キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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04:異常と異変

           ◇◇◇

 

 

 

「ぬあああああああああああああああッ!!?」

 

《ぬあああああああああああああああッ!!?》

 

 休暇二日目。俺はショックでこの世界から魂が抜けてしまいそうになるくらいに驚いたような気がする。

 

 休暇の二日目を迎えた俺とリランの下に、シノン、アスナ、そしてクラインと同じような武士の風貌をした者達が、突如としてやってきた。しかもそのうちのシノンとアスナは、まるで驚きすぎて魂が抜けかけた後に例えられるような雰囲気を漂わせており、それだけでただならない出来事が起きていた事を、俺とリランにわからせていた。

 

 いったい何事か――その問いかけを受けて帰ってきた言葉を受けて、俺は今のような大音量の悲鳴にも似た驚きの声を上げてしまったのだ。

 

 自宅の一階のソファに座ってじたばたしながら、シノンとアスナを交互に指差す。驚きすぎて、動きを止める事が出来ないのだ。

 

「く、くら、くらら、くらいん、クラインが、き、きこ、きここ、ん、既婚者!!? 俺とシノンと同じ娘までいるってぇ!!?」

 

《ど、どどどど、どういう事なのだ、それは! 有り得るのか、そんな事が!?》

 

 有り得ない。有り得るはずがない。あんな下心全開で女性にすり寄り、イリスの時に至っては吹っ飛ばされてしまったような、恋人どころか女友達さえも作る事が困難なクラインが実は既婚者で、娘までいたなんて。

 

 俺は、何か悪い夢でも見ているのだろうか。そう思えるくらいに、二人の口から飛び出した言葉というのが信じられるものではなかった。

 

「ちょっと落ち着きなさいキリト。と言っても、私達も驚きすぎてそんなふうになったんだけど」

 

「その気持ちはもう痛いくらいにわかるけれど、まずは落ち着いて話を聞いてよ、キリト君。とりあえず水でも飲んで頂戴」

 

 アスナから渡された水を、俺は慌てながら飲み干した。きんきんに冷えた水が口の中を満たし、喉を通って腹の中に落ちると、慌て犇めいていた俺の心に落ち着きというものが小さくその姿を現し、徐々に広がっていった。

 

 そしてそれが心を満たしたその時に、俺は大きな溜息を吐いて、そのままシノンとアスナに向き直った。

 

「えぇっと、落ち着いた……というか、一体どういう事なんだ。クラインが既婚者だったなんて、この2年間で初めて聞いた話なんだけれど……?」

 

「わたしも同じく。でも、あの時クラインはそう言ったのよ。自分には妻と娘がいるから早く現実世界に帰らなきゃいけないって」

 

「なんだよそれ……出来の悪い冗談だな」

 

 きっとアスナやシノンを驚かせようと即席で作り上げた嘘話に違いない。そうでなければ、あまりに現実感というものが無さすぎる。そう思っていると、シノンが首を横に振った。

 

「私も最初はそう思ったのよ。でも、クラインは全く嘘をついている様子を見せなかったのよ。なんというか、嘘を吐いてる人と、吐いてない人の違いがあるなら、クラインには後者の雰囲気があったっていうか……」

 

「まさか……クラインが既婚だなんて、天と地がひっくり返っても有り得ないから」

 

 アスナがひどく納得したように頷いた。

 

「わたしも同じ気持ち。完全に同じ気持ちだわ。だけどねキリト君、これには妙な話があるのよ。風林火山の皆さん、お願いします」

 

 アスナの指示を受けた風林火山の者達、即ちクラインの仲間達は頷いて見せた。その顔はどれも不安そうな表情が浮かべられていたが、そのうちの一人が俺の目の前にやってきて、口を開いた。

 

「血盟騎士団のボスさん、ですよね」

 

「あぁ、二代目だけれど。確かあんた達って、クラインとネット友達だって話だよな」

 

「そうです。クラインとはこの世界に来る前から知り合ってまして、仲がよかったと自負しています」

 

「そうだろうな。んで、あんた達はクラインが既婚者であるって話、知ってたんだよな。だって現実でも友達なら、教えてるだろ?」

 

 その言葉を受けた瞬間に、全員の顔が少し暗くなった。俺の目の前にいる男は続ける。

 

「いいえ……クラインは独身です。奥さんや娘さんがいるなんて事はないんです。これは、現実にいた時に確認済みなんですよ」

 

「なんだって? ちょっと待てよ。あんた達の言ってる事とクラインの言ってる事、食い違ってるじゃないか。クラインは既婚者だって言ってるけれど、あんた達は独身だって言ってる……」

 

「そうです。クラインは現実にいた時も、彼女募集中とか言ってる奴ですし、ここに来るまでも、彼女を作ってる様子なんかありませんでした」

 

「じゃあクラインの言ってる事は嘘になるよな」

 

 男は首を横に振る。

 

「そうなりますけれど、そもそもクラインは嘘を吐いて人を騙すような奴じゃありません。それはクラインとの付き合いの長い貴方も知っている事のはずです」

 

 確かにクラインは下心全開の時もあるけれど、仲間意識が強くて優しいところもあり、嘘を吐いて誰かを騙したりしない――良くも悪くも真っ直ぐな奴だった。だからこそ、俺はあいつの事を嫌いだとは思えない。

 

「確かにクラインは変な嘘で人を騙す奴じゃない……じゃあなんでクラインはそんな事を言い出してるっていうんだ」

 

 直後、周りの者達は互いを見合った。何かを確認し合っているようにも見えるその様子に思わずきょとんとすると、目の前の男が再度口を開いた。

 

「実は……クラインは一度一人で行動している時があるんです」

 

 男達によると、風林火山は居心地がいいと言う事で、85層の宿屋を拠点として活動を始めたそうだ。江戸時代の雪国を思わせる街中に住まう事を決めて、俺達も利用した温泉に入り、宿屋に宿泊したある日の夜、クラインはもっと街を見たいと言って仲間達を宿に置いたまま街中へ出ていったそうだ。

 

 クラインはもう歴とした大人だから心配はいらないだろう――仲間達はそのまま眠ったそうだ。そして目を覚ました時には、部屋に戻って来ていたらしい。それが、二日前の出来事なんだそうだ。

 

「一人で行動するっていうのは、別に珍しい話じゃないだろ」

 

「いいえ……その時からなんですよ、クラインがカミさんや娘の話を始めたのは」

 

「えっ」

 

 最後の言葉を受けた俺は、思わず目を見開く。最初はクラインは俺の知っているクラインだったけれど、行方を暗まして戻って来てから、妻や娘の話をするクラインになった――というのが聞いている限りわかった話だが、あまりにおかしすぎる。

 

「どういう事だ。その日まで、クラインは妻や娘の話をしなかったって事なのか」

 

「そうなんです。でも、行方を暗ましてからはそんな話をし始めて、俺達の事をあまり考えずに攻略に走るようになって……攻略会議だって、いつもはアスナさんがやっているんですけれど、今日はクラインが指揮を執ってたんです」

 

 もうここで、明らかにおかしい事が起きているのがわかる。クラインが行方を一度暗まして戻って来てから、妻と娘の話をするようになり、仲間を無視した攻略をするようになった。――この行方を暗ました間に何かあったと割り出すのは非常に簡単だった。

 

(待てよ……?)

 

 行方を暗ましてから様子がおかしくなるというのは前にもあった。第1層の教会にいる、サーシャとミナだ。あの二人も突然行方を暗まして発見された。しかし、何があったのかを一切覚えておらず、しかも事ある毎に手を恐れるようになっていた。

 

 そして今回の、独身であるはずのクラインが行方を暗ましてからようすがおかしくなったという事案。明らかに、似過ぎている。

 

 だけど、サーシャとミナの時はユピテルとストレアが異様な発作を起こし、更にストレア曰く、どこかでプレイヤーが極端な負の感情を無理矢理抱かされたという。もし、クラインの身に何かあったのだとすれば、ユピテルとストレアにも何かあったはずだ。

 

「シノン、アスナ、この話を聞いて思うところは?」

 

 俺の考えていた事がわかったのだろう、シノンが答える。

 

「あの時のアレによく似てるわね……しかも今回の犠牲者はクライン……」

 

「そうだ。あの時のアレによく似てる。あの時はあんな事があったけれど、アスナ、ユピテルはどうだった」

 

「ユピテルは平然としてたわ。あの時みたいに苦しんだりする様子はなかった……シノのんとユウキも、ユイちゃんもこれを知ってるわ」

 

 プレイヤーが何か知らされたのであれば、カーディナルシステムが、そしてMHCPがそれを検知する。しかしMHCPは茅場晶彦が施した封印によって動く事が出来ず、プレイヤーを助ける事が出来なくてエラーを起こし、それをカーディナルシステムへ流してしまう。

 

 その結果、未だにカーディナルシステムに接続されてしまっているユピテルやストレアが苦しむ羽目になるのだ。しかし、それがなかったとなると、クラインの身に起きた事はサーシャやミナの身に起きた事とは違うのだろうか。――そう考えたその時に、男が俺に何かを差し出してきた。薄っぺらくて小さな紙だった。

 

「それはなんだ」

 

「これがクラインの言動のおかしさの極め付けです。見てください」

 

 俺は男から紙を受け取り、半信半疑ながらも眺めた。紙の正体は一枚の写真で、写っているのは風林火山の者達とクラインが仲良さそうに撮られている、集合写真だった。

 

 背景は85層の街の中なので、自分達の着ている装備のルーツとなる地に辿り着いたという記念で撮ったものなのだろう。

 

「集合写真だな……これがどうかしたのか」

 

「クラインはそれを、娘の写真だと言ってるんです」

 

 その言葉に俺、リラン、アスナ、シノンの全員で驚く。どう見たってこれは風林火山の集合写真であり、シリカやユイのような娘に該当しそうな人物は一切映っていない。

 

《おいおいおいおい……どう見たって集合写真だろ。それに女子だって一人も映ってないぞ》

 

「今朝だって……今朝だって、それを見てにやにやしてて、「この世に舞い降りた天使、俺の娘が映っている写真だぜ」って言って……」

 

「……そんなものをどうやってここに持ち込んだんだ」

 

「お前の娘をもっとよく見ていたいから、貸してくれって言ったら貸してくれました。その時も、俺の天使をよく見ておけと言っていました……」

 

 どう見たって映っているのは自分と仲間達。しかし今のクラインの目には、これが天使のような自分の娘として映し出されているという。その娘がどのような人物であるかを想像するのは、ユイやユピテル、シリカといった可愛い子供達を見ている俺からすれば容易だが――いくらなんでも視覚情報を入れ替える事は出来ない。

 

「クライン……どうしたっていうんだよ。明らかにおかしいぞ……」

 

 クラインは俺達と同じ情報を共有できておらず、俺達が見ているものと同じものを見る事が出来なくなっているようだ。幻惑系の状態異常にかかったのではとも思うけれど、それは街中に入れば解除される――はずなのに、クラインは集合写真を娘の写真だと言っている。幻惑状態にかかっているわけではないようだ。

 

「クラインの身に何か起きたのは確かだが……というか、クラインは今どこに」

 

 そう言ったその時、入口の戸が勢いよく開けられて、全員で驚いた。何事かと顔を向けてみれば、そこにあったのは――話に出てきているクラインだった。

 

「なんだなんだ、お前ら全員して、キリトの家に来てたのかよ」

 

「く、クライン……!」

 

 明らかな異常行動を起こしていると報告されているクライン。その顔はいつもどおり俺達と接してくる時のそれと同じだった。

 

「あれ、アスナさんもシノンさんもここだったんですか。あ、というかシノンさんにとっては自宅ですから、別に違和感のある事じゃないですね」

 

 やはりいつも通りのクライン。これだけでは、クラインの中に異常が起きているとは思えない。そんなクラインに俺は近付き、例の写真を見せる。

 

「なぁクライン……この写真って……」

 

 クラインは俺から写真を受け取り、微笑んだ。

 

「あぁ、お前も見たのか。そうだそうだ、何とか現実世界から持って来る事に成功してた、俺の娘の写真だ。お前のとこのユイちゃんも可愛いけどよ、俺の娘なんか、天使みたいだろぉ?」

 

 クラインに並んで写真を覗き込む。やはりそこに映っているのは風林火山の皆の姿で、どこにも娘らしき子供の姿はない。けれど、クラインの目に映っているのは自分の娘……天使みたいに笑っている我が子の姿なんだろう。

 

 どう考えても、おかしいのはクラインだけだ。しかしそのステータスバーには、幻惑状態を示すアイコンは表示されていない。

 

「なぁクライン、本当にお前の娘が映ってるんだよな、それ」

 

「何言ってるんだよ。お前、目ぇ悪くなったんじゃねえのか。というか、こんなに近くにあるのに見えねえとか、老眼だぜそれ」

 

「…………」

 

 明らかに話が噛み合っていない。周りの皆が心配そうにクラインを眺めているけれど、クラインはそれにすら気付かずに、写真の中に映っているであろう天使の姿を見つめている。すると、リランが突然翼を広げて飛び上がり、クラインの目の前を浮遊し始める。

 

 どっちかと言えば翼を広げて羽ばたいた時のリランの方が、色合いなどのおかげで天使に見えなくもない。

 

「リラン、どうした」

 

《……寄生虫(むし)……!》

 

「虫……?」

 

 リランは俺にだけチャンネルを合わせて《声》を送っていたらしく、周りの皆はリランの呟きに気付いている様子を見せていない。そしてリランは更に続けて《声》を送る。

 

《キリト、クラインを押さえつけて項を出させろ》

 

「項? なんで項なんか」

 

《急げ! そいつの寄生虫(むし)を、下す!》

 

 あまりに唐突過ぎてついていけなくなりそうだったが、リランの事だから何か思いついたのかもしれないと、俺はすぐさま理解して、写真の仲間達が娘に見えているクラインの方に向き直った。そして、他の風林火山の者達に声かけする。

 

「皆、ちょっとクラインを押さえつけてくれ」

 

「え、キリトさん、一体何を言い出して……!」

 

「いいからやってくれ。確かめたい事があるんだ」

 

 俺の指示を受けた風林火山の者達は互いに見合った後に、クラインに飛びかかってその身体を雁字搦(がんじがら)めにして見せた。あまりに突然の行為――仲間達に襲い掛かられたクラインは驚きの声を上げる。

 

「お、おいおいおい、なんだこりゃ!? なにしやがんだぁ!?」

 

「悪いクライン、そのままじっとしていてくれ! 今だリラン、クラインの項に噛み付け!!」

 

 リランはその翼を羽ばたかせて一気にクラインの後方へ回り込み、首元に着地。そのまま大きく口を開き、肉齧り付くようにクラインの項に噛み付いた。

 

 クラインの仮想の肉体、その項の肉に狼竜の牙が食い込んだ瞬間、まるで電流が走ったかのようにクラインは軽く痙攣し、そのまま糸が切れた人形のようにくたっとしてしまった。突然クラインが静かになった事による驚きによって誰も声を出す事が出来なくなり、部屋の中を沈黙が覆った。

 

「い、一体何が起きたっていうの……」

 

 ようやく部屋に広がったシノンの呟きを受けた後、リランはそっとクラインの項から牙を引き抜き、《声》を送ってきた。

 

《確かイリスが精神を診る事の出来る医者だったな。クラインを今すぐにイリスのところに連れていけ》

 

「え、イリスさんのところに、か」

 

《そうだ。シノン、イリスと連絡を取ってくれぬか。お前の呼びかけにならイリスは必ず答えるであろう》

 

「た、確かにそうだけど……わかったわ。連絡してみる……」

 

 リランの言う寄生虫(むし)とは何か。そして今、クラインの身に何が起きたのか。起きた事を理解できる者は、誰一人としてこの場にいなかった。

 




次回、少しホラー回。

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