キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 それぞれの心情。

 


05:挑む者達

          □□□

 

 

 

「本当にやるのか」

 

「勿論よ。本当にやらないでどうするっていうの」

 

 

 皆との作戦会議を終えたアルトリウスは自身の部屋に戻ってきていた。目の前にはクレハが、隣にはレイアもいる。三人でキリト達の立てた作戦を聞き、次の行動をどうするかを相談していたのだった。

 

 その後にクレハの出してきた結論にアルトリウスとレイアは驚かされて、その確認を改めてしているところだった。

 

 

「相手は本当にプレイヤーを殺す力を持ってるって話なんだぞ。そんな奴と戦うなんて、危ないどころじゃない」

 

「そ、そうですよクレハ。本当に死んじゃうかもしれないんですよ!」

 

 

 レイアさえも焦っている有様だった。彼女の言っている事がすべてを物語っていると言える。キリトが教えてきた《死銃》という存在。それに撃たれたプレイヤーは原因不明でくも膜下出血を起こすという。くも膜下出血は迅速に病院で治療を受ければ助かる見込みがある方に入るが、それは家族や知人が近くにいた場合のみ。

 

 一人暮らしの人がくも膜下出血になってしまえば、自分で救急車を呼ばない限りは助からない。増してやそれがVRにダイブしている最中であれば、尚更助かる見込みはなくなる。

 

 自分は勿論、クレハも一人暮らしをしていると聞いている。自分達がくも膜下出血を起こしてしまえば、もう助からないのだ。そんな事にさせてくるような敵である《死銃》と戦うなど危険どころではない。避けるべき事象そのものだ。

 

 なので、アルトリウスにとってはクレハの言い分は全く理解できないものだった。どうしてあんなに危険な奴に挑まなければならない。どうしてクレハはそんな化け物に挑もうとしている?

 

 その当人はというと、ほぼ俯き加減で答えてきた。

 

 

「そうだとしても、誰かがあいつを倒さなきゃいけないのよ。そうしなきゃこのゲームは守られない。《SAO》の時みたいなデスゲームになってしまうわ。そんな事あたしは許せない」

 

 

 確かにこのまま《死銃》を放置すれば、犠牲者の数はどんどん増えていくに違いないだろう。そうすればいずれ《GGO》はデスゲームとして認知されてしまうようになり、最悪永久サービス停止というのもあり得る。

 

 そうなれば皆と会える手段はほぼ断絶されてしまうだろうし、レイアとも永遠に別れなければならなくなるだろう。何よりクレハとの交流手段も絶たれてしまう。そうなる前に《GGO》から《死銃》を排除するというクレハの考えは賛同できると言えばそうなのだが、自らそれをやりに行くというのは理解できないままだ。

 

 どうして自分達で、どうしてクレハがわざわざ《死銃》を倒さなきゃいけない?

 

 そんなもの、誰かに任せればいいじゃないか。アルトリウスは咄嗟(とっさ)に思い付いた提案をクレハに持ち掛ける。

 

 

「そうだけど、何も俺達がやる必要なんてないだろ。他の誰かに……そうだ、運営や警察に任せればいいじゃないか。その間俺達は別なゲームに避難すればいいんだ。キリト達が《GGO》にコンバートする前にやってたっていう《SA:O(オリジン)》、あれならいいんじゃないか。あそこならキリト達も戻れるから、結局一緒に居られるし、《死銃》に(おびや)かされるような心配だってなくなる」

 

 

 アルトリウスの提案にレイアも続いてくる。《GGO》の中のAIであっても、理解能力の高いレイアは、こういった話を理解できるのだ。

 

 

「マスターの言うとおりですよ、クレハ。わたしはご一緒できませんけれど、マスター達は別なゲームに移動する事ができます。今の《GGO》は危険なのです。わたしにもわかるくらいに危険な状況になっているのです! そんなところにいるのはいけない事です。

 だからクレハ、《死銃》と戦おうとしないで、マスター達と一緒に別なゲームに避難してください。わたしはいくらでも待てますから、寂しくないです!」

 

 

 レイアの言う事にアルトリウスは軽く驚かされていた。レイアも本気でこの状況を危ないと思っているらしい。彼女までもがそんな事を言い出しているという事は、それだけ現在の状況がイレギュラーで危険極まりないものとなっているという事を意味しているのだろう。

 

 それはサトライザーの起こした《GGO》環境激変危機よりも危険であるに違いない。そんなものが起きているゲームにいるというのが適切なやり方ではないというのは、最早考えなくてもわかるくらいだ。

 

 そんなレイアからの説明を受けたクレハから声がする。

 

 

「……逃げるつもりなの」

 

「え?」

 

 

 アルトリウスが思わず(こぼ)した直後、クレハはかっと顔を上げてきた。

 

 

「あんたは《GGO》から逃げるっていうの!? この世界から、この強さをくれる世界から逃げるっていうの!? あたしに逃げろって言うの!?」

 

 

 クレハは急に声を張り上げてきたものだから、アルトリウスは思わず驚いた。レイアも同じように驚いている。そんな二人の反応を気にせずクレハは怒鳴り続けた。

 

 

「この世界しかないのよ、強くなれる世界は! あたしは強くなりたくてこの世界に来た。強い奴らと戦って、本当に強くなれるから、あたしはこの世界に来たのよ。それを無くそうとしてる奴を野放しにして逃げろっていうの? プレイヤーを殺すかもしれない力を持ってこの世界を荒らしてる奴を、壊そうとしてる奴を放っておけっていうの!?」

 

 

 クレハは完全に感情を爆発させていた。《死銃》がこの世界を壊そうとしている、この世界を機能不全に陥らせようとしているから許せないというのは間違いないというのはわかるのだが、このゲームで本当に強くなれるという言い分がわからない。

 

 確かに《GGO》では精神的にかなり強くなる事ができるし、得た強さは他のゲームや事象にも応用する事ができるものというのもアルトリウスは理解している。現にアルトリウスは《GGO》を始める前と比べて勇気が持てるようになったし、思考だってスムーズになってきた。《GGO》での戦いによって鍛えられたのだ。

 

 その点では、自分も《GGO》で強くなる事ができた、《GGO》が自分を強くしてくれたと思う事もできるだろう。だが、他のゲームや現実世界での体験、経験が《GGO》に劣っているなどとは思えない。《GGO》だけが唯一無二の最強の世界ではない。

 

 無理に《GGO》をやり続けなくても、《GGO》で手に入る強さと同じものを手に入れる事はできるはずだ。いや、できる。《GGO》はあくまで精神的に成長しやすく、強くなりやすいゲームの一つでしかなく、《GGO》に(こだわ)らなくても精神的に強くなる事はできるのだ。しかしそれをクレハは全面否定している。

 

 この世界でしか強くなれない。この《GGO》こそが強さの頂点に辿り着ける世界だと信じ込んでいる――そうとしか思えなくなってきていた。

 

 

「強くなるって……《GGO》はそんな特別じゃないよ。確かにこのゲームはすごく面白いし、強くなれるかもしれないけれど、それは全部のゲームに言える事だよ。《GGO》じゃなくても強くなれる。だから今は――」

 

「そんなんじゃ強くなれないわ! あたしは強さが欲しいのよ。だからこの世界から逃げるつもりなんてないし、《死銃》をこの手で討ってみせるつもりよ! あたしが《死銃》を撃ち殺してやるの!」

 

 

 クレハは相変わらず怒っている。強くなる、強くなると繰り返しているが、その理由が全然わからないし、全然伝えてきてくれない。だから何もわからない。何もわからないまま、わからせてくれないまま怒鳴り続けている。

 

 だからこそか、怒りがついにアルトリウスにまで伝染した。強い感情が胸の内から昇ってきて、口から出てきた。

 

 

「強くなる、強くなれないって……なんでそこまで(こだわ)るんだよ!? なんでそんなに強くなろうとしてるんだよ。何のために強くなろうとしてるっていうんだよ! そのせいで死んだら元も子もないじゃないか! クレハが欲しい強さって結局なんだよ!?」

 

 

 何も言ってくれないからこそわからない事をほぼ全身からの出した声でアルトリウスは問いかけた。怒鳴り付けたのは失敗かもしれないと思ったが、止まろうとはしなかった。こうでもしないとクレハは本当の事を話してはくれないだろう。というか、聞かせてもらわないといよいよ納得できない段階まで来ていたのだ。

 

 怒鳴り返される事は想定していたのか、クレハは驚くような仕草こそしなかったものの、はっとしたような顔になってから、茫然(ぼうぜん)としたような顔へ変わった。大きな図星を突かれた時にするような顔だろうか。

 

 だが、またまた表情が変わる。何か受け入れがたいものを見ているかのような顔だ。いずれにしても、アルトリウスの欲しかった結果ではない。クレハに真実を語ってもらいたいのに、表情を目まぐるしく変えるだけで何も言ってくれない。

 

 

「クレハ!」

 

 

 お願いだから本当の事を教えてくれ。もう一度大きめの声を出した直後、クレハは俯いたかと思うと、急にアルトリウスとレイアに背を向けた。その反応は予想できず、アルトリウスは驚かされていた。直後にクレハは部屋の出口へと歩き出す。出ていくつもりか。

 

 

「クレハ!?」

 

 

 レイアが声を掛けてもクレハは振り返らなかった。代わりに声が届けられてくる。

 

 

「……あたしは《死銃》を討つ。嫌なら来なくたっていいわ。あたしがやるから」

 

「お、おい待ってくれ、クレハ!」

 

 

 アルトリウスの制止も聞かず、クレハは出ていった。本当の事を何も話してくれないまま立ち去られてしまった。アルトリウスは咄嗟に追いかけようとしたが、途中で右手を後ろに引っ張られるような感覚で強制的に止められた。レイアがこちらの右手を掴んで「ふんぎー!」と言って踏ん張っていたのだ。

 

 

「レイア!?」

 

「行っちゃ駄目です、クレハを追いかけちゃ駄目です、マスター!」

 

「なんで!?」

 

 

 レイアは力を込めてる表情をやめてアルトリウスと目を合わせた。

 

 

「クレハの行こうとしているところは危ないところです……マスターの命が本当に危険に晒されるようなところです。わたしはマスターのアファシスとして、マスターをそんな危険なところに行かせるわけにはいきません!」

 

 

 それはアファシスである彼女にとって必然的な行動だった。クレハは本当に命を奪い取る力を持っているとされる《死銃》へ挑もうとしている。クレハに付いて行こうとするという事はつまり、《死銃》に殺されに行くのと同じ意味だ。マスターをそんな事に巻き込ませたくないというのは、レイア達アファシスの生来の使命から来るものだった。

 

 だが、今のアルトリウスにとってそれは有難迷惑だった。

 

 

「じゃあ、クレハは死んでもいいっていうのか! どうしてクレハも止めなかったんだ!」

 

「クレハの事だって止めたかったです! でも、クレハはマスターを想っているからこそ、《死銃》と戦おうとしているってわかったんです!」

 

「え?」

 

 

 アルトリウスは目を見開いた。力が抜けて、レイアに掴まれていた腕が彼女の両手共々下へ垂れる。

 

 

「それってどういう意味なんだ」

 

「わたしにも実はよくわからないのです。でも、クレハからはそういうものが感じられるんです」

 

 

 レイアは顔を上げてアルトリウスと目を合わせる。機械的に見えていたその瞳はいつもどおりそうであるはずなのだが、今はとても人間のように見えていた。まるでいつの間にか彼女が人間そのものへ昇華したかのようだった。

 

 

「クレハは《死銃》を倒す事で何かを掴もうとしているんだと思います。それはマスターを想っての事です。クレハは……マスターのために《死銃》を倒そうとしているみたいなのです」

 

「俺のために《死銃》を倒す……?」

 

 

 レイアは頷く。しかしアルトリウスにはその意味が全く掴めない。とりあえずはクレハが自分のために《死銃》と戦い、そして勝とうとしているというのはわかった。それによってクレハが何かしらを掴めるというのもわかった。それこそが先程からクレハの言っていた、彼女の求める強さというものであろう。

 

 だが、やはりその正体というものがわからない。クレハは自分のために《死銃》を倒して強くなろうとしているという事か。だが、それが自分と何の関係性があるというのだろう。どうして俺のために強くなろうとしているというのか。

 

 

「クレハは強くなりたいと言っていました。それも全部マスターのためなのです……」

 

「だからって……本当にプレイヤーを殺すかもしれない《死銃》と戦うなんて危険すぎるだろ。そのせいでクレハが死んだらどうするんだ。俺のためにクレハが死ぬっていうのか。そんなの俺は絶対に嫌だよ!」

 

 

 思いのまま伝えると、レイアはまたしても頷いた。先程よりも強く深く。

 

 

「わたしも絶対に嫌なのです。わたしもクレハが大好きです。マスターよりかは確かに下にはなりますが、クレハの事が大好きです。クレハが行こうとしているところは危険なところです……そんなところにクレハを行かせるわけにはいきません! 絶対に止めます! マスター、クレハの事はわたしに任せてください!」

 

 

 レイアはいつもより大きな声で言うと、一目散に部屋を出ていった。そのままクレハのところへ向かったようだ。アルトリウスもその後を追おうと考えてはいたが、一方で行動を起こす事はできずにいた。

 

 どうして《死銃》なんて危険な存在と戦おうとしているんだ。

 

 何がクレハをそんなに駆り立てるっていうんだ。

 

 

「何でだよ……紅葉(もみじ)……」

 

 

 アルトリウスは本来の自分である(りつ)として呟いていた。幼馴染である紅葉の事は時折わからない事もあったが、今はそれが最高値に到達していた。紅葉の事が何もわからなくて、もどかしくて仕方がなかった。

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「イリスさん、参加できないんですか!?」

 

 

 キリトの問いかけにイリスは頷いて見せてきた。見たくなかった返答の仕方だった。

 

 

「あぁ、《スクワッド・ジャム》の当日、私はログインできそうにない」

 

 

 キリトは思わず「そんな!」と言う。そう言うしかない言葉だったからだ。

 

 《死銃》討伐作戦の会議の後にシノンのところに行ったその後、キリトはイリスに「話がある」と言われて、彼女の指定した場所であるSBCグロッケンの一角に来た。そこで単刀直入に持ち掛けられた話こそが、イリスが《スクワッド・ジャム》には参加できないというものだった。

 

 

「何でですか。《スクワッド・ジャム》で俺達は、シノンは《死銃》と戦うんですよ。そこにイリスさんがいないなんて……」

 

 

 《死銃》はシノンのトラウマの原因である《黒星(ヘイシン)》を装備しているプレイヤーであり、シノンから見れば天敵のようなものだ。それとシノンが戦う気でいるわけなのだが、そうなった時にシノンがどうなってしまうか、その対処に何が、誰が必要なのかを誰よりも理解しているのがイリスである。

 

 そのイリスが《スクワッド・ジャム》に参加できないなど、信じられる話ではなかった。話を持ち掛けてきたイリスが気難しい顔をして答える。

 

 

「《スクワッド・ジャム》当日にはサチとマキが《死銃》の囮になるっていう作戦で行くんだろう。そうなれば私はサチとマキをいつでもメンテナンスできる状態になっておかなければならない。撃たれた途端くも膜下出血になってしまっているプレイヤーが出ているような攻撃をしてくるのが《死銃》だ。

 それに撃たれたサチとマキ――《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》がどうなるかなんて、私にも全く想像が付かない。サチとマキが撃たれて本当に機能不全になってしまった時に対応できるようになっておかないといけないんだ。彼女達を《電脳生命体》として蘇らせた者として……《SAO》で死なせてしまった身としてね」

 

 

 確かに、《死銃》に撃たれて、宣言を受けたプレイヤーはもれなくくも膜下出血になって死亡しているというのが昨今(さっこん)の事態だ。そんなものにサチとマキリが撃たれた場合、例え《電脳生命体》であったとしても、強い障害を起こしてしまったりだとか、最悪プレイヤー達同様に死亡してしまう可能性もないわけではない。それに対応できるようにしておきたいというイリスの気持ちもわからないわけではない。

 

 だが、そうだとしても、これまで診てきて、その症状や病状を理解してきているシノンに一番の危機が迫る状況になるであろう大会にイリス自身が行かないというのは納得できない。

 

 

「そうですけど……それでもシノンをずっと診てきたのは、治してきたのはイリスさん――愛莉先生じゃないですか。あんたがシノンの傍にいてやらないでどうするんですか。あんたがいない状態でシノンが発作を起こしたりしたら、どうするんですか」

 

 

 事実を指摘したその直後だった。イリスは一瞬きょとんとした顔をしたかと思うと、首を傾げてきた。

 

 

「……何を言っているのかしら、和人君」

 

「え?」

 

「わたしの代わりにそれができて、それをやらなきゃいけないのがあなたでしょうに」

 

 

 キリトは瞬きを繰り返していた。口にチャックがされたように言葉が詰まる。そこにイリスが持ち掛けてくる。

 

 

「あの()……詩乃は本気で《死銃》を倒すつもりでいるわ。あの娘は《死銃》を過去の弱い自分だと思っている。それを倒す事で、本当にPTSDを治すつもりでいるわ。目測ではあるけれども、その治療効果はかなり期待できると思う。あの娘が自分で乗り越えようとしている事だからね。PTSDの治療には外部の人の助けもそうだけど、自分自身の強い意志も特効薬になるわ」

 

「……」

 

「わたしは今回の大会で、あの娘がPTSDを克服するって信じてる。あの娘はついに銃のトラウマから解放されるって信じているわ。その過程であの娘が欲しているのは、近くにいて欲しいと思っているのはわたしじゃなく、あなたよ、和人君」

 

 

 キリトは目を見開いていた。イリスはそっと近付いてくる。

 

 

「これまで詩乃は何度も危機に遭ってきた。危ない目にも、辛い思いをするような目にも遭って来た。でもその都度あの娘は乗り越えられてきた。それはわたしの支えがあったからじゃない。あなたの支えがあったからなのよ」

 

 

 イリスは強い光の瞬く目で見つめてきていた。いつの間にかキリトもそれと自身の目を合わせていた。

 

 

「詩乃はあなたを誰よりも愛している。あなたが傍に居てくれる事を、あなたの傍に居る事を誰よりも望んでいる。それはあなたもそうでしょう。詩乃にとっての一番の(つがい)は、愛する人は和人君。そして……」

 

「俺にとっても、詩乃は愛する人です。生涯一緒に居るって誓ってる伴侶です」

 

「そうでしょう。だから、一番の危機が迫ってくる時に一緒に居なきゃいけないのは、あの娘を守らないといけないのはあなたなのよ、和人君」

 

 

 キリトはこれまでの事を思い出していた。自分にとってシノン/朝田詩乃はこの世界で唯一無二の愛する人であり、守りたい人であり、恋人であり、伴侶である。その詩乃を守る事、その傍に一生いる事を誓ってここまで来たし、これからもそうしていくつもりでいた。それは何度も思ってきた事であり、実行してきた事だった。

 

 今回もまたそれをするだけでいい、これまで通りの事をすればいいとイリスは言ってきているようだった。だが、それで上手くいくのだろうか。《死銃》は本当にプレイヤーの命を奪う力を持つ凶悪な存在だ。それで詩乃が殺されてしまったなら――そうならないために戦えというのがイリスからの依頼だった。

 

 だが、その戦いの中で自分が死んだらどうなる。その時詩乃はどうなってしまうというのか。一番の不安がそれであるという事にキリトは気が付いていた。間もなくイリスが背伸びをして目を近付けてくる。

 

 

「……不安でしょう、和人君」

 

「……はい。詩乃が死ぬのは絶対に許しません。だから《死銃》は絶対に倒します。けど、そこで俺が死んでしまったら、その時詩乃は……」

 

「ええ。きっと詩乃は生きていけなくなる。詩乃にとってあなたは必要不可欠な存在よ。あなたがそう思っているように。あなた達はどちらかが欠けてはいけないの」

 

 

 イリスは両手を伸ばし、キリトの両頬を包み込んで来た。キリトは引っ張られるように腰を落とし、背の小さい少女になっているイリスと目の高さを同じにする。

 

 

「和人君、依頼を一つ追加するわ。今回の戦い、あなたはあなた自身と詩乃を守りなさい。そのうえで《死銃》を倒し――詩乃のPTSDを克服に導いてあげなさい。わたしはその時何もできないけど……だからこそあなたにお願いするわ」

 

 

 イリスは一呼吸置いてから、もう一度口を開いた。その唇の(つや)は、これまで見てきた彼女の唇の艶と何も変わらなかった。

 

 

「わたしにとって詩乃は……可愛い(むすめ)みたいなものなのよ。そしてあなたも可愛い息子みたいなもの。だからね和人君。あなたのために、詩乃のために、自分と詩乃を守って戦って頂戴(ちょうだい)。この戦いできっと、詩乃は詩乃の望む幸せを手にできるようになるわ。どうかそこに手を貸してあげて」

 

 

 この戦いが無事に終われば、きっと詩乃は彼女の望む幸せを手にできるようになる。それがキリトの胸に強く引っ掛かっていた。そうだ。詩乃が強くなろうとしていたのは、結局自分との幸せな日々が欲しいという願いからだった。

 

 そしてここで現れた《死銃》。彼の者を倒す事ができれば、詩乃は自身の中に宿り続ける銃へのトラウマを克服できて、自分との幸せな日々を手にできるようになる――つまり彼女の願いが叶う事になるかもしれないという事だ。

 

 これに手を貸さない理由などないし、願いを叶えようとしている彼女のために戦わない理由もない。彼の者との戦いでこれまで通りの事をしないでいる理由などないのだ。

 

 彼女の最大の願いを叶えるためにも、自分がしっかり戦わなければ。自分も死なず、詩乃も死なせない。誰も死なせないで《死銃》を討つのだ。

 

 そして詩乃の願いを叶えてやるのだ。伴侶として、彼女に愛される人として――キリトは改めてそう思い直す事ができていた。次に来る《死銃》との戦いへの心構えができたような気がしてきていた。

 

 だが、その中でキリトはふと思った事を口にした。

 

 

「……イリスさん」

 

「うん?」

 

「詩乃と俺が可愛い娘と息子って……からかってます?」

 

 

 イリスはにまっと笑った。

 

 

「気付いた?」

 

 

 こんな時に冗談はよしてくれ。そう言おうとしたが、一方でキリトの中の緊張や不安はすっかりほぐれていた。

 





 次回からスクワッド・ジャム。

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