キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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大分遅れましたが、祝・オーディナルスケール公開


17:同じものを抱えて

 和人、詩乃、直葉、翠、ユイ、リラン。その六人による食事は、途中でちょっとした騒動があったものの、楽しげな雰囲気を保ったまま食事開始から一時間十分後に、終わりを迎えたのだった。

 

 普段食べられないような豪勢な料理で腹を満たし、食べた、食べたと満足そうに言いながら、空になった皿や食器を、ALOにいるユイとリランを除く全員で、キッチンのシンクの方へ運んでいく。

 

 そうして、全ての皿と食器を運びきったところで、翠はシンクの近くに設置されている食器洗い乾燥機に皿と食器を入れつつ、直葉に風呂に入るように言った。初めからその気だった直葉はすぐさま翠の指示を受け入れ、そそくさと風呂場へと向かっていった。

 

 その結果、ダイニングにいるのは和人、詩乃、翠の三人だけになった。

 

 

 しかし、その後すぐに和人が自分の部屋の片づけをもう一度すると言って階段を上がっていってしまったため、食器洗い乾燥機を起動してやる事がなくなった翠と最初から何もやる事もない詩乃だけが、その場に残される事になった。

 

 まさか翠――和人の母親である人物――と二人きりにされるとは思っていなかった詩乃は心の底から緊張感が沸き上がってくるのを感じて、椅子に座ったまま縮こまってしまった。声をかけようにも、和人の母と話す事などあまり想定していなかったため、最初の言葉さえ見つける事が出来ない。

 

 いやそもそも、和人の母はどのような話題を好んでいる人で、自分とはどのような話をしてみたいと思っている人なのだろうか。自分の話はちゃんと翠に通じるのだろうか。――最近抱く事がなくなっていた、不安と緊張が混ざったような気持ちを思い出すかのように胸の中に浮かび上がらせた時、突然耳元に声が届けられてきた。

 

 

「ねぇ、詩乃ちゃん」

 

「ッ!!」

 

 

 耳元に聞こえてきた翠の声に、詩乃は身体をびくりと言わせてから発生源に向き直る。和人のリハビリを手伝っていた時に数回見たことがある、ラフな格好をしていて、髪の毛を後ろで無造作に束ねているという髪型をしているかなり若く見える女性。SAOの時からずっと一度は見てみたいと思っていた、和人の母親。

 

 この女性を初めて見た時、その若々しい姿に、こんなに若い人が和人と直葉の母親なのかと驚いたのを詩乃は今でもはっきりと覚えている。そんな非常に若々しく見える和人の母親を視界に入れてから、詩乃はしゃんと背筋を伸ばす。直後に翠は苦笑いをした。

 

 

「そんなに畏まらなくたっていいわよ。別に、難しい話をしようとしてるんじゃないんだから」

 

 

 そう言いながら、翠はキッチンからダイニングへと歩いてきて、やがて詩乃と向かい合う位置にある椅子に腰を掛けた。翠の視線が一気に近くなった事により、詩乃は心臓が刻む鼓動が大きくなったような錯覚を覚える。一体、翠はどんな話をして来ようとしているのだろうか――警戒心にも似た気持ちを抱きつつ、詩乃が音無く唾を呑み込むと、翠はその口を開いた。

 

 

「詩乃ちゃん、その、今日はごめんなさいね」

 

「えっ……?」

 

「急に泊まってほしいなんて言い出して。正直なところ、詩乃ちゃんの気持ちと都合とか、完全に無視してたのよ、私。急に泊まってなんて言われたから、詩乃ちゃんもびっくりしたでしょう」

 

 

 詩乃は小さな音を喉から出す。

 

 確かに急な事を言い出すなとは思ったし、電話が来た時には驚いた。だが、叶うならばいつか和人の家に行ってみたいと思ってはいたし、いつの日か和人や直葉の母親や父親とも話してみたいと思っていた。

 

 だから驚きはしたけれど、こうして和人の家に来れた事は嬉しいと思っている。……翠と話す準備はしてきていないが。

 

 

「いいえ、そんな事はないです。寧ろ、とても嬉しいです。こんなふうに、呼んでいただいて……」

 

 

 ぎこちない詩乃の答えを聞いてから、翠は手をテーブルに置いて、軽く組んだ。

 

 

「……正直ね、私は詩乃ちゃんが気になって仕方がなかったのよ。あの和人が、好きになった人っていうのが、ずっと……ね」

 

「私が、ですか」

 

「えぇ。それでね詩乃ちゃん。急に聞くようで悪いんだけれど……詩乃ちゃんは、どこまで和人の事を知ってる?」

 

 

 ほんの少しだけ険しさを感じさせる表情を浮かべた翠の目を見つめつつ、詩乃は思考を回す。和人の事はSAOに居た時に、ほとんど理解している。どのような性格であり、どのようなものが好きであるとか、どのようなゲームを好んでいるのかとか、そういう基本的な事は一通り理解しているつもりだ。

 

 

「和人の事は……色んな事を知ってます。もしかしたら、まだ知らない事もあるかもしれない、ですけれど……」

 

「それじゃあ……和人と直葉が、本当の兄妹じゃないっていうのは?」

 

「えっ!?」

 

 

 そこで詩乃は目を見開く。あの二人は兄妹だというのはSAOの時から知っているし、何より今日のやりとりの中で、この二人は間違いなく兄妹だなと思える事が何度もあった。そんな二人が実は兄妹ではないというのは、一体どういう事なのか。

 

 詩乃が事情を尋ねようとするよりも先に、翠は言葉を再度紡いだ。

 

 

「……知らなかったみたいね」

 

「どういう、事ですか」

 

 

 そこで、翠の言葉は区切られる。まるでこれから話す事を、本当に詩乃に話してしまって良いのかと迷っているかのようだった。きっと、何か大事な話をしようと思っているに違いない。

 

 

「それって、どういう事なんですか」

 

「……ここだけの秘密にしてくれるっていうんであれば、話したいのだけれど……詩乃ちゃん、大丈夫かしら」

 

「はい。教えてください」

 

 

 即答すると、翠はすうと息を吸って吐き、テーブルの上にある自分の手を眺めた。

 

 

「和人はね……直葉の本当のおにいさん、ではないの。それにそもそも、私とも血の繋がった子じゃないのよ」

 

「え……?」

 

「和人は元々、私の姉夫婦の間に生まれた子だったの。だけど、姉夫婦は和人が一歳にもならないうちに、交通事故に巻き込まれて亡くなってね……その時には、和人も居合わせてたんだけど、奇跡的に和人は助かって……」

 

 

 そこまで聞いたところで、詩乃は翠の話の全容がわかった気がした。和人の本当の両親とは翠の姉夫婦であるが、その姉夫婦が亡くなってしまったために、翠が和人を引き取って自分の息子のように育てたのだ。

 

 つまり、本当の翠の子は直葉だけであり、本当は直葉にとって和人は兄というよりも従兄なのだ。

 

 

「それで……和人を……」

 

「えぇ。自分の子供同然に、育てたのよ。その後すぐに、私は直葉を産んで……兄妹同然に二人を育ての」

 

 

 確かにこれまで一緒に過ごしてきて、自分と同じように、和人にも元から何かがあるのだろうとは思っていた。だが、それが本当の両親を喪失していて、本来ならば叔母に当たる人物に育てられていて、直葉が実は従妹にあたる人であるというのは全く予想する事が出来なかった。

 

 

「そう、だったんですか……」

 

「しかも、それを和人が聞いてきたのはまだ和人が十歳になったばかりの時だったの。和人ってば、六歳の時にジャンクパーツから自分で組み立てたパソコンを使って住基ネットに入って、自分の両親が既に亡くなっている事を、私と直葉のおとうさんが本当の両親ではない事を知ってしまっていたのよ。勿論その後すぐに、私達に尋ねて来たわ。「俺の両親について、教えてくれ」ってね……」

 

 

 たった六歳の時にジャンクパーツからパソコンを組み立てられるくらいの知識があったのかと、詩乃は驚く。恐らく、他の皆が聞いた時には笑ったりするのだろうけれど、詩乃は全くと言っていいほど笑う気にはなれなかった。

 

 

「……それを、話したんですか」

 

 

 翠はゆっくりと頷く。食洗機の稼働音と食洗機の中で激しく跳ね回る水の音を聞きながら、翠は薄らと赤い唇を開く。

 

 

「その時はあまりに驚いてしまって、しらを切り損ねてしまってね。本当の事を話してしまったわ。あなたの両親は私の姉夫婦だって。直葉は本当はあなたの従妹なんだって……ね」

 

「……」

 

「その時からだったかしらね。和人はMMORPGだとか、MMOHAG(大規模参加型ハンティングアクションゲーム)みたいなネットゲームに没頭するようになっていったのは。

 きっと和人は本当の事を知ってしまって混乱して、色んなことが自分の中でぐちゃぐちゃになってたんだと思うわ。自分の両親が本当はどうで、直葉は本当は誰で、そもそも自分は一体誰の子なのか……何もかもがわからなくなっていたのよ」

 

 

 前に和人は「他人との距離感がよくわからなかった」と言っていた事がある。その理由についてはほとんど話してくれなかったものだから、どうして和人はそうなのだろうかと気になって仕方がなかったけれど、その答えを聞いて詩乃は驚いてしまった。だが同時に、そうだったのだろうなという納得感のようなものもあった。

 

 

「その事が続いたせいで、和人は人付き合いが本当に苦手になってしまって……友達も数えられるくらいしかいなくてね……正直、海夢(カイム)君と親友になれたのは奇跡だったんじゃないかって思ったくらいよ。友達を作る事さえ難しいそんな和人が誰かを好きになったりするのは、絶望的なんじゃないかって、私は思っていたのよ」

 

 

 そこで翠の瞳が詩乃に向けられる。和人の本当の母親ではない翠だが、その瞳の色は、その中に蓄えられて瞬いている光は、和人のそれとほとんど同じだった。

 

 

「でも、和人がSAOに閉じ込められた二年後に、SAOから帰って来た時……和人は言ったわ。好きな人が出来たって、その人に早く会いたいって……」

 

「……!」

 

 

 ずっと人付き合いが苦手で仕方がなかった和人を見てきた翠からすれば、和人に恋人が出来たというのは、空と雲の色が逆になったかのような天変地異にも等しい出来事だったのだろう。イメージ力豊富な和人と一緒に過ごしていたためか、同じようにイメージ力がSAOに囚われる前よりも遥かに高くなっている詩乃は咄嗟に、和人からの告白を受けた翠のその時の光景を想像する事が出来た。

 

 

「だからね、気になって仕方がなかったわ。和人が好きになった人は、どんな人なんだろうって。人付き合い苦手の和人を好きなった人は、どんな女の子なんだろう、女性なんだろう、ってね。話してみたいって、ずっと、思ってた」

 

 

 翠の瞳の中で煌めく光を見つめながら、詩乃は頭の中で翠の話を思い出し、やがて全てが繋がったような気を感じた。

 

 どうして和人をあんなに愛おしいと思えるのか、和人が詩乃の事を愛してくれるのか。その理由は、和人もまた人を信じる事が出来ない、他人との距離がわからない苦しみ、孤独を味わった事があって、その苦しみがどういうものなのかを理解していたからなのだ。

 

 詩乃がそんな自分と同じ苦しみを知る者だったからこそ、似た者同士の意識を感じて思ってくれたり、愛してくれたりしているのだ。いや、和人の事だからそれ以外にも大きな理由がいくつもあるのだろうけれど、根本的な部分はそれなのだろう。

 

 SAOという世界で出会い、共に過ごしている中で、詩乃は和人が似ている部分をいくつも持っている事を理解していたが、まさか根本的な部分にそこまでのものがあったとは思ってもみなかった。

 

 

「それでね詩乃ちゃん。今回あなたと一緒にご飯を食べて、なんとなくあなたと話してみて、私、わかった事があるわ。……あなたはきっと和人と同じ。深くは聞かないけれど、和人と同じで、何か大きな事情を抱えてる。だからこそ和人は、同じ物を抱えているあなたを好きになって……あんなふうに一途になっているんだわ」

 

 

 翠が今まさに詩乃が思っていた事を口にしたものだから、思っていた事がピタリと当てられたような気がして、詩乃はもう一度驚く。だが、同時に心の中で不思議な安堵感と暖かさが沸き上がってくるのを、感じていた。

 

 和人と詩乃は根本から似た者同士だった。似た者同士だからこそ、どんなに話し合っても不快になる事はなく、互いを受け入れ合う事ができ、暖かさや温もりを分け合う事ができ、心の底から愛し合えるのだ。

 

 世の中には同じ境遇の者同士は嫌悪し合うという同族嫌悪なんていう言葉があり、それを体現しているかのような連中もいるけれど、詩乃は和人にそんな気持ちを抱いた事はないし、和人だってそんなのを抱いているような様子はない。

 

 どちらかといえば、同族嫌悪の逆と言えるだろう。

 

 

「そう、だったんだ。だから……和人は……」

 

「あっ、でも、これはあくまで私の個人的な意見よ。もしかしたら詩乃ちゃんがそういうのを抱えているっていうのは、私の予想でしかないかもしれないわけだし。というか、そうでしょう?」

 

 

 そこで詩乃は首を横に振った。振り終えた時に顔を上げると、翠が驚いたような顔をしていた。まさか自分の予測が当たっているとは思ってもみなかったのだろう。

 

 

「いいえ、当たってます。あまり大きな声では言えないのですけれど、私も和人と同じです。ある時から人の事を信じられなくなって、人との距離感が全然わからなくなりました。友達だって一人もいませんでした。ずっと、硬い殻を一人で作ってその中に閉じ籠ってたんです。それがずっと、長い間続いてて……もう、永遠に続いていくと思ってました。でも、その中で私は和人と会ったんです」

 

 

 翠が驚いている中、詩乃は次々と言葉を紡ぎあげていく。話している事はそんな簡単に他人に話せるような内容じゃないものであったが、詩乃は話すのをやめようとは思えなかった。

 

 

「……最初は、和人の事だって拒絶しました。和人に厳しく当たる事もありましたし、酷い事を言う時だってありました。だけど、そんな中でも和人は折れずに、ずっと私と接してくれて、ずっと私の傍に居てくれて、ついには私の殻の中に入ってきました。それで、私の全てを受け入れてくれたんです。

 

 その時から全てが変わりました。ずっと閉じ籠っていた殻を破って外に出られたんです。そしたら、今まで見えていたものがもっと鮮明に、綺麗に見えるようになって……人の事を信じる事が出来るようにもなりました。友達もたくさんできました。毎日が、とても楽しく感じるようになったんです。そして何より、人を好きになるっていう事を知る事が出来たんです」

 

 

 言葉を紡ぐときに、胸の中に和人との思い出が泡のように次々と浮かび上がってくる。その泡は決して割れる事はなく、その数を増して行って、胸の中に確かな暖かさを与えてくる。胸の中が暖かくて仕方がない。いや、もう熱いくらいだ。

 

 

「それを与えてくれたのは和人です。始まりは全部和人なんです。和人が幸せを、人を信じるっていう事を、楽しい日々っていうのを、人を好きになるっていうのを全部教えてくれたんです。私は事故の形でSAOに閉じ込められましたが、あの時、和人と出会うためにSAOに巻き込まれたって思います。もし和人に出会わなかったら、私はずっと殻に閉じ籠ったままだったと思うから……」

 

 

 どうして和人があそこまで近付いて来て入り込んできてくれたのか、疑問に思う時もあった。だけど、今ならその理由がわかる。

 

 和人は、他人との距離感がかなり狂っていた。だが、その距離感が狂っていたおかげで、和人は普通ならば入り込もうとしないところ――閉ざしていた詩乃の殻の中にまで入って来れたのだ。もし和人が普通の人と同じだったら、今の自分はなかっただろう。

 

 

「だから私は本当に、和人に出会えてよかったと思います。和人を好きになって、本当によかったって思っています。それで、これからもずっと一緒に生きていきたいって、思ってます。もう、和人が好きって気持ちを忘れるっていう事が出来そうにありません。この先、何十年も、ずっと……」

 

 

 もう、全部わかる。和人がどうしてあんなふうなのか、どうしてこんなにも自分を愛してくれるのか、どうしてこんなにも和人を愛する事が出来るのか。その理由が全部、わかる。そのおかげで和人によって暖かさを取り戻した胸の中がもっと暖かくなって、心地よくてたまらない。

 

 それを教えてくれたのは間違いなく、目の前にいる翠だ。もし、今日こうして和人の家に来なければ、和人の事をもっと深く理解する事など出来なかっただろう。言葉を紡ぎ続けている詩乃のその心の中、暖かさを与えてくれる無数の泡に混ざって、翠への感謝の気持ちが浮かんでいた。その気持ちを詩乃は言葉にする。

 

 

「翠さん、ありがとうございます。こんなにも大事なお話をしてくれて。おかげで、和人の事がもっとよくわかりました。どうして和人の事を好きでいられるのか、よくわかりました。そして、私はこれからも……和人と一緒に、生きていきます。別れるつもりは、ありません」

 

 

 そこでようやく、詩乃は長きにわたる話を終えた。話をしている最中、詩乃はずっと翠の事を見ていたけれど、話す事に夢中になって、翠の様子を気にする事はなく、翠がどのような感じになっているのか、まるでわからないでいた。

 

 そして今、はっきりとした意識で見つめ直した時、翠は微笑んでいた。それも安堵と安心、喜びといった正の感情が、混ぜ合わされている、微笑みだ。それになんだか、目元に光が見えていた。

 

 

「……なるほど、ね。詩乃ちゃんはそこまで和人の事を、思ってくれているのね……まさか、あの和人がこんなにもいい女の子を恋人に……パートナーにしちゃうなんてね……でも、だからこそ和人は、あんなふうに……」

 

 

 先程からの話を聞く限りでは、他人との距離感が狂ってしまっていた和人には恋人など出来やしないと翠は思っていたのだろう。だが、今こうしてその思いは崩された。そして、和人にも一緒に生きていってくれる恋人が、伴侶が出来たのだという、翠からすれば歓喜に等しい事が現実となった。

 

 翠はそれが嬉しくてたまらなくて泣きそうになっているというのを、詩乃は無意識のうちに理解した。その後すぐに、翠がもう一度詩乃に言った。

 

 

「よくわかったわ、詩乃ちゃん。詩乃ちゃんとなら、和人はやっていける。だからこれからも、和人を、よろしくね。和人は、今まであまりいい思い出が無かったから……どうかこれからは、和人と一緒に、いい思い出を、沢山作っていって」

 

 

 血は繋がっていないものの、あの和人の母親である事に何も違いがない翠からの言葉。それは雫のようになって詩乃の心の中に落ち、じんわりと広がっていった。それまでただでさえ暖かくなっていた心の中が更にその暖かさと心地よさを増すと、詩乃は胸にそっと手を当てた。

 

 もう和人に何があったとしても、逃げない。困難があったならば、和人と一緒に全て乗り越えていく。これからもずっと、和人と一緒だ。同じ苦しみを抱いて、それを理解していて……そのうえで自分の全てを受け入れてくれた和人と、これからずっと、生きていく。何があったとしても、だ。

 

 改めて心の中で決意すると、詩乃は胸から手を離して顔を上げて、喜びと安堵の涙でうるんだ翠の瞳を見つめながら笑み、

 

 

「はい」

 

 

 と、答えたのだった。

 

 


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