・アミュスフィアの仕組み
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「ガンマナイフの原理、だと?」
「そうだよ! これがっていうか、これしか考えられないよ、《死銃》の殺人の仕組みは!」
キリトの問いにそう答えたのはシュピーゲルだった。少し熱が入っているように感じられる声色。恐らく問題が解けた事に興奮しているようなものなのだろう。
シノンが立ち直り、ヘカテーを倒すという目的を皆で決めた後すぐに、シュピーゲルがキリト達の
シュピーゲルはその事を了解してくれて、「《死銃》を、ヘカテーを必ず倒そう」と誓うように言ってくれたが、その後すぐにヘカテーが行っていた殺人のメカニズムを思い付いたと言ってきた。これまで全く掴めないでいたその方法の判明にキリトは驚き、続きを
シュピーゲルはそれに応じる。
「リラン達が言っていたヘカテーの《キューブセントリーガン》を更に小型化させたモノが対象の頭を囲んで《
「待ってシュピーゲル、そのガンマナイフっていうのは何なの。何かの武器?」
シノンの質問にキリトは思わず苦笑いした。彼女の言っている事は、今まさに自分も思っていた事だったからだ。シュピーゲルは《死銃》の殺人方法はガンマナイフと唱えているけれども、そのガンマナイフがそもそも何なのか、キリトも知らない。ナイフという名前が付いている辺り、軍用新型ナイフとも思ったが、どうにもそうではないような気もする。
その疑問を解決してくれたのは、ユピテルだった。
「ガンマナイフというのは、医療器具の名前です。あまり多くの病院で使われているものではありませんが、局所の治療を得意とする装置です」
「局所の治療?」
シノンの更なる問いかけにユピテルは答え、説明をしてくれた。
ガンマナイフとは今ユピテルが言ったように、比較的大規模な医療装置の事だ。メディキュボイドやCTスキャナーに全体的に形が似ているが、内部に二百個のガンマ線ビーム照射装置が半円形に搭載されており、その中央部に患者の頭部を入れて固定し、ガンマ線ビームを照射する。
照射されるガンマ線ビームの力は非常に微弱であるため、単体では細胞を壊す事も傷付ける事もできない。しかしこのビームを一定の角度に集中させる事によって二百のビームが重なり合う、とても小さな《一点》を作り出す事ができ、その《一点》には強い破壊の力を持ったエネルギーが生まれる。
この《一点》を頭部の病巣で発生させる事によって、その部分だけを切り取るように破壊する事ができ、結果として頭部を切開する事なく、更に脳組織や細胞を傷付けたり破壊したりする事なく、
それがガンマナイフだ――というのがユピテルからの説明であった。最後まで聞いたシュピーゲルがコメントを述べる。
「ユピテル、よく知ってるね。やっぱり
「それもあるかもしれません。というか、ぼくとねえさんは人の精神を治療するAIとして産まれているので、こういう知識は優先的に
それはキリトもよく知っている事だった。リランとユピテル、特にユピテルの方は医療系知識が恐ろしいところにまで及んでいるようで、病院関連、治療関連の事になると本当に詰まる事なく適切な知識を教えてくれる。その点が今とても役立っているのは明白に感じられた。
だが、それでもキリトの中には一つ疑問があり、それの解決には至っていなかった。気付いてもらえていないようで、リランが一人納得しているような表情で言う。
「まさかガンマナイフの原理を使うとはな。いやそもそも、アミュスフィアでそれが再現できるというのが完全に
「うん。正直僕もまだ自分で信じられてない。でも、これ以外になさそうにないんだよ、《死銃》に撃たれてくも膜下出血になって死んだプレイヤーの身に起きた事っていうと」
シュピーゲルも二人に納得してもらえた事に満足しているのか、こちらに気付く様子も見せずに話している。《死銃》の殺人方法に関わる話であるというのに、その詳細を教えてもらえないまま話を進められてしまっては困る。
そしてシノンも不服を訴えているような表情になっていた。やはり自分と同じで、シュピーゲルの話が上手く呑み込めていないのだ。間もなくシノンはキリトと目を合わせてくる。
「三人の話をもっと詳しく教えるよう言って
「待ってくれ三人とも。つまり何がどうなっているんだよ。ガンマナイフの事はわかったけれど、それが《死銃》の殺人のやり方とどう結び付いてるんだ?」
三人は「え?」と言ってキリトに向き直った。それから間を置かずにシュピーゲルが「あぁ」と言った。どうやらこちらの思っている事に気付いてもらえたらしい。
「これは実際にやった方が実感が
そう言ってシュピーゲルは次の瞬間、首を
「お、おい!?」
キリトが思わず声を上げた次の瞬間、シュピーゲルの《MP5》から《弾道予測線》が伸び、真っ直ぐにキリトの
今、シュピーゲルが引き金を引こうものならば、放たれた弾丸が真っ直ぐキリトの額を撃ち抜き、即死へ持っていってしまうだろう。キリトは反射的に両手を上げる仕草をした。「抵抗する意志はない、撃たないでくれ」と伝えるためのジェスチャーだが、敵にも仲間にもこれまでやった事はなかった。すぐにシュピーゲルがやや苦笑いをして告げてくる。
「大丈夫だよキリト、《
彼の言う事だから嘘はないのだろう。だが、それでも銃口を二つも至近距離で向けられているのだから、恐怖を完全に消すというのは難しかった。そんなキリトを眺めるなり、シュピーゲルが尋ねてきた。
「それはそうとして、今《弾道予測線》がキリトに向けられてると思うんだけど……」
「あぁ、お前が俺に銃を向けてるんだから当然だな。っていうか、安全装置がかかった状態でも《弾道予測線》って出るんだな」
「そうだよ。いや、それよりもだよキリト。今どんな感じがする?」
キリトは目を丸くする。
どんな感じがするかだって? 《弾道予測線》が頭に伸びていて――なんだか嫌な感覚が額と頭の中にするような気がしてならない。特に頭の内部がひどい。まるで見えない何かの通り道が勝手に開けられて、今まさにそこをその何かが通ろうとしているかのようだ。
その事をキリトは素直にシュピーゲルに話したが、そこで答えてきたのがリランだった。
「それだ。今お前が感じている嫌な感覚が、《死銃》の殺人のメカニズムだ」
「え?」
キリトは首を傾げた。《弾道予測線》の当たる位置が額から左眉毛上辺りに動き、不快感の発生地点もそこに動く。その光景を見ながらリランが続けてきた。
「《弾道予測線》は今、お前の頭を貫通して後方まで伸びておる。《弾道予測線》が対象者の身体を通り抜けて後方まで伸びる性質があるのは知っておろう。この《弾道予測線》を浴びていると、その部位に軽い不快感に似た感覚が生じるのも、今わかるはずだ」
「あぁ。自分が他のプレイヤーとかエネミーに狙われているかどうかをわかりやすくするためなんだろ。このちょっと嫌な感覚が起きたら狙われてる証拠、これがわかったら即時離脱を心掛けろ。そういう事だったな」
キリトの答えにリランは頷く。
もし《弾道予測線》を向けられても何もなかったら、それこそ強いガンナーは一方的に狙いたい放題のやりたい放題になり、他プレイヤーはそいつに一方的にやられ続けるだけになる。
そうすればプレイヤー間に埋められぬ溝ができてしまい、少し強いプレイヤーが弱いプレイヤーや初心者プレイヤーを一方的に
そういう一方的な戦況による不平等を避けるために、《弾道予測線》を向けられればその部分に不快感に似た感覚が生じ、狙われているかどうかを察知でき、強いプレイヤーなどによる奇襲や一方的な攻撃にある程度応対する事もできるようになっている仕様である――というのがリランからの《GGO》の説明だった。
そこまで話したリランに続いたのはユピテルだった。
「《死銃》の殺人は、この《弾道予測線》を向けられた際に生じる不快感にあります。特に頭を狙われた時の、頭の内部を通り抜けるような不快感。これが答えです」
恐らくこれでわかるだろうと思っていたのだろう。しかしキリトとシノンはまたしても首を傾げるしかなかった。今度はそれを察知してくれたシュピーゲルが追加で言ってくれた。
「《死銃》――ヘカテーだっけ……がやってたやり方は、イリス先生が使ってた《キューブセントリーガン》の、超小型タイプをいくつも飛ばして
そこでキリトははっとした。先程聞いたガンマナイフの仕組みがフラッシュバックする。
ガンマナイフはヘルメット型に並んだ装置からビームを照射し、それが重なり合う《一点》を生み出す事で破壊の力場を作り出して、病巣を切る仕組みだ。これと《死銃》の殺人方法の原理は同じだから――。
「《弾道予測線》が交じり合う《一点》が生み出される……!?」
キリトの一言に三人は頷いた。そのうちリランが答える。
「この《GGO》はMMOFPSRPGを名乗ってはいるものの、それは
本物の戦場では一人の兵士の身体に何発もの弾丸が飛んでくる事など当たり前……このゲームでもそれに
そう話すリランは如何にも嫌そうな顔をしていた。実際彼女としても信じたくない話なのだろう。その続きをユピテルがする。
「その《弾道予測線》を発するモノで対象となるプレイヤーの頭部を円形に取り囲み、一斉に《弾道予測線》を飛ばせば、頭部を中心にして放射状に広がる《弾道予測線》が出来上がります。そして対象となるプレイヤーの頭部の中には、全ての《弾道予測線》が重なり合う、とても小さな《一点》が生じるんです。ものすごい不快感を与えてくる《一点》です。
そうなった時、対象プレイヤーのアミュスフィアはそれを再現した感覚を律儀に作り出そうとして、対象プレイヤーの現実の脳に信号を送ります。キリトにいちゃんはご存じだと思いますが、この信号は電気によるもので、そこにはとても微弱な電子パルスも含みます」
強い電子パルスは人体をほぼ瞬時に加熱し、体液を
それどころか、この微弱な電子パルスもしくは電磁パルスを頭部に与えると、脳細胞が活性化し、被験者の記憶力や思考力が大幅に向上するという研究結果も報告されている。数年前には六十四歳から八十歳の高齢者を被験者にして、頭頂葉に電磁パルスによる刺激を行ったところ、その記憶力、思考能力が三十代から四十代レベルにまで回復したという話もあるくらいだ。
アミュスフィアは結局のところ脳を使うものであるため、脳細胞を活性化させられるくらいの電子パルス、電磁パルス照射機能もデフォルトで搭載されている。その事をキリトが思い出した直後に、シノンが何か思い付いたように言った。
「まさか、その信号が重なり合う《一点》っていうのが……!」
「はい。このとても小さな《一点》に電気信号、電子パルスが集中する状況をアミュスフィアが作ってしまうんです。そして、この《一点》に集中した電子パルスの力は、人体を破壊するくらいのものになります。規模自体は一センチになるかどうかくらいですが」
ユピテルが淡々と答え、そしてシュピーゲルが険しい顔で更に付け加えた。ようやく答えが出せたようだった。
「これで脳内のくも膜っていう部分の血管を壊して、くも膜下出血にならせて殺す。これが《死銃》の殺人のやり方だって思ったんだ、僕」
キリトは思わず唾を呑み込んだ。そんなにすんなり信じられる話ではないし、嘘を言われているのではないかとも思う。
しかし完全に否定する事はできなかった。アミュスフィアに電磁パルスおよび電子パルス照射機能が存在しているのは事実だし、そのアミュスフィアの機能を逆手に取れば、確かにガンマナイフを再現する事もできるだろう。
アミュスフィアでガンマナイフを再現して対象を殺害する――まだシュピーゲルの言っている事は予想の範囲を出ていないが、それ以外の方法を思い付けるかどうかと言われると、キリトは首を縦に振れなかった。《死銃》の殺人方法は、彼らの言っているガンマナイフの原理で間違いないと、現時点では思うしかなかった。
しかしこれによって
「なるほどな。ようやく呑み込む事ができたぞ」
「まぁ、中々にわかりづらい話だし、そもそもこれの原理自体が開発の意図していないバグのようなもの……数年前に発売されたオープンワールドRPGの中にあった大量のグリッチみたいなものだ」
リランの例えにキリトは眉を寄せた。バグのないゲーム、それを利用したグリッチが存在しないゲームはどんなに技術が進んだところでなくなる事はない。
「ですが、今回のバグはあまりに酷すぎるものですし、それを利用している《死銃》は許されません。いずれにしても、確実に倒さなければなりません」
「それに、あいつらのボスはハンニバルよ。
シノンが険しい表情で言った。
その通りだ。この《死銃》による殺人事件の根源はサイバーテロリストの親玉であるハンニバルだった。一向にその目的や野望の全体図はわかっていないが、止めずに放置していれば社会も国も容易に壊すような事を仕出かしかねないというのがわかり切っている。
そして《死銃》はそのハンニバルによって蘇った《
ハンニバルを知る者としても、《笑う棺桶》と戦って一度は止めた者としても、《
「皆、ハンニバルを、《笑う棺桶》を……ヘカテーを倒そう」
もう一度確認も込めて言うと、皆頷いた。この場にいる全員の意志は一つ。この事件を終わらせて、ハンニバルの正体を暴き、その全てを止める。そのためにまずやるべき事をキリトは口にした。
「だけど、まずはあいつらと他の皆を探さないとだな。リラン、ユピテル。妹達の位置は把握できるな?」
答えたのはリランだった。
「あぁ。今丁度《アニマボックス信号》の探知をやっていたところ――」
彼女が言いかけたその次の瞬間、外から大きな音がした。爆発音だ。続けて銃を連射しているような音も聞こえてくるようになる。皆で驚きながら振り返ったそこでリランが立ち上がり、外を確認に向かった。
「――いや、その必要はなかったようだ。大至急出るぞ!」
「どうした。まさか……!?」
若干の嫌な予感を胸に抱いたキリトの問いかけに、リランは即座に答えた。
「アーサー達とレン達がこちらに来ていた。その中に《死銃》連中の姿もある。既にあいつらが戦っておるぞ!」