つの人影。そのうちの一つに、キリトは再度驚いた。目が隠れているけれども、燃えるような赤色が目立つ髪に、髪と同じくらいの赤い制服を着た少女。たった今異様な事になったライオスと、取り込まれたウンベールから嫌がらせを受けていたメディナだった。今の騒ぎを聞いて駆け付けてきたのだろう。

 

 こちらに見える位置に来るなり、メディナは驚いたように下を見た。目線の先にルコがいた。

 

 

「お、おいおい、一体どうしたっていうんだ。ルコのその傷はなんだ!?」

 

「メディナ、一緒に来てくれ! おかしくなったライオスが外に出て暴れてるんだ!」

 

 

 メディナは「は!?」と言って驚いた。詳しく事情を話したいところだが、そんな余裕はない。キリトはこれから起こりうる事だけを簡潔に話した。

 

 

「ライオスは学院内の練士や修剣士を襲うつもりだ。今から俺達で止めに行くから、来てくれると助かる!」

 

 

 そう言い残し、キリトは異変を起こしたライオスが突き破った壁の外へ飛んだ。

 




 ――原作との相違点――

・ライオスが何かおかしくなる方向が違う。

・ウンベールが取り込まれる。

・異変に気付いたメディナが来る。














 ――補足というか小ネタ(?)――

・ルコの絶叫だが、「メ」で始まり「ス」で終わるタイトルのアニメの、第二期の第七話を見てみると、どんな声で叫んでいるかわかるかもしれない。ライオスはそんな声をルコに出させているのだ。

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