キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 あと一話で第三章終了。

 


19:むがむちゅうのちから

          □□□

 

 

 

「ほほぅ、プレミアが君を……か」

 

 

 キリト、シノン、リラン、プレミアの四名は《はじまりの街》の大宿屋の一室に来ていた。

 

 《はじまりの街》のNPCに報告して、クエストを完了させた後、キリトは真っ先にイリスに連絡を飛ばした。プレミアやセクメトとの戦いで起きた事を相談したかったからだ。

 

 

 やはりちゃんと時間が確保していたという事もあってか、イリスはまだ《SA:O》にログインしており、連絡を付ける事が出来た。イリスは「話を聞いてやるから大宿屋に来てくれ」とキリトに返事をしてきて、キリト達はそれに従う形で大宿屋へ向かった。

 

 

 多数の冒険者で賑わう大宿屋の一角にイリスはおり、キリト達を見つけるなり「部屋を確保している」と告げた。プレミアやそれにまつわる話は他のプレイヤー達に聞かれるとあまりよくない話だし、拡散されたら大問題へ発展しかねない。

 

 キリトはもう一度イリスの指示に従い、イリスの確保した一室へ向かったのだった。

 

 そして部屋に辿り着くなり、イリスは椅子に腰を掛けるかと思いきや、テーブル付近の壁に寄りかかって話を聞くと言い出した。アインクラッドの第一層の《はじまりの街》にあった教会で話を聞いていた時と同じ様子を不思議に思いながら、キリトは三人を座らせて、イリスに事情を話したのだった。

 

 

 クエストに向かったらセクメトという《使い魔》に強襲された事。

 

 セクメトが《ビーストテイマー》も居ないのに紅い目になった事。

 

 ホロウアバター化の衝動に襲われた事、それをプレミアが鎮圧した事。

 

 そしてハトホルという猫竜(びょうりゅう)を連れた謎の《ビーストテイマー》に助けられた事、全てを。

 

 

 ほとんど全てを話したから、かなりの長さになってしまったけれども、イリスは何も変化を起こさずにキリトの話を聞き続けたのだった。

 

 

「ふむふむ、セクメトとかいう猫のドラゴンの出現に、プレミアによるカーディナルの防衛機構の鎮静化か」

 

「はい。俺達は前にもセクメトに襲われてるんです。その時はダメージを与える事で撃退できたんですが……イリスさんは何か心当たりありませんか」

 

 

 イリスは深い溜息を吐いた。そのまま両掌を広げる。

 

 

「これでも色んな事を知ってるつもりではいるけれど、流石にそんな《使い魔》に心当たりなんかないよ。そのセクメトが何なのか、誰も《使い魔》なのかなんて、全然わからない。

 わかる事と言えば、セクメトはエジプト神話に出てくる厄災と死の女神の名前であるって事くらいだ」

 

 

 原典のエジプト神話を解説した本も読書家のシノン/詩乃の記憶を介して、セクメトがどのような存在であったのかはキリトもほとんど理解できている。

 

 そしてイリスの反応も、予想のうちではあった。どんなに知識が豊富なイリスでも、セクメトやその《ビーストテイマー》の話を知っているわけがない。情報屋ではないのだから。

 

 

「やっぱりイリスさんでもわからないですよね。ログイン時間も少ないみたいですし」

 

「けれど、この世界のシステムの事だったなら、なんとなくわかる事はあるよ。キリト君、《使い魔》の単独行動って知ってるかい」

 

 

 きょとんとするキリトにイリスは説明した。

 

 《ビーストテイマー》の《使い魔》は高度なAIを搭載した存在であり、《ビーストテイマー》の指示を聞いて行動を起こし、時に並みのモンスターでは考えられないくらいの知性や挙動を見せる事もある。

 

 そんな《使い魔》をこの世界である程度育てていくと、《使い魔》が《ビーストテイマー》の傍を離れ、単独でフィールドに赴いたりする事が出来るようになり、マップやアイテムの探索を行えるようになる機能が、《SA:O》には備わっている。

 

 イリスの話をそこまで聞いたところで、キリトは思わず声を大きくして驚いた。

 

 

「《使い魔》を単独行動させられるんですか」

 

「そうさ。君のところのリランは最初からそうだけどね。単独行動した《使い魔》はフィールドに勝手に出かけて、アイテムを収集したりする事が出来るんだけど、その中で独自に戦闘を行う事も出来る。ここから、セクメトは単独行動中にキリト君達に襲い掛かってきているというのがわかるね」

 

「けれど、どうして私達を襲うんでしょうか。セクメトの《ビーストテイマー》は何を考えてセクメトに単独行動をさせてるっていうんですか」

 

 

 シノンの疑問はキリトも思っていた事だ。セクメトが単独行動をして自分達を襲う理由は結局なんなのか。何の目的があってそんな事をするのか。

 

 その答えを私が知るわけがない――そう言うようにイリスは首を横に振った。

 

 

「そんなのわからないね。でも、二度もキリト君達をセクメトが襲っているなら、セクメトの主人がキリト君達を意図的に攻撃してるのは明らかだ」

 

 

 キリトは自分の評判を思い出した。

 

 自分はかつてアインクラッドにて《黒の竜剣士》という二つ名で有名人扱いされていたが、このアイングラウンドでも同じように《黒の竜剣士》の二つ名の有名人とされている。

 

 プレイヤー達から注目を浴びているのだから、中にはちょっかいを出してくる者がいても不思議ではないけれども、セクメトの襲撃はちょっかいで済まされるレベルではなかった。

 

 明らかに明確な敵意と戦意がある。セクメトからは常にそんな気が感じられた。セクメトはきっと主人の自分への敵意、戦意を宿して攻撃を仕掛けてきていたのだ。

 

 自分に明確な敵意や戦意を抱く者と言えば、同じ《黒の竜剣士》の二つ名を持つジェネシスが真っ先に思い浮かぶ。しかしジェネシスにはアヌビスという《使い魔》がちゃんといるから、ジェネシスがセクメトの主人である可能性はゼロだ。

 

 その事がわかると、増々キリトはセクメトの主人がわからなくなった。

 

 

「俺を攻撃……セクメトとセクメトの主人は何のためにそんな事を……」

 

「けど、頻度がそんなに多いわけでもないから、これについて考えるのはあとにしよう。一番の問題は……プレミアだ」

 

 

 そう言ってイリスは視線をテーブル席に腰を掛けるプレミアに向けた。同じようにキリトも視線をプレミアに向ける。

 

 そうだ、最も明かさなければならない謎はプレミアにあるのだ。セクメトと戦っていて、セクメトが紅い目になった時、キリトは《衝動》に襲われた。

 

 そのまま呑み込まれて器にされると思ったが、そこでプレミアがキリトに接触してきた。するとキリトを呑み込もうとしていた《衝動》は消え去り、カーディナルの防衛機構の器にされるのは回避されたのだ。

 

 あの時どうしてあんな事が起こったのか、ずっとわからないままだったし、詳しく聞く余裕もこれまでなかった。

 

 イリスはきょとんとしているプレミアに向かっていき、その傍まで行くと、(かが)み込んで目の高さをプレミアと同じにした。

 

 

「プレミア、セクメトと戦ってる時、キリト君は危なくなったって聞いてる。けど、君がそれを収めたっていう話なんだけど……本当かい」

 

 

 プレミアは迷いなく頷いて見せた。すぐにその口を開く。

 

 

「はい。あの時キリトはまたあんなふうになりそうでした。わたしはそれが嫌でした。だから……」

 

「だから、キリト君を助けた。そうだよね」

 

 

 イリスに応じるようにプレミアは再度頷く。

 

 確かにあの時、プレミアはこれまで以上に必死な行動を見せた。そのおかげでキリトはカーディナルの防衛機構に呑み込まれずに済んだが、そのメカニズムなどは一切わかってない。

 

 キリトの疑問を代弁したように、イリスはプレミアに尋ねる。

 

 

「プレミア、君は何をしたのか覚えてないのかい。もしかしたら君の行動が今後のキリト君を救う手立てになるかもしれないんだ。教えられるなら、教えてほしい」

 

 

 プレミアは言葉を詰まらせた。徐々にその顔が下へ向いていく。

 

 あの時キリトはプレミアに何をしたのかと尋ねたが、プレミアは答えを返してはくれなかった。いや、答えてくれはしたけれども、何をしたのかは自分でもわからないという事だった。

 

 

「わたしにもわかりません。どうしてわたしがあのような行動を取れたのか。どうしてあの時あんな事が出来たのか……わたしにはよくわかりません」

 

 

 プレミアは顔を上げた。イリスの視線とプレミアの視線が交差し、互いの瞳に互いの姿が映し出される。

 

 

「イリスは物知りだと聞いています。教えてくださいイリス。わたしはあの時何をしたのでしょうか」

 

 

 イリスはあの現場にいたわけではないし、プレミアの事を理解しているわけでもない。だから聞いたところで満足な答えが返ってくるわけがないのは確かだが、プレミアの瞳は真剣そのものの光を宿していた。

 

 その光を見つめた数秒後に、イリスは深い溜息を吐いた。

 

 

「……わかるわけないか」

 

 

 イリスが発したのはプレミアに向けた言葉ではなかった。しかしプレミアは少し驚いたような反応を返した。

 

 

「えっ、わからないんですか」

 

「君自身さえ理解できてない事を私が理解できるわけないだろう。君がわからないんなら、私にだってわからないよ」

 

 

 プレミアは落胆するように肩を落とした。満足のいく答えを聞けなかったというのが明確にわかる様子だった。

 

 その肩に、イリスは手をぽんと乗せる。

 

 

「けれど、ちょっとだけわかる事はあるよ。君はその時、キリト君を助けようと必死になってて、それ以外の事はよくわからなかったんだろう」

 

「えっ。あぁ、はい。キリトを助けたいという事以外、何もわかりませんでした」

 

「そういうのを無我夢中って言うんだよ。詳しい事は何も言えないけど、君はあの時無我夢中になってキリト君を助けたんだ」

 

 

 プレミアはきょとんとし続ける。

 

 

「むがむちゅう……」

 

「そう。無我夢中になった君にキリト君は助けられたんだから、君の無我夢中にはキリト君を助けるだけの力があるって事さ。少なくとも、これだけは理解しておいた方がいいよ」

 

「わたしのむがむちゅうが、キリトを助けた……わたしのむがむちゅうは、キリトを助ける……」

 

「そうだよ。きっとこれからもキリト君は危なくなる時があるだろう。だからその時はまた君が無我夢中になってキリト君を助けるんだ。深く考えるのはあとでもいいから。ね?」

 

 

 まるでプレミアの母親にでもなったかのような口調と声色で、イリスは言った。対するプレミアはしばらく黙ってイリスを見つめていたが、やがてその表情を穏やかな微笑みに変えていった。――まるで母親から教えを受けた子供のように。

 

 

「……わかりました。わたしのむがむちゅうはキリトを助けられます。だから、これからもキリトが危なくなった時は、わたしが《むがむちゅうのちから》を使ってキリトを助けます」

 

「そうしておくれ。キリト君には君の力が必要なんだから」

 

 

 プレミアが再度頷くと、イリスはその手をプレミアの肩から離した。プレミアは隣のシノンやリランに声をかけ始める。

 

 イリスとプレミアの会話。それは本当の親子のものに見えるようなやり取りだったが、その内容は瞬時に呑み込めるようなものではない。

 

 イリスがプレミアから離れたのを見計らって、キリトはイリスに歩み寄り、小声で話しかける。

 

 

「ちょっとイリスさん、まだ確信もないのにそんな事をプレミアに言って……」

 

「確信? 確信ならあるじゃないか」

 

「え?」

 

 

 先程のプレミアのようにきょとんとするキリトへ、小声でイリスは応じる。プレミアやその他の少女達は気付いていない。

 

 

「君はセクメトとの戦いでカーディナルの防衛機構に呑み込まれそうになったけれども、プレミアがそれを防いだ。これはプレミアがカーディナルの防衛機構を弾いたって事なんだよ。つまりプレミア、あの娘にはカーディナルに干渉する力、或いはそんな機能が搭載されているという事になる」

 

「プレミアがカーディナルシステムに干渉できる……!?」

 

 

 驚きべき話だ。プレミアはこの世界、《ソードアート・オリジン》に生きるNPCの一人だ。そして《ソードアート・オリジン》はカーディナルシステムによって制御、支配されており、誰もがカーディナルシステムに逆らったり、歯向かったりする事は出来ないようになっている。

 

 その絶対的支配者であるはずのカーディナルシステムの行動を、一人のNPCでしかないプレミアが防げるはずなどない。

 

 

「そんな事がありえるんですか」

 

「ありえるも何も、彼女は実際にそれをやってのけたんだろう。という事は、彼女にはカーディナルシステムに干渉できるって事にしかならない。設定が《Null》になってるとか、クエストがダミークエストになってただとか、解せない点も沢山あったけれど、まさかそんな事まで出来るようになっていたとは、私も読めてなかった」

 

 

 プレミアは以前から様々な不具合や、その他のNPCでは考えられないバグや仕様を抱えていた。今ではある程度解消されはしたものの、どうしてそのような事になっているのかは今現在でもわかってはいない。そこに今回、また不可解な点が加えられてしまった。

 

 尚更プレミアは理解しがたい存在になってしまった――キリトはそう思うしかなかった。そのキリトを横目にしながら、イリスが腕組をする。

 

 

「問題はどうしてそんな事になってるのか、どうしてそんな事がプレミアにできたのかという点だけど……これは予想以上に複雑な事になっていそうだ。是非ともコンソールにあたりたいところだね」

 

「コンソール? そんなものがあるんですか」

 

「あるよ。運営や開発者がこのゲームの中からこのゲームの中身を見る事が出来るようにって、専用のコンソールが設置されているんだ。それこそSAOの時みたいにね」

 

 

 SAOの時にも、第一層の地下ダンジョンの最奥部に、ユイ達《MHCP》、リラン達《MHHP》が使用する事の出来るコンソールが人知れず設置されていた。あれがゲーム開発において重要なモノならば、この世界で設置されていても不思議ではない。

 

 それにイリスがこう言っているのだから、真実なのだろう。

 

 

「もしかしたらこの世界のコンソールにアクセスしてみれば、何かわかるかもしれない。彼女の《聖石》を探すついでに、探してみた方が良さそうだ。流石に彼女について何もわからないままは拙いと思うし」

 

 

 イリスの言葉には同感だ。プレミアのクエストは進行しており、プレミア自身もどんどん成長してきているが、不具合がなくなっているわけではないし、今回また未知の力がある事が判明した。

 

 ここまでの不可解な要素を抱えているプレミアは、運営からすれば極めてイレギュラーな存在だ。運営にプレミアの事を掴まれてしまったら、最悪消去処分にされるかもしれない。

 

 それを防ぐためにも、プレミアの抱えているものについて解明する必要はある。イリスの言うコンソールを探し出す必要性はあるだろう。

 

 

「わかりました。ひとまず皆に言って、探してみます」

 

「そうした方がいい。見つけたら私の娘達を同行させたまえ。彼女達ならばコンソールにアクセスし、色々な情報を掴み取る事が出来るだろう。それに――」

 

 

 言いかけて、イリスはくるりとキリトに向き直った。

 

 

「今言ったように、プレミアにはカーディナルの防衛機構を防ぐ力がある。だからキリト君、今後はなるべくプレミアと一緒に行動した方がいいよ。彼女ならばきっと、君からカーディナルを守ってくれるはずだ」

 

 

 確かに自分達はこれまでずっとプレミアと一緒に過ごしてきたし、フィールドに出る事も多かった。

 

 しかし、危険な戦いが起こりそうな時は連れて行かないようにしていた。プレミアにとってこの世界はデスゲームであり、《HPバー》の全損が死に繋がるようになっているからだ。

 

 死の危険から彼女を遠ざけるためにも、絶対にいつも一緒にいるという事はしてこなかったし、プレミアから言われても首を横に振ってきた。

 

 

「そんなの危険すぎます。彼女にとって危険な戦いに行くのは……」

 

「そう、死に繋がる危険行為だ。けれど、カーディナルの防衛機構に呑み込まれた時の君は死に瀕するくらいの危険な状態になった。カーディナルの防衛機構の器になれば、それだけ君が死に近付いてしまう」

 

「……」

 

「プレミアはそれを防ぎたいと思っている。君をカーディナルから守ろうという意思を抱いているよ。ここは彼女の意志を優先した方がいい。そうすれば君のためにもなるし、彼女のためにもなる。まさにWin(ウィン)-Win(ウィン)じゃないか」

 

 

 イリスの言葉に反論できなかった。

 

 プレミアはずっと自分を守りたいと言っていたし、現にそのための行動をいくつも見せてきていた。彼女の中には確かな意志が存在している。どんなに危険に曝されるような事になっても、自分を守りたいという思いが、彼女にはあるのだ。

 

 その意思を跳ね除けようという気には――ならなかった。

 

 

「プレミアの事を守らなきゃいけなくなるけど、それはこれまでも同じだ。プレミアはあんなに可愛い娘だ、その意思を尊重してやっておくれ。私からのお願いだよ」

 

 

 これまで自分はプレミアの生命を守るべく戦ってきた。それは今までずっと失敗してこなかった。これまでどおり戦い続ければ、きっと最後まで行く事が出来るだろう。そのための力はあるし、必要ならば高められる。

 

 俺の使命はシノン/詩乃を守る事だが、この世界にいる時のみ、その中にプレミアを加える――胸の中で思ったキリトはイリスの瞳を見つめ返し、頷いた。

 

 

「……わかりました。けど、あんたもそのための力を貸してくださいよ」

 

「あぁ。あの娘のためだ。私も力を存分に振るわせてもらおう。《むがむちゅうのちから》を持つ彼女のためにもね。それに君にはシノンの贈ったお守りも付いてる。プレミアの力がなくても大丈夫だとは思うけれどね」

 

 

 そう言って、イリスはプレミアに向き直った。キリトは右手に目を向ける。シノンが贈ってくれた腕輪が照明の光を浴びて煌めいていた。

 

 プレミアの力のおかげであの時は助かったけれど、そんな何回もプレミアに助けてもらうわけにはいかないし、そのつもりもない。

 

 自分にはシノンのお守りの加護がある。基本的にはこれでなんとかしていかねば。そう思いながらお守りを見ていると、意思が強くなったような気がした。

 

 その直後、キリトは次の事を思い出して話しかけた。

 

 

「そういえばイリスさん。セクメトと戦ってる時、ある人に助けられたんです」

 

 

 ぴくりと反応を示し、イリスはキリトに向き直った。

 

 

「ある人?」

 

 

 キリトはもう一度頷いて、セクメト戦の時に現れた猫竜、ハトホルを操る《ビーストテイマー》の事を話した。イリスはその話を食い入るように聞き、何度も頷いて見せ、話が終わったところでその口を開けた。

 

 

「ほほぅ、君達を助けた《ビーストテイマー》か。そしてそれもまたセクメトと同じ猫の竜を操っていたというのかい」

 

「はい。名前も何も教えないでいなくなってしまって。でも、俺はその人の事を知っているような気がしてならないんです。昔どこかで出会ったような気がして……」

 

「その人の事は思い出せないのかい」

 

「……はい。思い出そうとしてるんですけれど、やっぱりうまく思い出せなくて……イリスさんは何か知りませんか」

 

 

 イリスはもう一度両掌を広げた。キリトの予想していた仕草だった。

 

 

「おいおい、私は君の昔を理解してるわけじゃあないんだよ。そんな事聞かれたって答えようがない。それにそんな人を知っているかと言われたら、ノーだよ」

 

「やっぱりそうですよね……」

 

「そういう話はアルゴとかに聞いてみるといいさ。でも、その人があからさまに君を助けたんなら、味方であると思っていいと思う。変な敵ばかりじゃなくてよかったじゃないか」

 

 

 確かに、あの女性は確かに自分達の事を助けてくれた。そして自分の事を知っているようだった。イリスの言っている通り、あの女性は味方であると考えていいだろう。

 

 しかしあの女性もまたプレミアと同じように謎だらけだ。今度もし出会う事が出来たのであれば、名前を聞いて確かめなければ。

 

 そう思っていたそこで、プレミアが席から立ち上がった。そのままとことこと歩き、キリトの許へとやってきた。

 

 

「キリト、これからもわたしがご一緒します。キリトがまた危なくなったその時は、わたしの《むがむちゅうのちから》でお助けします。《むがむちゅうのちから》で、わたしがキリトを守ります」

 

「え?」

 

 

 キリトは思わずぽかんとしてしまった。

 

 プレミアはきっと自分がカーディナルの防衛機構に呑み込まれそうになっても、先程のように助けてくれるつもりでいるのだろう。その時に使う力の事を言っているようだが、それを《むがむちゅうのちから》と言って、そういうふうに覚えてしまっているように思える。

 

 確かにあの力の名前はわかっていないけれども、《むがむちゅうのちから》なんて名前は流石にどうだろうか。

 

 

「プレミア、《むがむちゅうのちから》なんてないぞ。無我夢中っていうのは、あくまであの時の君の状態であってだな」

 

「そうです。あの時わたしはむがむちゅうだったから、力を発揮できました。だからあの力は《むがむちゅうのちから》なのです」

 

「そ、そうだけれど、でも《むがむちゅうのちから》っていうのは……」

 

 

 キリトは眉を寄せながらイリスに向き直った。イリスは悪戯っぽく笑っている。そもそも無我夢中なんて言葉をプレミアに教えたのはイリスだ。教え方こそは間違っていなかったのかもしれないが、プレミアは明らかに間違って解釈してしまっている。

 

 

「い、イリスさん、プレミアがなんか間違えてますよ?」

 

「間違えてないだろう、彼女の持ってる力の名前は私も知らない。でも名前は必要だろう。だから《むがむちゅうのちから》でいいじゃあないか」

 

「よくありませんって!」

 

「プレミア、キリト君には君の《むがむちゅうのちから》が必要だ。これからも《むがむちゅうのちから》でキリト君を守るんだよ」

 

 

 言われたプレミアは頷き、「《むがむちゅうのちから》!」と応答。完全にそういう名前で認識してしまった。

 

 キリトもシノンも、リランも落胆と苦笑をし、イリスは大笑いした。

 

 しかし、直後にイリスが出口の方へ向かい出したのにシノンが気付いた。

 

 

「イリス先生、どこに?」

 

 

 イリスは顔を上へ向かせながら少しだけ振り向き、横目でこちらを見てきた。昔の映像作品で見た事があるような気のするその仕草をキリトが不思議がるなり、イリスは答えた。

 

 

「可愛い我が娘達のいるこの世界に、せっかくログインできたんだ。たまには我が娘達に母親らしい事をやってあげたいと思ってね。()()()()()()()()()()()()から、残りの娘達にもやったげないと」

 

 

 イリスは上向き加減をやめて、身体ごとしっかりと向き直る。

 

 

「それとシノン、リラン。後でアスナ達が見つけたっていう温泉に入りにいかないか。勿論他の女の子達も誘ってさ。皆で湯に浸かりながらガールズトークと洒落混もうじゃないか」

 

「あ、いいですね。私もイリス先生とお話ししたくて」

 

「温泉なら我も賛成だ。お前の言う母親らしい事に付き合おう」

 

「そうだろう。それじゃあ、娘達と一緒に女の子達にも声をかけてこよう」

 

 

 イリスは数回頷いた後に、キリトへと顔を向けた。再び悪戯っぽい笑みを浮かべて。

 

 

「キリト君はどうするね。私達と混浴するかね」

 

「な、何言ってんですか!? 流石にしませんよ、それは!」

 

「いやいや、あの温泉って混浴もできるみたいだよ。君は女の子が平気だから、どうって事ないだろう」

 

 

 確かに自分の中に詩乃の記憶が入り込んでからというもの、女性の身体というものに対して思い、感じるものが少なくなった。

 

 そのため、やろうと思えば女の子達と混浴しても何も思わずにいられるのだが……そんな事をすれば他の女の子達がどう思うかなどに見えている。

 

 

「お願いですから、温泉は女の子の皆さんで楽しんでください。俺は待ってますんで」

 

「そっか。ならば仕方ない、温泉についたら男子禁制のブロックで入浴するとしよう。ただ、アスナにユピテルも連れてくるよう言っておくから、君も来たらどうだい」

 

「そういう事ならご一緒します。それ以外はやめてください」

 

 

 正直に言うと、イリスはもう一度軽く笑い、宿屋を出ていった。なんだか嵐が過ぎ去っていったような気がして、キリトは深い溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

         □□□

 

 

 

 宿屋を出たイリスは、商店街エリアを歩いていた。

 

 来る途中にウインドウを開いてフレンドリストを確認してみたところ、娘達を含んだ女子達のほとんどがログインしている事がわかった。

 

 各々別な場所に散らばっているけれども、メッセージを届ける事はできるから、この街中に集める事は容易だ。女の子達が皆ログインできているとは、今日はかなりいいタイミングでログインする事ができていたらしい。

 

 

「……ふふん」

 

 

 そんな事を考えつつも、頭の片隅でイリスは思い出していた。先程キリトは面白い話をしていた。

 

 いや、キリト達の話はいつも面白いけれど、今日に限っては群を抜いて面白いものだった。その中で最も面白かったのは、ある女性の話だ。

 

 その話を少し思い出すだけで、口角が上がってきそうになる。

 

 

「まさかそこまでやってのけるとは。随分と大きな一歩を踏み出す事ができたみたいじゃないか」

 

 

 ついつい独り言を口にしたが、周りのプレイヤー達が聞いているような様子はない。いや、聞いていたとしてもその意味を理解している事などありはしない。プレイヤー達の話なんて、SAOの時から、そんなものでしかないのだ。

 

 しかし、キリトを助けた女性プレイヤーは違う。最初からそうは思っていたが、その読みは外れていなかった。予想通りではあった。

 

 

「さてと、次の行動はどんなものになるんだろうね。出来れば教えてもらいたいけれど、そうもいかないか。それに、名前くらいは教えられそうな気もするんだけど……まだまだ先になりそうかな」

 

 

 少し大きめに言ったつもりだったが、周りのプレイヤー達が聞いている様子はなかった。だが、このまま変に独り言を言うべきではないだろう。察したイリスは鼻で溜め息を吐いて、前方へ向き直った。

 

 

「やったぁ! やっと作ってもらえたよ!」

 

 

 その時、少し離れたところから聞き覚えのある声がした。振り返ってみればカフェテラスがあった。《はじまりの街》の商店街エリアの北側、展望台にあるカフェだ。

 

 思考を巡らす事に夢中になっていて、いつの間にか展望台にまでやってきていた事に気付かなかったようだ。

 

 よくない事をやってしまった――そう思いながらも、イリスは声のしたカフェテラスを注視する。沢山のテーブルと椅子が設置されていて、そこにかなりの数のプレイヤー達が腰を掛けて、各々会話やカフェタイムを楽しんでいる。

 

 

 その中に、一際目立っている――ように見える気がする――プレイヤーが二人。

 

 紫色の長い髪の毛と赤いリボン、髪とはまた違う紫色を基調とする、軽いデザインの衣服で身を包んだ少女。

 

 それと向き合って座っているは、黒に極力近しい茶色の長い髪の毛を一本結びにして下ろしている、黒と緑を基調とする、洋服と和服が混ざり合ったようなデザインの服装と藍色の瞳が特徴的な青年。

 

 

「あれは……」

 

 

 SAOの時に出会い、アスナやユピテルと一緒に暮らしていた凄腕剣士の少女と、ALOで出会ったキリトの親友。

 

 

 ユウキとカイムだった。

 

 

 




 次は、この二人のお話。

 そしてイリスの意外なお話をちょっと。

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