キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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それぞれに進展回。


03:それぞれの

「悪いわね、急に呼び出す事になっちゃって」

 

「いや、いいさ。何も気にしちゃいないよ」

 

 

 日曜日の昼過ぎ、和人は詩乃の自宅へと足を運んでいた。昨日の夜、珍しくアミュスフィアでのダイブを行っておらず、自作のパソコンで調べものをしていた和人のスマートフォンに、詩乃からの電話があった。

 

 詩乃からの連絡だから、何か大変な事でもあったのだろうかと、和人は勝手に思って出てみたが、電話の内容は明日アパートに来れるかという、和人の勝手な想像を簡単に裏切るような非常に簡素なものであり、和人はそれを聞いて勝手に安堵した。

 

 

 そして、日曜日に友人達とのダイブを予定しておらず、尚且つ詩乃と会う事に全く抵抗のない和人はそれを承諾。昼食を簡単に済ませた後に、既に何回か来た事のあるSAO生還者達のためのアパート、詩乃の部屋へと足を運んだのだった。

 

 最新鋭の防音設備の搭載により、まるで森の中か何かのように静かな詩乃の部屋。家具などはそうではないものの、雰囲気だけならばかつてSAO世界で共に過ごしたログハウスを思い出させるようなベッドに詩乃は腰を掛けており、その横に和人もまた、腰を掛けていた。

 

 

「それで、話って何なんだ、詩乃」

 

「あぁ、うん。昨日、愛莉先生から電話とか、無かった?」

 

「愛莉先生から? いや、昨日は君からしか電話来てないな。愛莉先生、何かあったのか」

 

 

 和人の問いかけを受けるなり、詩乃は喉から小さな声を漏らしつつ和人から視線を逸らして、そのまま俯いた。何かあった時に必ずと言っていいほどする詩乃の仕草を見て、和人は少しきょとんとしつつ、もう一度声をかける。

 

 

「詩乃、どうした」

 

「……愛莉先生、精神科医やめたんだって。私の治療も、終わったんだって」

 

「ええっ、愛莉先生が? なんでまた」

 

「本当にやりたい事を、やりたいからって」

 

 

 確か、詩乃の話によれば、愛莉が詩乃に設けた治療期間は、三年間だった。そして愛莉が詩乃の診察を始めたのは去年であり、今年で二年目だ。――まだ二年しか経っていないし、かなりよくはなっているものの、詩乃の治療だって完了したようにも見えない。これでは完全に、治療の放棄だった。

 

 

「愛莉先生は、三年間君を診るって言ってたよな。だけど、まだ二年しか経ってない」

 

「そうよ。だけど、愛莉先生は契約をここで打ちきるって言ったの。私はもう、大丈夫だからって」

 

「君はそれを認めたのか」

 

「うん。勿論引き留めようとはしたわ。だけど、愛莉先生は本気だった。本気で、やりたい事をやりたいって顔してた。だから、私の引き止めなんて、全然効果が無かったわ」

 

 

 和人は無意識のうちに、愛莉が詩乃の治療を途中で打ち切ってまでやりたい事が何かを理解できたような気を感じていた。愛莉は元々SAOを作って世に送り出したアーガスのスタッフの一人であり、ユイ、リラン、ストレアのような超高性能AIを作り出す事に成功できるような、茅場晶彦の右腕か何かなんじゃないかと思えるくらいの天才だ。

 

 そして、それだけの事が出来るという事は、その仕事こそが愛莉が心の底からやりたいと思えている仕事だからだ。あれだけの偉業は、もはや好きでやっているからこそできるような事のはず。とても嫌々やって出来るような事ではないはずだ。

 

 

「愛莉先生、もしかしてAI研究に戻ったのか」

 

「……そうよ。愛莉先生は、リランやユイみたいなAIを作る事こそが自分の天職だって言ってた。そしてそれを、ずっと渇望してたみたいだった」

 

「確かに、愛莉先生の作るAIはすごいよな。リランやユイだって、愛莉先生が作り出したものだったわけだし……必要とされて当然なんだろうな。だけど、愛莉先生はどこに行ったんだ。AI研究なんて、そんなどこでもできるようなことじゃないだろ」

 

「ゲーム会社である以外には他言無用だって。詳しくは、私にも教えられないんだって」

 

「そうなのか……」

 

 

 直後に、詩乃は何かに気付いたかのように顔を上げた。その視線の先は壁だったが、詩乃の黒色の瞳は壁の向こう、その先の世界を映し出しているかのようだった。

 

 

「だけどね、愛莉先生、最後に言ってたわ。頻度はかなり落ちるだろうけれど、私達とALOで遊ぶし、またいつか現実でも会いに来るって。その時まで、待っててって。和人にも会いに来るから待っててって」

 

「俺にも、会いに来る……」

 

「そう。だからね、和人。愛莉先生の事、一緒に待ってもらっていいかしら」

 

 

 そこで詩乃は和人へと向き直り、和人はその黒色の瞳をじっと眺めた。

 これまで、愛莉には再三「詩乃の事を守れ」とか、「詩乃の事を任せた」とか、非常に厚い信頼を寄せられていたから、今回もまた、愛莉は詩乃を自分に任せたのだろう。

 

 愛莉がいつ戻って来るかはわからないし、何年先になるかもわからない。だけど、何年も先も、詩乃と一緒に居る事を、そして詩乃を守り続けていく事を決めたし、その強さは詩乃と記憶を共有した時から、これ以上ないくらいに強いものとなった。詩乃と共に、何年先も愛莉の事を待ち続ける事など、別に造作もない。

 

 ――和人は心の中ですでに思っていた事をまとめ上げると、その証拠と言わんばかりに、詩乃の手に自らの手を置いた。

 

 

「詩乃にとって愛莉先生は、これ以上ないくらいに大切な存在だし、俺だってあの人に何度も助けられた。だから、愛莉先生が来た時には一緒に出迎えてやろう」

 

「本当に?」

 

「あぁ。詩乃と愛莉先生がまるで姉妹みたいなのは、もう知ってるしな。だって俺……君の頭の中覗いてるわけだしさ。……だからさ、一緒に待っていよう、詩乃」

 

 

 詩乃は一瞬きょとんとしたような顔をすると、納得したような表情をしてから、やがて微笑んだ。何度見たのかわからないけれど、非常に安心感を与えてくるその顔を見て、和人もまた微笑む。

 

 

「そう、だったわね。私達、頭の中共有したんだっけ」

 

「そうそう。多分世界初の快挙だったと思う。そして、それをしてくれたのは他でもない、愛莉先生の作ったリランだからな」

 

「ほんと、リランと、ユイと、愛莉先生には助けられてばっかりね、私達」

 

「だけど、リランやユイが居なくなったとしても、俺は最後まで君を守るよ。いつまでも、ずっと一緒に居よう」

 

 

 詩乃は何も言わずに笑んで頷くと、和人に体重を預けるようにしてその胸の中に軽く倒れ込んだ。それを受け止めた和人はその背中に手を回して、更に髪の毛をそっと撫で始める。詩乃の髪の毛はまるで絹か何かのように柔らかくて、撫で上げる度にシャンプーのいい匂いと、詩乃が本来持つ柔らかくて暖かい匂いが鼻に入り込んできた。

 

 そして、和人がそんな詩乃に声をかけようとしたその時に、懐から突然大きな音が聞こえてきて、二人揃って飛び上がるように驚いた。音を立てた張本人である和人が懐に手を突っ込んで引っこ抜くと、それはスマートフォンであり、電話が来ている事を示す音と画面が表示されていた。――宛先には、愛する我が子の名前が出ている。

 

 噂をすれば――そう思った和人は通話開始ボタンをクリックして、更にスピーカーモードにし、そっと声をかけた。

 

 

「もしもし、ユイ」

 

《もしもしパパ。今日はログインしないんですか。カイムさんが一人でダンジョンに行ってしまいましたよ》

 

「あぁ、今日なママのところにいるんだよ。ちょっとした用事があってな」

 

 

 父親である和人に続いて、母親である詩乃がスマートフォンの先、妖精の世界にいる娘へと声をかける。

 

 

「ユイ、元気にしてる」

 

《はいママ。いつもどおり元気にしてます。ママこそ元気ですか》

 

「えぇ、とても元気よ。ただ、ちょっとショックな事もあったけれど」

 

 

 妖精界の娘はタブレット越しに驚いて、声を送ってきた。その声色を耳にするだけで、和人と詩乃は娘の驚く顔を頭の中に浮かばせる事が出来た。

 

 

《ショックな事? ショックな事ってなんですか》

 

「あぁ、お前の生みの親が、詩乃の元を離れたんだよ。どうやら、その人はお前の妹や弟を作るつもりでいるらしい」

 

《……確かに、イリスさんはわたしやストレア、リラン(おねえさん)を生み出せるくらいの技術者です。ひょっとしなくても、イリスさんの本当にやりたい事は、わたし達のようなAIを作り出す事にあるのかもしれません》

 

「そうなんだよ。だからこそ、彼女は詩乃や俺達の元を離れて行ったんだ。だけど、ALOには遊びに来てくれるみたいだから、その時は迎えてやろうぜ。お前は俺達の娘だけど、同時にイリスさんの娘でもあるんだからさ」

 

《はい。イリスさんはママを治してくれましたし、沢山助けてもらいました。今度イリスさんに会ったら、迎えてあげたいと思います》

 

 

 和人と詩乃の娘であるものの、その実の親はAI研究者である芹澤愛莉。これを聞くと和人は、ユイは正確には誰の娘なのかわからなくなりそうになるが、ユイの言葉や詩乃の言葉などを聞いて、自分の娘である事をしっかりと自覚する。そうでもしないと、何だか主導権をイリスに握られそうな気がしてきて、心の底から妙な不安感が来るのだ。

 

 

《ところでパパ、今日はダイブしないんですか》

 

「しないわけじゃないよ。あっ、でも少なくとも昼間はちょっと無理かもしれない。ログインするのは夜になるかもしれない」

 

《そうですか。それなら、パパが来るまでおねえさん達と遊んでいようと思います》

 

「あっ、ユイ。夜になったら私もログインするからね」

 

《わかりました。出来れば早く来てくださいね、パパ、ママ》

 

 

 二人でわかったというと、ユイは満足そうな返事をして、通話を終了した。そこで一息吐いた後に、和人はスマートフォンを懐に仕舞うと、詩乃を横目に見た。

 

 

「ところでさ、詩乃」

 

「なぁに」

 

「これから予定とか、ある?」

 

「ないけれど、どうかしたの」

 

「せっかく二人きりになったんだからさ。ちょっと出かけてみようかなって思って。お金は全部俺が出すから」

 

 

 その時になって、詩乃はある事に気付いた。そういえば、現実世界に帰って来てからは、SAO生還者のための学校に和人と共に通っていたけれど、一緒にデートをした事はない。SAOに居た時には散々やっていたというのに、現実世界に帰って来てからは、一度も一緒に街中に出るような事はなかった。

 

 

「そういえば私達、現実世界に帰って来てからは……デートっていうか、そういうコトした事が無かったわね」

 

「そうだな。やるとしてもALOにダイブして皆と一緒に冒険するくらいだったからな。……俺も今更になって気付いた」

 

「それじゃあ、今から出かけましょう。あ、でもどこに?」

 

 

 実のところ、目的地などはほとんど考えていなかった。それを詩乃に改めて聞かれてしまった和人は思わず首を傾げながら上を向き、顎に手を添えて考え始めた。

 

 

「そうさなぁ……とりあえず街中をぶらぶらしてみようか。SAOに居た時、アクティベートしたばかりの街を廻ってた時みたいにさ」

 

「それが一番いいかもしれないわね。……というか、喫茶店とか行ってみたいかも」

 

「わかった。俺だけの姫様の仰せのままに」

 

「もう、SAOは終わったんだから、そういう言い方しないの」

 

「あっ……そっか……」

 

 思わず和人がきょとんとした次の瞬間、詩乃はふぅと軽く吹き出して、そのまま笑い始めた。それにつられて和人が笑い出すと、詩乃の笑い声が大きなものになり、これまで見た事がないような詩乃の笑いに和人は驚きそうになるが、それよりも前に和人の笑い声もまた大きくなった。

 

 そして二人でほんの少しの時間笑い合うと、詩乃がベッドから立ち上がって、和人へと振り返った。その顔に浮かんでいる表情は、一番最初に出会った時とは比べ物にならないくらいに明るくて、暖かなものだった。

 

 

「さぁ、いきましょう和人」

 

「うん」

 

 

 詩乃の明るい声に頷いて、和人もまた立ち上がった。

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 

 

 一方その頃、アルヴヘイム・オンライン、イグドラシルシティの宿屋の一室。

 

 こちらはアスナ。アスナは昼間を過ぎた後にアミュスフィアにてログインを果たし、妖精の世界、その世界樹の麓に存在する、豪勢な街の宿屋の一室のベッドの上に横たわっていた。

 

 ALOはVRMMOであるがために、アバターデータがログアウトした場所に取り残される仕様になっており、しかもログアウト中でもゲーム内時間と世界そのものは進み続けるため、ログアウトしているプレイヤーアバターも、ログイン時と同様にモンスターなどに狙われる事がある。

 

 更にこのゲーム内で死亡してしまうと、所謂デスペナルティが課せられて、非装備品アイテムなどを失ってしまう場合もある。それを防ぐために、アスナはこうやってイグドラシルシティの宿屋に来て、ログアウトするのだ。

 

 

「おはようアスナ。今日は若干遅いんじゃないかな」

 

「うん。少しだけログインする時間を遅らせちゃったね。ごめん」

 

「別に気にしてないよ。アスナが来るまでカイムと遊んでたから」

 

 

 目の前で笑顔になりつつ、椅子に座っている紫髪の少女ユウキ。この少女はアスナのようにアミュスフィアでこの世界へやって来ているのではなく、かつて親友のシノンや恩師のイリスが使っていたメディキュボイドという医療用装置を使って、この世界に住んでいる。――だからこそ、ユウキだけにはどんな時間にログインしたとしても、会う事が出来る。

 

 

「ところでユウキ、わたしがログアウトしてる間、何かなかったかしら。ユウキ以外の人がこの部屋を開けて入って来たとか」

 

「それはないよ。アスナの部屋の鍵を持ってるのはアスナとボクだけだし、この鍵はカイムにすらも教えてないんだ。だからアスナのアイテムは全部無事だよ」

 

「そう。ならいいんだけど――」

 

 

 その時に、ユウキの顔に何かを思い付いたかのような、それとも何かに驚いているかのような表情が突然浮かび出し、アスナは軽く驚いてしまった。

 

 

「あっ、そうだアスナ」

 

「えっ、どうかしたの」

 

「アスナって、ナーヴギアからアミュスフィアに、SAOのデータを移動させたんだよね」

 

「え、えぇ。あれくらいの操作ならわたしでも出来たから……」

 

 

 直後に、アスナは頭の中に一筋の閃光が走ったような感じがして、ハッとしてしまった。そういえばあのアインクラッドの冒険が終わって、念願のログアウトを果たそうとしたその直前に、イリスからあるアイテムを譲渡してもらい、そのままログアウトした。あのアイテムのデータはナーヴギアに入っており、そのデータは今使っているアミュスフィアに移動させている。

 

 ……もしかしたら、確認できるかもしれない――そう思ったアスナはユウキに何も言わずにウインドウを呼び出し、右手でアイテムウインドウを操作した。あのアイテムはどこにある――数え間違いや見間違いが無いように、手に入れたアイテムをソートしながら探していると、見覚えのないものが見つかって、アスナは指を止めた。

 

 

(これ……)

 

 

 名は《Unknown_Package》。不明な荷造りとだけ書いてある、正体不明アイテム。

 ALOに来てからは、敵を倒したり宝箱を開けたりした時には、手に入れたアイテムをしっかりと確認するという癖を付けたため、今まで手に入れてきたアイテムの中に不審な物はないとアスナは熟知している。

 

 しかし、これまでの冒険と攻略の中で、このような名前のアイテムを手に入れた記憶はないし、ALOの中でこのような名前のアイテムがあるという情報を手に入れた事もない。恐らくこれこそが、あの時イリスから貰ったアイテムだろう。無事にコンバートできていた事が、アスナはどこか意外に思えた。同時に、いつの間にかユウキがウインドウを覗き込んできている事にも気付いた。

 

 

「あれ、アスナ。何このアイテム」

 

「実はユウキがSAOからログアウトした後、イリス先生から貰ったのよ。まさかこの世界にコンバートできているなんて」

 

「イリス先生がくれたんだ……じゃあ使ってみたら? イリス先生って酷い事する人じゃないしさ」

 

「でもなんだか心配だわ。ユウキ、念のために構えておいて」

 

 

 ユウキは頷いて、腰の剣の柄を握り、居合抜きを仕掛けるような姿勢を取る。直後にアスナがごくりと息を呑んでから、不明な荷造りを使用すると、ウインドウから一つのアイテムが召喚されてきて、アスナの掌の上に乗った。

 

 それは、まるで海や空を映しているかのような青色で、部屋の明かりを吸い込んで煌めいている美しい小型の結晶であり、モンスターが出てくる事も予想していたユウキはその姿を目の中に入れてきょとんとする。

 

 

「あ、あれ。結晶……?」

 

 

 ユウキの独り言を聞きつつ、アスナは気付いた。この結晶の色は、どこかで見た事がある。いや、見た事があるどころではない。あの世界、アインクラッドにいた時に、ある時まで毎日見ていたものの色とほとんど同じ色をしている。

 

 その、すっかり見慣れ切ったものの姿を頭の中に思い描きながら、誘われたかのようにアスナが結晶に指を添えると、小さな結晶体がアスナの掌から離れ、ユウキの注目を浴びながら宙へ舞い上がった。

 

 

 一体何が起こるの――二人の疑問を感じ取ったのか、もしくはそれに答えようとしたのか、海色の結晶体は突然強い光を放ち、アスナとユウキは悲鳴にも似た驚きの声を上げながら、目を思わず覆った。

 

 そしてその閃光が弱くなった時、アスナは咄嗟に結晶体へと顔を向け直したが、そこで言葉を失った。結晶体はそこにはなく、代わりに純白のパーカーとズボンを纏い、背中の半分くらいにまで届くくらいの長い銀髪をしている、一目では女の子に間違えてしまいそうなくらいに線の細い顔をした少年が、子宮の中にいる胎児のような姿勢をして浮かんでいた。

 

 

「ユ……ピ……テ……ル……?」

 

 

 かつて恩師であるイリスが作り出して、SAOに閉じ込められたプレイヤーを癒すためにアインクラッドに投入されたが封印され、《壊り逃げ男》なる存在にその封印を破られて、出て来たところを自分が保護し、自分の事をかあさんと呼んでくれた存在、ユピテル。

 

 《壊り逃げ男》との最終決戦で、《壊り逃げ男》に利用され尽くされて消滅したはずの存在が目の前にいるという光景に、アスナとユウキは茫然としていたが、やがて銀色の少年の顔がゆっくりと上げられていき、閉じられていた瞼が開かれた。――その瞳は、アインクラッドにいた時と同じ、海のような青色だった。

 

 

「ユピ……テル?」

 

「……かあさん」

 

 

 その唇から紡がれた言葉と声を耳に入れた途端、アスナの目の前に一つのメッセージウインドウが出現した。突然の事だというのに、アスナは驚く事なく、銀色の少年から一旦目を離してメッセージウインドウを展開し、表示されている中身を読んだ。気付いた時には、ユウキも同じようにメッセージに釘付けになっていた。

 

 

『アスナへ

 

 これを読んでいるという事は、君達は再会を果たす事に成功したという事だろう。ごめんよ、アスナには黙っていた事があるんだ。

 

 ムネーモシュネー討伐戦直前、私は君からユピ坊を預かったが、あの時私はユピ坊だけが呼び出せるコマンドを使い、ユピ坊本体をアイテムオブジェクト化して、君のところにはコピー体を行かせていた。層を一層越える毎にユピ坊を私のところに預けさせていたのは、コピーが収集してきた記憶をユピ坊の本体と共有させていたからだ。

 

 ユピ坊はMHHPという超高性能AI。恐らく《壊り逃げ男》が必ず目を付ける存在であるはずだ。それから君とユピ坊を守るために、君に黙ってこの手段を取らせてもらった。そしてこのメッセージが開かれたその時は、きっと

《壊り逃げ男》が倒れた後の世界のはず。

 

 平穏になったVR世界で、君に本当のユピ坊を返そう。どうか、私の息子を頼むよ。

                              イリス/芹澤愛莉より』

 

 

 メッセージを読み終わっても、アスナはしばらくその意味を理解できなかったが、いつの間にか床に降りていた銀色の少年の瞳と目を合せたことで、メッセージの中身の意味がわかってきた。

 

 SAOに居た時、イリスはある時から箏を一層越える毎にユピテルを自分の元へ預けてくれと頼んできて、アスナはそれに従ってユピテルをイリスの元へと行かせていた。あの時はユピテルがイリスの元で何をしているのか、気になって仕方がない時もあったけれど、イリスに聞いても、ユピテルに聞いても、答えを知る事は出来なかった。

 

 

 しかし、その答えが世界を跨いだ今、判明した。あの時からのユピテルは、ユピテル本体からコピーされたものであり、本体はイリスの元にいたのだ。そしてそれは、《壊り逃げ男》に利用されて消滅していったユピテルもまたコピーであり、本体はずっとイリスの元にいて、無事だった事を意味する。

 

 そしてイリスはあの時、アイテムオブジェクト化したユピテルの本体を、自分に渡してきた。それを今ここで解凍したところ、ユピテルに酷似した少年が出て来たという事は、この目の前の少年こそが、あの時失ってしまった、死んでしまったと思われていたユピテルの本体、ユピテル自身という事なのだ。

 

 

「アスナ、これって……これが本当なら、この子は……!!」

 

 

 驚きすぎて何が何だかわからなくなっているような顔をしているユウキの声を耳に挟みつつ、アスナはメッセージウインドウを閉じて、銀色の少年、その海色の瞳に自らの瞳を合わせて、小さく声をかけた。

 

 

「……ユピテル、わたしがわかる……?」

 

「うん、かあさん」

 

 

 かあさん。《壊り逃げ男》との戦いを終えたその時から、もう聞けないと思っていた言葉を再びその耳の中に入れる事が出来たアスナの視界は一気にぐにゃりと歪み、その手は口元に添えられた。しかし、どんなに視界が歪もうとも、目の前にいる少年の姿だけは、歪まずに見える。

 

 

「ユピテル……ユピテルッ!!!」

 

 

 気付いた時には、アスナはユピテルに飛びついて、その身体を強く抱き締めていた。もう感じる事の出来ないものだと考え続けていた温もりが、再び身体を包み込んできて、ユピテルだけが持つ、安心できる匂いが鼻の中へと流れ込んでくる。

 

 

「いたた、ちょっと痛いよ、かあさん」

 

「ユピテル、ユピテル、ユピテルッ!!」

 

 

 間違いない、ユピテルはここに存在して、こうして生きている――そう思うだけで、アスナの心の中は強い嬉しさで満ちて、溢れた分が涙になって出て来た。ユピテルが少し痛がっていて、その声を上げているにもかかわらず、アスナはその身体を思い切り抱き締めて、宿屋の中いっぱいに広がっていくような声で泣いた。――気付いた時には、ユウキも混ざってユピテルに抱き付き、泣いていた。

 

 もう叶わないと思っていた願いが、叶った瞬間だった。

 


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