キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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19:悪夢の再来

          ◇◇◇

 

 詩乃との一日を終えて、朝起きると、そこにいたのはいつもどおりの詩乃だった。

 

 昨日とは打って変わっている健康的な詩乃に声をかけると、昨日が余りに充実した日であったため、少し現実感が感じられない感覚はあったみたいだが、俺の本当の名前を聞いた事で、そういう事をあまり考えなくなったと詩乃は言い、更に、自分はもう大丈夫だと言ってくれた。

 

 その時の詩乃の顔は、昨日みたいな不安そうなものではなく、とても満足しているようなものであり、これ以上ないくらいに元気そうだった。

 

 それを見た俺は、詩乃/シノンの作ってくれた朝食を食べた後に、ひとまずイリスに診せてみようと思って第1層に向かおうと考えたのだが、それよりも先に家の中にノックの音が飛び込んで来た。

 

 何事かと玄関口のドアを開けてみると、そこにいたのは情報屋のアルゴと、最近攻略に頻繁に参加してくれているフィリアとリーファだった。

 

「おはよう三人とも。こんな朝からどうしたんだ」

 

 いつもどおり声をかけたところ、アルゴが突然怒鳴り返してきた。

 

「キー坊、なに寝坊してるんだヨ! 大変な事が起きたゾ!!」

 

「おいおいおいおい、いきなりなんだよ」

 

 リーファがアルゴとフィリアを押しのけて、俺の目の前に躍り出る。

 

「おにいちゃん、大変なの!」

 

 今の三人の共通点は、焦っているような、怒っているような表情が顔に浮かんでいる事だった。いつもは冷静沈着なアルゴさえもそんな顔をしているその有様に、俺は非常事が起きた事を感じ取った。

 

 三人がこんな有様になるくらいの非常事が起こった事は、回復したばかりであるシノンも感じ取ったらしく、俺の隣に並んで三人に声をかけた。

 

「どうしたのよ三人とも。その様子だと、穏やかじゃない事が起きたみたいだけど」

 

 フィリアが頷きつつ、村の転移門の方を指す。

 

「大変なんだよキリトにシノン! 56層が、アスナ達の住んでる56層で、大災害が起きたって!」

 

 その言葉を聞くなり、俺は悪寒が背中を通り抜けた錯覚を感じ取った。いや、実際悪寒を感じたのだろう。

 

 56層と言えば今言った通りアスナ達の住んでいるところであり……昨日からは――ユイとリランもそこに行って寝泊りしている。

 

「なんだと!!?」

 

「大災害!? 大災害って、どんな!? どの辺で!?」

 

 アルゴが顔を少し青白くしながら言う。

 

「それが、アーさんの家とその周辺なんダ。まるで竜巻が着たような大災害が起きて、もう何もかも滅茶苦茶にされちまってル……!」

 

 次の瞬間に、俺は顔面が蒼白になってしまったのを自ら感じた。アスナの家で大災害が起きた――普段ならば、大事な仲間の一人であるアスナの身に何か起きてしまったという事で、同じように顔を蒼くしただろうけれど、その時よりも俺の顔は蒼いだろうし、強い悪寒を感じている。

 

 アスナの家で災害が起きたというのならば、間違いなくユイとリランも巻き込まれている。アスナもユウキもそうだが……ユイとリランは大丈夫なのか!?

 

「そういえばキリト、リランとユイちゃんは? なんで出てこないの?」

 

 フィリアの問いかけを受けた瞬間に、俺達は揃って叫んだ。

 

「リラン!!!」

 

「ユイ!!!」

 

 我が子と相棒が危ない――。

 

 その安否を確認しなければ――。

 

 本能にも似た衝動に駆られた俺とシノンは三人を突き飛ばして、プライベートの時の格好のまま――シノンに至っては家にいる時のパーカーのまま、22層を疾走。そのまま村と言ってもいいくらいに小規模の22層の街中に入り込んで転移門を起動。

 

 すぐさま問題の56層を選択してその街中に降り立ち、すぐさま疾走を再開し、災害の起きた場所であるアスナの家のある住宅街を目掛けて湖畔を駆けた。

 

 早く着け、早く着け、早く着け。

 

 こんな事なら回廊結晶をアスナの自宅の前に設定しておくんだった。

 

 焦る頭の中でそのような事を考えつつ、街角を数回曲り、直線的な道を走り続ける――それをしばらく繰り返していると、これから向かおうとしている道を、人の壁が塞いでいるのが見えてきた。

 

 まるで大きな祭やイベントの時、それに参加しようと会場を目指しているかのような大勢のプレイヤー、軍勢・軍団(レギオン)。一目見ただけで、それらが全て、事件の現場を見ようと集まっているであろう野次馬である事が理解できた。

 

 もしこれが楽しいイベント会場に向かう最中だったならば、複数の道が用意されている事が多いため、途中で引き返して別ルートから行く事を考えただろうけれど、アスナの家への道筋はこれ一本しか存在していない。

 

 どうしてもここを通る必要があるけれど、あのままではあの野次馬達のせいで進めない。

 

 ――咄嗟に頭の中をフル回転させた俺は、走りながら素早く装備ウインドウを起動して、攻略する時や血盟騎士団の団長としての活動をする時の防具《ホワイトシリーズ》を一式装備して、黒く塗り替えた《インセインルーラー》を引き抜いて突き出した。

 

「血盟騎士団団長キリトだ! 全員道を開けろ――ッ!!」

 

 戦闘の時のように咆哮すると、野次馬達は咄嗟に振り向いて驚き、道の脇に寄った。まるで海が割れたかのように道が出来上がり、俺達はそこを駆け抜ける。

 

 野次馬達が声を上げたような気がしたが、聞きとっている余裕は俺達にはなかった。

 

 野次馬達が開けてくれた道を駆け抜けて、見慣れた住宅街の中に入り込み、ついに俺達は事件のあった場所に到着したが――そこで言葉を失った。

 

 アスナの家のあるところ周辺は、所謂高級住宅街で、そこら辺の街の家とは比べ物にならないくらいに豪勢な家々が並んでいる華やかな場所だった。

 

 そこに売られている空き家も、確実に驚く値段のものばかりだったが――それらは全て大きな地震や竜巻に襲われたかのように、潰れて無残な姿に変わっていた。

 

「こ、これは一体、何なんだ」

 

 あまりの光景に戸惑いを隠せないでいると、俺達を呼ぶ声が聞こえてきた。そこに広がっていたのは、かつてのアスナの家だと思われる廃墟、その前に集っている見覚えのある女性達の姿、そしてその中で、俺達が最も心配をしていたユイが手を振っている光景だった。

 

「ユイッ!!」

 

 俺達は飛び付くように駆け寄り、やがて二人で愛する娘の身体を抱き締めた。その時にはすでに、シノンの目元からは涙が零れていた。

 

「ユイ、ユイ! よかった、無事で、無事でぇ……!」

 

「パパぁ、ママぁ!」

 

「よかった……お前に何かあったら、俺達は……!」

 

 二人でユイが生きている事を確かめていると、もう一度俺達を呼ぶ《声》が頭の中に聞こえてきた。

 

 目を向けてみれば、そこには地面にぺたんと座り込んだまま動かなくなっているアスナと、アスナを慰めるように傍に寄り添っているピンク色の髪の女の子リズベットと茶色の髪の毛と赤い軽装が特徴的なシリカ、紫色の髪の女の子ユウキの姿だった。

 

 その中に溶け込むように、俺の相棒である白き狼竜リランの姿もあり、今の《声》の主がリランである事に俺はすぐに気付き、その傍に寄り添った。

 

「リラン、お前も無事だったか!」

 

《我はこの程度の事では死なぬ。だが、あまりにひどい事が起きたものだ》

 

「何があったんだよ。あちこち滅茶苦茶だぜ。こんな事って有り得るのか」

 

「キリト」

 

「キリトさん!」

 

 俺に話しかけるタイミングを見つけたのか、リズベットとシリカが立ち上がって声をかけてきた。早速俺は二人に顔を向ける。

 

「リズにシリカ、どうなったんだ。何があったかわかるか」

 

 どこか不安そうな表情を浮かべたまま、リズベットはアスナの方に向いた。

 

「わからないわ。あたしは56層で大事件が起きたっていう知らせを聞いてここに来たんだ。シリカはその付添いよ」

 

 シリカが悲しそうな顔をしながら、リズベットと同じようにアスナに顔を向ける。

 

「そしたら、こんな事になってて、アスナさんの家が崩れてて……」

 

「君達にもよくわかってないって事か……」

 

 リズベットの頷きを見た後に、俺は周囲を見回す。あちこちに家の管理をしていたと思われるNPCや、潰された家を所有していたと思われるプレイヤー達が見えて、その姿と光景は現実世界での大きな震災や大火事、竜巻などの被害の後を思い起こさせる。

 

 だけどここは空中に浮遊している城、アインクラッドの中だから地震が起きるなんてありえないし、竜巻なんて言う異常気象が起こるとも考えにくい。

 

 そしてモンスターだっていまだに圏内に入る事は出来ないからモンスターの襲撃によってこうなったとも思えない。

 

 よって、一番考えられるのはプレイヤー、即ち人間によるものだ。

 

「モンスターが入って来れない場所だからモンスターの仕業ではない……だけどここまで出来るのは動物だけだ。そしてこんな事が出来る動物は、俺の知る限りじゃ人間だけだな」

 

「人間じゃない……」

 

 今にも消えてしまいそうなくらいに小さな声が耳元に届いて来て、少し驚いた。しかし、その声色のおかげで、俺は声の正体がアスナである事にすぐに気付く。

 

「アスナ」

 

 俺はアスナの前方に駆け寄り、同じようにしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。アスナの顔は、完全に血の気が抜けきって真っ白だった。

 

「何があったのか、話せるのか」

 

 アスナは俺に視線を向けないまま、か細く声を出した。

 

「リランと同じモンスターが空から街に入り込んできたの……それで、わたし達を吹っ飛ばして……そのまま、ユピテルを連れ去って……」

 

 アスナからの説明に俺はもう一度驚く。街は未だに圏内設定がされているため、モンスターが入り込む事は出来ないはずで、それを破る事が出来たのは、暴走したマーテルのみだ。

 

 まさか、またマーテルのような存在が現れたというのか。

 

「モンスターが圏内に入って来たのか。だけどそんな事って有り得るのか」

 

 俺は咄嗟に、アスナに寄り添うユウキに顔を向ける。アスナがまともな事を言っているのかを確認したいという俺の気持ちを察したのか、ユウキは少し険しい表情を浮かべて答える。

 

「アスナの言ってる事は本当だよ。近くのプレイヤー達も、アスナの家を壊して中に入り込んだ黒いモンスターを見たって言ってるからね」

 

 増々、俺の中にはあの暴走したマーテルの姿が鮮明に映し出される。《壊り逃げ男》によって暴走させられたマーテルは圏内を無視して街の中に侵入し、滅茶苦茶に暴れ回った。そしてそのマーテルもデータを吸い過ぎたのか、墨のような黒い体色をしていた。

 

「リランと同じ形をしたモンスターだって?」

 

 そこでようやくアスナは頷く。

 

「リランと同じ形をした、黒いモンスターだった……そいつはいきなりわたしの家を壊して入って来て、ユウキとユイちゃんとリランを気絶させて……ユピテルを捕まえた……」

 

 今にも泣き出してしまいそうなアスナの声。恐らくその時の事を語る事すら辛くて仕方がないのだろう。だけど、その時の事を知っているのがアスナしかない以上は、もうやめろと言う事は出来ない。

 

「君は動けたのか。それで、どうなったんだ」

 

「ユピテルを助けようとした。戦った。だけど……ランベントライトが折られただけで……全く刃が立たなかった……ユピテルにメッセージを送ろうとしても……《追跡・探知不能》って出てて……」

 

 アスナを血盟騎士団の副団長足らしめていた白銀の細剣・ランベントライト。リズベットによって作り出され、今の今までアスナを守ってきた細剣の死を聞いた俺の中には、驚きと悪寒が走る。

 

「あの剣が、折られたのか……」

 

 俺はランベントライトを作った張本人――リズベットに顔を向けた。リズベットはアスナの隣に戻って来ており、その背中を撫でながら、俺に目を向けていた。

 

「ものの見事にぽっきりと折られてたわ。でもやっぱり出来が良かったおかげなのか、修復は効く。だからランベントライトについては何も気にしないでいいんだけど……」

 

 問題はユピテルであり、そしてそれを連れ去ったモンスターだ。

 

 そのモンスターは、圏内であるはずのアスナの家に入り込んで崩し、ユピテルを捕まえてそのまま飛び去った。しかもその姿はリラン、即ち《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》に酷似していたとの事。

 

「リランによく似たモンスター……そいつはリラン以外の《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》って事か」

 

 これまで戦ってきた中で、俺はリラン以外の《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》を見た事はないが、そもそもリランは偶然フィールドに現れて、そのまま俺の《使い魔》になったモンスターだ。

 

 なので、リラン以外の《剣龍(ソードドラゴン)》や《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》が存在していてもおかしな話は何一つない。

 

 現に、俺と同じ《ビーストテイマー》であるシリカの《使い魔》、ピナも《フェザーリドラ》というモンスターの幼体の一種だから、特定のフィールドに行けば所謂野生の《フェザーリドラ》に遭う事も出来る。

 

「リラン、お前はそのモンスターを見ていないのか」

 

 いつの間にか俺の肩に戻ってきている、ぬいぐるみのようにデフォルメされた姿になっている《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》に声をかけると、頭の中に《声》を返してきた。

 

《我もあの時は気を失っていた。目を覚ましたその時には……アスナの家は潰れてしまっていて、ユピテルはいなかった》

 

「そうか……」

 

 直後、アスナのか細い声が再び耳に届いてきた。

 

「リランと完全に同じ姿をしてたわけじゃない……身体は黒くて、背中から腕が生えてた……そして……ものすごく強かった……」

 

 リランは見ての通り白金色をしていて、背中からは四枚の翼を生やしているが、アスナを襲ったのは背中から腕を生やしていて、毛並みが黒い狼龍。

 

 この時点で、アスナを襲ったのはリラン以外の《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》というそれまでの想定は間違いであり、リランと同種類である《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》の亜種のような存在こそが、この災害の原因である事を把握する。

 

「黒い毛並み……リラン達の種族の亜種って事か?」

 

 そのすぐ後にアスナはぐっと俯いた。

 

「わたしは……ユピテルを守れなかった……誰よりも大好きなユピテルを……わたしをかあさんって呼んでくれる子を……守ってあげられなかった……助けてあげられなかった……!!」

 

 アスナはぼろぼろと涙を地面に落としながら、ついに泣き出す。その背中をユウキとリズベットが撫でてやり、何とか慰めようとするが、アスナは泣き止まなかった。

 

 その様子を見ていると、俺は心の中にそのモンスターへの強い怒りが込み上げて来るのを感じ、無意識のうちに爪が掌に食い込むくらいに拳を握りしめていた。

 

 このゲームに巻き込まれて傷だらけになっていたアスナの心を癒したのはリランだったが、アスナに本当の幸せを教え、与えていたのはユピテルだ。

 

 ユピテルがいたからこそ、アスナはあんなにも幸せな日々を過ごす事が出来ていたんだろうし、現実世界にいた時には絶対に感じられない喜びを感じる事が出来ていた。アスナはそんなユピテルの事を愛していたし、ユピテルもアスナの事を愛していたに違いない。

 

 そんな両者を引き裂いた、《女帝龍(エンプレス・ドラゴン)》の亜種と思われるモンスター。その思惑はわからないが、誰によってそのような事が引き起こされたのか、そしてこの事件の犯人が誰であるのか、既に理解出来ているような気がしていた。

 

《キリト、我の亜種とかいうモンスターを操っていたのは、まさか、あいつでは》

 

「あぁリラン。俺も全く同じ事を考えてたよ。多分犯人は……」

 

 言いかけたその時に、俺達がやってきた方角から声が聞こえてきて、俺は言葉を切った。何事かと思って顔を向ければ、そこにあったのは息を切らしながらこちらに走って来ている、先程突き飛ばしたアルゴ、リーファ、フィリアの三人だった。

 

「キー坊達、早すぎだゾ!」

 

「三人とも、遅かったじゃないか」

 

 リーファが(しか)め面をしながら言い返してくる。

 

「だって、すごい数の野次馬なんだもん。これ現実世界だったら野次馬の事で批判と炎上が起きるよ」

 

 最後にフィリアが困ったような顔をする。

 

「血盟騎士団の人達もアスナの危機を知って駆け付けてきてるけれど、やっぱり野次馬に巻き込まれて上手く動けないみたい」

 

「だろうな。それよりも三人とも、今回の事件の犯人がわかったぞ」

 

 後から来た三人どころか、アスナを含めたこの場の全員が驚いて、俺とリランに顔を向ける。そのうちユイを抱き締めていたシノンが問いかけてきた。

 

「待ってキリト。まさか、《壊り逃げ男》とか言うんじゃないでしょうね」

 

 俺は思わずシノンの方に顔を向けてしまった。多分だけど、俺の顔には驚いてしまっている顔が浮かんでいるのだろう。

 

 シノンには未だに《壊り逃げ男》が逃げ出してしまっているという事実を教えていないし、周りの皆も喋ったりしていない。ので、シノンは《壊り逃げ男》がアインクラッドに解き放たれてしまっている事を知らないのだ。

 

「《壊り逃げ男》は私達の手で捕まえて、牢獄の中に入れたんでしょう。それで、牢獄からは出て来れない。そのはずでしょ」

 

 周りの皆が顔を落とし、俺も同じように俯く。今の今まで、シノンには余計なショックを与えてしまわないように、《壊り逃げ男》の事に関しては黙ってきた。

 

 だけど、これがもし《壊り逃げ男》の仕業であるなら、いや、例えそうでなくても話さなくてはならない。

 

 俺はばれないようにごくりと息を呑むと、そのまま顔を上げた。

 

「実はなシノン」

 

 これまで隠していた事を全て告白しよう――そう思って口を開いたその時、リンゴーン、リンゴーンという、背筋に悪寒の走る鐘の音が周囲に木霊して、俺達は飛び上がった。

 

 

「!!?」

 

 

 シノンとリーファとユウキ――このゲームに最初からいたわけではない三人を除くプレイヤーの全員が、その音に酷い反応を示す。

 

 忘れはしない。

 

 この音は間違いなくあの音だ。

 

 そう、この忌まわしき悪魔のゲームが開始された時の、あの音。

 

 まさか、もう一度この音を聞くような事が起きるなんて――そう思ったのは俺だけではなく、俺の近くにいたシリカが顔を真っ青にして声をかけてきた。

 

「き、キリトさん、これ、これって!!」

 

「あぁ……あの音だ。だけどなんたって今になって……!?」

 

 二年前、この音を聞いた時。それはこのゲームが発売されて正式サービスが開始された日であり、この音で俺達は第1層の広場に飛ばされ、そこで茅場晶彦本人からこのゲームがデスゲームであるという死刑宣告とも受け取れる言葉を受けて、このデスゲームの攻略を開始した。

 

 その時の事を忘れる人間などいるはずがなく、リズベットが戸惑ったように周囲を見回す。

 

「なんで、なんでこの音が、また!?」

 

「落ち着けリズ! ひとまず動きがあるまで待って――」

 

 その次の瞬間、俺の視界は蒼い光に包み込まれて潰され、同時に聴覚も奪われた。

 

 しかし、それは転移結晶や回廊結晶を使った時に発生する転移の現象であったため、俺は特に驚くような事はなかったが……この現象を引き起こすためのアイテムを使った覚えはないし、イベントに接触したような感じもないというのに、現象が発生したというのには驚く事になった。

 

 まるで始まりの日を思わせるような現象に瞠目していると、目の前の蒼い光は消えて、風景が確認できるようになった。

 

 そこに広がっていたのは56層とは違うパターンの石畳と瀟洒な西洋の街並み、遠くの方に黒光りする宮殿の見える広場。イリスと出会った事によりすっかり行き慣れた第1層の広場だ。

 

「な、なんだこれ……今更強制転移だと……?」

 

 俺は咄嗟に肩を見た。俺と同じように口を開けて驚いているリランの姿がそこにあった。

 

「リラン、お前大丈夫か!?」

 

《あ、あぁ大丈夫だとも。だが何だ今のは。何故我らは56層から1層に飛んだのだ》

 

「俺にもさっぱり……というか、みんなは!?」

 

 焦りながら周囲を見回すと、そこには俺と同じように強制転移させられてきたであろう、シノン達の姿があった。その中で、こんな事を経験した事がないのであろうユウキが声を上げる。

 

「ちょ、ちょ、ここどこ!?」

 

「ここは、第1層……!?」

 

 シノンがユイを抱き締めていると、ユイがシノンから離れて周囲を見回す。

 

「はい、間違いありません。どうやらわたし達は強制転移させられてここまで来たようですが……」

 

 ユイの言葉の直後に、俺は周囲にさっきの野次馬やアスナの危機を聞き付けたのであろう血盟騎士団の者達、攻略に向かっていたであろう聖竜連合やその他ギルドのプレイヤー達が続々と集められて行っている事に気付いた。

 

 そしてその数は瞬く間に膨れ上がっていく。それこそ、さっきの道を塞いでいた野次馬達が小さく見えるくらいに。

 

 プレイヤーが次々と飛ばされてくる様は、まさしくあの時の再現だった。

 

「な、なんだこれ……あの時と同じじゃないか……!!」

 

《なんなのだ、これは。何が起ころうとしているのだ!?》

 

 まさしくあの時だ。あの時と同じような事がこれから起こるとなれば、次に出てくるのは茅場晶彦だ。

 

 身体のないローブだけの存在が、空を血色に染め上げて下りてきて、俺達に死刑宣告をする。しかし茅場晶彦はあの時消えてしまったから、また現れるとは思えないし、あの時の事がそのまま再現されるとは思えない。シチュエーションこそは、酷似しているけれど。

 

「キー坊……これって、まさカ」

 

「あぁ。俺も同じ事考えてると思う。これは間違いなく、あの時と同じだ」

 

 珍しくおどおどしているアルゴを横目に周囲を眺めていると、またしても背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「キリト君、それにシノンも!」

 

 振り返ってみれば、そこには今日会いに行こうと考えていたイリスの姿があり、その背後には保母達と子供達が全員集まっているのが見える。どうやら彼女らもこの広場に集められてきたらしい。

 

「イリスさん!」

 

「イリス先生!」

 

 イリスはそそくさと俺達のところへ駆け寄ってきて、口を開いた。

 

「君達もここに強制転移させられてくるなんて……一体何事だ?」

 

「俺が聞きたいくらいです。何かのイベントとも考えられないんですけれど……」

 

 直後に、また呼び声が聞こえてきて、俺はそっちの方に顔を向けてみたところで少し驚いた。今のはイリスさんだけだったけれど、今度はクライン、エギル、ディアベルといった攻略仲間達、そしてゴドフリー達といった血盟騎士団の者達全員だったのだ。そのうちの一人である、クラインが俺の元へ駆けつけて来るなり、話しかけてきた。

 

「キリト、こりゃ一体何なんだ!? 急に飛ばされてきちまったぜ!?」

 

「無事ですか、団長!?」

 

 クラインに続いたゴドフリーの言葉に頷く。

 

「なんとかな。だけど、これは一体何が起ころうとしてるんだ。あまりいい気はしないんだけど……」

 

 周囲をもう一度見回せば、明らかに不安そうな雰囲気が漂い、この広場を包み込んでいる。この光景もまた、あの始まりの時とほとんど同じだ。やはりこの広場で、あの時の事がまた繰り返されようとしているのだ。

 

 直後、イリスが空を突然見上げ、いきなり声を上げた。

 

「む、なんだあれは」

 

 俺達は反射的に空を見上げた。そこに広がっているのは当然、第2層の底なのだが、それを今、白い横長の六角形の光が染めて行っていた。

 

 あの時は紅い市松模様が包み込んだけれど、今度は白い色が包み込んでいく。プレイヤー達が不安そうな目で見つめる中、一面が真っ白に染め上げられると、突如として白い光の球体が中央より姿を現して、泡沫のように空中に浮かび、止まった。

 

 まるで光の卵が出て来たようなシチュエーションに皆が瞠目していると、光の球体は突如として変形を開始し――やがてその姿を俺達を更に驚愕させるものへ変貌させた。

 

 それは、金色と白を基調とした巨大なフード付きローブだったのだ。そう、色こそ違えど、あの時俺達の目の前に姿を現した茅場晶彦の義体そのもの。

 

「あれは!!」

 

 思わず声を張り上げたが、すぐさまあのローブがあの時とは異なるものであるとわかって言葉を止めた。あの時の茅場晶彦の義体は、ローブが浮かんでいるだけのもので、顔が存在していなかったが、あのローブの顔の部分には、金色の仮面のようなものが嵌っているのだ。

 

 そしてその形状は……アインクラッドを騒がせはしたものの、俺達が陥落させた《ムネーモシュネー》のリーダー、《壊り逃げ男》が付けていたものにどこか似ていた。

 

「あいつは……あの時と違う……?」

 

「な、なに、あの大きなお化け!?」

 

 あの時この場に居なくて、茅場晶彦からの宣言を受けていないリーファが驚きの声を上げると、静寂が広まっていた広場に、男の声と女の声が複雑に混ざり合ったような声が響いた。

 

『この世界を侵す者達よ。これ以上の侵攻を、我々は許さぬ』

 

 突然出て来た言葉に、俺達は思わずきょとんとしてしまう。

 

 この世界を侵す者達?

 

 これ以上の侵攻?

 

 何の事を言っているのかさっぱりだ。いやそもそも、あいつは一体何者だというのだろうか。明らかに茅場晶彦とは違うが、見た目は酷似している正体不明の存在。

 

 それは、俺達の思いを聞いたかのように、言葉を紡いだ。

 

 

『我はこの世界の意志の総帥。この世界を守る者』

 

 

 




繰り返されるあの時。

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