子供達の騒ぎというものは、朝食の時もすごかった。
コーンスープ、サラダ、パンと言った様々な食事がイリスや他の保母、ピンチヒッターのような役割で加えられたアスナとシノンの手によって用意されたが、それが思いのほか美味しかったおかげで、子供達は自分の分をすぐに食べ終えて、余った食べ物の取り合いを始めてしまった。
その勝負方法はじゃんけんやあっち向いてほいなど、実に様々。そんな子供達を呆然と見つめながら、俺達は角の方で食事を摂っていた。
「これはすごいな……」
「中々賑やかなもんだろう。この騒々しさ、賑やかさは街の酒場以上だと自負しているんだ」
イリスがコーヒーを口に運ぶと、サーシャがシノンとその隣にいるユイに顔を向けた。
「ユイちゃんの具合はどうですか」
シノンと俺はユイの方に目を向けた。ユイは出されたパンをさぞかし美味しそうな様子で食べており、昨日具合を悪くしたとは思えないほどに元気になっていた。一方リランの方も、アスナのすぐ近くで人間のようにパンをかじり、スープを飲んだりしていて、完全に元のリランに戻っているように思えた。
「一晩寝かせたおかげで元気になったようです。御協力感謝します、サーシャさん、イリス先生」
「なぁにこちらこそ。君達が手伝ってくれたおかげで、子供達にいつもよりも美味しいものを食べさせてあげられた。いくらゲームの中だとはいえ、空腹も味も、みんな現実のそれと変わらないのだから」
その言葉で、イリスが俺達と同じ人なのだと感じた。俺達は、この世界はもう一つの現実世界であり、そこで生きているという感覚なのだが、この人も同じように、この世界で生きている人なんだ。道理で気が合うわけだ。
「ところでアスナとシノン、やっぱり君達には保母のセンスがあるよ。どうだい、ここで保母として働いていくのは……」
アスナとシノンは驚いたような顔になったが、すぐさま苦笑いをした。
「ごめんなさいイリス先生。わたしはこれでも上層で攻略を行っている血盟騎士団の副団長でして……」
「私はキリトと一緒にユイと過ごしていきますけれど、流石にここ全部の子供達と触れ合うのはちょっと無理です……」
サーシャはアスナのカミングアウトに驚いたような顔になる。
「えっ、アスナさんは攻略組だったのですか」
「えぇ、まぁ」
イリスがパンを口に運んで齧り付き、呑み込んだ後に言う。
「そんな事だろうとは思っていたよ。アスナはどこか強そうだったし、子供達を纏めたりするのも上手だったから、どこかで相応の経験を積んでいるなと見えていた。まさか上層の大手攻略ギルドの副団長さんだとは、思わなかったけれどね。じゃあここで保母として働くのは無理か……」
アスナは小さく頭を下げたが、すぐにサーシャが俺達の方に顔を向けてきた。
「キリトさんとシノンさんはどうされるんです。どこかに家があったりするんですか」
「はい。22層の方に家がありますので、そこで四人で暮らしていきたいと思っています」
サーシャは首を傾げた。
「はい? 四人? 貴方方以外にまだ誰かいらっしゃるのですか?」
そういえば、サーシャとイリスにはリランの事を話していなかった。多分話したところでリランはサーシャとイリスには《声》を送らないだろうから、人間扱いしないと思うけれど。
「そこにいる小さなドラゴンです。こいつはアスナが連れていたのですが、元は俺の相棒なんです。ですからこいつを入れて四人家族なんです」
アスナの顔がきょとんとしたものになった。
「え? 四人家族? それってどういう事」
あぁそうか、アスナはまだ俺とシノンが結婚して夫婦関係になった事を知らないんだ。どうせだし、このまま教えるとするか――そう思ってシノンとの関係を話そうとしたその時に、シノンが俺の事をいきなり掴んだ。何事かと吃驚した瞬間、シノンは小さな声で言った。
「結婚した事言わないで!」
「えぇ、なんで」
「いいから言わないで! 騒ぎになっちゃう」
しまった。そう言えば、シノンは人前で俺との関係を話したり、それがわかるような行動を取ったり取られたりする事を嫌がっているんだった。
リズベットの時も確かそれで顔を真っ赤にして悶絶してしまったから、危うくそれを繰り返すところだった。
「わかったわかった」
俺はアスナの方に向き直した。
「ほら、俺達って同じ屋根の下で暮らしてるから、家族みたいだし、ユイも家族を欲しがってるみたいだから、四人家族って事にしてるんだ。別に血が繋がってるわけがないけれどさ」
アスナは「確かに」と言って納得したような顔をした。どうにか、俺達が結婚した事は悟られなかったらしい。これでシノンの悶絶を逃れる事が出来た。
「同じ屋根の下で四人家族か。こんな世界でそんなのを作れた君達は素晴らしいな」
そう言って、コーヒーを口に運ぼうとしたイリスは突然その動きを止めて、玄関先の方角に顔を向けた。
イリスの唐突な行動に俺達は驚く。
「イリスさん、どうしたんですか」
「……教会にここの子供達と保母以外のプレイヤーが来ると、懐に入れてる鈴アイテムが鳴るようになってる。今、鈴が鳴ってるんだ」
そんなアイテムがあるのか。だけど、音は聞こえてこない。イリスが見つけた、まだ発見されていないアイテムなのだろうか。そして子供達と保母以外のプレイヤーが来たという事は……この街を占拠している……、
「まさか、《軍》!?」
サーシャがイリスの方に目を向ける。まさか、昨日イリスが軍の連中を叩きのめしたから、その復讐にでも来たのだろうか。
「サーシャ、子供達を頼んだ。アスナ、キリト君、シノン、リラン、場合によっては私と一緒に」
「戦ってくれ、ですね。了解です」
すぐに普通の剣ではないエリュシデータを構えられる状態にして、俺は席を立った。続けて、アスナもリズベットが作った特別製細剣ランベントライト、シノンも短剣を構えられる状態になりながら立ち上がり、リランはふわりと舞い上がって俺の肩に乗った。
相棒が肩にいるというあの安心できる重みが来て、思わず心が躍ったが、今はそれどころではない。
「よし、いくぞ」
イリスの指示に俺達は頷き、音を立てないように玄関先へ向かった。玄関の戸は既に開いていて、外で《軍》のガラの悪いクズどもが剣を持って待ち構えているかと思ったが、広がっていたのは拍子抜けしてしまう光景だった。
――玄関先で待ち構えていたのは、武器を持っていない、灰色の長い髪の毛をポニーテールにしている女性だった。しかし、その服装は《軍》の連中と同じく灰緑と黒色を基調にしたものだったので、《軍》の関係者である事はすぐにわかった。
《軍》の女性は玄関先に現れた俺達の姿を確認するなり、口を静かに動かした。
「初めまして、ユリエールという者です」
アスナが警戒した様子で声をかける。
「《軍》の方ですよね」
ユリエールは静かに頷いた。俺はすかさずイリスの方に軽く顔を向ける。
「昨日、ここの姐さんがあんたの仲間を叩きのめしたけれど、それについて抗議しに来たのか」
ユリエールは表情を少し穏やかにして、首を横に振った。
「いえいえとんでもない。寧ろ貴方方には感謝したいところなのです。昨日は《軍》のならず者達を叩きのめしてくださって、ありがとうございました」
まさかの言葉に俺は驚いてしまった。てっきり、よくもうちの仲間をボコボコにしてくれたなと言って来るかと思ったが、逆に感謝されるなんて思ってもみなかったが、すぐさまユリエールがそう言ってくれた理由がわかったような気がした。
ユリエールの目は、《軍》やレッドプレイヤー達等の不正を働く者達のような醜くギラギラしたものではなく、快晴のように美しく澄み渡っていて、中で暖かい光が蓄えられているものだった。
「そこで、そんな事が出来た皆様にお願いをしに来たのです」
俺達はユリエールの事を警戒していたが、昨日軍の連中を叩きのめした張本人であるイリスは剣を腰に戻して非常時にし、俺達に声をかけてきた。
「どうやらこの人は私達に敵意が無いようだ。武器を仕舞え、みんな。そして、その話を聞かせてもらおうじゃないか、ユリエール」
そう言ってイリスはユリエールに手招きをして、こっちに来て下さいと言って教会の奥の方へと歩いて行った。俺達はどうも腑に落ちないような感じがしたが、ユリエールは見てのとおり他の軍の連中とは違って、俺達に敵意があるような邪悪な目をしていないうえに、悪人と善人を見分ける事を得意としているリランが何も言ってこないため、ユリエールを善人と判断、イリスの後を追って教会の奥に向かった。
そして応接室のような少し広い部屋にユリエールを招き入れて、同じテーブル席に座った後に、イリスがユリエールに声をかけた。
「それで、私達への要件とはなんだね」
ユリエールはまず、頭を下げた。
「先ずは謝罪をしたいです。昨日は《軍》の仲間が無体な行為をしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
イリスは首を横に振った。
「顔を上げてくれ。悪いのはあいつらであって、君ではないし、君とあいつらでは雲泥の差を感じる。多分君とあいつらは仲間とは言えないだろう。それで私達へのお願いとはいったいなんだ」
ユリエールは顔を上げた。
「それには、《軍》の状況の事などを説明しなければならないのですが、宜しいでしょうか」
「構わないよ。周りの皆はそう言う話に詳しいだろうけれど、私自身はここという狭い場所の経営者でしかないし、ほとんどここから出ないからそういった情報には疎い。話してくれ」
ユリエールは頷いて、俺達の方とイリスを見回しながら説明を始めた。
「昨日、貴方方に無体な行為をしたであろう軍ですが、《軍》は最初からあのような無体な行為を行う、ならず者の集まりではなかったのです。《軍》は元々、他のプレイヤー達が生き延びる方法を第一に考えて行動を起こし、狩場やアイテムの提供などを行う、極めて性質の良い組織でした。その時のギルドリーダーの名は……」
「シンカーだな。善人なギルドリーダーとして人気を醸していたような話を聞いてるけれど、最近になってギルドリーダーが交代する事になって、その時から軍が腐り始めたなんて話を聞くぞ」
俺の言葉にユリエールは頷く。
「もともとシンカーは、今のような独善的で、ならず者の集まりと言われて仕方が無いような組織を作ろうとしていたわけではないのです。ただ、情報やアイテムを、プレイヤーの間でなるべく均等に分かち合おうとしただけであって……今のような事をしようだなんて微塵も考えていませんでした」
俺は腕組みをした。最初はそうだったかもしれないけれど、軍は日に日にその大きさを膨らませて行って、最終的にはシンカーの手が届かないくらいにまで巨大に膨らんでしまったのだろう。結果、《軍》はシンカーの管理から外れ、無体な行為を行うようになったようなものなのだろう。
「だけど、《軍》は大きくなりすぎてしまい、シンカーの手に負えるようなものではなくなってしまった……」
ユリエールは頷いた。
「はい。《軍》の中で内部分裂が立て続けに起こり、ある時シンカーに台頭してきた男が現れました。その男の名は、キバオウ」
その名前に俺はハッとした。キバオウといえば、第1層の時にディアベルに無茶苦茶な批判を行い、その場を混乱の渦に陥れた奴だ。あいつのせいでせっかく纏まる事の出来たパーティが分裂し、聖竜連合派とアインクラッド解放軍派が出来てしまったようなものだ。
「キバオウか……確かにあいつならそんな事をやってしまいかねない」
「キバオウの一派は権力を強めていき、効率のいい狩場の独占や、徴税と称した恐喝紛いの行為などの暴挙を始めていったんです。だけど、ゲーム攻略そのものを蔑にするようなキバオウ一派の暴挙を批判する声も大きくなって、それを消すために、キバオウは配下の中の最も優秀なプレイヤーを最前線に送り出したんです。それが起きたのは、ここ数日前です」
確かに、このゲームがデスゲームと化してからは、少しでも強くなって攻略しやすくしたり、生き延びられるようにするために、効率よくレベリングが出来る狩場というのはとても貴重視されるようになった。だけどそれを独占していいなんて事は絶対にないし、他のMMORPGなどでも、なるべくやってはならない行為だ。
そしてボス戦。恐らくだが、アスナ、ディアベルも欠席して、ヒースクリフが出撃して行ったという最近のボス戦の事だろう。ボスは思ったよりも強かったけれど、ヒースクリフがその強さと指揮力でなんとかしたというが……血盟騎士団以外のギルドが戦ったという情報は入って来ていない。
「それで、どうなったんですか。キバオウの配下達は」
シノンの問いかけに、ユリエールは軽く片手で顔を覆った。
「ボスの攻撃に当てられて全滅、血盟騎士団にボス戦の存続を押し付けるようにして撤退を強いられました。はっきり言ってしまうと、ボスと血盟騎士団に惨敗したんです。結果としてキバオウは強く糾弾されて、もう少しで、彼をギルドから追放できるところまでいったのですが……追い詰められたキバオウはリーダー復権が迫ったシンカーを罠に陥れるという強攻策を実行しました」
ユリエールは拳を握って歯を食い縛った。
「シンカーを……ダンジョン奥深くに置き去りにしたんです」
ユリエールの言葉に全員で驚く。
ダンジョンの奥深くに置き去りにするというのは、ダンジョンの奥深くにいるモンスター達に、置き去りしたプレイヤーを袋叩きにさせる立派なPKだ。しかしこれは、転移結晶を持っていれば防ぐ事の出来る行為――なのだが……。
「転移結晶はどうしたんですか。まさか持っていなかったんですか」
ユリエールは頷いた。
「キバオウは丸腰で話し合おうと言って、シンカーを誘い込みました。それが罠であるなんてシンカーは疑わず、本当に丸腰のままダンジョンへ向かいました。――彼はいい人過ぎたんです……これは、三日前の出来事です」
アスナが驚きの声を上げる。
「三日もダンジョンの奥深くに!? シンカーさんは何を?」
「生命の碑を確認してみたところ、名前に横棒が引かれていなかったので、生存している事は確かなようです。しかし、かなりハイレベルなダンジョンなので、敵が強くて身動きが取れないようなのです」
ユリエールはぐっと目を瞑った。
「ギルドリーダーであるシンカーがこのまま戻らなければ、全てがキバオウのものになってしまう、更なる暴挙が繰り返される事になってしまいます。全ては副官である私の責任です。ですが、そのダンジョンは私一人ではどうにならないくらいにハイレベルで、キバオウがにらみを利かせる中では、《軍》の助力なんて全く当てにできません」
今の軍はキバオウが作り出したやりたい放題の犯罪組織のようなモノ、恐らくだが誰一人としてユリエールの話なんか聞きやしないし、協力したりしないだろう。もしかしたら、善意を持つユリエールを敵視して、シンカーと同じような目に遭わせ、殺そうとするのがオチかもしれない。
「そんな中で、最近攻略組の方で話題になっている、強力な竜を引き連れたプレイヤーと、その人に協力して戦い続けているプレイヤーの集団が第1層に姿を現したという話を聞き付けて、こうしてお願いに来た次第です」
強力な竜を引き連れたプレイヤーは俺の事で、竜はリランの事だろう。確かに俺は今まで休まず戦い続け、モンスターもボスも俺自身の力とリランの力、二人の力を合わせた人竜一体で跳ね除け、道を切り拓いてきた。今なんか、竜を連れた俺は攻略組に切り札と言われているような有様だ。
普通なら嬉しい気がするかもしれないけれど、何だか攻略に利用されているだけのような気がして、俺は少し口当たり悪く感じていた。
ユリエールは席から立ち上がり、俺に頭を下げた。
「キリトさんと、キリトさんに連れられている竜さん、お願いです。どうか私と一緒に、シンカーを救出に行ってくださいませんか」
俺は思わず驚いた。
確かにシンカーとは前から話してみたいと思っていたし、シンカーがいると言うのに軍がどうしてあのような有様になってしまったのか、とても気になっていた。だから、シンカーを助けに行きたいという気持ちはあるのだが……もしかしたらユリエールが嘘を吐いている可能性もある。リランが何も言わないけれど、彼女が真実を言っているとは限らない。
答えようとしたその時に、シノンが口を開いた。
「……私はキリトと一緒に行動しているプレイヤーです。私達に出来る事なら、力を貸してあげたい限りですが、裏付けが必要です。その話が本当であるという――」
「無理なお願いをしているという事は百も承知です。でも、彼が今どうしているかと思うと、気が狂ってしまいそうです……っ!」
頭を下げているユリエールの瞳から、雫が零れて、テーブルに落ちたのが見えた。その光景を最初から最後まで見ていた、俺の肩のリランが、《声》を送ってきた。
《キリト、この者の事は信じていいぞ。ユリエールは、お前達と同じで、シンカーを愛している》
「そうなのか、リラン」
《そうだとも。この者の瞳は温かい光を宿している。お前がシノンを愛おしいと思っている時に、瞳に映る光と同じ光があるのだ。だから、この者の事は信じてよい》
リランの言葉に驚いていると、続けてユイが口を開き、隣に座るシノンに声をかけた。
「大丈夫だよママ、その人は嘘吐いてないよ」
その場にいるユリエール以外の全員の視線がユイに集まる。
「そんな事わかるの、ユイ」
「なんだかよくわからないけれど、わかるよ」
ユイもリランも、ユリエールが信じるに足りる人物だという。リランの言葉もかなり信用できるものだし、ユイも俺達に嘘を吐くような子じゃない。きっと二人の言っている事は真実で、ユリエールの言っている事もまた、真実だろう。
「……よし、そうだな。疑って後悔するより、信じて後悔しよう、シノン、アスナ。さっさと行って、さっさと片付けてしまおう。なんとでもなるさ」
俺の言葉にシノンは頷き、続いてアスナも頷いて、ユリエールに言った。
「私も同行します、ユリエールさん。私は血盟騎士団の副団長アスナ、お力になれるはずです」
ユリエールは
「血盟騎士団副団長!? という事は、貴方がかの有名は閃光のアスナ!?」
すかさず、俺はユリエールさんに言う。
「その名前はよしてあげてください。本人はあまり快く思ってないので」
ユリエールは「失礼しました」と言って頭を下げた。
「しかし、血盟騎士団の副団長様が一緒とあらば、心強い限りです。よろしくお願いしま――」
ユリエールが言いかけたその時に、イリスが割って入った。
「あぁすまないんだけどアスナ、君は残ってほしいんだ」
「えっ、何でですか」
「今日、うちの子供達の中に誕生日を迎える子が二人いてさ、その誕生会用の料理を君に作ってもらいたいんだよ。君は料理スキルが尋常じゃないくらいに高いし、味への理解力も高い。だから、今日は手伝ってもらいたいのさ」
「そんな……私以外の人に頼めないんですか」
「昨日一緒に料理を作ったプレイヤーの中で、スキルが最も高いのは君なんだよ。だから頼む。今日くらい美味しいものを、誕生日を迎える子に食べさせてあげたいんだ。勿論君が十分に満足してくれるであろう報酬だって用意するからさ」
イリスが頭を下げると、アスナは軽く溜息を吐いて、頷いた。
「わかりました。私も子供達には美味しいものを食べてもらいたいので、その用件、呑み込みます」
イリスはもう一度頭を下げて「感謝する」と言った後に、すまなそうにして、俺とシノンを見つめた。
「ユリエールに協力するのは君達に頼んでいいかな、キリト君にシノン。私も院長として誕生会に出席しなければならないし、そもそも、そういうのの指揮をとるのも院長の務めだからさ、すまないが、君達に任せた」
イリスのまさかの欠席発言に驚く。イリスはかなり強いように見えたから、是非とも一緒に戦ってほしいって思っていたのに。でもこれだけの子供達がいるんだから、その中に誕生日を迎える子がいたっておかしい話ではないし、イリスも院長として出席して、誕生日を迎える子供を祝わなければならないのは当然だろう。
「わかりました。それじゃあ今日は俺とシノンとリランで行きます。まぁリランがいますから、あまりに高難易度なダンジョンでは無ければ大丈夫だとは思います」
ユリエールは「ありがとうございます」と言って深々と頭を下げた。リランはダンジョン、即ち圏外に出れば元の姿を取り戻して力を振るう事が出来るし、人竜一体もボス部屋で無い限りは使い放題だ。俺とリランの力を合わせれば、どんな敵が出てきても怖くない。
「それじゃあ、さっさといくとするか。ユイ、みんなと一緒に留守番してろよ」
直後、ユイは俺にしがみついてきた。
「いや、私もいくー!」
シノンの目が丸くなる。
「ちょっとユイ、何を言ってるのよ。イリス先生達と留守番してなさい」
「いやー!」
イリスが苦笑いする。
「美味しいものが食べれるよ。君も彼らの誕生会に――」
「いやー!」
断固として意見と意志を曲げようとしないユイに、俺達は思わず驚いて、戸惑った。ここまで頑固になっているという事は、もう付いて行かせるしか方法はないだろう。多分だが、もうユイは梃子でも動かない。
「わかったよ。ユイも一緒に行くとしよう。ただし、危なくなったら隠れるんだぞ」
「ちょっとキリト、何を言ってるの! ユイをダンジョンに行かせるなんて」
《戦闘はキリトと我が中心になって行う。ユイの事はお前に任せる》
リランが咄嗟にシノンへ顔を向けて、《声》を送ると、シノンはリランを慌てたような様子で見る。
「ちょっとあんたまで何を言ってて……」
《その幼子だが、頑固なところがあるようだ。もう梃子でも動こうとはしないだろう。それにその幼子にはこの世界がどのようなところであるかを理解させる必要もある。ダンジョンに潜り込むのは、いい経験になるはずだ》
「そうかもしれないけれど……わかった。こうなったら何が何でもユイを守るわ」
そう言ったのを確認して、俺はユリエールさんに声をかけた。
「さぁ、行こう、ユリエールさん」
ユリエールは泣きそうな顔になって、深々と頭を下げてきた。
「ご協力、感謝しますッ」
5月最後の更新。