キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 本作キリト・イン・ビーストテイマーは、今回で400話目に到達です。
 ここまで読んでくださっている読者の皆様に、深く深く感謝いたします。

 本当に、本当にありがとうございます。

 しかし、まだまだ本作は終わりません。これからもよろしくお願いいたします。


10:喰われた記憶

         □□□

 

 

 翌日、和人は御茶ノ水にある大病院に転院となった。病院自体は退院扱いなのだが、脳の検査をするため、メディキュボイドのある御茶ノ水の病院へ移されたのだ。かつて愛莉が勤めていて、詩乃が通っていた病院。そのメディキュボイドとは、二人がかつて使用したものだった。

 

 二台のうちの一台に和人は接続されて、然るべき検査が行われた。そこで出た結果とは、やはり記憶障害だった。和人の脳には高出力の限定的範囲のスキャニングが行われていた。その範囲はSAOに関する記憶だ。

 

 かつてのSAOでの場面を想起させるような場面に直面すると、オーグマーがその者の脳をスキャンし、それを想起させている単一ニューロンを特定、そこに強制的に電子パルスを集中させてイメージを強制的に引き出し、読み取るようになっているのだという。和人を襲ったのはそれだった。

 

 このスキャニングのせいで記憶を思い出すという動作に不具合、支障が生じ、一時的な記憶障害に陥っている。SAO時代の事を思い出せないのはそのせいだ。

 

 しかもこの症状に見舞われている患者が東京都内で多く出てきており、それら全員がオーディナル・スケールのイベントバトルで戦闘不能になった事がある者達だった。和人もそのうちの一人になってしまったのである。それが医師からの話だった。

 

 ――その先に詩乃は心を囚われた。医師の話は続いたのだ。

 

 

 今はまだSAO時代だけに留まっているが、これがより深刻化する可能性がないわけではない。和人の状態とは、電子パルスを受けた事によってスパインが縮退させられ、記憶の再生障害が起こっているという。

 

 和人は六時間もの間昏倒していたので、オーグマーがスキャンを行った際、脳のかなり深いところまで読み取ったのかもしれない。状態によっては、今より深刻な記憶障害が出てくるかもしれない――その話を聞いて、詩乃は勿論、同席していた琴音も愛莉も、そして和人本人も絶句した。

 

 和人はSAOどころかALOでの思い出、《SA:O》での思い出までも失ってしまうかもしれない。

 

 あくまでそれは可能性の話だ。けれども、詩乃にとっては今後起こる出来事を話されたのと同じに感じられた。和人の記憶が、どんどん消えていく。

 

 今、SAOでの自分達の出会いから、アインクラッド脱出までのすべてを忘れている。これだけでも十分に酷い自体だというのに、これがどんどん領域を広げていき、ALOでのすべて、《SA:O》でのすべてを忘れる。

 

 自分が和人と出会ったのはSAOの中。そして受け入れてもらって、恋仲になってもらって、伴侶になってもらったのもそれからだ。SAOという根本部分がなくなって、その枝葉であるALO、《SA:O》もなくなる。そうなればもう、和人という人の中から自分達という存在は、朝田詩乃という少女の存在は消えてなくなる。

 

 私と和人が過ごした日々が、思い出が、全部消える。何もかも白に還されて、何もなくなる。和人に忘れ去られた世界に、私は放り出される――そんな考えが、詩乃の頭の中いっぱいに広がって、止まらなくなっていた。

 

 

「愛莉先生……和人は大丈夫なんですよね?」

 

 

 隣に居る愛莉に声掛けしたのは琴音だった。今、詩乃は愛莉と琴音と一緒に病院の待合室にいた。

 

 和人はメディキュボイドに接続されて、医師に説明された後、外科の診療室に向かっていった。この病院の外科担当にもう一度怪我を診てもらう必要があるという診断を受けたためだ。この結果が良ければ退院となる。それ自体は喜ばしい事なのだが、詩乃は全く喜んでなどいなかった。

 

 それは琴音も愛莉もそうだった。愛莉が苦虫を噛んだような顔をして、琴音に答える。

 

 

「……何とも言えないよ。今はSAOの範囲で収まってくれてるけど、あの医者が言っていたとおり、あれ以上広がらないとも言い切れない。もっとひどくなる可能性も十分にある」

 

「そうなったら、和人はもう私達、私の事も……」

 

 

 詩乃はか細く問いかけた。愛莉は俯きを返す。

 

 

「あぁ。私達の事も、VRMMOの事も、詩乃の事も、全部忘れてしまう」

 

 

 静かな声で愛莉は告げた。それは詩乃にとって死刑宣告も当然だった。やはり和人はこのままいけば自分達との、自分とのすべてを忘れてしまう。和人はすべてを忘れ、和人の中から自分は消える。

 

 これまで積み上げてきた数々が、思い描いていた将来図が、音を立てて崩れていった。自分の抱える罪と病気の事、それを乗り越えた後のこれからの事。あらゆるもの全てが消えゆこうとしている。

 

 それを防ぐ手立てなど見当がつかない。

 

 

「まさかオーグマーでこんな事になるだなんて。オーグマーを解体した時に出てきた謎のプログラム……そりゃあ分析も解析も出来ないわけだよ。こんな事に使われるものだったんだからさ」

 

 

 愛莉は妙に納得している様子だ。あの時愛莉が教えてくれた、オーグマーの中から見つかった正体不明のプログラムとは、SAO生還者の記憶を奪い取るモノだったのだ。

 

 なんのために存在しているのかはわからないけれども、そのプログラムのせいで、和人は記憶を奪われた。全部オーグマーのせいだ。

 

 胸のうちに怒りが溢れてきて、懐にあるオーグマーに手を伸ばしたくなった。そのまま握り潰して壊してやりたかったが、それを止めたのはスマホのバイブ音だった。

 

 取り出してみればSNSのメッセージが表示されている。差出人はリランで、「オーグマーの電源を入れろ」とあった。彼女が和人を心配しているのは明らかだった。

 

 病院の待合室でオーグマーを使う事は禁止されていないが、リラン達と話すわけだから、待合室は適格ではない。建物の外に出る必要がある。詩乃は二人にリランの事を伝えて、三人一緒に病院の外へ出た。

 

 オーグマーは和人の記憶を奪い取った最悪の機械だが、それを使うしかリラン達と流暢に会話する手段がない。悔しい気持ちを噛み締めて、詩乃はオーグマーを装着、起動した。

 

 仮想世界のレイヤーが現実世界に適応されて、ほぼ目の前に三人の少女が姿を現した。リラン、ユイ、ストレアだった。普段は移動能力獲得とサポートのためにナビゲートピクシーの形態を取っているユイとストレアも、本来の姿に戻っている。

 

 

「詩乃、愛莉! それに琴音!」

 

「三人とも」

 

 

 愛莉の呼びかけに応じる前に、三人は駆け寄ってきた。全員が心配そうな表情を浮かべている。

 

 

「和人はどうした。あれからどうなったのだ」

 

「それなんだが、和人君は今――」

 

 

 娘の問いに母親が答えるより前に、詩乃は目の前がぼやけたのに気が付いた。頬元を雫がいくつも伝っている。そしてすぐさま、嗚咽が出てきて止まらなくなった。

 

 

「ユイ、リラン……ゆい、りら……和人が……かずと、かずとがぁっ」

 

 

 次の瞬間には膝から力が抜け、詩乃はその場に(ひざまず)いた。涙が出てきて、嗚咽が出てきて止まらない。見えない栓を抜かれてしまったように、とめどなく溢れてきてしまう。こんな事をしてる場合じゃない、泣いてる場合じゃない――そのはずなのに、涙も声も止められなかった。

 

 そうなった詩乃の背中と頭を撫でてくれる手が複数あった。愛莉が抱き締めてくれて、ユイとストレアが背中を摩ってくれていた。

 

 

「かずとが、かずとがぁ……かずとぉ……う、う゛ああああああああああああッ!!」

 

「……和人君の事を聞いてから、ずっと泣かないでいたと思ってたけれど、耐えてたのね……よし、よし……よく頑張ったわ、詩乃」

 

 

 暖かい愛莉の胸に顔を埋め、詩乃は大きな声を出して泣いた。泣き喚くような事はもうしないと決めていたが、その時既にそんな事は忘れていた。

 

 

 そうして詩乃の中の気持ちが収まり、涙もまた引っ込んだ後、愛莉と琴音が三人に和人の事情を話した。当然というべきか、三人は酷く驚き、信じられないような顔をした。

 

 

「和人がSAOでの記憶を……我を《使い魔》にした記憶を無くしただと!?」

 

「あぁ。医師と本人がそう言っていた。和人君は君をどうして《使い魔》にしたのか、君がどうしてリランっていう名前なのかとか、そう言う事を全部忘れてしまっているらしい」

 

「そんな……という事はパパはわたしの事も、ストレアの事も、忘れてしまってるんですか……?」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔をしているユイの頭を、愛莉は撫でてやった。

 

 

「そうじゃないんだよ、ユイ。君のパパが思い出せなくなってるのは、あくまでSAOでの記憶や体験の事でね。君が娘だって事、ストレアがユイの妹だって事自体は忘れていないんだ。いや、そもそも忘れてるんじゃなく、思い出せなくなってるんだが」

 

「そんな……どうしてそんな事になったの。あの時、和人が英雄の使徒に攻撃されたから? そんな事が切っ掛けになってたっていうの」

 

 

 ストレアから言われるなり、琴音がはっとしたようになって、三人に問いかけた。

 

 

「ねぇ三人とも、三人はあれから明日奈のところでユピテルを直してたんだよね。明日奈も昨日和人と同じように英雄の使徒に攻撃されて、戦闘不能になってたけれど、明日奈はどうだった。やっぱり和人と同じになってた?」

 

 

 答えたのはリランだった。彼女は驚くべき事に、首を横に振った。

 

 

「いや、明日奈は平気そうだった。記憶障害があるならば、アインクラッドでの記憶が思い出せないと言い出すはずだが、そんな事は言い出さなかった」

 

 

 その時詩乃は閃いた気がして、すぐに愕然とした。

 

 和人と明日奈の二人は同じ目に遭っているのに、和人だけが記憶障害になって、明日奈は平気だった。だが、その代わりと言わんばかりに明日奈の息子であるユピテルが、両腕と意識を失うような負傷をした。

 

 その際明日奈は、ユピテルの本体をオーグマーに移動させていた。英雄の使徒に攻撃されて戦闘不能にされた際に、明日奈が昏倒せず、ユピテルが負傷して昏倒したのは、オーグマーに本体を置いていたユピテルが自身を身代わりにして明日奈を助けたからだ。

 

 だから、明日奈は平気だったのだ。そうとしか思えなくなった詩乃は、ゆらりと立ち上がった。

 

 

「リラン……ユピテルって確か、明日奈のオーグマーの中に本体があったわよね」

 

「む? あぁ、そうだな。明日奈はユピテルとの交流のために、オーグマーにあいつの本体を入れていて――」

 

 

 リランがそこまで言ったところで、詩乃以外の全員がはっとしたような反応をする。間もなくユイが言った。

 

 

「まさか、おにいさんはあの時オーグマーの異変を感じ取って、明日奈さんの身代わりに!?」

 

「って事は、アタシ達が和人のオーグマーに本体を置いておけば、和人が記憶障害になる事もなかった……!?」

 

 

 そうだ。きっとユピテルのようにリラン達の本体が和人のオーグマーにあれば、和人が記憶障害になる事も、自分の事を忘れる事もなかったかもしれない。

 

 そうしなかったばかりに、和人にそうさせなかったばかりに、こんな事になった。

 

 激しい怒りに駆られた詩乃は、次の瞬間にリランの胸倉に掴みかかっていた。

 

 

「リラン、なんでよ! なんで和人に本体を移させなかったのよ! あんた達の本体が和人のオーグマーにあれば、和人はあんな事に、こんな事にはならなかった!!」

 

 

 リランはひどく驚いていたようだった。しかしそれはすぐに悔しそうな顔に変わる。彼女も自分と同じ事を思っているようだが、それが詩乃の怒りを加速させた。今更そんな反応をするだなんて。

 

 

「あんた達が、あんたが! あんたが和人をッ!!」

 

 

 あんた達さえしっかりしてれば、きっと和人は――次の言葉を出そうとしたが、それは喉元で止まった。急に声が聞こえたからだ。

 

 

「やめてよ詩乃ッ!!!」

 

 

 それは後方から聞こえてきた。思わず驚いて振り向けば、琴音が居た。彼女はズボンの裾を握り締めて俯いていた。頬元に涙が流れているのがわかる。

 

 

「……わたしが悪かったんだよ。わたしがあの時もっとしっかりやっておけば、もっとしっかり逃げておけば、和人を巻き込んで怪我させる事も、SAOの時の思い出を忘れさせるような事もなかった……なのにわたし……結局何もできなくて、和人を巻き込んで……あんなふうにさせちゃった……」

 

 

 だから、責めるならわたしを責めて――琴音はそう伝えてきていた。琴音がそんな事を言い出すとは思っても見ず、詩乃は動きを止めた。

 

 だが、急な出来事は止まらなかった。突然詩乃の身体の向きを変えられたかと思えば、頬に衝撃が走った。遅れて乾いた音がして、痛みが走り始めた。

 

 その痛みが詩乃を我に返らせた。そこで唖然とする事となる。愛莉が目の前に居て、平手打ちをした後の姿勢をしていたのだ。今、ぶったのは愛莉だ。

 

 

「……気持ちはわかるけれど、それは実の娘に向けて言う言葉じゃないわ、詩乃」

 

 

 愛莉は鋭い瞳で見つめてきていた。それに反論など見つからない。

 

 

「確かに和人君がオーグマーにリラン、ユイ、ストレアの本体を入れていれば、あの時ユピテルみたいに身代わりになって和人君を助けられたかもしれない。けれどそれはその時和人君の代わりに三人の誰かが、もしくは全員が大怪我をしたって事なのよ。

 ユピテルは《MHHP(エムダブルエイチピー)》でデータ密度も大きくて濃いから()()()()()()()()()()()()()の。もしデータ密度が少なくて薄い《MHCP(エムエイチシーピー)》のユイとストレアが身代わりになれば、それこそ全部吹き飛んでたかもしれないわ。そうなればバックアップがあったって助からなかった」

 

 

 愛莉はじりと一歩歩み寄った。詩乃はその目から視線を外せない。

 

 

「あなたが言った事はね、あの時ユイが死んでくれれば和人君はあぁならなかったって意味なのよ。あなたは、和人君が助かる代わりにユイに死んでほしかったとでも言うの。愛娘に死ねば良かったのにって言うの。

 ……あなたは、そんな不適格な母親じゃないでしょう」

 

 

 勿論、愛莉の言っている事は否定できた。

 

 和人に助かってほしかったけれど、ユイに、ストレアに死んでほしかったわけでもない。でも和人のオーグマーに彼女らの本体があれば、和人は記憶を失う事にはならなかったかもしれない。

 

 けれどその時彼女らは犠牲になって――。

 

 相反する思いがぶつかり合っている頭を抱える詩乃の前に、影がゆらりと現れた。ユイだ。ユイが詩乃に背中を向け、愛莉と向き合っている。

 

 

「……ママを責めないでください、愛莉さん」

 

「……ユイ」

 

 

 愛莉は目つきを変えない。向ける先を詩乃からユイに移しただけだ。

 

 

「そうです、わたしが、わたしがあの時パパの身代わりになれば良かったんです。パパに無理矢理にでもわたしの本体をオーグマーに入れさせて、あの時パパの身代わりになっていれば、パパは、わたし達との……ママとの大切な思い出を、失わずに済んでたんです。悪いのは、パパを守れなかったわたしです……だから、ママを責めないでください……」

 

 

 ユイは涙声になって訴えていた。そんな、ユイは悪くない。ユイが悪いわけではないのだ。けれど今、自分はユイが悪い、ストレアが悪い、リランが悪いと言ってしまって――。

 

 取り留めのない気持ちを抱いたその時、詩乃は胸元に若干の衝撃と暖かさを感じた。ユイが回れ右をして、そのまま詩乃に胸にぶつかって来ていた。抱き締めて来ず、詩乃の胸元で拳を握っていた。

 

 

「ごめんなさい、ママ……わたしが……わたしがパパを守れなかったせいで……わたしがMHCPとして出来る事をしなかったせいで……ごめんなさい……」

 

 

 ユイは涙ながらに謝ってきていた。その声を聴いた途端、目の前がぼやけた。あんなに泣き散らした後だというのに、またしても涙が溢れ出てきて、止まらなくなった。

 

 ぐにゃぐにゃの視界の中に映る我が()を抱き締め、詩乃は声を出した。

 

 

「ユイ……ごめんなさい……こんな……こんな事になって……ごめんなさい……」

 

 

 ただ、泣いてユイに謝るしかなかった。その時既にストレアも泣き出していたが、リランが支えてやっていた。そのリランは俯き、拳を強く握り締めて黙っていた。琴音は後ろですすり泣いている。

 

 ありとあらゆる感情が行き交う場所になったそこで一人だけ、愛莉は様子を変えないでいた。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「……!」

 

 

 診療室から出て受付に戻る途中、和人は付き添いの少女達が外に出ているのを認めた。詩乃、琴音、愛莉。その三人がいたが、彼女達以外にもいる。直感的にそう思った和人はオーグマーを装着して電源を入れた。

 

 仮想世界のレイヤーが現実世界に適用されると、更に三人の少女の姿を確認できた。何故だかわからないが《使い魔》をやっているリラン、思い出せないが愛する娘であるユイ、ユイの妹であるストレア。

 

 理由を思い出す事が出来ないが、彼女達が大切な家族であるという事は思い出せている。その家族達は今、泣いていた。三人だけではない。愛莉を除く全員が泣いているようだった。

 

 

「……皆」

 

 

 その者達とどう出会ったのか、どう過ごしてきたかさえ定かでなくなってきていた。SAOを最初にして、今はもうALOの記憶も抜け落ちつつある。

 

 はっきりしているのは《SA:O》で彼女達と一緒に過ごした記憶くらいだが、それで十分だった。《SA:O》で一緒に過ごした彼女達は、これ以上ないくらい大切な人達だ。思い出せなくなっているSAOでも、ALOでも、彼女達は大切な人達だった事に間違いない。

 

 かけがえのない仲間である琴音と愛莉、苦楽を共にした家族であるユイとストレアとリラン。

 

 そして互いに愛し合っている人である――詩乃。どんなに忘れようとも、この事実は覆らない。

 

 そんな大切な人達が病院の外に出て、泣いている。その様子を見ただけで、原因が自分であるという事を和人は悟った。

 

 

「……ッ」

 

 

 どんなに思い出そうとしても、彼女達との出会いの形が思い出せない。そればかりか、彼女達との思い出さえも徐々になくなってきている。

 

 これだ。これこそが彼女達が自分の事で泣いている原因だ。

 

 自分が記憶を失ってきているから、彼女達は泣いている。悲しんで、苦しんでいる。自分がこんな事になったばかりに、彼女達を泣かせてしまっている。

 

 泣かせないと決めた大切な人達を、守ると誓った愛すべき人を悲しませて、泣かせている。

 

 俺のせいで、こんな事に――。

 

 

「――ッ!!」

 

 

 次の瞬間に和人は壁を殴りつけていた。更に頭突きも加えた。丁度絆創膏を貼っていた箇所が壁に当たり、痛みが走った。待合室にいる患者達、来客達が驚いていた。だが、それら一切を和人は気にしなかった。

 

 視界がぐにゃりと歪んでいる。彼女達を泣かせてしまった事、彼女達との思い出を頭の中に再生できないのが積み重なったのか、こちらまで涙を流してしまっていた。

 

 

「……くそ」

 

 

 ゲームをプレイしていて、戦闘不能になるような攻撃をされたらSAO時代の記憶を失う。こんな事が起こるなど普通はあり得ない。

 

 オーディナル・スケールに参加した者のうち、SAO生還者ばかりがこんな症状を訴えていると医師が言っていた。SAO生還者がオーディナル・スケールで戦闘不能になると、その者のSAO時代の記憶をオーグマーが抜き取る。きっとオーディナル・スケールとオーグマーはそういう仕組みで出来ていたのだ。

 

 

 そんなもの、悪意に等しい計画を持った誰かが、意図的にやらない限りは出来上がらない。

 

 

 それを計画して実行したそいつこそが、自分の記憶を抜き取った原因であり、彼女達に要らぬ悲しみを、痛みを与えた張本人だ。そいつの悪意のせいで彼女達は苦しみ、嘆いている。

 

 彼女達だけではない、あの極限世界を生き延びたSAO生還者達全員が、そいつの悪意に(もてあそ)ばれているのだ。そしてその魔の手はもうすぐ、彼女達にも及ぶだろう。彼女達もまたSAO生還者なのだから。

 

 

「……どいつだ……」

 

 

 炎のような怒りが胸に溢れていた。こんな事を引き起こし、彼女達を嘆かせ、挙句その記憶までも奪い取ろうとしている奴はどこのどいつだ。全ての元凶である奴は誰だ。

 

 考えを巡らせてみるが、答えは出てくれなかった。尚更悔しくなって顔を壁に打ち付けようとしたその時――和人は近くから気配を感じた。病院の関係者や患者、客達ではないのが、何故かわかる。

 

 誘われるように振り向いた先で、和人は少し驚いた。そこには少女がいた。

 

 薄い緑色の縁が特徴的な白いケープに身を包んでいるのが特徴的な、白い装束の少女。それは昨日代々木公園で突然現れた少女と同じ相貌をしていた。

 

 

「君は確か、昨日の……」

 

 

 オーグマーを付ける事でしか視認する事が出来ず、触る事も出来ない。名前も名乗らなければ、自分が何者であるとも言わない()。その娘に、和人は話しかける。

 

 

「君はなんなんだ。なんで急に現れた」

 

「……貴方、探してるものがあるの」

 

「え?」

 

 

 和人は思わず首を傾げた。昨日この娘は「さがして」と頼んできていた。こちらに探すよう頼んでいるのだから、探し物があるのはそっちだろうに。そのままそれを口にする。

 

 

「探してるのはそっちじゃないのか。君は昨日俺に言ったじゃないか」

 

「えぇ。探してるものがあるところ、見つかったの」

 

 

 そう言って少女は、身体を別な方へ向け、指差した。ここ御茶ノ水の近くにある駅、御茶ノ水駅から見て南南西方向――世田谷区の方だ。オーグマーが与えるインターフェースウインドウが、そう伝えていた。

 

 

「世田谷区?」

 

「……そこの、そこ」

 

 

 少女が言い加えると、目的地ウインドウが勝手に展開され、新たな目的地が勝手に設定された。その場所の名を見て、和人は瞠目した。

 

 直後に少女は光に包まれて消えた。またしても名前や目的を聞けなかったが、和人はそれよりも少女が指示した目的地を見て驚いていた。

 

 

 場所は、《東京都世田谷区大岡山 東都工業大学》。

 























 ――小ネタ――


・MHCPの直し方

 愛莉の言っている「ユピテルのようにユイが身代わりになれば、その時ユイは修復不可能なまで損傷し、バックアップを取っていても死亡する」というのは実は脅し文句であり、嘘である。

 ユイ達MHCPがそれくらいに損壊する前に記憶野のバックアップをとっておけば、ユイ達MHCPが損壊した後に初期化処理し、バックアップから記憶野を上書きする事で復帰可能。

 しかし詩乃が言った事が言った事だったので、わざとユイが死ぬと言ったのである。

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