俺達がALOを始めてから三ヶ月が経った。妖精となって空を飛びつつも、SAOの時のようにソードスキルを使ったり、身体を動かしたり、そしてSAOには無かった魔法を使ったりする事が出来るというゲームに俺達SAO生還者達は熱中してしまい、休みの日には時間も何もかもを忘れてプレイするような有様だった。
実際、SAO生還者達を集めた学校の休み時間に耳を澄ませてみれば、大体の者達がALOの話をしている事もざらであり、その内容はレアアイテムの場所だとか、レアモンスターの出現場所だとか、クエストの出現条件だとか、俺達も加わりたくなるようなものばかりだった。
しかし俺達は、そんなプレイヤー達と同じものを探す時は探したけれど、もっと別なものをずっと探していた。そう、《壊り逃げ男》を産み出して社会を混乱させ、今も尚どこかで暗躍を続けているであろう正体不明の存在、《ハンニバル》だ。
《壊り逃げ男》である須郷の口からその言葉を聞き、その存在を知ってから、俺はずっとその《ハンニバル》を探し続けており、仲間の皆にも協力してもらって、何か《ハンニバル》に近付くヒントはないかと意見交換を続けていた。しかしその努力も虚しく、誰も《ハンニバル》に近付けるようなヒントを得ている事はなかった。
(だけど……)
勿論俺もそのうちの一人であり、《ハンニバル》が《壊り逃げ男》を産み出していた存在である位しか情報を持っていないし、そもそも《ハンニバル》の最終目的が何なのかすらも把握できていない。当然だった、俺達は《ハンニバル》の産み出した《壊り逃げ男》に遭遇しただけであり、そこから《ハンニバル》という言葉を聞いただけなんだから。
この話は俺達SAO生還者を観察している菊岡にもしており、当人も《ハンニバル》の捜索や調査を行っているそうだけれど、やはり目ぼしい情報を手に出来てはいないようだ。そりゃそうだ、《壊り逃げ男》が須郷である事を話し、その須郷の口から出てきた言葉である事しか伝える事が出来ないのだから。
だが、菊岡に話したところで、あるヒントのようなものをもらう事は出来た。《壊り逃げ男》が須郷であり、須郷を《壊り逃げ男》に変えたのが《ハンニバル》ならば、《ハンニバル》は須郷に接触できる人間ではないかという説だ。
確かに須郷はレクトの人間であり、レクトはこの日本を代表する大企業の一つ。その中で研究などを行っていたようだから、須郷は無数の人間と接触や取引などをやっているはず。その中で、《ハンニバル》なる人物と接触していてもおかしくはないだろう。
そこで俺はSAO生還者として内部の情報を沢山伝えた人間としての権力を使って菊岡に、そしてレクト社のボスが父親である明日奈に頼んで、須郷がこれまでどのような人物と接触してきたかを調査してもらうように依頼した。
菊岡と明日奈――菊岡はそんなに乗り気じゃなったけれど――はすぐに調べてくれて、結果をすぐに届けてくれたのだが、俺の予想を上回る数の人間と須郷が接触していた事が判明し、とてもじゃないが調べようがないという事がわかってしまい、俺達の《ハンニバル》への捜索はすぐに振出に戻ってしまった。
だが、実に様々な事を菊岡や明日奈に聞いたりしたけれど、俺は《ハンニバル》がどこにいたのかは、わかっていたような気がしていた。《ハンニバル》が
そしてあの時の須郷の言葉と計画性から察するに、あいつはSAOに居た時も《ハンニバル》から指示を受けていた可能性が高い。そうでなければ《ムネーモシュネー》を作って統率したり、《疑似体験の寄生虫》を作ったりする事も出来なかったはずだ。
(あいつは、いたんだ)
つまり、《ハンニバル》はあの場に、SAOの中にいたのだ。《ハンニバル》は現実世界を須郷を使って現実世界の報道機関や警察などと言ったところを完全に混乱させたうえで、須郷と共にログインを果たし、裏でアルベリヒ達を暗躍させ、自分は裏の裏で暗躍していたのだ。そしてアルベリヒが負けたあの時に、《ハンニバル》は俺達と同じようにログアウトを果たして、現実世界へと消えた。
だが、俺はどうもあの時、《ハンニバル》に見られていたような気がしてならない。いや、《ハンニバル》はきっと何かしらの手段でアルベリヒを、そしてあいつの周囲にいた俺達を観察していたのだ。アルベリヒが最期を迎えたあの瞬間も、きっと《ハンニバル》はアルベリヒと周りの俺達を見ていたに違いない。
そして今……恐らくだが《ハンニバル》は、俺達をアルベリヒを倒した存在として認識し、新たに目を付けた可能性がある。しかもSAOは現実世界のそれと同じ顔と身体つきを採用するものだったから、あの場にいた全員の顔が《ハンニバル》に憶えられた可能性が非常に高い。
きっと、アルベリヒを倒した存在として、《ハンニバル》は何かを仕掛けてくるかもしれない。それも、この現実世界とVR世界のどちらか、もしくはその両方に……俺はその日に備えるべく、この考えを皆に打ち明けて、注意しながら毎日を送っていくように促した。何もしてこないかもしれないから、適度に安心するようにとも同時に言って。
「……よし、大型アップデートはついに明日だ。それを迎えるためにも、このクエストをクリアしておこう」
「そうだけどキリト、君何か考え事でもしてた? 長らくぼく達の会話に参加しなかったけど」
《ハンニバル》への注意は適度に皆に促した俺は、アルヴヘイム・オンラインの中にログインし、仲間達共に雪山地帯へと赴いていた。何故このような事をしているかというと、俺達がプレイしているこのアルヴヘイム・オンラインは、超大規模新エリアの追加とクエストの追加、それに伴う武器や防具、アイテムの大量追加などといった大盤振る舞い極まりない超大型アップデートを、明日に控えているのだ。
それが発表された時には嬉しすぎて、その日が待ち遠しくてたまらなかったのだが、冷静に考えたら、それが行われた時からはきっと、俺達の拠点はその超大規模新エリアに移行する事になり、今いるエリアに来る事も少なくなるだろうという事がわかった。
きっとこのエリアに来る事も少なくなる――どうせだからこのエリア限定の面白そうなクエストを消化しながら待とうという結論を、俺の親友であるカイムが叩き出し、俺達はそれに便乗。それぞれが面白そうだと思ったクエストに、いつもの仲間を誘って行くという形式を作って、それに従ってアップデートを待つ事にしたのだった。
そしてその形式を発案した風妖精カイムと最近仲間に加わった影妖精シュピーゲル、SAO時代からの付き合いである水妖精ディアベルと、俺はパーティを組み、アップデートまでにやっておきたいと思えるクエストを見つけて、雪山エリアへ向かったのだ。ちなみにいつも俺の傍にいるリランは、今回アスナ達と共にクエストに向かってしまっている。
……その途中に、俺は考え事の世界に入り込んでしまっていた。その事をまんまと気付かれてしまい、水妖精となったディアベルが苦笑いした。
「やっぱりキリトにもSAO自体の時の癖が残っているな。キリトは考え事に耽ると周りが見えなくなるんだ」
「あぁディアベル、その癖はSAOに行く前からキリトに備わってるよ。MMOでキリトのアバターが棒立して、なんかおかしいなって思ってボイスチャットで思い切り声掛けてみたら、考え事してたってよくあったから」
SAOの時の俺しか知らないディアベルに情報を吹き込むカイム。確かに俺はあの世界に行く前にも考え事に耽ってしまって、そのまま棒立するなんて事をやってしまう事もあった。そしてその時にはきまって、カイムにたたき起こされていたのだ。――今はシノンとユイが大半だが。
そうなのかとディアベルが再び苦笑いすると、今度はシュピーゲルがわくわくしているかのような顔つきで、俺に声をかけてきた。
「もしかしてキリト、明日のアップデートの事を考えていたんじゃ?」
「あ、あぁ。明日はこれまでないくらいに大きなアップデートだからな。ちょっとでも考えるとわくわくしてくるな」
「そうだよね! 明日追加される大陸……スヴァルト・アールヴヘイムだっけ。光と闇が交差する浮遊大陸……楽しみだよね!」
新たなるエリアの追加という情報と真実に、子供のように目をキラキラと輝かせるシュピーゲル。最初に会った時にはなんというか、彼と俺の種族であるスプリガンのような、影を感じさせるような顔をしていたものだから、何か抱えている人なんじゃないかと思っていたけれど、こうして話をしてみれば純粋なゲーマーと何も変わらない。
しかしそこで、カイムが不機嫌そうな顔をしながら俺達の会話に割り込んでくる。
「そうじゃないでしょ。キリトの顔はそんな事を考えていたような顔じゃない。もっと重要な事を考えていたみたいだった」
鋭いな――と俺は思わず頭の中で唱える。カイムと接している時間は実はリランやシノンよりも長く、過ごしてきた年数だってカイムとの方が多い。しかもあいつ自身は人間観察もやっているものだから、顔を見るだけで考え事の内容を当ててくる事さえある。そのあまりの的中ぶりから、シノンが「キリトの考えを当てる秘訣を教えて」なんて言い出す有様だ。
「……あぁそうだとも。SAOを乗り越えてきてから、俺には愛する人というものが出来たからな。今それが何をしているのか、気になるんだよ」
「……本当にそんな事なの」
「そんな事だ。彼女の事はこれ以上ないくらいに大事なんだよ。俺が時折深刻な表情をして考え事に耽る理由が少しでも分かったかな、カイム君」
「全く、
「そうだな。よし、誰もやられないように、今回のボスもクリアしてしまおうぜ」
そう言って、俺は目の前に広がる雪原に向き直る。スヴァルト・アールヴヘイム実装までにクリアしたいと思って、手に取ったクエスト。その内容は、雪山の中腹にある広大な雪原エリアに出現する巨大なワームドラゴンを倒して来いという非常に簡素なもの。
このワームドラゴンというのは、所謂手と足を持たない蛇のような姿をした竜を指す言葉だ。これを既に知っていた俺は、すぐさまこの雪山のワームドラゴンというのが、氷属性を司る蛇竜であるという事を理解した。雪山にいるのだ、流石に風属性だとか火属性を操るというのはセオリー的にありえない。
だが、その巨大なワームドラゴンについての情報はほとんど俺の憶測だけであり、具体的にどのようなモンスターなのかは全然わかっていない。だからこそ戦う楽しみがあるというわけなのだけれど。
「さてと、早速戦闘開始と行きたいところなんだけれど、みんな準備はいいか」
「準備なら既にオッケーだよ。キリトが考え事に耽らない以外は」
「……大丈夫だよ。戦闘中はそんなことしないから」
目を半開きにしている親友と平然としている新米、苦笑いしているSAOからの友人の視線を浴びながら、俺は雪原の中心を目指して、皆と共に歩き出した。リズベットと初めて出会った時に登った雪山の時のような少し強い吹雪の中、背中の武器に手をかけつつ、雪を踏みしめながら歩いて行くと、特に何も起きないまま広大な雪原地帯の中心に辿り着いた。
てっきり何かが飛び出してくると思っていたのだろう、カイムが不審そうに周囲を見回しつつ、吹雪に流されないような声で言う。
「……何も来ないね」
「そうだな……だけど気を付けろ。こういうところに来てしばらくすると、出てくるっていうパターンが、SAOの時にはよくあったから……」
現にSAOの時のクエストにもこのような事があった。だからこそ、何も来なくても油断してはならないというのが、俺の中に息づいて警鐘を鳴らしている。そしてその警鐘が本物であったと言わんばかりに、突如として吹雪が止み、周囲が良く見えるようになった直後に地面が揺れ始めた。
「来るぞ!」
聖竜連合のボスであったディアベルが、団員達に伝える時のように叫び、武器を構えたその時に、目の前の雪原が大きく盛り上がって割れ、巨大な何かが轟音と共に飛び出してきた。
雪煙を纏いつつ、細かい氷塊を散らしながら現れたそれは、天まで届くくらいに巨大な塔かと思えたが、それは空まで伸びて行ったところで途中でぐにゃりと曲がり、空へと進み始めた。そしてしばらくしてから先端部分が地面から抜けきったところで、塔の正体がモンスターである事を俺達は把握して驚く。
飛び出してきたそれを見てみれば、無数の棘にも思える氷の甲殻に身を包み、下顎から鋭い牙を生やしているが、手も足も生やしておらず、俺達と同じような半透明の巨大な羽を背中から幾つも生やして飛んでいる、蛇竜だった。ワームドラゴンであると聞いていたから蛇竜である事は予測できていたけれど、飛ぶ事までは予測できず、シュピーゲルが声を上げる。
「と、飛んでる!?」
「飛行型だったか……これはちょっと予想外だな」
「SAOの時だったらこれ以上ないくらいにヤバい展開だったが、今ならどうって事ないな」
ディアベルの言葉に俺は頷く。確かにSAOの時だったならば、プレイヤーは地上に縛り付けられており、空飛ぶ敵に出くわした時には相手が下りてくるのを待っているか、何らかの方法で遠距離攻撃を仕掛けるしかなかったし、それが出来るのも俺のリランかシノンくらいだった。
だが、今俺達の背中には翅があり、猛スピードで飛び回っている敵に追いつく事さえ出来る。それを俺が言う前に、ディアベルは背中から水色の光を放つ半透明の翅を出現させて、蛇竜が巻き起こす雪煙を引き裂きながら一気に空へと飛び立っていく。
「よし、始めるぞッ!」
背中の鞘に仕舞っておいた二本の漆黒の剣を音高く引き抜き、ディアベルのように背中に翅を出現させて、俺はカイムとシュピーゲルと共に空へ舞い飛ぶ。雪山の冷たい空気を切り裂きながら氷蛇竜と同じ高度に達したところで、氷蛇竜の姿を見る。敵にだけ設定されているLVは150で、《HPバー》は三つ。名前は《Friezmold_The_IceWormDragon》。フリズモルドと読むらしい。
フリズモルドという名前を持つ氷蛇竜の身体は甲殻に包まれていながらも、まるで樹齢数千年の丸太を思わせるくらいに太く、それでおいて大河のように長い。その姿はこのゲームの元になっている北欧神話に登場する魔物、世界蛇ヨルムンガンドを思い出させるが、流石にヨルムンガンドよりかは短いし、小さいだろう。
そして、今まで戦ってきたモンスター達の特徴から考えて、こいつはこれだけ身体が大きいから、その大きさを生かした攻撃とブレス、魔法攻撃をやって来るはずだ。……一応行動が読めはするけれど、それでもどう出てくるかはわからないから、慎重に行動をしなければ。何故なら、今回はボスバスター専門家のリランはいないのだから。
「こいつの攻撃は身体のデカさを利用したもののはずだ。範囲と威力に気を付けろッ!」
「言われなくたって!」
そう言ってカイムが刀を抜いて両手に構え、雲を切り裂きながら轟音と共に飛行する氷蛇竜へ突撃、そこに続けてシュピーゲルが氷蛇竜の背中付近へ飛び駆けて、弓矢を構えて連射する。
シュピーゲルの持っている武器はシノンと同じ弓矢だが、シノンのものとは違って『短弓』と言われる短いものであり、遠距離と中距離の間をクリティカルヒット距離として連射能力に長けている、本人曰くFPSとかのアサルトライフルに似ているような気がする武器だ。
だがその武器の性質上、遠距離武器でありながら近距離で攻撃しなければならないので、常に敵からの攻撃される危険が伴っている。そのためAGIを上げたりして、常に素早く離脱できるように心がけられるようにする必要があるのだが、それを熟知しているかのように、シュピーゲルのステータスやスキルはAGIに強く関連する割り振りになっている。
おかげでシュピーゲルの速度は俺達の中で随一。戦闘になれば接近武器も持たずに近距離を立ち回り、敵を撃ちまくって剣山のようにしていく異様なプレイを見せつけて、頼もしさを与えてくる。
そんなシュピーゲルはぎゅんと猛スピードで飛行しながら短弓を構え、空を舞う巨大な流木のような氷蛇竜へと矢を雨の如く連射した。しかし、放れた矢の雨は全て氷蛇竜の氷のような甲殻に全て弾かれてしまい、シュピーゲルは驚きながらも後退する。
「こいつ、矢が効かない!」
「そういうわけじゃないよ。多分、甲殻側の物理防御が半端なく高めになっているんだ」
SAOに居た時もこんなモンスターと戦う事になった時は多々あった。だがそういう時は、大体隠された弱点があり、そこを攻撃する事でどうにかなった。しかし、今はその時とはまるっきり状況が違う。
確かにSAOと似たゲームではあるけれど、こうやって空を飛ぶ事だって出来るし、物理防御が高い敵に会った時には同じ対処方法で攻めるか、全く違う対処方法で攻めるかを決定する事だって出来るのだ。
「全員、魔法攻撃の準備だ! 隙を見て魔法攻撃を仕掛けろ! それがこいつの弱点だ!」
「了解! 魔法攻撃なら任せておいて!」
俺達がSAOで剣を振っている間、剣よりも魔法で攻撃する事をメインにして戦っていであろうカイムが頷き、武器を仕舞い込んで氷蛇竜の視界から離れて詠唱を開始する。吹雪に負けそうなくらいの音量ではあるものの、しっかりとした発音を連続させ、目の前に単語を並べていく。
そして、その音に氷蛇竜が気付いた瞬間にそれを完遂させるや否、氷蛇竜の身体を猛烈な緑色の竜巻が包み込み、切り刻んだ。上位風属性範囲魔法《タイラント・ハリケーン》――それに身を切り刻まれた氷蛇竜は、大きな声で悲鳴を上げて身体から赤いエフェクトを出し、《HPバー》をごりごりと減らしていく。やはり、魔法攻撃が弱点だった。
「よし、魔法中心で攻めるぞ!」
俺の号令が雪原に響くと、三人の仲間達はおぉっと声を上げた。もはや俺達がモンスターに太刀打ちできる力は、リランだけではなくなったのだ。