キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 原作から大改変。


17:最後の欠片

          □□□

 

 

 

「これで僕達の勝ちだ……もうすぐ悠那にまた会える……」

 

 

 エイジ/|鋭二は独り言ちた。シノン、フィリアとの戦いは、キリトの乱入によって敗北に終わった。

 

 衣服型強化外骨格装置(エクソスケルトン)を潰されて、思うように力が出せないように感じる。これ以上の戦いは無理かもしれない。

 

 しかし、最早鋭二にとってはどうでもよかった。それでいいのだ。悠那を復活させる儀式は(つつが)なく続いている。悠那はもうじき蘇るのだ。

 

 SAO生還者達全員の記憶を代償にして、蘇ってくれる。重村教授はあの時約束してくれたのだから。

 

 今はもう約束の最終段階に来ている。悠那との日々が取り返される時が来ている。だから自分達の勝ちだ。SAO生還者達全員と自分達の戦いは、自分達の勝利で終わる。

 

 シノンとフィリア、キリトには負けた。だが、結局彼女らの記憶は根こそぎ奪い取れる。彼女らの記憶を全て捧げる事で、あの世に連れていかれてしまった悠那をこの世に呼び戻す事が出来るのだ。彼女は死者の国から生者の国へ帰る。

 

 

「悠那……」

 

 

 鋭二は目を閉じた。頭の中に悠那との思い出、その後わかった事が浮かんでくる。

 

 

 エイジ――後沢鋭二はずっと独りぼっちだった。家族と呼んでいい人物はいない。確かに血が繋がった母親はいるが、それだけだ。

 

 物心ついた時に認識した父親は、母親の再婚相手だった。

 

 しかもこの二人の間には自分以外の子供が居て、密かに育てられていたという。そして鋭二は母親の連れ子だったのだが、両親はその事を一切鋭二に教えないでいた。

 

 これがわかったのはSAOが終わった後だが、その前からずっと鋭二は家族から感じられる異様な雰囲気によって、家族を信頼しないでいた。どこに居ても鋭二は一人だった。

 

 しかし、鋭二は孤独にはならなかった。そんな鋭二に近付く少女が居たのだ。まだ鋭二が幼稚園児の時、向こうから声を掛けてきたその娘は、重村悠那といった。

 

 初めは鋭二を面白そうに接する程度だったし、鋭二も少し戸惑うばかりだった。だが、いつの間にか悠那は鋭二の友達に勝手になって、勝手に仲良くしてくれるようになった。そのうち悠那は勝手に鋭二を「エーくん」と呼ぶようにもなった。

 

 そんな彼女のペースに巻き取られるようにして、鋭二もまた悠那と仲良くしたいと思えるようになった。幼稚園を卒業して小学校に入っても、悠那は鋭二と一緒に居た。中学校に入っても、悠那は鋭二と仲良くしてくれた。高校は別々のところに通う事になったが、それでも悠那と鋭二の交流は続いた。

 

 そんな日々が続いていたおかげなのか、それとも家族が信頼できる者達ではないとわかっていたからなのか、鋭二は悠那に好意を寄せるようになっていった。いつの間にか、悠那への恋心が出来上がっていたのだ。

 

 しかし、それを告白する勇気は鋭二になかった。

 

 もし悠那に告白して、断られれば、悠那との日々が終わる。信頼できる悠那の許から、信頼できない家族の許へ戻されてしまう。それが何よりも恐ろしかった。悠那への思いを伝えられず、時間だけが過ぎていく状態になっていた。

 

 そんなある時、SAOというゲームが出る事がわかった。仮想アバターに身を宿し、アバターとして振舞えるようになっているフルダイブMMORPGとされるそれに、鋭二は希望を感じた。

 

 もしかしたらあの中に行けば勇気が出て、悠那に告白できるのではないか。ここに悠那を誘えば、思いを伝えられるのではないか。そう思う鋭二の許へ、悠那から誘いが来た。

 

 「父のおかげでナーヴギアとSAOを入手できた。きっとエーくんもナーヴギアとSAOを買ってるはず。だから一緒に遊ぼう」。彼女は喜びに満ちた様子で鋭二を誘ってきた。その願ってもない誘いに鋭二は乗った。SAOという現実とは違う世界に行って、悠那に思いを伝えよう。

 

 きっと伝えられるはずだ――そう願い、鋭二はナーヴギアを装着し、SAOを起動した。

 

 それが全ての終わりであり、始まりだった。SAOはHPがゼロになると現実でも死ぬようになっているデスゲームだった。そしてクリアするまでログアウトする事は出来ないという、悪魔のゲームだったのだ。

 

 ノーチラスという、後沢をアナグラムにした名前となっていた鋭二は絶望した。恐ろしくてたまらなかった。ゲームでの死が現実でも死になるなど、悪夢以外の何物でもない。鋭二は動けなかった。

 

 しかし、そんな鋭二を動かした者がいた。それもまた悠那/ユナだった。悠那はこんな状況になっても尚、動くのを止めなかったのだ。

 

 「一緒に戦って、強くなって、ゲームを終わらせて現実世界に帰ろう、エーくん」。彼女は強気な笑みを浮かべて鋭二に言った。

 

 それが、鋭二の背中を押した。悠那のために強くなろう。誰よりも愛おしく、守るべき人のために戦って、強くなろう。悠那の言葉で決意を抱いた鋭二は戦った。戦って強くなり、いつの間にか《血盟騎士団》という実力者の集団へ入る事に成功していた。それが尚更鋭二の背中を押した。

 

 自分ならば悠那を守れる。悠那を守って、このゲームを終わらせる事ができる――そう思えるようになっていた。

 

 それから鋭二は戦い続けた。だが、それでも尚果たせない事があった。悠那への告白だ。どんなに強くなっても、どんなに戦い続けてモンスターに勝てても、悠那へ告白するという行為に辿り着く事、そこへ立ちはだかる壁を倒す事は出来なかった。

 

 悠那も強くなり、いつの間にか歌を披露するスキルを手に入れたりもしたが、それに集中しているようで、自分の事をどう考えているのか見当も付かなかった。

 

 どうすればいいのだろう。どうすれば、いいのだろう――一人悩む鋭二だったが、そこに思わぬ助っ人が現れる事になる。

 

 その者は――。

 

 

「……ん」

 

 

 鋭二は思い出すのをやめた。オーグマーの通話モードによる電話がかかってきている。相手は重村徹大だ。何かあったのだろうか。鋭二はオーグマーを操作し、通話を開始した。

 

 

「もしもし、教授……?」

 

《鋭二君。そちらはどうなっているね》

 

 

 余裕綽々。そんな様子が想像できる声色で教授は問いかけてきた。だが、彼が望む結果ではない結果が出てしまったと言えるだろう。

 

 

「地下駐車場にSAO生還者が二人やってきました。迎え撃ちましたが……三人目に不意打ちされて負けました」

 

 

 キリトの出現は鋭二の想定外だった。それは重村教授も同じだろう。しかし彼の声色は変わらなかった。

 

 

《……なるほど、負けて、記憶の奪取に失敗したと》

 

「はい。ですが、そちらで一斉スキャンを仕掛けて記憶の奪取は出来るでしょう。あいつから全部奪い取れば、あの時のユナを、悠那さんを蘇らせられる。そうでしょう。僕は――」

 

《――君にはまだ最後の仕事が残っているぞ。やるべき事が残っている》

 

 

 鋭二は思わず首を傾げた。まだできる事があるのか? オーディナル・スケールで負けてしまった自分に何か、出来る事がまだあるのか。

 

 

「それって、何でしょうか」

 

《君の持っている悠那の記憶を提供したまえ。鋭二君、君がSAOで一番長く悠那と一緒に居たのだろう? ならば悠那を蘇らせるために君の記憶も必要になる。君の記憶が最後の欠片なのだ。これで全てが揃った》

 

 

 鋭二は絶句した。僕の中の悠那との記憶を提供しろだと? そうすればどうなる。

 

 勿論悠那との日々を忘れる。SAOというデスゲームの世界で、ようやく手に入れる事の出来た暖かくて幸福な日々。それを取り戻したいがために、ここまで歩み続けてきた。戦い続けてきた。

 

 なのにその結末が悠那との思い出を全て渡せだと――鋭二は到底信じられなかった。

 

 

「何ですか、それ。僕の記憶は――」

 

《君はせっかく与えた装備を使えこなせないような弱虫だ。そんな奴に用はないし、悠那を任せる事など出来ない》

 

 

 信じがたい重村徹大からの言葉の次、目の前に見慣れた炎のエフェクトが出現する。オーディナル・スケールのボスが出現するエフェクトだ。それが晴れた時には、そこに一匹の竜が姿を見せていた。

 

 首の長い白い甲殻の、四枚の羽を持つドラゴン。ご丁寧な事にその額からは聖剣の角が突き出ている。鋭二にとっては協力者である《英雄の使徒》だった。

 

 しかし今はそれがこちらを狙っているというのを、鋭二は瞬時に察した。

 

 

「は、話が違います! 貴方は僕とヴァンに言ったじゃないですか! 僕と悠那を、ずっと一緒に居られるようにしてくれるって言ったじゃないですか!」

 

《君はよく働いてくれたが、本日をもって解雇する。後は私一人だけに任せたまえ。さらばだ、鋭二君》

 

 

 余裕に満ちた冷酷な声色で伝えて、徹大は一方的に通話を終了させた。鋭二は呆然としていた。

 

 あの時徹大は確かに約束してくれた。あの時の悠那を取り戻す方法がある。それを手伝ってくれれば、悠那とずっと一緒に居られるようにしてやる。

 

 困難極まりない任務になるかもしれないが、改良したオーグマーと衣服型強化外骨格装置(エクソスケルトン)を配布してやるから、それで遂行しろ、と。

 

 

「……あ、あぁ……」

 

 

 悠那を取り戻す事が出来る。家族さえ与えてくれなかった暖かな日々を、幸せに満ちた毎日を取り戻す事が出来る。SAOという悪魔のゲームに奪われた悠那を、再び自分の許へ奪い返す事が出来る。徹大は確かにそう約束してくれた。

 

 その任務を遂行するために、今あるオーグマーと衣服型強化外骨格装置を与えてくれたし、SAOクリア時に自分のナーヴギアのメモリに保存されたヴァンを、強力な《使い魔》という形に直してくれた。悠那を取り戻す、奪い返すために。

 

 徹大はそれを全力でサポートしてくれていた。

 

 

「悠……那……」

 

 

 だが、それは自分とヴァンの思い違いだった。徹大は最初から自分とヴァンを働かせられるだけ働かせて、蘇ってきた悠那を独り占めするつもりだったのだ。それこそが徹大の計画だった。

 

 悠那という存在を生き返らせるためのパズルのピースは最初から不足していた。その不足分こそが自分の記憶である。

 

 あの悠那の父親は、最初からそれをわかっていながら隠蔽し、ピースは隠されていない、SAO生還者達から奪えば全部埋まると偽り、自分を操ってきただけだったのだ。

 

 全部あいつに都合よく利用されていただけだった。

 

 その徹大の使徒であるドラゴンが鋭二に吼える。目の前に獲物が居る事に興奮し、舌なめずりをしていた。

 

 鋭二は呆然とそれを見ていた。こいつに喰われる。こいつに喰われて、悠那との思い出をすべて奪われる。

 

 こいつに――重村徹大に。

 

 

「ゆう、な、悠那、悠那、悠那、ユナ、ユナ……」

 

 

 鋭二は口を動かして繰り返していた。頭の中で何かが疼いている。頭だけじゃない、身体もそうだ。奥底で何かが蠢いているような感覚が襲ってきている。

 

 そんな感覚の頭の中で、思い出が次々フラッシュバックしていた。

 

 

 悠那と共に生きた日々。

 

 悠那の歌を間近で聞く時間。

 

 ヴァンがやってきてからの、三人で集まる時間。

 

 ヴァンに背中を押されて悠那に思いを伝えた時の覚悟、それを受け入れてくれた悠那の、喜びの涙と笑顔。

 

 自分の思いと悠那の思いが通じ合っていた事に対する歓喜。

 

 思い切った悠那と身体を繋げた時の、悠那の肌の感触、声、温もり。

 

 愛し合う事の喜び、愛する人がすぐ近くに居てくれる幸福。

 

 自分と悠那とヴァンの三人で暮らしていくという日々――あらゆる思い出が泡沫(うたかた)のように浮かんでくる。

 

 その思い出が浮かぶ空間の中に、巨大な徹大の幻影が君臨した。徹大は思い出を片っ端から掴んで引っこ抜き、引き千切り、鋭二の思い出を穴だらけにしていく。

 

 そして全てを奪い尽くした後で高笑いすると、鋭二に向き直る。

 

 

《お前は用済みだ。悠那は私だけのものだ。さぁ、その記憶を大人しく渡して、後は私一人に任せたまえ》

 

 

 徹大の幻影は、鋭二の視界を埋めている《英雄の使徒》と合体した。間もなくもう一度《英雄の使徒》が吼える。奪い取るために、鋭二の唯一無二の宝物を奪い取って、独占するために――汚い声で吼えている。

 

 

「………………ひ……ろ……」

 

 

 鋭二は俯ていた。ぎりぎりと音がする。それが自分の歯が食い縛られる音だと、鋭二は最初気付かなかった。そこに気付いた頃、音はみしみしという軋むような音に変わっていた。

 

 胸の内から強く、熱いものが込み上げてくる。熱いどころではない。全てを焼き尽くすどころか溶かし尽くしてしまう、マグマのような熱。それが胸から込み上がり、喉へ向かう。

 

 その喉に、口許に、貯め込まれていたものが存在している事に、鋭二は気付いた。まだ正体はわからないが、貯め込まれているものがある。

 

 その貯蔵庫にマグマが向かっているイメージが、鋭二の頭に広がり、進んでいた。

 

 

「……て………ろ………てつ………ひ……ろ」

 

 

 またしても《英雄の使徒》が吼えていた。

 

 SAOに悠那は奪われた。彼女を奪い返すために、重村徹大に協力した。だが、真実は違った。

 

 悠那を奪ったのはSAOではない。最初から徹大に奪われていた。その徹大は悠那だけでは飽き足らず、自分の記憶さえも奪おうとしている。何もかもを奪い取ろうとしている。

 

 その手が、ついに伸びてきた。だがその寸前で、マグマが鋭二の口許に、何かが貯蔵されているところへ到達した。その際ようやく、貯蔵されたモノの正体が分かった。

 

 ――油だ。自分でも知らないうちに貯蔵されていた膨大な量の可燃性の油に、胸から溢れてきたマグマが到達した。

 

 油は高熱を浴びて一瞬で気化する。そのイメージの直後に。

 

 

 ぶちり――という音が、額からした。

 

 

 

「徹大オオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 次の瞬間に鋭二は全身から叫び、右手で拳を突き出していた。瞬間移動かと見間違えるくらいの速度で繰り出されたパンチが、同時に突き出されてきていた《英雄の使徒》の頭に炸裂し、その頬元を(えぐ)っていた。

 

 あまりの衝撃を受けた《英雄の使徒》の首は、皮が伸びに伸び、頭そのものが首を軸にして独楽(コマ)のように超高速回転する。回転が止まった時、《英雄の使徒》の首は目元が下、顎が上に来ている、上下逆さま状態になっていた。

 

 そこに鋭二は狙いを定めていた。鋭二にとって《英雄の使徒》は、略奪者である重村徹大だった。

 

 

「僕の記憶を寄越せ、だと……僕の記憶は……これは、僕の宝物だ……」

 

 

 鋭二は取り戻したロッドでスイングする前姿勢を取る。ロッドは片手剣に姿を取り戻していた。

 

 

「お前如きが触るなアアアアアアアアアッ!!!」

 

 

 鋭二は全身の力を込めて片手剣でスイングした。振ると同時に刃先は《英雄の使徒》の頭を()ねる。撥ねられた《英雄の使徒》の頭は、まるでスーパーボールのようになって地下駐車場を跳んで廻った。

 

 跳ね回る頭がやがて勢いを失ってぼとりと落ちると、頭を失った胴体も惨めにばたりと倒れ、消えた。何が影響しているのか、オーディナル・スケールの鋭二/エイジは復活を遂げていた。衣装がオーディナル・スケールをプレイしている時のものに戻っている。

 

 エイジは歩みを進めていた。息をすると「ふーッ、ふーッ」という獣のようなそれになっているが、気にしない。

 

 胸の内から込み上げる怒りが止まらない。全身が燃えているように熱く、力をぶつけたくてたまらない。

 

 

「徹大……お前だけは……貴様だけはぁ……」

 

 

 歯を食い縛るだけでみしみしと軋む音が鳴る。

 

 僕の記憶は悠那との思い出、僕の唯一無二の宝物。それを奪う略奪者など、許すものか――そう唱えたその時に、エイジは歩みを止めた。頭が急に冴え渡り、静かになった。

 

 地下駐車場のものがよく見える。柱、照明、エレベーター、車。見るもの全てに焦点が合っている。高解像度のカメラで撮影した写真や映像を見ているかのよう。そして耳元には遠くからのざわめきが届けられている。これは一種の全能感だった。

 

 五感と思考が極限まで高められていた。

 

 

「あ……れ……」

 

 

 その頭でエイジは改めて思考する。今、このスタジアムで悠那を生き返らせるための儀式が行われている。しかしこのままでは儀式は不完全なままで終わる。それは何故か。SAOで共に生きた自分の記憶が欠けてしまっているからだ。

 

 SAOで悠那と共に生きた自分の記憶こそが最後のピースであり、これを嵌める事で悠那というパズルが完成する。それが徹大の言い分だ。

 

 だが、そこに違和感が出てきていた。――果たしてそれだけか?

 

 

「……あ」

 

 

 エイジは気付いた。徹大の言い分は間違っている。まだ足りない。徹大の計画通りに自分の記憶を引き抜いて嵌めたところで、悠那のパズルは完成しないのだ。

 

 ピースが足りていない。最も重要な(コア)となるピースが足りていないのだ。このまま自分の記憶を差し出したところで、徹大の思惑通りにはならない。

 一番大切なピースがある事に、徹大自身が気が付いていないからだ。

 

 これがあれば、自分の記憶を使う必要はない――その事に徹大は気付いていないどころか、これのせいで儀式が不完全である事も知らないでいる。

 

 

「――くく、ははははははは」

 

 

 口から笑いが零れ出た。なんて間抜けなんだろう。なんて滑稽(こっけい)なんだろう。けれどこの滑稽さのおかげで、儀式を完全にする方法を思いつく事が出来た。

 

 SAOから、完全に悠那を奪い返す儀式を完成させる事が出来ると気が付けた。

 

 

 ――お礼をしないといけない。二人で。

 

 

「悠那、もう少しだけ待っててくれ……」

 

 

 エイジはエレベーターではなく、階段を駆け上がった。

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「なんなんだよ、これは……!」

 

 

 キリトは仲間と一緒に戦っていた。楽しいユナのライブが行われているかに思えたスタジアムの会場に《英雄の使徒》の群れが押し寄せ、プレイヤーとなった観客達を襲っている。キリト、シノン、フィリアの三人で駆け付けた時、仲間達は既に交戦状態にあった。

 

 そこへ合流を果たし、共に戦い始めたが、一向に状況は進んでいない。《英雄の使徒》は次から次へと供給されてきて、倒しても倒してもきりがない。そしてエイジを倒したというのに、記憶の集積所の在処もわかっていない。

 

 リランが解析を試みているらしいが、それがどこまで進んでいるかもわからない。彼女は回線を飛んでクラッキングしているらしいのだが、続報は止まったきりだ。

 

 これならばリランに戻ってきてもらって、一緒に戦ってもらった方が良かった。しかしそれだと集積所の在処、このスタジアムで起きている事の詳細がわからなくなる。ユイとストレアも解析を試みているが、クラッキングが必要になっており、並大抵のクラッキング技術ではどうにもならなくなっている。

 

 なのでリランが出るしかなかったのだ。ひどい板挟みだ。

 

 

「倒しても倒してもきりがないぞ……一体どれだけ控えてるんだ」

 

 

 盾で攻撃を防ぎつつ、応戦しているディアベルにも疲れが見えてきていた。それは他の皆も同じだ。慣れないARでの戦闘に身体が付いていけていないのだ。

 

 しかも皆に至っては昨日の夜まで《英雄の使徒》と戦い続けてランクを上げていたというのだから、疲労が蓄積してしまっているのだろう。VRでの戦いならばどうにかなっただろうが、ARではどうにもならない。

 

 

「全く、重村先生は本当に可愛くない人だよ。心臓に疾患ある人間をARで強制的に戦わせるなんてさ!」

 

 

 これまでオーディナル・スケールに参加する事のなかったイリスもオーディナル・スケールで戦闘服姿になり、刀のような長剣を構えて応戦している。イリスの心臓の悪さを知る皆でフォローに回っているが、出来る事に限りはあるし、疲労が見えてきている。このままではじり貧になって負けて終わりだ。

 

 そこで一人だけ平気な様子を見せているユウキが、《英雄の使徒》に攻撃しつつ声を出した。

 

 

「何か、何か突破口みたいなのはないのかな! どこかにこいつらの発生源があるとかさ!」

 

「発生源って言ったら、こいつらの大本とか? 見た感じそんなのなさそうだけど!」

 

 

 《英雄の使徒》を斬り付けるユウキに応じつつ、カイムも続けて刀で一閃する。その一撃が致命傷となり、蟷螂のような姿の《英雄の使徒》は倒れて消えた。一同のランクがアップするが、最早全員が一桁台で、上がりようが無くなっている。自分達こそが今のオーディナル・スケール最強の集団になってしまっているらしい。

 

 しかしそれでも《英雄の使徒》は止まらない。またしても遠くでリポップするのが確認できた。更に倒れた者と交代するように次の使徒がやってきて、攻撃してきた。大剣を持つ獣人型の使徒。これで何匹目かわかったものではない。

 

 

「駄目、これ以上は……早く手を打たないと――」

 

 

 対物ライフルを手に射撃するシノンが言ったその時だった。キリト達から見て右方向から一際大きな音が聞こえた。《英雄の使徒》が発したものとは違う事が何故かわかり、キリトはそこへ向き直った。《英雄の使徒》とプレイヤー達が、閉ざされているはずの出入り口の方向から吹っ飛ばされたのが見えた。

 

 出入口のドアを勢いよくこじ開けた者が居て、それに吹っ飛ばされたようだった。

 

 

「な……!?」

 

 

 次の瞬間にその元凶を認め、キリトは声を上げて驚いた。出入口から飛び出してきたのは、一人の青年だった。黒いコート状の戦闘服に身を包んでいるそれは、先程地下駐車場で戦闘不能にさせたはずのエイジだった。彼の者に止めを刺した瞬間を見ていたシノンとフィリアも反応し、同時に驚く。

 

 

「え、エイジ!?」

 

「嘘、なんで復活してるの!?」

 

 

 まさか仕返しに来たのか――キリトは身構えたが、エイジが向く事はなかった。寧ろそうなって良かったとさえ思った。エイジの顔は今、顔の上半分に血管が浮き出ている、異様な状態だった。その表情は激しすぎる怒りに駆られたようなそれになっている。

 

 まるで日本神話や伝承に登場する、角のない鬼だ。

 

 

「な、なんなんだ……!?」

 

 

 明らかに普通ではないエイジは、床を蹴り上げて走り出した。先程のような尋常ならざる速度ではないが、それでも普通の人間が出せるとは思えないような速度で走って行き、瞬く間にスタジアムの中央へ辿り着いた。

 

 かと思えば、エイジは復活している片手剣で思い切り回転斬りを放った。人間の身体に余る勢いで繰り出された攻撃に、中央付近のプレイヤーと《英雄の使徒》は席へと吹き飛ばされた。

 

 プレイヤーまでも吹っ飛ばすとは、どういう事だ――キリトがごくりと息を呑んだ次の瞬間に、エイジは右手を勢いよく上へ突き上げた。

 

 

「――リンクスタート」

 

 

 その声は確かにキリトの耳に届いた。

 

 リンクスタート? それはアミュスフィアでVR世界へ向かう時の合図だ。アミュスフィアもつけないで、何故それを――そう思った時には、エイジは仰向けになって倒れていた。彼の意識がこ事は別の場所に飛ばされたというのが、すぐに理解できた。

 

 だが、どこへ――? それがキリトは疑問だったが、そこに応じる《声》があった。

 

 

《わかった! 見つけたぞ、キリトッ!!》

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

 旧SAOサーバー前で、重村徹大はタブレット端末を見ていた。画面に表示されているのは、ここより離れたスタジアムで行われている儀式の進捗状況。愛娘である悠那を蘇らせる儀式の残り時間だった。

 

 スタジアムに集められた生贄達の恐怖の感情の数値は八千まで進んでいる。これが一万になった時に、スタジアム内のドローンが生贄達に一斉スキャンを仕掛け、その脳を焼き切り、悠那を蘇らせるのが計画だ。それは実に順調に進行していた。

 

 

「後、もう少しだ」

 

 

 ここまで出来たのは誰のおかげだろうか。自分のおかげだ。自分がここまで計画を考えなければ、今こうして悠那を蘇らせる儀式に臨む事など出来やしなかった。後沢鋭二とヴァンという協力者もいたが、彼らは結局徹大の指示なしでは動けなかった。自分の指導があったからこそ、彼らは動けた。

 

 そんな彼らも自らの記憶を捧げる事で、悠那を生き返らせる事ができるのだから、本望だっただろう。だがどうしてか、鋭二の記憶を引き抜けた報告が来ない。

 

 記憶を集めているのはヴァン――あの問題児の子供だが、アレからの連絡が来ていない。連絡をさぼっているのだろうか。だとすればやはり、あの問題児同様の者だったという事だ。

 

 

「やれやれ……報告も碌に出来ないか――」

 

 

 残念さに溜息を吐いたその時、徹大は後頭部に何かが当たるのを感じた。ぱしゃん、という音も聞こえた。水が当たったらしい。何かが水をかけてきたのだろうか。しかしここはスタジアムではなく、アーガス本社の跡地だ。

 

 総務省の菊岡達も、自分がここにいる事は知らないはず。では、誰が来た?

 

 

「……!」

 

 

 振り向いた先に居た者を認めて、徹大はもう一度溜息を吐いた。白い毛並みに全身を包みつつ、腹部は群青の甲殻に包まれている、海生生物の鰭のような翼を持つ狼竜が居た。《Nemo_The_AbyssalDragon》という名で動いているそれは、徹大がサルベージして改造したヴァンだった。

 

 

「ヴァン、何をしているのだね。君は記憶の集積をしているのだろう。それを放り出して来たのか?」

 

《安心しろ徹大。記憶の集積は進んでいる。だが、どうしても手を外さなきゃいけない状況になったから、来たんだ》

 

 

 ヴァン本来の少年のものではなく、大人の男性の《声》が頭に響く。だが、こんなものは慣れている。

 

 

「手を外さなければいけない状況? それは何かね。計画は完璧だぞ」

 

《完璧? お前は本当にそう思っているのか》

 

 

 ネモとなっているヴァンは徹大を嘲笑しているようだった。徹大は態度を変えず応じる。

 

 

「何が言いたいのかね」

 

《このままじゃ悠那を蘇らせる事は出来ないんですよ、教授》

 

 

 その声が徹大を凍り付かせた。瞠目する徹大の目の前、ネモの背中から降りる影があった。それは他でもない、後沢鋭二だった。

 

 

「な、鋭二君!?」

 

《はい、僕です。VRにダイブして、ヴァンと一緒に来させてもらいました》

 

 

 確かにオーグマーにはVRにダイブする裏機能がある。その存在を鋭二に教えていた。

 

 だが、こうなっているわけがない。鋭二は確かに生贄にしたはずだ。鋭二はもう動けないはずだ。

 

 そんな事を考えて一人狼狽える徹大に、鋭二は笑みを浮かべていた。

 

 

《教授、貴方のおかげで僕は気付きました。このまま計画を進めたところで、悠那は蘇りません。まずは、これがわかった事へのお礼を言わせてください》

 

「何を言っている。計画は完璧だと言っただろう。君の記憶、お前の記憶があれば――」

 

《徹大お前、気付かないのか。鋭二の記憶は悠那を蘇らせるのには必要ない。それよりもっと大事なモノがある。悠那を蘇らせるために、絶対に必要になる重要なモノが》

 

 

 ネモの《声》に徹大は首を傾げた。何か足りない、だと?

 

 

「悠那を蘇らせるために、必要になる重要なモノ……? なんの事を言っているんだ」

 

《教授、なんだかおかしくないですか。悠那を生き返らせなきゃいけなくて、そのために悠那に関する情報を持つ人間の記憶を寄せ集める必要があるのに――》

 

 

 鋭二は鋭い声で言い放った。

 

 

 

《なんで悠那と一番付き合いが長い父親であるはずの、貴方の記憶が除外されてるんです?》

 

 

 

 徹大は完全に凍り付いていた。そのくせ頭は異常な速度で回転している。思考が異様に早く進んでいく。

 

 鋭二の言っている事は的を得ている――徹大は理解した。

 

 悠那を蘇らせるという目的を果たすためには、悠那に関する情報を持った人間の記憶が必要だという結論が出た。そのための生贄として、鋭二を含むSAO生還者達を狙った。

 

 だが、目の前の二人が言うように、彼らの記憶を寄せ集めたところで、悠那を蘇らせる儀式は失敗に終わる。生贄として捧げるべき者の中に、悠那に関するありとあらゆる情報を持ち、思い出を持っている、父親である自分が抜けてしまっているのだから。

 

 

 つまり一番最初に捧げられなければならない、一番重要な生贄とは、自分自身に他ならなかったのだ。それをこいつらはいち早く思い付いたとでもいうのか。

 

 

「ま、待て! まさかお前達、私の記憶を抜き取るつもりなのか!?」

 

《そうだ。そうしないと悠那は生き返らないからな》

 

 

 ネモは冷静に告げて、ずしんずしんと歩みを進めてきた。徹大は後ろに下がろうとするが、サーバーにぶつかり、下がれない。

 

 

「いや、いや無駄だ。私を狙ったところで記憶は抜き取れないぞ。記憶を抜き取れるようになっているのはSAO生還者、SAOを生き延びた者だけだ。そう設定しておいたんだ。その証拠に、SAO生還者以外からは記憶を抜き取れないようになっていただろう!」

 

 

 ネモの口角が上がった。狼竜の顔をしながら人間のように笑っている。

 

 

《お前、さっき後ろ頭に何か当たらなかったか?》

 

 

 徹大は後頭部を触った。濡れている疑似感覚がある。

 

 

《あれはおれが撃ち込んだものだが……お前を気付かせるためにお前の後ろ頭に当てたんじゃなく、お前のオーグマーに当てたんだよ》

 

「は……!?」

 

《それでお前のオーグマーのプログラムに細工させてもらった。お前の悠那に関する記憶全部抜き取って、集積所に流せられるようにな》

 

 

 徹大はまたしても瞠目した。あの時ネモにクラッキングされていただと。あんな短時間でそんな事が出来たというのか。

 

 だが、徹大は気付く。こいつらのやっている事は、オーグマーがあるからこそ出来ている。ならばオーグマーを外されれば、何もできなくなる。勝機は残っている。

 

 徹大は咄嗟に手をオーグマーに伸ばそうとした。その瞬間に、両腕に衝撃と痛みが走った。ばしゃんという音が遅れて二度聞こえてきた。ネモが水弾を撃った後の姿勢をしていた。

 

 更にネモの身体が青白く発光したかと思うと、その身体を中心にスパークが起こり――二本の雷が徹大の両手に降り注いだ。

 

 

「ぐあああああああああああッ」

 

 

 徹大は出した事もないような声量で叫んでいた。手が焼け、ばらばらに引き裂かれるような痛みだった。そんな攻撃を受けているわけもないのに、何もかもがわからなくなるような痛みが襲った。

 

 それがオーグマーの持つ感覚再現機能によるものであると、徹大は気付く事も出来なかった。生き返った悠那に触れる事が出来るように設定した仕組みが、物の見事に裏目に出ていた。雷撃が終わると、徹大は仰向けになって倒れた。

 

 手は動かない。

 

 オーグマーが外せない。

 

 

《逃げないでくださいよ。貴方は悠那を生き返らせるために必要なんです》

 

 

 徹大のすぐそばまで鋭二は歩み寄ってきていた。ネモと一緒に見下ろしてきている。

 

 

「お前、お前ら、私への恩を忘れたのか、私への恩を仇で返すつもりなのか!? 誰のおかげで強くなれたと、誰のおかげで悠那を蘇らせられると思っている!?」

 

 

 ネモが答える。冷酷な声色だった。

 

 

《勿論お前のおかげだな。けれどそれはお前もそうだろ。お前だっておれ達が居てくれたおかげで、おれ達が戦ったおかげで、計画を進める事が出来たんじゃないか》

 

《僕達っていう協力者が居たおかげでここまで来れたんじゃないですか。その恩を仇で返そうとしたのは、教授が先ですよ》

 

 

 鋭二もネモも、目の色がいつもと異なっていた。怒りと、何か重要な事を成し遂げようとしている意志の光が、その瞳に宿っている。その重要な事は、自分から記憶を抜き取る事だ。

 

 

「やめろ、私は悠那を――」

 

 

 鋭二が応じる。

 

 

《悠那の事は心配いりません。僕が責任を持って、一生彼女を守ります。何者からも守ります。貴方みたいな独善的な父親からも》

 

「やめろ、私の記憶を奪うな。悠那との思い出を……大切な記憶を奪うな!」

 

 

 ネモが応じる。その顔は呆れが混ざっている。

 

 

《……おい鋭二。悠那の親父、こんな奴だったのか? 自分が生贄になる事で娘が生き返るんなら本望だろ? なのにこいつ、そんな事全然思っちゃいないみたいだ》

 

 

 鋭二が動けない徹大のすぐそばに来て、顔を覗き込んできた。視界が鋭二の顔でいっぱいになっている。向こうもそうだ。

 

 

《死んでしまった娘がこの世に蘇ってくれるんですよ。教授が悠那との記憶全部を捧げる事で、悠那がこの世に帰って来てくれるんですよ?》

 

 

 鋭二は徹大の耳元で囁いた。

 

 

 

《もっと父親として喜ぼうぜ?》

 

 

 

 鋭二が顔を離した時、徹大の目の前に巨大な水球が姿を見せていた。じりじりと、じれったい速度で迫ってくる。

 

 

「あ、あ、あ、あ、あ」

 

 

 水球の迫る音と一緒に《声》が聞こえた。少年の《声》だった。

 

 

《おれを鋭二の《使い魔》にしてくれてありがとう。悠那を生き返らせる計画を考えてくれてありがとう、徹大。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 徹大は思考した。悠那の事よりも、優先的に思い出された事があった。

 

 あの問題児二人、あの男と娘のせいで、悠那は死んだ。

 

 ヴァンはあの男と娘の子供だ。あの問題児共の子供――しかしあの問題児自身ではない。

 

 それならば何も起きないと期待していた。そう信じていたからこそ、動かそうと思った。

 

 だからこそ悠那を生き返らせる寸前まで来られた。

 

 だが、あの問題児の子供は、最後の最後でこんな事を。

 

 こいつらのせいで自分は。

 

 悠那を生き返らせられるのに、最後の最後で父親である私は、こいつらのせいで――。

 

 

 もう、何もかもお前らのせいだ。

 

 

「茅場ああああああ!! 愛莉いいいいいい――――ごぶッ、ぶごぶぶごごッ」

 

 

 怨嗟の声を断末魔にして、徹大は水球に呑み込まれた。

 

 頭から、大切なものが全て引き抜かれた感覚があった。

 

 

 




 ――くだらない事――


オリキャライメージCV

・ネモ(狼竜形態ヴァン)⇒津田健次郎さん
・ヴァン(少年)⇒水瀬いのりさん


 ――原作との相違点――

①エイジ復活、身体のリミッターが外れて敵を返り討ち。

②エイジ、重村徹大に逆襲。

③重村徹大が悠那に関する記憶を全部抜かれる。エイジを甘く見たうえ独善的な計画を立てた因果応報。

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