キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 ハッピーバースデー、シノン。




―アリシゼーション・リコリス 01―
01:新たなる異界


          □□□

 

 

 ――と…………と…………か……ず…………と…………和人(かずと)!!――

 

 

 小鳥の(さえず)る声、木々や草花が風に揺られる音、その中に(ひそ)む虫達の羽音、小川の(せせらぎ)の音色を押しのけて、自分を呼んでいる声で、桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)は目を開いた。

 

 (まぶ)しい光が飛び込んでくるかと思いきや、それは和人の目元を避け、身体の方へと()していた。とあるものが、光を(さえぎ)ってくれていたのだ。

 

 そのとあるものに和人は視線を向けた。顔だ。こちらの瞳を覗き込もうとしているかのように、青水色の瞳を向けている少女の顔。やがてその全体像が明らかになった。

 

 彼女は、やや白がかった水色をしていて、肩にかかるかからないかくらいの長さで、耳の前の辺りを小さなリボンで結んでまとめているという、少し特徴的で、すっかり見慣れた髪型をしている。

 

 こちらを見ている瞳は、他の者達には冷静な山猫を思わせるそれに見えるが、実は真っ直ぐで柔らかい光を宿しているというのを、和人は何よりもよく知っている。それらの特徴を持っている少女の名前を、和人は咄嗟(とっさ)に口にするより先に、彼女の方が声を掛けてきた。

 

 

「和人……和人……!」

 

「……詩乃(しの)……?」

 

 

 和人から詩乃と呼ばれた少女は、一瞬目を見開いた。和人から呼ばれるのを予想していなかったかのようだった。その表情を見た事で、和人の中に確信が生まれた。彼女は間違いなく、自分が誰よりも愛していて、守るべき恋人であり、家族である朝田(あさだ)詩乃(しの)その人だった。

 

 

「……私の事、わかる……?」

 

 

 彼女の問いかけに、和人は(うなづ)く。その時自分の首が普通に動く事を知った。

 

 

「わかるよ……君は詩乃だ。そういう君こそ……俺の事、わかるか」

 

 

 和人から問い返された少女は、今にも泣きそうな顔に笑みを浮かべた。

 

 

「ええ……わかるわよ……だって、顔も声も、話し方も……全部、あなただもの」

 

 

 そう言って詩乃は両手を広げ、和人に飛び込むように抱き付いてきた。和人は「おっと」と言いつつ、詩乃を受け止め、抱き締めた。右手を彼女の後頭部に、左手を背中に(まわ)し、(てのひら)で彼女の温度を感じ取る。

 

 手を(かい)して流れ込んでくる肌ざわりと温もりと、鼓動。鼻腔(びくう)に流れ込んでくる柔らかくて優しく、愛おしい匂い。全てが和人の知る詩乃のものだった。

 

 胸の中の確信がより強固なものに変わった。ここにいるのは自分の知る詩乃だ。その詩乃と一緒に居られているというのがわかっただけで、胸の内に安心が満ちていった。

 

 しばらく抱き合っていると、やがて彼女の方から離れていった。そこでようやく、和人は周囲の状況を確認する事ができるようになった。

 

 見渡せる範囲で確認できたのは、ここが森だという事だった。広葉樹と針葉樹の両方があちこちに生えていて、バランスが整っているように見える。足元には淡い緑色の草の絨毯が広がっており、ところどころ小さな白や黄色の花がアクセントになっていた。

 

 奥の方を見てみると、どれくらいの樹齢なのかわからないくらいの立派な木々が、いくつも群れを成して(そび)えているのが見えた。草の絨毯もあの辺に到達する前に途切れている。あの辺から森は深くなるようだ。ここは深い森の入口か、その途中にある広場のようなところであるらしい。

 

 そんな場所の知識があるかというと、勿論なかった。ここはどこだ。その疑問を、和人は近くの恋人へと、ひとまず投げかける。

 

 

「……詩乃、ここって?」

 

 

 詩乃は首を横に振って見せた。

 

 

「わからない。私も目を覚ましたら、この場所にいて……すぐ隣にあなたが倒れてたの」

 

「そっか」

 

 

 和人は溜息を吐いた。もしかしたら詩乃が何か知っているかもしれないと思ったが、そうなってはくれなかった。これで二人とも、どうしてここにいるのかわからないというのが現状となった。

 

 腕組をしながらふと上を向くと、木々の間を抜けて白い雲の浮かぶ青い空が見えた。現在時刻は昼間らしい。

 

 ここに至るまでの何らかのヒントはないだろうか。和人は咄嗟に頭の中の図書館(ライブラリ)を開き、本当につい最近の記憶が書かれた本の中身を閲覧(えつらん)する。

 

 確か俺は、詩乃と一緒に御徒町(おかちまち)にある《ダイシー・カフェ》を訪れ、親友である白嶺(しらみね)海夢(かいむ)と、その家族となった紺野(こんの)木綿季(ゆうき)、大切な仲間の一人である結城(ゆうき)明日奈(あすな)と会っていた。木綿季はついに退院する事ができて、そのお祝いをする予定を組む話をして、その後とても難しい話をした。

 

 話が終わったあたりで俺達は店を出て、帰り道が違うという事で明日奈と別れた後に、しばらく住宅地を歩いていた。そこで俺は将来どういう道に進みたいかを三人に話そうとしたのだ――というところまで、和人は思い出す事ができた。

 

 そこからが問題だった。それ以降の記憶がない。

 

 自分の進路の事を話した時、三人にどういった反応をされたか。

 

 どうやって海夢、木綿季、詩乃の三人と別れて家へ帰ったか。

 

 夕飯に何を食べ、ちゃんと風呂に入り、何時頃に眠ったか。

 

 本来ならば覚えているはずの事柄(ことがら)が、全く思い出せなかった。背中のあたりに悪寒が走り、冷や汗が出てきた。

 

 心配になったのだろう、詩乃が声を掛けてくる。

 

 

「和人、大丈夫?」

 

 

 和人は詩乃へ向き直ったが、その時にはっとした。先程抱き合った時くらいから、ここにいる詩乃が詩乃であると認識するのに夢中になり過ぎて、今の彼女の容姿に気が付かなかった。

 

 彼女の髪の毛は、白みがかった水色だ。そして瞳は青水色。どちらも本来の詩乃のものではなく、VR世界のものになっている。服装も見慣れたものではなく、蒼と白の二色で構成された――《ファンタジー世界における町娘》という言葉が似合いそうなそれとなっていた。

 

 自分の服装もそうだ。上着は黒みがかった青色の、(あさ)か木綿が素材になっている、襟の無い半袖シャツ。その下に薄い水色の長袖のシャツを着ている。ズボンは黒色で、シャツと同じ素材でできているようだ。どれもミシンや機械で縫ったものではなく、手で縫い合わされているらしい。靴も同じように手縫いで作られているようで間違いなさそうだった。所謂(いわゆる)ファンタジー風の服装のセットだ。

 

 それら要素を確認する事で、和人はある種の安堵(あんど)を抱く事ができた。ここはファンタジー系のVRゲームの中だ。現実世界にいるわけではない。

 

 

「詩乃、わかった」

 

「え、何が?」

 

「ここは仮想世界の中だ。君の髪の毛と眼の色、仮想世界にいる時のになってるよ」

 

 

 和人に言われるなり、詩乃は自身の揉み上げのあたりで房になっている髪を手で動かして、目で見れる位置に持ってきた。すぐさま、意外なものを見ているような顔になる。

 

 

「本当だわ……私、仮想世界での見た目になってる……」

 

「という事は、今の君はシノンという事だな。つまり俺もキリトっていう事か」

 

「そうみたいね。あなたも和人じゃなくて、いや、和人だけど、キリトだと思う」

 

「うん、キリトで違いない」

 

 

 和人がキリト、詩乃がシノンであるという状況を呑み込んでから、和人/キリトは立ち上がった。いつログインしたのか、そもそもどういう名前だったかさえわからないが、とにかくここは仮想世界の中だ。ここから出れば、自分達がどうなっているか、すぐさまわかる。とにかくそれをするべきだ。

 

 キリトはそう思って右手を振った。仮想世界共通のウインドウを呼び出すための動作である。これをやれば、この世界から脱するコマンドを引き出せる。しかし、どういうわけか反応がない。タイムラグが発生しているのだろうかと思って数秒待ってみたが、それでもウインドウは出てきてくれなかった。同じ動作を左手でやってみたが、やはりウインドウは現れなかった。

 

 シノンにも同じ動作をやってもらったが、同じようにウインドウが現れる事はなかった。なので今度は口頭で「コマンド、ログアウト」と唱えてみた。普通のゲームならば、これでログアウト処理が起こるはずだ。

 

 だが、何も起こらない。ログアウトどころか、基本的なコマンドの一切が効かなくなっているかのようだった。

 

 

「駄目か……」

 

「そもそもここ、どの仮想世界なのかしらね。なんか、()()()()()()わよ」

 

 

 シノンの言葉にキリトは深く頷き、更に周囲を見回す。

 

 規則正しさなどなく生えている木々、地面を覆っている草むら、そこに混ざる小さな花の数々が辺り一面に広がっているのは変わりない。草と花の間をゆらゆらと飛ぶ蝶らしき虫達の姿が見えて、木の枝に注目すれば、ちょこまかと動いて鳴き声を発している鳥の姿も確認できた。

 

 

(こんなの……)

 

 

 現実世界での森の光景と何も変わらないように見える。仮想世界ならば、《作り物感》というものが拭えないようになっているはずなのだが、今ここで見えている光景は、その全てが現実世界のそれと何一つ変わらないように感じられた。

 

 試しに木に近付き、触ってみる。木の皮が持つ特有のざらざらした触り心地が感じられた。仮想世界でも、そう感じられるものなのだが、今感じているそれは、これまでの仮想世界でのそれではなく、現実世界で木を触っている時と同じ感覚だった。

 

 今度は足元にある草を引き千切って、その葉を確認してみた。驚くべき事に、葉脈がしっかりとあって、水まで(したた)ってきている。これまで入った事のある仮想世界の、そのどれもが、ここまで細かい描写ができた事はなかった。

 

 いや、できない事もないのだが、そのためには草や木だけで数十メガバイト使うくらいにまで作り込まないといけなかったので、どこも採用する事はなかったのだ。

 

 そして、仮にそこまで作り込んだとしても、読み込みに時間がかかり、オブジェクトそのものやテクスチャに変化が出るまで数秒かかるのが通例で、リアルタイムで描写する事など到底無理だった。

 

 それら全てを可能としているこの世界は、とんでもない超高性能マシンによって作り出されているのだろう。シノンの言う、「普通じゃない」というのは、そういう意味だ。この世界は、あまりにもよく出来過ぎている。

 

 ならばやはりここは、仮想世界ではなく現実世界なのだろうか。自分たちは何らかの要因で、見知らぬ土地に放り出されてしまったのだろうか。脳内でそんな考えが浮かんできてぞっとしてきたが、その考えはすぐさま否定された。

 

 もしここが現実世界なのだとすると、シノンの髪の毛と瞳の色が本来の色でなくなっている事に説明がつかなくなる。現実世界にいるならば、シノンの髪は《SAO》、《SA:O》で見られた黒茶色になっているはずなのだ。しかし彼女の今の髪は白水色、瞳は青水色になっている。塗料で変色させられているというわけでもなさそうだ。

 

 やはりここはいずれかの仮想世界の中という事で間違いないだろう。今いる場所が現実か仮想かを教えてくれる髪と瞳を、シノンはしてくれていた。キリトは改めてシノンに礼を言いたい気持ちになったが、ひとまず行動に移すのは保留した。今やったら確実に彼女を混乱させるだけの余計な事にしかならないと予想できたからだ。

 

 今やるべき事は、ここがどこの仮想世界なのかを知る事と、ここから脱出する方法を見つける事である。キリトはそこに意識を集中させようとしたが、その前にシノンが再び尋ねてきた。

 

 

「ねぇキリト。ここって仮想世界なのよね?」

 

「あぁ。すごく良くできた仮想世界で間違いなさそうだ」

 

「それなら、もしかしたら、だけど――」

 

 

 シノンは言いかけて途中で止めた。不思議に思ってその顔を見てみると、視線がキリトの背後に向けられているのがわかった。

 

 

「シノン、どうした?」

 

「なんか、光ってる……」

 

「え?」

 

 

 キリトは振り返り、彼女の見ているところへ、同じように視線を送った。鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々の間に、白く光るものがあるのがわかった。あれがシノンの言ったものなのだろう。

 

 何だあれは――そう思って二人で注視したところ、それは不規則に光を発しているというのがわかってきた。いや、正確には陽の光を反射する事で、光っているように見えているのだろう。それこそ鏡のように。もしかしたら水面ではないかとも思ったが、水とは異なる反射の仕方をしている気がする、

 

 正体が気になって仕方がなくなってきた。ここがどこなのか、どういう世界なのか把握できていない以上、あまり動かないでいる方が良いのだろうが、だからといって何もしないでいても事態が好転する事はないだろう。

 

 あの光るものの正体を確認するのを第一歩にして、周辺を散策してみよう――シノンに提案してみたところ、その方が良いという返答を聞けたので、キリトはシノンを連れて、光るものへ歩み寄った。

 

 現実のものと区別がつかないくらいに作り込まれた木々の間を抜け、草花を踏みながら近付いていくと、徐々に光は強さを増してきた。どうやらそんなに小さいものではないようだ。寧ろ、かなり大きい。シノンに警戒を呼びかけつつ、キリトは恐る恐る近付いていった。

 

 足元に姿を見せた茂みを乗り越えると、光るものの正体が明らかになって、キリトは驚いた。続いてきたシノンも驚く声をあげる。

 

 狼だ。一匹の狼が地面に倒れていた。だが、それは決して普通の狼ではない。全長は十五メートルくらいあり、肩の付近から天使のそれを思わせる純白の翼を一対生やしている。身体はホッキョクオオカミのように白い毛に包まれているが、頭部付近は人間の髪のような金色の(たてがみ)で覆われていて――(ひたい)からは聖なる剣に酷似した一本の角が生えている。

 

 通常の狼にはありえない特徴がこれでもかと詰め込まれている、この巨大な狼らしき生物こそが、先程から見えていた光の正体だった。その証拠に、木々の間から差し込んでくる陽の光を受け、狼の体毛は白と虹色に輝いていた。

 

 その、普通ならば奇々怪々にも程がある生物は、キリトにとってはそうではなかった。何故ならば、その狼らしき生物は――。

 

 

「……リラン?」

 

 

 思わずその名を口にしていた。《SAO》の時に出会い、自分を《ビーストテイマー》というものに変えた張本人であり、自分の《使い魔》である狼竜。その時から今までずっとその立場を貫き続け、あらゆる場面で自分を支えてくれた、大切な相棒であり、家族。目の前に横たわる巨大な白狼は、確かにリランの特徴を有していた。

 

 

「リラン……よね……?」

 

 

 シノンが零した言葉に、キリトはこれ以上ないくらいに同意したかった。全身を包む白い毛並み、一対の翼、人間の頭髪のような金色の鬣、そして額から生える聖剣の角。どれをとってもリランの見た目じゃあないか。彼女以外に何がいるというのか。

 

 だが、それはまだ確証には至っていない。この巨大な白狼はこちらを認識していないし、《声》も聞かせてくれていないからだ。そこを確かめるまで、この巨大な白狼がリランであるとは言えない。

 

 

「おい、おい!」

 

 

 キリトは白狼の頭部に近付いて触れ、揺さぶった。寝ていないで起きろ。お前が俺の《使い魔》なのか、教えろ――そう思って揺さぶり続けたが、白狼は起きてくれなかった。

 

 

「おいッ!!」

 

 

 キリトは声を荒げて拳を握り、白狼の頭部を殴り付けた。本来やるべき行動ではないのはわかっていたが、白狼の正体を知りたいという気持ちが率先して、止められなかった。一発では起きてくれないようだ。なのでもう一度ぶちかまそうとしたその時――。

 

 

《ぬううううううむ……痛い。痛いではないか》

 

 

 不意に《声》がして、キリトは手を止めた。耳ではなく、頭の中そのものに届けられてきた。その声色がどうだったかを瞬時に思い出す。初老の女性のような声色であり、それは《SAO》の時から今日に至るまで何度も聞いてきたものだった。

 

 その《声》の主を探す必要はなかった。白狼が顔だけ起こし、こちらに向き直ってきたのだ。……とても嫌そうな顔をして。

 

 

《いくら何でも殴って起こす事はないだろう。揺さぶり続けてくれれば起きれたというのに……最悪な目覚めになってしまった》

 

 

 引き続き頭に響く《声》を受け取り、キリトは呆然として白狼を見つめた。目の前の現実が、上手く認識できていない気がする。それをしっかりさせるため、キリトは目の前の白狼に問うた。

 

 

「……リラン、なのか」

 

《どうした。自分の《使い魔》がどんな姿だったか、忘れたのか。まぁ確かに、《GGO》という機械が跋扈(ばっこ)する世界で、戦機となった我に乗っていたから、忘れるのも無理ないか――》

 

 

 よくあるファンタジー系のゲームに出てくる、誇り高(えら)そうな口調。我という一人称。そして最近までやっていたゲームの言及。それができる白狼――狼竜は一匹しかいない。こいつは――。

 

 

「リラン!!」

 

 

 そう叫んで、キリトは白狼の毛並みに飛び込み、抱き付いた。ふかふかで純白の体毛に顔を突っ込み、鼻いっぱいに匂いを吸い込もうとすると、獣、風、空、炎の匂いがいっぺんにしてきた。《SAO》でも《ALO》でも《SA:O》でも、《使い魔》形態のリランの身体を嗅ぐとした匂いだ。こいつは間違いなく、俺の《使い魔》のリランだ。彼女もこの世界に来てくれていたのだ――その事実を、キリトは確かに胸に刻み込んでいた。間もなく嬉しさと安堵が押し寄せてきて、胸の中が軽くなったような気がしてきた。

 

 

《……珍しいな。お前がそんな事をするとは》

 

 

 送られてきたのは、明らかに機嫌の良さそうな《声》だった。満更でもないらしい。キリトはリランの毛皮の中で顔を上げ、そのまま彼女の顔を見る。

 

 

「なんだよ。《ビーストテイマー》が《使い魔》に抱き付いたらいけないのか」

 

《別に悪いとは言っておらぬよ。ただ、お前がこうしてくるのは久しぶりだと思ったのだ》

 

 

 確かに、こうしてリランに抱き付いたのは久しぶりだ。つい最近まで遊んでいた《GGO》こと《ガンゲイル・オンライン》では、リランは鋼鉄の戦機となっており、抱き付きたくなるような感じではなくなっていたのだ。

 

 そのような事もあったせいか、今の肌に触れるリランの温もりと感触、匂いは、ある種の懐かしさ、郷愁(きょうしゅう)に似た感情を抱かせてくるものとなっているように感じられた。

 

 だが、いつまでもそれに浸っていられるほどの余裕はない。その事を思い出したキリトはリランから離れ、尋ねた。

 

 

「リラン、俺達は今、ここがどこなのかわからなくて困ってる。お前ならここがどこのゲームなのか、解析できるだろ」

 

 

 リランはキリトから周囲へと視線を動かし、耳をぴんと逆立てた。見方によっては《最強最悪の破壊(クラッキング)AI》でもある彼女は、自身のいる世界がどの仮想世界なのか、どういったゲームなのかを一発で解析する事ができる。彼女ならばこの世界の正体もすぐに掴んでくれるはずだ。キリトは期待を寄せてリランを見ていたが、しかし彼女は調査・解析を終えるなり、首を横に振った。

 

 

《駄目だ、掴めぬ》

 

「え、わからないの」

 

 

 きょとんとするシノンにリランは答える。

 

 

《あぁ。システムの基本情報は勿論、サーバーの所在地やIPアドレスなどまで、何一つ閲覧できないようになっておる。余程情報を開示したくない者が、この仮想世界を作っているのは間違いなさそうだな》

 

「なるほど、セキュリティは万全って事か。お前で情報を出せないって事は、他は絶対にこの世界の情報を引き抜く事はできなさそうだな」

 

《そうであろう。しかし、我でさえも情報を引き抜けない世界が存在しているとは……それで、そんな世界にお前達と三人で来る事になるとは》

 

 

 そこでキリトはとある事を思い付く。自分とシノンはそうではなかったが、リランはこの世界に来る寸前の記憶があるのではないだろうか。細かい事を記憶する事が得意な彼女ならば、できているはず。

 

 

「リラン、ここに来るまでに憶えている事はないか。ここがどこなのかもそうだけど、どうしてここに来させられてるのかもわからないんだ」

 

《それは我にもわからぬ。憶えている事と言えば、ユピテルがアスナと通話しているところを横で見ていたら、急に意識が遠くなって……お前達に今起こされた》

 

「……そっか」

 

 

 がっくし。キリトは思わずそんな言葉が合いそうな動作をしそうになった。リランも憶えていないとなると、本当に何もわからなくなってしまった。ここがどこで、どうやってここに来たのか。

 

 本当ならばそれがわかるまで動くべきではないのだろうが、確認する手段が見つからない以上、自力で確認できる手段を探すしかない。そのためには、一旦ここから動くべきだ。

 

 ここは森の中だが、いくら何でもこの世界が森だけでできているとは思えない。そんな極端な構成でできているゲームもあると言えばあるが、この世界までもがそうなっているとは思えない。いや、その可能性もないわけではないが、ここから動かない事には、それを確認する事もできないだろう。

 

 

「とにかく、この森に居ても、わかりそうなことはなさそうだ。リラン、俺達を背中に乗せて飛んでくれ。翼は使えるんだろう」

 

《使えるが、使いたくないぞ》

 

 

 《使い魔》の返事にキリトはびっくりした。その立派な翼を使いたくないだって?

 

 

「え、なんでだよ。今まで平気で飛んでたじゃないか」

 

《確かに飛べる。だがな、ここから飛び上がった瞬間に魔法弾やらミサイルやら、もしくは両方が合体した魔法ミサイルやらが飛んでくる可能性もないわけではないだろう。そんなものを喰らえば我もお前達も一溜りもないぞ》

 

 

 なるほど確かに、この世界はファンタジー系の世界だと思えているものの、どこまで文明が発達している設定なのかまでは(さだ)かではない。もし魔法文明や科学文明が現実と同じかそれ以上ならば、森から飛び上がったところで攻撃される可能性もゼロではないだろう。そうなればリランの言う通り、終わりだ。

 

 

「そ、その通りだな」

 

《飛びたい気持ちはわかるが、ここはひとまず安全が確保できるまで、徒歩で移動するしかあるまい》

 

「でも、徒歩で移動するって言ったって、どこまで――」

 

 

 シノンが言いかけたその時だった。森に流れ込んでくる風の中に混ざって、音が聞こえてきた。かこーんという、巨大で硬い何かを、同じく硬い何かで叩いているような音だ。どことなくだが、木を切っている音に似ている。

 

 空耳だろうかと思いきや、もう一度同じ音が届いてきた。そこから五秒くらい置いて、また一回。更に五秒後くらいに一回。やがて音が五秒に一回という規則正しい頻度で聞こえてくることがわかった。そんな事ができるのは、人間だけだ。どうやらこの森の中に、自分達以外の人間がいて、それがこの音を発しているらしい。

 

 その者が危険人物か、(ある)いは自分達と同じように現実世界から来た存在なのかはわからないが、ひとまず人間がいるという事だけはわかった。そしてその人間ならば、この世界に関する何らかの情報を持っている可能性がある。向かわない手はない。

 

 音の発生源に向かおう。そこに人が居るに違いないよ――キリトの提案にシノンとリランは乗り、三人で音の発生源に向かう事にした。リランの倒れていた場所から少し動くだけで、森は終わり、美しい水の流れる川が姿を見せてきた。また木を切るような音が聞こえてくる。上流の方からだ。

 

 「何が居るのかわからないから気を付けろ」と、リランに警戒を(うなが)させられながら、川の上流を目指して進む。そうして進んでいるうちに、音は川から見て左方向の、上り坂になっている森の先から聞こえてきているのがわかった。木こりはこの先にいるようだ。

 

 如何なる人物なのかは想像もつかない。しかし情報提供者になりえる可能性を秘めている。その人を目指して真っ直ぐ進んでいくと、木を切っているであろう音に混ざって声が聞こえてきた。

 

 

「ユージオ、あと五回」

 

「あと五回って事は、これで四十六回目だね! もう少しッ……!」

 

 

 聞こえたのは、小さい少女の声と、少女より幾分(いくぶん)か年上の少年の声だ。てっきり大人が一人で木を切っているとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。足早に声と音の発生源へ向かうと、割とすぐに辿り着く事ができて――目の前に広がった光景に驚かされた。

 

 そこは円形の広場のようなところだった。リランが居ても全然余裕があるほど広く、半径四十五メートルくらいはある。その真ん中に、とんでもないものが(そび)え立っていたのだ。

 

 樹だ。直系は四メートルを軽く超えていて、高さはリランの全高五メートルの三倍以上で、黒い樹皮が特徴的な樹。見方を変えれば、空を掴もうとしている巨人の手にも見えてきそうなモノ。それこそがキリト達を驚かせた存在だった。

 

 

「ユージオ、なんか(おっ)きいのが!」

 

「ええっ、何、何なの!?」

 

 

 黒き巨木の圧倒的存在感に視線を奪われていたそこで聞こえた声で、キリトははっと我に返った。すぐさま声の発生源に向き直る。

 

 亜麻色(あまいろ)の髪の毛で、濃い緑色に見える瞳をした、キリトと同じような服装をした、十七、八歳くらいの少年と、その足元に隠れようとしている、白い服を着て、獣の耳を思わせる形状をした、白く大きな帽子を深く被った小さな女の子の姿が認められた。

 

 どちらも、キリト達が急に現れた事よりも、キリトの後ろにいるリランの姿に驚いているのは確かなように思えた。

 





――簡易キャラ紹介――


・キリト
 原作&今作の主人公。原作と異なり、シノンを恋人とし、《ビーストテイマー》となっている。

・シノン
 今作のメインヒロイン。原作ではファントムバレット編でヒロインを務めており、キリトには思いを寄せているだけだったが、今作ではキリトと恋人同士になっている。

・リラン
 今作のオリキャラの一人であり、オリヒロイン。キリトの《使い魔》である狼竜。
 くだらない事だが、イメージCVは《使い魔》形態が池畑慎之介さん、人間形態が水樹奈々さん。

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