キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 後半エイユナ+ヴァ。

 


12:鋼鉄世界の歌姫

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 渇きに満ちた荒廃の世界である《GGO》に一つの大きな光が射して、続いて大きな声が届けられた。使用される事がない傾向にあったスタジアムに大勢のプレイヤーが集まり、観客席に座って熱狂しようとしていた。

 

 

「みんな――! お待たせしてごめーん!!」

 

 

 その中央部分に一人の少女が姿を見せると、プレイヤー達は一斉に歓声を上げた。男女問わず、黄色いとわかる悲鳴が鳴り響いていた。

 

 

「ユナちゃ――ん!!」

 

「ここにも来てくれるなんて――!!」

 

 

 あまりの歓声の大きさにキリトは驚いていた。キリト達もそのスタジアムの観客席の中に紛れ込んでいたのだが、プレイヤー達の反応に驚いていたのはキリトと隣にいるシノンとリラン程度だった。

 

 

「すごいな。ここでもユナは人気だったのか」

 

「《GGO》にはオーディナル・スケールのプレイヤーはいないと思っていたが、どうにもそうではなかったようだな」

 

 

 リランの(こぼ)した言葉にキリトは頷いていた。スタジアムの中央で今まさに歌を披露しようとしているのはユナだ。昨日エイジ達と一緒に戦って救出する事に成功したユナは、重村(しげむら)悠那(ゆうな)本人とARアイドルであるユナが融合した存在であった。

 

 昨日の深夜、合体犬型戦機ケルベロスとの戦闘を乗り越えて助け出したユナ。彼女を連れて街に帰ってすぐに、イリスが中心になってユナの解析が行われた。かつては《SAO》でゲームオーバーになって死亡したのがユナだった。

 

 本来ならば死者となっているはずの彼女の記憶や人格のコピーを内包していたナーヴギアからそれらをサルベージして、アニマボックスに適用する事で、事実上の蘇生に成功したという話だった。つまりはサチとマキと同じであり、この事をイリスは《電脳化(アニマライゼーション)》と呼んでいた。

 

 しかしこの《電脳化》は、死者をデジタル技術でほぼ強引に生者へ復活させる禁断の儀式のようなもの。《電脳化》によって生き返ってきた対象がまともな状態であるかどうかの保証はないというのが問題だった。

 

 その問題がユナに起きていた。サチとマキは何とか(まぬが)れたものの、ユナは体内に欠損箇所があって、それを直さないといけない状態にあった。詳しいやり方はイリスしか知らないものであったが、とりあえず処置が必要な状態であったというのに、ユナは《GGO》へと迷い込んでしまって、治療が遅れてしまっていた。

 

 そんなユナを無事に回収して、その欠損箇所を見た時にイリスは驚いていた。確かに欠損していたはずの箇所が、修繕されていたのだ。イリスくらいしかできないはずの処置が、何者かの手によって施されていたとわかったものだから、話を聞かされた時にはキリトも驚く事になった。

 

 その話はユナ自らがしてくれた。何でも、自分達がユナを助け出すために戦っていたその頃に、ユナ/悠那はどこか知らない場所に居て、そこで黒い服を着たユナに出会ったという。そのユナとの話を進めていくと、ユナは悠那の中に溶けるように流れ込んできて、悠那の意識を覚醒(かくせい)へと導いた。そして目が覚めた時には、《電脳生命体》として蘇った悠那の中に生じていた欠損は修繕されていた――という事らしい。

 

 ユナ――ARアイドルとしてのユナは、悠那の父親である重村(しげむら)徹大(てつひろ)がボスを務めていた企業《カムラ》によって作られたものだった。徹大も徹大でAI研究や開発の技術を持っていたが、イリスはその先を遥かに行っていた。

 

 会話できるし、アピールもできるけれども、結局は《ただの機械》の領域を脱する事はない。何より自分の恩師であるものの可愛げが全くない人である徹大によって作られているのが気に食わない。「子供かよ」と突っ込みを入れたくなるような理由でユナの事を毛嫌いしていたイリスであったが、悠那の話を聞いてその考えを改めたと言った。

 

 悠那を修繕(しゅうぜん)しなければならなかったが、ユナのおかげでその手間は省かれたうえに、恐らく自分がやるよりも良い形で悠那の修繕箇所(しゅうぜんかしょ)が埋まった。

 

 私が手を下す事なく悠那を直せたのはユナのおかげだ。彼女はそう言って満足そうにして、尚且つ嬉しそうにしているエイジとヴァン、そして悠那/ユナを見ていた。

 

「今日は私のステージに集まってくれてありがと――!!」

 

 その助かったユナがステージの真ん中で叫ぶと、周りの観客達が絶叫レベルの歓声で応答する。状態が良くなった事がわかった後、ユナは急に「大勢の人達に向けて歌を披露(ひろう)したい」と言い出して、キリト達を驚かせた。

 

 「なんでそんな事を?」と聞いてみたところ、彼女はずっと前からスタジアムだとかに人を集めて歌を披露したいという夢を持っていたと、ヴァンが教えてくれた。彼女はかつて人を集められるほどの実力も知名度もなかったが、今は大人気ARアイドルである黒いユナと同化しており、歌の実力は彼女自身の熱情によって大きく育っている。

 

 今ならばステージで多くの人を集めて歌う事もできるかもしれない――元精神科医がゆえに人心理解に秀でているイリスが提案したところ、ユナはそれに乗った。

 

 結果、どのプレイヤーでも自由に使う事のできるスタジアムを貸し切り状態にして、ARアイドル《ユナ》のゲリラライブという形で、ユナ/悠那本人が歌を披露するという予定が組まれる事となった。

 

 そして今、彼女はスタジアム中央にあるステージに現れ、今まさに歌を届けようとしていた。周りのプレイヤー達はサイリウムと思わしきアイテムを両手に持って、まさにアイドルのステージライブの様相を作り上げている。

 

 開始された時から思っていた事だが、この鋼鉄と荒野の世界である《GGO》にいるプレイヤー達の中にも、こういうふうにアイドルを好む者は大勢いたらしい。《GGO》にはアイドルファンなどいないだろう、いや、いたとしても《GGO》内ではそういった事はしないだろうと思っていたのは偏見だった。

 

 純粋なユナのファン達は、《GGO》にユナが現れれば、即座に反応して当たり前なのだ。自分の考え方の間違いを認識しながら、キリトは盛り上がる観客達を、そしてユナを見ていた。

 

 

「でも、ファンの人達は気付かないのかしら。あそこにいるユナの中身がARアイドルのユナとは違うって」

 

 

 シノンが(つぶや)いた疑問にキリトははっとした。それは自分も考えていた事である。

 

 今ステージで歌おうとしているユナの見た目は確かにARアイドルのユナなのだが、その中にいるのはARアイドルのユナのモデルとなったユナ/重村悠那本人。ARアイドルとして歌を披露する事だけを役目としていたために、歌を歌う事に関しては何も不安要素のなかったユナと、《電脳生命体》となったものの実態や性質は普通の人間と何も変わらない悠那。

 

 後者はやはり人間特有の不安定さが残っているため、前者――つまりAIのような完全な安定性はない。ARアイドルのユナをよく見ている者ならば、その僅かな違いを掴むのは容易であろう。その違いに気付いた時にファンが抱く感覚、そしてその後はどうなるのか。このステージライブの開催に合わせて、キリトはそんな懸念を抱かずにはいられなかった。

 

 

「イリスさん、その(あた)りはどうなんでしょうか。大丈夫そうですか」

 

 

 なのでキリトはユナを蘇らせた張本人であるイリスに尋ねた。白い戦闘用鎧を脱いで、黒と白を基調とした軽装をまとっている少女の姿をしている彼女は、すんと笑った。

 

 

「大丈夫だと思うよ。キリト君、もう一回ユナの事をしっかり見てごらんよ」

 

「?」

 

 

 キリトは首を傾げてユナを見た。偶然(ぐうぜん)にもそれと同じタイミングでユナは歌の披露を開始した。ステージに設置された大型スピーカーから音楽が流れ始め、それに合わせてユナが歌い始める。

 

 それはこれまでARアイドルのユナが歌っていたものであり、ユナ本人の持ち歌ではない。しかしユナはまるでそれが自分の歌のように歌っていた。スタジアムの中に音楽と歌声が満ちて、ファン達の歓声は一旦止まる。完全にユナの歌を聞き入っているのだ。

 

 

「……!」

 

 

 そんな状況を作り上げた張本人のユナを見つめ、キリトは気が付いた。

 

 ユナには自信が満ちている。自分ならばできる、自分ならば歌を披露する事でファン達を熱狂させる事ができるという確信を抱いて歌っているのだ。その自信が彼女の全身から放たれて、この場を包み込んでいる。ファン達は歌だけでなく、ユナから放たれる正しくて清らかな自信を感じ取り、浸っているようだった。

 

 あんなに周りに伝えられるくらいに自信満々になるにはどうすれば良いのだろうか。そんなものは容易に想像できた。ユナは歌を愛しているのだ。歌う事そのもの、歌を届ける事そのものを愛し、楽しんでいる。ミュージシャン、アイドルとして抱くべき当然の感覚を純粋に抱き、それに従っているだけだ。

 

 いや、そんな複雑ではない。単純に自分が好きでたまらない事をやっているだけだろう。自分が好きで、やってて楽しいと思っている事をただただやっている。それが彼女にこれ以上ない自信を抱かせ、結果的にこの熱狂を導き出している。

 

 そんなユナを見つめるキリトに、イリスが声をかけてきた。

 

 

「ユナ、楽しそうだろう」

 

「はい、楽しそうです。俺から見てもわかるくらい」

 

「あの()を蘇らせた後に色々聞いたんだけど、あの娘は何よりも歌が好きだったんだよ。だからこそアインクラッドでユニークスキルを得て、君達プレイヤーに歌を披露し、バフを掛ける事もできていたわけだ。全てはあの娘が歌が好きっていう思いから来てるのさ」

 

 

 オーディナル・スケールの一件で改めて知る事になったユナの事。アインクラッドの第一層で歌を披露しており、その歌を聞くと特殊なバフの付与を受ける事ができる《歌エンチャンター》という存在がユナであった。ユナにその力を与えていたのはユニークスキルであり、そしてそれはユナが「歌が好き」という純粋な思いを抱いていたからこそ得られたものだった。

 

 それほど歌が好きな彼女が、鋼鉄の世界のスタジアムにこれだけの人を集めて、それらのほとんどを熱狂させる事ができるというのは納得だった。

 

 

「けれど、その歌はここにいる皆のために披露されてるんじゃないよ」

 

 

 イリスの言った事にキリトは首を(かし)げる。

 

 

「え?」

 

「あの娘の視線は一見すると周りを見ているように思えるだろう。でもさ、よく見てごらん。あの娘、よく見ると一直線にあるところを見てるからさ」

 

 

 キリトはもう一度ユナのところを見た。彼女の視線は周りを見ているようにしか思えない。何か特別な変化があるようには思えなかった。そんな事を考えながら見つめ続けていると、時折ユナの視線が一箇所に向いている事に気が付いた。周りを見たかと思えば、一瞬だけそこを見て周りに戻すというのを繰り返している。そこに気になるものがある、気にかけているモノがあるかのようだ。

 

 キリトは誘われるようにしてそこを見てみた。正体が割れて、キリトは思わず笑んだ。そこにいたのは茶髪の青年と黒髪の少年。昨日一緒に戦った協力者であり、ユナにとって大切な人達であるエイジとヴァンだった。

 

 彼らはステージの一番手前の観客席、つまりユナから一番近い席でユナの歌を聞いていたのだ。ユナはそんな彼らを時折見つめるようにしながら歌っているというのがわかった。

 

 

「エイジ、ヴァン……!」

 

「そうさ。あの娘はエイジ君とヴァンのために歌ってるんだよ。あの二人に歌を届けるためにこのスタジアムを借りて、しっかり設備を整えて歌ってる。私達とファン達はあくまでその付き添いってわけ。いや、おまけみたいなもんかな」

 

 

 少し笑いながら言っているイリス。その様子は嬉しそうなものだ。やはりユナを《電脳生命体》として蘇らせられた事、それでエイジとヴァンを救えたのが嬉しいのだろう。そんなイリスにキリトは問いを返す。

 

 

「おまけってわけじゃないでしょ。ユナって、こういうステージで歌を歌うのが夢だったんでしょう」

 

「まぁそうだけど、本当はステージに大好きな人達を集めて歌いたいっていうのが夢であり、あの娘のやりたい事だったのさ。そのあの娘が大好きな人達、エイジ君とヴァンに歌を披露するライブを行うっていう話に、ファン達が勝手に喰い付いてきたようなものだ。そして、それが一番いい」

 

 

 キリトは首を傾げた。ふと気配を感じて振り返ると、シノンとリランも首を傾げていた。イリスは答える。

 

 

「人は大好きな人達のために本気になれるものさ。ユナにとってはそれがエイジ君とヴァンだったからこそ、ユナはあんなふうに思いきり歌えてるわけだし、これだけステージを盛り上げる事もできてる。大好きな人達に何かを届けたい――そう思って取り組めば、その思いは周りの他人達にも伝わっていく。大好きな人達のために頑張ろうっていう気持ちほど、本人や周りを突き動かすものはそんなにないよ。

 そしてエイジ君とヴァンも、そんなユナを取り戻したくてたまらなかったから、ユナが大好きだから、あそこまで頑張って戦ったわけだし、一度はキリト君達とも戦ったわけだ。あの子達は皆、自分の大切なモノ、大好きな人達の事だけを思っているだけなんだよ」

 

 

 イリスは顔をこちらに向けてきた。何度も見てきた、何か伝えたい事がある時の表情だった。

 

 

「もうわかり切ってる事だろうけど、君達も大好きな人達のために頑張ろうって思ってやってごらん。そうすればきっと、どんな困難でも乗り越えられるだろう」

 

 

 大好きな人達のために頑張ろう――そう思ってやってきた事は今までどれくらいあっただろうか。少なくとも強大な敵に立ち向かわなければならない時はそう思っていた気がする。そう思う事によって恐れを小さくし、逆に勇気を出して戦う事ができた。しかし当時、その事を意識していたかと言われると微妙なところだ。無意識のうちにやっていたのかもしれない。

 

 それを無意識ではなく意識的にやる事によって、困難に立ち向かうのも容易になる。ステージでライブを行っているユナは、それを教えてくれているような気がした。

 

 

「大好きな人達のために……頑張る……そうすればどんな困難も……」

 

 

 続けて、後ろから声が聞こえた気がした。もう一度振り向いてみたところ、それがシノンだとわかった。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「ユナ」

 

「エーくん、ヴァン!」

 

 

 エイジはヴァンを連れてユナのマイルームにやってきた。《GGO》ではプレイヤー一人一人に専用のプライベートルームが与えられるようになっており、エイジとユナにもそれが与えられていた。そこには自分が指名したプレイヤーやチームメイトなども誘う事ができるようになっており、今まさにエイジはユナに誘われてやってきていたのだった。

 

 そのエイジとヴァンをマイルームへ入れてくれたユナは、エイジの許へ駆け寄ってきて、そのまま抱き付いてきた。かつては得られなくなっていたものであり、つい先日までまたしても得られなくなってしまったのではないかと危惧していたもの。

 

 それが無事に得られている事にエイジは安堵し、(もたら)してくれたユナを抱き締め返した。心地よい温もりが彼女を通じて全身に流れ込んでくるのを受け入れた。

 

 十数秒後に身体を離し合うと、ユナは問いかけてきた。

 

 

「エーくん、ヴァン、どうだった? 私、上手く歌えてたかな」

 

 

 エイジは咄嗟に先程のステージライブの様子を思い出した。

 

 まるで妖精になったかのように軽く踊りつつ、スタジアムに歌声を届けていくユナと、ユナの歌声に酔いしれているかのように熱狂する観客達。それはまさしく最高のアイドルのステージライブの様相(ようそう)そのものであったが、エイジはずっとユナの歌に心奪われていた。

 

 ユナの歌を聞く事はこれまで何度もしてきたものだが、先日ユナが行方不明になっていたせいか、久しぶりに聞いたような気分になっていた。そんな気分にさせてくるユナの歌声は心にまで届き、胸の内に溜まる嫌な感情や不安を消し去ってくれるようなものだった。

 

 ステージライブは一時間にも(およ)んでいなかったが、それでも十分すぎるくらいにエイジは心身が浄化されて、救われたような気持ちでいっぱいになっていた。きっと周りの連中も同じだったに違いない。ステージライブが終わった時、耳を(ろう)するくらいの大歓声と感謝の言葉、拍手の嵐が吹き荒れていたのだから。

 

 こんな気持ちにしてくれたユナが上手く歌えていたかどうかなど言うまでもないが、口に出さずにいられなかった。

 

 

「ユナ、また上手になったんじゃないかな。今までよりも上手く歌ってたような気がするよ」

 

「え、本当? 私、そんなに練習してなかったのになぁ」

 

 

 ユナは少し信じられないような顔をしていた。ステージライブの際、最初から最後までユナの事を見ていたが、終わりの際の拍手と歓声の嵐が来た時には驚きを隠せないような顔になっていた。ここまで喜んでもらえるとは思っていなかったかのように。今もどうやらそうらしい。

 

 それを自分の隣で見ていたヴァンがユナに言う。

 

 

「それだけお前は歌が上達しているって事だよ、ユナ。エイジの言っている通り、お前の歌はすごく良かった。これまで聞いてきた中で一番良かったと思えるくらいな」

 

 

 ヴァンはユナに近付き、柔らかく笑んだ。

 

 

「最高だったぞ」

 

 

 随分とぶっきらぼうな口振りだったが、それが一番しっくりくる感想だった。

 

 先程のステージライブの内容がどうだったかというアンケート用紙を出されていたならば、間違いなく《最高だった》と記入するしかなかっただろう。自分達だけでなく、あの場に居た全てのプレイヤー達、ファン達がそう思ったに違いない。あのステージライブは大成功だ。

 

 エイジがうんうんと頷いていると、ヴァンを見ていたユナが再びエイジを見つめてきた。目尻に涙を溜めながらの笑顔になっていた。

 

 

「……ありがとう、エーくん、ヴァン。二人のおかげだよ」

 

 

 エイジは思わずきょとんとして、首を傾げた。

 

 

「え? 僕達のおかげ?」

 

 

 ユナは頷いた。

 

 

「そうだよ。二人がいなくなった私を探し出してくれて、見つけ出してくれたおかげで、今私はここに居られるの。それだけじゃないよ。さっき上手く歌えたのは、これまでずっと二人が私の歌を聞いてきてくれたからだよ」

 

「おれ達が聞いてたから? いや、お前が歌が上手くなってるのは、お前が何度も歌う事によって上達してるからであって……」

 

 

 ヴァンの反論にユナは首を横に振って答える。

 

 

「私ね、二人のために歌おうって考えて歌うと、いつもより上手に歌う事ができるような気がしてたんだ。二人が聞いてくれるからって思うと、自然と身体にしっかり力が入って、いつもより上手に歌えるような……そんな気がしてたんだよね」

 

 

 エイジは口を半開きにしてユナの言葉を聞いていた。ユナは続ける。

 

 

「それ、やっぱり本当の事だったんだよ。あの時も二人が私に一番近い席で聞いてくれてるって思って歌ったら、本当に上手く歌えた。集まってくれたプレイヤーの皆に、ファンの皆に、最高の歌を届ける事ができたんだ。もしあの場にエーくんとヴァンがいなかったら、きっと私は上手に歌う事なんてできなかったと思うの」

 

 

 ユナは一呼吸置いてから、エイジとヴァンを交互に見て言った。

 

 

「だから、私が上手に歌を歌おうって思えるのは、集まってくれた皆に歌を届けられるのは、全部エーくんとヴァンのおかげだよ。本当にありがとう」

 

 

 自分がユナにできている事など(たか)が知れている――エイジはずっとそう思っていた。ユナが何か大きな事を成し遂げられた時は、それはユナ自身の力によるものなのだと。自分の力のおかげではないのだと、そう思ってきた。

 

 今だってそうだった。だから「僕のおかげなんて事はないよ。ユナ自身によるものだよ」と返したいところなのだが――どうにもそれを言い出せる気にならず、代わりの言葉を出していた。

 

 

「……またユナの歌が聞けてよかった。また君と一緒に居られてすごく嬉しいよ。僕の方こそ、本当にありがとう、ユナ」

 

 

 そう言って、エイジはユナの身体をもう一度抱き締めた。感謝の気持ちを最大限まで込めて、抱擁した。それをユナは素直に受け取ってくれて、抱き締め返して来てくれた。

 

 ありがとう、ユナ。戻って来てくれて――。

 

 ありがとう、ユナ。歌を聞かせてくれて――そう思っていたその時、

 

 

「水を差して悪いんだが、鋭二に悠那」

 

 

 ほぼ不意にヴァンの声が聞こえてきて、エイジとユナはもう一度きょとんとし合って、声の発生源に向き直った。ヴァンが少し複雑そうな顔をしていた。

 

 

「お前達はもう二十歳を超えてるから、結婚する事は可能だ。というかその予定だろ」

 

 

 エイジはきょとんとしたまま考える。ユナが《電脳生命体》として蘇って、一緒に暮らしていくうちに、二人で結婚の事を考えて、その話をする事も多々あった。結果として、いずれ時が来たら結婚をする――戸籍はどうなるか不明であるが――予定を二人で組んだ。その話をした片方であるユナがヴァンに答える。

 

 

「そうだよ。私はヴァンと同じエボ……エヴォ――」

 

「《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》だ」

 

「そう、その《電脳生命体》になっちゃったから、戸籍とかやり方とかよくわからなくなってるけれど、そのうち結婚しようって考えてるよ」

 

 

 ユナに続けてエイジが問う。

 

 

「その話がどうかしたのか、ヴァン」

 

 

 するとヴァンは急に視線を逸らした。二人で一緒になって首を傾げると、そのままの形でヴァンが口を開いた。

 

 

「……そうなるとおれの扱いはどうなるんだ。おれはお前達夫婦の、鋭二と悠那にとっての何になるんだ」

 

 

 エイジははっとした。そうだ、ユナが帰ってきたらしようと思っていた話。自分達が結婚した場合の後のヴァンの扱いについての話だ。

 

 ヴァンは自分達にとって大切な家族であり、切り離す事のできない存在である。だからとユナ/悠那が結婚した後も一緒に居る事を約束しているのだが、その扱いはどういうものになるのだろうか。ヴァンはイリスの子供であるが、彼女の許を離れて自分達のところにいる。

 

 なので一般的に見ればヴァンは自分達にとって養子であり――自分達の子供という事になる。自分と悠那の、子供。そう聞かされた時の焦りが再来してくる。

 

 

「え、えっとだな、ヴァン……」

 

「その、お前達が結婚した後もおれと一緒にいてくれるって事になるとだな、話によるとおれはお前達の子供って事になって、鋭二はおれのパパで、悠那はおれのママって事になるみたいなんだよ」

 

 

 ヴァンは視線をこちらに向け直してきた。

 

 

「なあ悠那、お前はどう思うんだ? 急におれがお前の子供になるなんて、嫌じゃないか」

 

 

 ヴァンは少し震えた声で言っていた。戸惑いと恐れが混ざっているのがはっきりとしていた。悠那に拒絶されるかもしれないと恐れているのだろう。実際エイジ/鋭二も悠那が思う事への不安はあった。悠那はどう思うのだろうか。ヴァンが自分達の子供になるなんて話を受け入れられるのだろうか。

 

 鋭二は恐る恐る悠那の応答を待っていたが、それは予想より遥かに早く起きた。

 

 悠那は鋭二から離れると、ゆっくりとヴァンの許へと歩いていった。そしてその目の前まで行くとしゃがみ込んで、優しくヴァンの身体を抱き締めた。自分にしてくれた時のように。

 

 

「ヴァン」

 

 

 悠那の小さな声による呼びかけに、ヴァンは驚いた顔で答えた。

 

 

「え?」

 

「私、ずっと思ってたの。もし子供ができるなら、ヴァンみたいな子がいいなって。ううん、それより前にヴァンが私達の子供になってくれたら、どんなに良いかなって。ちゃんとした家族として受け入れられたら、どんなに幸せかなぁって……そう思ってた」

 

 

 鋭二は目を丸くしていた。悠那がそう言っているという事はつまり――。

 

 

「でも、エーくんにもヴァンにも話せなかったんだ。エーくんだって急にヴァンにパパにされて、ヴァンだってエーくんと私をパパとママだと思わなきゃいけなくなるから……そういうの嫌なんじゃないかなって、思ってた。だから、言い出せなかったんだ」

 

 

 悠那は目を見開いたままになっているヴァンの身体を離し、手をその肩に載せた。間もなくして、優しげな微笑みを顔に浮かべ、はっきりした声で言った。

 

 

「私は、良いよ。ヴァンが私達の子供になってくれても。ううん、ヴァンを子供としてほしいくらいだよ」

 

 

 ヴァンは瞬きを繰り返していた。悠那からの答えに驚ききってしまっている。その顔のまま、ヴァンはその目を鋭二へと向けてきた。自分の答えを知りたがってるのだろう。

 

 ヴァンを子供として受け入れるかどうか。本人も言っていなかったが、答えは既に出ている。その答えを言うために、鋭二は悠那の隣にしゃがみ込んで、ヴァンと目の高さを同じにした。宝石のように綺麗なオレンジ色の瞳を見つめ、鋭二は答えを言った。

 

 

「黙っててごめん、僕も悠那と同じ気持ちだったんだ。ヴァン、僕達の子供になってくれるかい」

 

 

 アインクラッドという絶望の城に閉じ込められていた自分達のところにやってきた希望の光であり、今も尚一緒に居てくれる事を誓ってくれている子、ヴァン。その子は鋭二と悠那を交互に見ていた。それさえも愛しく見えるその子に向け、悠那が声を掛ける。

 

 

「ヴァンの方こそ嫌じゃない? 私達の子供になるって、大丈夫かな」

 

 

 その直後に、ヴァンの瞳が一気に揺らいだ。間もなく大粒の涙がぼろぼろと零れ出していく。ヴァン本人曰くみっともない顔をして、ヴァンは二人の間に飛び込んできた。

 

 

「……大丈夫に決まってるだろうがぁ……なってやるよ、いや、なるよ……お前達二人の子供になる……! パパとママとか、子供っぽいから言わないけど……でも、お前達はおれの、両親だ」

 

 

 涙声で言ってきた子を、鋭二と悠那は優しく抱き締めた。その中で子はもう一度声を出してきた。

 

 

「……だから……大好きだ、鋭二、悠那……」

 

 

 その一言ではっきりした。これまで一緒に生きてくれた希望の光が、我が子になった瞬間だった。

 

 

 

 





 あと2回くらいで第4章終了です。

 

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