SAOプレイヤーならばたじろいでしまう人物がその姿を現した瞬間、店の中はまるで凍り付いたようになり、周りのプレイヤー達も動きを止めてしまった。
現れた人物とは、閃光のごとき剣捌きで、攻略の鬼と言われるくらいの攻略推進派、血盟騎士団副団長アスナだった。そしてアスナは、その剣先が見えないくらいの速度で剣技を繰り出し、どんなボスも瞬く間に駆逐してしまう力の持ち主である事から、《閃光のアスナ》の別名で呼ばれている。
「《閃光のアスナ》……」
思わずその名を呼んでしまったが、俺は何となくアスナがここへやって来た理由が既に分かっているような気を感じていた。いや、今から恐れていた事が、絶対に起きて欲しくなかった事が起ころうとしている。そしてそれを、あのアスナが起こそうとしているような予感と気が頭の中で渦を巻いていた。
《あの者は……》
リランの《声》が俺の頭に届いた瞬間、店の中を少し見まわしていたアスナは、とうとう俺の方へ目を向けてきた。彼女の明るい茶色の瞳は、宝石のように美しく感じたが、どこか脆さと弱さも感じられた。
アスナは店の中を何も言わずに歩き、俺の目の前までやって来た。その眼光はまるで狩りを行う狼のように鋭かった。
「……貴方が、50層のボスを大した犠牲を出さずに倒して見せた《ビーストテイマー》ね」
「それをどこで知ったんだ」
「聖竜連合の人達が謳歌していたのを耳にしたのよ。竜を駆る《ビーストテイマー》が、わたし達が大勢の犠牲を出すであろうと予測していたボスを、いとも簡単に倒して見せたってね」
やはり、聖竜連合の連中から聞き出したようだ。多分ディアベルではないだろうけれど、その部下達である事は想像するに容易い。
「そうだとして、何の用で来たんだよ」
「貴方はどうやらソロプレイヤーのようね。悪い事は言わないわ。貴方を血盟騎士団にスカウトします。そして、その竜の力をわたし達に見せて頂戴」
来た。聞きたくなかった言葉。血盟騎士団にスカウトするという勧誘。
今は何も言っていないけれど、この人が腹の中で何を考えているのか、どういう目的をもって俺にこういってきたのかはすごくよくわかっている。
リランを、ボス狩りの道具にしに来たんだ。
「随分藪から棒だな。俺がその《ビーストテイマー》じゃないかもしれないのに。仮にそうだとして、あんた達は俺に何をしてもらいたいんだ」
アスナの表情が険しくなる。
「貴方、わかって言ってるの。貴方の持つ力がどんなものなのかを、そして貴方が50層のボスを打ち倒したのが、どれだけ重要な事なのかを」
「だったら何なんだ。俺がボスを倒したのが、そんなにすごい事なのか。俺は大した力も持ってないし、ただ普通にボスを倒しただけだ」
アスナは首を横に振る。
「いいえ、聞いた話では、貴方は竜を召喚してその背に跨って操り、ボスを倒したとの事よ。竜を召喚して操ってボスを倒すなんて、このアインクラッドでは前代未聞の出来事であるのは貴方もわかるでしょう」
「そりゃそうだね。モンスターとモンスターの戦いなんて、見た事が無いよ」
「それを貴方が行ったと聖竜連合の人々は口にしていたし、話を聞いてみれば、そう話してくれたわ。それも、全員がね。一人や二人が言っていたならば嘘かもしれないけれど、全員がそう言っていたのであれば、真実である可能性が高いわ」
相変わらず引き下がる様子を見せない。――よほどリランの力に興味があるようだ。いや、攻略の鬼と呼ばれる人なら当たり前か。
「じゃあ、俺をスカウトする理由は? 俺がもし竜を召喚するスキルを持っているプレイヤーだとしたら、俺をスカウトする理由は何なんだ」
アスナの眼光が更に鋭くなる。
「貴方の力をアインクラッドの攻略のため、全てのプレイヤーの解放のために役立ててもらうわ。貴方ほどの力があれば、攻略は今まで以上にスムーズかつ効率的なものになるわ。当然、クリアまでの時間も短くなるでしょう」
「なるほど、竜の力を効率化のために使え、と」
「そういう事よ。さぁ、わたしと一緒に血盟騎士団の本部へ来なさい。召喚する竜も連れてね。貴方の事は団長も見たがっているのだから」
団長とはヒースクリフの事だ。
なるほど確かに、あのヒースクリフならば、俺の力に興味を示すだろう。そして、誰一人リランが生きている事を、ちゃんと意志を持っている事を知らない。リランを、ただの兵器とかと同じように扱っているんだ。いや、これからそうするつもりだ。
リランを、アインクラッドの攻略のためのボス狩り兵器にするつもりなんだ。
だけど、同時にこの人達はリランが小さくなっている事を知らない。多分、聖竜連合の奴らは元の姿に戻っている時のリランの事を血盟騎士団の連中に話したんだ。リランがいないと言っても、通じるはず。
「断るよ。今そいつはいないし、第一そいつの意見も聞かなきゃいけない」
「そんなものは必要ありません。貴方がその竜の飼い主であるならば、竜は真っ直ぐに飼い主の指示に従うのが普通です。聞いたとしても、無視します」
リランの意見を無視。その冷たい言葉を聞いた瞬間、胸の中に怒りが込み上げてくるのをまじまじと感じた。やっぱりこの人は、リランをボス狩りの道具に……。
そう思った瞬間、それまで黙っていたリランが《声》を送ってきた。
《それは聞き捨てならないぞ》
気を張り詰めさせていたアスナは突然混乱したように周りを見回した。今の《声》は、どうやら俺だけじゃなく、アスナにも送ったものだったらしい。
「今の声は……」
《こっちだ》
アスナはテーブルに座っているリランに目を向けて、眉を寄せた。
「これは、何」
《我がキリトの《使い魔》であるリランだ。恐らく、お前が目当てにしてきたモノだ》
「この声は、あんたのものなの」
《そうだとも。そして我こそが、キリトと共にボスを打ち倒した竜だ》
アスナが腕組みをして俺に目を向ける。
「なるほど、貴方の竜はこうやって喋る竜だったのね」
「そうだ。こいつにはちゃんと意志があるし、心もある」
「心? そんなものはこの世界の住人にはないわ。この世界は所詮、デジタルデータの集まりでしかない。貴方の竜だって、結局はただのデジタルデータ……AIを搭載した3Dモデルでしかないわ。だからどんなにぞんざいに扱ったとしても嫌がらないし、疲れない」
やはり、それがプレイヤー達の一般的な意識らしい。どんなものも、結局はデジタルデータでしかないだの、3Dモデルでしかないだの。いや、そう思うのが普通なんだろうきっと。現に俺だってリランに出会うまではそんな考えしかなかったから。
そのせいなのか、アスナの言動がかつての俺の酷似しているように見えてきた。しかし、そんな考えを突き破るが如く、リランががぅっと吼えた。
《先程から聞き捨てならない事ばかり口にするな》
「黙りなさい。私はあくまで事実を言ってるだけよ。もっとも、それがあんたの理解できる事なのかはわからないけれどね」
リランは俺に顔を合わせた。
《キリト、追い返せ。決してこの者の要求は呑むな》
俺は最初からそう考えていた。リランをただのボス狩りの兵器にするわけにはいかない、させないって。
話を聞く限りでは、この血盟騎士団の副団長は、リランの心を否定して、更にリランをただの兵器としてボス狩りに向かわせるつもりだ。
そんな人の要求を呑むわけにはいかないし、第一リランはそんなものじゃない!
「副団長。俺は血盟騎士団にはスカウトされないし、こいつをあんたの言う効率化のためだけの道具になんかしない。俺も攻略はするけれど、効率化だとかそういう事は全部あんたらで好き勝手にやっててくれ。少なくとも、俺はそんな事に参加するつもりは微塵もないよ」
アスナがキッと俺の事を睨んだ。目の中に燃えたぎる怒りの色が見えた。
「あんた……自分の言っている事がわかっているの。あんたが血盟騎士団に参加すれば、あんたの力はより多くの人に認めてもらえるわ。そしてあんたの力がボスをいとも容易く倒せば、この世界の終りが早くなる。プレイヤー達が、早く現実に帰れるのよ。早く現実に帰りたい、もしくは他の人達を早く現実に帰してやりたいとか、貴方はそう思わないの」
確かに、俺もそうは思う。この世界にはいまだに6000人ものプレイヤー達が閉じ込められていて、解放される事を望んでいる。その望みを叶えるために、こうやって攻略を急いできたわけだし、その過程で、リランっていう大きな力を得た。
その時は、リランの力を使ってガンガン攻略していこうと考えたけれど、ボスを1体倒しただけで、いや、リランと一緒に戦っただけで、リランがちゃんと考えを持っている事を、心を持っている事を、そして俺達と同じように疲れたり感じたりする事が出来る事を知った。何より、俺やみんなを守りたいと言う意志を持っている事が、よくわかった。
そこで初めて、リランの力はガンガン使うものではなく、寧ろ敬いながら、労ってやりながら使うものである事を知り、同時にリランが俺達の正真正銘の仲間になってくれる奴だという事を理解した。
だけど、アスナの言っている事はリランは心を持たないからどんなにぞんざいに扱ってもいい、ただの道具として使うべきだという、暴挙にも等しい事だ。
いや、確かにそう思うかもしれない。こうやって俺達の事を理解しながら話してくれるモンスターなんてリランくらいで、しかもリランが出てきたのは昨日。これまでアスナがリランのような奴に出会っているとは考えにくいため、こう言いだすのは当たり前なのかもしれない。
だけど、それでもリランの言葉に耳を傾け、その内容を理解する事は出来るはずだ。
「思うよ。ここにいる沢山のプレイヤー達が、一刻も早く現実に帰る事を望んでいる。だけど、そのために心ある奴をぞんざいに扱ったり、蔑にするのは、なんか違うと思うんだよ」
「ちょっと意味が分からないわ。この世界に、このゲームの世界に心を持ったデータなんかない。それは貴方もよくわかっているでしょう。この世界は所詮ゲームなの」
「そうだよ。だけど、そういう事を考えないで、少しだけでいいからリランの言葉に耳を傾けてくれ。少なくとも、リランはあんた達に利用される事を望んではいない」
アスナは腑に落ちないような顔でリランを睨んだ。直後に、リランの《声》が頭の中に響き渡る。
《散々な良いようだな、アスナ。何故にお前はそこまでこの世界からの脱出を求める。現実世界とやら何があるというのだ》
「あんたに教えたところで理解できるわけがないわ」
《出来るとも。我はお前達の言葉がわかるし、内容を理解する事も出来る。そして、我にはお前が鎖の付いた首輪を付けられているように見える》
アスナの目が一瞬丸くなり、すぐに戻った。何か図星になるような事を言ったらしいが、どの部分がそうなのかまではわからなかった。
「変な事を言わないで頂戴。たかだか、プレイヤーに使われるだけの《使い魔》のくせに」
《お前には我がそのようにしか見えぬか。我はただの《使い魔》ではない、このキリトの相棒だ》
「なら、あんたは黙っていなさいよ。結局、あんたを動かせるのはこの人だけなんだから、この人とだけ話をするわ」
《キリトにはお前の要求は呑むなと言っておいた。例えキリトがお前の要求を呑んだとしても、我はお前達の効率化とやらのために戦うつもりは毛頭ない。
第一、そんなに焦ったところで何が変わる。一時的に速度が上昇するだけで、結果は少しも変わらぬ。下手すればただ犠牲者を出すだけかもしれぬぞ》
「わたしが焦っているとでも言うの」
《言う。お前は何かに追いかけられ続けている。それから逃げ切るために、狼に追われる羊の如く焦っている。ここにはお前を追いかける者など何もないはずだ》
アスナはぎりっと歯を食い縛り、リランを怒鳴りつけた。
「《使い魔》がわたしに説教しないで頂戴!! そして貴方、いいからわたしに従いなさい! 今すぐに血盟騎士団に入って、戦いなさい!!」
俺はじっと怒るアスナの眼光を見つめていたが、その頭の中で、まさにリランの言うとおりだと思ってしまった。この怒り方は、明らかに何かに焦っている時のような怒り方だ。いや、この人の心の奥底にあるのは怒りじゃなくて、恐怖だ。リランの言う通り、何かに怯えているから、怒っているんだ。
リランと一緒に居たせいなのか、そうじゃないかはわからないけれど、それだけがわかる。この人は、怒ってるんじゃない。怯えてるんだ。でも、どうやったらそれを吐き出させる事が出来るかまでは、咄嗟に思い付かない。
こういう事は本人から直接聞き出すのが一番いいんだけれど、今頭に血が昇っているであろうアスナに多分言ったところで聞いてくれないだろうし。
いつもの知りたがりが発動して、気になって仕方がないけど、今のところはどうしようもない。でも、アスナの要求を呑む事はどうしてもできない。
「ごめん、その要求は呑めないよ。悪いけど、俺は血盟騎士団にも入らないし、手を貸すなら本当に困っている人だけだ。あんた達血盟騎士団はアインクラッド最強と呼ばれるくらいの実力者集団。そんな人達が、クォーターポイントはともかく普通の攻略に困っているようには見えない。だからその要求は呑めないし、俺もリランも血盟騎士団の所有物にはならないよ。実力者が欲しいなら、他を当たってくれ。俺はこう言ってたって、ヒースクリフって人に伝えておいてくれ」
アスナは俺とリランを交互に見つめて、拳を力いっぱいに握り締めていた。が、すぐに手を戻して、何も言わずに背を向けて、店の中を出て行った。
そこで、店の中の人々が一斉に溜息を吐き、呼吸を取り戻したような仕草をした。いきなり俺とアスナが口論になったのが、息苦しく感じられたのだろう。
「やれやれ、なんとか撃退出来たか。また突っかかってきそうな気はするけれど」
《……あの者、やはり気になるな。何かあるというのは間違いなさそうだ》
「俺もそう思う。でも、俺からアプローチしたところで何の反応も返しそうにないな」
《いずれ、また接触した時にでも聞き出そう。あの者は、確実に苦しんでいる》
「あぁ。それだけはよくわかるよ」
リランとの会話を繰り広げた後に、テーブルの方へ目を戻して、ようやく俺は先程まで誰と話をしていたのかを思い出した。俺は途中からアスナとの口論になってしまったけれど、それまではシノンと会話をしていたんだった。
そしてそのシノンはというと、目を点にして俺とリランの事を見ていた。
「あ、ごめんシノン。ずっと君の事を無視してしまっていたよ」
シノンはハッとして、首を横に振った。
「あ、こっちこそごめんなさい。何だか攻略だのゲームだの、よくわからなくて、付いていけてなかった」
「悪かったよ、シノンにわからない話をしてしまって。でも、さっきこの世界の事についていろいろ話したけれど、俺達の口論で何かわかった事はあった?」
「わかった事と言えば、この世界から逃げ出すために必死になっている連中がいる事と、そのためにリランの力を使おうとしている連中がいる事、そしてこうして私達と話が出来るリランには心があるって事かしらね」
「そういう感じだ。というか大体わかってるじゃないか」
「大体わかってたわよ。それで、次はどうするのかしらキリト。口論する相手がいなくなったなら、話を元に戻すべきだと思うんだけど」
そうだ、俺達はこれから居を22層にするつもりだったんだ。そして、今から22層に下見に行くんだった。
「そうだったな。よし、今から22層に行こう。そこで、買える家がないかどうか検証しよう」
シノンは頷いて立ち上がり、リランも俺の肩に乗った。そのまま二人を連れて静まり返った店を出て、猥雑な街中を歩き、その最中、竜を連れているのをめずらしがったプレイヤー達に声をかけられたけれど、俺は大して気にせずに、進み続けた。
そして、50層の転移門に来たところで俺達は22層に転移した。
◇◇◇
22層の村の中に転移して、更に村の中から出て、針葉樹林と湖に囲まれた草原に出てみると、リランとシノンは息を呑んだ。どこを見回しても光り輝く緑と、森を構成する濃い緑、そして湖と空の青の三色だけ。三色しかないのに、とても美しく感じると言うのは、初めて22層を訪れた時からだ。
「どうだよ。この層なら、のびのびと出来そうだろう」
元の姿に戻っているリランが、目を輝かせながら周囲を見回す。
《こんなに広く、美しいとは。これならば我が羽を伸ばしても問題がなさそうだ》
「それにここは敵モンスターがいないんだ。だからシノンも安心していられる――」
シノンの方を見て、思わず驚いてしまった。シノンが、完全に景色に見惚れている。
「シノン?」
シノンは小さく口を動かした。
「……綺麗な場所……ここが、ゲームの中だなんて……」
やっぱりみんな言う。俺も最初はそうだった。
普段は石畳の上を歩いているけれど、ここには基本的にそんなものはなく、あるのは草原と湖と森だけ。単純なのにこれ以上ないくらいの開放感があり、どれも光り輝いているように見える。そして、吹いてくる風も暖かくて心地が良い。この層を本当にまじまじと見つめていると、この世界がゲームの中の世界である事を忘れてしまう。
「だから、住むには最高の場所だろう。確かこの辺にログハウスが売られてるはずだから、早く見つけに行かないと」
「そうね。ここに住むんなら、私は大賛成だわ。家の中身にもよるけれどね」
「そうか。気に入ってもらえてよかったよ。そんな変な中身の家なんかこの世界には基本的にないから安心してくれ。さ、いくぞ」
俺は二人を連れて、美しい22層のフィールドを歩き始めた。いつもの石畳とは違う、柔らかい草原を踏みしめ、暖かい日の光と穏やかな風を見に受けながら。
そしてひときわ大きな湖の近くまでやって来たところで、俺はそれを見つけた。二階建の紺色の屋根のログハウス。ここだ、前に攻略に訪れた時に見つけたログハウスは。そして、まだ誰にも買い取られていない。
「ここがよさそうだな。値段もそこそこしそうだが」
「買えるの? こんな家を」
「買えるとも。ゲームの中だからな」
そう言って、ログハウスに接近し、その値段を確認したところで、俺は思わず硬直してしまった。家の値段は2500000コルで、俺の所持金は2512300コル。とほとんど同じ値段だった。いや、買える事は買えるんだけど、これ買ったら有り金が12300コルになってしまう。12300コルなんて、今のところの最前線である51層に売られている武具防具すら買えないし、宿屋に泊ってもすぐに尽きてしまう。
家を買うなんて金溜めれば楽勝だろうと思っていたけれど、まさかこんなに取られるとは思ってもみなかった。これは流石に手を伸ばすのは、難しいかもしれない……。
《おいどうした。購入しないのか》
「そ、それがなリラン。金が足りなくなるんだよ。いや、買えるんだよ。買えるんだけど、買ってしまうと金がほんの少ししか残らなくなるんだ。この額じゃ、最前線の店の道具すら買えなくなっちゃうよ」
リランはどすどすと音を立てながら俺に近付き、俺の手元に表示されているウインドウをまじまじと見つめた。その後に、ぐるると息を鳴らす。
《なるほどなるほど、2500000コルか。そしてお前の残金は2512300コル。本当に有り金を全てする値段だな》
「そうだろ。これだけの値段すると、本当に51層の武具とか防具とか買えなくなっちまうよ」
リランは俺を横目で見つめた。
《武具防具は必要なかろう。現にお前が装備しているのは他の者達と比べて高性能の防具であるし、剣も先程のボス戦で優秀なものを手に入れたようではないか。それに、お前の持っている大量のモンスター達の素材を全てを売り出す、またはクエストとやらに使用すれば、すぐさま元は取れるはずだ》
「お前、いつの間に俺の所有物を見てたんだよ。それにそんなのわからないぞ。確かにモンスターの素材は沢山持っているけれど――」
「ねえキリト」
急に声が聞こえてきて、俺はその方へ目を向けた。そこにいたのは、腕組みをしてこちらに呆れの目を向けているシノンの姿があった。
「あんた、どうするつもりなの。この家、買うの、買わないの。買わないなら違う方法を考えなきゃいけないんだけどね」
思わず「うぅっ」と言ってしまう。もしここで家を買わなければ、シノンを窮屈な街の中に閉じ込める事になるし、のびのびと過ごしてもらえないし、リランも羽を伸ばす事が出来なくて、窮屈な思いをさせる事になるだろう。だが、ここで家を帰ってしまえば、俺の防具とかそう言うものが買えなくなる……。
どうすればいいのかわからなくなりそうだったが、頭をフルスロットルで回し、ここで家を買うメリットとデメリットを比較してみたところ、明らかにメリットの方が多い事に気付いた。
宿屋に泊るのが無理ならば、攻略が進んだら一気にここまで戻って、寝泊りすればいいわけだし、持っている防具も良性能だからしばらく買わなくてもよさそうだし、そして何より魔剣クラスの剣がボス戦の終了時に飛び込んできた。
今は
「わかった、わかったよ。ここはリランとシノンの意見を尊重して、有り金のほとんどを使う! この家を、購入だッ!!」
そう言って俺は、購入ボタンを押した。同時に、所持金の大部分の数字が消し飛び、家のロックが解除された。