とあるキャラ、登場。
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アインクラッド誕生の翌日、かつてアインクラッドを最後まで登り、茅場晶彦/ヒースクリフ、須郷伸之/アルベリヒの二人の魔王を撃破した戦士達であるキリト達は、《はじまりの街》の大宿屋のラウンジに集結した。普段は午前中からプレイヤーでごった返すその場所は今、がらんどうになっていて、実質キリト達の貸し切り状態になっていた。プレイヤー達は全員、外を見に行っている。空へ浮かんでいる鋼鉄の城、アインクラッドを見るために、写真を撮るために、夢中になってしまっていたのだ。
誰もが注目を寄せるアインクラッド、かつてソードアート・オンラインという悪夢のゲームの舞台となっていた浮遊城。キリト達が大宿屋ラウンジに全員集合した後、そのアインクラッドに起きている異変が、これからこのアイングラウンドに訪れようとしている厄災の話がユイ、ストレア、リラン、ユピテルの四人によって行われた。
キリト達プレイヤー達がログアウトしていった後、四人はコンソールルームへ向かい、アインクラッドに起きている事、その影響などの情報を収集した。その際に収集された情報は四人は勿論、報告されたキリト達を驚かせるに十分すぎる事だった。双子の巫女の力で出来上がるのが本来であるが、一人の巫女の力でしか作られず、最上層の紅玉宮を含めたあちこちが欠損している不完全な浮遊城は今、アイングラウンドに落ちようとしていたのだ。
ログインして家の窓からアインクラッドを見た時、キリトはアインクラッドの高度が下がっているような気がしていたが、それは気のせいではなかった。
四人はアインクラッド降下及びアイングラウンドへの衝突は、アインクラッドを誕生させた張本人であるティア、その力を取り込んだジェネシスによるものだと話した。自分が絶対なる神として君臨する世界、誰にも迫害される事のない世界を作り上げ、迫害する者、攻撃する者、蔑む者を一人残らず淘汰するために、アイングラウンドにアインクラッドを衝突させようとしている。
そうなればジェネシスの目論見通り、プレイヤーもNPCも世界から死に絶え、この世界そのものが存続できなくなる――四人はそう結論を出した。この世界ではNPC達は復活できないようになっているうえに、この世界が滅びるような事があれば、仮想世界産業にどれだけの悪影響が及ぼされるかわかったものではない。もしかしたら仮想世界産業そのものが封印される危険性さえある。
昨日のうちから、ジェネシスとティアを止めに行かなければならないとは決めていた。あの二人はプレイヤー達によって苦しんでいる。身勝手な人間達が身勝手に穢してしまったが故に、あぁなってしまった。あの二人をその苦しみから救ってやりたい――その意志をプレミアが表明し、キリト達もその意志に賛同した。
アインクラッドが地上に落ちてくるかどうか以前に、ジェネシスとティアを止めなければならない。この二人を止められれば、アインクラッドの地上落下も防げるというのが加わっただけだった。やると決めた事は昨日と何も変わってない。
そしてユイ達の集めた情報によると、祈りの神殿に特殊な《転移石》が出現し、そこがアインクラッド中枢部に続いているという。オルトラム城砦の最奥部にある祈りの神殿は、すでにワープポイントの《転移石》を使ってすぐに行けるようになっている。実質アインクラッドへの直通路は開けていた。
それらを確認するや否や、皆は一斉に《はじまりの街》へ散らばった。消耗品アイテムの購入、武器のメンテナンスを行うなど、目的は多々あるが、最終目的はアインクラッド中枢部へ向かい、ジェネシスとティアを止める事。それだけは忘れる事なく、キリトも皆に混ざって準備を進めた。
準備を終えたキリトがラウンジに戻ってくると、既に何人かが準備を終えて戻ってきていた。それからすぐに続々と仲間達は集まってきて、やがて全員が再度ラウンジに集結した。
「よし、全員戻って来たな。これからアインクラッドへ向かうが、準備はいいな」
キリトの呼びかけに全員が「OK!」「勿論!」「いつでもいいよ!」と声を返してきた。その様子はまさにアインクラッドで戦っていた頃の、次の層と現在の層を繋ぐ部屋を守るボスを討伐する時のそれだ。かつてアインクラッドを生き抜き、戦った者達は今、新たに生まれたアインクラッドへ行こうとしている。
そこで何が待ち受けているかは何もわかっていないが、どんな敵が出てきたところで臆するに値しない。アインクラッドを乗り越えた皆が一緒ならば、どんな敵が出てこようが乗り越えられる。ずっと思っていた事を、キリトは今一度強く思い直していた。
「こんな事になるなんて思ってもみなかったけれど、さぁ――」
キリトが呼びかけようとしたその時だった。飛び込んできた声があった。
「――待って!」
声には入口の戸が開けられた音が混ざっていた。誰かが大声を出しつつ入ってきたらしい。キリトは少し驚きながら入口の方を見て――もう一度驚く事になった。皆も同じように来客に驚いていた。
「アインクラッドに行くっていうなら、あたしも連れて行ってくれないかな!」
やってきたのは少女だった。白いコート状の軽装に身を包み、デフォルメされた猫の顔の刺繍が入っていて、下部から長い一対の垂が伸びている大きな猫耳付きの帽子を被っている。垂をマフラーのように巻いて口元を隠していて、やや緑がかった青の、比較的大きい瞳がわかる、青みがかったセミロングの髪の毛の少女。背中には二本の剣を仕舞う鞘が背負われている。
「ヴ、ヴェルサ!?」
キリトの声は何人もの仲間達とハモっていた。白き猫の被り物と白装束の二刀流剣士の少女――《SA:O》でアイドルのように慕われている人気者であり、《白の竜剣士》という二つ名で呼ばれる事もある実力者。名をヴェルサというそれこそが、キリト達の許へやってきた少女だったのだ。《SA:O》のアイドルの来客など予想していなかったキリトは、驚くしかなかった。
「マジカ!? あのヴェルサがここに来たっていうのカ!?」
驚きを隠せないでいるのは情報屋アルゴもそうだった。情報を掴んでいるが故にヴェルサがこちらにやってこないとわかっていたからこそ、ヴェルサがここにやってくる事は予想出来ていなかったのだろう。勿論アルゴだけではなく、ここにいる全員が《SA:O》のアイドルを迎える事になるなど、予想出来てはいなかった。
「ヴェルサ……噂の《SA:O》のアイドルですか!?」
シリカも隣のリズベットもひどく驚いている。《SA:O》のアイドルというだけあってか、ヴェルサの名前を知らない者はこの中にはいなかった。まさかの人物の登場に驚きっぱなしの皆を差し置き、ヴェルサはあるところに向き直る。キリトのいるところだ。帽子とマフラーの間から覗くその目が、キリトの目と交差する。
「……キリト」
「……ヴェルサ。まさか君がここに来るなんてな」
「キリト、行くんだよね。アインクラッドに」
キリトの言葉をほとんど聞かず、ヴェルサは問いかけてくる。アインクラッドの存在自体はよく知られているものだから、ヴェルサが知っていても驚くに値しない。だが、そこにこれから向かおうとしているという自分達の意向を知られている事には、正直警戒心を抱かずにはいられなかった。
「そうだけど、よくわかったな。俺達がアインクラッドに行こうとしてるって」
「あたし、キリト達の事知ってるんだ。キリト達がアインクラッドをクリアした人達だって事……SAO生還者って言われる人達だって」
キリト達がSAO生還者、アインクラッドを乗り越えた英雄達であるというのは、SAO事件全集を読めばわかる。ヴェルサもこれを読んで自分達の実態を知ったのだろう。ヴェルサは主張を続けた。
「だから、あぁしてアインクラッドが出た今、キリト達はアインクラッドに行くんじゃないかって思ったんだ」
「それでヴェルサさん、わたし達に何の用事なの。何を目的にして、来たの」
アスナが少々警戒した様子で尋ねる。先程ヴェルサは「自分も連れていってほしい」と頼んでいた。それを聞いていないわけがないから、確認のためにもう一度尋ねたのだ。ヴェルサはアスナをちらと見た後に、キリトに向き直った。
「あたしも連れていってほしい。アインクラッドに、一緒にいかせてほしい」
ヴェルサの目的は先程の通りだった。しかしどうしてアインクラッドに行きたいと思っているのか。自分達はユイ達から話を聞く事でアインクラッドの事情を知る事ができた。ヴェルサはそうはいかないはずだ。疑問を抱いたキリトに、ヴェルサは更に続ける。
「アインクラッドを見てたらわかったんだ。あれ、どんどん地上に下がってきてる。あのまま下がってくと、そのうちアイングラウンドにぶつかるんじゃない。アイングラウンドが落ちてきたアインクラッドに壊されると思うんだ。そうなったら、このゲームは続けられなくなるでしょ。NPCの皆も死んじゃうし……」
アインクラッドの降下はよく観察するとわかる。だから自分達以外のプレイヤーであるヴェルサでも、アインクラッドの結末を掴めたのだろう。
「あたし、そんなの嫌だよ。このゲームはベータテストの段階で、まだ正式に始まってない。なのにこんなにいいゲーム、こんなに素晴らしい世界だっていうのがもうわかる。あたしはこのゲームに始まってほしいし、もっとこの世界を楽しみたい。皆と一緒にこの世界を楽しみたいんだ。なのに、その前にこの世界が壊されるなんて、嫌だよ」
キリトはヴェルサの主張に聞き入っていた。彼女の言うとおり、この世界、《SA:O》はまだベータテストの段階にあり、正式サービスが開始される前だ。制限がされているせいで見る事も触れる事もできない未知の要素、世界の姿、美しさが眠っている。
このままアイングラウンドにアインクラッドが落下すれば、この世界の真実の姿を見る前に、この世界は終わる。見たいと思っても見れないまま、消し去られてしまうのだ。仲間とその楽しさや美しさに触れた感動を共有したりできないまま、終わってしまう。ヴェルサの思っている事は、《SA:O》のベータテストに参加したすべてのプレイヤーが思っている事だ。
「だからあたし、アインクラッドを止められるんなら、止めたいんだ。キリト達がアインクラッドを止めるんなら、あたしもその力になりたい。キリト達に加わって、アインクラッドを止めたい」
沢山のプレイヤー達に取り囲まれ、熱狂の声を浴び、その応酬としてプレイヤー達に手と力を貸す、可憐な白猫の少女。《白の竜剣士》と呼ばれているが、その竜がどのようなものなのか判明しないという謎もある。しかしそれが気にならないほどの実力を持ち、困っているプレイヤー達に手を差し伸べ、共に世界を楽しんでいる。それがキリトの中のヴェルサのイメージだったが、それは今若干の覆りを見せていた。
ヴェルサの目の中にあるのは、強い意志の光だ。この世界に迫り来ている厄災を退け、世界を護り、世界の楽しさを謳歌する日々を送りたいという願いが、彼女の中に存在している。ヴェルサもこんな目が出来たのかと、キリトは感心を覚えていた。
そしてそれは好都合だった。ヴェルサの実力は折り紙つきで、加入したパーティがエリアボスを倒してしまえるくらいだ。竜がどのようなものなのかは未だにわかっていないが、それがあろうがなかろうが、彼女がアインクラッド攻略に加入してくれるのであれば、一気に戦力を増強させられる。ヴェルサの参加は願ってもない救援だった。
「待ってよ」
だが、キリトよりも先に返事をした者がいた。ユウキだった。ユウキはヴェルサとキリトの間に割って入り、ヴェルサを睨み付けた。
「ユウキ?」
「ボクはこの前の事忘れてないよ。ヴェルサ、君は結局なんなの。何か企んでたりするんじゃないの。あの時ボクを叩きのめそうとしたみたいにさ」
ヴェルサははっとしたような目元を見せる。ユウキは以前ヴェルサとデュエルをした。だが、その際にヴェルサは異常な興奮を見せて笑い、ユウキを叩き潰さんとしてきたと、彼女は告げていた。その時のユウキがとても怖がっていたのは今でもしっかり覚えているし、あれが嘘だったとも思えない。ユウキは本当にヴェルサに叩き潰されるところだったのだ。
ユウキからその話を聞いている皆は、一気に警戒を強くしてヴェルサを見つめていた。キリトもあまりはっきり出さないように警戒の意思をヴェルサへ向ける。ユウキを襲うような危険さがヴェルサにあるならば、到底背中など任せられない。アインクラッドに向かったところで襲われるというのであれば、冗談ではない。
「ヴェルサ、手を貸してくれるって言うのは嬉しいんだけど、ユウキにやった事についての説明をしてもらえるか。俺も彼女から聞いて、気になってたんだ」
その説明が出来ないならば、アインクラッドに連れていってやれない――そう続けようとしたその時だ。
「ごめんっ!! あの時は本当に、ごめんっ!!」
ヴェルサは大声を出し、深々と頭を下げた。急すぎる行動にユウキを含めた全員できょとんとする。ヴェルサは謝罪の姿勢のまま言葉を発してきた。
「あたし、ずっとユウキに謝らなきゃって思ってたんだ。なのに今日までずっとそれができなくて……本当に、ごめん!」
「……ふぇ?」
ぽかーんとしてしまっているユウキを見るように顔を上げて、ヴェルサは続けた。
「あたしって、強い人とかボスモンスターとかと戦ってると、すごくテンション上がってきちゃって……途中で皆をドン引きさせちゃうくらいハイになっちゃうんだ。剣を振るのが、戦うのがこれ以上ないくらい楽しくなっちゃって、気持ち悪いくらいに笑っちゃったり、本当に相手を叩きのめそうとしたりしちゃうんだ。自分でも気を付けてるんだけど、どうにもならなくて……」
他の皆も完全に言葉を失い、ヴェルサを見る一方になっている。だが、そこでユウキは返答する事ができた。
「じゃ、じゃああの時、キリトの仲間とか言ってたのって……」
「キリトはすごく強くて、その仲間の皆もものすごく強いじゃん。だから、そんな人達と手合わせできるってわかったら、わくわくしてテンション上がってきちゃって……あんなふうに戦っちゃったんだ。ユウキを本当に傷付けたかったり、叩きのめしたかったりしたわけじゃないの」
キリトは胸に大きな釘のようなものが刺さったような錯覚を抱いた。巨大な図星を突かれた気分だ。
キリトも他人とデュエルをしたり、強大なボスモンスターなどに挑んだり、いつの間にか大きな高揚感に支配されるようにして戦う時がある。ボスモンスターや強大な好敵手の動き、攻撃を見切り、いかに反撃を仕掛けるかを瞬時に思考し、実際に身体を動かして敵に攻撃を仕掛ける。
そんな事を繰り返していくうちに、自分でも制御できないくらいのテンションに到達し、戦闘だけに没頭し、最早敵を叩きのめす事だけを考えるようになる事がある。仲間に明確に危害を加えようとしてくる者が居たりした時はそうでもないのだが、その時の自分の形相はすさまじいそうだ。だから仲間達は誰もキリトとデュエルしたがらない。「キリトとデュエルすると、本当に叩きのめされそうな気がするから」と言って。
ヴェルサの言っている悪癖は、キリトに宿る悪癖でもあった。
「なぁんだ。それってユウキとキリトと御相子じゃない」
そう言ってユウキを驚かせたのは、ユウキが動くまでその隣にいたカイムだった。何かに納得したような様子を見せて、ユウキとヴェルサに目を向けていた。
「ユウキとキリトもそうなんだよ。強い人とデュエルすると、いや、誰が相手でもものすごく凶暴になって、叩きのめそうとしてくるんだよ。ぼく、何回もやられたからわかる」
キリトは「うぐ……」と小声を出した。否定したいところだけれども、カイムとデュエルをした時にも、カイムの言う凶暴になるをやってしまった事が多々あったから、否定できない。それは意外にもユウキもだったようで、カイムの顔をつねりにいかず、図星を突かれたような顔をしていた。彼女も自分のテンションが相手を叩き潰すくらいになる事への自覚があるらしい。
「だからヴェルサさん、そんなに気にしなくていいよ。寧ろ、それくらいになるユウキとキリトとヴェルサさんがいるんだから、ぼく達は心強いよ」
キリトは気を持ち直した。そうだ、ヴェルサに戦闘中ハイになる悪癖があっても、ボスが相手ならば心強い。戦闘中にハイになって戦闘力をあげられる味方ほど、頼れるものはないのだ。カイムの主張は恋人であるユウキ、親友であるキリトの悪癖を寧ろ良いものだと言ってくれているものだった。
その後、ユウキは申し訳なさそうな顔をしてヴェルサに向き直る。
「ヴェルサ、そういう理由があったんだ。実はボク、あの時あまり具合よくなくて……ヴェルサが変なふうに見えちゃってたのかも」
「え、具合悪かったのにあたしとデュエルしてくれたの、ユウキ」
少し驚くヴェルサの問いかけにユウキは頷きを返す。
「うん。それにカイムの言った事も本当の事だよ。ボクもヴェルサみたいにデュエルしてるとハイテンションになっちゃって、怖がられるような迫力出しちゃうんだよねえ~。そのせいで何人から「もうデュエルしない」って言われたっけなぁ~……あはは」
ユウキは少し恥ずかしそうに苦笑いしている。ヴェルサに喰って掛かるような事が自分はできないという事を自覚したのだろう。実際キリトがユウキとデュエルをした時も、ユウキは途中ですさまじい剣幕と迫力を出して迫ってくるようになった。それにキリトが応じて同じような剣幕を出してしまったせいで、そのデュエルは「ものすごく強くて早い人型モンスターの殺し合いに見えた」と、見物客であった仲間達に言われた。
そんな人型モンスターに見えると言われる事のある二人の許へやってきたのは、意外にもパーティに加わり、「アインクラッドに向かう」と言い出したイリスだった。
「ヴェルサに協力してもらうのはいいんじゃないかな、キリト君。ユウキとためをはれるっていう彼女が味方なら、アインクラッドで待ち受ける者とも上手い具合に戦えるはずだ」
「俺もそうは思うんですけれど、大丈夫でしょうか」
「大丈夫さ。それに、アインクラッドにいる者を止めなきゃ、この世界は終わりだ。ある物、使えるものはすべて使う気じゃないと、アインクラッドを止める事なんかできないだろうね」
イリスの言う事は否定できない。アインクラッドで待ち構えているのはティアとアヌビスを取り込み、システムさえも味方に付けたジェネシスだ。それがどれだけの強さを持っているか、どれだけの戦力を持ち込めば倒せるかは未知数である。自分達が持ち得るものを、使えるものをすべて使う気でいなければ、今のジェネシスに勝利する事は出来ないだろう。
ヴェルサの悪癖がどうであれ、ヴェルサという《白の竜剣士》が自分達のパーティに加わり、ジェネシスを共に討たんとしてくれるのであれば、これ以上頼もしい事はない。キリトはヴェルサに歩み寄った。
「ヴェルサ、君は力を貸してくれるつもりでいるんだな」
「勿論だよ。あたしはこの世界を滅ぼされたくない。アイングラウンドに残っててもらいたいんだ。この世界にはまだまだ沢山、楽しい事があるんだから。この世界を守れるっていうなら、あたしは戦いたい。どんな敵やボスが居たところで、絶対に倒してやるんだから!」
相変わらず目元しか見る事が出来ないが、彼女のやや緑がかっている青色の瞳には決意の光が蓄えられていた。アインクラッドに何が居るかは予想出来ていないだろう。しかしそれでも、ヴェルサは背中の二本の剣で乗り越え、アインクラッド衝突を阻止しようと思っている。自分達と同じ願いを胸に抱いて、立ち向かわんとしているのだ。アイングラウンドのアイドルの意志は固い。
これならば大丈夫だ――そう思うキリトはヴェルサに返事をした。
「わかった。力を貸してくれるか、《白の竜剣士》」
「任せてよ、《黒の竜剣士》御一行! ただ、《使い魔》は不在なのでよろしく!」
《白の竜剣士ヴェルサ》は自信満々そうに胸を叩いた。きっと豊かな感情が帽子とマフラーのうちに隠れているに違いない。この戦いが終わったならば、その時はその顔を見せてもらい、尚且つ詳しい話なども聞いてみようか。いつの間にかキリトはヴェルサに興味を持っている事に気が付いたが、すぐに頭の片隅に置いた。今はヴェルサの事を考えるより、アインクラッド中枢部にいるとされるジェネシスの事を考えねば。
そしてヴェルサが加わったのを以って、アインクラッド中枢部への突入準備は完了した。後は実際にアインクラッド中枢部に突入するだけだ。
「とうとう、行くんだねアタシ達。アインクラッドに」
「また戻りに行くんだね……あの場所に。デスゲームの舞台に」
ストレアとフィリアが感慨深そうな声を出す。続けてディアベルとクライン、エギルが窓から空を見上げる。
「今でもデスゲームって事に変わりはないぜ。このまま放っておけばこの世界は崩壊するし、この世界の住人も皆滅んでしまうんだ」
「アインクラッドを攻略するっていう事に変わりはねえや。まぁ、前とは理由が変わっちまってるけど」
「そうだな。前は脱出するためにアインクラッド攻略を進めてたっていうのに、今はこの世界を守るためにアインクラッド攻略を進めるっていうんだからよ。おかしな話だぜ」
続けてリーファと、レインが皆に伝える。
「けれど、あたし達はあのアインクラッドをクリアしました。だからまた、いける気がします。皆で力を合わせれば、きっとまた乗り越えられます」
「そうだよ。わたし達はカーディナルにも、アインクラッドにも負けない。ずっとここまで戦ってきたんだから!」
更にユウキとカイム、アルゴとシュピーゲルが皆に言う。
「攻略情報は何もないんだよね。けどなんだろう、負ける気がしないよ!」
「そうだね。ぼく達ならぶっつけ本番だろうが、勝てる気しかしないね!」
「新生したアインクラッドには、見た事もないお宝情報が眠ってるかもナ。これは情報屋の仕入れ時ダ。頑張らせてもらうヨ」
「僕はアインクラッドにいたわけじゃないけど、それでも皆に協力する。皆で一緒になって、あの鋼鉄の城を攻略しよう! そして、勝とう!」
更にシリカがピナと共に気合を入れるような仕草をし、リズベットが肩をぐるぐると回し、やはり気合を入れる。
「世界の命運がかかってるんですから、思いっきり戦わなきゃですね!」
「日頃の鬱憤とかそういうのも、全部爆発させなきゃね。暴れるわよ~!」
そしてユピテル、アスナ、ユイがキリトに身体を向けた。三人とも感慨深そうだ。
「なんだか不思議な気分です。あの城にまた行く事になるなんて。ぼく達の故郷がまた現れてしまうなんて」
「ユピテルとリランの故郷に世界を滅ぼさせたりなんかしないわ。元攻略組のわたし達で、助けてあげましょう!」
「わたしは戦う事は出来ませんが、ここからパパ達の勝利を祈っています」
最後と言わんばかりに、イリス、リランがキリトに向き直る。皆そうだが、決意の固まった顔がそこにあった。
「最後の最後まで私の関わった事で迷惑をかけてすまない。だからこそ、力を貸させておくれ、キリト君。今回は私も存分に戦わせてもらおう」
「ティアは、我の妹の一人は苦しんでいる。ジェネシスがどうなっていようが、これまでどおり倒すだけだ」
更にリランはキリトへ歩み寄った。すぐ目の前まで行ったところで、主人を見上げる。
「我はお前の剣であり、お前の翼であり、お前の力だ。存分に振るえ、
「あぁ、勿論さ。存分に使わせてもらうぜ、《
リランの強気な笑みを見た後に、キリトはあるところへ向き直る。そこにいたのはシノンとプレミアだ。彼女らもまた、決意に満ちた表情でキリトの事を見ていた。
「行きましょう、キリト。アインクラッドに!」
「皆と力を合わせて、ティアを救いに行きましょう!」
キリトは頷き、皆をぐるりと見回す。全員の注目を集めたところで、キリトは腹の底から声を出した。
「行くぞ! アインクラッド、攻略開始だ!!」
キリトの声のすぐ後、仲間達の声が宿屋のラウンジいっぱいに響き渡った。アインクラッドを攻略した戦士達は今再び、アインクラッドへと向かい出した。
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オルトラム城砦最奥部、《祈りの神殿》の祈りの祭壇に転移石があった。ユイ達によると厄災の後に出現したものであり、転移先は新生したアインクラッドの中枢部だという。実際その転移石をストレア、リラン、ユピテルの三人に調べさせると、アインクラッド中枢部が行き先になっているのがわかった。尚且つその中枢部にティアは、ジェネシスは居る。転移石を起動させれば、即座にジェネシスのところへ行く事になる。彼女達はそう言って、キリト達に確認してきた。戦いの準備はいいかと。
大宿屋を出発した時点で、先頭の準備は完了していた。だからもう何も思う事はない。ジェネシスと戦いに行くだけだ――キリトが告げた事に皆が頷くと、同じく準備を終えている三人は転移石を起動した。巨大な魔方陣が展開され、キリト達は間もなく転移の青い光に包み込まれ、オルトラム城砦を脱した。
青い光が止んだところで広がっていた光景に、キリト達は思わず言葉を失った。いきなり広大な空間が広がっていた。
夜空のようなダークブルーに染まっていて、最果てが見えない。床は大理石のようだが、血管のように青白い光が明滅を繰り返している。床をよく見ていくと、壁のようになっている高い段差があり、それはキリト達を円形状に囲んでいた。ここは円形闘技場ともいうべき場所のようだ。
観客席に当たるところには――どういう事なのか、青い文様の走るアインクラッドのミニチュアがいくつか浮かんでいる。そればかりか上空のダークブルーの中には六角形の立方体がいくつも浮かんでいるのが見える。地上から切り離されたどこかの神殿の一部なのか、それとも自然物か。空間を支配するダークブルーのせいなのか、思考すればどこまでも引きずり込まれていきそうだった。
その広大な円形闘技場の中心に、キリトは人影を認めた。仲間達もその存在に気が付き、一斉にそれぞれの武器を抜き払う。暗黒空間の中に居ようとも、その形は非常にはっきりしていた。その人影は、純白の光を放っていた。
「ジェネシス!」
「ティア!」
キリトとプレミアとで呼びかけると、それはその姿をはっきりさせた。十九歳前後の男性で、血のような赤だった髪は純白へ変わり、目も同じ純白へ変色している。着ている衣装に変化はなく、ノースリーブの黒い戦闘服。その背中には何も携えられていなかった。
かつてキリトと同じ《黒の竜剣士》と呼ばれ、今は世界を破壊する厄災そのものとなり、やがてはこの世界そのものとならんとしている男。名をジェネシスというそれは、キリトの声に答えた。
「来やがったか、
神になろうとも、ジェネシスの様子はいつも通りだった。喧嘩口調で相手をとにかく煽る。その姿勢は何も変わっていないが、その身体からは常にエネルギーの
「淘汰されるのはあんたの方よ。誰もあんたの好きになんかさせないわ」
槍を構えたシノンが煽り返すが、ジェネシスは大笑いを返してきた。
「お前らが俺を淘汰だと? はは、冗談も程々にしろっての! 誰も俺に勝てやしねえ!」
「この数相手でも同じ事が言えるのか。こっちは二十人以上、そっちは一人。随分差があるけどね」
カイムが挑発するが、ジェネシスは腕組をするだけだ。実際こちらは二十一人のパーティで、ジェネシスは一人だけだ。更にこちらにはただならぬ強さを持った《使い魔》が二匹もいる。どんな力を持ったとしてもジェネシスは不利のはずだが、彼をそう思わせない何かがあるようだ。キリトのその予感は、すぐに的中する事になった。
「笑わせんじゃねえ。てめぇら淘汰される側がどんなに徒党を組もうが、本当の淘汰者に勝つ事は出来ねえ。見せてやるよ、本当の淘汰者がどういうものなのかっていうのをな!」
ジェネシスは腕をクロスさせて力を溜め込む様な姿勢を作った。直後、空気と床が揺れ始め、ジェネシスの身体が空中へ浮かび上がる。猛烈なエネルギーの波が起こり、ジェネシスを中心にして流れを作っていた。普通のプレイヤーでも、ボスモンスターでも起こせない事情が起こっているが、誰もが怯えを見せていない。こんな状況はずっと見てきたのだから。
「うおああああああああああああッ!!!」
やがてジェネシスが咆吼する同時に、その身体より強烈な閃光が発せられた。《使い魔》が進化する時のような光、直視すれば目を焼かれる閃光。キリト達は腕を盾にして防いだ。そして光が収まったところで、すぐさま視線を向けなおす。
「!!」
キリト達は絶句した。ジェネシスがいたところに、常軌を逸したモノが居た。
墨のような黒い肌で、引き締まった筋肉で出来た人間の肉体を持ち、下半身はジェネシスの戦闘服を纏っている。手足は騎士の鎧のようなもので覆われ、青白い文様が身体のあちこちに走っており、頭部は鋭利な狼の輪郭となっている。耳と一体化した青い角を一対生やし、首周りには古代エジプトの神のそれを思わせる装飾が付けられていて、それは白色と青色で構成されていた。
周囲には全てを貫かんとする巨大な槍が四本、追従するように浮かんでいて、青白い輝きを放っていた。そしてジェネシスとティアが使っていた大剣を両手に持って、こちらを見下ろしている獣人の神。それがジェネシスの居たところに佇んでいた。
一体何が起きたのか――その答えは彼の者の出現と合わせて《使い魔》の姿となったユピテルとリランが出した。
《ジェネシスとティアに接続されているモジュールが、力を与えているようです。その力が彼にあんな姿を……!》
《モジュール自身も自分を守るために必死のようだ。一プレイヤーにこんな事をさせおって!》
今のジェネシスがモジュールが具現化した姿なのであれば、この姿となったジェネシスを倒せば、モジュールは彼らより切り離されるだろう。
カーディナルシステムさえも取り込んで神となり、世界そのものとなろうとしているジェネシスの頭上に、三本の《HPバー》が出ていた。
ジェネシスはプレイヤーからボスへと姿を変えた。まさにSAOのラスボスを飾った創造者、茅場晶彦/ヒースクリフの再現だった。創世を行おうとしている狼の輪郭を持つ獣神。指物その名前は、《創世の
当然、そんなものへの攻略情報などない。だが、それでも自分達は立ち向かい、勝ってきた。今回もそうするだけだ。攻略情報のない強大な敵へ挑み、戦い、倒すだけだ。やる事はいつもと何も変わらない。キリト達が武器を構えると、《声》がした。
《邪魔をするな。貴方達は勝てない。このアインクラッドは地上へ落下し、世界は滅び去るんだ》
《声》はジェネシスから聞こえていた。ティアの声色だった。真っ先に答えたのはプレミアだ。
「その《声》、ティアなのですか!?」
《そうだとも。これからわたし達は貴方達を、この世界の全てを消す。世界の全てを、ようやく消す事が出来るんだ》
プレミアは首を横に振り、《創世の狼神》に答える。
「そんな事はさせません。アインクラッドを落とさせるわけにはいきません!」
《何故、貴方達はわたし達の邪魔をするというの。この世界に、人間達に、何の意味があるっていうの》
どこまでも世界の在り方を否定するティアの《声》。それはティアの心の叫びだった。それに応じ続けたのもプレミアだった。
「意味はあります。確かに間違った事を行う人もいます。けれど、全てがそうというわけではありません。世界の広がりや人々との繋がりが、そこで生み出せるものが、未来の自分というものを作り上げていくのです。全てを破壊して無くしてしまったら……自分さえも失ってしまいます。だからティア、世界の破壊なんて事はやめてください!」
それもまたプレミアの心の叫びだった。プレミアとティアは双子同士であり、同じイリスという母親から生まれた娘達として、ティアに教えたい事が山ほどある。もしティアが世界を滅ぼせば、その時全てのつながりは断ち切られ、ティアの苦しみは永遠に取り除けないままになる。プレミアにそんな事を許そうという意志などなかった。
しかし《創世の狼神》となったティアは激昂を見せた。《創世の狼神》の左手に握られる白き大剣がぶんと振るわれ、大気が振動する。
《わたしはこの世界を見て、人間達を見て、マスターとアヌビス以外の人間は不要だと判断した。こんなに穢れた人間達に穢された世界なんていらない! 人間達もいらない! わたしの大切なものを奪おうとする世界なんて、穢された世界なんて無くなってしまえばいい! 穢れた人間達なんて嫌いだ、嫌いだ嫌いだ嫌いだぁぁぁッ!!》
ティアの叫びと、《創世の狼神》の咆吼が重なった。
《醜さしかないこの世界の全てを消し去って、全部を創り直してやるんだぁぁぁぁぁッ!!!》
《創り直してやる! 何もかも創り直してやるよ!! 俺こそが世界だぁぁぁぁッ!!!》
ついにジェネシスとティアの《声》が融合し、《創世の狼神》は身構えた。
アインクラッド中枢部におけるボス戦が、開始された。
オリキャラ、ヴェルサが加わってのラスボス化ジェネシス戦。
ラスボスと化したジェネシスがどんなものなのか、決着はどうなるか。
アイングラウンド編第五章、クライマックス。
――原作との相違点――
・ラスボスがジェネシス。原作ではティア一人だけ。