キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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―アインクラッド 01―
01:黒の剣士と白き竜


「撃てッ!!」

 

 

 その声に呼応する形で、一匹の白き竜が火炎弾を放った。

 

 周囲を赤く照らす巨大な炎の弾丸は迷いなく真っ直ぐ飛んでいき、やがて前方にいる大型モンスターに直撃し、炸裂(さくれつ)。大爆発の後に衝撃波が大部屋に響き渡り、爆炎がモンスターを呑み込んだ。

 

 今のはどうだ――そう思った数秒後、巻き起こる爆炎の中から黒い影が躍り出て、爆炎は裂かれるようにして消える。

 

 中から現れたのは巨大生物だった。黒い鱗に身を包み、腕は翼と一体化している。矢じりのような頭部が特徴的だ。ファンタジー世界でワイバーンと呼ばれるモンスターこそが、それであった。

 

 黒きワイバーンの身体には今、無数の赤い傷のようなエフェクトが生じており、その頭上に出ている《HPバー》の残量は既に三本のうちの一本だけとなっていて、色は赤色へ変色していた。

 

 

「よし、あとちょっとで片付きそうだ」

 

 

 (つぶや)くと、頭の中に《声》が響いてきた。初老の女性のそれによく似た声色だった。

 

 

《そうだな。だが、気を抜くなキリト。最後まで何をしてくるかわからぬぞ》

 

 

 《声》に(うなづ)き、キリトは目の前に再度視線を送った。前方にあるのは凶悪そうな面構(つらがま)えの飛竜の姿で、キリト達に向けて明確な敵意と怒気を含んだ視線を向けてきている。激昂(げっこう)しているようだ。

 

 あれをキリト一人だけで倒さなければならないというのであれば、無理も(はなは)だしかっただろう。だが、キリトの周囲には仲間達がいる。これまで苦楽を共にし、目の前にいる飛竜のような大型モンスターを何度も相手取り、その都度勝利してきた強者達。

 

 その中で最も頼りにしている仲間の(うなじ)に、キリトは(またが)っている。狼の輪郭(りんかく)を持ち、全身を白金色の甲殻と毛並みに包み込み、背中からは天使のそれを思わせる大きな一対の翼。(ひたい)からは聖剣に似たデザインの角を生やしているドラゴン。

 

 普通なら仲間にする事ができないどころか、敵として戦うしかできない存在の項が、今のキリトの居場所であった。

 

 よく見てみれば、目の前の飛竜同様に《HPバー》が一本出現している。その残量は先ほど回復を使ったのもあってか、最大値付近になっていた。これくらいならばあまり心配する必要がない。

 

 確認したその時だ。対峙する飛竜が甲高(かんだか)い咆吼を放ち、勢いよく翼をはばたかせて部屋の上空へと飛び上がっていった。

 

 いかなる攻撃も届けられない高度まで飛ばれてしまった事に周囲の戦士、剣士達が悔しそうな声を出した直後、飛竜はその(あぎと)をかっと開き、口内に青白い光を発生させる。

 

 ファンタジー作品に登場するワイバーンやドラゴンは、口の中から火炎や雷のブレスを吐いたりする特殊能力を持っている。今現在戦っているあの飛竜も例外ではない。戦闘中に何度も口の中から青白い雷のブレスを吐いて遠距離攻撃を仕掛けてくる、厄介なモンスターだった。

 

 そして飛竜は今、安全を確保できる高さまで飛び上がり、そこからこちらをブレスで攻撃しようとしているのだろう。

 

 飛竜との戦いは長時間に及んでおり、仲間達の疲労も重なっている。そこにブレス攻撃を叩き込まれようものならば、どうなるかなど安易に想像がつく。

 

 

「リラン!」

 

《あぁ! しっかり掴まれ!》

 

 

 ドラゴンの名を呼びかけると、再度《声》が頭の中に響き、ドラゴンは咄嗟(とっさ)に身構えた。ごうごうという炎が燃えているような音がドラゴンの口から聞こえてくるようになり、熱風が顔に当たってくるようになる。

 

 数秒後、上空を飛んでいる飛竜の口が再度開かれ、その体内から青白いビームが(ほとばし)った。同刻、キリトが乗るドラゴンも咢を開き、火炎を収束させる事で作り出した灼熱のビームブレスを放ち、飛竜のビームを迎撃した。

 

 ビームの先端同士がぶつかり合い、人間で言う鍔迫(つばぜ)り合いが起こる。猛烈な熱風と閃光が襲い掛かってくるが、キリトは信頼するドラゴンの項にしっかりと(つか)まって耐えた。

 

 稲妻と灼熱、雷と炎。二つの属性攻撃の攻防によって部屋の中全体が震動し、熱風による嵐が吹き荒れる。キリト達人間では到底起こせそうにないぶつかり合いを制そうとして来ているのは、敵対している飛竜の方だった。

 

 飛竜の放つ稲妻光線は止む事を知らず、(むし)ろ時間が経つごとに出力を増してきて、こちらの灼熱光線を押し返して来ている。キリトに跨られるドラゴンも飛竜の力に驚いているようで、必死に出力を上げようとしているようだが、やはり飛竜の方が確実に押してきていた。

 

 生命の危機を感じているがゆえの底力だというのだろうか、いずれにしても、このままではこちらが押し負けてしまいそうだ。

 

 

「そこッ……」

 

 

 その時だ。静かであるけれども確かな強さを持つ声が耳に届けられ、飛竜の顔に爆発が起こった。

 

 唐突に顔面を爆破された飛竜は悲鳴を上げて体勢を崩し、ブレスの照射を中断して落下。轟音(ごうおん)と共に地面へ激突し、大きな震動を起こす。

 

 それを見送ってから振り向いてみれば、剣や槍を構える仲間達の中に一人だけ、弓を構えて矢を放った後の姿勢を作っている少女の姿が認められた。彼女の攻撃が追い詰められたリランを助け、飛竜を地面へ撃ち落としてくれたのだ。

 

 少女は一旦身構えを解くと、キリトに向かって叫んできた。

 

 

「キリト、リラン! 叩き込んで!!」

 

「シノン、ナイスだ!」

 

 

 少女の言葉をしかと受け取ったキリトは、礼を言って前方へ向き直った。

 

 高高度から落下したというだけあってか、飛竜は地に伏せて動きを止めている。その《HPバー》はごく(わず)かであり、皆で一斉攻撃を仕掛ければ、仕留められる状態だった。

 

 これ以上ないチャンスタイムだ。

 

 

「リラン、いくぞッ!!」

 

 

 主人の声を受けるなり、リランは地面を蹴り上げて一目散に飛竜へと向かった。同刻、周りの仲間達も倒れ伏した飛竜へ向かって走っていく。その中で最も早かったのはやはりリランで、二秒もかからないうちに飛竜へ辿り着いた。

 

 だがその時だ。飛竜はいきなり起き上がって、更に後ろ脚だけで立ち上がり、翼と同化した前足で殴り掛かってきた。当然狙いはリランであり、その項に乗っているキリトもまた狙われていた。

 

 

「!!」

 

 

 しかし今度は予想できていたのか、リランは同じように後ろ脚だけで立ち上がり、強靭(きょうじん)な前足で飛竜の腕を受け止めた。自分達の何倍もある身の丈と質量をもつ巨大生物がぶつかる事で生じた、重々しい音と震動がリランの身体(からだ)(かい)して腹に飛んできた。

 

 

「ぐッ……!」

 

 

 あまりの震動に手を放しそうになったが、そこでもう一度力を込めて掴まる。目の前にあるのは恐ろしい形相をした飛竜の顔だった。だが、飛竜は両手をリランに掴まれているせいで身動きが取れず、足元をがら空きにしている。

 

 それをいち早く理解したのだろう、周囲から大きな声が飛んできた。

 

 

「動きが止まった! 今がチャンスよ!!」

 

「そこだ! 全員で攻撃して止めを刺せ!!」

 

 

 周囲の戦士、剣士達を率いる栗色の長髪の少女、青い髪の騎士の叫びが響くと、周りの剣士達は、がら空きになった飛竜の足元へ一斉に飛び込んだ。間もなくその手に握られる武器に光が宿され、ありとあらゆる必殺技が繰り出されて、飛竜の足元が斬り刻まれる。

 

 足元で虹色の光の爆発を起こされた飛竜は瞬く間に体勢を崩し、リランとの攻防に押されて(ひざまず)く。《HPバー》の残量はあと数発の攻撃で(から)になるくらいの残量となっていた。

 

 その光景を目の中に入れた次の瞬間、頭の中に《声》が届けられてきた。

 

 

《キリト、最後の一撃を叩き込め!!》

 

 

 リランの《声》に呼応してキリトは立ち上がり、背中の鞘に仕舞っていた片手剣を引き抜いて構え、そのままリランの項を蹴り上げてジャンプする。向かう先はリランに抑え込まれている飛竜の頭だ。

 

 宙を舞い、飛竜との距離が縮まると、飛竜の金色の瞳と目が合った。その禍々しい目と目の間、眉間に狙いを定めて、キリトは剣を構える。次の瞬間、剣は金色の光を纏った。

 

 

「はあああああああああッ!!」

 

 

 飛竜の頭部に到達するのと同時に腹の底から咆吼し、渾身の力を込めて突きを放った。音速に等しい速度で突き出された黒き刀身が、深々と飛竜の眉間(みけん)に突き立てられ、金色の光が炸裂する。

 

 

 単発重攻撃片手剣ソードスキル《ヴォーパル・ストライク》。

 

 

 その炸裂が完全に終わる頃、飛竜は甲高い悲鳴を上げたが、それを途中で途切れさせて硬直する。丁度仲間達も攻撃をやめており、部屋の中は静寂(せいじゃく)に満たされていた。

 

 やがてキリトが剣を引き抜き、リランの項に戻ると、飛竜の身体は白みがかった水色の光に包み込まれてシルエットとなり、爆発。無数の大小ばらばらのポリゴン片となって消えた。

 

 戦場であった大部屋に静けさが取り戻され、誰もが声を出さないでいると、それまで飛竜のいたところに《Congratulations!!》という、ボスを倒した事を褒め称える文字列が盛大な効果音と共に表示された。

 

 そのエフェクトを目にした周りのプレイヤー達が一斉に勝鬨(かちどき)のような歓声を上げ始めると、キリトはリランの項に再度跨る形で座った。ボスを倒す際に力を込め過ぎたせいなのか、それとも無事にボスを倒す事ができた事の安堵(あんど)なのか、溜息が出てくる。

 

 周りの戦士達は声を合わせて喜んでいるが、流石にもうそんな体力さえも残っていないように感じてならない。

 

 

「キリト」

 

「キリト君、リラン!」

 

 

 そんなふうにして疲れていると、下の方から声が届けられてきた。一緒に勝利を掴み取った仲間達がリランの足元付近に近付いてきていた。

 

 確認したキリトはリランに伏せるよう指示。従ってくれたリランが地面に腹を付けると、するりとその項より飛び降りる。間もなく仲間達はリランの足元に辿り着き、キリトを迎えた。

 

 その中の一人である、青い髪と騎士を思わせる装備を身に着けた青年がキリトへ声掛けしてきた。

 

 

「キリト、お疲れ。今回も相変わらずの戦いっぷりだったな」

 

「ディアベル達こそお疲れ。今回もナイスファイトだったよ。死んだプレイヤーもいないみたいだから、最高だ」

 

「そう言ってもらえると嬉しいが、やっぱりキリトとリランの力があるこその勝利だったと思うよ。お前とリランのコンビネーションは戦況をひっくり返すんだ」

 

 

 青髪の騎士ディアベルに言われたキリトは、胸の中に嬉しさを抱く。

 

 だが、こうしてボスモンスターとの戦いで犠牲者なしで勝てるのは、第一層から戦い続けているディアベルの指示や作戦があったからこそだ。何よりリランの力を最大限に開放するには周りのプレイヤー達の力が必須である。自分とリランの力だけが勝利を導いたわけではないのだ。

 

 それをディアベルに伝えようとしたその時だ。伏せるリランに声掛けしていた少女がキリトの傍へやってきた。

 

 

「お疲れ様、キリト君。今回もキリト君とリランは大活躍だったね」

 

 

 栗色の長髪に、美しさを感じさせる琥珀色(こはくいろ)の瞳。白と赤を基調とした戦闘服に身を包み、腰には気高さを放つレイピアが(たずさ)えられている。今回のボス戦に参加したプレイヤー達を率いていたその人の顔には今、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 キリトは同じような笑みを浮かべ、返答する。

 

 

「そう言うアスナこそ大活躍だったじゃないか。今日はいつもより指示とか作戦が()えてた気がするよ」

 

 

 キリトにアスナと呼ばれたその少女の表情は更に柔らかくなる。実際彼女の指示のおかげでプレイヤー達は的確に立ち回り、飛竜と戦う事ができていた。戦死者が居なかったのは、ディアベルと並ぶアスナの指示のおかげであると言えるだろう。

 

 それに、アスナ自身のレイピア(さば)きも、飛竜に確かなダメージを与えてくれていた。

 

 

「なんだかキリト君とリランが一緒に居てくれると心強くて、指示を上手く出せる気がするの。キリト君とリランには、皆を強くする不思議な力があるんじゃないかしら」

 

「そんな事はないよ。俺とリランが上手く戦えるのは、皆が居てくれるおかげだ。皆が居るから俺とリランも戦えるのであって。それに、俺達だけじゃヤバかったところもあったしな」

 

 

 アスナは「そうだね」と言って笑み、キリトの後方を見た。誘われるようにキリトもまたそこを見る。

 

 リランと組んで飛竜と戦った際の危機。それは飛竜とのブレスの撃ち合いになった時だ。あの時は途中でとある攻撃が飛竜に飛んでこなければ、そのまま負けていた可能性が高かった。

 

 その戦いを勝利に導いてくれた存在、一番の功労者(こうろうしゃ)と言える人が、キリトの背後方向に立っていた。――それをすぐさま見つけ出し、キリトはその人の(もと)へと赴く。

 

 緑と黒を基調とした軽装を纏い、白い鉄製の胸当てを付けていて、背中に大弓を背負っている。黒い髪をショートヘアにして、白いリボンで結わえた房が顔の両脇で細く流れていて、頬が隠れているように見える。

 

 そんな特徴を持つ少女に向けて声をかけようとしたが、先に少女の方が声を出してきた。

 

 

「キリト、大丈夫だった? さっきは危なそうに見えたのだけれど……」

 

「あぁ、危ないところだったよ。シノンの攻撃のおかげで助かった。ありがとうな」

 

 

 シノンと呼ばれたその少女の顔に、微笑みが浮かぶ。普段は猫を思わせるような、鋭い光を蓄えた瞳をしているシノンだが、今のその瞳は穏やかなものとなっていた。

 

 

「なんだか二人が負けそうに見えたから、咄嗟(とっさ)に攻撃してみたのよ。まさか届くとは思ってなかったけれど」

 

「えっ、あれって自信無かったのか」

 

「えぇ。もしかしたら届かなかったかも」

 

 

 シノンから告げられたまさかの事実に驚いていると、大きな足音が背後から聞こえてきた。先程まで飛竜に立ち向かい、ビームブレス合戦を繰り広げた張本人であり、キリトの大切な《使い魔》であるリランがやってきていた。

 

 

《だが、シノンの遠距離攻撃に助けられたのは事実だ。何がともあれ、礼を言うぞ、シノン》

 

 

 リランの持つ唯一のコミュニケーション手段である、頭の中に響く《声》。それを受け取ったのだろう、シノンはリランに顔を向けて「どういたしまして」と言って笑んだ。

 

 直後に、リランの隣にディアベルが並んで、キリト達に話しかけてきた。

 

 

「さてと、ボス戦も無事に終わったわけだし、早く次の層に進んで、街をアクティベートしに行こうぜ」

 

 

 ディアベルが言う頃には、他の仲間達は部屋の最奥部にある、開かれた大扉の中へと進んでいた。

 

 そうだ、俺達は戦いに勝利して次の層への道を開けたのだ。次の層に行かず、ここで立ち止まっていては時間が惜しい――キリトと同じ事を思ったように、アスナが続けて声掛けしてきた。

 

 

「次の街、どんなところだろうね。早く見に行ってみましょうよ」

 

「わかった。ひとまず、先に進むとしようか」

 

 

 周囲へ呼びかけが通じたのを確認すると、キリトは仲間達と共に大部屋の奥へ向かい、その先の扉をくぐった。

 

 ボスを倒したキリト達を待ち受けていたのは、中世ヨーロッパの街並みという言葉がそのまま当てはまるような外観の、大きな街だった。

 

 この世界に来てからは何回か見たような光景だが、完全に同じかといえばそうではなく、ちゃんと新鮮さを感じさせてくれるもので、是非(ぜひ)とも転移門のアクティベート後に観光してみたい。キリトは当初、そう思った。

 

 だが、その時既に空は茜色に染まっており、街のところどころには夜の(とばり)が落ち始めていた。時刻は十八時。観光をするには時間が足りないし、何よりボス戦の後だから、疲れていて観光どころではない。やったところで疲れが増すだけだろう。

 

 そう思っていたのはキリトだけではなく、周りの仲間達もそうだった。第六十層の街の転移門の開放が済んだという報告を受けるなり、早速その転移門を利用して、それぞれの住居へと帰っていった。

 

 結局彼らと同じ行動をとる事になったキリトもまた、多くの人々で(にぎ)わっている第六十層の街の中を抜けて転移門へ赴き、自分の住居――帰るべき場所が存在する、第二十二層へと転移した。

 

 大事な《使い魔》であるリラン、そして大切な人である、シノンと共に。

 

 

 そうして転移した先にあるのが、敵モンスターの存在しない、平穏な第二十二層の森の中。その一角にあるログハウスが、この世界でのキリト達の家である。

 

 三人一緒になって我が家に帰ってきて、それぞれの部屋着に着替えると、さっそくシノンを中心とした夕飯の準備が始まった。しかし、そこでキリトとリランはしばらく暇する事になった。キリトとリランの料理スキルはそんなに高くないため、やれる事も、作れる料理も少ない。やったとしても失敗して、食材を駄目にするだけだ。

 

 だから結局、料理はスキルが最も高いシノンに任せる事になった。キリトとリランのやった事といえば、何が食べたいかを伝え、それを作るための食材アイテムをシノンに差し出したくらいだ。

 

 後の食材の調理、料理、盛り付けは結局全てシノンが行い、キリトとリランはテーブルで料理が出来上がってくるのを待っているだけだった。

 

 そうしてキリト達の許へと並べられてきたのは、ビーフシチューだった。第二十二層の気象設定がそうだったのか、空気がひんやりとしているような気がして、シノンに「温かい料理を作ってほしい」と頼んだのだ。

 

 それを(こころよ)く受け入れてくれたシノンが作ってくれたビーフシチューは、濃厚な味わいとコク、様々な食材が合わされたような見事な旨味が溶け出ている、まるで高級料理店で出されるようなものであった。

 

 一口食べただけで、心地よい温かさと深い味わいが冷えた身体にしみ込んでくるような感じがして、口に運ぶのを止められなかった。

 

 メインディッシュがあまりに美味しいためか、同時に出されてきたサラダもバケットもあっという間に食べられてしまい、短時間のうちに至福の一時(ひととき)を終えたのだった。

 

 

「いやー、食った食った。ボス戦後のシノンの料理は本当に格別だよ。これがあるから頑張れる」

 

 

 一息吐いていると、隣の方向から頭の中に向けて《声》がした。これまで聞こえてきていた初老の女性のそれではなく、少女を思わせるような声色だ。

 

 

《同感だ。シノンの料理を食べれば、どんな疲れでも吹き飛ぶぞ》

 

 

 つい先程まで料理が乗っていたが、今は空になっている皿などの食器が並んでいるテーブルの一角に、一匹の小竜の姿。全体的な形は昼間のボス戦で活躍したキリトの《使い魔》であるリランのそれを小さくしたようなもので、人間の肩に乗れるくらいの大きさになっている。

 

 非戦闘時や街中にいる時に見られる、小さくなった姿のリランを視界に入れながら、キリトはうんうんと頷く。

 

 

「それにしても、今日はシノンに助けられっぱなしだったよ。特にあの時の遠距離攻撃。あれがなかったら――」

 

 

 話しかけても返事は来なかった。

 

 キリトはシノンと向き合って座っているので、声が聞こえにくいという事はないはずだし、夕食の時も普通に話しながら食べていたものだ。

 

 急に返事がなくなったというのにはキリトも不思議に思い、

 

 

「シノン?」

 

 

 目を向けたが、そこできょとんとしてしまった。

 

 キリトの向かいに座るシノンは今、座ったまま目を閉じて、こくん、こくんと頭を揺らしていたのだ。耳を澄ませば穏やかな寝息が聞こえてくる。

 

 これでは返事のしようがないだろう――キリトは納得しながら、うたた寝するシノンを見つめた。

 

 シノンは強いボスモンスターを相手にしたうえに、キリトとリランの危機に素早く気が付き、フォローを入れたりしてくれた。ずっと気を張らせたままだったのは確かだろう。

 

 そして帰ってからも料理を作ったりなどして、動きっぱなしだった。それで身体の暖まるビーフシチューを食べたものだから、眠くなってしまったのだろう。

 

 普段の彼女からはなかなか想像する事の難しい、可愛らしい寝顔を眺めること十数秒後、キリトはリランに静かにしているように指示。大きな音をたてないようにしながらテーブルの上の食器を全て重ねて手に持ち、シンクへ持っていった。

 

 洗浄コマンドを起動すると、食器が使う前の綺麗な状態に戻った。確認してストレージの中に食器を仕舞うと、キリトはダイニングへ向かった。大きな音をたてないように、そっと。

 

 シノンの隣まで静かに歩いたところで、キリトはようやく、うたた()するシノンへ声をかけた。

 

 

「……シノン」

 

「……ん。んん……?」

 

 

 シノンは頭を縦に揺らした後にゆっくりとその目を開き、小さな声を漏らしつつキリトへ向き直った。その顔はとても眠そうなものだ。そのままテーブルの方へと顔を向け、首を傾げる。

 

 

「キリト……? あれ……お皿とかは……?」

 

「俺が全部片付けておいた。だから大丈夫だよ」

 

 

 シノンは半分寝ているような様子で、顔を上げた。すまなそうな表情が浮かべられている。

 

 

「ごめんなさい……なんだか急に眠くなってきちゃって……手間をかけさせちゃったわね……」

 

「いいよ。今日はボス戦があったし、シノンも活躍してくれたからな。ゆっくり休もう」

 

 

 眠たそうで愛らしさを感じさせるシノンに手を伸ばすと、彼女は小さく微笑みながらその手を握ってきて、椅子から立ち上がった。彼女だけが持つ温もりが手を介して全身にじんわりと広がってくるのと同時に、肩にリランが飛び乗ってくる。

 

 部屋の明かりを消して階段へ向かい、シノンに気を付けながら上がっていく。そうして到着したのが、いつも使っている寝室だ。一階と同じログハウスの景観で、ベッドが二つ、ランプの乗る台を隔てて壁沿いに設置されている。

 

 既に深夜のように暗かったが、青白い月明かりが窓から差し込んできていて、真っ暗ではなかった。

 

 二人の様子を見ながらベッドへ近付くと、リランが一番乗りでベッドの枕元へ降りて丸くなった。リラン特有の寝る時の姿勢だ。

 

 それに続く形で、シノンを自身の使っているベッドへ導こうとしたが、そこでシノンは小さく声を出した。

 

 

「……今日、あなたと一緒に寝てもいい……?」

 

「うん、いいよ。寒いし、一緒に寝よう」

 

 

 眠そうなシノンが微笑んだのを見て、その身体を支えてやりながら、リランが先に寝ている自分のベッドへと寝転がった。まもなくシノンが静かに寝転んで来ると、その身体の上に布団を掛ける。

 

 寝具を被されたシノンは少しだけぎこちない様子でキリトの胸元へ寄り添ってきて、静かに深呼吸をした。

 

 

「キリト……温かい……」

 

「シノンも、すごく温かいよ」

 

「私……あなたと出会えて……本当によかった……」

 

「俺も、君に出会えて本当によかったよ。君がいなかったら、俺はこんなふうに暮らす事もなかったと思う。本当、君に出会えてよかった……」

 

 

 シノンの言葉、仕草、声、体温。その全てに愛おしさを感じ、キリトはシノンの髪の毛をそっと撫でた。シノンは気持ちよさそうな様子を見せると、穏やかな寝息をたて始めた。

 

 その穏やかで落ち着いた寝息を聞きつつ、キリトは目を閉じた。

 

 こうしてシノンが自分の傍で寝ているというのは、今でも奇跡に感じている。その奇跡の始まりは、全ての切っ掛けを作ってくれたのは――人間ではないけれど、人間のように心を持ち、キリト達と分かり合うドラゴン、リランだ。

 

 リランとの出会いが全ての始まりであり、そこから様々な出会いや出来事が広がっていったのだ。そう思ったキリトは、そっと枕元で眠る姿勢を作っている小竜に手を伸ばし、その身体を撫でた。甲殻のごつごつとしたそれと、動物の毛特有のふわふわとした触感が手に広がってくる。

 

 その手触りに心地よさを感じるのと同時に、意識がゆっくりと消えていき、キリトは深い眠りの中へと吸い込まれていった。

 

 


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