キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:楽しき日の終わり

「さてと、これで君達とはお別れ、だね」

 

 

 夜七時三十分頃 東京駅の中

 

 買い物やその他様々な観光を終えた和人達は、お台場を後にして、東京駅へと戻ってきた。お台場で昼食を取った和人達は、一旦ショッピングモールを出てお台場近辺の観光を楽しんだ。その中でもほんの少しだけ買い物もしたけれども、大して荷物になるようなものは買わないで、買ったとしても軽食のようなお菓子や、キーホルダーと言ったものばかりだった。なので、和人が持っている詩乃の荷物は、ショッピングモールで詩乃が服を買った時から何も変わっていなかった。

 

 

 そんな様々な事柄を経て、午後五時四十分頃にお台場を出た和人達は、そのまま電車に乗って東京駅へ帰還。東京の中枢区に存在する東京駅の中は、駅とは思えないくらいに様々な施設や店を内包しているところであり、それをよく理解していた四人は、東京駅の中にあるレストランで夕食を食べる事を、東京駅に向かう電車の中で決定。

 

 そして最後の目的地である東京駅に到着した時には、時刻は六時を回っていた。丁度夕食時だから、また混雑の中を進んで、並ぶ事になるだろうという予想をしつつ、四人は東京駅という名の広大な迷宮の中をマップを頼りに進んでいき、やがて駅中に存在しているレストランの中で、チェーン店ではないものの、最も経費の掛からないレストランの前に到着。

 

 

 そこで和人、詩乃、恭二の三人で、ここに入る事を決定し、愛莉に提案。こんな安い店でいいのかという愛莉の問いかけに三人で頷き、四人はそそくさとそのレストランの中に入ったのだった。

 

 四人の入ったレストランは、前情報によって、あまり経費のかからない料理、他の高級店などに比べると遥かに質素な料理ばかりがメニューに並んでいるようなところであったものの、その中のこれだと思った一品を頼んで、出てきた料理を食べてみたところで、四人は驚く事になった。出てきた料理は全てが、本当に値段が足りているのかと思えるくらいに、美味しいと感じられるものばかりだったのだ。

 

 見事に期待を裏切るような美味しさを持っているのに、どうしてこんなにも安いのだろうか――四人は料理の味付けなどに驚きつつ、値段の割にとても美味しい夕食を楽しんだ。

 

 

 そうした時間を過ご終えた四人は、レストランを出てある程度歩き、改札口を通った先にある広場で、ひとまず足を止めたのだった。

 

 

「さてと、これで君達とはお別れ、だね」

 

「愛莉先生、今日は本当ありがとうございました。奢ってくれて……」

 

 

 今日は何から何もまで、愛莉に頼りっぱなしだった。昼食と夕食の費用は勿論の事、お台場にある遊園施設の利用費や詩乃の洋服などといった経費のほぼ全てを愛莉が出してくれ、和人、詩乃、恭二はほとんど所持金を減らさずに、今日という一日を過ごす事が出来たのだ。今日は本当に、愛莉に世話になった一日だった――その思いを込めて、和人が愛莉に軽く頭を下げると、愛莉はううんと首を横に振った。

 

 

「なぁに、私こそ君達に礼を言うよ。君達のおかげで、私は貴重な休日を楽しい一日に変える事が出来た。今日、私は君達に助けられたんだ」

 

 

 随分と謙遜をする愛莉だが、和人はもう一つ礼を言いたい事がある。それは恭二と出会えた事だ。もし今日愛莉と出会う事が無かったならば、この恭二と会う事も無くて、シュピーゲルのアバターの持ち主を知る事も出来なければ、正式に友人関係を結ぶ事だって出来なかっただろう。今日、愛莉は自分の友人を一人増やしてくれたのだ――そう言おうとしたその時に、その恭二が口を開いた。

 

 

「僕からもお礼を言うよ、和人、朝田さん。今日、二人に会えてすごく嬉しかったし、楽しかった」

 

「あぁ。俺もお前に会えてよかったよ。次会えるのはいつになるかわからないが……まぁ、ALOが俺達にはあるもんな」

 

「うん。次にリアルで会えるのはいつになるかはわからないけれど、次の休みにはまたALOで攻略しようね!」

 

「そうだな。その時にまた頼むぜ、恭二(シュピーゲル)

 

和人(キリト)こそ!」

 

 

 そう言い合って、小さく二人で笑い合ったその後に、詩乃に向き直ったところで和人は気付いた。愛莉に買ってもらった猫耳パーカーに身を包んでいる詩乃は、とても寂しそうな表情を浮かべて、愛莉の事を見つめていたのだ。その視線の先を見てみれば、愛莉もまた、同じように寂しげ顔をしている。

 

 

「愛莉先生……」

 

「……えぇ。次に会えるのはずっと先かもしれないけれど、ALOがあるんだから、ずっと離れ離れじゃないわ。VR世界になるけど、会うことも話すことも出来るんだから。だから、あんまり寂しく思わなくても大丈夫よ、詩乃」

 

「…………」

 

「また、会いに来るから。それまでは、ALOでね」

 

「……はい」

 

 

 愛莉の優しげな声に頷く詩乃。きっと自分が見ていないうちに何かを話し合って、何かしらの事情を話されたのだろう。その内容は、詩乃と愛莉の今のやり取りでなんとなく把握する事が出来た。

 

 そんな事を考えていた和人に、愛莉は視線を向けつつ、声をかけてきた。

 

 

「今日はもう既に七時を回ってる。和人君、詩乃の事を送り届けてあげなさい。いくら日が長くなったからって、女の子を一人で歩かせるのは良くないよ」

 

「わかってます。というか、最初からそのつもりでしたけれど」

 

「だろうね。それじゃ、詩乃の事をよろしく頼むよ」

 

 

 和人が頷くと愛莉はうんうんと頷いたが、そこでもう一度詩乃に向き直って、「またね」と小さく声をかけた。周りの客の喧騒よりも遥かに小さな声なのに、しっかりと聞き取る事の出来るその声に、詩乃は表情を変えずに、もう一度頷く。その様子を和人が見ていたところ、やがて愛莉の隣に恭二が並び、愛莉がその口を再度開いた。

 

 

「さてと、電車がそろそろ来るから、私達はもう行くよ。君達も気を付けて家に帰るんだよ。ALOでまた会おう」

 

「来週の休みも、一緒に攻略しようね」

 

 

 二人に踵を返すように和人が手を振ると、愛莉と恭二の二人は、駅の奥の方にあるホームへと歩いていき、やがて行き交う人々の中に紛れ込んで、姿を見る事が出来なくなった。本来ならば今日の予定の加わるはずのなかった二人が居なくなった事により、和人と詩乃は当初の予定通りの形に戻る。

 

 そうなった事を瞬時に認識した和人は、咄嗟に隣にいる詩乃に振り向いたが、やはり詩乃は、どこか寂しそうな顔のままだった。その雰囲気と表情のために一瞬ためらいつつも、和人はそんな詩乃に声をかける。

 

 

「詩乃、帰ろう。そろそろ電車が来る頃だから」

 

「……えぇ」

 

 

 詩乃は小さく呟いたのを聞いた和人は、同じように静かに「行こう」と言って、詩乃の住むマンションのある方面の駅へ向かう電車が来るホームへと歩き出した。その時は勿論、詩乃が並んで歩いたが、表情はずっとうかないままだったものだから、手を繋いでやりたかったけれども、そもそも荷物で完全に手が塞がってしまっているうえに、詩乃は基本的にこういうところでそういう事をされるのを望まないから、実行は出来なかった。

 

 ほぼ無言に近しい状態のまま二人でホームへ続く階段を上ったタイミングで、丁度電車が大きな音を立てつつ到着してきた。まるで軍勢のように集まっている帰宅目的の客の中に紛れるようにして、和人と詩乃はその電車の中に乗り込み、丁度開いていたボックス席に向かい合って座る。それから五秒ほど経ったところで戸が閉まり、多くの客を乗せた電車は一瞬だけ揺れた後に、次の駅を目指して動き出した。

 

 

 駅のホームを完全に抜けたところで、窓の外へと顔を向けてみれば、そこに広がっているのは街灯と建物、車の光などが作り出す東京都ならではの夜景。四月や五月の初めと比べると大分日照時間が長くなったけれども、流石に七時半ともなれば東京都の全てが夕闇に呑み込まれる。だが、街が闇に呑み込まれれば、それに負けないと言わんばかり無数の光が街のほぼ全体で点灯され、それは深夜になってもずっと続く。

 

 光が絶やされる事のない街。だからこそ、東京都は眠らない街と呼ばれるのだ。

 

 窓に外に映し出されている、移動するそんな情景を和人は眺めていたが、やはり詩乃の方が気になって、そちらの方を横目で見た。猫耳パーカーという如何にも若者、それも十代の少女が好んで着そうな服装に身を包んだ詩乃だが、その表情は遠いところにいる大切な人の事を考えていて、尚且つ寂しさを感じているかのような、そんな服を着ている娘のそれとは思えないようなものだった。

 

 多少は変化したけれども、先程愛莉と別れてから詩乃の顔はほとんど変わっていない。貼り付いたというわけではないけれども、やはり表情が変わっていないのだ。いつもならば気軽に出来るというのに、今の詩乃には声をかける事さえ難しく感じられた。だが、何も話さないわけにはいかない――そう考え直した和人は、思い切って口を開く。

 

 

「詩乃」

 

 

 声を聞いて我に返ったのか、詩乃は少し驚いたような表情になって和人に向き直る。ようやく詩乃の顔が動いた事に、和人が安堵した直後に、詩乃の口は開かれた。

 

 

「な、なに、和人」

 

「いや、詩乃ってばずっと同じような顔をしたままになってるからさ。何かあったのかなって、気になって」

 

「……あぁそうね。和人にも話しておかなきゃ、いけなかったわ」

 

 

 和人に向き直りつつも、詩乃は表情を先程のそれに戻してしまう。詩乃の子の顔を最初に見てから、きっと何かがあったのだろうなとは思っていたが、その予想は外れていなかった――和人がそう考えながら背筋を伸ばすと、詩乃はもう一度を言葉を紡いだ。

 

 和人と恭二の二人から離れている間に、愛莉との間に起きた事、交わした会話。そのほぼ全てを詩乃は話してくれて、その話がある程度進んだところ、詩乃が一旦黙ったところで和人は言葉を発した。

 

 

「……そうだったのか。愛莉先生、俺達と会えなくなるのか」

 

「……えぇ。先生が言うには、次の仕事の方が本当にやりたい仕事なんだって。それで、それがいつ終わるかは全然わからなくて、もう私達にはアミュスフィアを使う以外では会えない……って」

 

「そうなのか……」

 

 

 だが、和人はこうなる事をわかっていた気がしてならなかった。そもそも愛莉の仕事はAI研究者であり、街に出るような暇がある事自体が少ない職業だ。だから、愛莉が詩乃に伝えたという、仕事のためにかなり長い間会えなくなるっていうのはあって当然の話だし、寧ろ今日、自分達に会えていた事の方が奇跡のようなものなのだ。

 

 そう思いつつもそれを言い出せないでいたその時に、詩乃がもう一度言葉を紡いだ。

 

 

「けど、よくよく考えてみればそうよね。愛莉先生のやってる仕事は、ユイやリランみたいなAIを作る仕事だもの。忙しくて、私達に会えないくらいに忙しくて、当然よね」

 

「……詩乃」

 

「大丈夫よ……寂しいって気持ちもないわけじゃないけれども、それでも気にならないくらいだし、そもそも会おうと思えばALOで会えるんだから、どうって事ないのよ。だから心配しないで、和人。私は、大丈夫だから」

 

 

 そう言って若干の笑みの表情を作る詩乃。愛莉の言っていた事が本当ならば、確かに自分達はALOという世界にて愛莉/イリスに会う事が出来るし、愛莉の事だから来週の攻略にも参加してくれることだろう。

 

 だが、愛莉だけが持っている温もりというものはしっかりと存在しており、それはVR世界では感じられない事を、それが詩乃の心の支えの一つでもある事も、和人も詩乃の記憶を通じてわかっている。他の誰も持っていない、愛莉だけが持つ温もり――それがしばらくの間得られないのだから、やはり寂しさを感じてしまうのだろう。その温もりを自分では与える事が出来ないというのが、和人はどこか悔しかった。

 

 けれども、自分にだって出来る事はあるはず、残されているはずだ――そう心の中で呟いて、和人は詩乃に声をかける。

 

 

「詩乃」

 

「うん?」

 

「これから、詩乃の家に寄っていっていいかな。別に長い時間留まるわけじゃないんだけどさ」

 

「いいけれど……どうかしたの」

 

「着いたら話したい」

 

 

 和人の返答に少しだけ首を傾げる詩乃。突然こんな事を言い出されたのだから、当然の反応だと和人は思った。だが、和人が話したいと思っている事は、先程からの詩乃の話のようにこの場で話していいような事でもなくて、寧ろ詩乃だけに聞いてほしい事だから、周りに客がいっぱいいるこの場では話したくない。

 

 そんな和人の気持ちを悟ったのか、それともそうじゃないのか、詩乃は和人の事を不思議がっていたが、そのうち詩乃もまた、何かを思い出したような反応を示して、「私もあなたに話したい事がある」と言ってきた。流石に詩乃にまでそんな事を思っていたとは予想できず、和人はその場で軽く驚いてしまったが、同時にとても丁度いいと思って、詩乃に頷いた。

 

 そして何より、詩乃が全く同じような事を考えて事がわかったのだから、和人はどこか嬉しかった。

 

 

 それから十数分後に、二人の乗る電車は詩乃のマンションから比較的近いところにある駅に到着し、和人と詩乃はその他の客達と同じように電車を降り、改札口を通って駅を出た。

 

 和人と詩乃、明日奈や里香も通っている学校と、SAO生還者達が暮らすマンションからそこそこ近いところにある駅の周辺は、東京駅の周囲ほどではないものの、街灯や建物の光によってかなり明るく、道路に落ちているものもしっかり見えるくらいだ。

 

 もし田舎の無人駅の近くとかだったならばもっと暗いのだろうが、東京都の都心部からあまり離れていないところにあるここでは、そのような事はなかった。

 

 

 だが、それでも暗い事には変わりが無く、もし少しでもこの明かりから遠ざかろうとすれば、たちまち闇の中へ飛び込む事になるのがわかり、とても少女一人が歩いていいような状況下にあるようなところではない。いずれにしても、自分はこうして詩乃を最後まで送り届けるべきだったのだ――周囲を見回す事でそれを理解した和人は、詩乃になるべく離れないように言いつつ、いつも利用しているバス停に近付く。

 

 そこでバスの到着時間を見ようとしたその時に、行き交う無数の車の群れに混ざって一台のバスがバス停に近付いてきて、やがて停車した。行先がSAO生還者の住むマンションの近くである事を把握した和人は、詩乃と一緒にそのバスの中へ乗り込み、すぐそこにあった席に座った。その直後に、アナウンスと共に戸が締まり、バスは次のバス停目指して走り出す。

 

 

(……)

 

 

 聞き慣れたバスの走行を音を聞きつつ、和人は荷物を一旦膝に置いた。周囲を見回してみると、客の姿はほとんど見る事が出来ず、バスの中はがらんどうと言ってもいいような状態だ。

 

 しかし、今はこうしてがらがらで、席に座ったまま目的地へ向かう事が出来ていても、平日の朝ともなれば、通学と通勤を目的とした利用客達が一斉に乗り込むものだから、文字通りのぎゅうぎゅう詰めになってしまう。その時の息苦しさやストレスは尋常ではなく、学校の授業を受ける前から疲れてしまうので、和人は学校へ向かう時には徒歩で行くようにしている。

 

 だが、この徒歩という移動手段も困りものだ。駅から学校まで結構な距離があるものだから、徒歩で行くとなるとかなりの時間を要する。悪天候の時には制服が濡れたりするし、場合によっては遅刻しそうにだってなる。バスを使うともみくちゃだから、徒歩の方がましだとは思っているけれども、やはり時間もかかるし疲れる。

 

 何か別な手段を考えて、今年中に実行しておかないと拙そうだ――そんな事を考えながら下を向いていたその時に、和人は突然左肩が重くなって、尚且つ暖かくなったような気を感じた。何事かと思って振り向いてみれば、すぐそこにあったのは詩乃の頭。

 

 

「詩乃?」

 

 

 声をかけても反応しない。そこで耳を澄ませてみたところ、バスの駆動音に混ざって、寝息のような音が聞こえてきているのがわかった。どうやら、詩乃は座って寝てしまっているようで、そのまま自分に体重を預ける事になってしまったらしい。

 

 無理もない。詩乃は今日一日再三歩いて、あまり行かないようなところに行って、様々な事を楽しんできたのだ。電車に乗っている時はそうでもなかったけれども、遊び疲れていて、眠ってしまっても仕方がない状態にあったのだろう。

 

 

「……詩乃」

 

 

 声をかけられても全く反応を示さないで、眠りこけている詩乃。是非とも寝顔を見たいところだが、どんなに首を捻っても横顔であるに見えないし、下手に動こうとすれば起こしてしまう事だろう。仕方がなく、和人はそのままにしている事を選んだが、同時に動かせる右手を動かして、手首にはめられている銀の腕輪に視線を向けた。

 

 詩乃はずっと、女の子らしい買い物をする事も出来なければ、お洒落をする事も、遊ぶ事も出来ずにいた。そんな詩乃がこうして自分の隣で寝ているという事は、何事も楽しめなかった詩乃が、思い切り物事を楽しんで、()()()()()()()()()()()()()事に他ならない。

 

 詩乃は普通ではないけれども、普通の女の子のように物事を楽しめるようになったのだ。

 

 

「……よかったな、詩乃」

 

 

 和人は微笑みながら、体重を預けて転寝(うたたね)をしている詩乃の事を見つめ、バスが目的地に到着する数分間だけ、詩乃の事を寝かせておいた。

 


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