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「さてと、何とか待ち合わせの時間に戻って来る事が出来たわね」
「ここまで来るのに魅力的なものが沢山あったが、我慢できてよかったよ」
行き交う人々で賑わう街の中、すぐ右隣に寄り添って歩くシノンに答えつつ、キリトは周囲に気を配る。近くにはアスナ、リズベット、シリカが一緒に歩いていて、すぐ左隣りにはリランの姿もしっかりとあるが、その全員が通り過ぎていく街並みを興味津々そうに見ている。
唯一感情表現を顕著に出来る耳と尻尾を持つリランなんか特に、頭の耳を
目にしたリズベットが注意するように言う。
「まだ駄目よ。まだ魅力的なところが沢山あるんだから、気を付けて行かないと。特にキリトとリランね」
「シノンさん、キリトさんとリランさんの事をしっかりと見ててくださいね」
「えぇ、二人の扱いに慣れてるのは私だから、任せておいて」
シリカに言われるなり快く返事をしたシノンに、キリトもリランも少しぎょっとする。今現在キリト達が歩いているのは転移門広場を抜けた先にある、広大な商店街エリア。目指しているのはその最奥部に位置する大宿屋だ。
このゲームにログインする前にキリト達は連絡を取り合って、ログインした時にどこで合流するかを会議した。その中で、「ログインした時に合流する地点は宿屋にしよう」というアスナの提案が採用され、尚且つ時間は午後の二時にする事をリズベットが提案し、採用。一同はこのゲームのクローズドベータテスト初日、午後二時に宿屋に集まる事を決定。
ゲームの発売日を待ち望むプレイヤーそのものとなってその日を待った。
だが、この場の六人は約束の時間よりも一時間三十分早くログインしてしまい、皆よりも早く転移門広場で合流する事となった。その時にはまた、「降り立った街を六人で練り歩こう」という提案をリズベットがしたが、キリトが待ったをかけた。
この街は《この世界》に存在する街の中で最も広大に作られていて、《あの世界》の時にはなかった要素、もしくは懐かしさを感じる要素で満たされている魅力的な場所。
歩き始めたら確実に約束の時間に宿屋へ行けないだろうというキリトの判断によって、六人はひとまず現時点で向かう事の出来るフィールドへ出て、モンスターの観察や軽い戦闘を行う準備運動を行っていたのだ。
「けれど、何だか不思議。戻って来たくないところだったのに、戻って来れた事に嬉しさを感じてる。こうしてこの街を歩けてるだけで、もう楽しい」
「あぁ、それは俺も思う」
周囲の風景を楽しむアスナには、キリトも頷くしかない。
元々《この世界》は《あの世界》のコピーであり、この街もそこから複製された街というべきだ。そして、《あの世界》ではここからあの四千人もの死者を出したデスゲーム、自分達の戦いの日々が始まっていった。
自分達を含めた様々なプレイヤー達の健闘、死闘によってデスゲームを終わらせた時には、何も残す事無く現実へ戻って来れたとばかり思っていたが、こうして《あの世界》から複製された街を歩いている事自体に嬉しさを感じている事は、やはり《あの世界》に残してきたモノは多少なりともあったという事に他ならないのだ。
皆と合流したら、もう一度この街を、この世界を練り歩いてみよう――キリトがそう思った時には、一同は既に宿屋の前に着いていた。
如何にも中世の西洋ファンタジーをイメージしているかのような外観の建物が連なる中に存在する、一際大きな宿屋。その出入り口の戸を開けてみた時に出迎えて来たのは、木材と土壁で構成された外観に違わないシックな内装。
かつて《あの世界》で何度も行き来する事となった《あの街》の大宿屋の内装そのものであり、《この街》の構造、街並みを見た時と同じように懐かしさを感じざるを得ない風景。
「あっ、来た来た!」
「こっちこっち――!」
エントランスへ一歩踏み出したのと同時に、奥から声が聞こえてきた。一つだけではなく、いくつか声色が混ざり合った声がキリト達を呼んでいる。しかもそれは《あの世界》の時からずっと聞いているものだ。
応じるように発生源に向き直ってみれば、そこにあったのは大きさと形が異なっている人々の姿。数えて
「悪いな皆。ちょっと待たせちゃったか」
「大丈夫だ。オレもリーファっちも今来たところだし、他の皆も同じような感じだ」
「そうそう。おにいちゃん達が来るまでに皆揃ってたんだよ」
そう言って来たのが頭にバンダナを巻いていて、和風の要素を取り込んだ衣装を纏った、無精ヒゲの目立つ赤茶色の武士のような青年。
キリトを兄と呼び、クラインというアバターネームである青年からリーファと呼ばれたのが、金色の長髪をポニーテールにし、露出度が比較的高い緑色を基調とした服に身を包んだ、大きな胸が目立つ
「ここまで遅れて来たという事は、さてはお前さん方、バトルして来たな」
「いいなぁ。アタシも戦いたくてうずうずしてたんだよ!」
「初日からいきなりバトルするなんて、やっぱりキリトの
「よかった。皆でちゃんと揃えれたみたいだな」
クラインとリーファに続いて声掛けをしてきたのは、深緑色の服の上から鎧を纏う、濃い
そして青と白を基調としているオフショルダーとスカートが目に入る衣装を着た、オレンジがかった金髪をはねたショートにしている青色の瞳の少女と、前者とはまた違う色合いの青色の服の上から白色の胸当てとガントレットを装着している、凛とした顔立ちと顔の両側へウェーブする鮮やかな青い髪が特徴的な青年。
それぞれエギル、ストレア、フィリア、ディアベルという、キリトの《SAO》の時からの付き合いが続いている、顔も声も知れた仲の四人のプレイヤー達。幾度も死線を潜り抜けてきた最高の仲間。
よかった、この六人もちゃんと来れている。その事にキリトが安堵するより先に、更に二人程声をかけてきた者達が居た。
「キリト君、合流できたね」
「キー坊、この世界でも相変わらず黒ずくめカ」
片方は先端が紫がかっている、とても長い赤い髪の毛が目を引く、赤、黒、白の三色で構成されたメイド服を思わせるデザインの服を着た、オレンジ混ざる金色の瞳の少女。
もう片方は、フードを被っているけれども動物の毛のようにふさふさとした金髪をセミロングにしているのがわかる、腹部を露出した軽装を身に纏い、顔に猫の髭を思わせる赤い模様を入れている少女。
キリト達が知らない間に《あの世界》で奮闘し、時には手を合わせて戦う事もあった二人の姿もこの場にある。その事が純粋に嬉しく感じたキリトは、その声に応じる。
「レインにアルゴ、君達も来れたのか」
「うん、何とか来れたよ。と言っても、あまり時間は
「そっか。君もここに戻って来るなんて、やっぱり物好きだな」
レインと呼ばれた少女がふふんと笑むと、隣でアルゴの名を持つ少女が呆れたような顔をする。
「キー坊、それをお前に言われたらおしまいダ。というか、それならこの場にいる全員が物好きって事になるゾ」
「それもそうだな」
《あの世界》からの付き合いの者達は変わらず集まっている。皆この世界に警戒せずに来る事が出来たようだ。それをキリトが口にしようとしたその時に、また聞き覚えのある声が飛び込んできた。向き直ってみれば、同じく《あの世界》からの付き合いである少女と少年の姿。
「やっほーキリト。ボクもログイン出来たよ!」
「ボクもじゃなくてボク達も、でしょ」
最初に発言したのが紫色の長髪と赤色のカチューシャ、髪とほとんど似た色のスカート系装備に身を包んでいる、如何にも元気そうな顔と赤みがかった大きな瞳が特徴的な少女。
そこに言葉を付け加えたのは、和服と洋服の要素を含む服を着ていて、極限まで黒に近しい茶髪をセミロングにし、小さな下げ髪を作っている、藍色の瞳の少年。
その二人にはキリトも思わず注目して、応答する。
「ユウキにカイムも来れたんだな。けれど、ユウキは今日は来れなかったんじゃないのか」
「そのはずだったんだけど、病院の検査が予想外の早さで終わったから、皆との約束の時間に来れたんだよ。その時はカイムも一緒だったんだ」
《あの世界》に不慮の事故の形で巻き込まれ、最後まで健闘を続けて脱出する事に成功し、ALOでは《絶剣》の異名を持つ剣の実力者である、ユウキと呼ばれた少女がカイムと呼んだ少年は、窓の外を見ている。
「ここが、ぼくが来るかもしれなかったところかぁ……」
一度は《あの世界》に行く事になったけれども、予定が重なって行く事が出来なかった。そのおかげで《あの世界》がデスゲームとなった時、巻き込まれずに済んだという特殊な経緯を辿っていて、この世界でもユウキの傍に居る事を変えていない、自身の親友の呟きをキリトは聞き逃さなかった。
「あぁ、そうだ。お前が来るかもしれなかったけれど、来れなかったところだ」
「そうだね。けれどついにぼくは、君と一緒にここへ来れた」
「そういう事だな。お前とここに来れて嬉しいよ」
嬉しさと不思議さが混ざり合ったような複雑な表情をしている親友を認めた後に、背後を駆けていく気配をキリトは察して向き直った。
後方にいるアスナの目の前に、白い生地の中に水色、青色のラインの入っているパーカー、半ズボンを着込んだ、白銀の長髪をアスナの髪型に少し似たものにしている小さな少年が姿を現していて、それが今の気配の正体である事を咄嗟に察する事が出来た。
「ユピテル! あなたもちゃんと来れたんだね」
「そうだよかあさん。ちょっと遅れたけど、来れたんだ」
外観は十歳くらいに見えるが、言動は小学校上がりたてくらいに感じられる男の子。その子をユピテルと呼んで、その海のような青い瞳を見ているアスナの顔には、明確な喜びの表情が浮かんでいた。注視してみれば、息子を見ている母親の顔付きに似ていなくもない。
もしかしたら何か拒否してしまい、この場に集まる事も、《この世界》に来れないかもしれない可能性を抱えていたユピテルと、その保護者のアスナ。それは杞憂に終わり、この二人もこの場所に揃う事が出来たのだ。
――それを確認して前方に向き直ったその時に、キリトは軽く驚く。目の前に、いつの間にやら一人の少女が姿を現していたのだ。
「パパ、ママ、お帰りなさい。皆さん、ちゃんと揃っていますよ」
そう言われるなり、キリトは安堵の表情を浮かべて少女の目を見る。黒色の瞳の中には、自身と隣に並んでいるシノンの姿が映っていた。
「あぁユイか。一時はどうだと思ったけど、お前も来れたみたいで何よりだ」
「またこうして、私達は揃う事が出来たのね、この場所で」
「そうですよ。またわたし達は集まれたんです!」
ユイと呼ばれた小さな少女の笑みを認めてから、キリトは顔を上げる。
呪われしゲーム、悪魔のゲームなどと呼ばれる事となった《あの世界》を共に生き延びた仲間達。どんな困難も乗り越えてきた最高の友人達の姿がこの場に存在している事を改めて確認すると、胸の中に大きな喜びが突き上げてきて、キリトは大きな声を出した。
「皆、俺達は帰って来たわけじゃない。だけど、俺達がここに集まれている事は事実だ。皆がいるこの世界が、今日から俺達が攻略するゲームだ! また皆で、思い切り遊ぼうぜ!!」
いつかを思い出させるようなキリトの号令に、《あの世界》を生き延びた者達全員で「おぉー!」と声を張り上げた。
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ゲームのタイトルが発表されると言うのは日常的光景だ。それが世間の話題を
だが、西暦2026年のある日に突然発表されたそれは、世間の話題と注目をいっぺんに持って行ってしまった。
突拍子もなく世に出てきたその名前は瞬く間にユーザー達の注目と驚きを誘い、やがてそれは世間そのものの注目を集める事となり、ゲームに関連したブログでは毎日のように取り上げられ、ユーザー達の間で様々な話やコメントがなされた。
《
あの茅場晶彦がリーダーとなって発売されたものの、ゲームオーバーになった者は現実でも死に至るという事から《悪魔のゲーム》と称され、四千人もの死亡者を出した《ソードアート・オンライン》に酷似した名前を冠するそのゲームの話は、油に火をつけたかのように広がって世間の注目を掻っ攫った。
それだけではなく、この《
だが、これに対して製作会社は絶対安全を謳い文句としているアミュスフィアを対応ハードウェアとし、尚且つ自分達製作会社及び運営会社が政府機関の厳密な監視を受けているという事を発表すると、その批判の声はどんどん下火となっていき、炎上する前に消え果てる事となる。
しかも開発にはアメリカ、日本で注目を浴びる最年少天才科学者である七色・アルシャーピン/セブンも名を連ねており、それもまた批判の声を取り払う理由となっていた。
しかし、当人であるセブンの話によれば、この《SA:O》の真の目的とは、フルダイブ技術の発展のための様々なデータを取る事にあり、自分はあくまで世間の批判を
セブンにとって何の旨味もない《SA:O》への協力。そんなものを承諾して参加した理由とは、フルダイブ技術の可能性というものを追い求めるため。
茅場晶彦がキリト達に託した、《ザ・シード》と呼ばれるフリーソフトウェアの拡散。これによって、条件をそろえる必要こそあるものの、誰でも手軽に仮想世界を作り出せるようになり、無数のVRMMOが生まれていく時代が始まった。
その中で、《ザ・シード》を同じように採用し、更に《SAO》のサーバーとデータを流用したこの世界にはどのような可能性が存在するのか。それを追い求めていきたいという科学者らしい好奇心によって、自身は開発陣に名を連ねる事を許可する協力をしたと、セブンは言った。
そしてそのセブンこそが、自分と深い縁のあるキリト達に一通の招待状を送ったのだ。《SA:O》のクローズドベータテストに参加できる権限を手に入れられるアドレスを付与して。
一見すれば新しく発売されるゲームをいち早くプレイできる、喜びを感じざるを得ない代物だが、中身は何気なくログインした罪のないプレイヤー達を勝手に閉じ込めた者が創立者であり、自分達を常に監視し、いつでも殺す事の出来る者が管理者となっていた、《あの世界》に酷似した世界へ行くためのチケット。
いくらセブンからの招待とあっても、ゲーマーであるキリトもその仲間達も、それを受け取ってからは悩む一方で、新しいゲームのベータテストの権限の封を開けるという最初の一歩を踏み出す事は中々出来なかった。キリトでさえもそのまま招待状を破り捨てるように断る選択肢も、放置してALOへ逃げる手段を取る選択肢を用意したくらいだ。
だが、結果としてキリトも仲間達も意を決し、《あの世界》に酷似した世界、《SA:O》に飛び込む事となった。
理由はセブンがフルダイブ技術の可能性を追い求めているという同じ気持ちを全員で胸に抱いていたからであるが、それより大きかったのは自分達にとってはもう一つの現実世界である《あの世界》に酷似した世界に行ける事への探求心だ。
悪魔のゲーム、悪魔の世界と称された《あの世界》は、確かにそう呼ばれるべき世界であった。目の前で人が死んでいく光景を見せられる事もあれば、自分が本当に死ぬかもしれないと言う恐怖に晒される事もあった。
けれども、自分達はあの世界で間違いなく二年間生き続けて、その中で確かなモノを築き上げたのも事実であるし、その証拠がSAO生還者達で遊び合える事そのものだ。それを否定したくなかったからこそ、キリト達はセブンからの招待状のアドレスをクリックし、自身の使っているアミュスフィアに《SA:O》のベータテスター用のアプリケーションをダウンロードし、降り立ったのだ。
現実性融合ネットワーク――《Actuality Integration Network》の頭文字を取って付けられた、《ソードアート・オンライン》の舞台、《アインクラッド》に酷似した名前を持つ、《アイングラウンド》へ。
その《アイングラウンド》に降り立った時の開始地点――他のVRMMOならロビーという呼称がされる事の多い――に存在する街に、キリト達は居た。
《アインクラッド》でもかなりの頻度で向かう事となった、冒険を始めるための基礎的なもの、必要なものが一通り取り揃えられている街。
忌まわしきデスゲームの始まりを告げる鐘が鳴らされた場所でもあり、世界の管理者が存在している事を教えるためのセレモニーが行われた場所でもある。
《はじまりの街》という簡素な名前で呼ばれる、《アイングラウンド》最大の拠点である街の宿屋こそが、今のキリト達の居場所であった。
――補足――
◇◇◇→キリトの視点
□□□→キリトも含めたその他の視点
――原作との相違点――
・《SA:O》が《ザ・シード》によって作られている。