キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 キリシノと、ある組み合わせの二組。


07:デジタルゴースト

          □□□

 

 

「和人、起きて」

 

 

 頬を引っ張られているような感覚で、和人は目を覚ました。

 

 

「ん……?」

 

 

 瞼を開けて早々見えてきたのは詩乃の顔だった。和人は仰向けで寝ていて、天井と自身の目の間に詩乃がいる。彼女は和人の顔を覗き込んできていた。……一緒に頬をくいくい引っ張りつつ。

 

 和人が目を覚ましたのを認めたのだろう、詩乃は微笑んだ。

 

 

「おはよう、和人」

 

「ん、ぐ……」

 

 

 和人はゆっくりと上半身を起こした。まだ少し眠くて、意識がはっきりしない。それでも詩乃の声ははっきり聞こえた。

 

 

「和人ってば、直葉の言ってた通りに寝坊助(ねぼすけ)ね。目覚ましも何もかけないで寝ちゃってたなんて」

 

「あぁ……おはよう、詩乃……」

 

 

 ぼんやりする意識の中で、ひとまず詩乃に朝の挨拶をする。直後、詩乃は枕元の和人のスマートフォンを手に取り、モニタを眺めた。すぐに「あーあ……」と言う。

 

 

「さてと、学校の遅刻が確定してるけど、どうする和人」

 

「――!?」

 

 

 その一言で和人の意識は完全なる覚醒を果たす。オーディナル・スケールという慣れないゲームの慣れない運動をしたせいで、休日が終わっても疲れが抜けない状態になっていたのか。その疲れのせいで、月曜日の起きなくてはならない時間まで、惰眠を貪ってしまっていたのか。そのせいで学校に遅刻する事になっただなんて。

 

 ベッドから飛び降りて、和人は振り返る。

 

 

「やばい寝過ごした! スグの奴放置しやがって! えぇと制服、朝飯――」

 

 

 大慌てでクローゼットに向かおうとしたその時に、和人は足を止めた。そのままくるりと振り返る。

 

 起床時同様詩乃がベッドに腰を掛けていたが、その服装はよく見るオフショルダーの白いTシャツにジーンズの組み合わせ。明らかに学校へ行くための恰好ではない。

 

 それを切っ掛けにして次々疑問が頭の中に湧き上がり――ついに一つの大きな疑問が湧き出る。

 

 

 今日は何曜日だ?

 昨日は土曜日ではなかったか?

 では今日は必然的に何曜日になる?

 

 

「……詩乃さん、今日は何曜日でしたっけ?」

 

 

 詩乃は「にっ」と笑った。あまり見せない悪戯(イタズラ)心のある笑い方だった。同時にスマートフォンのモニタを見せてくる。

 

 

「目、覚めたでしょ?」

 

 

 和人はがっくりと肩を落とした。モニタには《四月二十六日:日曜日》と表示されていた。学校のある日まで一日足りていない。学校に遅刻するという詩乃の言葉はブラフ。

 

 完全にノせられた。

 

 

「……起こしてくれて、ありがとうございます。姫様」

 

「どういたしまして。さぁ、着替えて。朝ご飯は出来てるから」

 

 

 そう言って詩乃は軽やかな歩調で部屋を出ていった。確かにいつまでも寝巻でいるわけには行かないし、今日は詩乃との約束もあるから、しっかりしなければならない。和人はクローゼットから今日着ようと思っていた、水色の大きな縦ラインの入った灰色のTシャツ、深緑色のジーンズを取り出して、寝巻から着替えた。

 

 スマートフォンをポケットに突っ込んで部屋を出て、階段を下りてダイニングに向かう。テーブルの上には出来たばかりの朝食が並んでいた。ハムエッグにトースト、和人が好きなブラックコーヒーの三点セット。それが二つ向き合うように並んでいる。

 

 三つ全てから薄っすらと湯気が漂っていた。まだ作られたばかりのようだ。

 

 

「あ、これ……」

 

 

 和人はふと気が付いた。この三点セットは直葉がよく作るメニューだ。直葉が朝食当番になった時は大体この構成になっている。昨日から彼女は家に居ないが、しかし彼女の作る朝食は食卓に並んでいた。

 

 

「朝ご飯はいつもこういう感じって、直葉から聞いたわよ」

 

 

 少しきょとんとしている和人に声掛けしたのは、詩乃だった。彼女の手にはマグカップが持たされている。電子レンジのあるところから向かってきている辺り、牛乳を温めていたのだろう。

 

 和人はその声に応じる。

 

 

「やっぱりそうか。スグがよく作るメニューだから、ちょっとびっくりした」

 

 

 詩乃はテーブルまで寄ってきて、マグカップを置いた。それが最後のピースとなり、テーブルの上はメニュー同士が一対の形となっている、完成したパズルとなった。

 

 

「もしかして不満だった?」

 

「そんなわけないよ。めっちゃ満足」

 

 

 詩乃の安堵の返事を聞いた和人は、いつも座る椅子に腰を掛けた。間もなく詩乃が向き合う形で座ると――彼女の椅子は直葉が普段使っているもの――、二人同時に「いただきます」と言い、朝食を食べ進めた。

 

 バターが乗せられたトーストはかなり程よく焼けており、かりかりとした触感が楽しかった。黒く焦げ付いてしまうまで僅かな間にだけ存在する絶妙な焼け具合――それこそが和人が最も好むトーストだ。

 

 今のところその焼き具合を把握しているのは、和人自身以外では直葉だけで、リランもユイもストレアも知っていない。そんなこの絶妙な焼け具合を、早くも詩乃は理解してくれているようだ。恐らく直葉がかなり細かく教えてやったのだろう。

 

 和人は答え合わせを試みる。

 

 

「トーストの焼き具合が最高なんだけど、これもスグから聞いたのか」

 

「えぇそうよ。直葉、和人がトーストの焼け具合にうるさいって愚痴ってたわ。面倒かけ過ぎじゃない?」

 

 

 詩乃は眉を寄せずにジト目にして視線を向けてくる。トーストの焼け具合にうるさくしているつもりはなかったのだが、直葉にとっては十分にうるさく感じられるくらいだったのだろう。

 

 しかし仲の良い彼女達の事だ、それさえも楽しい話題として話し合ったのは、容易に想像できた。詩乃が嫌そうな顔をしていないのもその証拠だ。

 

 

「けど、スグもスグで俺に難しい朝食作れって言って来る時あるんだぜ。俺が料理できるようになったからってさ。この前なんかぷるぷるのフレンチトーストを作ってみてなんて言って」

 

「それも聞いたわ。また食べたいそうよ、あの()

 

 

 和人が料理に興味を示すようになったのは、詩乃の記憶が同時に存在するようになってからだ。一人暮らしをするために料理を憶える必要のあった彼女の記憶が、害なく和人の記憶の一部と同化し、和人に料理への興味を持たせた。

 

 それのおかげで、前までは具無しペペロンチーノくらいしか作れなかったのが、今やまろやかなカルボナーラが作れるようにまでなった。その料理の腕を見せてからというもの、直葉はよくリクエストするようになった。更にそれまで彼女が一任していた料理当番さえも、交替制になってしまった。

 

 そして直葉は当番が和人になった時、やたら難しい料理をリクエストしてくるようにもなった。

 

 

「あれはだな、前の日の夜に卵と砂糖溶かした牛乳に食パン漬け込んでおかないとだし、寝る前にひっくり返さないとだしで、結構面倒なんだぜ。これ作らなきゃいけない日は途中でログアウトしないといけないんだ」

 

 

 詩乃の話すフレンチトーストは、卵と砂糖を溶かした牛乳に食パンを漬け込んでおくだけであり、作り方こそ簡単ではある。しかし今言ったようにひっくり返さないと上手い具合にパンに卵乳が漬からないので、夜にひっくり返す作業をする必要がある。

 

 そのためにログアウトし、作業を行って再びログインという面倒な工程を踏まねばならない。だから和人は、フレンチトーストを作るのは乗り気ではなかった。

 

 そんな話を聞いた詩乃は、どこか穏やかな顔になる。

 

 

「けれど、美味しいのよね」

 

「……うん。スグは美味いって言ってたな」

 

「それなら、いつか私にも作ってくれる? 私、あなたの料理って全然食べた事ないから……和人の作るフレンチトースト、食べてみたい」

 

 

 柔らかい声色で頼まれた和人は、思わず反応を示した。確かに自分が料理できるようになっても、食べる相手は大体直葉か母くらいで、肝心な詩乃には食べてもらった事はあまりなかった。

 

 そして詩乃のためならば、少し面倒な工程を踏む必要のあるフレンチトーストを作るのも――面倒だと思わなかった。詩乃は直葉が帰ってくる一週間後まで居る予定なので、その間に作ってやれるだろう。

 

 考える和人を目にしつつ、詩乃が少し首を傾げる。

 

 

「……駄目?」

 

「……駄目じゃないよ。君が言うんなら、作ってやるさ。ただ朝に時間が必要になるから、今日みたいな休みの日で良いかな」

 

 

 詩乃は自分のスマートフォンを懐から取り出し、モニタを閲覧する。カレンダーを見ているようだ。

 

 

「二十九日なんてどうかしら。この日は祝日で休みになってる」

 

「あぁ、その日なら丁度良いな」

 

 

 四月二十九日と言えば、ユナのファーストライブが開かれる日でもある。だが、極限まで騒がしくなるライブステージなど、和人も詩乃も苦手としている。ユナのファンである珪子や乗り気の里香達には悪いが、その日は欠席する予定にしていた。

 

 この日はユナのファンにとっては最高の一日であり、和人と詩乃にとっては優雅な休日となるだろう。そんな日の始まりにフレンチトーストを作ってやれるのは、気持ちがいいと思えた。今から楽しみだ。

 

 

「それじゃあ、二十九日にお願いね」

 

「わかった。楽しみにしててくれ」

 

 

 そう言うと、詩乃はふふんと嬉しそうに笑ってくれた。

 

 その後は詩乃が作ってくれた朝食を食べ進めていった。だが、ある時詩乃がきょろきょろ周囲を見回すようになり、和人は不思議がって声を掛けた。

 

 

「あれ。詩乃、どうかしたか」

 

 

 詩乃はぴたりと動きを止めて、和人に向き直る。そのまま軽く下を向く。

 

 

「……ねぇ、和人」

 

「うん?」

 

「いつか、これが私達にとっての当たり前になるのかな」

 

「え?」

 

 

 詩乃は顔を上げた。頬が少しだけ桃色を帯びている。

 

 

「もし私達が一緒になって、一緒に暮らすようになったら、今日みたいな朝が当たり前になるのかなって思ったの。私が居て、和人が居て、一緒に朝ご飯の準備して、二人で食べて……」

 

 

 和人は思わず聞き入っていた。詩乃は続けていく。

 

 

「私ね、今……すごく嬉しい。私は普段一人で居て、朝ご飯も一人で作って食べてる。けれど今はこうしてあなたが居て、一緒に朝ご飯を作ってくれて、一緒に食べてくれる。今は一週間くらいで終わりだけれど、将来今日みたいな日が当たり前になってくれたら、すごく幸せって思えて……」

 

 

 詩乃はずっと一人だった。今こそは仲間も自分も居るからそうではないが、それでも朝や夜などは、基本的に一人で料理を作って食べている。それが彼女にとっての日常だった。

 

 だからこそ詩乃にとって自分が一緒に居る朝、夜というものは、とても嬉しいものなのだ――詩乃は言葉なくそう伝えてきてくれていた。

 

 感じ取った和人は胸が暖かくなった気がして、次の瞬間には椅子から立ち上がり、テーブルの上の詩乃の手に自らの手を重ねていた。詩乃がきょとんとした直後に、和人は口を開く。

 

 

「出来るよ。ううん、当たり前にしてみせるとも」

 

「……約束してくれる?」

 

「約束するよ。いつか、これを毎日の当たり前にしよう」

 

 

 深く頷くと、詩乃は静かだけれども嬉しそうな表情をして、笑った。朝と夜に詩乃が居てくれて、一緒に食事をしてくれる。それは自分にとってもこれ以上ないくらいの幸福だ。手に入れないわけにはいかないし、手に入れずにはいられない。

 

 様々な目標のある脳裏に、また一つ目標が加わった。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「ここで戦ったのか、詩乃達は」

 

「えぇ。結構楽しいイベントだったわよ」

 

 

 朝食を終えた後、和人は詩乃を後ろに乗せてバイクを駆り、東京の街へ出た。そして辿り着いた場所は、原宿駅の近くにある代々木公園だった。昨日詩乃がオーディナル・スケールのボス戦をするために一人で向かって行ったところであり、和人と詩乃は今日ここでデートをするという予定を立てていたのだった。

 

 空は青々と晴れ渡り、白い雲が美しいコントラストを作っている。四月の新緑前の木々が緑色に生い茂るその景色は、デートと言うより外出や散歩に丁度良かった。実際同じ事を考えている人々は沢山いて、あちこちに親子連れやカップルなども見受けられた。

 

 あまりに平和で長閑な光景であり――昨日オーディナル・スケールの戦場になったという話が信じられないくらいだった。駐輪したバイクから離れて歩みを進め、中央広場に向かう。そこがまさしく詩乃達が戦ったというエリアだった。

 

 

「オーディナル・スケールのニュースで見たけど、昨日ここにユナも来たんだってな。沢山プレイヤーが来ただろ」

 

「えぇ、かなりのプレイヤーが居たと思う。明日奈とユピテル、琴音とも一緒になったわ」

 

「あの三人も来てたのか。意外だな」

 

「意外でもないわよ。明日奈とユピテルは家から近いし、琴音はモンスター自体がお宝って」

 

 

 それぞれの経緯(いきさつ)を話す途中で、詩乃は何か気付いたような顔をした。

 

 

「そういえば、遼太郎達《風林火山》の皆も来てたわよ。なんかすごいやる気で」

 

 

 和人は思わず詩乃から顔を逸らしつつ、苦笑いする。遼太郎達《風林火山》の者達は、一昨日自分がユナにキスされる様を見たのを起爆スイッチにして、これ以上ないくらいにオーディナル・スケールのボス戦へのやる気と行動力を見せるようになった。

 

 一昨日自分が不可抗力で手に入れてしまった、ユナのキスという最大級の祝福を受けるために、昨日もここに向かったのだろう。

 

 

「けど、結局ボス戦には来なかったのよね。なんか一人来ないって言って」

 

「一人来ない? 都合が付かなかったのかな」

 

「そうじゃないかしら。まぁ、また《英雄の使徒》が出るんなら、出てくるでしょ」

 

 

 詩乃の言い方はかなり適当に感じられた。詩乃にとって《風林火山》の者達はそれくらいぞんざいに扱ってしまっても良い物という認識なのだろう。

 

 先程自分にフレンチトーストを頼んだ時、一緒の朝食を約束した時との温度差に、和人は苦笑いする他なかった。遼太郎達が詩乃に報われる時は永遠に来ないだろう。

 

 ――いや、来る事などあってはならない。詩乃には自分がいるのだから。

 

 思い直したその時、スマートフォンがぶるぶると振動した。手に取って確認すると、簡単会話チャットSNSのメッセージが来ている。差出人はリランで、「オーグマーを起動しろ」と書かれてあった。

 

 思わず和人は眉を八字(はのじ)にする。リラン達には「今日の午前中は詩乃とデートするから、予定は作れない」と前もって言っておいた。なのにこうしてリランがメッセージを飛ばしてきたという事は、何かあったという事なのだろうか。緊急性がある出来事が起きた可能性も捨てきれない。

 

 和人は詩乃にモニタを見せてからオーグマーを取り出し、二人同時に起動した。現実世界に仮想世界のレイヤーがほんの少し適応されたそこで――

 

 

「うおわあああああッ!!?」

 

 

 何もなかったはずの目の前に、突如として巨大な白い狼の吼え面が出てきた。しかも鼻先同士がくっ付きそうなくらいの位置に。和人は思わず大声で驚き、尻餅をついてしまった。隣の詩乃もかなりびっくりしている。

 

 現実世界に存在しえない魔物が存在するようになるのが、オーディナル・スケールだ。目の前にいるのはそのオーディナル・スケールの魔物なのだろうが、起動した記憶はない。ではこれは一体――。

 

 

《腰を抜かすでない! お前の《使い魔》だ》

 

 

 間もなく頭に直接響く《声》がした。聞き慣れている初老女性の声色。その《声》にはっとした和人は、目の前の白い巨狼を再度認め直す。それは巨大な狼ではなく、人間の金髪を思わせる金色の(たてがみ)と翼を持つ狼竜だ。

 

 

「り、リラン」

 

 

 和人に呼びかけられた狼竜は、そこまで強くない光を出して姿形を変え、金色長髪で赤い瞳の少女になった。その少女は今、和人のスマートフォンのSNSで呼びかけをしてきていたリランだったが、彼女は早速呆れたような顔をして腕組をしていた。

 

 

「全く、オーグマーを起動するのが遅すぎるぞ。しかもこんなに遠くまで出かけおって。お前がオーグマーに我らを移植しないせいで、お前の家から出て何機のオーグマー用回線ドローンを跨いだかわからぬわ」

 

 

 出てきて早々嫌味をぶつけるリランに、和人はむっとする。

 

 

「お前なぁ、今日は詩乃とのデートだから邪魔するなって言ってただろ。なのに途中で出てきて、おまけに驚かせてくれやがって。お前いつから主人の言う事を聞けない《使い魔》になったんだ!?」

 

「それもこれもお前のせいぞ。お前がオーディナル・スケールに参加しないせいで、我もせっかくの未知の世界で思う存分に戦えぬのだ。《SA:O》のモンスターなど狩り飽きて今や拡張(アプデ)待ち! オーディナル・スケールを楽しめないせいで、要求不満(フラストレーション)が溜まりまくっておるわ!」

 

「俺はARとの相性が悪いって前から言ってるだろうが! 昨日だって筋肉痛であちこちばっきばきだったんだぞ! そして《SA:O》のモンスター狩り飽きるの早いな! ゲームのやり過ぎだっつーの!」

 

「お前がそれを言うか!? どの口だ、お前のどの口がそんな事をほざける!?」

 

 

 せっかくの詩乃とのデートを邪魔された事への怒りは、和人の想像以上だった。どんどんリランとの口論がヒートアップしていきそうになったその時に、不意に頭を衝撃と軽い痛みが襲った。ごつんというなんとも良い音がして、軽く頭を押さえる。

 

 痛みの方向は、詩乃の居た方角。向き直った時、詩乃は両手でチョップをした後の姿勢になっていた。かなり呆れた顔をして。……気付けばリランも同じように頭を抑えていた。

 

 

「二人とも、今夜オーディナル・スケールでボス戦ね。そこで和人は運動不足を、リランは要求不満を解消しなさい。だからここで言い争わない事。いいわね?」

 

「「……はぁい」」

 

 

 まるで母親もしくは女教師に怒られた子供のようになって、和人もリランも熱を冷ました。《ビーストテイマー》と《使い魔》に揃って今日の夜にオーディナル・スケールをやるという予定が出来た。リランにとっては喜ばしく、和人にとっては喜ばしくない予定だった。

 

 喧嘩熱が冷めきったところで、詩乃がリランへ問いかける。

 

 

「それでリラン、あんた本当に現実に出てきたいためだけに呼んだの。何か他の用事があったりするんじゃない?」

 

「おぉ、そうだ。オーディナル・スケールについて調べていたら、ユイとストレアがそれぞれ情報を掴んで来たのだ。それを報告しようと思って、来たというわけだ」

 

 

 和人はまたしても眉を寄せた。その情報というのは重大な物なのだろうか。

 

 

「それ、俺達のデートに割り込みする程重要な話なのか」

 

「そのとおりだ。これはお前達S()A()O()()()()()()()()()()()()になる」

 

 

 リランに思わず反応をする。SAO生還者達にとって重要な話というのは聞き捨てならない言葉だ。これだけで、何か特別な事がわかったというのが掴めた。

 

 

「SAO生還者達にとって重要な話だって?」

 

「あぁ。詳しい話は皆を一か所にまとめられるところでする。妥当なのは《SA:O》であろう」

 

「そうだな。集合場所は《SA:O》の俺達の家が良いな」

 

「時間は午後三時からにしよう。三時になったら《SA:O》の、我らの家に――」

 

 

 今日は休日だから、店を営んでいるアンドリュー/エギルやバイトをしている虹架(にじか)/レイン以外ならば《SA:O》に集まる事が出来るだろう。そこでリラン達が突き止めたという話を聞いて、その後オーディナル・スケールに――。

 

 

「……リラン?」

 

 

 頭の中で予定を纏める和人を呼び戻したのは詩乃の声だった。彼女は首を傾げてリランを見つめている。リランはというと、和人の背後方向に目を向けたまま、硬直していた。

 

 

「リラ――」

 

 

 和人が言いかけ、振り向くよりも前にリランは一歩前進、和人を右に退けさせた。詩乃と一緒に驚いてリランに向き直ると――そこでもう一度驚く事になった。

 

 リランのすぐ前の足元に、人が姿を現していたのだ。その人は尻餅をついている。驚いてしまっているようだ。

 

 

「え、なんだ!?」

 

「お前、なんだ。急に我らの近くに現れて、何のつもりだ」

 

 

 リランは口許に(しわ)を寄せて警戒心を剥き出しにして、人に詰め寄らんとしていた。いきなり現れたというのは解せないが、ひとまずリランの警戒がやりすぎであるというのはわかり、和人はリランにやめろと呼びかけた。

 

 リランが警戒を止めたのを認めて、和人はそっと人に手を伸ばす。

 

 

「ごめん、こいつが驚かせてちゃって。大丈夫か」

 

 

 薄い緑色の縁が特徴的な白いケープに身を包み、フードを深く被っているが、覗き込んだ時に女性の顔立ちであるというのがわかった。リランとはまた異なる色相の赤い瞳で、ユピテルの元の髪とも異なる銀色の髪の毛が目を引いた。

 

 

 女性は答えずに、和人の手を握ろうとしたが――その手は和人の手をすり抜けた。

 

 

「えっ……?」

 

 

 和人は驚く他なかった。詩乃もリランも同じように驚いている。明らかに今女性に触ったのに、触った感触がなく、通り抜けてしまった。まるで幻影(ファントム)幽霊(ゴースト)だった。

 

 実体がない女性は何かに気付いたようにもう一度しゃがみ込むと、何かを拾い上げるような仕草を始めた。よく見れば、女性の足元には影がない。光を浴びているのに、影が映っていないというその様子は、本当に幽霊のようだ。

 

 やがて女性は落とした物を拾い終えたような仕草をすると、すっと立ち上がって和人と顔を合わせた。和人の黒い瞳と自身の瞳を合わせるなり、その唇が動く。

 

 

 

 ――さ が し て――

 

 

 

 女性は声を出さなかったが、唇は確かにそう伝えていた。

 

 探して? 何をだ。俺に何か探してほしいのか?

 

 疑問でいっぱいになりそうな頭の和人から、女性は身体ごと顔を逸らすと、そのまま身体を光に包ませて、消えていった。突然現れた異物は消え去り、和人、詩乃、リランの三人がその場に残される。

 

 今のは一体なんだったのだろうか。確かに女性がいたのだが、彼女に触る事も出来なければ、声を聴く事も出来なかった。挙句突然現れて突然消えた。それに該当するものと言えば、幽霊以外何もない。

 

 

「和人、今の人は……?」

 

 

 寄ってきた詩乃と一緒に、オーグマーの電源を落とす。仮想世界のレイヤーが解除されても、そこに先程の女性の姿はない。今の女性はリランと同じ、仮想世界の存在なのだ。

 

 電源を入れ直して、姿が見えるようになったリランに問いかける。

 

 

「リラン、今のは何だ」

 

「わからぬ。気付いた時にお前の後ろに居た。だが、どうやらオーグマーを付けていなければ見えない存在のようだ」

 

 

 リランは彼女が自身と同じだと言っているようだが、真実は決定的に違っている。それを確かめるべく、和人はリランの頭頂部に手を載せる。手にリランの髪の感触、暖かさが伝わってきた。

 

 リランはそのままの体勢で和人に向きを直してきた。リランの綺麗な髪が擦れる良い感触が掌に伝わってくる。

 

 

「……お前、あいつに触れなかったな」

 

「あぁ。触った感触は何もなかったし、すり抜けた。おまけに影もNPCタグもなかったから……電子幽霊(デジタルゴースト)ってか」

 

「幽霊って……そんなものがいるの」

 

 

 詩乃の問いかけは尤もだ。幽霊などと言ったものの、それは非科学的だ。魔法も超科学も現実にレイヤー掛けするオーグマーだって、そんなものを存在させる意味が掴めない。

 

 いずれにしても、解せない。

 

 

「リラン、オーグマーを使ってると代々木公園に女の幽霊が出るって話は?」

 

「調べてみよう。だが今のアレと言い、()()()()()()()()()と言い、全くオーグマーは変な機械だな」

 

 

 和人と詩乃はまたしても首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「おはよう、木綿季(ゆうき)

 

 

 横浜港北総合病院の病室の一室を、白嶺(しらみね)海夢(かいむ)は訪れていた。比較的見晴らしのいい景色を窓から見る事の出来る、そんな病室で過ごしている妹に呼ばれたためだ。

 

 横スライド式のドアを開けて早々、妹がとことこと歩いて出迎えてきた。

 

 

「おはよう海夢、おかあさんにおとうさん!」

 

 

 自分とあまり身長が変わりなく、肩にかかるくらいの長さの、黒茶色の髪の毛をしている。海夢の両親から送られた白いカチューシャをしている、くりくりとした瞳が可愛らしい少女。その少女こそが、海夢の妹となった紺野(こんの)木綿季(ゆうき)だった。

 

 見せびらかすかのように元気さを振りまく木綿季に、海夢の後ろの二人が挨拶を返す。海夢の両親である。普段は海夢しかここに来ないが、今日は木綿季の要望もあって、三人揃ってここに来る事となったのだ。

 

 やがて母が木綿季に寄り添い、その頭を撫でてやる。

 

 

「木綿季、すっかり良くなっちゃって……身体もしっかりしてきたみたいだし」

 

「うん。海夢がリハビリしてくれるおかげで、すっかりよくなっちゃった」

 

「この調子なら、後一ヶ月くらいで退院できるかもしれないな。その時が楽しみだ」

 

 

 父が木綿季に笑み掛けると、木綿季もまた笑みを返した。木綿季のエイズが海夢の骨髄移植で治された後、木綿季はついに無菌室から出る事に成功し、この病室に移された。退院とはなっていない。

 

 エイズではなくなったものの、三年以上メディキュボイドに接続され、身体を動かせない状態にあった木綿季には、長いリハビリが必要だった。担当医師と海夢の協力によって上手い具合に進んではいるものの、それでもまだ完全に外を出歩けるくらいには届いていない。木綿季はまだこの病院のお世話になるしかないというのが、現状だった。

 

 

「ボクも、もっと頑張ってリハビリするよ。早く家に帰れるように!」

 

 

 木綿季の言葉に両親も海夢も笑んだ。木綿季を取り囲む問題は、リハビリだけではなく、戸籍もそうだ。木綿季の姉と両親は既に他界しており、彼女は事実上の孤児となっている。

 

 更に元々木綿季が住んでいた家も、木綿季とその家族に的外れな嫌悪を向ける親戚達の手によって、丁度木綿季が無菌室から出てきた時頃に取り壊されてしまった。家族の他界、家もなし――木綿季は退院しても、どこにも行く場所がない状態になっていた。

 

 しかし、そんな木綿季を白嶺の家の養子として迎え入れる手続きを、海夢の両親は行った。これによって木綿季は白嶺の子――海夢の血の繋がっていない妹となり、海夢の両親の子供の一人となり、帰るべき家は海夢の家になった。

 

 その話を聞いた時の木綿季の弾けるような笑顔は、海夢の脳裏から去らなかった。

 

 

「頑張ってリハビリするんだよ、木綿季。そうでなきゃ、白嶺の巫女として舞えないからね」

 

「舞うし! ボクは京都の本家で舞う巫女さんになるんだ。それで()()()()()と一緒に京都巡りするんだー!」

 

 

 思わず海夢はびっくりした。身体が一気に熱くなる。今、木綿季は海夢を指して「にいちゃん」と言ってきた。確かに白嶺の子となったからには、木綿季にとって海夢は兄になる。

 

 だがこれまでの事があったからか、木綿季に「にいちゃん」と呼ばれるのは恥ずかしくて、くすぐったくて、どうしても耐えられない。だから海夢はなるべく木綿季に「にいちゃんって呼ぶな」と言ってきていた。

 

 

「だから木綿季、ぼくをにいちゃんって呼ばなくたっていいって!」

 

「えぇ~なんで~? ボクはおかあさんとおとうさんの子供になったんだよ? だからおねえさんと海夢の妹でしょ。にいちゃんをにいちゃんって呼んで、何がいけないの?」

 

 

 悪戯っぽく笑っている木綿季は、明らかにわざとやってきていた。プローブ越しではなく、現実世界で直に木綿季と会話し、触れ合い――からかわれる。それが海夢の新たな日常となっていた。

 

 母も父も、面白そうに笑っている。こんな二人を見たのは姉が生きていた時以来だったかもしれない。だが、今の海夢にとっては木綿季のにいちゃん呼ばわりの阻止が最優先事項だった。

 

 

「とにかくにいちゃん呼びはやめる! んで、なんでおかあさんとおとうさんまで呼んだわけ。ぼくだけじゃなくてさ」

 

 

 話題のすり替えは上手くいった。木綿季も両親も、気付いたような顔になった。間もなく母が木綿季に問う。

 

 

「そうだわ。木綿季、いつもは海夢だけなのに、どうしてわたし達まで?」

 

 

 木綿季は急に「にこっ」と笑い、ベッドの近くにある棚の上の装置を手に取った。円環状のそれは、海夢も当たり前に使っているアミュスフィアだった。メディキュボイドから出た木綿季には、後継品としてアミュスフィアが贈られたのだ。

 

 そのアミュスフィアを装着し、電源を入れつつベッドに横たわる。首を傾げる三人に、木綿季が声を掛けた。

 

 

「皆さん、前もって呼び掛けておきましたが、オーグマーはお持ちですか?」

 

 

 急に敬語になった木綿季に言われるまま、海夢はオーグマーを懐から取り出す。何かと役に立つし、アミュスフィアよりも遥かに安価なオーグマーは、母と父も手に入れて、日常的に使っている。

 

 そのオーグマーを忘れずに持ってきてというのが、木綿季からの今日のお願いだった。

 

 

「持ってきてるけど、これがどうしたの」

 

 

 海夢の答えに、木綿季は応じる。

 

 

「ボクがリンクスタートっていうのと同時に、オーグマーを起動してほしいのです。その時世紀のマジックショーが始まります!」

 

 

 相変わらず首を傾げるのを止められなかった。世紀のマジックショーと言われても、何をするつもりなのか読めない。木綿季は掴みどころも読みどころもない娘だった。だが、ひとまずその声に従ってオーグマーを装着し、起動準備に入る。

 

 

「いきますよー……リンクスタート!」

 

 

 木綿季の声に合わせ、海夢とその両親はオーグマーを起動した。仮想世界の要素が現実世界にほんの少しだけ上乗せされた光景となるが、何か変わった事はない。しいて言えば、木綿季が仮想世界にダイブしたくらいだ。

 

 

「……?」

 

 

 三人してまたまた首を傾げたその時だ。

 

 

「ばあッ!!」

 

「うわあッ!?」

 

 

 アミュスフィアによって仮想世界に行っているはずの木綿季が、大声を出して起き上がった。流石に三人して声を上げて驚いてしまう。しかも驚くべき事は続いており、木綿季はベッドから降りてきた。

 

 

「え……!?」

 

 

 そのベッドには木綿季が寝たままになっている。なのに眼前にはベッドの傍で立っている木綿季がいる。――木綿季が二人に分身している。

 

 

「「「え、え、ええ!?」」」

 

 

 一家一緒になって驚き、戸惑った。木綿季が分身するなど、想像の範囲を超えている。何が起きている――?

 

 

「どうですか、このマジックは!」

 

 

 ベッドの傍に立つ木綿季が両手を腰に当て、どや顔をする。してやったりと言わんばかりだ。

 

 

「木綿季、どういう事なんだ。木綿季はベッドに寝てて、でもここにも木綿季が居て……?」

 

 

 父の混乱は海夢も思った事だったが、聞くより前に海夢はベッドの傍の木綿季に近付いた。そのままよく木綿季が仮想世界でやってくるように顔を両手で掴み――、

 

 

「む、むぐ、もごごごごご!?」

 

 

 いつもやられているように、ぐにぐにとさせる。動く度に、掌に確かに肌の温もりと感触が返ってくる。それは木綿季の顔の柔らかさと暖かさに違いなかった。木綿季は確かにここにいるが、しかし木綿季はベッドに寝ている。全く理解できない。

 

 

「木綿季、どうなってんのこれ……なんでこんな事、いや、どうやってるの」

 

 

 木綿季が両手で海夢の手を取り払うと、実際に取り払われた。少し不機嫌そうな顔をしてから、木綿季は説明する。

 

 なんでも、リラン達ユイ達がやっている現実世界への現出を、木綿季のアミュスフィアの中に搭載されている専用アプリケーションでも出来るよう、リランとユピテルが改造を行ったというのだ。これを木綿季が起動する事により、病院でダイブしつつ、海夢の近くなどにいけるようになったのだという。

 

 

「リラン達がやってくれたんだ」

 

「うん。これでボクもリハビリを気にしないで、オーディナル・スケールが出来るんだ」

 

 

 木綿季はリハビリが必要な身体であるため、今流行中のオーディナル・スケールに参加する事など、したくても出来なかった。だが、このアプリケーションを使えば、病院に居ながらオーディナル・スケールに参加する事が出来る。

 

 病院に居ながら現実世界へ出かけられないか、こういう事が出来ないかとお願いしたところ、リランとユピテルは昨日の深夜から作業開始し、早朝に納品してきた。試してみたところ、ばっちりだったというのが、木綿季からの話だった。

 

 

「なるほどね。このためにぼく達を呼んだのか」

 

「そうそう。オーグマーの回線用ドローンがいるところの近くなら、飛んでいけるようになったから、今日からよろしくね、海夢」

 

 

 そう言って木綿季は満面の笑みを浮かべた。これまで木綿季はプローブを通してしか、現実世界を見て回る事が出来なかったし、仮想世界でしか一緒に居られなかった。

 

 だが、今日からはオーグマーを使う事で一緒に居られる。病院にいるはずの木綿季と一緒に暮らせるのだ。

 

 胸に強い喜びを覚えた海夢は、木綿季と同じ笑顔を返していた。

 

 

「よろしく、木綿季!」

 

 

 海夢と一緒に両親も笑み、木綿季もまた笑った。だが、間もなくして木綿季は何かを思い出したようにベッドへ戻った。

 

 

「え、木綿季?」

 

「それでさ、思い付いたんだ。ちょっと見てて?」

 

 

 海夢達がまたしても木綿季に注目を寄せると、木綿季はベッドに寝ている身体と完全に重なる形で寝た。

 

 数秒後、彼女は仮想の身体の上半身をゆっくりと起こし、海夢達に向き直った。

 

 

「ゆ~たいりだつ~!」

 

 

 思わず海夢は吹き出した。

 

 

 




――くだらないネタ――


オリキャラのイメージCV

白嶺海夢⇒伊瀬茉莉也さん

海夢の父⇒関俊彦さん

海夢の母⇒新井里美さん


――原作との相違点――


①オーディナル・スケールにユウキ参戦。

②和人がフレンチトーストとか作れる。
























③レンジュを含めたオーク族を大勢死なせてリルピリンを思い切り傷付けた挙句近くの暗黒魔術師を盾にして自分だけ助かり、更にリーファを犯したディー・アイ・エルが原作以上のバッドエンドへ直行確定。

 慈悲はない。

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