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「キリト、見つかった?」
「いや、こっちはまだ見つけられてない。そっちも同じか」
「うん。しっかり探してるつもりなんだけど、見つけられてない。どこ行っちゃったんだろう、おねえちゃん」
日が暮れて夜を迎えた街を、キリトは走り回っていた。それはキリト一人だけではなく、《月夜の黒猫団》全員だ。《月夜の黒猫団》の全員が手分けをして夜の街を走り回っている。
その原因は《月夜の黒猫団》の名付け親であるマキの姉であるサチだ。迷宮区から帰って来て、皆で宿屋にて夕食を摂った後、サチが突然姿を消したのだ。しかもどういうわけか《追跡・探知不能》になっていて、直接位置を割り出す事が出来なくなっている。
彼女の妹であるマキがこれを発見した時には、とても大きな声で驚いていた。大切なおねえちゃんが突然いなくなってしまったのだから、その反応は当然と言えたし、キリト達もまた同じように驚いていた。
サチは臆病な娘であるから、流石に迷宮区やフィールドへ向かう事はしないだろう。きっとこの街の中にいるはずだ――昔からサチを見てきて、尚且つサチに見られてきたマキは《月夜の黒猫団》全員に提案し、全員マキの指示通り街全体へ散らばる事となった。
そんな探索の最中、街角を曲がったところでキリトはマキと合流した。話を伺ってみたところ、マキでもサチを見つけられていないらしい。当然こちらも何の収穫も無い。
「少なくとも迷宮区には行ってないんだろう。それにフィールドにも」
「うん。おねえちゃんがそんな危ないところに行く事はないよ。もし行くならあたしを連れて行ってるはず」
「だよな。マキ、何か心当たりみたいなのは無いか。サチが居そうなところ、隠れていそうなところとか」
マキは昔から弱気なサチを支えるために傍に居ると言っている。きっとサチがやりそうな事や、好む場所なども知っているはずだ。そのキリトの予想は、すぐさま見事に的中した。
「もしかしたら、どこか人目に付かないような物陰に隠れてるかもしれない。おねえちゃん、一人になりたい時は決まって物陰とかに隠れてたりするんだよ」
「いつも君と一緒だったわけじゃないのか」
そう言ってみて、キリトは小さな失敗に気が付く。いくらマキがサチを守る素敵な妹だとしても、いつもべったりしているわけはないじゃあないか。サチだって一人になりたい時があってもおかしくはない。そんな事を考えるキリトに、マキは答える。
「流石におねえちゃんにだって一人になりたい時くらいあるよ。けど、そうなった時はいつもあたしが迎えに行ってた。だから早く迎えに行きたいんだ」
「そうだろうな。物陰を中心に探してみればいいんだな?」
「うん。なるべく人目に付かなそうなところを探してみて。あたしはあっち探してくる!」
いつも以上に勢い付いているように見える黒猫少女は、闇に溶け込む街の中へ入って行った。
彼女の衣装はキリトの着ているコートよりも深い黒色だから、闇の中に行かれると姿がかなり見えなくなる。ふと空を見上げてみると、星が砂金のように煌めていて、その中に一際大きな月が浮かび、美しい光を放っていた。
仮想現実の絵に描いたような月夜。その下を走る黒猫衣装のマキ。まさに彼女は《月夜の黒猫》だ。きっと夜の探し物は得意かもしれないが、彼女一人だけに任せてはおけないし、何よりサチ自身の事が心配でならなかった。
マキ曰く物陰にいるかもしれないという事だが、この街には水路が張り巡らされている。まだそちらの方は探していないし、水路はかなり複雑に入り組んでいて、暗い。隠れるのには最適な場所だ。
(もしかしたら)
サチは水路に隠れているのではないか――キリトは咄嗟に思い付き、それだけを考えて水路のある主街区の外れに向かった。
主街区を通り過ぎると、どんどん明かりが無くなっていき、月の光と暗闇だけがその場を支配するようになっていった。そして思い付いた水路のある地帯は、大きな灯りなどはなく、本当に月の光だけが輪郭を映しているような状態だった。
水の流れ、滴る音だけが聞こえてきて、何より暗い。隠れるには本当に良いところだろう。
水路の入り口に来た時点で、キリトは感じるものがあった。プレイヤーの気配だ。レアアイテムなんかが眠っているわけでもないのがこの水路なので、プレイヤーは基本的に立ち寄らない。そこに気配があるという事は、誰かが中にいるという事だ。
そしてそれはきっと――思うより先に、キリトは水路の中を歩いた。かなり入り組んでいながらも広大な地形となっているのだろう、水路の中を歩く度にこつ、こつと大きな靴音が鳴った。
三十秒ほど歩いたところで、急に気配が消えた。隠蔽能力のあるアイテムを使われたのかもしれない。やはり隠れているつもりのようだ。しかし気配がどの方向からあったかはしっかりと憶えているから、問題はなかった。
憶えた気配の位置に導かれるように歩き続けたところ、天井がくり抜かれた形状になっている水路の暗闇の中に、
しかし、隠蔽マントを羽織っていても、それが誰なのかすぐにわかった。
「サチ」
キリトが呼びかけると、人影――サチは少しびっくりしたように顔を上げ、向けてきた。相変わらず大人しく、弱気な表情だった。
「探したよサチ。皆、心配してるぞ」
「キリト……」
サチは呟くように言うと、キリトから顔を背けた。素直に帰るつもりはないようだ。キリトは少し様子を伺いながらサチに近付き、やがて二メートルほど離れた位置に腰を下ろした。
「急に居なくなったからびっくりしたよ。早く帰ろう」
サチは答えないで俯いたままだった。彼女がそんなふうになっているのに心当たりがないわけではなかった。
日中戦闘訓練に向かった《月夜の黒猫団》だが、そこでいきなりモンスターの群れと中ボスモンスターを相手にする羽目になってしまった。レベルこそ《月夜の黒猫団》の一同は勿論、キリトとマキよりも遥かに低い数値であったが、群れとなって襲い掛かられては対処が難しかった。キリトはマキと、そしてサチと約束したとおりの戦いをし、サチを守るために戦った。
だが、キリトとマキという強者二人のタッグがあったとしても、サチや《月夜の黒猫団》全員への被害を完全に防ぐ事は出来なかった。戦闘終了時は誰もが《HPバー》が黄色に変色する寸前で止まっているような状態だった。サチを守りながら戦うというのは、キリトが思っていた程簡単なものではなかったのだ。
その事をケイタ達は「次の訓練で完全にできるようになればいい」と労ってくれたが、傷つけさせない、守ると決めていたサチにダメージを入れられたのが、キリトは悔しくて仕方がなかった。
こんな事は何度も経験してきたのだろう、マキは「よくある事だし、これくらいなら守れた事になってるよ」と励ましてくれもしたが、キリトの心は晴れなかった。
「……日中の事はごめん。俺もしっかり戦ったつもりだったんだけど……考えもやり方も甘かったんだな」
「そんな事ないよ。キリトもマキも、本当によく頑張ってくれてた。私なんかのために……こんな私のため、なんかに……」
自己嫌悪、自嘲の入った言い方にキリトは引っかかるものを感じた。思わず振り向くと、サチと顔が合った。しかしすぐにサチは顔を背けて、また俯いた。
「……ねぇキリト。マキは来る? マキも私を探してくれてる?」
「勿論だよ。マキはすごく心配して君を探してるよ」
「……じゃあさ、マキが来るのを待とう。マキが来たら、キリトと、私と、マキの三人で……こんな事もうやめて、どっか逃げよ」
「逃げるって……何から逃げるんだ」
「全部。この街から、黒猫団の皆から、モンスターから……SAOから」
キリトはごくりと唾を飲み込んだ。黒猫団とこの街とモンスターからというのはわかるが、SAOから逃げるとなれば、それは一つしかない。思い付いた内容に若干の戦慄を覚え、キリトはサチに尋ねる。
「まさか三人仲良く心中しようと?」
サチは言動を止めたまま顔を上げるなり、やがて首を横に振って、小さな笑みを含めた声を出した。
「そう、だね。それもいいかもね。……けど、ううん、ごめん嘘だね。もしそんな勇気があるなら、こんな街の圏内にいるわけないし、マキの事も巻き込んで……」
流石に冗談だった事にキリトは安堵を覚えた。それだけの事をやってしまいそうな雰囲気が今のサチにはある気がしてならなかった。
そんなサチの口からは、やはりマキが何度も登場してくる。マキの口からおねえちゃんが何度も登場してくるのと同じように。正反対の性格の持ち主でも、似た者姉妹だ。
その姉は、もう一度小さな声で言った。
「ねぇキリト、なんでここから出られないの」
「え」
「なんで出れないの。なんでゲームなのに本当に死ななきゃならないの。なんで私はあんなに可愛い妹を巻き込んで、こんな場所に来ちゃったの。なんであの子を巻き込まずに済ませられなかったの。こんな事に、こんなゲームに何の意味があるの」
次から次へと投げかけられる質問に、キリトは答えを用意できない。返せる答えがあるのは、一番最後の質問だった。
「……多分、意味なんてないよ。この世界が出来上がった時に、大事な事は全部終わっちゃったんだ」
サチは何も言わなかった。しばしの沈黙の後、それを破ったのもサチだった。
「私……死ぬのが怖い。怖くて、怖くて、この頃あまり眠れないの。マキが近くに居てくれるのに、全然眠れない……」
サチは自分の膝を強く抱きしめていた。そしてその言葉に対する答えは、つい昨日の時点に用意していた。
「……君は死なないよ」
次の瞬間、サチはかっと顔を上げてキリトと目を合わせた。瞳で戸惑いの光が強く揺れていた。
「なんで。なんでそんな事が言えるの。あなたが私を守るから? なんであなたまでそんな事を言うの。なんで、なんでキリトまで、私に縛られようとするの」
サチの声は大きくなっていた。それが心の叫びであると気付かされたのと、サチの声に驚き、キリトは思わず問うた。
「……縛られる? どういう事なんだ、それは」
サチは一瞬はっとしたような顔をして、やがてもう一度俯いた。
「……そのままの意味だよ」
その言葉の意味が上手く呑み込めなかった。サチがマキを縛っているとはどういう事だ。
マキは確かにサチを想っており、サチを守るために戦いもする素敵な妹と言えよう。彼女があんなふうなのは、マキがサチを姉妹として愛し、サチもまた姉妹としてマキを愛しているからに違いない。そんな彼女が縛られているとは到底思えなかった。
そこでキリトは、マキから聞いたサチへの印象を話した。
「……マキから話を聞いた。マキは君が大好きで……君もマキの事が大好きだって、言ってた。君がマキを縛ってるなんて事はないだろう」
もしかしたら言うべきではないかもしれないが、言わずにはいられなかった。そんな話を聞いたサチは、とても素直な頷きを返してきた。
「……そうだよ。マキはこんな私を大好きって言ってくれて、いつも私を助けてくれるの。こんなに弱くて、頼りない姉なのに……全然不満そうにもしなくて、頼らせてくれる。昔からそう。私の傍にいつも居てくれて、私の心配もよくしてくれて、私の助けになってくれて……だから、私はあの子を縛ってしまっているの。私がこんなにも弱い姉だから、あの子に私を守らせる事を強制させてるの」
「そんな、強制なんかじゃないよ。あの子は自分の意志で君を……」
「あの子は私を守らなきゃいけないって思ってる。私がそう思わせてるんだよ。私が弱いばっかりに、あの子はそう思い込んで……危ない目に遭ってる。それでSAOに閉じ込められたばっかりに、戦わなくてもいいのに、戦いに行く……私があの子を戦わせてるようなもの」
先程からサチから自嘲の念が抜けない。それだけサチが深刻に思っているという事だ。そのせいか、否定したくても否定に中々入っていけなかった。
「そうだよ。やっぱりそうなんだよ。だって……一番最初も、結局私が原因だったんだから」
「え?」
首を傾げるキリトもお構いなしで、サチは話し始めた。
サチとマキの関係は、一番最初はこんなふうではなかった。
サチとマキがまだ幼い子供の頃、夏休みの時に野山に出かけた事があった。登山でも採集でも使われるような、手入れされた山であり、子供が遊んでも迷ったりする事のない、極めて安全な山であった。だから大丈夫だと思って、二人は出かけて行った。
誘ったのはマキだった。手入れされていて安全だから大丈夫だよと言って、サチと一緒に山に出かけると持ち掛けた。サチもマキが言うのだから大丈夫だと思い、特に準備もせずに山に入ったのだ。
都会や街中では体験できない自然の中。二人は子供らしくはしゃいで遊んでいたが、ある時サチは、気付かないまま急斜面へと向かってしまった。まさか急斜面があると予想もしていなかったサチは転がり落ちてしまい、左腕と右足の骨を折る大怪我をした。
幸い後遺症などは残らず、治癒した後も歩けたし、腕も動かせたが、それからだ。マキがサチを守ったり、よく気にかけてくれるようになったのは。マキは今でも、あのサチの大怪我は自分のせいだと思っている。
だからこそ、あんなふうに自分を守り、頼らせてくれるのだと――サチの話はそこで終わった。
「そうだったのか……だからマキはあんなに君を気にかけて……」
「そうだよ。本当は私がいけなかったの。私がもっとしっかりしてれば、大怪我をする事もなかった。私がいけないのに、あの子は私を大怪我させたと思ってて……それが抜けないの。何度も言ってるのに」
マキは姉妹という立場上、大怪我をして辛い思いをしている姉の姿をいつも近くでまざまざと見せつけられる事になったのだ。小さな子供の頃にそんな目に遭ったのであれば、マキがサチを苦しめないように、守るようになるのは当然の事だろう。サチは続ける。
「私、あの娘があんなに頑張ってくれてるのは嬉しい。でも、本当はあんな事をしてもらいたくない。あの娘が頑張るのは、全部私のため。私が弱いのがいけないの……だからあの娘は私を守ろうと思って、強くなろうとしてるの。あの娘を危ない目に遭わせてるのは、私なんだよ……あの子は自由じゃない。あの子の自由は私が奪ってるの……」
ようやくキリトはサチの思いがわかった気がした。マキは強い。かつて怪我をさせ、苦しめてしまった姉であるサチを守りたいと思って、強くなった。もう二度と姉を傷つけない、苦しめないと誓っているのだろう。だが、それは彼女の意志によるものであるはずで、サチが強制させた事ではないはずだ。
サチはマキを縛り付け、自由を奪っていると思っている。それは間違いだ――キリトは素直にそう思えた。
「君はマキを縛ってなんかいない。マキは自由だよ」
「……なんで」
「そうでなきゃ、マキは君が大好きだなんて言わないし、思ったりもしないよ。あの娘は自分の意志で君を守ろうとしてるだけだ。そもそもサチは、マキの事をどう思ってるんだ。少なくともマキは、君の事が好きだって思ってるみたいだ」
その問いかけを受けるなり、サチは目を丸くした。何か重要な事に気付かされたかのようだ。
「……私も、マキの事が大好きだよ。あぁ見えて、マキはとっても可愛い妹だから……」
「それなら、君はマキを縛ってなんかいない。マキは大好きな人を守ろうと思って行動してる、それだけの事だよ。サチは悪い方に考えすぎなんだよ」
そう言ってみて、キリトは自分の変化に気が付いた。サチとは昨日出会ったばかりなのに、まるで何年も一緒に居たかのように話している。これではサチとマキ姉妹と幼馴染だというケイタのようではないか。
だが、それを悪いとは思わない。寧ろ心地よくて仕方がなかった。これもサチのおかげだろうか。
そんな疑問を胸の片隅に抱くキリトに、サチは、少しぎこちなく答えてきた。
「そう、かな。本当にそう、かな」
「本当にそうだよ。それに、結構結果オーライだと思うぜ。マキが誰よりも強いおかげで、《月夜の黒猫団》も強くなれてる。安全マージンはクリアできてるから、このままでも順当にやっていける。そのうちSAOをクリアする事も出来ると思う。だからもう、大丈夫だよサチ。君は死なない。俺とマキが、君を死なせないから……大丈夫だよ」
もしかしなくても、説得力も根拠も全くない、薄っぺらい言葉であろう。だがキリトは、サチにそう言いたかった。その思いを受け取ったサチは、やがて微笑みを浮かべ――キリトにそっと寄り、その肩口に顔を埋めてきたのだった。
そこで感じられた温もりは、キリトが初めて感じる、心地よい温もりであった。
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「……けれど、結局サチは死んだ。守ってやるって言ったのに、守ってやれなかったよ」
自身の記憶を取り戻しながら、キリトは《月夜の黒猫団》との思い出を、サチとマキとの僅かな日々を語った。勿論サチと一緒に寝た事、サチこそが最初の恋人であった事は話さなかったが、始終は話した。
サチも皆もモンスターに切り刻まれて死に、激昂したケイタはアインクラッド外周に投げ出される事故に遭って死んだ事も、全て。思い出すだけで胸が裂かれるような痛みを伴った錯覚に襲われそうになるが、それでも話さずにはいられなかった。
勢いが弱まり、ただ静かに降ってくるようになった雪を被りながら、クラインもリランも話を聞き続けてくれた。そのうちクラインは、キリトの話が終わったところで、悲しそうでありながら納得したような顔になって、キリトに声掛けした。
「そうだったのかよ……お前……だからあんなに荒んでたわけか。そのサチって人を生き返らせようと思って……」
「……そうだ。そんな状態だったから、俺はリランに目を付けられたんだ」
そう答えて向き直った先にいた狼竜リランは、狼の輪郭でありながらも、はっきりと悲しんでいるとわかる顔をしていた。すぐさま《声》による返事が来た。
《今でもはっきり思い出せるな、あの時のキリトの状態は。荒んで傷付いて、自暴自棄で……とても見ていられる状態ではなかった。だからこそ、我はお前の許へ向かった。いや、導かれたのだ》
「あぁ。それから俺もお前に助けられたよ。お前が来てくれたおかげで、俺は立ち直る事が出来たんだ」
同時にサチが遺してくれた音声記録アイテムの音声を聞いたおかげでもあるのだが、やはりリランがあの時から治療し続けてくれて、そして偶然シノンが落ちてきてくれたおかげで、今に至れている。自分がここまで立ち直れたのは、シノンとリラン、そしてサチのおかげだ。いや、一緒に戦ってくれた仲間達全員のおかげだ――そう思うと、キリトは胸の内に感謝の念が湧くのを感じた。
「なるほどな。なんだか色々納得できたぜ。けど、それなら尚更だな」
クラインの言葉に、キリトは首を傾げた。彼の表情は悲しげなものではなくなり、なんだか兄貴分のようになっている。
「お前、ここを探索するのは《月夜の黒猫団》の事を思い出して辛くなるだろ。だからよ、ここはオレと皆に任せて、お前はリランと一緒に街に戻っててもいいんだぜ」
キリトは思わず驚いてしまった。クラインが本当の兄貴分のような事を言い出すとは思わなかった。
確かにSAOをクリアし、これまでも強敵と戦い続けてきた頼もしい仲間の一人だが、はっきり言って下心丸出しである野武士。そのクラインがここまでの兄貴風を吹かせるとは。そのおかげなのか、冷えて痛んでいた胸の内が暖かくなった気がした。
だが、その提案は呑めるものではない――キリトは即座に首を横に振った。
「いやいや、そこまで重症じゃないよ。それにお前、さっきまでこの吹雪に震え上がってただろうが」
「んだよ。オレは頼りねえってか!? 言っとくけどな、オレが震え上がってんのはこの吹雪が異常なだけであって、こ事の相性が悪いわけじゃ――」
「震えてたのは事実だろ。だから、俺が一緒に探索してやるよ」
クラインはもう一度「んだよー!」と言って軽く怒った。その様子に微笑み、キリトは言う。
「けどありがとうな。そう言ってくれて、嬉しかったぜ。お前のおかげで気持ちが楽になった気がする」
「……!」
クラインはきょとんとして、キリトを見つめた。やがて言葉が呑み込めたのか、両手を腰に当てた。
「……おうよ。お前はもうソロプレイヤーなんかじゃねえし、守るべき人も持ってやがるんだ。だからよ、オレ達の事ももっとちゃんと頼って、一人でしょい込もうとするんじゃねえぞ!」
「あぁ、わかってる」
クラインは「へへっ」と笑った。結構な回数見てきているが、今のそれはとても暖かく感じられた。
俺は《月夜の黒猫団》を、サチを守れなかった。だから今度こそ本当に守るべき人であるシノンと、そしてリランやクラインと言った仲間達を守り、戦うのだ。俺のやるべき事はそれであり、そのために強くなるのだ――キリトは改めてそう思いつつ、今の目的を思い出そうとした――が、それを止めたのはクラインだった。
「あれ、そういえばキリト。掘り返すようで悪いんだけどよ、聞いていいか」
「なんだ」
「お前が守ろうとしてたサチって人の妹の……マキって言ったか。マキはその後どうなったんだ」
そう言われてキリトははっとする。《月夜の黒猫団》の話をするうちに、かつて思い出せないでいたサチの妹の名前が『マキ』で、それがどのような人物であったかを思い出す事が出来た。だが、同時に思い出せたのは、マキが《月夜の黒猫団》壊滅後行方不明であるという事だ。
サチが死に、ケイタが死に、皆が死んだのは知っているが、その時にマキが含まれていなかった。サチと皆が死ぬ前、マキは「ホームパーティーの料理のための食材を採ってくる」と言って、一人だけ別行動していた。それを聞いて別れて以降――キリトはマキの行方を知らない。
ケイタが襲い掛かってきた時も、マキは居なかった。
「……わからない。《月夜の黒猫団》が壊滅する寸前で別れてから、そのまま……」
マキは結局死んだのか、それとも生き残っていたのか。その答えを知る事もないまま、SAOはクリアされ、自分達はアインクラッドを脱したのだ。かつてのアインクラッドが消滅した今となっては、知る
あんなに大好きだった姉を喪った後のマキは、どうなったのだろう――今更ながら、キリトは気になっていた。
《今となってはもう、どうしようもない事だ。ひとまず今やるべき事をやらねばなるまいて》
その相棒の《声》でキリトは我に返る。気にはなるが、マキの事を考えていても、《月夜の黒猫団》の事を考えても仕方がない事だ。今は今やるべき事をやるだけ。全く持ってその通りだった。
キリトはリランとクラインに向き直った。
「そうだな。ひとまず今は、仮面のNPCっていうのと、ティアの痕跡がないかを探そう」
二人の頷きを確認した後、キリトは氷雪地帯の奥地へ歩み始めた。それから間もなくして、周囲を再び
――原作との相違点――
・サチの妹とのエピソード全部。