◇◇◇
「おらおらおらおらおらァ!!」
対峙する《黒の竜剣士》が吼えると、その声を受け取った黒き狼龍が電撃弾を次々と吐き出し、俺の許へ降らせてくる。俺を乗せる白き狼龍であり、相棒であるリランは俺の指示を受けるまでもなく横方向に飛び上がったり、逆に下方向に急降下して回避する。俺達を通り過ぎていった電撃弾は城壁に激突して炸裂。爆発音を俺達に届けてきていた。
かつてSAOにて《黒の竜剣士》という二つ名で呼ばれる事もあった俺の相手をしているのは、同じ《黒の竜剣士》の名をこの世界で手に入れる事に成功した大剣使いの《ビーストテイマー》だ。神話や聖書などで創世の意味を持つ単語である《ジェネシス》が、その《黒の竜剣士》のアバターネームだった。
そのジェネシスを背中に乗せているのは、漆黒の毛並みと、金色のラインの走る豪勢な鎧のような甲殻、耳と一体化した天に向かって伸びる一対の角、鋭利な狼の輪郭、背中と腰から生える一対の漆黒の翼が特徴的な狼龍で、彼の者の名はアヌビスといった。正式名称を《
対する俺を乗せているのは、アヌビスとは対称的な白金色の毛並みと鎧甲殻に身を包み、額から剣を生やしていて、更に頭部の周囲は美しい金色の鬣が生え、肩と背中から一対の純白の翼を生やしているのが特徴的な狼龍。正式名称《守剣龍ウプウアウト》という名の種族となっているリランだった。
《黒の竜剣士》同士の俺とジェネシスだが、その相棒の色合いは見事に対称的だ。しかも両者共にエジプト神話に登場する狼神の名を冠していると来ている。これは何かの偶然なのだろうか、それとも違うのではないかという気さえしてくる有様だ。だが、そんな事に思考を巡らせる余裕など、俺に残されているわけはなかった。
《《黒の竜剣士》ジェネシス、そして冥黒龍アヌビス。どちらも侮れる相手だ》
「だろうな。向こうもこれまでないくらいにやる気だ。油断すれば俺でもリランでも危ないぞ」
頭に聞こえた《声》に答えると、ジェネシスに駆られるアヌビスは急上昇し、力を溜め込むような動作を取った。直後にアヌビスの周囲に赤黒い電気が走り、やがて大砲の砲弾くらいの大きさの球体を形作る。その数は時間経過と共に増え、既に五個くらいになっていた。
「喰らいやがれ、英雄ッ!!」
俺を煽るのを欠かさず、ジェネシスは叫んだ。それが命令になっていたようで、アヌビスは溜めた力を開放するように翼で前方を強く仰いだ。アヌビスの周囲に浮遊する赤黒い雷球が急に動き出し、俺達の許へ飛翔した。ブレスとして発射されるモノと同じだ。射線上から退避すれば当たる事は無い。そう思った俺が回避命令を出すと、リランは翼を思い切り羽ばたかせて急上昇、雷撃弾の射線から退避して、アヌビスへ急接近した。
「――なッ!?」
次の瞬間、リランの身体が大きく揺れた。手に力を込めて剛毛に掴まると、ばちんっという嫌な音が右方向から聞こえた。何かに衝突された――? 俺はすかさずリランの右方向を確認する。先端が金色のエネルギーで構成されているリランの右翼、その先端部にダメージエフェクトが生じていた。直前までダメージを受けるようなことはしていなかったはずだ。このダメージは何だ。
俺の疑問に、《声》は答えた。
《あいつの雷球、軌道を少しずらしてきたようだぞ。それに当たった》
「ホーミング弾? あいつ、そんな技まで使えるっていうのかよ」
《追尾性能自体はそんなに高いわけでもないみたいだが、いずれにしても侮れぬ。避けたと思っても手を緩めたりするなよ》
リラン同様四枚の翼で空を駆けるアヌビスは、リランよりも敏捷性に優れる方らしい。先程から追いかけているものの、時折重力だとかを完全に無視したような動きでリランのブレスを回避する芸当を見せつけてきていた。それに加えてホーミング雷弾まで撃てると来た。空中を高速移動、ホーミング雷弾を撃てるだなんて、ミサイルを積んだ戦闘機と同じじゃないか。
どちらも同じ狼龍だが、向こうの方がスペック的には優秀なのだ。それはジェネシスは《使い魔》の育成と強化を決して怠っていなかったという証拠でもある。見方によっては、あいつは《ビーストテイマー》の鏡と言ってもいいのかもしれない。
だが、そのジェネシスの目的はこの世界を滅ぼしてしまう事だ。この世界はジェネシス一人だけの欲望のために、滅びの危機に瀕している。そんなものを許してはおけない。プレミアとその双子の姉妹――彼女達に世界を滅ぼす力を与えてなどならないのだ。
それにそもそも、ジェネシスのやっていること自体が、許されざることだという事を、俺達は掴んでいる。この戦いの中であいつ自身にそれを証明させる。その時こそがジェネシスとの決着の瞬間だ。
そのためにはまず、あいつを守るアヌビスを倒すしかない。いや、やり方によっては弱らせるだけでいい。とにかくアヌビスからジェネシスを離すのだ。
「へっ、流石は英雄キリト様だなぁ! 《使い魔》の扱いにも長けてやがるよ!」
ジェネシスがまた俺を煽るなり、アヌビスは急降下を開始した。そのままオルトラム城砦の城壁の間に飛び込むように入っていく。
オルトラム城砦がカーディナルシステムの力でボス不在となってアクティベートされているために、飛行制限は解除されている。リランもアヌビスも、どこまでも自由にこの空を飛び回る事が出来るのだ。ジェネシスはそれを最大限に利用しているらしい。いや、楽しんでいるのだろう。
「あいつ、城砦の中に飛び込んだぞ」
《《使い魔》の飛行能力と処理能力の高さをよくわかっているようだな。アヌビスは壁にぶつからないように飛べるぞ》
《ビーストテイマー》が使役する《使い魔》のAIはボスモンスターのものよりも高度だ。その力の中には、狭いところに入り込んでも壁にぶつからずに飛べるというものもある。システムによる自動アシストが働き、プレイヤーが意図的にそうしない限りは、壁にぶつからないようになっている。だからこそジェネシスはアヌビスを狭い城砦の中に飛び込ませたり出来るというわけだ。
しかし困った事に、リランにそんな能力は無い。彼女は《使い魔》のAIよりも遥かに高度であるがために、システムの自動アシストを受けるような事はしない。だから壁にぶつからないように飛ぶには、感覚に頼るしかないのだ。アヌビスよりも高度なAIである事が、今は裏目に出てしまっていた。
「リラン、行けるか」
《……努力はしよう。だが、壁にぶつからないという保証は出来ない。いざとなった時は
ベイルアウトは戦闘機から座席ごと脱出するやり方だ。俺は飛び降りしか出来ないうえに、パラシュートもない。リランが墜落すればそれまでだろう。相棒の自信の無さに、思わず不安を抱く。
「その必要がないように飛んでくれ、頼むから」
《その言葉を待っていた。行くぞ!》
次の瞬間、リランは急降下を開始した。ジェットコースターの急加速と落下のような浮遊感に包まれ、俺は両手でリランの背中にしがみついて耐える。そのすぐ後に、リランはアヌビスの入り込んだ城砦の壁と壁の間を飛び始めた。秒単位で壁が迫ってくるが、リランは上昇とカーブを上手い具合に繰り返す事で、狭苦しい城壁の間を飛び抜けていった。
左右どちらを見ても流れゆく壁があり、リランとの間が十メートルくらいしか開いていないように思えた。翼を辛うじて広げられるくらいの広さしかここにはない。本当にぎりぎり飛べているようだった。
そんな狭い通路の中を十数秒飛び続けたところ、風でよく見えなくなっている前方に黒い影が見えた。大きくて、羽ばたいているように見える。逃げ込んだアヌビスに追いつけたようだ。追いかけっこは終わりだ――そう思った次の瞬間に、俺は目をかっと見開く事になった。
黒い影が、大きくなってきている。まるでこちらに急速に近付いてきているように。いや、そうだ。アヌビスがこっちに飛んできている。
俺達は真正面から高速に近付き合っている。逃げる側が追いかける側に自ら近付いてきている。
「マジかよ……ッ!?」
思わず呟いた次の瞬間、黒い影は赤黒い光を放った。
□□□
遠くの方で爆発音がした。大きなエネルギーが爆ぜる音。その中にはビリビリと電撃の走る音も混ざっている。アヌビスの放つ電撃弾が爆発した時の音だ。赤黒くて強い電撃を操るアヌビスが起こす爆発は、対象を痺れさせながら焼き尽くす。アヌビスの電撃は獲物を、許されざる人間を決して逃がさないのだ。
ティアは何度も見てきた。アヌビスの放つ電撃に焼かれ、マスターに斬り刻まれて死に行く者達を。淘汰される者達を。
その淘汰される者の中に、あの《黒の竜剣士》が加わる。アヌビスはじきにあの《黒の竜剣士》を焼き尽す。マスターとアヌビスの無敵の二人に、《黒の竜剣士》は
今までずっとしぶとく生き残ってきたようだが、今度こそ終わりだ。マスターの勝利は確定し、《黒の竜剣士》はマスター一人だけのものとなる。マスターが勝つのだから、もう何も心配はいらない。それにマスターを待たせるといけない。今のうちにアインクラッド創世の準備をしておかなければ。
ティアは後方へ向き直った。少し遠いところにいるのは、一人の少女。ティアと同じ紺色がかった黒髪をしていて、同じ髪飾りを付けているどころか、ティアと同じ顔をしていて、同じ服を着ている。マスター曰くティアの家族であり、ティアの双子の姉妹。同じ力を持ち、同じ使命をその身に宿す者。
自分達双子の姉妹が祈りを捧げる事で、自分達は巫女として覚醒し、アインクラッド創世を果たせる。マスターの願いを叶え、自分達だけの楽園を実現できるのだ。
ティアは少女に声をかける。
「もう既にマスターの勝利は決まった。さぁ、貴方。わたしと一緒に祈りなさい」
少女はぴくりと反応を示した。マスターと《黒の竜剣士》の戦いが始まってから、ずっとティアの事を見ている事しかしなかった少女の、ようやくな動きだった。
「この奥にある祭壇に聖石を嵌め込むの。そして祈りなさい。そうすればわたし達は双子の巫女として覚醒し、アインクラッド創世を成し遂げられる。それこそが、わたし達に与えられている役目だ」
少女はじっとティアの事を見ていた。まるで話が伝わってないように感じられ、ティアは苛立ちを覚えた。
「聞こえなかった? 貴方、早く聖石を――」
「――プレミア」
少女に言葉を途中で遮られ、ティアは思わず声を止めた。少女は胸元に手を持ってきて、拳を握っていた。
「わたしは、貴方の双子であるわたしの名前はプレミアと言います。貴方は何という名前なのですか。わたしは貴方の名前を呼びたいです」
プレミアと名乗った少女にそう言われると、ティアの頭の中に蘇るものがあった。
自分のティアという名前。それを与えてくれたのはマスターだ。フィールドに出ていたある時、ティアは汚らわしい人間共に襲われた。その際はいよいよ命の残量が僅かにされて、ティアは死ぬと思った。人間共に殺されて終わる。そう思っていた。
だが、それを阻止したのがアヌビスを連れたマスターだった。突如として現れたマスターは、圧倒的な強さで人間共を皆殺しにしたけれども、ティアを殺そうとはしなかった。マスターは驚いているティアに接近し、攻撃的な態度ではあったものの、ティアの命を回復させ、「俺と一緒に居ろ」と言ってくれた。
その後すぐに、与えてくれたのだ。《ティア》という名前を。
名前の無かった自分に、最初にマスターが与えてくれたプレゼント。それがこの名前だ。
「……ティア。マスターが与えてくれた名だ」
「ティア……わたしの双子は、ティアというのですね」
プレミアに呼ばれたそこで、ティアは初めてマスター以外の存在に名を呼ばれた事に気が付いた。誰にも教えないで来ていたから、当然と言えばそうだったが。ティアは気を取り戻し、プレミアに再度話す。
「さぁプレミア、わたし達のやるべき事を成すのよ。一緒に祈りを捧げてアインクラッドを、世界を崩壊させたうえで、新世界を作り上げるのよ。マスター以外の人間達のいない、清らかで静かで、平穏な世界を。それこそがわたし達の役目」
何度思ったかわからない事を、ティアはプレミアに話し終えた。マスターが示してくれた使命。アインクラッドを作り上げて、世界諸共迫害する人間共を根絶やしにする事。自分達双子の姉妹は、双子の巫女はそのために存在する。プレミアもこれがわからないわけではないはずだ。同じ双子の巫女なのだから。
だがどうした事か、プレミアは首を横に振り――強気な眼差しを向けてきた。
「……わたし達の祈りによって、この世界は滅び去ってしまう。そうですよね」
「そうだ。それこそがわたし達の役目だ。わたし達の中の力はそのためにある」
「わたしはそうは思いません。わたし達の役目はそんなものではありません。わたし達の力、貴方の中にもあるであろう《むがむちゅうのちから》は、そんな事のためのものではありません」
ティアは目を丸くする。プレミアは自分に課せられた役割を違うと否定していた。違うのはお前の言っている事だろうに。おまけにわからない言葉まで混ざっているから、増々おかしな事を言っているように思える。
「わたしには力があります。わたしが《むがむちゅう》になると発揮する事の出来るもので……だから《むがむちゅうのちから》と言います。何もなかったはずのわたしの中に唯一在ってくれていたもの……わたしはそれに助けられてきました。
この《むがむちゅうのちから》があるおかげで、わたしは大切だと思える人たちを守れた時もありましたし、わたしが困った時の支えになってくれました。わたしがここまで生きてこられた理由は沢山あると思いますが、その中には確かに、《むがむちゅうのちから》があったからこそもあります」
「……」
「けれど、この《むがむちゅうのちから》は貴方の言っている通り、この世界を滅びに向かわせる事も出来るものでした。きっと貴方の中にもあると思います。《むがむちゅうのちから》が。貴方は貴方の《むがむちゅうのちから》で、この世界を滅ぼそうとしている……そうではありませんか」
何故問いかけられているのかがわからず、ティアは黙っている事しか出来なかったが、プレミアからの再度の問いかけによって、口を開ける事が出来た。
「そうだとも。貴方が言う《むがむちゅうのちから》とやらは、この世界を滅ぼし、浄化し、新世界を作り上げるためにあるのよ。わたし達のやるべきことは、《むがむちゅうのちから》で世界を滅ぼすこと。何度も言ってるじゃない」
「わたしはそうだとは思いません。わたし達の《むがむちゅうのちから》は、そんな事をするためのものだとは思いません。わたし達の都合だけで、この世界に厄災を起こさせるわけにはいきません」
ティアは歯を食い縛った。そんな答えが聞きたいわけじゃない。なのにプレミアは続けた。
「貴方はこの世界に人間達が必要だというの。マスターやわたし達を平然と迫害し、挙句いつもいがみ合い、殺し合い、壊し合うのが人間達。そんなものが居たせいで、この世界はこんなにも歪んで、穢れてしまった。
厄災? それは人間達の事を言うの。この世界にとっての厄災は、マスター以外の全ての人間そのものだ」
「人間達はいつだって殺し合い、いがみ合い、壊し合っているわけではありません。人間達の中にだって、互いを想い合い、仲良くし合い、力を合わせ合って困難を乗り越えていく人たちだって沢山います。わたしを守ってくれたキリト達は、そういう人たちです。全ての人間を一緒にして滅ぼしてしまうのは、間違っています」
ティアは音が鳴るくらいに歯を食い縛っていた。どんなに言っても反論を試みてくる。そんな答えが聞きたいんじゃないのに。
「何故そうまで言ってわたしを拒否するというの。貴方は何を思っているというの。何を思っているから、そうまでして人間を守ろうとするの。貴方は何を願っているというのよ、じゃあ!?」
その時、プレミアは驚いたような顔をした。やがてその顔がゆっくりと下げられていく。
「……わたしは……自分が何をしたいのか、何を思っているのか、何が望みなのか、まだよくわかりません。ただ、この世界を滅ぼそうとする貴方達が間違っているという事は、わかるのです。
お願いです、ティア。貴方の《むがむちゅうのちから》を、世界を滅ぼす事のために、あんなジェネシスのために使わないでください。貴方の《むがむちゅうのちから》は、そんな事のためにあるのではありません!」
ティアは茫然としてしまった。
何を思っているかわからない?
何が望みなのかわからない?
プレミアは何もわかっていないくせに、わたし達の事を否定する事だけはしている?
何もわかっていないのに、否定だけされていた?
それらがわかった時、ティアの頭の中は静かになっていた。怒りのあまり、静けさに包まれてしまっているようだ。
「……自分のやりたい事もわかっていないのに、わたし達への拒否と迫害だけはしているののね。人間共はどいつもこいつも身勝手な奴らだとマスターは言っていたけれども、本当にその通り。そして貴方はそんな奴らと一緒にいたせいで、そんなに身勝手になった。人間達は、厄災は自分達の都合のいい形に貴方そのものを歪曲させた……」
プレミアは一瞬驚いたような顔をし、慌てて首を横に振った。
「そ、そんな事はありません! わたしは人々に歪曲させられたわけでは――」
「――わたしは」
もう、プレミアの言葉など聞く気はなかった。ティアは強引にプレミアの声を、自分の声で塗り潰した。
「わたしのやりたい事は、わたしの願いはある。貴方と違って、わたしにはちゃんとした思いがある。言ってあげる。それはね――」
人間達の穢れに
何が起きた――きっと爆発の方を目に向けると、立ち込める土煙の中に四つの影が見えた。そのうち二つは非常に大きく、残りの二つは人型だった。やがて土煙が晴れた時に、その正体は露見した。マスターとアヌビス、《黒の竜剣士》と白き狼竜の四人が地上に降りてきていた。
「マスター!」
「キリトッ!」
同じ形を持つ声が、二人の剣士を呼んだ。
◇◇◇
俺は祈りの神殿の最上階、バトルの開始地点に降りたリランの背から飛び降り、ようやく地に足を付けていた。目の前にいるのは、つい先程まで
ジェネシスの《使い魔》の操縦技術は想像以上のもので、狭い通路を余裕で飛び回るどころか、急な方向転換をしたうえでの不意打ちなども仕掛けてきた。まさかそこまでの事をやってのけるとは思ってもみず、俺とリランはアヌビスの放つ電撃弾の餌食に数回なる羽目になったが、アヌビスの電撃がリランを撃墜する事はなかった。
アヌビスは確かに空中戦、地上での戦闘が上手い《使い魔》だったが、空中での接近戦では超高性能AIであるリランの方が上手だったのだ。距離を詰めて接近攻撃を仕掛けたところ、アヌビスは一気にダメージを負い、体勢を崩した。
分が悪くなったアヌビスは自ら飛び込んだ狭い通路から脱出して急上昇を開始。丁度祈りの神殿の最上階の上まで行ったところでホーミング電撃弾を撃ち込もうとしてきたが、チャージのタイミングを狙ってリランが火炎弾ブレスをお見舞いして、更に突撃攻撃も仕掛けた。強力な火炎弾をその身に受けたうえに突撃されたアヌビスは、リランの下敷きになる形で祈りの神殿最上階の石床に墜落した。
どれくらいの重さがあるのかわからないくらいの巨躯を持つアヌビスの墜落を受けても、倒壊しない祈りの神殿は流石の耐久力があったようで、びくともしていない。もしかしたらアヌビスを落とすと祈りの神殿が壊れるのではと思っていたが、杞憂で済んだ。
だが、安心する暇など俺にはない。落としたアヌビスの傍らに、黒衣の大剣士が身構えている。俺が決着を付けねばならない相手との勝負は、今ようやく始まったのだ。アヌビスとの空中戦は前哨戦に過ぎなかった。そのアヌビスの持ち主である大剣士ジェネシスは、得物をぶんぶんと振り回している。準備運動なのだろう。
「褒めてやるぞ
「嬉しくもなんともない快挙だ。そんな事を言えるなんて、お前は随分と余裕だな」
ジェネシスの《使い魔》であるアヌビスは既に赤ゲージになるまで追い詰められている。一方でリランのゲージは黄色ゲージ。《HPバー》の残量ではリランの方が勝っている。もしアヌビスが負ければ、リランがジェネシスと戦うと言うのに、本人はお構いなしと言わんばかりの余裕を見せている。
「余裕に決まってんだろうが。お前は俺に勝てねえ事が既にわかり切ってるんだからよ。まぁでも、これから潰すお前が、俺と同じ境地を見つけ出した事は素直に褒めるぜ」
「同じ境地?」
ジェネシスは俺の手元に目を向けていた。俺の手にあるのは二本の剣。そのうち一本はジェネシスに斬られたリランの尾から作られた黒き魔剣、《エリュシデータ》。太陽の光を浴びて美しく輝く黒剣は、ジェネシスの視線も引き寄せていた。
「お前のその黒い剣、《使い魔》の尻尾だろ。斬られた《使い魔》の尻尾を剣に変えた。そうだろ」
「やったのはお前だけどな。それがどうかしたか」
「この際だから話してやるが、俺の剣もそうだ。この剣はアヌビスの尾だった魔剣だ」
やはりそうだったか――俺は咄嗟にそう思った。ジェネシスの大剣は明らかに店売りではないし、プレイヤーメイドの物でもない強力な剣だった。そしてアヌビスは斬り落とされたような尻尾をしている。その事から、俺はアヌビスの尻尾をジェネシスが剣にしていると仮定していたが、正解だった。
だが、どうやってそんな事をしたというのか。《使い魔》に手を出せばブルーカーソルになるのに――俺の疑問を察知したように、ジェネシスは言葉を絶やさなかった。
「どうやって手に入れたか、気になるか? そうだよなぁ。《使い魔》に手を出せばブルーカーソルだもんな。だから、俺は切断攻撃を出せるモンスターにやらせたんだ。モンスターにアヌビスを切断攻撃させてみたら、アヌビスの尻尾が切れて、素材になったんだよ」
胸の中で動くものがあった。それが怒りである事にはすぐ気が付いた。ジェネシスのやり方は許せないものばかりだが、剣を手に入れた経緯もまた許しがたい行為だ。尾を斬られた《使い魔》がどれだけ痛み、どれだけ苦しい思いをするのか、何一つ考えていない。
「それで、お前の武器になったって事か」
「そうだ。やっぱり冴えてるだろ、俺は。お前なんかと違ってな」
ジェネシスの言っている事は一理ある。ジェネシスは俺が思いつかないような方法を思いついて実行し、実際に強さを手に入れている。ジェネシスには俺にはない強さというものがあると言えるだろう。
そのジェネシスは大剣を構え直すと、右手で右
「お前……!」
「そうだぜ、俺はお前とは違う。強さも力も次元も何もかも! 何せ俺は《進化》を手に入れてるんだからよぉッ!!」
ジェネシスはテンションがおかしくなったように叫んだ。人間のものというよりも、獣のものと言える声量の声。その後に、ジェネシスに変化は起きた。
全身より異様な熱気が常に出されるようになり、皮膚を流れる汗が、空気中の水分が常に蒸発し、ジェネシスの周囲に白い水蒸気が起こるようになる。汗の無い顔には殺意と暴力をぶちまけられる喜びに満ちた笑みが浮かび、その吐息は冬場でもないのに白かった。
やはりあの時と同じ状態。本来ならば使うべきではない力を使い――獣と化したのだ。
「瞬殺だ……この世界じゃ誰も俺に勝てねぇって真実を、足りねえ頭に叩き込みやがれぇッ!!!」
赤髪の剣士の獣が蹴ると、地は轟音と共に捲れ上がった。獣となったジェネシスは宣言どおり一瞬にして俺を屠るべく、ほぼフレーム単位の時間で俺の許へ到達、大剣を振り下ろしてきた。しかしジェネシスが来た時点で横方向にステップしていたおかげで、俺はジェネシスの宣言を現実にさせるのを阻止する事に成功した。
空を裂いたジェネシスの黒き大剣は祭壇の床を窓ガラスのように叩き割り、石畳だったものを空へ舞い上げる。普通のプレイヤーの
ジェネシスの攻撃は自身がトランスプレイヤーであることを雄弁に語っていたが、それでは意味がない。まだ足りない――。
「どうした、瞬殺出来てないぞ!」
いつも煽られる事への仕返しをしつつ、俺はエリュシデータと、若干劣るくらいの威力だけれどもレアである銀の片手剣の組み合わせでジェネシスに斬りかかった。手応えが返ってきたが、それは何かを斬り抉ったような時のものではない。鋭い金属音がして、目の前が赤橙色に光る。俺の双剣はジェネシスの大剣に防がれていた。
「遅え、遅え、遅えんだよ! 見えてる、見えてるんだよ、てめえの全てがよぉ!!!」
獣の声で挑発しつつ、ジェネシスは連撃を仕掛けてきた。双剣を前でクロスさせる事で防御を作るが、最初の一発を防いだ途端、弾幕のように攻撃が次から次へと飛んできた。まるで嵐や竜巻を思わせる剣撃。少しでも気を緩めると防御など簡単に破れてしまいそうだった。
しかもこれはソードスキルによるものではなく、ジェネシスの身体そのものから放たれているものだ。こんな速度を普通のプレイヤーが出す事など出来やしない。異常な攻撃力と異常な速度。数時間前の交戦の時も思ったが、ジェネシスは何もかも異常だ。
「……!?」
そこで俺は思わずはっとした。ジェネシスは今、本当に
確かにあの時のように嵐の如し剣撃を繰り出してきている。けれども、その時と比べて今のジェネシスのそれは全体的に遅いように感じられた。前は太刀筋など一切わからず、手も足も出ないくらいだったというのに、今はジェネシスの太刀筋は――見える。大剣がどこから飛んでくるか、見え透いて仕方がない。
ジェネシスの見えないはずの太刀筋が見えてしまっているという異常が、ジェネシスに起きているのだ。もし数時間前と同じだったならば勝機があったかどうか怪しかったが、これならいけるかもしれない。
「おらおらおらおらおらおらおらおらァァァッ!!!」
一気に集中力を研ぎ澄まし、ジェネシスの剣を受け止め続ける。ジェネシスは動き続ける。上方向からの斬り下ろし、横方向の一閃、下方向からの掬い上げ――色々な角度と方向から攻撃が飛んできているが、腕に力を込めて防御を続ける。強すぎる衝撃を受け続けているせいで指先が痺れてきているが、じっと耐え続ける。
「どおらッ!!」
「ッ!」
その時、ジェネシスが突きを繰り出してきた。俺の防御姿勢では防げないとわかったのだろう。それが機会だった。
「これだッ!!」
横方向にジャンプし、飛んできたジェネシスの大剣に落ちる。丁度ジェネシスは剣の腹を上にして突きを繰り出してくれていたので、着地はうまくいった。そのまま踏みつけて体重を乗せると、大剣は勢いよく落ち、地面に先端を刺さらせた。
「なッ!?」
俺の動きを読めているというのは豪語だったらしく、ジェネシスは驚いて動きを止めた。またとないチャンスだ。大剣から跳ねてジェネシスの背後に回り込み、がら空きになった背中を狙って剣を構え直す。
システムのアシストが俺の身体をサポートに廻り、剣に青水色の光が宿る。
「だあああああああッ!!」
咆吼の後に、両手の剣を振るった。舞を踊るような動きを瞬間的にイメージし、実際に身体に落とし込んで実現する。斬り上げ、斬り払い、突き、振り下ろし――あらゆる角度、方向からジェネシスを斬り刻み、剣舞する。
やがて総斬撃回数が十五回に及んだそこで、俺は渾身の力を籠め、
「はああああああッ!!」
青水の光を纏うエリュシデータによる突きをお見舞いした。剣はジェネシスの背中に吸い込まれるように入っていき、やがて光は爆発し、ジェネシスを俺の前方向に吹っ飛ばした。
十六連続攻撃二刀流ソードスキル《スターバースト・ストリーム》。
二刀流ソードスキルの中で一番強力である技――それでも奥義には届かないが――の炸裂を受けて飛んだジェネシスは地面に激突し、呻くような声を上げた後に転がった。しかし身体能力が爆上げされているおかげなのか、ジェネシスは転がりの勢いを利用して受け身を取り、しゅんと立ち上がった。
その際既に俺の硬直は解けていて、すぐに応戦できるようになっていたが、ジェネシスはそうしなかった。
「クソが……流石は英雄様ってところかぁ? さっさとくたばれっての」
「そんな簡単にくたばるほど弱いつもりはないよ。けど、お前と戦っててわかった事があるよ。お前のその強さ、本当に素晴らしいくらいだ」
ジェネシスは「あ?」と言って首を傾げる。俺はわかった事をただ話す。
「お前の実力は最前線にいるプレイヤー達すらも凌駕しているだろう。正直普通にプレイをしているだけじゃ、お前の域には辿り着けないはずだ。普通にやってればな」
「だったらなんだよ。俺が普通のプレイヤーじゃないって言いたいのか」
「あぁ。俺と同じようにな」
ジェネシスの目が丸くなる。同類扱いされるのは心外だったのか、それとも普通に驚いているだけなのか、わからない。
「お前が俺と同じ? どういう事だよ」
「意外そうな反応するんだな。俺もお前も同類だろ」
「はぁ? 馬鹿言うんじゃねえよ。同じなわけが――」
俺はジェネシスの言葉を遮った。反論の余地を残させてはならなかった。
「この広いゲームの世界で、俺達みたいなプレイヤーがいたとしてもおかしい話じゃない。誰だって、どんな手を使ってでも、他の奴らよりも先の次元に行きたいと思うに決まってる。特に『あの味』を知ってしまったら、引き返せなくなるのもわかるよ」
ジェネシスの目が見開かれ、すぐに細くなる。一気に俺への警戒心が強くなったようだった。
「『あの味』、だと。ありえねえ。てめぇ如きがそんな事――」
「じゃあ聞くぜ。俺達はどうしてアインクラッドを攻略できたんだ? どうしてソードアート・オンラインを生き延びてクリアする事が出来たと思うんだ? 普通のやり方じゃ、あのデスゲームを攻略するなんて真似は、無理だぜ」
俺がアインクラッドの英雄キリトであることを知るジェネシスは、ついに動揺し始めた。自分の思っていたものが崩れたのだ。
「なんだと? そんなわけが、そんな事があるわけねえだろうが! カーディナルシステムのセキュリティはどうやったところで崩せねえ。崩す方法なんかねえ!」
「いや、違うさ。どんなに完璧なカーディナルシステムでも、目を光らせてないところは存在してるんだ」
ジェネシスは前方を薙ぎ払うようにぶんと腕を振るった。そのまま大声で叫ぶように言ってくる。
「だからそれがおかしいって言ってんだよ! てめらが付けてたのはナーヴギアで、アミュスフィアじゃねえ。今のアミュスフィアに改造をして初めて、強制ログアウト機能を斬る事が出来るんだ! それに成功して《エヴォルティヴ・ハイ》を実現させられたのは世界で俺だけだ!! 数年前からそんな事が出来てるわけが――」
一気にまくしたてるジェネシスに、俺は一つ問いかけをした。
「……アミュスフィアの改造だって? ジェネシス。お前さっきから何の話をしてるんだ?」