キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 敵は来る。


 


05:黒い雨の鯱

          □□□

 

 

 まさかこんな事でフィールドに戻る事になるとは――キリトはそんな事を考えて《SBCグロッケン》を出て、荒野に舞い戻ってきていた。《機鋼狼リンドガルム》なる大型狼型四足歩行戦車の背に乗り、乾いた大地を突き進んでいる。

 

 この世界、GGOでも存分にその力を振るってくれると思っていた頼もしきリランは、この世界での通貨を燃料にして動いているような代物だった。

 

 金が無ければバッテリーも買えず、傷付いたその身体を直してやる事も出来ないし、その余りあるくらいの火力を発揮してもらう事も出来ない。

 

 これまでのリランは《使い魔》であり、自分は《ビーストテイマー》という関係だった。そこに金がかかる事など何もなかったというのに、このGGOに来た途端に金を請求されるようになってしまった。自分達の関係は何も変わっていないが、《使い魔》に動いてもらうには巨額の金が必要になる。それがこの世界のルールだった。

 

 そのルールを変える事は出来ない。逆らう事は出来るだろうが、逆らったところでリランを無駄に傷付け、やがて動けなくするだけだ。

 

 GGOは遥か未来で起きた惑星規模の大戦争の後の地球が舞台になっていると聞いた。フィールドに出れば旧文明の痕跡が多く見受けられるようになっているのだが、かつて地球にあった国の文化などは失われているのが確実だった。

 

 だが自分とリランのような強力な《使い魔》を持つ《ビーストテイマー》は、金が無ければ《使い魔》を操る事も、一緒に戦う事も出来ない。

 

 かつての地球の文明で蔓延(はびこ)っていたが、今は過去の遺物になってくれたはずの穢れた資本主義が文明を差し置いて意地汚く生き残っていて、自分達に覆い被さって来ている。そんな気がしてならなかった。

 

 

「リラン、バルカン砲がどこに落ちてたか憶えてるか」

 

《あぁわかるぞ。どうやらこの世界の我らにはレーダーやソナーが搭載されているらしい。おかげでドロップ済みのアイテムや銃火器の位置もばっちりだ》

 

 

 頭の中に響いてきた《声》にキリトは少しだけ安堵した。

 

 本来FPSというものにレーダーやソナーなんてものは搭載されていない。もし搭載されている場合はチートと罵られ、処罰対象にでもなっただろう。

 

 だが、この世界のリラン達《ビークルオートマタ》は高い金という代償を支払う事で稼働するものであるためか、そういうものがあるらしい。これが《ビーストテイマー》の特権だろうか。

 

 そんな《使い魔》であるリランの《声》に応答する者が居た。

 

 

「いいものね、そんなのがあるなんて」

 

 

 少し呆れが混ざっているように感じられるその声は、背中の方からしたものだった。シノンが少し身を乗り出して、リランに話しかけていた。

 

 当初、バルカン砲の回収はキリトとリランだけで行う手筈だった。しかし途中でシノンが「運び出すにしても、二人だけじゃ心配だわ。私が用心棒になってあげる」と立候補してきて、パーティに加わってきた。

 

 目的はベヒモスが落としたバルカン砲を回収する事だが、どんなプレイヤーも所持すればこれ以上なく鈍足となる程の重さのバルカン砲を運ぶため、リランの積載兵器を大分下ろしてきた。残っているのはガトリング砲とミサイルポッド――二つのうち一つだけ――であり、総合火力は大幅に低下していると言える。

 

 そして自分が持っている武器も、《カゲミツ》という大層な名の付いた光剣(フォトンソード)と自動拳銃《H&K USP》だけだ。戦闘時には右手に光剣、左手に拳銃を装備する事で、疑似的な《二刀流》のスタイルを作り出すようにしていた。

 

 完全な遠距離で戦うのが基本であるはずのGGOでは、光剣という超近距離武器で戦う者など珍しいどころではない。居たとすればそいつは世界に馴染めない愚者、或いは目立ちたがり屋の愚者であると聞いた。

 

 いずれにしても愚者扱いされる戦い方であるが、それでもキリトはこれまでずっと続けてきた、剣で戦うというスタンスを崩すつもりはなかった。

 

 寧ろ遠距離を安全地帯と思い込んで高をくくっている奴に急接近し、その身体を光剣で斬ってやるのも面白いというものだ。《黒の竜剣士》の神髄というものを、このGGOに刻み込んでやる。

 

 そんな事を思って、キリトは結局光剣と拳銃――《ガン&ソード》と呼ぶべき戦い方で進んでいくと決めた。

 

 だが、それでものすごく火力が出せているのかと言われると疑問だし、実際火力が出ているかもよくわかっていない。そんな状態でフィールドに出るなど、他プレイヤーや敵の機械獣達に目を付けられて、蜂の巣にされるだけだ。

 

 そんな懸念を払えなかったので、キリトは超遠距離戦が得意なシノンに同行を仕方なくお願いしたのだった。その時から彼女は少し呆れた様子を見せていたが、本当に嫌というわけでもなかったらしく、結果として快く同行してくれていた。

 

 PSG-1という火力の高い狙撃銃を使いこなす彼女が居てくれているという事自体がサポートになってくれているおかげで、少し肩の力を抜いてフィールドに出られていた。そして何の偶然なのか、敵性勢力とぶつかる事なく進む事が出来ている。

 

 頼むからこのまま終わってくれ。バルカン砲を手に入れるまで、何とも出会わないでくれよ。そんなキリトの望みは――一瞬で断たれた。

 

 前方から大地を薙ぐような強風が吹きつけてきた。雨を含んだ湿った風だ。目の前の空に闇が広がっている。正確には闇のようにどす黒い積乱雲なのだが、あまりの黒さで闇そのものが雲の形を取っているように見えて仕方がない。

 

 先程フィールドから街へ帰ってくる時に見かけた、異様な黒雲が空を覆っていた。あんな黒雲は見た事がない、嫌な予感がするから早く帰ろう――そう伝えるシュピーゲルに急かされて、キリト達は街へ戻った。

 

 可能であればその黒雲が去るまでフィールドに行かないようにしていたかったが、リランの修理のために出ていく羽目になったのが現状だった。

 

 街を出る際に、「あの黒雲があるかもしれないから注意して」とシュピーゲルに言われていたが、彼の言った通りの出来事が起きていた。

 

 

《降って来るぞ》

 

 

 リランの《声》が頭に響いた直後に、キリト達を雨が打ち付けてきた。ただでさえあまり届いてくれないという太陽光が闇の雲によって遮断され、一気に周囲が暗くなり、夜も同然になる。

 

 アメリカなどの海外では、あまりに発達した雨雲のせいで昼間なのに夜のように暗くなり、昼夜感覚がおかしくなる気象が起こるとセブンから聞いた事があった。

 

 それは如何程のものかと想像したりもしたが、実態は想像以上だった。リランの頭部に搭載されているヘッドライトが黒雲の作る闇を照らしてくれているが、それでも視界はかなり悪い。

 

 

「うぅッ……」

 

 

 身震いしているような声が背後から聞こえて、キリトは振り向いた。シノンが先程よりも力を込めて、こちらの腹に手を回し、背中に身体を付けていた。寒さで凍えているように小刻みに震えているのがわかる。

 

 実際、周囲の気温が異様なまでに下がっているようだ。吐く息が白くなって出てくる。雨雲の下は気温が下がるというのは知っているが、この黒雲の下は異様なまでに気温が下がるようになっているらしい。

 

 荒れた大地の温度が悉く奪われ、太陽光が全て遮断される事で作り出される闇は、こんなにも冷たいものだったのか。

 

 そういえばシノンはノースリーブでところどころがタイツやインナー状になっている戦闘服を着ており、とても寒さに強そうには見えない。凍えてしまって当然だ。

 

 

「シノン、大丈夫か」

 

「寒い……何なの、この雨。こんなに寒くなる雨なんて、GGOにはなかったわ」

 

 

 あの時のシュピーゲルも、そしてシノンでさえもこの気象は知らないらしい。闇が作り出す積乱雲と、闇の雨。この気象条件は一体何なのだろうか。こんな事ならばGGOの公式サイトで、アップデート情報をこまめに確かめておくべきだったと、キリトは今更ながら後悔した。

 

 そしてシノンの感じている寒さが、キリトも感じるようになってきた。着ているコート状戦闘服は高い防水性能を持ってくれているらしく、雨粒を弾いてくれているが、それでも寒さは防いでくれていない。雨が冷たいのではなく、空気そのものが冷たいのだから、防ぎようがなかった。

 

 

「俺も寒くなって来た。リラン、少し急げるか」

 

《視界は悪いが、レーダーは無事だ。このまま進み続ければ目的の物に辿り着けそうだ。今しばらくの辛抱だぞ》

 

「……そう言うって事はお前、寒くないみたいだな」

 

 

 リランからの応答はなかった。どうやら自分の言った事は図星だったらしい。これまでの彼女は狼竜という架空生物だったが、今は鋼鉄の鎧と人工筋肉に身を包んだロボットだ。寒さを感じるロボットなど原則として存在しない。戦闘用の兵器なら尚更だ。

 

 ここでもリランは随分と約得だ――キリトはそう思いつつ、リランの指し示す前方を見ていた。目が慣れて来たのか、ある程度景色が見えるようになってきた。少し遠くに黒ずんでいる旧文明の遺構である建物の断片、廃墟が見える。黒ずみはこの闇の雨のせいだろう。

 

 大まかな大地の形も見えるようになってきた。地面は既にこの闇の雨でぐしょぐしょに泥濘(ぬかる)んでいる。それを既に把握していたのか、リランはホバリングスライドモードになって走っていた。そのまま走ろうものならば、この泥濘(ぬかるみ)に足を取られてしまっていた事だろう。

 

 こんな足場の悪いところで戦う事になったら、容易ではない戦いを強いられる。どうか敵と出会いませんように――キリトはもう一度願ったが、そこで気が付いた。

 

 そう言えば敵が居ない。機械獣達も、その他の機械達も、そして敵性プレイヤー達の姿もない。この雨の中にいるせいで把握できないで居るのか、それともこの雨を避けるために姿を消しているのか。いずれにしても不自然なまでに接敵していない。この雨は一体何なのだろうか。

 

 

《む……?》

 

 

 リランの《声》がして、キリトは正面を見た。その頃に、リランはゆっくりとブレーキをかけて止まった。もう目的の代物の在処に辿り着いてくれたのだろうか。そう思って下を見て、キリトは目を見開いてしまった。

 

 あの時ベヒモスから滑り落ちたであろう重火器であるバルカン砲がそこにあるかと思いきや、違う物が落ちていた。

 

 形自体はあのバルカン砲と同じ六連砲身のガトリングの形状だが、あの特徴的過ぎるドラムマガジンは接続されていない。銃身の下部に、銃身を一回り程大きくしたくらいの大きさの円柱が横向きにセットされているだけだ。

 

 それはバルカン砲の下位的存在に当たるミニガンの特徴だった。目的のバルカン砲ではない。形は似ているが。

 

 

「リラン、立ち止まってどうした。これバルカン砲じゃないぞ」

 

《キリト、シノン。周りを見てみろ》

 

 

 言われたキリトはシノンと一緒に周囲を見て、軽く驚く事になった。そこら一帯に銃が落ちている。アサルトライフル、スナイパーライフル、ハンドガン、ロケットランチャー、サブマシンガン、マシンガンなど、あらゆる種類の銃火器が無造作に放り出されて、黒い雨を浴びてしまっている。ミニガンはその中の一つだった。

 

 

「なんだこれ。武器がこんなに落ちてるなんて……」

 

「スコードロンがやられたのかしら」

 

 

 スコードロン、パーティを組んでフィールドに出た際に敵の攻撃などで全滅すると、持っている武器やアイテムの多くがその場にドロップしてしまう。なのでパーティを組んだ敵性プレイヤーを全滅させる事に成功すると、彼らが居たところにはその所有物だった銃火器が多数落ちているという光景が出来る。

 

 周囲の光景は、なるほど確かに、スコードロンもしくはパーティが敗れた時のそれに似ていた。何者か達がここで交戦し、敗れ、その銃火器をドロップしてしまったと言ったところだろう。

 

 だが、落ちている武器にミニガンを含んでいるという事は、結構な腕前を持っているパーティだったというのは間違いない。そんな者達がこんなに容易く敗れてしまう事などあるものなのか。

 

 キリトは目を細めて、落ちている銃火器の数々を見ていたが、やがてシノンが声掛けしてきた。

 

 

「キリト、ここにある銃、全部拾っていいわ」

 

「えっ、そんな事しちゃっていいのか」

 

「元々GGOでのお金の稼ぎ方は敵から武器を奪い取って売る事なのよ。ここにあるのは負けた奴らの物だから、奪っちゃっていいのよ」

 

 

 まるで死人に口なしならぬ、敗者に口なしだ。勝者はWCとGCを得て、敗者は得物を奪われる。GGOという世界の基本ルールに、シノンはいち早く適合できていたようだった。

 

 置いてけぼりを喰らっているような気になったが、キリトはすぐにそれを振り払った。シノンが適合できているならば、彼女を守るためにも、自分もまたすぐに適合しなければ。

 

 

「それもそうか。じゃあ、遠慮なくそうさせてもらうぜ」

 

「ストレージに余計な物とかは入れてないでしょ? 全部拾っても問題ないはずよ」

 

 

 このGGOでのストレージはかなりの余裕がある作りになっている。ここに落ちている銃をすべて拾っても、重さにやられる事はなさそうだ。

 

 バルカン砲は規格外の武器であるがために、ストレージに入れる事が出来ず、持ち歩くしかないが、他の銃火器はそうではないのだ。ここにあるバルカン砲の下位武器であるミニガンも然り、アサルトライフルも然り。

 

 キリトはリランの背から降りて、落ちている武器を拾い集め、ストレージに入れていった。最後の物となったハンドガンを拾ってストレージに入れ込んだ際には、拾った武器の数は十丁にも及んだ。

 

 総重量はかなり増えているが、それでもまだ余裕がある。まだまだ拾って詰め込む事が出来るぞ――そう思っても、周りに銃火器らしきものは落ちていなかった。

 

 その直後、リランが何かに気付いたように《声》を送ってきた。

 

 

《むむっ。キリト、一際大きな武器反応を検知出来たぞ!》

 

「本当か。今度こそバルカン砲か!?」

 

《お前がここに落ちている武器を全部拾ってくれたおかげで、レーダーがクリアになった。この反応は間違いなく、あのオスゴリラが落としたバルカン砲だ》

 

 

 ようやく目当ての宝に辿り着けた。ここに落ちていた銃火器、そしてバルカン砲を街に持ち帰って売れば、リランをしばらく動かせるだけのWCが手に入るはずだ。同時にGCも手に入れられて、財布と口座もそれなりに潤う事になるだろう。一石二鳥とはこの事だ。キリトは胸に高鳴りを覚え、リランの背に戻った。

 

 

「よしリラン、そこまで行ってくれ!」

 

 

 キリトの指示にリランが頷き、ホバースライドのまま移動を開始した。闇に目が慣れたのか、先程よりも鮮明に景色が見える気がする。相変わらずぐしょぐしょに濡れてはいるが、大地も廃墟もよく見えた。間もなくして、リランの前方に大きな物影が地面に落ちているのを確認できた。

 

 六つの銃身が円柱状の束になっていて、大きなドラムマガジンが接続されている超々重火器の形。バルカン砲だ。桁違いの威力を誇っている代わりに、使い勝手が極めて最悪な武器が、あの時の形のまま地面に落ちていた。

 

 拾いに来ている者の姿はない。得物を取り戻そうとしているはずのベヒモスの姿も確認できない。自分達が一番乗りだ。

 

 

「あった!」

 

「あるじゃない!」

 

 

 キリトとシノンは見事にハモった。リランがバルカン砲の傍で止まると、即座に二人で降りた。フィリアがよく言っているお宝に近付き、見下ろす。

 

 リランが搭載しているアヴェンジャーよりも銃身が一つ少なく、口径も小さいが、戦機やプレイヤーを薙ぎ倒すにはこれ以上ないくらい頼もしい武器、バルカン砲。それは泥濘んだ地面に軽く沈んでしまっている。少し禍々しさを感じさせる黒色をしている銃身は黒い雨で常に洗われ、泥が付着していなかった。

 

 それにしても、デカい――そんな姿のバルカン砲を見て、キリトは思わず感想を言った。

 

 

「こんなのもプレイヤーが持てる武器なのか……」

 

「戦ってる時からすごいって思ってたけど、近くで見るともっとすごいわね……」

 

 

 シノンも目を点にしてバルカン砲を見ている。これだけの重火器を見る事はそうそうなかったのだろう。明らかにプレイヤーが持つ武器としては殺り過ぎ(オーバーキル)の代物だ。だからこそこのバルカン砲をオークションに売りに出した時、巨額のWCで取引されるのだろう。

 

 最強の《ビークルオートマタ》、リランの修理とバッテリーのチャージを可能にするだけの額が入ってくる。その時の事を薄っすら想像しながら、キリトはバルカン砲を持とうとした。

 

 

「ぬん、ぐうううッ……」

 

 

 だが、バルカン砲は動いてくれなかった。持ち上げようとしても持ち上がらない。全身の力を込めて持ち上げようとしても、びくともしない。それだけバルカン砲は重かった。その様子を、シノンが目を半開きにして見ていた。

 

 

「キリト、持ち上がらない?」

 

「持ち上がらない! なんだこれ、重すぎるッ……」

 

 

 自分のステ振りは筋力(STR)敏捷性(AGI)を中心に上げている。なのである程度重量のある物も取り扱えるようになっているはずなのだが、それでもバルカン砲を持ち上げる事は出来ない。要求ステータスはどうなっているのだ。とりあえず自分一人で何とかできる問題ではないようだ。

 

 察したキリトはすまなく思いながら、シノンへ声を掛けた。

 

 

「シノン、悪いけど手伝ってくれ」

 

「わかったわ」

 

 

 シノンは軽く苦笑いした後に、バルカン砲へ手を伸ばし、持ち上げてくれた。すると、びくともしなかったバルカン砲が少しだけ持ち上がった。……ほんの少しだけ。

 

 間もなくシノンが驚きの声を上げる。

 

 

「なにこれ、重すぎッ……!? 私のSTR(ストレングス)でもこれだけなの……!?」

 

「こんなのSTRを馬鹿みたいに極振りしないと運用できないだろ……あのベヒモス……!」

 

 

 こんな重すぎる火器を振り回していたベヒモスをリランはオスゴリラだと言っていたが、これは訂正すべきだ。ベヒモスは最早牛獣人(ミノタウロス)だろう。こんな重すぎる火器を使おうとする者の事は牛獣人(ミノタウロス)と言ってやる風潮を作ってやる必要があるかもしれない。

 

 そんな牛獣人御用達(ごようたし)のバルカン砲は、リランの許へ近付ければ、搭載させられる。あとほんの少しの辛抱だ。シノンに声掛けしつつ、ゆっくりと運んでいく。その時だった。

 

 

 

 ――あ れ――

 

 

 ――だ れ か い る の――

 

 

 

 不意に《声》が聞こえて、キリトは足を止めた。手から重いものが滑り落ち、地面に落ちる音がした。

 

 

「きゃっ!」

 

 

 同時に可愛らしい悲鳴に近い声もした。シノンの声だった。しかしその声と、今しがた聞こえた声は全く違っていた。間もなくシノンからの抗議の声が届けられてくる。

 

 

「ちょ、ちょっとキリトってば! なんで急に手を離すのよ!」

 

 

 キリトは周囲を見回した。分厚い黒雲が(もたら)す闇が辺り一面を包み込んでいる。黒い雨がそこに一役買い、辺りを暗くしてしまっている。それは先程から何も変わっていない。そこに誰もいないというのも、変わっていない。

 

 

「シノン、声が聞こえなかったか」

 

 

 尋ねてみるが、シノンは首を傾げた。不機嫌そうな顔をしている。

 

 

「声? そんなの聞こえなかったわ」

 

 

 という事は聞き間違いだったか。「ごめん」と謝り、キリトはバルカン砲のグリップを掴んで持ち上げようとした。銃身の一部をシノンがもう一度持ち上げてくれて、バルカン砲がまた少しだけ地面から離れる。二人で動きを合わせつつリランへ運んでいく。

 

 後二メートルもないくらいにまで近付いたその時――。

 

 

「……え?」

 

 

 急にシノンが動きを止めた。その手がバルカン砲から外れて、キリトは地面に引っ張られた。今さっきの自分と全く同じ事をされたものだから、キリトはびっくりしてシノンを見上げた。

 

 

「シノン、どうしたんだよ」

 

 

 シノンはひどく驚いた顔をしていた。

 

 

「……ねぇキリト、声がしたって本当?」

 

 

 キリトは目を見開く。先程確かに声が聞こえた気がしたのだが――シノンも聞こえたらしい。

 

 

「聞こえたのか、声が」

 

「えぇ、なんか今、「居た、来てくれた」って……」

 

 

 居た、来てくれた。シノンの聞き取った言葉と、自分が聞き取った言葉をキリトは組み合わせる。

 

 

 「あれ、誰かいるの。居た、来てくれた」

 

 

 ――繋ぎ合わせるとそうなったが、これではまるで遭難者の出す救難信号だ。誰かがここで助けを求めているのだろうか。

 

 意味が掴めないでいたが、やがて胸の内にざわめきが生まれてきた。何か良からぬモノに接近されている――本能がそう告げているような気がした。

 

 

「シノン、ちょっと急ごう」

 

「えぇ、急ぎましょう」

 

 

 シノンは即座に頷き、バルカン砲を持ち上げる姿勢に入った。二人でバルカン砲を持ち上げて、ゆっくり歩き、そしてついにリランの傍に置けた。

 

 そこでリランが右手をバルカン砲に置くと、バルカン砲は一瞬光に包まれて消え、空白になっているリランの右肩に再出現した。

 

 間もなくしてずしりと重みを受けたような反応を返し、リランは立ち上がる。

 

 

《両肩にバルカン砲とガトリング砲とは、心強い》

 

 

 その《声》にキリトは頷いた。確かに機体の両側にバルカン砲とガトリング砲があるならば、どちらの方向からも掃射で薙ぎ払えるから、頼もしいだろう。

 

 だが、バルカン砲はこれから売りに出すためのものだ。他でもない、リランを無事に動かすための金を得るためのものなのだから、情を入れてはいけない――情を入れる気もないが。

 

 

「なんなら、アヴェンジャーをもう一つ買って、装備してみたら?」

 

 

 シノンの提案にキリトは背筋が凍りそうになった。確かにそんな事も出来るかもしれないが、その時にどれだけのWCが吹き飛ぶ事になるか、わかったものではない。両肩にアヴェンジャーを装備できる日は、かなり遠い未来の話になりそうだ。

 

 

「いやいや、お金がありませんって。さてと、目的の物は回収できたし、街に戻ろ――」

 

 

 言いかけてリランの背中へ跨ろうとしたその時だった。

 

 

 

 ―― こ っ ち ――

 

 ―― こ っ ち ――

 

 

 

 またしても《声》が聞こえた。はっとして振り返ると、シノンも同じような事になっていた。彼女も《声》が聞こえたのだ。

 

 

「何……誰の声……?」

 

「なんだ、これ……?」

 

 

 リランも加えて三人で周囲を見回すが、黒い雨のせいでよく見えない。確かに何がかいるはずだが、上手く把握できない。一体なんだ――そう思いそうになったところで、リランの《声》が聞こえた。

 

 

《お、おい二人とも!》

 

 

 二人で一緒にリランの視線の先を見た。

 

 黒い雨に混ざって、六つの人影が見える。ふらついているようなぎこちない足取りでこちらに近付いて来ている。まるで不死者(ゾンビ)のようだ。このGGOには不死者なんてものまでいるのか。

 

 だが、それは不死者ではなかった。

 

 

 全身を黒い戦闘服に包んでいるが、ところどころ丸い白模様が入っている。頭部にヘッドギアを付け、目に当たる部分が白くなっているゴーグルを装着していて、手先は(ひれ)のような装飾が付けられている。

 

 

 黒い身体に白い丸模様、そして鰭。そこから一つの動物の姿が連想され、その名をキリトは口にしていた。

 

 

「……(シャチ)?」

 

 

 それに答えるように、《声》が聞こえた。

 

 

 

 ―― あ そ ぼ ――

 

 ―― あ そ ぼ ――

 

 

 

 その《声》の直後、鯱達の手元にアサルトライフルや超大型のナイフが出現した。

 

 

 




――今回登場武器解説――


H&K USP
 実在する自動拳銃。海外の軍事機関や警察機関、日本の警察でも採用されている、使い勝手の良い九mm口径ハンドガン。銃身下部にスライダーがあり、フラッシュライトやレーザーサイト、スコープ装着が出来るなど、幅広いカスタマイズが可能。サプレッサーも装着出来るので、消音効果もばっちり。


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