キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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05:初対面と出来かけの歌姫

「「愛莉先生!」」

 

「か、和人君に詩乃じゃないか!」

 

 

 和人と詩乃のデート。その一つ目の目的地である秋葉原での用事が済んだその時に、人混みの中に紛れて、二人に向かって来ていた者。それは他でもない、SAOの時からの協力者であり、攻略仲間であり、詩乃に至っては恩人である、芹澤愛莉その人だった。

 

 そしてその愛莉もまた、和人と詩乃を見つけるなり驚き、傍に居る少年を連れて駆け寄り、二人のすぐ目の前まで一気に距離を詰めてきた。人混みに惑わされる事なく話しが出来る距離まで愛莉と少年がやって来たそのタイミングで、詩乃は口を開く。

 

 

「愛莉先生、どうして。どうしてここに、いるんですか」

 

 

 戸惑っているような顔をしている詩乃と、同じく驚いているような顔をしている愛莉を、和人は交互に眺める。以前詩乃から聞いた話によれば、愛莉は前職であるAI研究とゲーム開発をするために、詩乃とシュピーゲルの治療を中断し、精神科医を辞めて、どこかのゲーム会社に行ったはずだ。

 

 その事について、ALOにログインする事に成功した際の愛梨本人に尋ねてみれば、その事が真実である事を語っていたし、ALOでは会えるものの、現実世界で会うのは難しいから、いつかその日が来るのを待っていてほしいと言っていた。

 

 その会うのが難しいはずの愛莉が、この秋葉原に、自分達の目の前に、いる。もう長い間、現実世界で愛莉に会うのは無理だと思っていたものだから、詩乃が驚くのは当然だった。そしてそんな詩乃に尋ねられた愛莉は、驚きの顔から、少し嬉しそうな顔になる。

 

 

「やぁ君達。まさかここで会えるとは思わなんだ」

 

「愛莉先生、来れたんですか。ALOじゃ会えるけど、現実じゃ無理だって……」

 

「詳しい事情を話すと長くなるから、ここじゃ話せない。まぁなんだ、現実世界の街を歩けるくらいに、開発が進んできたんだ。だからこうして、秋葉原に来たんだよ。いやまさか、そこで君達に会う事になるとは、ほんと、驚いたよ」

 

 

 愛莉は以前、今開発しているゲームのおかげで忙しくて、ALOにログインする頻度もかなり低かった。そのため、ALOでも愛莉に会うのは難しかったのだが、最近は開発が落ち着いて来たという理由で、ログインする頻度も増えてきていた。今では、休日のスヴァルトアールヴヘイムに愛莉/イリスがいる事は多く、一緒に攻略を進める事も出来る。

 

 そのくらいの余裕が、現実世界の愛莉にも出て来たとわかって、詩乃は安堵したような顔になった。

 

 

「そうだったんですね……もう、会えないんじゃないかって……」

 

「……そんな事は言ってないでしょ。けれど、こんなに早くあなたに会えたのは嬉しいわ、詩乃」

 

「はい」

 

 

 嬉しそうに詩乃が頷くと、愛莉もまた、同じような嬉しさを含んだ微笑みを浮かべる。その顔を見る事で、愛莉が詩乃に会えたことを本気で嬉しがっているのが、和人はわかった。そんな二人を見ながら、和人が声を発そうとしたその時、そのやりとりをじっと見ているだけだった見知らぬ少年が、口を開いた。

 

 

「愛莉先生……もしかしてこの二人って!」

 

「そうだよ恭二(きょうじ)君。この二人が、君と同じ、私の患者だ」

 

 

 そう言われて、和人と詩乃は少年に注目する。白いパーカーとジーンズに身を包み、黒いベースボールキャップを被って、肩にバッグをかけた、茶色い髪の毛の少年。服装のせいもあってか、中学生くらいに見えるけれど、かなり痩せているその体格と、目の周りの陰影が中学生ではない事を物語っている。

 

 愛莉と本人の口ぶりから、少年が愛莉の患者であるという事と、和人と詩乃の事を知っている事がわかったが、当の二人は全くこの少年を見た事がない。いやそもそも、愛莉は東京都内でかなり大きな病院に務めていて、尚且つ全国的に有名な精神科医だったから、詩乃のような患者など何人も抱えている。だが、そうであっても、愛莉に診られている患者が、他の患者の事を知っている事など、ご近所同士や友人同士でもなければないはず。

 

 この少年もまた、愛莉の患者の一人なのだろうけれど、和人や詩乃とご近所同士でもなければ、学校が一緒でもない。だのに、自分達を知るこの少年は一体誰なのかと、和人が目を細めたその時に、詩乃が突然大きめの声を出した。

 

 

「あ……もしかして君って!」

 

「えっ、詩乃知ってるのか」

 

 

 詩乃が頷くと、愛莉がふふんと笑って、少年が背筋を伸ばす。和人がますます首を傾げたくなったその時に、愛莉が言った。

 

 

「紹介するよ和人君、詩乃。この子は君達と同じ私の患者。新川(しんかわ)恭二(きょうじ)君だ」

 

「愛莉先生から聞いてます。ここでは初めましてだね、桐ヶ谷さん、朝田さん」

 

 

 そう言って頭を下げる、新川恭二という名前である事が判明した少年。その様子は、どこかで見覚えがあるのだが、なかなか和人は思い出す事が出来ない。そもそも、この恭二の声もどこかで、それも結構な頻度で聞いた覚えがあるし、雰囲気もかなりの頻度で見ているような気もする。しかし、どんなに考えてもその正体が掴めなくて、和人は余計に眉を寄せたが、その答えを詩乃が言った。

 

 

「和人、シュピーゲルよ、その人は」

 

 

 詩乃の発した単語を聞いた途端に、和人はきょとんとしたが、それから二秒も経たないうちに、頭の中に閃光が走ったような気がした。聞き覚えのある声と、見た事があるような雰囲気。それは、SAOクリア祝いパーティーを開催した時に、愛莉/イリスが仲間に加えて欲しいと言って連れてきたスプリガンのシュピーゲルのものだった。

 

 そして今、イリスの現実世界で――正確には本来の――姿である愛莉の隣にいて、自分達の名前を知っている、シュピーゲルと同じ声と雰囲気を持つ、新川恭二というこの少年。これをシュピーゲルの現実での姿と言わずになんという。

 

 

「シュピーゲル!? シュピーゲルなのか、お前!?」

 

「そうだよ。やっと気付いてくれたんだね、キリト」

 

「本当だ、シュピーゲルだ……」

 

 

 シュピーゲルと出会ってから、同じ愛莉の患者である事を聞いてから、シュピーゲルの現実世界での姿はどうなのかと、和人はずっと気になっていた。シュピーゲル自身、比較的高いプレイヤースキルと知識を持っているプレイヤーであるため、現実もそれに伴ったものなのではないかと、和人は勝手にイメージしていたが、そのイメージ像とシュピーゲルの中身である恭二の姿は、何となく近しいものだ。

 

 そして、シュピーゲルがあらかじめ言っていた、自分のこのシュピーゲルというアバターは身長を若干盛っているという話が真実であったという事も、同時に把握する事になった。

 

 

「君達、こうやって会う事が出来たって事は、これまでも意外と遭遇していたりしていたんじゃないかい」

 

「けれどわかりませんよ、ALOのプレイヤーの実際の姿なんて。でも、こうして会えたって事は、僕達って意外と近いところに住んでたんだね、朝田さんに桐ヶ谷さん」

 

 

 確かに、恭二ほどの学生が遠くから遥々ここまで来ているとは思えないし、遠出してきたというような恰好もしていない。そして何より、愛莉の勤めていた病院に通っていたという事もあるから、東京都内もしくはその近辺に住んでいるというのは、確かだろう。

 

 

「そうだな。ところで新川だっけか。よく愛莉先生に会えたな? 愛莉先生は電話にも出ないし、メールも受け取らないしで、全然繋がらないんだぜ」

 

 

 愚痴っぽく和人が言うと、恭二と愛莉が答える。愛莉は今日、恭二と会えて、尚且つ街を歩けるかどうかを前日に連絡していたといい、それを恭二が受け入れた事により、愛莉はこの秋葉原で恭二と待ち合わせる事にし、今日それを実行に移したんだそうだ。

 

 その説明を受けた詩乃が、少し悲しそうな顔をして、呟くように言う。

 

 

「新川君と、会う約束してたんですか」

 

「あぁ。現実世界での時間が設けられたからね、まずは恭二君からって事にしてたんだ」

 

 

 詩乃がどれほど愛莉を慕っているかは、詩乃の記憶をわざわざ探らなくてもわかるし、この前だって、ALOでようやく愛莉に会えた時には、詩乃は真っ先に愛莉の胸の中に飛び込んでいた。

 

 それに詩乃はALOではなく、現実世界で愛莉に会いたいと、現実でもALOでも結構な頻度で言っている。偶然ではあるものの、こうして愛莉に会えた事自体は嬉しいけれど、愛莉が恭二を最初に選んだと聞いた時、現実世界で時間を設けられるんなら自分を一番最初にしてほしかったと、思わずにはいられないのだろう。

 

 そんな事を思いながら、和人は詩乃と愛莉を交互に眺めていたが、そのうち愛莉が詩乃と和人を見ながら、その口を開いた。

 

 

「ところで君達は、デート中だろう」

 

「えっ、わかるんですか」

 

「わかるよ。だって和人君も詩乃も、いつも見ないような恰好してるじゃないか。君達の恰好は誰がどう見たって、デート中の彼氏彼女の恰好だ」

 

 

 SAOを出てから聞いたのだが、愛莉は今年で二十七歳になるという。二十七歳ともなれば、恰好を見るだけでその人がこれから何をしようとしているのかとか、普段どのような生活を送っているのかとかがわかるそうなのだが、その愛莉の言葉は間違っていなかったらしい。

 

 

「となると、私達は君達のデートを邪魔してしまったというわけだ。恭二君、ここはずらかろうじゃないか。二人の邪魔をしちゃ悪いのは、君もよくわかってるだろう」

 

「そうですね。朝田さんに桐ヶ谷さん、邪魔してごめん。二人の時間を楽しんでね」

 

「そういう事だ。君達と過ごすのはまた今度って事で、今日はこれまでだ。それじゃあね」

 

 

 そう言うなり、愛莉と恭二は並んで人混みの中へと歩き出す。和人と詩乃の関係の事――とくにこれまでの詩乃の事――を、よく知っている愛莉だからこその行動なのだろうと思ったその時に、和人は腕を掴まれるような感覚に襲われた。向き直ってみれば、詩乃が両手で和人の腕をがっちりと掴んでおり、懇願するような顔になっていた。

 

 

「和人……せっかくのデートだけど……デート、だけど……」

 

 

 自分で提案しておいたデートだし、今日は和人とずっと一緒に居たいし、デートしたい。だけどやっぱり愛莉と一緒に居たい、愛莉と一緒の時間も過ごしたい――詩乃はそう言いたがっているのが、詩乃の言葉を紡いでいる最中に、和人はわかった。

 

 愛莉は現実世界での時間を設けられると言ったし、現にこうして街に出られているが、愛莉の仕事の関係上、愛莉に次に会える日がいつになるのかは全く定かではないし、下手したら一年先になったりする可能性だって十分にある。和人のようにいつでも会いたいのに、会えない、恩人の愛莉と一緒に過ごしたいと、詩乃が頼み込むのは無理もなかった。

 

 詩乃とのデートならば、休日ならばいつでもできるけれど、詩乃が愛莉と一緒に過ごすのは、それよりも遥かに難しい。ここは一つ、詩乃の願いをかなえてやるべきだ。

 

 考えをまとめた和人は詩乃に頷き、人混みに消えようとしていた愛莉と恭二に、大声をかけた。

 

 

「愛莉先生!」

 

 

 人の群れの中に響いた和人の声が届いたのであろう、愛莉と恭二は振り返った。そのタイミングで和人は詩乃と手を繋いだまま、愛莉と恭二に近付く。

 

 

「愛莉先生、俺達も一緒に居ていいですか」

 

「え、何を言い出すんだい。君達はデートじゃないか。貴重な時間だろう」

 

「俺と詩乃はいつでも会えますし、デートだっていくらでも出来ます。けれど、詩乃と愛莉先生はそんな簡単に会う事が出来ないですし、一緒の時間を過ごす事だって出来ないです。だから愛莉先生、今日だけでいいですから、詩乃と一緒に過ごしてくれないですか。詩乃、先生との時間を過ごしたいって、いつも言ってるんです。だから……」

 

 

 詩乃の思いを察して考えた事を、全て愛莉に伝えたところで、愛莉は少し驚いたような顔になる。いつもならば何かしらの事を口にする愛莉は、何も言わずに和人、詩乃、恭二の順で三人に視線を向けていき、もう一度詩乃に向けて黙る。

 

 沈黙が珍しいのだろう、恭二が愛莉に向きつつ「先生」と声をかけたその時に、愛莉は一瞬だけ俯いてふっと笑い、顔を上げた。

 

 

「……砂糖まみれの二人の世界を邪魔しちゃ悪いと思ったんだけど、和人君がそこまで言って、尚且つ詩乃がそこまで頼み込んで来るなら、しょうがないな。どうせ、これからの予定も街中をぶらぶらするだけだったし……」

 

「って事は……」

 

 

 詩乃の言葉を耳にするなり、愛莉はすんと笑った後に、その口をもう一度開いた。

 

 

「君達に同行しようじゃないか。恭二君、私はそうしたいところなんだけど、どうかな」

 

「別に構いませんよ。今日は愛莉先生と一緒に居るっていう予定でしたし、朝田さんと桐ヶ谷さんとALO以外で一緒なんて、滅多にないと思うから」

 

 

 隣にいる恭二の許可を得るなり、うんうんと愛莉は頷いて、もう一度和人と詩乃に向き直る。

 

 

「しかし和人君に詩乃。私達が居る以上、砂糖まみれの世界を展開しないっていう約束が出来るかい。せっかく一緒に居るのに退け者にされてしまっては、意味がないからね」

 

 

 詩乃はともかくとして、和人にはそれが遂行できる自信があった。

 

 詩乃と二人きりになった時などには、俗にいう恋人らしい会話とかやり取りとかをするものだけれど、周りに人がいる時とか、他の友達などと一緒に居る時にはやらないように決めているし、気を付けている。だから、愛莉と恭二が一緒に居る中で、二人を置いてけぼりにするような事はしないだろうし、それに詩乃は愛莉と一緒の時は愛莉に夢中になるから、尚更そうはならないだろう。

 

 

「大丈夫です。二人きり以外の時にはやらないって、決めてますから」

 

「愛莉先生……」

 

 

 詩乃が呟くなり、愛莉は恭二と一緒に二人に近付き、やがてその手を優しく詩乃の頭の上に載せた。詩乃と初めて出会い、診察を開始した時のとほとんど同じ仕草をされて、少しきょとんとしている詩乃に、愛莉は微笑んだ。

 

 

「……少ない時間だけれど、一緒に居ましょう、詩乃」

 

「……はい!」

 

 

 詩乃が嬉しそうに答えたところで愛莉は笑み、数秒後に詩乃の頭から手を離す。まるで姉妹や親子を思わせるかのようなやり取りに、思わず恭二と一緒に注目してしまったその時に、愛莉が頬の辺りに指を添えた。

 

 

「しかしどうしたものか。私達はこれから適当に街をぶらつく予定だった。君達には具体的な予定とかあったのかい」

 

 

 そこで和人は、今日のデートの予定や目的地の事を、詩乃に許可を取ってから愛莉と恭二に話した。その中で、次の目的地がお台場である事がわかるなり、愛莉は「おぉ!」と声を出す。

 

 

「お台場か。確かにあそこら辺なら楽しいものがいっぱいあるし、買い物をするにも困らない。いいところを選んだじゃないか、和人君」

 

「愛莉先生はどうなんですか。お台場に行くのに、抵抗とか……」

 

「私も恭二君もそんなものはないし、寧ろ行くところが無くて困ってたところなんだ。よし、そうと決まればお台場にレッツゴー――」

 

「じゃあ、聞いてください!!」

 

 

 そう言って愛莉が歩き出そうとしたその時に、突然大きな声が耳の中に届いてきて、その場にいた全員で驚いた。まるでマイクとスピーカーを使って出したかのような大きな声は、秋葉原全体に響くかのようなものであり、思わず何事かと全員でその発生源を探す。数秒後に、恭二が「あれだ!」と言って指差し、視線を向けてみると、そこでは普段の秋葉原ではあまり見られないような光景が広がっていた。

 

 メディアショップのすぐ近くに、簡易的なステージが作られており、大きなスピーカーやカメラといった機材が周囲に置かれている。そしてそのステージの中央には、ところどころにハートの意匠がある、薄茶色と白で織り成されたメイド服に身を包んだ、銀茶色の長い髪の毛の少女が、マイクを握っていた。

 

 その光景を目にする事で、あの少女こそが突然聞こえてきた大きな声の正体であり、尚且つこの光景が何なのかを、和人は把握する事が出来た。

 

 

「あれは、路上ライブか」

 

「そうみたいだけれど、真ん中にいる娘、アイドルなのかな」

 

 

 和人、恭二の順で言うなり、スピーカーからBGMが演奏され始め、マイクを握るメイド服の少女がそれに合わせて歌い始める。如何にもアニソンのそれのようなBGMと、メイド少女の歌声は大音量の音楽となって、コンクリートの森の中に響いていく。その歌を耳にしながら、詩乃が少し眉を寄せつつ言う。

 

 

「それにしては妙じゃない? 観客の数もまばらだし、スピーカーの音もかなり割れてるわ。なんかアイドルっていうか、素人じゃないの」

 

 

 詩乃の言う通り、少女の歌唱力そのものはかなり良いものと言えるのだが、少女の歌を響かせる機材達は音を割れさせてしまっており、少女の歌声を、テレビ番組や音楽イベントに出演する歌手達のそれとは程遠くしてしまっている。

 

 そして少女の歌を聞いている観客の数もざっと二十人くらいであり、ほとんどの人間が少女の歌を聞こうともせずに通り過ぎていくだけだ。やっている事はアイドルや歌手達とほとんど同じなのだが、その他の様々なところが劣ってしまっている。

 

 

「最近セブンの歌を聞いてたものだが、あぁいう素人の歌ってるのを聴くと、(クオリティ)の差がよくわかっちゃうな」

 

「和人君、それはあの娘に失礼だよ。あの娘の歌声だって中々のものだし、そもそもあの娘だって、夢を叶えるために頑張ってるんだ」

 

「夢?」

 

 

 愛莉の言葉を受けて、和人は歌う少女に視線を向ける。あの娘はどう見てもアイドルではないが、やっている事はアイドル達のと同じだ。そしてあのような事をするという事は、アイドルになるための練習のようなものなのだろう。予想でしかないが、あの娘も、アイドルを目指しているのだ。

 

 

「アイドルを目指しているから、あぁいう事をしてる、のか」

 

「そうさ。そうでなきゃ、あんな路上ライブなんてやらないよ。けれど何だろう、あのメイド服、どこかで見たような気がするんだけれど、どこだったかなぁ……」

 

 

 愛莉がそう言うが、和人もまた、あのメイド服をどこかで見た事があるような気がしてならなかった。あのような服は、メイド喫茶かコスプレ専門店や池袋に本店のあるアニメショップくらいでしか手に入りそうにないものだが、どちらかといえばメイド喫茶にあるものに近いような気がする。

 

 あの服は一体何なのか――そんな事を考えながら、一同は少女の歌を聞き続けた。そして歌が終わった頃には、メイド服の少女は汗を掻き、息を切らして下を向いたが、すぐさま顔を上げて、満面の笑みで叫んだ。

 

 

「聞いてくれて、ありがとうございました!」

 

 

 アイドルではないけれど、アイドルのように歌い上げてみせた少女の、感謝の言葉がスピーカーで広がると、聞き入っていた者達が「おおっ」と声を上げて拍手を始め、少女の周辺は、小さいながらも乾いた拍手の音に包み込まれた。アイドルでもない素人に拍手をくれた人達に向けて、少女が深く頭を下げる光景を目にしながら、和人が呟く。

 

 

「うん。見事な歌唱力だったな。あれはそんじょそこらのじゃないぞ」

 

「そうだね。セブンくらいの派手さはないけれど、いい歌だったよ。あれだけ歌えるなんて、あのメイドさん、やるね」

 

 

 恭二が言ったその時、突然愛莉が大声を出した。何事かと驚いて全員で向き直ってみれば、何か重要な事を思い出して、すっきりしたかのような顔をしている愛莉の姿が、そこにあった。

 

 

「どっかで見た事があるような気がすると思ってたけど、あれは《レイア・ルナハート》の制服じゃないか。あの店もここまでするようになったか」

 

「《レイア・ルナハート》?」

 

 

 その単語を耳にするなり、和人の頭の中で、あのメイド服の正体が掴まれた。

 

 愛莉の言った《レイア・ルナハート》は、この秋葉原にかなりの数存在しているメイド喫茶のうちの一つなのだが、秋葉原にある全てのメイド喫茶の中で最も清潔で、最も衛生管理が徹底されていて、サービスも充実しているという四拍子が揃っている、秋葉原一評判のいい店だ。

 

 しかもそこは、最も働きやすい、働いて楽しい、サービスも無理のない範囲、給料もそこそこいい、何より店長もオーナーも店の経営よりも、店員が働きやすい、店員が不快感なく長く働く事の出来る環境を続ける事を、モットーにしているという五拍子が揃っていると、メイドとして働く店員達からも評判だ。そんな良条件が揃いまくっているこの店は、秋葉原一のホワイトバイトのメイド喫茶と言われている。

 

 現にアルバイト求人サイトでは、秋葉原で女の子が働くならここと言われているし、和人達の通っている学校の女子達の間でも、アルバイトするならばあそこが一番いいという話が何度も起こっている。

 

 しかし、そんな人気である分求人倍率が高く、働きたくても働けないという事も多いのだというが、あの少女はそんな秋葉原一のメイド喫茶の店員として働く事に成功していた者のようだ。

 

 

「秋葉原一のホワイトバイトメイド喫茶か。あそこのメイドさん、歌も歌うようになったんだな」

 

「だけど、それはサービスの一環じゃなくて、あの娘自らが志願したように見えるね。そうでなきゃ、あんなに楽しそうに歌わないよ」

 

 

 メイド服に身を包んで歌った少女は、確かにとても楽しそうに歌っていたし、まるで自分のやるべき事をやっているかのように振る舞ってもいた。愛莉の言う通り、あれは《レイア・ルナハート》のサービスの一環ではなく、あの娘が自発的に始めた事なのだろう。そんなふうに考えていると、メイド服の少女がマイクを握り直した。

 

 

「わたし、《レイア・ルナハート》っていうお店で働いてます! よかったら来てくださいね! 聞いてくれてありがとうございました! ダスヴィダーニャー!!」

 

 

 そう叫んでもう一度頭を下げてから、メイド服の少女はステージを降りていった。

 

 聞いた話によると、《レイア・ルナハート》は秋葉原一の店と評価されておきながら、この店が一番であるとは、オーナーも店長も含め、全ての店員が言わないらしい。実際今の少女も、《レイア・ルナハート》で働いていると言っただけで、秋葉原一のお店とは言っていない。

 

 その謙虚さもあるからこそ、高い評価の貰える店なのだろう――しかし、和人はそう考えたものの、それよりも少女が最後に言った言葉の方が、気になって仕方がなかった。

 

 

「ダスヴィダーニャ?」

 

「ロシア語でさようならって意味だけれど……英語じゃなくてロシア語なのね」

 

 

 詩乃に言われて、言葉の意味を確認するが、和人はどうもそれがどこかで聞いたような気がしてならなかった。しかし、そこまで重要な事ではないとすぐに思って、考えるのをやめたが、そのタイミングで恭二がその口を開く。

 

 

「それにしても、あの娘は本当にアイドルを目指してるのかな。アイドルって、地道に頑張っても駄目な人は駄目っていう話を聞いた事あるな」

 

「そうだろうな。だけど華やかな世界だから、皆そこに憧れて夢を抱き、一歩踏み出すのさ。だけどなんだろう、彼女は可能性を感じさせてくれるな。もしかしたら、彼女は未来のアイドルなのかもしれないよ。まさに出来かけの歌姫だ」

 

 

 恭二に続いた愛莉の言葉に、和人は頷く。機材こそはおんぼろだったが、あの少女自身の歌声、歌唱力はアイドルに負けていないくらいのものだった。テレビでやっているような喉自慢コンテストや、カラオケバトル番組に出演すれば上位に食い込む事は勿論の事、優勝する事も出来るだろう。

 

 あの娘が諦めなければ、きっとあの娘はアイドルとなる――そんな気がしてならなかった。その時、詩乃が突然秋葉原駅の方に向き直った。

 

 

「……?」

 

「どうした、詩乃」

 

「なんか、駅の向こうから聞こえる」

 

「え?」

 

 

 詩乃と一緒になって耳を澄ませてみれば、乗用車と電車の通る音、人々の声に混ざって、複数人による大きな声のようなものが、確かに秋葉原駅の向こうから聞こえてくる。だがその内容は、「糞ども」だの「ここはお前らの来ていいところじゃない」だの「適当な事してるんじゃねえ」だの、聞いていて心地よいような言葉ではない、寧ろ怒りと不快感が込み上げてくる罵詈雑言だった。……そして今は、あの少女が歌い終わった直後。

 

 まさか、この罵詈雑言は、あの少女に向けたブーイングだというのか。

 

 確かに少女は素人だけれど、何もブーイングを向けられるような歌い方をしていたわけでもなければ、歌唱力だって十分だっただろう。あんなに楽しく歌い上げて拍手までもらったあの娘に、こんな心無い言葉をぶつける奴は誰だ――和人がそう思ったその時に、愛莉が秋葉原駅を見つめながら言った。

 

 

「……始まったか。和人君、この罵詈雑言はあの娘に向けられたものではないよ」

 

「え、じゃあなんですか」

 

「……駅の向こうで、ある事が起きているようだ。だが見ていて気持ちいいものじゃないから、見ることになる前に、お台場に行こう」

 

 

 愛莉はそう言うなり、秋葉原駅の方へと向かって行き始める。あまりに突然の行動に驚きながら、和人は詩乃と恭二と共に愛莉の後を追って追いついたが、その頃には秋葉原駅の中に入り込んでいた。

 

 外と同じようにコンクリートと鉄で構成された、神殿のような駅の中は、先程と同じように沢山の人々が行き交っており、駅内放送やBGMなどが鳴っていたのだが、それをかき消さんばかりの勢いで、駅の外からの不快な罵声が響いてくる。

 

 いつもならばここでブルートゥースイヤホンを耳にねじ込んで、スマートフォンで音楽を再生し、外からの不快な音を全て遮断してやるものだが、今は三人と行動中なのでそのような事は出来ない。

 

 とにかく、一刻も早くこのうるさい秋葉原駅を離れたい――そんな事を頭の中で思っていると、それを察してくれたのか、愛莉は「急ごう」と言って早歩きをして駅のホームに向かって行った。

 

 

 そして駅のホームに着いた時には、新橋方面に向かう電車が既に到着しており、和人達が電車の入り口の前に来た時にそのドアが開かれ、乗客が全て降りたのを確認してから、和人達は電車の中に乗り込み、ボックス型の席に四人で座った。

 

 和人は詩乃と隣合わせに座り、愛莉は恭二と隣り合わせに座ったのだが、窓側の席に座っていた愛莉は、何も言う事なく窓の外に顔を向ける。何があるのかと思って同じように窓の外に顔を向けたその時に、和人は思わず驚く事になった。

 

 

 愛莉の見ていた窓の外、その下側に広がっていたのは、駅のホームの柱の間、駅の向こう側にある広場の光景。そこでは、あの少女の路上ライブの何百倍もの数の人が、何かを取り囲むようにして集まっている。一目見ただけでは、セブンのようなアイドルを取り囲んでいるようにも見えるが、先程の罵詈雑言は駅をはさんだ向こうから聞こえてきていた。

 

 この(おびただ)しい数の人が、あの罵詈雑言の発生源だ。この無数とも言える人々が、罵声を放っていたのは間違いなさそうだが、一体何が人々にそうさせているのか、全く見当がつかなかった。

 

 

「なんだこれ……何に集まってるんだ?」

 

 

 和人がそう呟いたその時に、ドアが閉まり、電車は新橋駅に向かって走り出す。見る見るうちに無数の人々が集まる光景は横方向にずれていき、すぐさま見えなくなって、ビルが流れていく有様に代わる。

 

 あの光景は、あの人々は、あの罵声はなんだったのだろうか。そして何故、愛莉はあの光景に注目したのか。気になった和人は、目の前の愛莉に声をかけようとしたが、その時に愛莉が呟くように言った。

 

 

「『……(しゅ)が、「お前の名は何か」とお尋ねになると、それは応えた。「我が名は軍勢(レギオン)。我々は大勢であるが故に」』」

 

 

 

 独り言なのか、そうではないのか、よくわからないような愛莉の呟きに、詩乃と一緒になって和人はきょとんとする。そしてそのすぐ後に、愛莉の発したレギオンという言葉を思い出す。

 

 レギオンとは、古代ローマ軍の事を示す言葉だが、一番最初に出てきたのはローマではなく、新約聖書だとも言われている。そして愛莉の呟きの通り、あそこで集まっている人々は、軍勢(レギオン)と言ってもいいくらいの数と勢いを持っていたと、和人は思う。その最中で、詩乃と恭二が同時に、愛莉に声をかけた。

 

 

「あの、愛莉先生」

 

「愛莉先生、どうしたんですか」

 

 

 一緒に居ようと言った患者達数人の言葉にすら愛莉は応えず、ただ窓の外を眺めているだけだった。そんな主治医を、三人はただ見つめている事しか出来ず、四人を含んだ大勢の客を収容した電車は、結構な速度で次の駅を目指して走っていた。

 


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