キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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18:白銀色の絆

「ふぅ……」

 

 

 普段着と同じような黒い色をしたパジャマを着こんだ和人は、自分の部屋のある二階へ続く階段を上がっていた。髪の毛を拭くためにバスタオルを被っている。

 

 食事を終えた後には風呂に入る事になったのだが、そこではいつもと違って直葉、詩乃、和人、翠の順番で入る事になっていた。いつもならば和人が一番風呂に入る事がほとんどなのだが、今回は詩乃がいるためなのか、そうはならなかったのだ。

 

 だが、そんな事は和人にとってはどうでもいい事であったため、それを快く承諾。詩乃が風呂から上がって来て、直葉の部屋に入っていったのを聞いた後に、パジャマやバスタオルを持って部屋を出て脱衣所に入った。

 

 いつものように脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入ってみれば、そこには真っ白い湯気が立ち込めていた。だがそこで和人は、いつもと違う事が起きている事に気付いた。通常、浴室の戸を開けた時には無機質な水の匂いのする湯気が広がってくるのだが、今夜の浴室に立ち込めていた湯気の中には、直葉と詩乃が本来持っている女性のいい匂いと、石鹸やシャンプーの匂いが混ざっていたのだ。

 

 

 湯気を吸った瞬間に詩乃の匂い――詩乃の身体だけが持つ――がしたものだから、和人は思わずびくりとしてしまって、更にごくりと息を呑んでしまった。

 

 しかもその瞬間から、日頃からイメージ力が鍛えられている頭の中で、詩乃が入浴したり身体を洗ったりする仕草が容易かつ鮮明に想像されてしまい、湯に浸かったわけでもないというのに体温が上がって、心臓がどくどくと音を立てて激しく鼓動するようになった。

 

 女性が入った後の風呂とは、なんと精神衛生的に悪いものなのだろう――そう思いながら和人はぶんぶんと首を横に振って頭の中のイメージを何とか薄くし、入浴する事に集中したのだった。

 

 

 そんなふうな、いつもと違う入浴時間を過ごした後に脱衣所でパジャマに着替えて、和人は濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら、階段を上がっていったのだった。

 

 自分の部屋の前に差し掛かったその時に、和人は足を止めた。

 

 

「……あれ」

 

 

 直葉と詩乃がいるはずの直葉の部屋が、妙に静かだ。

 

 詩乃が桐ヶ谷家に泊まるという話になってから、和人は詩乃を自分の部屋に泊めるべく、部屋の掃除や片づけなどをした。

 

 だが、その後すぐに直葉がほぼ強引に詩乃を自分の部屋に泊めたいと言い出してしまい、更にそれを翠が承諾。

 

 その結果、詩乃は直葉の部屋で一晩過ごす事になり、和人の準備はその一切が無駄になってしまった。その時はあまりに突然の事だったものだから、和人はどういう事だと反論したが、翠曰く「詩乃ちゃんと和人はまだ高校生同士なんだから、寝る部屋を共有しない方がいい」だという。

 

 「SAOの時は毎日それだったのだけれど」と言いたくもなったけれど、翠が言うのだから承諾しないわけにはいかない。結果として和人はいつも通り、自分の部屋で一人で寝る事になったのだった。

 

 

 そのはずだというのに、直葉の部屋からは詩乃の声もしなければ、直葉の声さえもしてこない。まだ夜の八時三十分だというのに、二人はもう寝てしまったのだろうか。――そんな事を考えながら自分の部屋に入り込もうとした時に、和人は気付いた。

 

 ……部屋の中から気配がする。自分が風呂に入っているうちに誰かが和人の部屋の中に入っている。そして今も、自分がやって来る事を待つかのように、いるのだ。

 

 

(……誰だ)

 

 

 心の中で呟きながら戸を開けると、部屋は既に明かりが点けられていた。茶色いフローリングの床にベージュ色の壁、そして様々な物や書籍が並んでいる棚があって、部屋の一番奥にあるのは自分が組み立てたオリジナル自作PC。

 

 そんないつもと変わりのない部屋の真ん中に、足の短いテーブルがあって……その近くに気配の正体はいた。

 

 

「あれ、詩乃」

 

「あっ、上がってきたのね、和人」

 

 

 部屋の中に居たのは詩乃だった。その恰好はいつものそれとは異なっていて、黒いタンクトップの上に白色の大きめのトレーナーを着て、黒色のショートパンツを履いているという、如何にも寝間着と言えるような服装だ。

 

 詩乃の就寝というものに立ち会った事がないため、パジャマ姿の詩乃を見たことが無かったのだが、そもそも詩乃はパジャマ以外の服を着て寝る主義らしい。

 

 そんな詩乃を目にしながら和人は戸を閉めて歩き、詩乃の隣に座る。

 

 

「スグの部屋で寝るんじゃなかったのか」

 

「途中で予定が変わったのよ。和人の部屋で一緒に寝ていいって、和人のおかあさんが」

 

「そうだったのか。てっきりスグの部屋で寝るとばかり思ってたから、びっくりしたよ」

 

「伝えるのが遅くなって、ごめんなさい」

 

 

 「ううん」と和人は言う。普段は自分しか利用していない自分の部屋に、愛する人である詩乃がいる。友達だとか親友じゃなくて、愛する人である詩乃が。

 

 ずっと前から、いつか詩乃の事を部屋に招き入れたいとは思っていたけれど、まさかここまで早くなるとは。和人は全然予想していなかったが、今こうしてそれが実現している。その事実が素直に嬉しかった。

 

 

 だが、今日一日の事を思い出すと、和人は詩乃へのすまなさが込み上げてくるのを感じた。

 

 詩乃の部屋には相変わらずテレビがないため、テレビのニュースとかを見る事はないのだが、和人の家のリビングにはテレビがある。そのせいで普段なら避ける事が出来る拳銃に纏わるニュースを、詩乃に見せつける事になってしまった。

 

 

「……俺こそ、ごめん」

 

「え? なんで謝るのよ」

 

「ほら、皆で夕飯食べた時、あんなものを見せてしまったから……詩乃の家に居れば見る事なんてない、拳銃のニュースなんてものを……見せちゃったからさ」

 

「あっ……」

 

 

 そこで詩乃は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに首を横に振って、和人に顔を向け直した。

 

 

「そんなの気にしてないわよ。それに、あの時は大丈夫だったわ。和人がすぐにチャンネルを変えてくれたから……というか、和人はどうなの。大丈夫、だった……?」

 

「うん。画面見ないようにしてたから、実物は見ずに済んだよ」

 

「そう……」

 

 

 軽く俯く詩乃。和人がこうして拳銃に関する話を聞いたり、実物の写真を見たりすると具合が悪くなるのは、詩乃の記憶を頭の中に入れてしまったせいだと詩乃は思っている。

 

 確かに詩乃の頭の中に意識を入れて、記憶を共有した時からこうなるようにはなった。だが、自分はこうなってしまった事を後悔などしていないと言ったし、心配いらないとも言った。……それでもやはり、詩乃は気にせずにはいられないのだろう。

 

 心配なんかいらないよ――もう一度そう言おうとしたその時に、和人よりも先に詩乃の口は開かれた。

 

 

「あのね、和人」

 

「うん?」

 

「私……ね。ご飯を食べた後、和人が部屋に行ってから、話したんだ。和人の……おかあさんと」

 

「……!」

 

「全部教えてもらったわ。和人が、和人のおかあさんや直葉と、本当はどういう関係なのかとか、それを知った和人がどうなったとか、全部……」

 

 

 まさか、こんなに早く母は詩乃に真実を教えたというのか。自分の中の真実は自分から詩乃に話そうと思っていたというのに。しかしそうであるというのに、和人は母が余計な事をしたとは思わなかった。

 

 

「和人は……本当の両親とは、ずっと小さい頃に別れてたんだね。それでその後すぐに直葉のおかあさんに引き取られて、本当の子供同然に、今まで育てられてきた……」

 

 

 いつの日か伝えようと思っていた真実が詩乃の口から語られると、和人は思わず喉からか細い声を出してしまった。しかし嫌な気は感じなかった。

 

 そうだ、もう詩乃に隠し事はしないと決めたのだ。丁度いい、話してしまおう。

 

 

「そうだよ。俺は本当はかあさんの子供じゃないし、スグと血の繋がった兄妹じゃない。かあさんも俺からすれば叔母さんで、スグも従妹なんだ」

 

「それを知ってしまってからなのよね。あなたが、人を信じられなくなったのは……」

 

「……そうだよ。その時から俺は、他人との距離感っていうのが全然わからなくなったんだ。当然、誰かの事を信じる事も出来なくなった。目の前にいるかあさんやスグの事さえ、信じる事が出来なくなったんだ……」

 

 

 だからこそ和人はネットゲームに傾倒した。誰もが自分ではない存在になり切る事が出来る、偽りの世界。本当の自分を見つめなくていいから、いくらでものめり込んでいられる場所。

 

 本当の自分を見つめなくていいという癒しを与えてくれる世界――和人は最初、SAO世界の事をそう思っていた。

 

 

「あっ、でももうそんなんじゃないよ。今はまぁ……数は限られてるけれど、人の事は信じられるよ。かあさんの事だって信じてるし、スグだってそうだし、リランもユイも……みんなも、そして詩乃も同じだよ。というか、一番信じてるのは詩乃――」

 

「私ね」

 

 

 和人の言葉を遮るように詩乃は声を出した。普段から詩乃の事を優先するようにしているためか、反射的に和人は言葉を止めて、詩乃の言葉を聞く姿勢になった。

 

 詩乃は和人の方ではなく、正面を見ながら、言葉を紡いでいった。

 

 

「私ね、時々考える事があったの。どうして私は和人の事を好きになったんだろうって。どうして和人を好きでいられるんだろうって。どうして、和人の傍に居たいって思えるんだろう、って。

 そしたら思い出したのよ。あなたと初めて出会って、一緒に住むようになった時、あなたが見ず知らずの私に、どんどん近付いて来た時の事を。

 私、あなたの事を全然信用できなかった。だから何度もあなたの事を追い払おうって思った。一緒に暮らしているだけってことして、それ以上の関係にはならない、それ以上踏み入れさせないようにしようと思ってた」

 

 

 そういえば詩乃とSAOの世界で初めて出会った時、詩乃から厳しい言葉を何度も投げかけられた。その後も色々あって、一緒に暮らしていたわけだが、その中で棘のある言葉を何度も刺されたものだ。その時の事を思い出しつつ、和人は詩乃の言葉に耳を傾け続ける。

 

 

「だけど、あなたは何度追い払おうとしても、私の傍に居る事を選んでくれた。何度私に酷い事を言われても、その都度、私のところに踏み込んできた。それで、私の事を何度も守ろうとしてくれて、実際に守ってくれた。

 ……あの世界に居る時には全然考えていなかったんだけれど、今になって思うの。どうして和人は私が追い払っても、近付いて来たのかなって。どうして、私の事を放っておこうって思わなかったのかなって」

 

 

 あの時、どうして詩乃の心に踏み込もうとしたのか。どうして、詩乃の事を放っておこうと思わなかったのか。その理由については和人もあまり深く考えた事はなかった。

 

 詩乃と出会った時から、詩乃の事を放っておこうという気持ちになる事が出来ず、気付いた時には詩乃に恋心を抱いて、詩乃を守りたいと思って、詩乃のために剣を振るうようになっていた。詩乃の事を第一に考えるようになっていた。

 

 

 その時には既に詩乃を好きになって、愛する事に理由なんていらないと思うようになって、深く考える事などやめていた。

 

 

「それで、和人のおかあさんから話を聞いて……私、わかった気がするの。私がどうして、和人の事を好きになったのか。……私は気付いてたんだわ。和人が私と同じような目に遭って、同じように人を信じられなくなった人だっていうのに、無意識のうちに気付いてたんだと思う。

 だから、私は同じ苦しみを知っているあなたに惹かれた。あなたを好きになった。貴方の傍に居たいって、思った。ううん、あなたが私と同じだから、私はあなたを好きだって思える。傍に居たいって思える」

 

 

 そう言って向けてきた詩乃の瞳に自分の姿を映し出して、和人ははっとする。もしかしたら、自分もそうなのかもしれない。他人との距離感が狂って、人の事を信じられなくなっていた自分は、詩乃の態度や様子などを見るだけで、無意識のうちに詩乃が自分と同じ苦しみを抱いている人であるという事を理解していたのかもしれないのだ。

 

 詩乃が自分と同じだったからこそ、その苦しみを癒してやりたいと無意識のうちに思って、接して、守ってやりたいと思って、そして好きになったのだ。

 

 

「私、和人のおかあさんの話を聞いて、びっくりしちゃったわ。ここまで私と和人は似てたんだって。こんなにも似てるところがあったんだって。

 それで、すごく嬉しかったの。同じ苦しみを抱いていて、自分の生き写しみたいに見えるかもしれない私の事を嫌悪しないで、和人が私の傍に居てくれることを、私を愛してくれることを選んでくれたのが……和人が、私と最初から似てたっていうのが……全部」

 

「……詩乃」

 

 

 そこで、詩乃はすんと微笑んだ。

 

 

「私達はあの時出会うよりも前から、似た者同士よ。似た者同士のあなただから、私は、心の底からあなたを大好きだって思えて……愛せるんだわ」

 

 

 詩乃の微笑みを自らの瞳に映したところで、和人の中で確信が生まれた。

 

 どうして詩乃を守りたいと思ったのか、詩乃を愛おしいと思うようになったのか。

 

 詩乃と出会う前に、サチという大切な人を喪っていて、それを繰り返したくないからという思いもあったのだけれど、やはり自分は詩乃と出会った時から、詩乃が自分と同じ苦しみを抱いている人であるという事を無意識のうちに理解していたのだ。

 

 詩乃が自分と同じだったからこそ詩乃の苦しみを癒してやりたいと思い、守りたいって思い、傍に居たいと思い、そして……愛おしいと思えるのだ。その事に気付いた和人は詩乃と同じように微笑みつつ、その身体にそっと手を伸ばして、そのまま抱き締めた。

 

 

「……そうだな。俺達は似た者同士だ。似た者同士だから、俺は君が愛おしい。君が大好きだって思うんだ。だから、これからもずっと一緒に居ような、詩乃」

 

「……えぇ。ずっと一緒よ。これからも、ずっと……愛してる、和人」

 

「うん。……愛してるよ、詩乃」

 

 

 そう言い合って、数分ほど抱き締め合った後に、似た者同士の二人は離れて、向かい合った。

 

 その直後に、詩乃は何かを思い付いたような顔になる。

 

 

「あっ、そうだわ、和人。ちょっと、私が今日和人の家に泊まろうと思った理由なんだけど……」

 

「えっ?」

 

「私ね、あれからずっと考えてたの。ほら、和人って今……私の記憶で苦しんでるでしょう」

 

「えっ、あぁ、そうだな」

 

「それで、上手くいくかどうかはわからないんだけれど……」

 

 

 そう言いつつ、詩乃は桐ヶ谷家に来た時に担いでいたリュックサックに手を伸ばし、そのチャックを開けて物を取り出した。一体何が出てくるのかと思ってみてみれば、それは何の変哲もない、新品のノートだった。

 

 

「ノート……?」

 

「和人って、自分の記憶と私の記憶が、どっちがどっちなのかわからなくなって、苦しいんでしょう。それで私、思い付いたのよ。

 私があなたに私の記憶を教えて、あなたがあなたの中にある私の記憶をしっかり認識にすれば、苦しくならないんじゃないかなって。だからこのノートに、あなたが覚えている事を全部書き出してほしいの。これがやりたくて、泊まろうって思ったのよ」

 

「……!!」

 

 

 そこで、和人はもう一度はっとした。そういえば、今ある症状――詩乃の記憶が自分の記憶の中に混ざり込もうとしてくる――を、愛莉に話した時に出された対策は、詩乃の記憶をしっかりと詩乃の記憶であると認識する事だった。

 

 しかし、自分一人でそれをやろうとしても、詩乃の記憶が本当に詩乃の記憶なのか、それとも自分の記憶であるのかわからなくなる事が多くて、結局意味をなさなかったし、効果だってなかった。

 

 

 だが、詩乃本人から詩乃の記憶を教えてもらえば、しっかりと詩乃の記憶であるというのを認識できるかもしれない。自分の記憶と詩乃の記憶の線引きがはっきりとするかもしれない。それに詩乃本人が自らの記憶を言うんだから、間違う事はないはずだ。

 

 

「そうか、それなら……だけど、協力してくれるのか」

 

「当たり前じゃない。あなたのそれはあなた一人の問題じゃない。私の問題でもある。ううん、元はといえば原因は私なんだから、最初から私()の問題なのよ。だから和人、私に協力させて」

 

 

 いつも見ている詩乃の黒色の瞳。出会う前から似た者同士だったという事がわかった、目の前の愛する人のその瞳には、暖かくて強い光が瞬いている。

 

 詩乃は本気だ。本気で、和人の中にある問題を一緒に解決しようと思っている。それを感じ取った和人は、心の底から嬉しさが突き上げてきて、涙が出てきそうになった。しかし泣くのは我慢して、大きく息を吸って吐く。

 

 

「わかった……協力してくれ、詩乃。本当にありがとう」

 

「お礼なら、効果があってから言って頂戴? 本当に効果があるかどうかはわからないから」

 

「効果はあるよ。詩乃が提案してくれたんだから、間違いないさ。

 それで、具体的にはどうして行けばいいんだ?」

 

 

 和人の問いかけを受けたところで、詩乃はノートの表紙を開き、懐から一本の黒いシャーペンと、ピンク色のインクが充填(じゅうてん)されている蛍光ペンを取り出した。如何にも高校生が勉強に使う時の筆記用具といった所だった。しかもシャーペンは書く度に芯が回転する事により、一定の太さの文字を書く事が出来る、和人も愛用しているものだ。

 

 

「やり方だけど、和人は憶えている事を何でもいいから書き出して。頭の中にある事を全て書き出してほしいの。和人の書いたのに、私に関する事、私の記憶だって思う事があったら、私が蛍光ペンで色を付けるから」

 

「何でも? 本当に何でも書かなきゃなのか」

 

「何でも書き出さなきゃ、わからないでしょう。あと、それとね、和人」

 

 

 そこで詩乃は右手の袖をまくった。露わになったきめ細かい肌の詩乃の右腕、その手首の辺りに白銀色の光る物があって、和人は思わず注目する。

 

 「あれ、詩乃ってあんなの持ってたっけ?」と思って和人は首を傾げたが、その中で詩乃は右手首の白銀色を外した。――かと思えば、詩乃は和人の右手をゆっくりと掴んで上げ、その手首に白銀色に光るそれをはめ込んだ。詩乃が手を離してくれたタイミングで、和人はゆっくりと右手を顔に寄せて、手首にはめ込まれたものを凝視した。

 

 和人の右手首にしっかりとはまっているそれは、草花を彷彿とさせる複雑な模様が刻み込まれている銀の腕輪だった。その色は銀色よりも白色に近く、白銀色(しろぎんいろ)と言っても間違っていないようなものだ。

 

 

「これって……銀のブレスレットか?」

 

「うん。それ、おとうさんのお守り」

 

「えっ……!?」

 

 

 詩乃の父という言葉に驚いた和人がその顔を上げると、詩乃は少し下を向きながら、静かにその唇を開いた。

 

 

「おとうさんが、私が生まれたっていう記念に……私の一番最初の誕生日の時に、強い子に育ちますように、これが私を守りますようにって願いを込めて、私に贈ってくれたものらしいわ。小さい時から今の今まで、ずっと持ってたの」

 

 

 詩乃の話を聞きながら、和人はブレスレットに視線を向ける。

 

 確かに、かなり年季が入っているみたいで、模様の表面にいくつか傷が見える。だが、あまり目立つような傷も無くて、尚且つ光を浴びても鈍くない反射光を放つ。かなり丁寧に手入れされているようだ。

 

 

「派手で目立つから、身に付けたりする事はあまりなかったんだけど……近くに置いておいたり、持ってると、何だか元気が湧いてきて、どんなに辛い事があっても大丈夫って気持ちになれて……発作が起きた時も、それを見れば少しは楽になって……ずっと、鞄の中に入れたりだとかしてた。今思えば私、随分とそれに助けられてきたわ。

 もし、私の記憶で苦しくなったり、どうにもならなくなりそうになったら、効果あるかどうかはわからないけれど、このお守りを思い出して頂戴……」

 

 

 その話を聞いたところですぐさま、和人は詩乃に向き直る。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。これ、詩乃のとうさんが、詩乃に贈った大切なもの……詩乃のとうさんの形見だろ。そんなの、俺がもらっていいようなものじゃ……」

 

「いいのよ。だって、その……」

 

 

 そこで詩乃は一旦言葉を区切って下を向いたが、すぐに顔を上げた。その頬は桜色に染まっていて、暖かい笑みが浮かんでいた。

 

 

「私、もうあなたの元を離れるつもり無いから。それで、いつになるかはわからないけれど、いつか本当の家族になりたいから。だから、あなたに贈るわ」

 

 

 私はあなたの傍にいる、あなたと一緒にこれからずっと生きていく――遠まわしな詩乃の告白を受けて、和人は思わず目を見開いてしまったが、すぐさま心の中が暖かくなってくるのを感じた。

 

 そうだ。もう、自分はこの目の前にいる愛する人と一生生きていくことを決めたのだ。詩乃と一緒に生きて、一緒に色んなものを見て、体験して、喜びを分かち合って、楽しい事も沢山して、辛い事も悲しい事も、全部詩乃と一緒に乗り越えていく。

 

 そして、詩乃が危険や脅威にさらされるような事があったならば、自分の命を賭して守る。

 

 もはや目の前にいる朝田詩乃という少女は、自分の全てだ。その自分の全てとも言える少女の身体を、いつの間にか和人はしっかりともう一度抱き締めており、その温もりを全身で受け止めて、自らの温もりで少女の身体を包み込んでいた。

 

 

「ありがとう、詩乃。俺も同じ気持ちだ。もう君の元を離れたりなんかしない。君を一人になんかさせない。ずっと君を守り続けるし……もう一回言う。この先何十年も、ずっと一緒だよ。君は、俺の全てだ」

 

 

 詩乃は何も言わずに、和人の身体に顔を埋めていたが、和人の言葉が終わったところで、それに応えるように頷いた。あなただって私の全てよ――という意思表示であり、それを感じ取った和人は更に強く、詩乃の身体を抱き締めた。

 

 そんなやりとりを数分間続けた後に、和人はそっと詩乃の身体を離して、見つめ合ったが、すぐさま詩乃がその唇を開いて、そっと言った。

 

 

「さぁ……始めましょう、和人」

 

「あぁ。しっかり、教えてくれ」

 

 

 和人と詩乃はテーブルに向き直り、和人は憶えていること全てをとにかくノートに書き出し始めたのだった。その時には当然詩乃の記憶と思われる記憶も出し続けたのだが、右手を動かすたびに見える白銀色の腕輪の輝きのおかげで、苦しくなったり、頭の中が混乱するような事はなかった。

 

 

 




互いが似た者同士だった事を知り、一層絆を深めた二人。

そして次回からは、ついにALOに戻ります。乞うご期待。






―今回の補足―

Q.詩乃の父親って事故死じゃなかった?

A.原作ではそう。本作では、詩乃の父親は病死している。

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