キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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05:砂漠の三神獣

 俺が詩乃を傷付けることになるなんて。

 

 俺が詩乃の心に傷を付けたら。

 

 俺が詩乃の心に傷をつけた時、どうなるんだ。

 

 俺に傷付けられた時、詩乃はどうなるんだ。

 

 どうなるんだ。

 

 どうなるんだ、どうなるんだ。

 

 どうなるんだ、どうなるんだ、どうなるんだ。

 

 どうなるんだ、どうなるんだ、どうなるんだ、どうなるんだ――――

 

 

 ――

 

 ――――

 

 ――――――

 

 ――――――――――

 

 

「戻ってこい、キリトッ!!」

 

 

 聞こえてきた言葉と首の後ろに何かが当たった感覚で、俺はフッと我に返る。目の前に広がっているのはRPGになどによくある、壁のあちこちに画が描かれており、尚且つ至る所に砂が積もっている薄暗い遺跡の内装。振り返ってみれば、そこにあったのはいつもの攻略メンバー達の姿で、誰もが心配そうな表情を浮かべて、俺の事を見つめている。

 

 そして、俺のすぐ後ろにいつもは傍に居ないレインがおり、その隣には少し怒ったような表情をしているリランの姿があった。

 

 

「あ、あぁ、どうしたんだ」

 

「それはこっちの台詞だよ。キリト君、ボーっとしちゃってどうしたの。これからボス戦なのに」

 

「えっ……ボス戦……?」

 

 

 レインの言葉に俺はふと頭の中を回して、ここに来る寸前の事を思い出す。確か俺は、俺達はパーティを一旦分断してヴェルグンデの空を飛びまわり、グランドクエスト攻略のための鍵を探していた。

 

 そしてその中で俺はイリスと会話を繰り広げて、いろいろ思い悩んで、レインにまた出会って――そこから現在までの記憶が途切れている。どんなに思い出そうとしても、全くと言っていいほど何も出てこない。

 

 

「えっと……なんでボス戦前になってるんだ。仕掛けは解除されたのか」

 

 

 そこでアスナがやって来て、俺に説明をしてくれた。

 

 アスナによると、アスナとリランの二人チームが気流発生装置のない遺跡を発見し、その中に入り込んでみたところ、鍵の形状をした貴重品アイテムが手に入ったらしい。そしてその同時刻に、リーファとシノンのチームがこの浮島大陸の中央部にて鍵穴のある祭壇のようなものを発見。

 

 その連絡を受けたアスナとリランがそこへ向かって、手に入れた鍵をそこで使ったところ、気流発生装置が一斉停止し、全ての遺跡に入れるようになった。そこを順繰りに捜索を続けたところ、ボスの部屋を発見し――今に至るそうだ。

 

 

「そんな事があったのか……」

 

「そんな事って、キリト君今までずっと一緒に居たのに、なんでわからなかったの!?」

 

 

 レインと一緒になって皆が驚くが、その中で一人だけ、リランは驚かずにいた。SAOの時からずっと見てきている宝石のような紅い目に自分の目を合わせたその時に、リランはその口を開いた。

 

 

「大方、考え事の世界に深く潜り込んで、出て来れなくなっていたのだろう。なので、強引に戻って来てもらったぞ。全く、考えすぎも大概にしろ、キリト」

 

「……」

 

 

 どうやらまた、俺は考え事の世界というところに行ってしまって、意識をそこに置いてしまっていたらしい。前にもこういう事があって、リランに冷静にさせてもらった事があるけれど、またその世話になってしまったようだ。そして皆は、ここに居ながら意識が無かった俺に驚きと心配が混ざり合った表情を浮かべて、一斉に俺に視線を向けてきている。……当然だ。

 

 

「えっと、その、ごめん。いろいろ考えてたら、そのまま……」

 

 

 俺を見つめる皆の中、俺と同じ《ビーストテイマー》であるシリカが、肩に《使い魔》であるピナを乗せて、俺の傍までやってきた。やはりその顔には、俺を心配しているかのような表情が浮かんでいる。

 

 

「キリトさん、疲れているんじゃないんですか。最近色々あるみたいですから……」

 

「そ、そんな事はないよ。別に疲れてなんか……」

 

 

 直後、先程から俺とチームを組んでいたイリスがやって来て、突然俺の額に手を当ててきた。あまりにいきなりな事に俺は硬直してしまい、じっとイリスの事を見つめてしまったが、動かない事をチャンスと思っているかのように、イリスは俺の額を触り続ける。そして、ある程度経った後にイリスは手を離した。

 

 

「……違うねリラン。キリト君の不調は、脳のオーバーヒートによる思考能力の一時的停止だ。寧ろシリカの言っていた事の方が正しいか」

 

「お、オーバーヒート?」

 

 

 機械やコンピュータを使い続けると、中に熱が溜まっていき、最終的に不調を起こしたり、物と場合によっては煙や火が出てくる事がある。それを一般的にオーバーヒートというのだけれど、脳がオーバーヒートを起こす事なんてあるのだろうか。それを気にして言葉にすると、イリスはちゃんと答えを返してきた。

 

 なんでも、俺の脳は今様々な考え事と攻略による負荷で加熱されて、思考能力が弱っている状態にあったそうで、その状態で深い考え事に耽ったところで限界を迎え、そのまま思考能力が完全に止まってしまっていたらしい。それこそ、休みなしに過度に使用されて、逃げ場を失った熱が籠り、そのまま機能を停止してしまったコンピュータのように。

 

 しかし、そこにリランの力が入ってきた事により、アミュスフィアを通じて俺の脳に一時的に治療が行われ、俺の意識はここに戻ってきたようだ。

 

 

「そういう事か……」

 

「休みなしに脳を使い続けるからだ。特にお前の場合は、ログイン頻度も高ければALO内での脳の使用率も他の者達と比べて非常に高い。それに、深くて難しい考え事をする事も多いからな。脳への負担は常人以上なのだぞ、お前」

 

 

 呆れたように言うリラン。確かに俺は色んな事を考えているし、学校から帰ってきて課題を済ませたら基本的にあとはALOにログインしているし、休みの日も睡眠時間を削ってログインをしているし、夜寝るのも遅い。明らかに常人よりも脳を使い続けて、負担を与えているだろう。

 

 SAOの時はそういう事を防ぐために、ノー攻略デーとかを設けていたから、脳の過剰使用とかにはならなかったけれど、ALOはデスゲームじゃないから、そういう事を考える必要がないし、ノー攻略デーとかノー攻略ウィークも必要ない。そのため、意識しない内に脳を過度に使用してしまっていたのだ。

 

 そこで、リランの隣にやってきた人物を見たところで、俺はハッとしてしまった。その人は、俺の身に何かあればすぐさま心配してきてくれる、俺の恋人であるシノンだった。当然と言うべきなのか、その顔には非常に俺の事を心配してくれている表情が浮かべられていた。そう、他の者達には一切向けない、俺にだけ向けてくれる顔。

 

 

「キリト、あなた、大丈夫なの」

 

「あ、あぁ。大丈夫だよ。さっきまではそうでもなかったみたいだけど、リランのおかげで何とかなったみたいだ」

 

「本当に? 調子が悪いならログアウトして休んだ方がいいんじゃ」

 

「そんな事するわけにはいかないよ。これから待ちに待ったエリアボス戦だし、エリアボスを越えれば次の浮島大陸とご対面できるんだ。そんなタイミングを逃したら、一生後悔する事になるよ。だから、俺は引き下がれない」

 

「……本当に、大丈夫なの」

 

「どこも悪くない、大丈夫だよ」

 

 

 シノンは「ならいいんだけれど」と小さく言ったが、やはり俺への心配を拭う事は出来ないようで、表情を変える事は出来ずにいた。そんなシノンを目にした事で、俺は思わず心の中が痛くなるのを感じた。

 

 俺は確かに考え事をしていたし、そのせいで思考停止状態になっていたようなものだ。何を考えたかと言われれば、それはシノンの事。シノンの事をあまり深く考えるあまり、俺はその思考能力を停止させてしまったのだ。シノンには隠し事はしないでと随分前から頼まれ続けているけれど、とてもじゃないが、そんな事は言い出せない。

 

 

 もしここでそんな事を言ってしまったならば、もう攻略どころじゃなくなって皆にも多大な迷惑をかける事になるだろうし、第一シノンがどんなショックを受けるかわかったものではない。

 

 そう、シノンがどれだけ傷付くか、わかったものじゃない。だから、言い出す事など、出来やしない。当の本人であるシノンの事を眺めながら、そう心の中で呟いたその時、リランが俺の元へ一歩歩み出した。

 

 

「お前は筋金入りのゲーマーだから、ボス戦を逃さないだろう。だが今回のボス戦は、ずっと我に乗っていろ。お前自身は戦わなくていい」

 

「何言ってんだよリラン。別に俺は戦えないわけじゃない」

 

「戦闘は脳をフルに使ってやるものだ。ただでさえ脳が過熱状態に陥っている今のお前が剣を握って戦ったらどうなる。先程は歩く事は出来ていたようだが、今度はそれさえ出来なくなるぞ」

 

「確かに……っていうか、俺はさっきまで何をしてたんだ本当に。戦闘とか、どうしてたんだ」

 

「普通に戦ってたよ。だけど、その時にリランちゃんは異変に気付いてたみたい」

 

 

 レインの言葉を受けて、俺はリランに向き直る。確かに俺はさっきまで意識が無かったけれど、こうして皆と一緒に居て、尚且つダンジョンの最深部にいるという事は、間違いなくさっきまでちゃんと歩いて来る事が出来たというわけだが……まさか戦闘までこなしていたというのだろうか。

 

 

「俺、無意識で戦ってたっていうのか……」

 

「そうらしいな。だが、さっきのお前はなんだか動きもたどたどしかったし、太刀筋もいつもと異なっていた。何だかおかしいと思って近付いて、力を使ってみたら、案の定だったわけだ」

 

「そうだったのか……」

 

 

 そこで、俺の元にリランと同種族を選択しているクラインがやって来た。その顔には他の皆と同じような、俺の事を心配しているかのような表情が浮かべられている。

 

 

「なぁキリト、無理するなって。そんな事になるってのは、お前よっぽど疲れてるってわけだぜ。そんな状態でボス戦なんかいったら、もっとひどい事になるんじゃねえか」

 

 

 多分皆も同じような事を思ってくれているのだろう。だけど、今俺の目の前にあるのはボス部屋に通ずる扉であり、その先にはエリアボスが待ち構えている。もしそれを自分の手で倒す、ボスを倒す瞬間を見る事が出来なかったのであれば、きっとそれがずっと頭に引っかかり続けるに違いない。余計に、考える事が増えてしまう。

 

 

「心配してくれるのは嬉しいよ。だけど今言った通りだ。俺はこのボス戦を抜けるつもりはないよ。皆でここまで進んできて、ようやくたどり着いたボス戦だ。それをみんなで乗り越える瞬間が見れないのは、俺は嫌だ。だから、俺はここで離脱なんかしない」

 

 

 宣言しても、皆の心配そうな表情は変わらなかった。だけど、やっぱり俺はここで離脱する事なんかできないし、離脱したくない。どんなに考え直そうとしても、その気持ちは一切変わる事はなかった。

 

 

「だけどリラン、お前の提案には乗っておこう。俺は次の戦い、ずっとお前の背中に乗ってる。そこから指示を出すから、動いてくれよ」

 

「お前を乗せているのはいつもの事だし、その時お前の指示で動くのもいつも通りの事だからな。別に我は問題ない」

 

「キリト、あなた、本当に行くつもりなの」

 

 

 やはり心配そうな顔をしたままになっているシノン。いつもならばその頭に手を乗せてやるところだけれど、皆の視線が集まっている中なので、それはやらずに俺はうんと頷く。

 

 

「大丈夫だ。皆も、もう大丈夫だからさ、早くボス戦に行こうぜ。せっかくここまで来たんだしさ」

 

 

 皆は不安そうな表情を消してはくれなかったが、ひとまず頷いてはくれた。俺がこんなふうになっている事を心配してくれているのは間違いないが、やはり俺は立ち止まる事なんて出来ない。

 

 それを現すかのように、目の前にある扉に手を触れると、轟音を立てて横へスライドしていき、真っ黒な空間を俺達に見せつけた。皆で一緒になってそこを覗き込もうとした次の瞬間、俺達のいる場所から扉の中に流れる急な気流が発生し、俺達は扉の中に広がる黒い空間の中に吸い込まれそうになる。――前にフレースヴェルグと戦った時と同じ、強制転移だ。

 

 

「皆、転移が始まる! 戦闘準備だ!」

 

 

 そう言って剣を抜いた瞬間、目の前が蒼い光に包まれて真っ青になり、視界が完全にふさがれた。そしてその光が晴れた時に広がっていた光景は、熱風が吹き荒れて容赦のない日差しが差してくる砂漠地帯のど真ん中だった。……この前のボス戦の時と同じで、フィールドに放り出されてしまったらしい。

 

 しかし、その時とは違って、俺達は翅を開いておらず、地上に立っている。それが意外に思えたのだろう、アスナが俺に駆け寄って、声をかけてきた。

 

 

「キリト君!」

 

「あぁ、皆気を付けろ! どこからボスが来るかわからない!」

 

 

 以前戦った三神獣のうちの一匹であるフレースヴェルグは、突然空からやってきて戦闘を吹っ掛けてきた。恐らく今回も同じような感じで始まるのではないか――そう思った直後、俺達の目の前の砂地が突然地鳴りと共に隆起を始めた。

 

 まるで下から何かが突き上げているかのようなエフェクトに注目したその直後、隆起した砂地は突然爆発。その際に膨大な砂煙が起こされたものだから、目を覆いそうになったが、その時に俺は、砂煙の中に黒い影が混ざっていたのを確認した。

 

 もしかしてあれが――そう思った時に砂煙が強くなり、俺はついに目を腕で覆った。そして砂煙が収まって視界が取り戻された時、俺達は黒い影の正体を目にする事になった。

 

 

 発達した筋肉で出来たゴリラのような上半身を持ち、丸みのある巨大な尻尾を生やし、角のように尖った耳と赤茶色の湾曲した角を生やし、全身を砂色の短い毛に包み込んだ、犬と栗鼠とゴリラのそれを複雑に混ぜ合わせたような顔を持った巨大な獣。それが、砂煙の中で見た黒い影の正体だった。

 

「なにあれ!?」と主に女性陣が驚いている中、砂毛獣の頭の上に四本の《HPバー》が出現し、更にその上に英語が出現する。

 

 

「《Ratatoskr》……ラタトスク!」

 

 

 その名前を口にした瞬間、リズベットとリーファがか細い声を上げた。振り返ってみれば、片手剣と片手棍を握って、現れた砂毛獣の姿を見ながら呆然と立ち尽くしている。まるで、砂毛獣の名前がラタトスクである事が信じられないかのようだ。

 

 

「えっ、あれが、ラタトスク?」

 

「あの砂ゴリラが、ラタトスク?」

 

 リズベット、リーファの順で呟く。

 以前、この二人はラタトスクの説明を聞き、栗鼠だから可愛い系モンスターに違いないと言って、会う気満々でいた。しかし、現れたラタトスクは栗鼠とはかけ離れた――寧ろ栗鼠よりも上半身の発達したゴリラのような――姿をした獣。自分達の想像していたそれとあまりにかけ離れた姿をしていたものだから、硬直せざるを得ないのだろう。

 

 完全に動きを止めてしまっているリズベットとリーファに向けて、シリカが困ったような表情をする。

 

 

「だから言ったじゃないですか、リズさんにリーファさん。ラタトスクは可愛い系モンスターじゃないって。それにあれはエリアボスなんですから、あんな見た目で当たり前ですよ」

 

「……あたしの《使い魔》、あれなの……」

 

「いやいや、そもそもテイム自体出来ないですし……」

 

 

 あまりにくだらない理由に硬直してしまっているリズベットとリーファに呆れたのだろう、その隣にいたリランが溜息を吐いた後に俺の隣へやって来た。エリアボスを目の前にしているにもかかわらず剣を抜いていない事から、リランが剣で戦わない事を把握する。

 

 

「キリト、さっき言った通りだ。やるぞ」

 

「あぁリラン、頼むぞ」

 

 

 頼み込むと、相棒である狼耳の少女は俺の目の前に躍り出て、すぐさまその身体を白金色の光に包み込んだ。容赦なく照り付けてくる日差しに対抗するかのように、その光はその強さを一気に増していき、やがて爆発するかのように広がって周囲を白金色に染め上げる。

 

 そしてその光が晴れた頃、狼耳と尻尾が特徴的な少女が立っていた場所には、白金色の毛並みと赤色と白色の鋼鉄質の甲殻に身を包み、尻尾が大剣のようになっていて、額から聖剣のような角を、背中から四枚の猛禽類のそれに似た翼を、頭部に人間の頭髪を思わせる金色の鬣を生やした、狼の輪郭を持つ全長15mくらいの竜が身構えていた。

 

 その猛々しさと美しさを感じさせる狼竜の出現を確認するなり、俺は一気に走ってその背中に飛び乗り、跨った。視界が一気に高くなり、砂毛獣と目の高さがほとんど同じくらいになる。

 

 この狼竜と俺だけが成せる形態である、人と竜が一体になって戦う、《人竜一体》。

 

 

「今回は完全にお前頼みにさせてもらうぞ、リラン」

 

《承知した。お前こそ、途中で振り落とされるなよ!》

 

 

 頭の中に聞こえてきた初老の女性の《声》をしっかり受け入れて、俺はその背中の毛をしっかりと握りしめた。同刻、意気消沈していたリズベットとリーファも戦う気を取り戻し、周りの皆も臨戦態勢に入る。完全に、ボス戦モードに切り替わっていた。

 

 

「よし、行くぞッ!!」

 

 

 俺の掛け声が戦場に響いた直後に、身体の下のリランは力強く咆哮、それに答えるように目の前の砂毛獣もまた、力強い声で咆哮をして見せた。

 

 

 


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