キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

213 / 565
04:歩幅合わせて街歩いて

           □□□

 

 

「本当に俺の用事の方を最初にしていいのか。俺の方よりも、詩乃の方を先にしてもらってもいいんだぜ」

 

「いいのよ。私の買い物は長くかかりそうだし、何より後の方が思いきり楽しめるもの。だから、和人の用事の方を最初にしましょ」

 

 

 日曜日 午前十時十五分 山手線電車内部

 

 詩乃とのデートの日を迎えた和人は今、その詩乃と一緒に電車に揺られていた。

 

 朝起きて、直葉と一緒に朝食を手早く済ませた和人は身支度を済ませて家を出て、詩乃の住むマンションまで詩乃の事を迎えに行くべく、いくつもの駅を跨いでいく電車に乗って東京都内に入り、そのままマンションの近くまで行けるバスに乗ろうとしたのだが、そのバス停で和人は詩乃と合流する事になった。

 

 その時に話を聞いてみれば、詩乃もまた和人の家に、和人の事を迎えに行こうとしていたと言い、てっきりマンションまで行く必要があるとばかり思っていた和人は思わずそこで驚く事になったが、余計な時間を使う必要がなくなり、尚且つ詩乃との時間を少しだけでも増やす事が出来たので、同時に嬉しさを感じたのだった。

 

 そしてそのまま二人で――詩乃の場合は戻る事になったのだが――東京方面へ向かう電車に乗り、池袋駅に着いたところで山手線に乗り換えて、秋葉原を目指す事になった。

 

 

 平日ならばものすごい数の通勤通学目的の人間でごった返す山手線の電車だが、日曜日の午前中である今は、そのような数の利用客の姿はない。あるとすれば普段着を着た学生達、親子連れ、カップル同士などといった、如何にも日曜日に電車を利用しそうな利用客の姿だ。

 

 その数も数えられるくらいであり、立っている利用客よりも座っている利用客の方が多い。その座っている利用客の中に、和人と詩乃も含まれている。

 

 

「ところで和人、今日のあなた、いつもと違う格好してないかしら」

 

「え?」

 

「ほら、いつものあなたって、もっとだらしない格好してるっていうか……」

 

「だ、だらしないか。あ、あぁまあ、そうだな。いつもだらしない格好、してた。だけど、あれはあくまで家の中に居る時であってだな、外に出る時まであんな格好してるわけじゃないぜ」

 

 

 隣に座っている詩乃に言われて、和人は自分の身体に目を向ける。和人は家にいる時は少し首元がよれた黒いTシャツに、黒いズボンという、如何にもだらしないという恰好をしている傾向にあり、それが所謂和人の普段着のようなものであり、買い物に出かける時などもほとんど似たような恰好だった。

 

 

 しかし、詩乃と付き合い始めてからというものの、詩乃と出かける時にはもっとましな服装をするべきだと和人は思うようになって、そのような恰好で外に出る事は一切やめた。

 

 そんな和人は今、白い長袖のTシャツの上に、黒いチェスターコートを羽織り、黒いジーンズを履いているという、俗にいうフォーマルな格好で詩乃の隣に並んで座っている。このような恰好をしているのは前のデートの時もそうだ。

 

 いつもの和人とは思えないようなフォーマルな服装に身を包んだ和人に並んだ詩乃は、その服装を軽く見ながら、少しだけ笑った。

 

 

「結構前までは、そんな恰好で外に出たりしなかったみたいだけど?」

 

「そうだけど……ちょっと考え方を変えたんだよ。その、君と一緒に出掛ける時くらい、いい服装をしてたいって、思うようになったんだ」

 

「え、私の為なの」

 

 

 きょとんとした詩乃の顔。どうやら、和人が着飾っている理由が詩乃にあるとは思っていなかったらしい。

 

 

「そうだよ。詩乃だって、だらしない恰好をしてるのが彼氏だなんて、嫌だろ」

 

「……別に嫌とは思わないけれど……でも、ありがとう。いい恰好、してきてくれて」

 

 

 そう言って視線を背ける詩乃。服装について聞いてきた詩乃も、目に優しい緑色のワンピースの上に、白いフード付きのコートを着ているという、派手な感じがない、詩乃らしい落ち着いた服装に身を包んでいる。

 

 詩乃の部屋着は数回見たことがあるため、それらと似たような服装でやって来るのではないかと和人は勝手に考えていたが、詩乃がデートをする彼女らしい恰好をしてきてくれた事が合流した際にわかった時は、同じように嬉しく思ったものだ。

 

 そんな詩乃と一緒のデートを心から楽しむ事が出来るのだから、今から楽しみで仕方がない。

 

 

「それに、ちゃんとつけて来てくれたみたいね、お守り」

 

「あぁ、これだけは何があっても外せないよ」

 

 

 そう言って自分の右手を見つめる和人。そこには詩乃が渡してくれた、詩乃の父親の形見である銀色の腕輪がはめられており、十数年も前に作られた物とは思えないような煌めきを放っている。

 

 詩乃の記憶を取り入れた時から起こるようになった和人の発作を抑え込んでくれるお守り。それがこの銀の腕輪だ。これがあるからこそ、和人は詩乃とのデートを心から楽しめると思える。寧ろ、これが無ければ始まらないくらいだから、出かける前にしっかりとはめてきた。

 

 

「これがあるから、何も気にしなくていいんだ。本当に、詩乃には頭が上がらないよ」

 

「頭を上げて頂戴。……けれど、私も本当のところ、ここまで上手くいくとは思ってなかったわ。寧ろ、上手くいかないんじゃないかっていう不安の方が大きかった」

 

「えっ、そうなのか」

 

「えぇ。叶うかどうかはわからないし、叶わないかもしれないって、思ってた。それでも、上手くいきますようにって思って、あなたにそれを渡したの。効果があるかどうか、その後もずっと不安だった」

 

 

 正直なところ、詩乃が発作を抑える方法を立案してくれて、このお守りをくれた時、まさかここまで発作が起こらなくなるとは思ってもみなかったし、予想する事さえ出来ていなかった。ここまで上手くいったのだから、詩乃はかなりの自信があったのではないかとも思ったが、現実はそうでもなかったらしい。

 

 だが、こうして上手くいったのは間違いなく詩乃のおかげだ。詩乃が願いを込めてくれたから、詩乃のお守りは効果を発揮し、自分の発作を抑えてくれている。――和人はそう思えて仕方がなかった。

 

 そんな思いを抱きながら、和人は詩乃に向き直る。

 

 

「詩乃のおかげだよ。詩乃が願いを込めてくれたから、上手くいったんだ。だから、改めて礼を言うよ、詩乃。ありがとう」

 

 

 胸の中の気持ちを打ち明けるように言うと、詩乃は一瞬きょとんとしたが、すぐさま頬を桜色に染めて微笑んだ。

 

 

「……上手くいって、本当によかったわ。どういたしまして、和人。今日は思い切り、楽しみましょう」

 

 

 詩乃からの言葉を聞いて、同じように和人が微笑もうとしたその時に山手線の電車の独特のアラームが鳴り、間もなく秋葉原に到着するというアナウンスがされる。

 

 それを耳にした和人は詩乃と手を繋ぎたかったが、あえてそうせずに詩乃と共に立ち上がった。それから十数秒後に電車は停車。ドアが開かれたタイミングで周辺の利用客と一緒になって、電車を降りた。

 

 駅のホームからエスカレータを昇っていくと、四月から始まった新深夜アニメのキャラクター達とタイトルが描かれている、巨大なポスターが見えてきた。しかもそれは一つだけではなく、駅の中の至る所で確認する事が出来る。まさにアニメの街である秋葉原の駅、といった光景だった。

 

 

「相も変わらず、アニメの物ばかりね」

 

「そうだな。元々秋葉原っていうのは無数の電気屋が沢山立ち並んでいる電気街だったんだけれど、今から二十年くらい前の時から、アニメや漫画の物を扱う店が一気に増えて、アニメと電気の街になったんだよ」

 

「電気街からアニメの街、ね。すごい変わりようだ事」

 

「けれど、アニメの街って言われてる割には、まだまだたくさんの電気屋がある。パソコンのパーツを買うのには困らないところだ。けれど……」

 

 

 秋葉原の歴史を軽く語りつつ、和人は詩乃の方に向き直る。秋葉原駅に入ってからというものの、数えきる事など不可能としか言えないような人が行ったり来たりを繰り返しており、詩乃が嫌いな人混みが出来上がっている。その中を和人と詩乃は進んでいるわけなのだが、詩乃は大丈夫なのだろうか。

 

 

「詩乃、本当に大丈夫か。さっきからものすごい人混みの中を歩いてるけど」

 

「まぁ、いい気はしないわね。けれど、そんなに気になる程度でもないし、貴方が一緒に居るから、どうって事ないわ。気にしないで頂戴」

 

「ならいいんだけど、はぐれないように気を付けていかなきゃだな」

 

 

 詩乃が頷いたのを確認してから、和人は再び視線を目の前に向けて、足を進める。やはり休日の午前中という事もあってか、ALOの空都ラインに結集しているプレイヤーのような数の人々が、川を流れる水のように秋葉原駅の中を動いていく。

 

 恐らく今頃ALOの空都ラインもまた、同じように多くプレイヤーで賑わっているだろう――そんな事を考えながら、人々が作り出す川の流れに乗るようにして和人と詩乃は歩き続け、やがて秋葉原駅を出た。

 

 秋葉原駅の出口の向こうに広がっていたのは、葉のように広告を付けた無数の巨大なビルが木のように立ち並んでいて、多くの人がそれぞれの目的地を目指して行き交っているという光景。

 

 そして耳をすまさなくても、人々の声や車が行き交う音、電車が鉄橋の上を通っていく音があちこちから、鳥のさえずりと言わんばかりに聞こえてくる。コンクリート、種類を選ばない様々なものが出す音と、行き交う人々で構成されている森。それが秋葉原。

 

 長年ここに通い続けている和人からすれば、ひどく見慣れた光景だった。

 

 

「さてと、こうして秋葉原に着いたわけだけれど、和人の目的地はどこ?」

 

「いつも使ってるメディアショップがあるんだ。ひとまずそこに行って、あるかどうか見てみよう。まぁ、欲しいのはキーボードだから、売ってないわけないと思うんだけどな」

 

「それじゃ、まずはそこに向かうのね。それでその後は……」

 

 

 そこで和人はある事に気が付いた。詩乃がこうしてデートに誘ってくれた時、服などが欲しいと言っていた。秋葉原にも大きなショッピングセンターがあるから、服を買う事も出来ると言えば出来るのだが、秋葉原にあるショッピングセンターや服屋はあまり品ぞろえがよくなくて、別なところで買った方がいいと、この前翠が言っていた。

 

 その話が本当ならば、詩乃の用事を済ませる時は、別なところへ行った方がいいだろう。

 

 

「なぁ詩乃」

 

「うん?」

 

「君は今日、服が欲しいって言ってたよな」

 

「うん。そう言ったけれど?」

 

 

 そこで和人は、この前翠から聞いた話を詩乃にした。その話が終わった頃に、詩乃は少しだけ驚いたような顔をして、答えた。

 

 

「ここの服屋さんって、品ぞろえ良くないの?」

 

「かあさんが言うにはそういう事らしい。だから、俺の用事が済んだら秋葉原から離れて、別なところに行ってみようって思うんだけど、どうかな」

 

「それなら、そっちの方がいいかもしれないわね。けれど、ここじゃないならどこに行くの。東京じゃ服屋さんなんて数えきれないくらいあるわよ」

 

 

 そう言われて、和人は記憶の引き出しを開ける。どのくらい前だったかは忘れてしまったが、翠は秋葉原の服屋について喋った後に、お台場の巨大ショッピングモールは服屋が沢山あって、品揃えもより取り見取りだと言っていた。そしてそこならば、沢山のレストランがあるから昼時になっても困らないし、カフェもかなりの店舗あるから、休憩するにも困らない。

 

 何より、そこ自体休日のカップルのデートスポットとしても有名なところだ。向かうならばそこが一番いいだろう。

 

 

「お台場にあるショッピングモールなんてどうかな。あそこ、服屋がいっぱいあって、品ぞろえもいいらしい。詩乃が欲しいものもあるんじゃないか」

 

「なるほどね。じゃあ、和人のパソコンのパーツを買ったら、お台場に向かう。それでいいわね?」

 

「姫様がよろしいと仰るならば」

 

「わかったわ。それじゃあ、まずはあなたの用事を済ませに、行きましょ」

 

 

 微笑む詩乃に頷いて、和人は歩き出す。普通、恋人同士ならば手を繋いだり、腕と腕をからめあったりして街中を歩くものだし、周りに目を向けてみれば、実際にそうやっているカップル達も結構な数、確認できる。

 

 だが、勿論そういう事をしたいという気持ちはあるけれど、そうしたいのは周りに一切人がいない、本当に二人きりの時だけすると決めている和人と詩乃は、周りがそうであったとしてもそんな事はしようとせず、ただ同じ歩幅で並び、仲良く話しながら歩くだけという方法を取っていた。

 

 そんな調子で街の中を歩く最中、和人は秋葉原ならではのモノの事を思い出して、詩乃に問うた。

 

 

「そういえば、詩乃はハニトーを食べた事があったっけ」

 

「ハニトー? どこか外国の料理かしら」

 

「あぁそこからか。料理っていうか、スイーツだよ。食パン一斤まるごと切り抜いて、蜂蜜かけた小さいパンをその中に入れて焼いて、バニラアイス乗せたのだよ。知らないか?」

 

「知らないわね。アスナ達と友達になるまで、スイーツだとかに興味を持った事が無かったから」

 

 

 右手に嵌っている銀の腕輪を見つめながら、和人は頭の中に存在する詩乃の記憶を呼び出す。確かに詩乃はあの事件以来、女の子が如何にも興味を示しそうなものに興味を示す事も無ければ、スイーツだとかに手を伸ばそうとする事さえなかった。それがようやく始まっているのは、本当にアスナやリズベットとSAOで友達になった時からだ。

 

 ……今更だが、そのタイミングを迎えるまで、詩乃は女の子らしい事柄から離れて生きてきている少女だと言える。そんな事を思っていると、その詩乃の声が耳に届いて来た。

 

 

「あっ、待って。食べた事あるわ!」

 

「えっ、そうなのか」

 

「えぇ。前に愛莉先生と一緒に、そういう名前があるお店に行ったわ。その時に愛莉先生が頼んで、一緒にシェアして食べたのよ。確かその時もこの秋葉原だった」

 

 

 恐らく自分の頭の中に来なかったであろうものの話をした直後に、詩乃は少し嫌な事に触れたかのような顔になった。

 

 

「……和人、もしかしてアレ、食べたいの」

 

 

 そう言われて、和人はハニトーなるものの事を思い出す。ハニトーとは、先程言った通り、食パン一斤をまるごと切り抜いて、四角形に小さく切られた、蜂蜜の染み込んだパンを中に敷き詰めて焼き、バニラアイスなどを乗せたスイーツなのだが、その大きさと量と来たら! 以前海夢(カイム)と一緒にその店に寄って、一つずつ食べた時には、あまりの大きさに完全なる満腹状態になり、動けなくなったものだ。

 

 

 そしてその後、しばらく物を食べる事が出来なかったし、夜になっても空腹にならなかった。ハニトーを食べた事を話した時には、直葉と翠は是非とも食べたいと言っていたが、和人は全くと言っていいほどアレを一つずつ頼んで食べるという事をお勧めしない。直葉と翠は勿論の事、明日奈や里香、珪子や琴音(ことね)/フィリアにも、絶対にお勧めしない。――そして詩乃も、アレをよく理解していたようだ。

 

 

「いや、食べたいとは思わないな。多すぎるし大きすぎるんだよ、アレ」

 

「それは一人で一つずつ食べようとするからよ。半分して食べると丁度いいわ。だけど、アレ甘すぎないかしら。愛莉先生は美味しいって言ってたけれど、私はパスだわ、アレ」

 

「愛莉先生は頭使う研究者だから、甘いものが美味しいんだよ。けど、俺も同じくだ。何か食べたくなったら、アレよりも甘さ控えめの物を食べような」

 

「そうしましょう。けれどね、和人」

 

「うん?」

 

「なんだか、やっぱり嬉しいわ」

 

 

 突然言い出したものだから、少し驚いて詩乃に注目する和人。詩乃は少し下を向きつつ、続けた。

 

 

「和人の発作が起こるようになってたってわかった時、もうSAO(あのころ)みたいに美味しいものを一緒に食べたりする事も出来なくなったって、思ったから。だから、こうしてまた何も気にせずに和人と一緒に歩けて、和人と一緒に買い物で来て、和人と一緒に美味しいものを食べられるっていう事自体が、すごく嬉しい」

 

 

 発作が起こるようになったとわかった時には、詩乃と同じような事を考えた。いや、この発作に抵抗しようと何度も考えたし、実行しようとしたけれど、なかなかうまくいかず、やはりもう無理なのだと心が折れそうになった。

 

 だが、この発作を抑える事が出来たおかげで、またこうして詩乃と一緒に、全ての物事を楽しめる。これを嬉しく思わない事など、和人には出来なかった。

 

 

「……そうだな。これからはこれまでどおり、何もかもを楽しめる。一緒に色んな事を楽しんで、色んな所に行って、色んな美味しいものを食べなきゃな、詩乃」

 

「……えぇ」

 

 

 そう言って、和人と詩乃は笑み合う。ここでようやく、周りの人々に二人がカップルであると伝わったようなものだったが、その時に和人はある事に気が付き、もう一度詩乃に声をかける。

 

 

「ところで詩乃」

 

「え?」

 

「言いたい事があるんだけど、言っていいか」

 

「どうぞ?」

 

「目的地、通り過ぎた」

 

「え!?」

 

 

 和人が目的地としていたのは、秋葉原駅の近くにある大きなメディアショップだ。そこは秋葉原駅から歩いてほんの少しでいけるようなところにあるのだが、和人は詩乃と話す事に夢中になってしまって、その店を既に通り過ぎてしまっていた。今からそこに向かうには来た道を真っ直ぐ戻る必要がある。

 

 

「あ、あなたねぇ、通り過ぎてるなら通り過ぎてるって、なんで言わないのよ」

 

「ご、ごめん。話すのが余りに楽しくて、つい夢中になってしまって……」

 

「全くもう……それで、どのくらい戻る必要があるの」

 

「ここから歩いて三分くらいかかると思う。かなり通り過ぎてしまったな」

 

「しょうがないわね。それなら早く戻りましょう。今度こそ、話すのに夢中になって通り過ぎたりしないでね」

 

「気を付けます……」

 

 

 そう言った後に二人で後方に方向転換し、来た道を戻っていく。和人が目的地としている巨大なメディアショップは、この秋葉原という広告という名の葉を付けたビルの樹、コンクリートという名の草で構成されている森の中でも、横に大きな樹だ。

 

 和人はその店をずっと利用していて、自宅にある自作パソコンのパーツは大体そこで買い揃えたものだし、あのナーヴギアとSAOを買った所もそこで、現在使用しているアミュスフィアとALOを買ったのもそこだ。

 

 だから、和人はそこの店の常連客とも言え、そこに向かう時には通り過ぎたりする事もなかったのだが、そんな店を通り過ぎてしまうくらいに、詩乃との会話は楽しいものだと、改めて知る事になった。

 

 ……そういう考えに気を取られないようにしながらも和人は考えつつ足を進め、道行く人々に混ざって歩き続けたところ、すぐさま目的地である巨大メディアショップの目の前に到着したのだった。和人の目的地がどのようなところなのかを、事前に知らなかったのであろう、詩乃は目の前に鎮座する横に長い巨大なビルに驚いた。

 

 

「こんなに大きなところだったの」

 

「あぁ。パソコンとか電化製品とか、買う時にはここって決めてるんだ。アミュスフィアを買ったのもここだし、ついでに言えばナーヴギアを買ったのもここなんだよ」

 

「こんなに大きなところを見逃すなんて……」

 

「仕方ないだろ。だって、詩乃との話が楽しいんだ。その、目的地通り過ぎるくらいに」

 

 

 そこで目を丸くする詩乃。その様子に少し驚くと、徐々にその頬が桜色に染まっていったのが見え、それがしっかりと確認出来たその時に、詩乃はほんの少しだけ口元を尖らせた。

 

 

「そういう理由なら……許してあげない事もないわ。私もあなたとの話は、楽しいって思ってたところだし」

 

「……恐縮です。それでは、入るとしましょうか」

 

 

 詩乃が頷いてくれる様子を見てから、和人は詩乃と歩幅を合わせるようにして歩き出し、常連客として入り浸っている、巨大なメディアショップという樹の中へと入っていった。

 

 メディアショップに入って早々出迎えて来たのは、携帯電話やスマートフォンの販売コーナーだった。いくつもの携帯電話やスマートフォンが並べられている台がそこかしこに存在しており、壁の近くにある対面型テーブルでは、スマートフォンの契約更新や、新規契約に来ているであろう利用客の姿と、それと対面している従業員の姿が見える。

 

 そういった人々を横目に見ながら、和人は詩乃と並んで進んでいき、やがて秋葉原駅の時と同じようにエスカレーターを使って二階に上った。二階は和人が何度も利用した事のあるパソコンとその周辺パーツを揃えている階であり、まさに和人の目的地そのものだった。

 

 スマートフォン売り場の時と同じだけれど、大きさが全く異なっている台に並べられている、様々な色と大きさのデスクトップパソコンとノートパソコン達は、その全ての電源が付いており、まるで生きているかのようにモニタに映像を流している。このマルチメディアショップを樹と例えるならば、パソコンや電化製品達はその幹の中に住まう虫のようなものだ。

 

 その虫達の放つ光を浴びながら、詩乃は和人へ呟いた。

 

 

「本当に色んな電化製品が揃ってるのね」

 

「あぁ。なんて言ったって、電気街秋葉原の最大手メディアショップだからな。これくらいの品揃えが無きゃ、その名が廃るってもんだ。詩乃は、こういうところに来るのは初めてだよな」

 

「えぇ。地元にこれだけ大きな電化製品店はなかったから。東京に来てからも、そんなに外出したりしなかったし、こういうところに来るのは初めてね」

 

「なら、いい体験になると思うぜ……って、あったぞ」

 

 

 そう言って和人は、近くにある棚により一層接近する。棚に並んでいたのは、まさに和人が買おうと思っていたキーボード達。この階に置いてあるデスクトップパソコンやノートパソコンは、青やら水色やら白やら、様々な体色をしていたものだが、どこにもつながれていないキーボード達は白と黒だけだ。

 

 その中の一つを、和人は顎に手を添えつつ注目する。

 

 

「ええっと、これだな、いつも使ってるのは。これを自宅配送してもらおう」

 

「箱に詰めても、持って帰れそうな大きさだけれど?」

 

「こんな大きさのもの、今日は持ち運ぶのはきついよ。それに、この後もっと持ち運ぶべきものが、出てきそうな感じだしな」

 

 

 和人はキーボードが並ぶ台から詩乃に向き直る。ほぼそれと同じタイミングで、詩乃はまた目を丸くした。

 

 

「えっ、それって……私の荷物の事かしら」

 

「そうだよ。服でもいくつか買えば重くなるし、君に重いものとか持たせたくないしさ。なので、服を購入した時にはそれを俺に預けてください、姫様」

 

 

 以前、詩乃とのデートの時の話をした時、翠が「もしデートの時に重いものを買った時には、持ってあげなさい」と言っていた事がある。翠によれば、これをやってもらえた方はとても嬉しい気持ちになり、頼りになると思われやすいそうだ。この話を聞いた時、次のデートではそうしようと和人は思っていたので、実行に移した。

 

 ……まぁ、翠が言っていたからではなく、詩乃に重いものなんか持たせたくないからこそなのだが。

 

 そんな和人に言われて、詩乃はまた驚いたような顔になる。

 

 

「いいの? 別に荷物くらい私が……それなら、別にもの買わなくても……」

 

 

 詩乃の記憶を頭の中に呼び出してみても、詩乃がお洒落のための服を買ったりしているものは出てこない。いつも同じような服ばかり着て、出かける時だけ何となくだらしなくないような服を着るという事しか、詩乃はしていない。

 

 明日奈や里香と街に出かけるようになったのに、やはりそういう事を積極的にやろうとはしていないのだ。翠曰く、「御洒落をするべき年頃なのに」だ。

 

 

「詩乃もたまには買い物を楽しんだ方がいいと思うよ。今までそういう事、してこなかったわけだしさ。限度こそはあるけれど、荷物は俺が持つから、さ」

 

 

 向き直った和人に言われて、詩乃はもう一度下を向いた。そして、顔を上げた時には、すまなさと嬉しさが混ざり合ったかのような、微笑みが浮かびが上がっていた。

 

 

「わかったわ。それじゃあ、頼りにさせてもらうわよ」

 

「お任せください」

 

 

 信頼するという気持ちと、信頼してほしいという気持ちを互いに伝え合って笑い合った後に、和人は近くにいた従業員に声をかけてレジに向かい、買うと決めたもの購入手続き、自宅配送の手続きを進めたのだった。

 

 それが終わると、二人は光を放つ虫達のいる階の下に向かうエスカレーターに乗って降り、やがてマルチメディアショップを出た。元々これだけしか用事がなかったし、他に欲しいものもなかったし、尚且つこれからお台場に向かう事を目的としているから、長居する意味がなかったのだ。

 

 そうしてメディアショップの入り口を通り過ぎて外に出た時に、和人は隣にいる詩乃に声をかける。

 

 

「さてと、これから第二目的地に向かうわけだけれど、準備はいいか」

 

「えぇ。だけど、そこってどういうところなのかしら。行った事ないのよね、お台場方面って」

 

「そうだろうな。まぁとにかく行ってみればわかるから、早く行こうぜ」

 

「そうしましょうか。何だかワクワクするわ、新しいダンジョンに挑むときみたいで」

 

「ははは、お台場のショッピングモールはそんな感じだな。それじゃ、早速現実世界のダンジョン攻略のために、ダンジョンへ――」

 

 

 まるでALOで新たに発見された迷宮に挑むときのような感覚を抱きながら、和人が言いかけたその時だった。和人の目の前――詩乃の背後――から、人々の声や車の走る音、電車の通る音に混ざって、声が聞こえてきた。

 

 

「先生、こんなのってないですよ! こんな事、許せません!」

 

「相手がもしそこら辺のブログだったなら、通報で一発OKだ。だけど、あまりに大きすぎるのが出てきてしまった。しかも今じゃどこも聞いちゃくれない」

 

「そんな、何とかならないんですか!」

 

「むー……いよいよ連中もひどい事をするようになったものだ。明らかにやっていいような事じゃない事をして、意見にも一切耳を傾けなくなったとは、もう終わってるよ」

 

 

 若いけれど自分達よりかは若干年を取っている女性の声と、自分達と同じくらいだと思えるような若い男の声。男の声の方は、何となく聴き覚えがあるようなものだったが、女性の方は何度も聞いた事があるもので、ついこの前も聞いた声だ。

 

 その声に思わず反応したのは詩乃もそうで、気付けば二人揃って声の聞こえてきた方向に向き直っていた。

 

 

 行き交う人々の中、話し合いながらこちらに向かって来ているのが二人いる。黒いジーンズに縦縞模様の薄緑色のセーターで、その上に白いコートを羽織っている、大きめの胸が特徴的な、黒くて長い髪の毛と赤いカチューシャの女性。肩には黒いレディスバッグ。

 

 その隣にいるのは、白いナイロンパーカーとジーンズに、肩にデイパックを下げて、黒いベースボールキャップを被った少年。あまり離れていないためか、普通より痩せているのと、目の辺りの濃い陰影のおかげで自分達と同じ高校生である事がわかったが、その少年よりも、二人は女性の方に注目し、その名を同時に呼んでいた。

 

 

「「あ、愛莉先生!?」」

 

 

 その声が人々の喧騒とした声の中に響いていった直後に、その女性と少年は、ほぼ同時に和人と詩乃に向き直り、両方とも同じような、驚いた顔となった。

 

 

「し、詩乃に和人君!」

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。