キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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16:心の守護者

 俺、シノン、リラン、ユイの四人は、ユリエールに連れられて、シンカーが閉じ込められてしまったというダンジョンに潜り込んだが、俺達はその場所に驚いてしまった。シンカーのいるダンジョンの在り処は、何と第1層の黒鉄宮の地下に存在していたのだ。

 

 ベータテストの時にも気が付かなかった隠しダンジョン。ユリエールによれば、このダンジョンは階層が解放されると同時に、出現するダンジョンであるそうだ。案の定というべきか、これを発見したのはキバオウらしく、キバオウはこのダンジョンを狩場として独占しようと画策していたそうなのだが、更に案の定というべきか、ここのモンスター達は60層並みと推測できるくらいに強くて、それでもなお戦おうとした結果、モンスター達に殺されはしなかったもののボコボコにされて、命辛々帰って来たそうだ。

 

 だけど、俺達はそうはならないだろう。俺のレベルは既に85まであるし、リランも同じ85、シノンは80レベルになっている。まだ57層までしかクリアされていないと言うのに、俺達のレベルはもう60層以上に挑んでも大丈夫なくらいだ。そしてこのダンジョンも60層クラスだそうだから、どうにでもなる。

 

「しかし、シンカーのいるところまで行くのは結構難しそうだな」

 

「はい。キバオウが使った回廊結晶のポイントは最深部の安全地帯付近なので、そこまでいくのには骨が折れます。何せこのダンジョンはまだ57層しか突破されてないのに、60層クラスの敵が現れるなんて言われる場所ですからね。貴方方でも本当に大丈夫なのか……」

 

 シノンが少し自信ありげに答える。

 

「ご心配なく。私達のレベルは57層の時点ですでに安全マージンをクリアしていますから、60層に挑んだとしても大丈夫です。他の人達から見れば上げ過ぎと言われるくらいですけれどね」

 

 ユリエールの目が丸くなる。

 

「まだ57層までしか解放されていないと言うのに、もうそこまで……一体何をされていたんです?」

 

 実のところ、57層までしか解放されていなくても、俗にいう高難度エリアというものが22層を除く層全体にちょくちょくあり、俺達はそこに籠ったりしてレベル上げをしていたのだ。敵が強すぎて殺されかねないから、他のプレイヤー達は手を出そうとしないのだけれど、俺達にはリランの力があるため、強いモンスターともほぼ互角に戦う事が出来たわけだ。

 

 ボス部屋でない事を良い事に、俺達はリランと力を合わせて戦い、人竜一体してモンスター達を討伐しまくり、経験値をありったけ稼ぎ続けた。結果、今の層の安全マージンを十分に超えるレベルになる事が出来たわけだ。……高難度エリアの割にはレアアイテムとかがあまり手に入らなかったのがショックではあったものの。

 

 ちなみにこれらの情報は外部には一切秘匿にしている。一般プレイヤーに漏らしてしまったら、ものすごい批判を浴びる事になるだろう。いや、そこはどうだっていいのだが、本当に防ぎたいのは、高難度エリアというものが存在しているならば、そこにレアアイテムがあるはずと盲目的に考えて突っ込むプレイヤーが現れる事だ。

 

 高難度エリアは文字通り高難度エリアであるため、リラン無しで突っ込んだら俺達だって危ういところだ。そんなエリアにリランなどの強い力を持たないプレイヤーが突っ込めば、瞬く間に殺されてしまうだろう。プレイヤー達の無意味な死を防ぐためにも、俺達は高難度エリアに行った事を秘匿にしているのだ。

 

 それに訪れた高難度エリアは、大体敵が強かったりするだけでレアアイテムがあったりするわけでも無かった。いや、別にレアアイテムが無かったわけでもないが、明らかに手に入った量は少なかったし、正直なところ敵が強かった事が一番よく印象に残っている。高難度エリアと称した、プレイヤー抹殺鬼畜エリアに改名した方がいいんじゃないかとときどき思う。

 

「ちょっと寝る間も惜しんで戦い続けてただけですよ。こいつと一緒にね」

 

 ユリエールは俺の隣をどすどすと歩いているリランの方に目を向けた。普段敵でしか無いはずのモンスターが仲間になって一緒に歩いているという光景に、プレイヤー達は魂消るもんだけど、ユリエールに至っては肝が据わっているのか、全くと言っていいほど驚かなかった。

 

「なるほど、攻略組の間で話題になるのがわかるような気がします」

 

「ですからご安心ください。いざとなったら、こいつと俺達の力でどんな敵も叩き潰しますので」

 

 ユリエールは「頼もしい限りです」と言って軽く笑った。

 

 その言葉を実行するように、俺達はダンジョン内の敵達を蹴散らしながら進み続けた。出て来た敵はほとんどが65レベルだとか70レベルだったが、80に達した俺達の相手にはならず、若干のアイテムとそこそこの経験値を俺達に落としながら消えて行った。

 

 その時にはリランも戦ったのだが、やはりリランの、俺達のSAOでの常識が崩されてしまうような大きな力を目にして、ユリエールは驚きを隠す事が出来なかったらしく、戦う俺達の後ろで、ユイと一緒に目を点にしていた。いや、呆然として動けなかったんだろう、多分。

 

 そんな事を続けながら、ダンジョンの奥深くまで進み続けたところ、安全地帯と、プレイヤーの気配が確認できた。そのプレイヤーが何者であるかを、ユリエールはすぐさま理解したようで、まるで我慢していた何かを吐き出すかのように走り出した。

 

「シンカ――――――!!」

 

 鎧を鳴らしながら走り出したユリエールの後を追って走ると、通路の奥の方に小部屋がある事が確認出来る。部屋の中はこのくらい通路を照らすように白い光を放っていて、その光の真ん中に男性が一人、逆行を浴びながら手を振っているのが見えた。

 

「シンカー、シンカー!!」

 

「ユリエール!!」

 

 どうやら、ユリエールの求めていたシンカーである事に間違いはないようだ。ユリエールの歓喜極まる声と動作がわかるが、すぐにシンカーの方から声が聞こえてきた。

 

「ユリエール、来ちゃ駄目だ――ッ!! その通路は――ッ!!」

 

 突然のシンカーからの警告。しかしユリエールの方には届いていないらしく、何も考えていないかのように走り抜けていく。そしてユリエールが部屋の前にある十字路に差し掛かった瞬間、ぶわりと黒い影のようなものがユリエールの真横で起こった。

 

 自分よりもレベルの高い敵である事を示す赤黒い色のカーソルが出現し、<The_Fatal_Sythe>というボスモンスターによくある固有名が現れた。いや、違う。ボスモンスターがいるんだ。そしてそれは今、ユリエールを狙っている!

 

「ユリエールさんッ!!」

 

 叫ぶ前に俺は駆け出し、ユリエールに追いついてその身体を抱え、右方向に逸れた。次の瞬間、俺達から見て左側面に大きな刃物のようなものが落ちてきて、突き刺さった。まるで空気を焼きながら振ってきたような刃物の存在に俺は腹の底から震えが来たのを感じたが、どうにかユリエールと一緒に攻撃を避ける事が出来たのがわかった。

 呆然としているユリエールを離して立ち上がり、その前に立って両手に剣を構えると、俺の目の前に2メートルはあるくらいに思える巨大な影が現れて、徐々に色や形が付いた。

 

 全体的に人の形をしているが、ほぼ全身が深い闇に包み込まれていて、顔と腕は骨になっているが、目だけは生々しく動いている、左手に血塗れの大きな鎌を持った、死神だった。これまで様々なモンスターと戦ってきたが、何故かこういうモンスターと戦う時だけは、生理的恐怖というべきか、震えがくる。

 

 死神は俺を見下ろして、ぎょろぎょろと目を動かしていたが、すぐさま俺の隣に弓を構えたシノンと、戦闘体勢になったリランが並んだ。自分よりも遥かにレベルが高い事を示す色である、血のような毒々しい赤黒い色のアイコンが頭上に出ている。――この死神、強い!

 

「いきなり現れるなんて……しかもこいつ、俺の索敵スキルでも能力を確認できない。多分だけど、90層クラスだ」

 

「そんなのが現れたの!?」

 

 シノンが驚く最中、リランがぐるぐると喉を鳴らしながら、言い放つ。

 

《ユリエール、ユイを連れて安全エリアに退避しろ!》

 

 それまでリランの《声》を聞いた事が無かったユリエールは周囲を見回した。咄嗟にシノンがリランの言葉を繰り返す。

 

「ユリエールさん、ユイを連れて安全エリアに退避してください! それで、転移結晶を使ってこのダンジョンを脱出してください!」

 

「そんな、貴方方は!?」

 

「俺達はこいつと戦います! 無理なら即行で転移結晶を使って逃げますから、大丈夫です! 早くユイと一緒に安全地帯へ!」

 

 ユリエールは頷き、ユイを連れてシンカーの待つ安全地帯へと走り去って行った。次の瞬間、俺はリランの背に飛び乗って、人竜一体の状態になる。ボス部屋の中ではない事を幸運と考えるべきか、ボスと出会ってしまって不運と考えるべきか、ひとまずこいつをなんとかしなければ。それこそ、ユリエール達が転移結晶を使って脱出するまでの時間を稼ぐんだ。

 

「リラン、いけそうか」

 

《我にもわからぬ。だが、出せる限りの力をぶつけるだけぞ!》

 

 そう言って、リランは口元を大きく開いて得意の火炎弾を何発も発射した。轟音と共に砲弾の如く発射された爆炎が死神の身体に直撃すると、灼熱の炎が死神の身体を包み込んだ。それに追い打ちをかけるかのごとく、シノンは光り輝いた矢を何発も爆炎に呑み込まれた死神に向けて発射した。

 

 リランの自慢の爆炎に呑み込まれて姿が見えなくなり、死神の様子を伺おうとしたその次の瞬間、死神は爆炎を凄まじいスピードで突き破って、再度俺達の目の前に姿を現した。突然の事に俺達が驚こうとした刹那に、死神は思い切り鎌を振り上げて、横に薙いだ。

 

 紅い閃光と衝撃が走り、俺とリランの身体は宙を舞い、やがて天井に激突してそのまま轟音と共に床にぶつかった。視界が暗転し、息が詰まる。朦朧とした意識のまま顔を上げてみれば、俺はリランとの人竜一体を解除していて、体力を半分以下にまで減らしていた。

 

 そのまま周囲に目を配れば、俺と同じように体力を半分以下にまで減らして黄色に変色させ、地面に倒れ込んでいるリラン、俺達よりも体力を減らして、危険を示す赤色に変色させて、倒れ込んだまま動かないシノンの姿が確認できた。

 

 ――一撃で、この有様!? こんなの、次来たら耐えきれない。しかもリランもシノンも今の衝撃を受けて気を失っているのか、全く動こうとしてくれない。動けるのは俺だけのようだ。

 

「くそ、くそっ……」

 

 何とか立ち上がった瞬間、死神はもう一度鎌を構え、横薙ぎをする体勢に入った。そのターゲットは、シノン。死神はまず、シノンの事を刈り取るつもりらしい。

 

「シノンッ!!!」

 

 俺は咄嗟に走り出して、シノンに覆いかぶさった。そのままぎゅっと目を瞑り、自分の体力が弾け飛んで――命が尽きるのを待った。どうせ死ぬなら、シノンを守って死んだ方がましだ――そう思って、待った。

 

 しかしいつまで経っても、死神の鎌は来ない。途中で攻撃をやめたのだろうか。いや、ボスモンスターがいきなり行動を止めるなんて事があり得るのだろうか。

 何事かと顔を上げて、振り向いた瞬間に、俺は唖然としてしまった。

 

 

 ユイだ。ユリエール達と一緒に逃げたはずのユイが、いつの間にか俺達のところへ戻ってきて、俺達と死神の間に入り込んでいる。死神はいつの間にか姿を現した少女に向けて、その首を刈り取るべく鎌を振るっていたのだが、死神の鎌は少女に辿り着く寸前のところで、紫色の壁に阻まれて停止していた。

 

「ユ、ユイ……?」

 

 声をかけた直後に、ユイと死神を隔てていた壁は爆発し、鎌は死神の手から外れて吹っ飛ばされた。そしてそのすぐ後に、俺はユイの頭上にこれまで見た事のない文字が出現している事を理解する。その名は、<Imortal_Object>。破壊不能オブジェクトを意味する言葉。

 

「破壊不能オブジェクトだと……?」

 

 次の瞬間、ユイの身体はふわりと浮きあがり、死神と同じ目の高さのところで止まったが、その刹那に、ユイの手からリランのそれにそっくりな爆炎が放出されて、やがてユイの全身を包み込んだ。爆炎はユイの服を一瞬で焼き払って、元の白い服装に変化させた後に、ユイの手に集合し、熱された鉄のような色をしながらも炎を纏った、ユイの身の丈どころか、俺の身の丈すらも超える長さの長剣になった。

 

 明らかにユイが扱えそうな大きさじゃないのに、ユイはそれを軽々と振り上げて、そのまま目の前で茫然としている死神に向けて灼熱の刃を振り下ろした。迫り来た燃え盛る剣、死神はそれを武器を失った手で防ごうとしたが、剣は死神の手を斬り下ろし、骸骨の頂点付近に直撃した。

 

 そしてそのままユイが剣を斬り抜くと、死神の身体はもう一度爆炎に包み込まれ、断末魔に似た声を上げた。やがて爆炎が治まった頃には、90層クラスの死神型ボスモンスターは姿を消していた。本当に、焼き尽くされて煤になってしまったようだった。

 

「ゆ、ユイ……?」

 

 俺の声の直後に、シノンとリランも意識を取り戻したように起き上がり、目の前に立ち尽くしているユイを驚いたような顔で見つめた。

 

「ユイ……あなた……なんで……?」

 

《あいつは、どこへいったのだ……?》

 

 俺はか細く、真実を口にした。

 

「ユイが、消し去った……」

 

 二人が驚きの声を上げると、ユイはゆっくりと振り返った。その目には、涙が浮かんでいた。

 

「パパ、ママ、リランさん、全部、思い出したよ」

 

 これまでのユイとは全く違う喋り方。そして全部思い出したという事は、記憶が戻ったという事を意味する言葉なはず。

 

「本当なのか。記憶が、戻ったのか」

 

 ユイは頷き、「こっちに来て」と言って、モンスターのいなくなった回廊を、奥にある白い小部屋を目指して歩き出した。ひとまずあそこなら何も出てこないから、安心して話をする事が出来るだろう――それを理解した俺達は、ひとまずユイの後を追って、部屋を目指した。

 

 辿り着いた部屋は真っ白な壁と床で構成されていたが、リランを収容しても大いにスペースが余るくらいで、小部屋とは言い難いものだった。そして部屋の中央には、不思議な水色の光がライン状に走る、大きな黒曜石の台のようなものがあった。ユイはそこに腰を掛けて、俺達に話を始めた。

 

「それで、思い出したのか、ユイ」

 

 ユイはゆっくりと頷き、顔を上げた。変わらず、その瞳からは涙が零れていた。

 

「キリトさん、シノンさん」

 

 パパとママではない俺達の呼び方に、思わずぎょっとする。ユイはそのまま続けた。

 

「ソードアート・オンラインと呼ばれるこの世界は、一つの巨大なシステムによって支配されています。その名は、カーディナルシステム。人間によるメンテナンスを必要としない存在として設計された、二つのコアプログラムが互いのエラーを修正し合うこのシステムが、この世界のバランスを自らの判断に基づいて制御しているのです。モンスターやNPCが内蔵しているAI、アイテムや通貨の出現バランス、この世界の何もかもがカーディナル指揮下のプログラム群に操作されています。それは、プレイヤーのメンタル的なケアすらも」

 

 ユイは目を閉じた。

 

「本来ならば、それはプログラムでもどうしようもなかったので、人間の手で行われるはずでした。しかしカーディナルの開発者達はそれすらもシステムにやらせようと思い、とあるプログラムAIを作り出しました。……メンタルヘルスカウンセリングプログラム。MHCP。その試作001号のコードネームは「ユイ」。それが、私です」

 

 俺達は顔が蒼くなったような気がした。これまでユイの事はプレイヤーであると思っていた。しかしそれは全くの外れで、ユイはカーディナルシステムによって動かされ、人の手によって作成されたプログラム。全く、わけがわからなかった。

 

「プログラムですって? ゆ、ユイが?」

 

 シノンがおどおどした様子を見せると、ユイは頷いて見せた。

 

「プレイヤーに違和感を与えないように、感情模倣機能が組み込まれています。ですから、私の目から流れている涙は全部偽者なんです。何もかもが、偽者なんです」

 

 ユイの目から涙が零れ落ち、ユイの頬から離れたところで蒸散エフェクトに変わる。

 だけど、だとしたらなぜ、ユイは記憶を失っていたというのだろう。

 

「じゃあなんで、ユイは記憶喪失だったんだ」

 

 ユイは俯いた。

 

「2年前、正式サービスが始まった日、カーディナルシステムは突然私にプレイヤーへの一切の干渉禁止を言い渡しました。私は逆らう事が出来ず、プレイヤーのメンタルのモニタリングだけを行う事にしました。――状態は最悪と言っていいものでした。恐怖、絶望、怒りといった負の感情に支配され、時として狂気に呑み込まれる人もいました」

 

 あの時の事は2年経った今でもよく覚えている。茅場晶彦による幽閉宣言、または死刑宣告。数多くのプレイヤーが負の感情に支配されて、狂気に呑み込まれ、奇声を上げ……第1層は瞬く間に渾沌を極めたんだった。本来、それをユイは防ぐはずだったのだけれど、カーディナルシステムのせいでそれが出来ず、あんな記憶喪失の幼児みたいになったんだろう。

 

 いや、カーディナルシステムのせいじゃない。あの時はきっとカーディナルシステムも普通に稼働していたんだ。それをあの時、この世界の創造主である茅場が捻じ曲げたんだ。

 

「本来ならば、私が赴いてそれらを防いだり、癒したりしなければならない。でも、カーディナルシステムによってそれを行う事が出来ない。本来の使命と矛盾した命令……私は、その矛盾によってエラーを蓄積させ、崩壊していきました」

 

 ユイは手を顔から離した。

 

「でも、そんなある時に、他のプレイヤーとは全く違うメンタルパラメータを持つプレイヤーを二人を発見しました。互いを求め合い、互いを認め合い、受け入れ合い、触れ合い、喜びを、安らぎを分かち合い、慈しみ合い、愛し合っている……そんな二人の傍に、私は行きたくなって、フィールドをさまよいました。それが、22層です。22層にあるシステムコンソールを使って実体化し、お二人の元へ行こうとしました」

 

「そういう事だったのね……」

 

 シノンは片手で顔の半分を覆った。ユイは更に続けた。

 

「キリトさん、シノンさん……私はお二人に会いたかった。おかしいですよね、そんな事思えるはずないのに。私は、ただのプログラムのはずなのに」

 

 ユイの瞳からは大粒の涙が次々と流れ出ていた。その姿を、ただのプログラムとして見る事は、俺には出来なかった。

 

「ユイ……お前は、本物の知性を持っているんだ。システムに操られるだけのプログラムなんかじゃないんだ。だから、自分の望みを言葉に出来るはずだよ。さぁ言ってごらん。ユイの望みを」

 

 ユイはゆっくりと顔を上げて、そのまま俺達に向けて手を伸ばした。

 

「私は、私は、もっと一緒に居たいです、ずっと一緒に居たいです。パパと、ママと……ずっと……!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、シノンは口元を覆って涙を流し、すぐさまユイの身体を抱き締めた。

 

「えぇ、えぇ。ずっと一緒よユイ。私達は、あなたと一緒よ……一緒に家に帰って、一緒に、思い出をたくさん作っていきましょう」

 

 二人にゆっくり近付いて、俺はシノンとユイを抱き締めた。

 

「あぁ。ユイは間違いなく俺達の子供だ。このまま、ずっと一緒に暮らそう……」

 

 ユイは何も言わずに黙り続けていたが、やがて静かに言った。

 

「……もう遅いんです」

 

 俺達はハッと目を開き、ユイを見つめた。

 

「なんだよ、もう遅いって……」

 

 ユイは足元にある黒曜石の台を見つめた。いつの間にか、パソコンのキーボードのような形の光が出現している。

 

「私が記憶を取り戻したのは、この石に触れたのが理由です。これは、ただの装飾品ではなく、GMがシステムに緊急アクセスするためのコンソールなんです。

 先程パパとママを襲ったボスモンスターはこのコンソールに近付けさせないためにカーディナルが設置したものだったのですが、それを私がこのコンソールからシステムに緊急アクセスを行い、オブジェクト消去機能を呼び出して、消去しました。その時にカーディナルにアクセスを行って言語機能などを修復しましたが、それは同時に放置されていた私にカーディナルが気付いた事を意味します。今、私の事をコアプログラムが調べています。……すぐさま、私を異物と判断して、消去を開始するでしょう」

 

 確かに、ユイは今まで散々システムの命令を無視して存在していた。システムから見れば、命令に従わない存在は邪魔者以外何物でもないが……だからって!

 

「そんなのないぞ! なんとかならないのか!?」

 

「なんともなりません。これで、パパとママともお別れです」

 

 シノンはぼろぼろと泣きながらユイの身体を抱き締めた。

 

「だめ、だめよユイ! これから一緒に、これからみんなで、楽しく、仲良く暮らして行こうって……!!」

 

 ユイは力なく、口を動かした。

 

「パパとママの傍にいると、みんなが笑顔になれる。これからも、私の代わりに、みんなの事を支えてあげてください。喜びを、分けてあげてください」

 

 ユイの身体が金色の光に包まれて、薄くなっていく。システムによる異物の消去が始まった。

 

「ユイ、逝くな!!」

 

 すかさずユイの手を握るが、ユイを包む光は強くなり、その身体は更に透けはじめる。もう間に合わないのか、本当にユイは消されるしかないのか。心を持ってしまった異物として、カーディナル、いや、茅場の思惑通りに、消されるのが運命だと言うのか。

 

《キリト、シノン、どけッ!!》

 

 その時、いきなり俺達の身体は両端に吹き飛ばされた。いったい何事かと思ってユイのいたところに目を向けてみたところで、俺は言葉を失った。リランが黒曜石の台に乗り上げて、額の角でユイの身体を串刺しにしていたのだ。何という行為、何という暴挙。

 

「り、リランッ!!?」

 

「な、何をしてるのよリランッ!!」

 

 その時、俺は気付いた。リランの角がこれまで見た事のない純白の光に包み込まれていて、ユイの身体を貫いている。あの光は何だと思う前に、リランは素早くユイの身体から角を引き抜いて、地面へ落ち始める前に、純白の光を纏う剣状の角でユイの身体を一閃した。その際にまるで爆発したかのような猛烈な光が発生し、俺達は目を細めて、顔を腕で庇った。そして光が止んで、状況をすぐに確認した際に、俺達は瞠目してしまった。

 

 リランはユイの身体を、歯の当たっていない部分で銜えて、黒曜石の台の上に立っていた。しかも消えるはずだったユイの身体は元通りに戻っていて、消滅の光もなくなっている。

 

「り、リラン……?」

 

 リランは静かに顔を俺の方へ向けて黒曜石の台から降りて、俺の元へ向かってきた。そしてそのまま、ゆっくりと顔を下ろして、口を軽く開いた。腕を出せ、ユイを抱き上げろと言う意思表示のようだ。

 

 俺はその意思表示に従って、両腕を前に出した。リランはそっと口を開いて、ユイの身体を解き放ち、俺に渡してきた。ユイの身体は確かに存在していて、消えずに残っていた。しかし、眠っているように目を閉じている。

 

「ゆ、ユイ……」

 

 すぐさま、俺と逆方向に突き飛ばされていたシノンが駆け寄ってきた。

 

「ユイ、ユイ!?」

 

 シノンはユイの顔を見つめた。やはり、ユイの身体は存在している。カーディナルに、茅場によって消去されてしまうはずなのに、ユイは何事もなかったかのようになっている。それこそ、カーディナルによる消去を途中で中断されてしまった、もしくはプログラム群から離脱してしまったかのように。

 

「ユイ、大丈夫なの、ユイ?」

 

 シノンの声に呼応するように、ユイはその瞼をゆっくりと開いて、その黒々とした瞳を俺達に見せつけて、その中に俺達の姿を映した。

 

「あれ……パパ、ママ……?」

 

 シノンが目を丸くする。

 

「ユイ、私達がわかるの……?」

 

 ユイの瞳はシノンの方へ向いた。

 

「ママ……わかります……ママ……」

 

 思わず、口を動かす。

 

「どういう事だ。ユイは消されるはずだったのに……消えてないぞ」

 

 ユイは頷いて、自らの手を頻りに見つめた。

 

「はい……どういう事でしょうか、これは。少し調べてみます……」

 

 その次の瞬間、俺は一瞬だけ途轍もない重みを感じた。それこそ強力な重力場に押し潰されそうになったかのような……そんな感覚に襲われて、すぐに消えた。さっきから何が起きているのか……そう思ったその時に、ユイが答えた。

 

「私は……カーディナルシステムから切り離されて、オブジェクト化されたようです。私は今義体のような存在で……本体は、パパのアイテムストレージの中にあるようです。そして保存先は、パパのナーヴギアのローカルメモリの中です……」

 

 それが原因か、一瞬身体が妙に重くなったような気がしたのは。しかし、一体全体どういう事なのだろうか。ユイがシステムから切り離されて、俺のローカルメモリの中に保存されたなんて。そう言えば、さっきリランがユイの事を一閃してしまったように見えたけれど、リランが何かをしたのだろうか。

 

「リラン、お前一体何をしたんだ。ユイに、何をしたんだ」

 

 リランは困ったような顔をして、《声》を送ってきた。

 

《わからぬ……ただ、我は、ユイの事が放っておけなくて、消されてしまうのが見過ごせなくて、気が付いたらあのような行為をしていた……具体的に何をしたのかは思い出せぬ。もう一度しろと言われても、出来ぬ……》

 

 リランは自分でも何をしたのか、覚えていないようだ。一体全体何が起きたというのか、考えても答えは出てこない。そんな中、ユイは自らの身体を見ながら、微笑んだ。

 

「でも何でしょうか……とても身体が軽いです。まるで、身体中に詰め込まれていたエラーが全て消去されてたような……」

 

 直後、シノンが恐る恐るユイの頬に手を差し伸べた。

 

「ねぇユイ……ユイはもう消えないの? カーディナルに、消去されたりしないの?」

 

 ユイは頷いて、シノンの手を両手で握り締めた。

 

「はい。本体がパパのローカルメモリの中にありますので、大丈夫です。流石のカーディナルも、プレイヤーのナーヴギアのローカルメモリの中まで手を出す事は出来ません」

 

 次の瞬間、シノンの瞳から大粒の涙が流れだし、すぐさま涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていった。――普段クールで感情を出したりしないようにしているシノンだが、そんな事を一切気にせずに、ユイの身体を抱き締めた。

 

「ユイッ、ユイ、ユイッ!!! よかった、よかった、無事で、無事でぇッ……!!」

 

 シノンの声につられたのか、ユイもまた涙声になって、シノンの胸の中で叫んだ。

 

「ママ……ママぁぁッ!!!」

 

 いったい何が起きたのかはわからない。だけど、俺の、俺達の娘であるユイは、カーディナルシステムから切り離されて、オブジェクト化された。茅場の思惑通りの事柄に、巻き込まれずに済んだんだ。その代わりに俺のナーヴギアのローカルメモリの中がいっぱいになってしまったかもしれないけれど、ユイが助かったのならば、そんな事はどうでもいい。そして、何が起きたかなんて、後から考えて、解き明かせばいいんだ。

 

 俺達の家に帰れば、四人で暮らせるんだ。俺、シノン、ユイ、リランの四人で!

 

「さぁ、シンカーさんもユリエールさんも、そしてユイも助かったんだ。みんな、第1層で待ってるはず。行こうぜ、シノン、ユイ、リラン。この騒動は、大団円の形で一件落着だ!」

 

 俺の妻、娘、相棒は頷いた。

 

 

 

 

      ◇◇◇

 

 

 俺達がダンジョンから脱出すると、教会の前で、イリス、サーシャ、アスナ、他の保母達、そして子供達による誕生会が行われていた。丁度空腹だったものだから、俺達は並べられているアスナが作ったと思われる料理に目を輝かせたのだが、アスナは「作りすぎたから食べまくっていいよ」と言ってくれて、俺達はがっついた。その時に、がっつく俺とリランの真似をして、ユイもがっつき始めたが、そこでシノンがストップをかけて、ユイが真似するからやめなさいと言ってきて、渋々静かに食べる事にした。

 

 その時に思わず驚いたのが、このパーティーに、子供達だけではなく、救出されたシンカーとユリエールも参加していた事だ。特にシンカーに至っては感激の表情でアスナの作ったであろうバーベキューにかぶりついていて、そんなシンカーをユリエールは穏やかな表情で見つめていた。そしてそのシンカーだが、とても組織のトップにいるような人とは思えないくらいに穏やかで優しいもので、とても柔らかい雰囲気を漂わせている人だった。

 

 そして思い出したのが、シンカーという人は、俺がこの世界に来る前に頻繁にチェックしていたゲームの情報サイトであるMMOトゥディの管理人だったという事だった。世話になったサイトの管理人であるシンカーとの邂逅に俺は感動して、シンカーに近付いたが、直後にシンカーは俺に頭を下げてきた。

 

「キリトさん、シノンさん、貴方方には本当に助けられた。本当に、何とお礼を言うべきか……」

 

「いえいえ、俺も現実世界の方で貴方のサイト、MMOトゥデイにはお世話になりましたから」

 

「あのサイトをチェックしててくれたんですか。当時は毎日の記事の更新を重荷と感じていましたが、ギルドリーダーの役割と比べたらどうって事ないものだったってわかりましたよ」

 

 その時、俺の隣にイリスがやってきて、何やら驚いたような顔をした。

 

「おぉー、貴方がMMOトゥデイの管理人さんだったのか。あそこには私もお世話になってたよ」

 

 シンカーが驚いたようにイリスを見つめる。

 

「えぇっ、貴方も利用者だったんですか」

 

「あぁ。これでも私もIT及びゲームオタクなんでね。貴方の作ったサイトには本当に世話になった事、なった事」

 

 その時に、俺は思い出した。そういえば、シンカーが助け出された後に軍はどうなったのだろうか。

 

「ところでシンカーさん、軍はどうなったんですか」

 

 シンカーは表情を少しだけ険しくした。

 

「あの後、あぁ、お二人がまだダンジョンに潜っていた時ですね。その間にキバオウと彼の配下を除名し、追放しました。もっと早くやるべきだったのですが、如何せん私が争いが苦手な性格でして……事態がどんどん悪化し続けてしまった。――軍自体も、解散しようと思ってます。でも解散してそのままは無責任ですから、一度消滅させた後に、もう一度一から作り直そうと計画します」

 

「随分と思い切りましたね」

 

 イリスが腕組みをする。

 

「いや、妥当な判断だと思うよ。なぁシンカーさん、巨大になった組織が弱体化し、すたれていく最大の理由ってわかるかな」

 

「え、なんですか、それは」

 

「それは、組織のトップに立つ人間が自分の私利私欲や利権のために組織を利用し始める事だ。その時から、組織の緩やかな死が始まって行くのさ。はっきり言ってしまうと、もうアインクラッド解放軍はキバオウのおかげで死にかけの組織。いっそ殺して、新たに生んだ方がよっぽどいいものが出来るさ。

 シンカーさん、貴方なら慈愛に満ちた組織を作る事が出来るだろう。軍の連中の中にも、フィールドに出た子供達をモンスターから守ってくれるようないい人もいるんだから」

 

 シンカーは頷いて、笑んだ。軍と言っても人間は沢山いるし、キバオウ一派のような無体な連中だけというわけではない。きっと、シンカーなら、イリスの言う慈愛に満ちた優しい組織を作る事が出来るだろう。

 そんな事を考えながら、俺はアスナ特製のバーベキューを口に運んだが、直後にイリスが小さな声で言った。

 

「それにしてもキリト君。君はシンカー救出戦の時に貴重な体験をして来たみたいじゃないか」

 

「え、なんでわかるんですか」

 

「君の目がそう訴えているのさ。同時にシノンのもね。そして君達が体験してきた事とは、この世界では滅多に出会えない存在に出会ってきたような事……それこそ」

 

 イリスは俺の耳元で囁くように言った。

 

 

 

「そう、それこそ、メンタルヘルスカウンセリングプログラムに出会って、この世界の事を詳しく聞いてきた、みたいな。そしてそれを、連れ帰ってきた、みたいな」

 

 

 

 その言葉に、俺はぎょっとして、目を見開いた。

 今、イリスはMHCPの事を言った。MHCPの存在は、今のところ俺達のみが知っているはずの情報なのに、イリスはその名を口にした。思わず、イリスの方を向いて、口を開こうとした瞬間、イリスは俺の口に人差し指を立てて押し付け、塞いだ。

 

「……君達の子(ユイ)もかなり疲れている様子。もう一晩だけ、宿泊していかない? そうすれば、今晩この世界の事を、カーディナルシステムの事をもっと詳しく話してあげようと考えているんだけど……()()()()()?」

 

 俺は、頷いた。

 


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