キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

122 / 565
キリトとシノンのデート回その2。


15:The Smile of you

「やっぱり、綺麗ね……」

 

 俺とシノンは、80層の港町へと赴いてきた。ここはかつて、モンスターが沢山いた場所だけれど、《壊り逃げ男》のせいで暴走したマーテルが食い尽くしたため、22層と同じモンスターのいない層になってしまった。まぁそのおかげで、80層は最前線に極めて近しい癒すスポットとして注目を浴びる事になり、カップルなどに人気を得ているわけだが。

 

 しかもこの層はもう秋を迎えているというのに、差してくる日差しの強さは全く変わっておらず、常夏状態。そのためか、海岸の方に顔を向けてみれば、中層プレイヤー達が水着を着て、バカンスや海水浴を楽しんでいる。

 

「しかしまぁ、もう秋になったはずなのに、ここは一向に涼しくならないんだな。日差しが、夏の時と全く変わってない」

 

「多分、そういうふうに設定されてるんじゃないかしら。ほら、前に行ったスプリングフィールドみたいに」

 

 シノンの言葉を受けて、俺は結構前にシノンと歩いた桜並木道の光景を思い出す。あそこは気象設定などが春のそれに固定されており、桜がずっと先続けている場所だった。その事もあって、あそこはスプリングフィールドと呼ばれているのだが、ここがもしそれと同じように設定されているのであれば、ここはサマーフィールドと言ったところだろうか。

 

「そうかもな。だけど、ここのレジャーとバカンスだけが楽しめるものじゃない」

 

 海岸や山に目を取られがちだけれど、ここは大きな港街だ。流石に第1層の始まりの街には劣るけれど、沢山の店屋が並んでいるし、山と海の近くにある街であるためか、露店には海の幸や山の幸が串焼きとなって売られている。

 

 前に立ち寄った時に食べてみたけれど、これが美味いのなんの。――まぁ、今日はシノンとのデートだから、そういうもので腹を満たすよりも、立派なレストランで腹を満たすつもりだから、どうでもいいんだが。

 

「さてとシノン。まずはどこから行こうか」

 

「そうねぇ……ごめん、あまり深く考えてなかったわ」

 

 シノンからの答えに思わずずっこけそうになる。街に買い物に出かけたいと言っていたから、シノンには買いたいものがあるんだと思っていたのだが、どうやら俺の完全な勘違いだったらしい。

 

 まぁ、こういうところにきても欲しいものがあまりないというのが、どこかシノンらしく感じられたけれど。

 

「そうですか。それじゃあ、適当に廻ってみる?」

 

「そうする」

 

 そう言って、シノンはしっかりと俺の手を握った。普段、こういう事をあまりしたがらないシノンが、こうやって自分から手を繋いでくるとのは珍しい。今日のシノンは積極的であると、俺は改めて把握する。

 

「行こうか」

 

 シノンが頷いたのを確認してから、俺はシノンの手を引きつつ、海と山に隣接している港街の中に進んだ。入って早々、カップルや仲間同士で街中が賑わっているのが確認でき、行き交うプレイヤー達に店を経営するNPC達が声掛けをしている光景が見える。

 

 NPC達の構える露店には、実に様々な海の幸や山の幸が串刺しになったり、煮込まれたり、油で揚げられたり、焼かれたりしている料理が並べられており、どれも美味しそうな匂いを放って客を呼びこもうとしていた。いつもだったならば、ここですかさずNPCの露店に向かい、売られている料理を食べようと考えるけれど、今はそんなふうには思わない。

 

「そういえばあなたって、攻略の最中とかにこういうところによると、ああいうのを食べてたりするわよね」

 

「あぁ。あぁいうのって街を廻りながら食べていけるからな。もしかして、食べたいのか?」

 

「いや、そういうわけじゃないわ。ただ、ユイなら喜んで食べたかなって」

 

 確かに、ユイは何でも食べるから、俺が露店から料理を買ってくれば、喜んでそれを美味そうに食べる。

 

 いや、ユイだけじゃない。あぁいうのをもっと喜んで食べるのはリランだ。リランはやっぱり俺達とは違う竜であるためか、シノンが作る料理よりも、あぁいう素朴で、素材の旨味が十分に引き出されている料理の方をさぞかし美味そうに食べる。

 

 本人いわくシノンの料理の方が何倍も美味いそうだが、喰いっぷりは露天の料理の方が良い。

 

「確かにユイなら喜んで食べるだろうけれど、リランの方があぁいうのを好んで食べるぜ。リランは素朴なものを食べたがる方針にあるみたいだ」

 

「という事は……リランに与えるべきなのは私の料理よりも、そういうものの方が良いのかしら」

 

「いやいや、それでもシノンの料理の方が美味いからシノンの料理の方が良い、だってさ」

 

 そんな他愛ものない会話をしながら歩いていたその時、俺はある店を目の当たりにして、思わず硬直してしまった。当然、そんなふうになった俺をシノンが不思議がらないわけもなく、早速声をかけてきた。

 

「キリト、どうしたの」

 

「……」

 

 俺の目の前にあるのは、NPCが経営している洋服店であり、中で売られているであろう、帽子とノースリーブの純白ワンピースを身に纏った黒いマネキンの姿だった。それを目の当たりにしている俺の頭の中には、リランとだけ街を歩いた時の事が思い出される。

 

 あの時のリランは、クレープを食べたいと言ったり、自分は竜だから洋服を着たり、帽子を被ったりする事が出来ないなど、自分が竜である事憂いているかのような言動を繰り返して、俺を驚かせて見せた。

 

 今までシノンの事で頭の中がいっぱいだったから、あまり考えずにいたけれど、あの時、リランは本当にどうしたっていうのだろうか。詳しく聞こうとしても答えてくれないし、答えが知りたければ100層に辿り着けなんて言うだけだった。

 

 あの時リランの身に何が起きて、リランの中でどんな考えが起きて、リランの心にどんな変化が出たのか。ずっと考えていたけれど、やはり答えを出す事は出来ない。

 考えを進めると、頭の中いっぱいに、白き狼竜の姿が見えてきた。

 

 

 いやそもそも、リランって本当に何なんだ? 仲間にした時には、単純に強い<使い魔>でしかないと思ったけれど、俺に人竜一体ゲージなんてものを与えるし、その強さはクォーターポイントのボス並みだし、進化するし、《笑う棺桶》の時は暴走を引き起こして皆殺しにするし、喋るし、心があるし、最近は俺達に寄生した《疑似体験の寄生虫》を駆虫する力さえも持ち合わせている。

 

 プログラムに詳しい開発者であるイリスに聞いたって、リランは自分の開発したプログラムではないからといって、答えを出してはくれなかった。

 

 それにリランは記憶喪失であり、俺の仲間になった理由も、この城を登っていけばそのうち記憶を取り戻すかもしれないからという事だったけれど、あんな言動をした夜には、もう記憶はいらないと言い出す始末。

 

 そしてそんなリランを、俺はもうただのプログラム、AIであると思う事は出来なくなっている。イリスによればMHCPにもMHHPにも、リランのようなプログラムは存在していないという事だけど、リランは絶対に、MHCPやMHHPに匹敵する何か特別な存在だ。

 

 それを解明する事こそが……きっと<ビーストテイマー>としての俺の役割……。

 

「ねぇキリト。キリトってば!」

 

 シノンの大きな声で、俺はハッと我に返った。目の前にはリランの姿はなく、服を着たマネキンがあり、隣の方に顔を向ければ、そこには不安そうな表情が浮かんでいるシノンの顔があった。

 

「キリト……どうしたの」

 

「あっ……いや……」

 

 改めて、馬鹿な事をしてしまったと自覚する。今はシノンの治療中で、シノンに不安を与えるような事はしないと思っていたのに、早速考え事の世界に入り込んで、街の中にシノンを置き去りにしてしまった。

 

「もしかして……私と歩くの、そんなに嫌なの……?」

 

「違うッ。あそこのワンピースを着て、帽子をかぶった君の姿を想像したら、あまりの良さにフリーズしたんだ」

 

 苦し紛れの言い訳のように言うと、シノンは目をまん丸くしてしまった。そのまま、俺の方から服屋の、マネキンの方へゆっくりと顔を向ける。

 

「あれを私が着たのを、想像してたの……?」

 

「そうさ。君はいつも同じような服を着てるじゃないか。だから、あぁいう服を着た君の姿を見てみたいなって思って、それを想像したら……考えが止まるくらいに破壊力あったぞ」

 

 シノンは俺とマネキンを交互に見つめる。恐らくだけど、あれを着た自分の姿というものが想像出来ていないのだろう。実際俺も苦し紛れに言ったわけだけど、シノンがあの恰好になったところを、様々な事をイメージしてきた俺が想像できない事はない。

 

 あの恰好をしたシノンの姿、想像しようとしたその次の瞬間に、何も言わずにマネキンを見つめ続けていたシノンが俺に声をかけてきた。

 

「もしかして、あれを私に着てもらいたかったりする?」

 

 俺は思わず目を見開いて、シノンの方に向き直る。シノンは少しだけ顔を赤くしながら、俺の事をじっと眺めていて、如何にも俺の答えを聞こうとしているように思えた。

 

「えっと……、着てみたいのか?」

 

「ねぇ、着てほしいの?」

 

 二人でほぼ同時に互いに問いかけると、二人で同時にきょとんとする。

 確かにシノンがあんな恰好をしたところは見た事がないし、見てみたいと聞かれたならば、見てみたい……頭の中ですぐさま答えを出した俺はシノンに頷く。

 

「あ、うん。俺は見てみたいって思うけれど……君はいいのか」

 

「えぇ。あなたが着てほしいっていうなら、着てみようと思うし、あぁいうのは現実世界でも着た事が無かったから、私自身も着てみたいって思ってる」

 

 シノンがもう一度服屋に顔を向ける。今日はシノンを優先する事にしているから、ここはひとつ、シノンの願いを聞いてやらねば。

 

「よし、わかった。入ってみよう」

 

 俺はシノンの手を繋ぎ、ちゃんと並びながら服屋の中へ入り込んだが、そこでほんの少しだけ驚く事になった。入り込んだ服屋は、外観はあまり大きくない店に思えるようなものだったけれど、中は奥までかなりの距離がある、いわゆる縦長型の店だった。

 

 そして、そんな店の中をいくつもの服や帽子、アクセサリーなどが所狭しと並んで彩っている。まるで宝石がちりばめられているダンジョンの中のようだ。

 

「思ったより広い店だったわね……」

 

「あぁ。あっ、あったぞシノン」

 

 俺はシノンから少し離れて、あるものに近付いた。そう、外にいた時に目に留まった白色のワンピースと、麦わら帽子の形状によく似た、白色の丸帽子だ。外で見た時にも綺麗な白色だと思ったけれど、近くで見ると、想像以上に綺麗な白色をしている事がわかった。

 

「これだな……」

 

 試しにぽんと指でクリックしてみれば、防具の時と同じようなウインドウが姿を現した。名前を表示させる部分には「純白のワンピース」「純白の帽子」とあり、試着コマンドと購入コマンドボタンが表示されていたが、俺はそれよりも値段のように目を向ける。俺がこの防具を手に入れるまで、層を進む毎に買っていた防具よりも遥かに安い、25000コルと表示されていた。

 

「試着できるみたいだけれど、着てみるか」

 

 シノンが俺の横に並んで、同じようにクリックしてウインドウを眺める。そしていつもよりもかなり遅く確認を完了させた後に、ワンピースと帽子を手に取って、試着室の方に顔を向けた。

 

「試着室はあっちね。ちょっと来て」

 

 シノンは俺の手を引きながら店の中を歩き、やがて販売員NPCが待機している試着室の前まで来たところで止まった。販売員は俺達がやって来たところを確認したところで、《声》をかけてきた。

 

「いらっしゃいませ、ご試着なさいますか」

 

「お願いします」

 

(かしこ)まりました。では、試着室へどうぞ」

 

 NPCの案内に頷いた直後に、シノンは靴を脱いで試着室の床に立ち、振り返った。

 

「それじゃあ、ちょっと待ってて」

 

「わかった」

 

 俺の返事を聞くなり、シノンはカーテンを閉めて試着室の中に隠れた。現実では少し時間がかかる事が多いけれど、ここなら装備ウインドウをいじるだけで試着できるから、そこまで待たせる事はないだろう――そう思いつつも、俺は暇を潰すように周囲を見回した。

 

 店の中は実に様々な服が飾られていて、現実世界の服屋とほとんど大差がない。ユイが着たら似合いそうなもの、シノンが着たら似合いそうなもの、もしくは喜んできそうな服も沢山確認できる。

 

 そしてその中には、ネックレスやペンダント、眼鏡やサングラスの姿もあった。プレイヤーがお洒落をするための道具は全てここに揃っている、といった感じだろうか。とにかく、ここを探し回っていれば、お洒落のための道具や装備は簡単に見つけられるだろう。

 

(シノンも、現実世界にいた時にはこういうところに寄ったりしてたのかな)

 

 現実世界ではイリスと一緒に街を歩いたりする時もあったとシノンは言っていたけれど、あのイリスが服屋にシノンを連れ込んでいるところは、何故かうまい具合に想像できない。寧ろ、イリスと一緒に書店に行って本を読んでいたり、カフェに入って話をしたり、家電量販店などに言って電化製品やパソコンなどを見ているところ等の方が、簡単に想像できる。イリスがそういう人だから、だろうか。

 

(あ、違った)

 

 イリスじゃなくて俺だ。俺は外に出る事自体あまりなかったけれど、スグやかあさんに連れられて買い物に出かけた時には、大体書店でゲーム関連、コンピュータ関連などのIT系の雑誌や本を立ち読みしたり、スマホ片手にカフェでコーヒーを飲んだり、家電量販店に行って無数の家電達を見ていたりした。

 

 傍から見れば変わった趣味だと思われそうだけれど、俺からすればこれが当たり前だったのだ。だけど、次に現実に帰ったその時には、俺の居場所はシノンの傍に変わる。俺にとっての当り前の場所は、当たり前の場所ではなくなるだろう。

 

 そういえば、ここまで一緒に過ごしてきたけど、シノンにまだ、街中での好きなところを聞いていないような気がする。街中以外ならば、自然音だけがあるもの静かな場所が好きだと言っていたし、騒々しいところは好きじゃないとも言っていたから、それこそ、書店や喫茶店が好きだったりするのだろうか。

 

 そしてそここそが、今度の俺の当たり前の場所になるわけだ。

 

「帰り際には、そういう事も聞いておかないと……」

 

「キリト」

 

 傍からすればくだらないのか、それとも重要な事なのか、よくわからない事を考えつつ服を眺めていると、後ろから声が聞こえてきた。つい今の今まで聞いていた声色を受けつつ振り返ってみたところ――俺は思わず瞠目してしまった。

 

 背後にあった試着室のカーテンは既に開かれており、そこにはノースリーブで、雪のように純白ワンピースを身に纏い、つばが広くて丸い、白い帽子を被って、眼鏡をかけた、俺と同じくらいの歳の女の子の姿があった。

 

 布に包まれていない肌は白くて、これ以上ないくらいに清楚且つ可愛らしい雰囲気に包み込まれている――その様はまるで男子が思い描く、最高の女の子の容姿。

 

 それがイラストや写真の中から飛び出して目の前にいるような感じに襲われ、俺の思考は止まり、身体が内側からかぁと熱くなっていった。そして、俺にこれだけの衝撃を齎したそれが――男子の描く理想の女子像が――自分の妻である事に気付くのに、少しだけ時間がかかった。

 

「し……シノン……」

 

 いつもと違う清楚な雰囲気を放つ俺の妻は、少しぎこちなく俺に声をかける。

 

「ど、どうかしら……似合ってる……?」

 

 あまりにいつもの服と違うせいか、それとも完全に着た事のない服を着ているせいなのか、少し戸惑っているように、シノンの声は震えている。だけど、俺はそんな事を気にせずに、シノンにそっと近付いて、その姿をまじまじと見つめた。

 

 シノンは元から少し清楚な感じがあるとは思っていたけれど、この服と帽子はそれを最大限にまで発揮させるうえに、歳相応の可愛さも引き出させている。そしてこの眼鏡も、知的なシノンを引き立たせるのに一役買っている。似合っているかどうかの答えなど、一目見ただけで明白だった。

 

「すっごく似合ってる。やっぱりシノンは清楚な服が似合う人だな」

 

「そ、そうかしら……」

 

「あぁ。誰が見ても似合ってるって言うと思うよ。そして、すごく綺麗だ」

 

 思った事を何にも包まずに言うと、シノンは酷く驚いたような顔をした。

 

「き、綺麗……?」

 

「うん。とっても綺麗だよ、シノン」

 

 俺からそんな言葉を言われる事を予想していなかったかのように、シノンは「あ……」と小さく言葉を漏らした。

 

 そんなシノンを見ていたところ、やはりと言うべきなのか、俺はシノンのかけている眼鏡に気が行った。まさか眼鏡をかけて出てくるとは思ってもみなかったし、シノンの眼鏡姿なんて見た事ないから、とても新鮮に感じる。が、今のシノンが眼鏡をはずしたらどのようなものになるのだろう。実際、眼鏡をかけている人がそれを外すと、これまた違った美しさがあるという事がほとんどだし。気になった俺は、もう一度シノンに声をかける。

 

「シノン、ちょっと……」

 

「えっ……?」

 

 シノンにそっと手を伸ばし、静かにフレーム部分を持って、眼鏡がシノンの肌に触れないように外した。その時に、俺はシノンの身体全体を見回すように目を動かして、眼鏡を外した今の格好のシノンについての感想を考えようとしたが……いきなり眼鏡を外されたシノンの、そのきょとんとした表情が余りにも可愛くて、すぐさま思考が止まってしまい、その瞳をじっと眺めてしまった。

 

「えと……キリト……?」

 

 これまで見てきた中で最も可愛いシノン。その声を受けた俺はハッと我に返り、答えを返す事にあたふたしてしまう。

 

「え、あ……」

 

「急に眼鏡を外して……どうかしたの」

 

「い、いや、眼鏡を外した今の君も見たくなっちゃって……その、すごく可愛い……」

 

 シノンは何も言わずに顔を少し赤くし、俯いた。その様子を目の当たりに、俺はシノンにさっきから綺麗やら可愛いやらとしか言っていない事に気が付く。俺は今、完全に、可愛いとか綺麗とか言われ慣れてないシノンを混乱させている。

 

「うわわわ、ごめんごめん! 君が余りに、その……」

 

 少し慌てると、シノンは小さく口を動かして、声を紡いだ。

 

「……あ、ありがと……」

 

「えっ」

 

 シノンは軽く顔を上げる。

 

「正直なところ、ちょっと自信がなかった。どんなふうに言われるか、想像もつかなかったから。だから、そう言ってもらえると、すごく、嬉しい……」

 

 上がってきたシノンの顔には、愛しさを感じさせる笑みが浮かべられており、それを見た途端、俺は心の中と身体の中が一気に熱くなるのを感じて、シノンを今すぐに抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、何とかそれを抑え込んだ。

 

「よ、よしシノン。これは買わなきゃだ」

 

「えっ、別に買うほどのものでも……」

 

「こんなに可愛い君を、俺はもっと見てたい。駄目?」

 

 シノンは少し恥ずかしそうに俺から顔を背けたが、すぐさま横目で俺の事を見つつ、小さく口を動かした。

 

「……そ、そこまで言うなら……着るわ」

 

 ぎこちなさそうに答えるシノン。その恰好と顔の感じが、やはりとても愛らしく感じられて、思わず抱き締めてあげたくなるけれど、流石にこの場でそんな事をしてならないともう一度抑え込む。

 その中、シノンは何かを思い出したように、俺に声をかけてきた。

 

「あ、そうだわキリト」

 

「うん?」

 

「眼鏡かけてた時の私と、かけてない私、どっちが良かった?」

 

 唐突な問いかけに俺は思わずきょとんとしてしまう。眼鏡をかけていないシノンと、かけているシノンのどちらがいいか。眼鏡をかけていないシノンというのは、いつものシノンであり、すっかり見慣れて愛着のあるもの。

 

 対する眼鏡をかけているシノンは、今日初めて見て、とても新鮮味があっシノンの新たな一面。どっちを長々と見ていたいかと聞かれたら、新鮮味のある後者を見ていたいと思う。

 

「どっちも良かったけれど……眼鏡をかけてる君は、新鮮でよかったな。今まで見た事がなかったしさ」

 

「……あなたが望むなら……」

 

「え?」

 

「あなたが望むなら、眼鏡、一日かけていようと思うけれど……いいかしら」

 

 もう一度きょとんとする俺。眼鏡をかけているシノンも素敵だとは思ってたけれど、せいぜいこの瞬間だけしか見れないと思っていた。

 

 しかし、今日一日という長い時間、シノンは眼鏡をかけていてくれるというのだから、これに乗らないわけにはいかない。

 

「えっ、いいのか」

 

「いいから、言うんじゃない。だから早くそれ、かけさせて」

 

 俺は手元のシノンの眼鏡に目を向けてから、シノンに向け直す。

 じっと俺を見つめたまま動かないでいるその姿を目の当たりして、シノンが俺に眼鏡をかけさせてもらいたがっているのがわかり、身体の中がまた熱くなる。

 

「……わかった」

 

 俺は眼鏡のレンズ側の両端を軽く持ち、ゆっくりとシノンに近付けて、その髪の毛に少し隠れている耳の上に乗せた。そのままシノンの髪の先を指で触りつつ、手を引き抜いた頃には、先程と同じ眼鏡をかけたシノンに戻っていた。

 

 眼鏡が戻ってきたのがわかったのか、シノンは閉じていた目をそっと開いて俺に向け、再び笑顔を浮かべた。

 

「……ありがと、キリト」

 

 その笑顔がとても愛おしく感じられて、俺は少し顔を赤くしながら、頷く事しか出来なかった。そしてその時、俺は自分の妻がこんなに可愛い娘であった事を改めて自覚した。

 




なんかすごく甘えてるシノンさん。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。