キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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24:そして

「みんな消えていってる……」

 

「違うよ。ログアウトが始まったんだ。ついにな」

 

 アスナの言葉に答えた直後に、200人も集まっていたはずのプレイヤー達は次々と現実世界へと転送されていき、その数は180、150、120、100、90と、あっという間に100を下回った。

 

 その後はもっと早く転送されていって、声をかける間もなく50を下回り、40になり、30、20になり……ついには俺、シノン、ユイ、アスナ、リズベット、シリカ、リーファ、ユウキ、フィリア、クライン、エギル、ディアベルと言った、いつもの12人になってしまった。

 

 恐らく、このメンバーがこの世界で揃うのは、これで最後だろう。それを俺よりも先に理解していたであろうディアベルが、口を開いた。

 

「長かった戦いも、これで終わりという事か。何だか実感がないぜ」

 

「あぁ。なんだか、戦いはいつまでも続いていくって感じがあったからな。俺もなんだか、全部終わったなんてのが信じられないでいるよ」

 

 続けてリズベットが呟くように言う。

 

「という事は……リズベット武具店も閉店、って事ね。なんだか寂しいなぁ……」

 

 確かに、今までずっとリズに武器を研いでもらったりしてたけれど、これからはそんな必要がなくなってしまうし、リズ自身も武器を研ぐのが日課だったから、それがなくなってしまうのが寂しいのだろう。

 

「ほんと、もうみんなで集まれなくなるなんて、寂しいね……」

 

 フィリアが続けて寂しそうに呟くと、リーファが何かに気付いたような顔になる。

 

「あれシリカちゃん、ピナはどうしたの」

 

 俺達は一斉に軽く驚いて、シリカに顔向けする。いつもならばシリカの肩には空色の羽毛を持つ小竜ピナが鎮座しているのだが、今はどこにもその姿がない。もしかして、ゲームシステムの停止と同時に消えてしまったのかと皆で心配したその時に、シリカは胸に手を当てた。

 

「ピナなら……皆さんのログアウトが始まった辺りから、リランさんみたいに光の珠になって、あたしの中に入っちゃいました」

 

「シリカの中に入った? って事は……」

 

 すかさずユイが答える。

 

「ピナちゃんはシリカさんのローカルメモリの中に収容されたようです。シリカさんと長い間いたからでしょう、ピナちゃんが自らアイテム化して、シリカさんのローカルメモリの中に飛び込んだようです」

 

「ピナが自分から、か」

 

 直後に、シリカが目を丸くしてユイに尋ねる。

 

「って事は、ピナとはまた会えるの!?」

 

「はい、そうですよ」

 

 シリカの瞳からぽろぽろと涙が零れ始めて、同時に胸に手を当てる。

 

「よかった……向こうでも一緒なんだね、ピナ……」

 

 直後に、クラインがどこか寂しそうな顔をする。

 

「確かに苦しい事もあったし、辛い事も沢山あったけれど、それら全部ひっくるめて楽しかったなぁ。デスゲームだけど、やっぱこの世界楽しかったわ」

 

「うん。ボクも途中からこのSAOに来たけれど、なんだかんだ言って楽しかった。それが終わっちゃうのは、何だか寂しいね」

 

 クラインと並んで、ユウキもまた寂しそうにしている。確かにこの世界はゲームオーバーになれば現実世界でも死んでしまうような悪魔のゲームだけれど、何も憎しみ以外抱く事の出来ない世界ではなかった。

 

 早く出たい、早く現実世界に帰りたいと思っていたのに、今はこの世界が終わってしまうのがどこか惜しく感じる。そんな俺に並んで、リーファが言う。

 

「あたしも、この世界を知らないうちに楽しんでたんだって思うよ。この世界にはやっぱり、ALOにはない魅力が沢山あったんだ」

 

 最後に、アスナがどこか悲しそうにしながら口を開ける。

 

「わたしも、最初は現実に帰りたくて必死だったのに、今はこの世界が終わるのがすごく寂しい。ユピテルと過ごしたこの世界が消えてしまうのが、何だか信じられない」

 

 リランはこうしてユイによって助かったけれど、結局ユピテルは死んでしまった。リランだけ助けられて、ユピテルを助けられなかったというのは心残りだったが、その時にユイが口を開いた。

 

「あ、アスナさん、わたしの中にいるおねえさんから伝言です」

 

「え?」

 

 皆できょとんとしながら向き直るとユイが胸に手を当てつつ、言葉を紡いだ。

 

「ユピテルは確かに死んでしまったが、お前はまだ生きている。お前はユピテルの意志を、そして命を継いだのだ。ユピテルを犠牲にしてしまった事を悔やむよりも、ユピテルとの思い出を大事にして生きろ。ユピテルはお前が悲しんでいるところを、望んではいない」

 

 その言葉にアスナと揃ってハッとする。確かにユピテルを助ける事は出来なかったけれど、ユピテルを失った悲しみに浸ったまま生きていくのを彼が望んでいるとは思えない。ユピテルを失ったことを嘆いていくよりも、ユピテルとの思い出を抱えて、前を向いて生きていく――それこそが、彼の望みだろう。

 

「アスナ、リランの言う通りだ。確かにユピテルは失われたけれど、何も君の中のユピテルとの思い出が全部消えてしまったわけじゃないよ。だから、ユピテルの分まで生きていこう」

 

 アスナはしばらく何も言わずにきょとんとしているだけだったが、やがてすんと笑んだ。

 

「……そうだね。あの子は最後に、わたしに泣かないで言ってくれた。ここで立ち止まったら、きっとあの子も悲しむね……前、向かなきゃ、だね」

 

 直後、それまで黙っていたエギルが口を開いた。

 

「これでこの世界とはおさらばだが……別に俺達はこれが永遠の別れになるわけじゃない。全員一緒に現実世界に帰るんだから、また会える。だからな、俺がみんなで集まれる場所を用意するよ」

 

「えっ、そんなところ、あるのか」

 

 俺の問いかけに、エギルは頷きながら腕組みをする。

 

「東京の御徒町に、ダイシー・カフェっていう店がある。俺が現実世界で経営している喫茶店だ。流石に帰ってすぐはリハビリとかがあるから駄目だろうが、もうリハビリが必要なくなるくらいにまで回復したら、皆でそこに集まるってのはどうだ」

 

 今までずっと商人プレイヤーとして活躍してきたエギル。その手並みはあまりに慣れているものだったから現実でも何かやってるんじゃないかと思っていたけれど、やはり現実でも商人だった。正確には喫茶店のマスターだが。

 

「あ、いいね! またみんなで集まろうよ! 東京ならすぐ近くだし!」

 

 リーファの言葉に皆で頷く。ここでお別れなんかじゃない。俺達は全員で現実世界に帰るだけだから、会おうと思えばもう一度会えるのだ。

 

「まぁ、俺の店が二年間そのまま残ってたらの話だけど……カミさんもスキルの持ち主だから、案外いけるかもしれねぇな」

 

「えぇっ、エギルって既婚者だったのか!?」

 

 クラインの問いかけにエギルが首を傾げる。

 

「あれ、話してなかったっけか? どっかで話した記憶があるような気がするんだが」

 

「くっそぉ! 俺も現実に帰ったら相手探さねえと……!」

 

 かつては《壊り逃げ男》の幻影に苦しめられたクライン。今度はその幻影を現実のものに変えようとしている強気な表情が浮かんでいる。皆が一度に喋り終えたその時に、入口の方から声が聞こえてきた。

 

「皆――――!!」

 

 ひどく聞き覚えのある女性の声色。だけどそれがここに来る事などありえるのだろうか――そう思いながら向き直ってみれば、そこにあったのは黒色の長い髪の毛で、紅いカチューシャを付けて、白いコート状の服を着た二十代後半と思われる胸の大きな、赤茶色の瞳の女性。詩乃の恩師。

 

「イリスさん!」

 

「イリス先生!」

 

 第1層で子供達を見ていたはずのイリスがここにいるという奇妙な事態。当の本人は顔に笑みを浮かべながらこちらに走って来て、俺達の輪にすかさず加わってきた。そこで、イリスは一同を見回しながら、言った。

 

「やったじゃないか君達。ついにこの呪われたゲームはクリアされて、プレイヤー達は解放されていっているよ。しかも一人も欠員無しと来た。すごいじゃないか!」

 

 シノンがイリスに声掛けする。

 

「先生、なんで? 先生は第1層でログアウトしたんじゃ?」

 

 イリスは頭を掻きながら答える。

 

「そのはずだったんだが、子供達や保母達が全員現実世界に解放されていく中、私だけがログアウトされなくてね。最後に一人で消えるのもあれだったから、転移結晶を使って100層まで来たんだよ。アイテムスパンは止まっているはずなんだが、これは使えてしまってね。最後の最後まで若干のバグを抱えていたみたいだな、このゲームは」

 

「イリス先生だけがログアウトされない? どういう事なんですか」

 

 ユウキの問いかけに、イリスは向き直る。

 

「多分だけど、私とシノンが使っているメディキュボイドが原因だろう。本来、メディキュボイドはSAOをプレイするための機器ではないからね。その分ログアウトが遅れているんだと思う。だけど、最後の最後で君達の傍に行けたから、幸運だったよ」

 

「という事は、私のログアウトも少し遅れるって事か……」

 

「そう言う事だね。だけど無事にログアウトされるから、何も心配はいらないよ」

 

 そこで、ディアベルがイリスへと声をかけた。

 

「イリスさん、俺達やりました。無事に、このゲームをクリアしましたよ」

 

「あぁ。よくやってくれたよ。君達がちゃんとクリアできるかどうか、もしくは生き残ってくれるかどうか、不安で仕方がなかった。だけど、それは今、君達がクリアを果たしてくれた事によって全て消え去った。本当に、君達には頭が上がらないよ。

 ゲームクリアおめでとう。君達は、この悪魔のゲームに終止符を打った英雄だ。このゲームを作り上げた人間達を代表して礼を言うよ。ありがとう」

 

 イリスが軽く頭を下げると、皆で微笑む。イリスは此のゲームを生み出して閉まった人間として負い目を感じていたに違いないし、無駄な責任感というものに囚われていたのかもしれない。だけど、今こうしてこのゲームが終わりを迎えた事により、それら全てが無に帰り、彼女を縛り付けていた鎖もすべて断ち切られた。

 

「礼を言うのはこっちの方ですよ。このゲームが無ければ、イリスさんというべっぴんさんにも会え……」

 

 クラインが言いかけたその時に、全員で気が付く。クラインの身体が、先程皆が消えていった時の者と同じ白色の光に包み込まれようとしているのだ。

 

「クライン!」

 

「おっと、俺にもついにお迎えが来やがった。とうとう現実世界へ帰れるわけかぁ」

 

 これまでずっと攻略組として、俺達の頼もしい仲間として活躍してくれた武者のような男。それは俺達へと振り返り、軽く手を振って見せた。

 

「えと、それじゃあな、皆。だけどこれでさようならじゃないのは、間違いないからな。現実世界でまた会える日を、楽しみにしてるぜ」

 

 そう言って、クラインの身体は白色の光となって消えていった。皆が思わずその光景に黙り込む中、今度はディアベルとエギルの身体が、光に包み込まれる。

 

「おっと、俺達も時間というわけか。皆、現実世界でまた、会おうな」

 

「もし、このVRMMOが残ってるんなら、また一緒にやる事も考えようぜ。さらばだ、また会おう」

 

 聖なる竜をモデルにした者達を従えて青い鎧に身を包み、戦い続けた司令塔と、中層プレイヤー達の支えであった商人の斧使い。二人の身体は瞬く間に光に包み込まれて、この世界から脱して行った。

 

 それに続くかのように、今度はリーファとユウキの身体が光に変わり始める。須郷の計画、いや、《ハンニバル》だろうか。いずれにせよ計画によってALOから拉致されてきてしまった二人もまた、帰還の時が来た。

 

「次はボク達かぁ。この世界にいたのは長かったような、短かったような。だけど、皆と出会わせてくれたから、ボクはこの世界を憎んでなんかいないよ」

 

「そうだね。もし、今でも普通にALOにいたままだったら、皆に会う事も、出来なかったもんね。それに、あたしはおにいちゃんのところに来れたから、すごく嬉しかった」

 

 確かに二人はシノンやイリスと同じ完全な部外者で、本来ならばここに来る予定なんかなかった人達だ。だけど、この二人が来てくれたおかげで、俺達の戦いも犠牲者の出ないものになったようなものだ。とくにユウキは――そう思った時に、ユウキは俺に向き直る。

 

「キリト、もしVRMMOに抵抗がないんなら、ALOに来る事も考えてみて欲しいな。カイムと二人で待ってるからさ」

 

「あぁそうか。あいつも今ALOにいるんだったな。わかった、考えておいてみるよ。そっちもなんだか楽しそうだしな」

 

 直後に俺はある事に気付いた。リーファ――直葉は、ALOをやっている途中でSAOに巻き込まれて、今ここにいる。直葉の身体は今、どうなっていて、どういう状況にあるのだろう。

 

「な、なぁスグ。お前って今どうなってるんだ? ALOに行ったと思ったらこっちに来て、ログアウト不可になってたんだろう。お前も俺と同じ病院送りになってるんじゃないか」

 

「あっ!! そうかもしれない。だ、だけどALOそのものは大丈夫だと思うよ。万が一おかあさんが警察に連絡して、ALOに問題があるって言っても、こんなことになったのはあたしだけだから、あたしのアミュスフィアがおかしくなったって事で片付いてると思うから」

 

 こりゃ、帰ったらかあさんに二人揃って頭を下げなきゃいけなくなったな――そう思うと、二人の身体が更に強い光となって変っていく。咄嗟にそこへ、共に暮らしていたアスナが声をかける。

 

「ユウキ!」

 

「アスナ、ボクは今言ったようにALOにいる。もし来れるんなら、また来てね」

 

「うん、ユウキに、会いに行くね」

 

 アスナが答えてやると、ユウキは笑み、そのまま白い光となって消えていき、それに続いて俺の妹もまた、白い光に包まれて消えていった。そしてそこに続いてリズベット、シリカ、フィリアの身体が白い光になり始める。

 

「さ、三人とも!」

 

 リズベットが満足そうな顔をして上を眺める。

 

「あぁ、次はあたしらかぁ。まぁなんだ、あたしは別に大丈夫だよ。だって会おうと思えば、皆とまた会えるわけだしさ」

 

 続けてシリカが言う。

 

「あたしも同じです。さっきまでは皆さんともうお別れって思ったんですけれど、よくよく考えれば、また会う事が出来るってわかったので、全然寂しくありません」

 

 最後に、フィリアが笑んだ。

 

「現実世界に帰ったら、また揃おうね。また皆で揃って、お話しして、出来ればまた皆でゲームをしたい」

 

「あぁ、俺も同じだ。また皆で揃える時を、楽しみしているよ」

 

 そう言ってやると、比較的俺が世話になった三人は、満足そうな顔をして、白い光に包み込まれ、消えていった。

 

 そして残ったのは、俺とシノンとユイ、アスナとイリスの五人だけになった。次は誰がログアウトされるのか――待っていたそこで、イリスがアスナへと声をかける。

 

「アスナ、私はこのゲームの開発者であり、君を閉じ込めてしまった人間だ。もしかしたら、君の輝かしい未来を失わせてしまったかもしれない。本当にすまなかったな」

 

 すまなそうな顔をしているイリスに、アスナは首を横に振って見せる。

 

「そんな事はありません。わたしがかつて目指していたものは、わたしをこの世界以上の牢獄に閉ざしてしまうようなものでした。だからこそ、わたしはこの世界に巻き込まれて、この世界に触れて……イリス先生が作ってくださったマーテルとユピテルに会えて、良かったと思います。それまでずっと、自分を偽っていた事に気付けましたから」

 

「私の子供達のおかげ、か。いや、それだけじゃないよ。君自身もそれまで自分がやっていた事を疑う事が出来ていたんだ。一般大衆ってのは自分の常識ってものを疑う事が出来ないもんだからね。だからこそ、君は自ら道を切り拓いたに等しいよ。それに、私は嬉しいんだ」

 

 アスナが首を傾げると、イリスはその顔を上げて微笑んだ。

 

「君はあんなにもユピテルを懐かせて、大事にしてくれた。封印から覚醒したユピテルには私による保護が必要とばかり考えていたのだけれど、君はユピテルを自ら預かってくれて、大切に育ててくれた。私は君に頭が上がらないよ」

 

 あんな結果になってしまったけれど、ユピテルと過ごしている時のアスナはこれ以上ないくらいに幸せそうだったし、その時のアスナの姿は、かつて攻略の鬼と呼ばれていたなんて事が嘘だと思えるようなものだった。ユピテルは間違いなく、アスナに多大な影響を及ぼして、アスナの心を穏やかにしたのだ。

 

 しかしその直後、イリスは懐に手を突っ込んで、何かを抜き取った。その手に握られていたのは海のような青色をした、光を受けて煌めいている美しい結晶のようなものだった。

 

「だからこそアスナ、君にはこれを与えよう」

 

 アスナは結晶を受け取って、不思議がって見つめる。

 

「これは、なんですか」

 

「もし君が、VRMMOを拒絶しないと思っているならば、その世界に行った時に解凍してくれ。中身は教えられない。どうか自分で確認してもらいたい」

 

 アスナはひとまず頷いて、アイテムストレージの中へと結晶を送信した。次の瞬間に、ついにアスナの身体にも白色の光が発生し始めた。

 

「アスナ」

 

 親友であるシノンが呼び掛けると、アスナはシノンと俺に向き直った。

 

「シノのん、そしてキリト君。本当にありがとうね。リランとユピテルもいたからだけど、わたしが今までの自分の間違いに気が付けたのは、キリト君とシノのんの協力もあったからこそなの。わたしは貴方達にも救われた。本当に、ありがとう。

 そしてシノのんは、わたしの一番の友達だよ」

 

「俺達もアスナに支えられた事も多かったし、アスナから色んな事を教えてもらったよ。今の俺達があるのは、アスナのおかげもあるんだよ」

 

「私も、今まで生きてきた中で最高の友達はアスナ、あんたよ。現実世界に帰っても、また会いましょう。その時が、今から楽しみだわ」

 

 アスナは満足そうに頷いた後に、イリスに向き直った。

 

「イリス先生も、今までありがとうございました。現実世界に帰ったら、また会いたいです」

 

「あぁ。私もまた君に会える事を楽しみにしてる。ゲームクリアおめでとう、アスナ」

 

 イリスの笑顔を見つめながらアスナがもう一度頷くと、その身体はあっという間に白い光に包み込まれていき、現実世界へと戻されていった。ついに、四人になってしまうと、ユイが俺達に向き直った。

 

「パパ、ママ、一旦ここでお別れです」

 

 シノンの口元から小さな声が漏れる。

 ユイは俺のナーヴギアの中に本体を置いているから、この世界が消えたとしても大丈夫ではあるものの、この世界はユイ達が具現できる最初で最後の場所……この世界が終わる今、ユイ達は自分達が存在できるところを失う事になる。

 

 ――ユイ達が具現できる環境を見つけるまでの間、ユイとはもう話せなくなるし、会う事すらできなくなってしまう。

 

「ユイ、そっか。この世界はお前達が現出できる唯一の場所だったもんな……お前達には眠りに就いてもらう事になるけれど、大丈夫なのか」

 

「はい、大丈夫ですよ。おねえさんもストレアもいますから、全然寂しくないです」

 

 ユイはシノンに顔を向ける。

 

「三人で、パパとママが迎えに来てくれるのを待ってますね」

 

「ユイ……!」

 

 シノンが今にも泣き出しそうな顔をすると、ユイはそっと微笑んだ。

 

「大丈夫ですよママ。わたしはパパとママを待っているのが得意ですし、おねえさんだって、ストレアだっているんです。だから、大丈夫です。だから、だから……」

 

 一見大丈夫そうに見えていたユイの顔が、徐々に泣き顔に変わってきて、その黒色の瞳から涙がぽろぽろと零れ始める。

 

 やはりユイは、俺達に会えなくなる事を泣きたいところだったのだけれど、俺達に心配をさせないように、泣くのを必死になって我慢していたのだ。それが俺と一緒に理解できたのだろう、シノンもまた涙を流し始めて、ユイの身体を力強く抱きしめた。

 

「ユイ……ユイッ!!」

 

「パパ……ママ……う、うあああああああああぁぁぁッ!!!」

 

 シノンに力いっぱい抱き締められて、その胸の中に顔を埋めるや否、ユイはとうとう大声を上げて泣き始める。そこにすかさず俺も加わって、シノンの胸の中にいるユイを抱き締める。

 

「あなたは、本当に優しい子だわ……私達を心配させないように、泣くのを、我慢して……」

 

「ママ……ママぁぁ……!」

 

「いいんだ、泣いていいんだよユイ。お前は、俺達の子供なんだから、いっぱい甘えていいんだ」

 

 これでしばらくの間、ユイと会う事も、話す事も、抱き締めてやる事も出来なくなる。そう思うと、自然と涙が出てきてしまったが、俺は一切気にせずに、娘を抱き締め続ける。

 

「お前が俺達の子供になってくれて、本当によかったよ。ありがとう、ユイ。必ず迎えに来るから、しばらくの間、留守番を頼むな」

 

 ユイは泣き顔のまま俺の方へ向いてきて、精一杯に笑みを作った。

 

「ぐずず、はい。いつもパパとママは、わたしのところへ帰って来てくれました。今度だって、絶対に来てくれるってわかってます。だから、ちゃんと良い子にして待ってますよ!」

 

 シノンもまた、ユイを抱き締めたまま静かに微笑む。

 

「わかったわ……ちゃんと迎えに来るから、それまで待っててね……」

 

 ユイは頷いて、シノンの胸の中に再び顔を埋めた。そしてしばらくして、顔を離したユイが、俺の方に顔を向けた。

 

「それではパパ……わたしはパパのローカルメモリの中に戻ります」

 

「あぁ、ゆっくりお休み」

 

「はい、おやすみなさい、パパ、ママ。大好きです」

 

 たがいに微笑み合うと、ユイの身体は白金色の光に包み込まれていき、リランやストレアの時のように光球に変化。そのまま静かに飛翔して、俺の胸の中へと吸い込まれて、消えた。心なしか、身体の中が暖かくなった。

 

 ついに、最後の三人になったところで、俺はユイ、リラン、ストレア、そしてユピテルの製作者であるイリスに向き直った。――イリスの身体は、既に白色の光に包み込まれようとしていた。

 

「キリト君、この前の約束、覚えているかい」

 

「約束? なんかしましたっけ?」

 

「ほら、君の本当の名前を教えるって約束さ。君は私と詩乃の名前ばっかり知ってて、自分の名前を教えていないじゃないか」

 

 そういえば、俺は前にイリス――芹澤と約束を交わしたんだった。詩乃に本当に名前を教えたせいか、芹澤に教えるのは忘れていた。

 

桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)、です」

 

 芹澤は「おぉ」と言った後に微笑んだ。

 

「桐ヶ谷和人君、か。ふむ、覚えたぞ。んで、私の名前は……」

 

「芹澤愛莉(あいり)さん、でしょう。覚えてますって」

 

 自分の名前を言われて、芹澤は苦笑いして見せた。多分、俺が忘れているとでも思っていたのだろう。

 

「流石にそれは覚えていてくれたか。まぁ、その辺りはよしとしようか」

 

 芹澤は顔から苦笑を消すと、再度微笑んだ。

 

「和人君、ありがとう。まさか君が、ここまで詩乃と仲良くなって、思い合える仲になってくれるとは思わなかったよ。君が詩乃と出会い、恋仲になり、結婚なんて事まで成し遂げるとは、完全に私の想定外だったし、詩乃が拒絶しないというのも、完全に想定の外だった」

 

 芹澤がメディキュボイドを使おうと詩乃に勧めなかったら、今頃俺は独り者だっただろうし、詩乃という守りたいもの、守るべきものに出会う事も出来なかっただろう。結局のところ、この人に助けられた事も多かったし、この人が切っ掛けになった事も多かった。

 

「いえ、俺も芹澤さんのアドバイスや導きが無かったら、どうしようもなかったかもしれません。こうして詩乃と一緒にゲームクリアを迎えられたのも、芹澤さんのおかげだと思いますし、芹澤さんが作ったAI達にも、何度も救われました」

 

「いやいや、この世界での出来事と結果は、何もかも君達が自ら切り開いたのであり、私はちょっとした助言をしただけだし、AIという子供達は自ら君達に惹かれていった。ゲームクリアを果たす事が出来たのは、間違いなく君達自身の力によるものさ」

 

 芹澤はすん、と鼻で軽く溜息を吐くと、微笑んだまま言った。

 

「現実世界に帰ったとしても、私は君に詩乃を任せたい。やはり詩乃にとって君は、かけがえのない存在だし、君からしても詩乃はかけがえのない存在だろう」

 

 芹澤に言われなくても、俺はその気だ。俺は詩乃の頭の中を覗いて、その記憶の全てを知った。だからこそ、今は詩乃がこれまで以上に愛おしくて、これまで以上に守ってやりたいと思えている。

 

「だから、私が勤めていて、詩乃がメディキュボイドを使っている病院を教えよう。私達の病院は、東京都千代田区御茶ノ水にあるでっかい都立病院だ。もし、君がこのゲームから現実世界に帰って、リハビリを終えたのならば、ここに来るといい」

 

 東京都千代田区御茶ノ水の都立病院――そう聞くと、胸が高鳴ったような気がした。そこにいけば、また詩乃に出会う事が出来るのだ。現実世界で、この愛する人と、また会える……そう思うと、芹澤の身体を包む光は、その強さを激しくした。

 

「芹澤さん!」

 

「勿論、そこに行けば私にも会える。現実世界で君に出会える日を、私は楽しみにしているよ。それじゃあ詩乃、私は先に行って待っているからね。……ゲームクリアおめでとう、和人君。あなたと出会えて、本当によかったわ」

 

 そう言って、この世界を創りし者の一人は光となって消えていった。その姿は、自分の残した災いが消え去った事に満足しているようにも思えた。

 

 

 

 そして、最後に残った、たった一人の愛する人に、俺は向き直った。その時すでに、彼女は俺に向き直っていて、一切の曇りのない瞳で俺の事を見つめていた。

 

「和人、ありがとう。あの時から、私と一緒に居てくれて」

 

「俺だってそうだよ。あの時君が俺のところに落ちて来なかったら、今の自分なんてものは存在しなかっただろうし、守りたいものを知る事だって出来なかった。今の俺があるのは、詩乃、全部君のおかげだ」

 

 詩乃はそっと笑んだ。

 

「私、この世界に来るまで、この世界は呪われた世界だと思ってた。だけど、今はここにきて本当によかったと思ってる。だって、ユイと出会えて、みんなと出会えて、そして、あなたと出会えたのだから」

 

「俺も、君がここに来るまでは、早く出たいとか、皆を生かして帰してやりたいって思ってたけれど、今は君と出会わせてくれたという事で、感謝でいっぱいだ」

 

 直後に、詩乃は静かに俺の身体に自分の身体を預けてきた。その暖かな身体を、そっと俺は抱き締める。

 

「私、幸せだったわ。ううん、初めて幸せっていうものを知ったわ。あなたと出会って、あなたが現実世界に戻っても守ってくれるって言ってもらったその時から、ずっと毎日が暖かくて仕方がなかった。

 どんなに辛い戦いがあっても、どんなに怖い目に遭っても、あなたがずっとそばにいてくれたし、私一人じゃどうしようもなかった時、あなたが迷わずに来てくれて、本当に嬉しかったわ。奇跡みたいって思ってた。本当、何度ありがとうって言っても、足りない……」

 

「俺だってそうさ。まぁ、まさか君の頭の中にまで、君の事を助けに行く事になるなんてのは、思ってもみなかったけれどさ」

 

 詩乃は俺の胸の中で拳を握った。

 

「あの時は、本当にもう駄目だって思ったのよ。身体を滅茶苦茶にされて、心と頭の中をぐちゃぐちゃにされて、本当にもう駄目だって……思ってた。だけど、そこにまであなたが現れたから……それに、あなたは私の記憶を全部見ても、私を拒絶しようとしなかった。それが一番、心の底から嬉しかったわ」

 

「……ほんと、頑張って来たんだな、詩乃。あんなに辛い目に遭わされても、あんなに寒い世界に閉じ込められても、全然折れなくて、諦めなくて……あの時は、君が本当に強い人なんだって思い知ったよ。だけど、やっぱり誰も信じられないから、本当は寂しかったってところも、わかっちゃったな」

 

「あの頃は……うん、そう思ってた。だけど、今は全然そんなふうには思わないの。あなたと出会って、私を必要としてくれる人、本当の意味で、私の傍にいてくれる人、私の事をわかってくれる人が一人でもいるんだってわかったから。

 それから連鎖的だったな、本当の友達のアスナやリズベットに出会って、仲良くなったのも。やっぱり、私の幸せは全部あなたから始まってる……あなたは、私にとっての全てよ」

 

 俺はそっと、愛する人の髪の毛を撫でて、全身で温もりを受け入れる。これで最後のはずだけれど、やはり最後のような気なんてしない。だって、現実世界でもまた会えるのだから。

 

「……詩乃。必ず会いに行くからな。リハビリになんてとっとと終わらせて、君のところに行く。その時まで、待っててもらえるか」

 

 詩乃は顔を上げた。とても輝かしい笑顔が、そこにはあった。

 

「もしかしたら、私からあなたに会いに行くかもしれない。待っててもらえる?」

 

 まるで互いに同じ事を考えていたかのような言葉の交わし合い。直後に、苦笑いに似た笑みが顔に浮かんできたのがわかった。

 

「……考えてる事は二人揃って同じ、って事か。やっぱり俺達は、最初から似た者同士だったのかもしれないな」

 

「そうかも。でもだからこそ、私はあなたを大好きになれて、愛せて、あなたは私を愛してくれた。違う?」

 

「違わない。何にも違わないよ。俺も、君が俺と似たような人だったから、君の事が好きになれて、君の事を愛おしく思えるようになって、君を守りたいって思えたんだ。いや、これからもそう思えるんだ。ずっと」

 

 俺は詩乃の頬に手を添えると、ゆっくりとその唇と自分の唇を重ねた。このアインクラッドという世界での、彼女に捧げる最後のキス。その時間は長くて、自分という存在の中に彼女という存在を刻み込むには十分だった。

 

 直後に、俺達の身体は白い光に包み込まれた。その瞬間、俺達は双方の身体をしっかりと抱きしめ合い、最期の瞬間まで体温、呼吸、鼓動、その全てを感じ合う。

 

 瞬く間にその光が強くなり、目の前すらも真っ白に染め上げたその時に、俺達の声は混ざり合った。

 

 

 ――必ず会いに行くから、待っていて。愛してる。

 

 

 俺達の紡いだ言葉を皮切りに、俺達の魂は世界を脱して、元居た世界へと飛翔した。

 

 同刻、俺達の思い出が詰まった鋼鉄の城は、完全なる崩壊を迎え、消失を遂げた。




アインクラッド、終了。

































もうあと、ほんの少しだけ続くんじゃ。

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