キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 原作にも出てきた用語が登場。




04:不正の神

           ◇◇◇

 

 

 

 空腹をボディランゲージで伝えてきたプレミアの空腹を満たすための昼食会が、俺達の家の一階で開かれていた。

 

 皆がより取り見取りの食材を集めて来てくれたおかげで、実に様々な料理が作られて、ほぼほぼバイキング形式で皆に振舞われる事となった。その様子はまるでユウキとカイムを入れたスリーピング・ナイツの者達が勝利を掴み、そしてユウキの回復が確定したのを祝った時のようだった。

 

 色とりどりの様々な料理が出てきた事をプレミアは喜び、次から次へと食べ進めていき、俺達も同じように料理を食べて腹を満たしていった。驚くべき事がわかった後だと言うのに、そんなのが嘘のような、明るい昼食会だった。

 

 そんな昼食会開始から十分ほど経った頃に、俺とシノンは席を立ち、ちょっと皆から離れたところへ向かった。そこは二階の寝室と一階を繋ぐ階段。その一段目に二人で並んで腰を掛けた。二人で話したい事があったのと、確認し合いたい事があった事が理由だ。

 

 意外にも、俺達に皆が気が付く様子はなかった。

 

 

「……大変な事がわかっちゃったわね」

 

「あぁ。アインクラッドがこの世界に生まれようとしてるなんてな」

 

 

 未だに信じられない。プレミアのクエストを最後まで進めた時、カーディナルシステムによってアイングラウンドの神話、大地切断が起こってしまい――あの《SAO》の舞台となり、俺達が百層まで攻略し切った鋼鉄の浮遊城アインクラッドが誕生するなんていう事実は。

 

 

「アインクラッド創造がプレミアのクエストの正体だったなんて、全然思いもしてなかった。そもそも、またアインクラッドなんて言う単語を聞く羽目になるなんて、考えてさえいなかったよ」

 

「私も、こんな事になるのは全然予想出来てなかった。何が起こるか、わかったもんじゃないわね」

 

 

 そうだ。今回の事と言い、何も予想できていなかった。この世界では何が起こるかわからないし、何が起こったとしても不思議ではない。非常識が常識になってしまっている世界だ。消えたはずのアインクラッドが再び生み出されても、この世界にとってはそれが常識の一つという事なのだ。その非常識な出来事に、俺もシノンもリランも、プレミアも皆も巻き込まれている。

 

 

「ねえキリト、あなたはどう思ってるの。アインクラッドの事」

 

「え?」

 

 

 考えている最中であったというのもあって、シノンからの問いかけには首を傾げてしまった。そも内容が上手く掴めなかったというのもある。気付いてくれたのか、シノンはより詳しく話してくれた。

 

 

「私は途中から加わったけれど、あなたは最初から最後までアインクラッドを生き抜いたじゃない。だから気になったの。アインクラッドがまた生まれたなら、あなたはどう思うのかなって」

 

 

 俺は頬杖を付いた。正直なところ、アインクラッドが誕生しようとしているという話を聞いてから、ずっと微妙な気持ちだ。

 

 俺達が二年の時間をかけ、尚且つ四千人を犠牲としながらクリアした《SAO》、その舞台であるアインクラッド。ログアウトできないうえに、HPがゼロになれば本当に死に至るデスゲーム。そんな世界に閉じ込められた俺達は、毎日のように苦しい思い、悲しい思いを沢山した。怖い思いだって何回したかわかったものではない。そのせいで死ぬ者もいたくらいだ。

 

 だが、俺達は確かにあそこで生き、普通に生きているだけでは経験する事の出来ない事を体験できたし――俺は頼もしい仲間である皆と、相棒のリランと、そして守るべき人のシノンと出会った。もしアインクラッドに閉じ込められる事が無ければ、俺は何も得る事が出来ずに終わっていただろう。

 

 極限環境ではあったものの、俺達に確かなものを与えてくれた世界、それがアインクラッドだった。

 

 あそこをクリアして以降、もう行きたくないと思っていたけれど、その反面、もう一度アインクラッドに行ってみたいという気持ちも心の片隅にあった。俺達を閉じ込めた忌むべき世界だから行きたくないけど、俺達を育んでくれた世界をもう一度見たい。そんな心境だった。

 

 

「……なんだか変な気分だよ。ヒースクリフもアルベリヒも倒してクリアしてきたから、あそこに置いてきたものは何もない。だから行かなくてもいいし、もう二度と行きたくないって思ってた。

 けど、またあそこが生まれてくれるっていう喜びもある。俺達が育ったあの場所がまた生まれるかもしれないのが嬉しい気持ちもあるんだ。なんというか、なんて言ったらいいわからない」

 

 

 我ながら下手な回答をしてしまったと思った。シノンにちゃんと伝わっているかわからない。いや、そもそもアインクラッドが生まれるかもしれないというこの状況と話は、どこまでも絡み合っているような複雑な心境を作り出していた。

 

 この話はここにいる全員が聞いているわけだが、皆は昼食会を楽しんでいるようにしか見えない。彼らの中には、昼食会を楽しみつつ、俺のような事を思っている人もいるのだろうか。

 

 ふとそんな疑問を抱いたそこで、俺は肝心な事に気が付いた。そういえばシノンはどう思っているのだろう。

 

 

「そう言うシノンはどう思ってるんだ。君はアインクラッドが生まれるかもしれないって聞いて、どう思ったんだ」

 

 

 シノンは一旦俺から視線をそらし、軽く上を見た。天井、屋根の向こうに広がる空――アインクラッドがかつて存在していた場所を見ているかのようだった。

 

 

「……私もなんだか不思議な気分よ。あそこで何の罪もない人が四千人も死んだ。あそこに行ってしまったせいで、何もかもおかしくなっちゃった人もいる。だからもう、アインクラッドなんて存在しちゃいけないって思ってるのに……またアインクラッドに行けるのが嬉しいって思ってる自分もいるの。あそこで私、皆に、キリトに出会えて、全てを変える事が出来たから……私の全てが始まったところだから……」

 

 

 俺は少しきょとんとして彼女を見ていたが、やがて彼女ははっとしたように顔を戻した。

 

 

「あれ……私ってば、結局あなたと同じ事言ってる」

 

 

 今更気付いたようにシノンは言うが、俺はその内容が嬉しかった。

 

 アインクラッドが誕生するかもしれないという状況に喜びを感じているのは俺だけじゃなく、シノンもそうだ。もしかしたら他の皆も同じような心境なのかもしれない。なんだかんだ言って、アインクラッドをただ憎悪しているわけではなかったのだ。

 

 俺は少し笑いつつ、シノンに返事した。

 

 

「二人揃って同じ事考えてたんだな」

 

「そうね。私達、本当に似た者同士なんだわ」

 

 

 そう言ってシノンも軽く笑った。あそこで出会った俺達は、似た者同士。だから互いを想い合う事が出来、互いを慕う事が出来て、互いを愛せるのだ。改めてわかって嬉しくなったが、喜んでいられるような場合じゃない事も思い出した。

 

 もしこの世界でアインクラッドが生まれるのであれば、それはアイングラウンドが素材になり、この世界に生きる無数の動植物、NPCが犠牲になるという事だ。そうなった時、下手すればこのVR技術そのものが危険視されて、廃止される危険性がある。だからこそ、アインクラッドの誕生は防がなければならない。真実を知る事になってしまった俺達の手で、食い止めねばならないのだ。

 

 

「けど、アインクラッド誕生は最悪の時だ。アイングラウンドが滅茶苦茶になって、沢山のNPCが犠牲になるかもしれないからな」

 

「えぇ。それがプレミアの手で起こされるなら、あの娘のためにも防いであげないとね。あの娘がアインクラッドを作る事を望んでいるはずないもの」

 

 

 そうだ。アインクラッドが生み出されるか否かの鍵を握っているのはプレミアだ。彼女のクエストが最後まで進んだ場合に発生するのがアインクラッド誕生のイベントという事になっている。彼女の意志がないとはいえ、彼女の持っている力によってアインクラッドは創造される。

 

 彼女に多数のNPCを殺した罪を、十字架を背負わせるわけにはいかないのだ。

 

 

「だから、絶対に阻止しよう。アインクラッド創造を」

 

 

 俺の言葉にシノンは深い頷きと強い眼差しを返してくれた。

 

 これはシノンだけに言いたい言葉ではない。昼食会が終わったらもう一度作戦会議をし、皆に伝えなければならない。皆がどう思っているのかは定かではないが、きっと皆も協力してくれるはずだし、皆と一緒ならば必ず阻止できるはずだ。

 

 俺達はいつだって力を合わせて戦って来て――アインクラッドを乗り越えたのだから。

 

 

「おっと、見つけたよ。シノンにキリト君」

 

 

 一人決意を固めた俺と、隣のシノンを呼ぶ声があった。二人で思わず反応して向き直る。昼食会を楽しむ皆の中から、一人の女性がこちらに近付いてきた。

 

 ユイのような黒髪をして、ストレアのように胸が大きく、リランのような赤茶色の瞳をした背の高い女性。

 

 俺達の頼れる仲間の一人であり、《SAO》の時からのアドバイザーであり、シノン/詩乃の専属医師であるイリスだった。彼女は紅茶と思わしき飲み物の入ったコップを片手に、俺達の元へやってきていた。

 

 

「イリスさん」

 

「イリス先生」

 

 

 ほぼ二人でハモりながら呼んだ直後、イリスは俺達のすぐ目の前に辿り着いた。

 

 

「ここにいたんだね。急に姿が見えなくなっちゃったから、どうしたのかと思ったよ」

 

「あぁいえ、ちょっと二人で話したい事があったんで。けどもう終わったから、戻ります」

 

 

 俺の返答に、イリスは首を横に振ってきた。

 

 

「いやいや、別に戻れって言いたくて来たんじゃないのさ。それに、丁度いい。私も君達と話がしたかったんだ」

 

 

 シノンが真っ先に反応を示す。そういえば最近あまりイリスと話をした事が無い。会ったとしてもそんなに深々と話をする事もなかったし、相談もした事が無かった。考えてみれば、俺には随分とイリスに話したい、相談したい事があった。

 

 

「俺もイリスさんに話したい事がありました」

 

「そうかい。なら尚更丁度いいね。けれど、まずは私から話させておくれ」

 

 

 イリスは畏まったような仕草をすると、軽く頭を下げてきた。彼女に頭を下げられる事などなかったから、俺もシノンも驚いてしまった。

 

 

「キリト君、シノン。こんな状況に君達を巻き込んでしまって、申し訳ない」

 

 

 二人で瞬きを繰り返し、イリスを見つめた。イリスは続ける。

 

 

「カーディナルシステムが勝手にやった事とは言え、君達をまたアインクラッドに行かせるような事になってしまった。アインクラッドは君達にとって悪夢の世界だ。いくら想定していなかった出来事とはいえ、また君達をこんな目に遭わせる事になってしまって、すまなかった」

 

 

 そういえば、《SAO》の時にイリスはゲームがクリアされる事を深く願っていたし、俺達をデスゲームに閉じ込めてしまった事をアーガスの社員、《SAO》の開発スタッフの一人として悔いていた。そんなイリスからすれば、アインクラッドがまた生まれようとしている状況に責任を感じても仕方がないのかもしれない。

 

 しかし、まだアインクラッドが生まれると決まったわけではない。イリスが謝るのはまだ早いと言えるだろう。

 

 俺は頭を軽く下げているイリスに声掛けした。

 

 

「イリスさん、頭を上げてください。まだアインクラッドが生まれると決まったわけじゃないじゃないですか」

 

 

 イリスは頭を上げ、顔を向けてきた。どこかきょとんとしたような表情だった。

 

 

「アインクラッドがこの世界に誕生する時、アイングラウンドが崩壊します。俺達はそんなの認めるつもりはありませんし、カーディナルシステムのクエストを進めるつもりもありません。アイングラウンドに居る皆のためにも、アインクラッド誕生は阻止します」

 

 

 俺に続けてシノンもイリスに言う。

 

 

「私にとってアインクラッドは思い出の地ですけれど、アイングラウンドが犠牲になって誕生するなら、止めたいと思ってます。だから先生、謝らないでください。私達皆の力を合わせて、アイングラウンドを守りますから」

 

 

 先程二人で話し合って、決め合った事を全て話し終えると、今度はイリスが少し驚いたような様子を見せてきた。だが、やがて俺達の言い分がわかったのだろうか、穏やかな微笑みをその顔に浮かべてきた。

 

 

「……そう言ってくれると信じていたよ。君達ならアインクラッド創世を阻止してくれるってね。こんな事に巻き込んでしまってすまないが、今一度手を貸しておくれ。そして、カーディナルシステムの暴挙を止めよう」

 

 俺とシノンはイリスに頷き、笑みを返した。ここまでずっと戦い続けてきた皆が一緒に居てくれるのだ。今回もきっと乗り越えられるだろうし、アインクラッド創世を阻止する事も出来る。どんな敵と戦う事になろうが、カーディナルシステムそのものと戦う事になろうが、皆と一緒ならば勝てる。今回もきっと上手くいく。

 

 先程思った事を今一度思い直したが、同時に疑問に思った事もあった。イリスがここに来てまで俺達に言いたかった事は、この事だけではない。まだ俺達に言いたい事、伝えたい事があるはずだ。

 

 真偽を確認すべく、それを俺はイリスに尋ねる。

 

 

「それでイリスさん。俺達に言いたい事って、これだけじゃないですよね」

 

 

 イリスは「おや」と言って、微笑みを不敵なものへ変えた。

 

 

「よくわかってるね。そのとおりだよキリト君。君達に、いや、君に伝えたい事があるんだ」

 

 

 専属医師の表情が凛としたものに変わると、シノンは背筋をしゃんと伸ばした。俺も気付いた時にはシノンと同じように背筋を伸ばしていた。

 

 

「この前、カイム君達を助けるためにキリト君達が相手取ったプレイヤー達だけど、あれはトランスプレイヤーで間違いないよ。全員デジタルドラッグを使用したうえで戦っていたようだ」

 

 

 やはりそうか――俺はそう思った。

 

 トランスプレイヤーとは、デジタルドラッグを使用してゲームをプレイしているプレイヤーを指す言葉だ。その者達は現実世界で麻薬などの危険薬物を使った時と同じ症状を起こし、様々なトラブルを引き起こす危険性を持つ。

 

 症状は、何もないところで何かが見えているように振舞ったり、おかしな言動を取ったり、或いは魔獣のように凶暴かつ攻撃的になったりなど、その者によって違うのだが――そのデジタルドラッグによる症状を起こしていると思わしき者達と俺達は遭遇した。カイム達スリーピング・ナイツがクルドシージ砂漠のエリアボス攻略に向かった時だ。

 

 彼らスリーピング・ナイツはエリアボスと戦う寸前、三十人近くのプレイヤーの群れに遭遇したのだが、その者達は異様な攻撃力と凶暴性を発揮して、周囲のモンスターを狩り尽くしていた。

 

 スリーピング・ナイツの皆を行かせた後、俺達はその者達と戦う事になったのだが、連中は異常なまでに凶悪で暴力的だった。誰もがオレンジプレイヤーになる事など一切お構いなしに、俺達を叩き潰さんばかりの勢いで武器を振るってきた。しかも尋常じゃない速度でだ。

 

 俺達はリランとユピテル、そして後続の皆と力を合わせて戦ったが、ほとんど反撃できず、やられないように抑え込むので精いっぱいだった。

 

 まるで《SAO》での最大の悪夢、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》との戦いを思い出させる状況だったが、それはあるタイミングでひっくり返った。

 

 彼らは突然顔を真っ青にして地面に倒れ伏し、そのまま動かなくなったのだ。俺達からあまり攻撃を受けていないにもかかわらず、力尽きたように倒れていき、勝手に全滅した。

 

 しかも、それを境にして彼らのHPは見る見るうちに減少していき、勝手にゼロへ向かっていき始めた。

 

 あまりに異常な光景であったが、決着がついた事、彼らが勝手に消滅する事がわかったので、俺達は追撃に気を付けながら撤退した。その後死に戻り(リスポーン)した連中が襲ってきた事はない。

 

 その後で、俺はイリスに彼らの事を話し、詳細を調べてもらっていたのだ。あの戦場に居合わせ、彼らと戦ったシノンは、イリスに言葉をかける。

 

 

「異様だとは思ってたけど、やっぱりそういうモノを使った連中だったんですね」

 

「彼らはノルアドレナリン、アドレナリンを分泌を異常にして戦闘力と興奮の底上げを行うデジタルドラッグ、《クリムゾン・ハイ》を使っていたようだ。彼らの戦闘力と凶暴性が異様だったのは、このためだ」

 

 

 イリスの表情が少し険しくなる。しかし何か疑問を抱いてもいるような顔であった。

 

 

「しかし妙だね。聞いた話によると、《クリムゾン・ハイ》はアミュスフィアのセーフティを無効化する事は出来ない。一定時間経過すると、使用者の脳が限界を迎える前にアミュスフィアのセーフティ機能が働いて、自動でログアウト処理がなされるはずなんだが……連中は本当に動けなくなるまで戦ったんだって?」

 

「はい。俺達と戦ってる最中に突然倒れて、HPも勝手に減っていって……」

 

「ふむ。という事は、連中は脳が本当の限界を迎えるまで《クリムゾン・ハイ》を使っていたという事になるね。HPの勝手な減少も、システム側が想定していない出来事が起きた故になされてしまった事だろう」

 

 

 デジタルドラッグを使用すると、脳が異常な状態になる。そうなればアミュスフィアのセーフティ機能が働き、使用者を守るために自動ログアウトをさせるようになっているのだが、連中はそれが働いているようには見えなかった。

 

 これはつまり、そもそも連中の使っていたアミュスフィアがおかしい事を意味する。

 

 

「という事は、連中のアミュスフィアはセーフティが働かなくなるように改造されたものという事ですか」

 

 

 イリスはもう一度「ふむ」と言って、顎元に手を添えた。大方彼女の思っていた事は俺と同じようだ。だが、俺の言った事は実現不可能の事であると言っていい。

 

 ナーヴギアによる《SAO》事件の後に発売されたアミュスフィアのシステムの強固さは折り紙付きで、そう簡単に改造したりできるようなものではない。それにアミュスフィアを含めたVR機器に改造を施してダイブする事は、《SAO》事件以降に出来た法律によって厳しく禁止されており、違反した場合は重罪とされる。

 

 改造する事がただでさえ困難なうえに、改造すれば重罪を課せられて逮捕される。そんなリスクを冒してまでアミュスフィアを改造する者などいない――そう思っていた。

 

 恐らく俺と同じ事を考えていたであろうイリスが、再度口を開く。

 

 

「その可能性もあると言えばあるかもしれないね。それに《クリムゾン・ハイ》そのものも改造されたモノである可能性もある。何にせよ、これは一大事と言えるよ」

 

「アミュスフィアを改造って……そんな簡単にできちゃうものなの?」

 

 

 シノンの問いかけに俺は首を横に振る。アミュスフィアの改造など、ITに精通している――と自負している――俺でもどうにもならないものだ。ITに疎い人が出来るわけがない。

 

 

 ……それこそ、誰かからやり方を教わらない限りは。

 

 

「誰かが連中にアミュスフィアの改造のやり方を教えて、実際にやらせたとか、ですか」

 

「そう考えていいかもしれない。連中に裏があるのは確かだ。その裏の事はセブン辺りに調べてもらうのが良さそうだが……どうもチラつくものがあるね」

 

 

 イリスの口にした事に俺は引っかかった。チラつくモノとは何か。

 

 

「何かあるんですか」

 

「いやね、アミュスフィアの改造、クリムゾン・ハイの改造、すなわちチート行為なんて話が出てきたものだから、思い出したのがあったんだ。

 キリト君、GOC――《ゴッド・オブ・チート》って知ってるかい。もしくはGOM――《ゴッド・オブ・モッド》とも言うんだが」

 

「《ゴッド・オブ・チート》!?」

 

 

 その言葉に俺は思わず声を出して反応してしまった。急な事にシノンが驚いてしまっていた。

 

 

「《ゴッド・オブ・チート》? 何の事よ」

 

 

 シノンは知らなくて当然だ。これはゲーム、IT業界に深く突っ込んでいる者でないと中々知る事の出来ない存在なのだから。

 

 《ゴッド・オブ・チート》とは、とあるユーザーの通称のようなものだ。本名がわかっていないとされるそれは、主に海外の専用サイトにてゲームに使えるチートコード、MOD(モッド)を作って提供する活動をしている。

 

 MODを作る、チートコードを組むなどといった行為自体は、一般のゲームユーザーのやっている事と変わりがない。だが、そいつに至ってはそこら辺のユーザーのやり方やレベルが雲泥の差だった。

 

 そのユーザーの作ってくるチートコード、MOD、スクリプト、アドオン、コンフィグは芸術作品のように画期的かつ斬新なものばかりで、それらが提供されたゲームの遊びやすさ、快適さ、楽しさがガラッと変わってしまうほどのものだった。そのMODやチートのあまりの出来栄えに、海外のゲームニュースなどで取り上げられる事もあったという。しかもそれを基本的に無償提供してくるから、そのユーザーを多くのユーザー達が受け入れ、高く評価した。

 

 プロでさえ作るのが難しいようなチート、高品質のMODを平然と作ってアップしてきて、ユーザーをより楽しませ、ゲームをより盛り上げる。本来ならばメーカーがやるべき事を代わりにやってくれているそのユーザーの事を、メーカー側すらも受け入れ、そのユーザーが作ったMODを公式MODとして配布、配信する事すらも始めた。

 

 やがてメーカーはそのユーザーに多額の謝礼金を支払うようにもなり――いつしかそいつは、メーカーとユーザーの間で呼ばれるようになった。

 

 GOC、《God Of Cheat(ゴッド・オブ・チート)》。もしくはGOM、《God Of Modification(ゴッド・オブ・モッド)》と。

 

 

 その事を説明すると、シノンは少し驚いたような様子を見せた。

 

 

「ゲームをユーザーが改造してよりゲームを盛り上げるなんて……そんな事も出来るのね」

 

「あぁ。本来ゲームの改造をする事、改造データの配布なんかはご法度なんだが、場合によってはMODという形で受け入れられる事もある。海外のゲームなんかだとよくある事なんだよ。それで、《ゴッド・オブ・チート》の作ってくるMODはどれも桁外れで、高度な技術が使われているものだったらしい。《ゴッド・オブ・チート》自身も相当な技術者であると考えて間違いないんだが……」

 

 

 そこまで話したところで、俺は《ゴッド・オブ・チート》の話を持ち掛けたイリスに向き直る。イリスは伝えたい事が伝わった事を嬉しく思っているような不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

「イリスさん、もしかして《クリムゾン・ハイ》を改造して奴らに与えたのは、《ゴッド・オブ・チート》だって思ってるんじゃ」

 

「ふむ、流石はキリト君だね。よくわかってくれた。もしかしたらデジタルドラッグの改造は《ゴッド・オブ・チート》によるものかもしれない。あくまで可能性の一つだけど」

 

 

 確かに《ゴッド・オブ・チート》の技術力は桁外れだ。俺でさえ解析が難しいようなMODやプログラムを平然と作ってくるのだから、《ゴッド・オブ・チート》に手にかかれば、アミュスフィアやデジタルドラッグを改造する事も出来るのかもしれない。

 

 だが、《ゴッド・オブ・チート》は既に画期的MODの配布と配信で高い名誉と地位を獲得している。アミュスフィアの改造をするなどという、逮捕確実の重罪を犯すような行動に出るとは考えにくい。それまでの地位と名誉を投げ捨てるような事をするとは、俺には考えられなかった。

 

 

「まぁ、真相はセブンや運営に調べてもらわないとわからないから、やはり可能性の一つの域は出ないね。今は《ゴッド・オブ・チート》よりも、アインクラッド誕生の阻止を優先しよう」

 

 

 そう言ってイリスは話を終わらせた。彼女がこの話をしたという事は、《ゴッド・オブ・チート》と今回の事件が繋がっているように思えると感じているという事なのだろう。

 

 正体不明のMODの芸術家、《ゴッド・オブ・チート》。もしそれが今回、《クリムゾン・ハイ》の改造型をアミュスフィアの改造方法ごと、配布したというのであれば、その狙いは一体何なのだというのだろう。何を思ってそんな危険なものを作るに至ったのか。

 

 考えれば考えるほど、深いところまで進んでしまいそうだ。

 

 

「さて、もう一度確認させてもらうけれど、次に君達がやらなきゃいけない事は――」

 

「キリト君!!」

 

 

 イリスが言いかけたそこで、俺を呼ぶ声が飛び込んできた。仲間達の声で盛り上がっていた昼食会の会場は静まり、代わりにざわめきが起こるようになった。

 

 

「どうした?」

 

 

 俺は咄嗟に階段から飛び出し、部屋に戻る。その時仲間の皆が一つの方向に目を向けていた。誰もが戸惑っているような表情をしている。やがてその中の一人であったアスナが、声をかけてきた。

 

 

「キリト君、プレミアちゃんが!」

 

 

 元はと言えばこの昼食会を開いたのはプレミアの空腹を満たさせるためだった。そのプレミアがどうやらこのざわめきを起こさせている原因のようだが、どうしたというのか。俺は導かれるように、周りの皆の目線の先に視線をやった。

 

 

「……プレミア……!?」

 

 

 そこで広がっていた光景に、俺はか細く彼女の名前を呼ぶしかなかった。

 

 プレミアの持っているクエストは、アイングラウンドを崩壊させてアインクラッドを誕生させ、更に崩壊させる結末を招くようになっていた。だから俺達はこれ以上プレミアのクエストを進めないようにするという作戦を立てた。その作戦の中心となるプレミアは今、俺と目を合わせていた。

 

 

「わたしを、連れて行ってください」

 

 

 そう言ったプレミアの頭上に、黄色い《!マーク》――クエストマークが出現していた。

 

 打ち止めしなければならないはずのクエストが、進行していた。

 




――原作との相違点――

・《ゴッド・オブ・チート》が《ゴッド・オブ・モッド》とも言われ、ユーザーに人気。しかも警察にマークされていない。

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