登校地獄という魔法がある。
対象を強制的に就学させ、学校に通学させ続けるという、不登校児用に作られた魔法だ。
その本質は紛れもない呪いで、登校地獄をかけられた学生が登校拒否を起こそうものなら、不幸が次から次へと襲いかかり対象を学校へと追い立てる。
魔法使いの多くが正義の旗本で動く現代において、呪いというものは本来忌諱されるもの。しかし、この登校地獄は他の呪いとは異なり多くの魔法使いに受け入れられていた。
学校教育というものが広まったのはそれほど昔のことではなく、魔法使い達が魔法学校を設立したのもさほど古い話ではない。
そしてこの登校地獄の魔法が作られたのも比較的最近のことであり、この魔法を作ったのはある有名な魔法学校の校長であった。
呪いの精霊の力を借りるが、この魔法を使うのは相手を呪うためではなく不真面目な生徒を矯正するのが目的だ。
立派な魔法使いを目指すための魔法学校と言えど不良や不登校児というものは現れるもので、登校地獄の魔法は矯正のためしばしば用いられた。
そして、ここ麻帆良学園都市にも一人の不登校児がいた。
不登校と一言で言っても、その原因には様々なものがある。
例えばいじめであったり、精神的なショックであったりする。
が、そのような深い原因を持つ者達に登校地獄をかけることはまずありえない。強制的に登校させるという荒技で解決すべき問題ではないからだ。
だがこの不登校児である少女は違った。
学校に行かない理由が「面倒臭いから」という不真面目極まりないものだったのだ。
学校に行くのが面倒臭い。勉強するのが面倒臭い。ニートのまま過ごしたい。
本来ならば鬱病あたりを疑うべき状態であるが、少女の母親はこうなった原因を理解していた。
それは、ただ単純な答え。
「育て方を間違えた」
放任主義だったわけではない。逆に教育ママに分類される人物だった。
母親はつきっきりで教育を行い、様々な習い事を課して将来の才女を目指し、魔法も覚えさせた。
少女は幼い頃とても真面目な子で、親の言うことに従い習い事も魔法の修練も文句一つ言わずに黙々とこなしていた。
それがある日、爆発した。
「私は母さんの奴隷じゃないっつーの!」
ある子供向け漫画に出てくる台詞を、少女は心の底から叫んだ。
そういうことは奴隷みたいに働いてから言いな、と返すのがこの台詞に対する礼儀だが、その言葉を言えるほど母親は無神経ではなかった。
母親は娘を本当に奴隷のように、それこそ一切の遊ぶ時間もないほどにスケジュールを詰め込んで育てていたのだ。
その叫びの日以来、少女は不真面目の塊になった。
習い事は全て放棄し、魔法の教本は物置に詰め込んだ。
学校では授業を寝て過ごし、放課後は家に帰ってテレビを見て何もせず過ごした。
遊び方を知らなかったのが幸いして非行の道には走らなかったが、やる気の無さは日に日に増していった。
特に心に傷を負っているわけでもなく、心の病に冒されたわけでもない。
何かを学ぶということに対して強い反発心を感じているだけ。思春期特有の反抗心もあったかもしれない。
そしてある日学校へ行くことすらやめてしまった。
面倒臭い。ただそれだけの理由。
おそらくこの不登校は一過性の風邪のようなものだったのだろう。
学校では勉強が嫌で授業が苦痛だったが、それ以外の学校生活は少女にとって特に苦痛でも面倒臭いものでもなかった。
以前はガリ勉で通っていた少女だが、勉強を放棄した今はそこそこに友人がおりそれなりに満たされていた。
だから、登校拒否は一時的なもの。少しの間学業から解放されたかっただけ。
だが、母親はそれを理解していなかった。
一週間の不登校。それは母親の中で、今すぐにでも解決しなければいけない深刻な問題だった。
このままでは娘は駄目になってしまう。中学を中退し部屋から一歩も出ない引きこもりになってしまう。母親はそうとらえた。
もちろん少女は学校を辞めるつもりもなければ、引きこもりになるつもりもない。
これは親子の仲が冷え切っていたために起こった齟齬とも言えるし、真面目極まりない教育ママゆえの勘違いとも言えた。
だから、少女は想像もしていなかった。
母親が登校地獄などという呪いを自分にかけようとするなど。
「待って待って待て待て待て待てよ! 呪いとかありえないから! 人権侵害だから! ないないないない!」
「もう母さんにはこれしか残ってないの。あなたが引きこもりになるなんて、母さんには耐えられない」
「いや引きこもりとかならないからちょっと学校休んでただけでうわあああああ!」
「――
この一件で親子の間にあった溝はさらに深まった。
少女にかけられた登校地獄の魔法は失敗していた。
不発に終わったわけではなく、呪いの精霊はしっかりと少女の周囲に集まっていた。
少女が自宅で登校地獄の魔法を受けたのは平日の朝の十時。
そのような時間に家になどいたら、たちまち不幸が降りかかり少女を学校へと追い立てるだろう。
だが、呪いは襲いかかってこなかった。
母の暴挙に絶望していた少女は、この魔法の失敗に喜んだ。
実のところ彼女は既に学校へ通う気にはなっていたのだが、登校地獄をかけた母親への反抗心から不登校生活を続行した。
一週間経過し、二週間経過し、一ヶ月。
ためこんでいた貯金を消化し母親の危惧していた通りの引きこもり生活を満喫していた少女だが、さすがに飽きが来た。
長年培われたその性根は結局のところ真面目なままで、一人遊びを続けられるほどの娯楽に対する知識もなかった。
そして何より、新しく得た学校の友人達と会いたくて仕方がなかった。
少女の家は魔法使いの家であり随所に魔法の道具が置かれているため、友人を招くことはできない。
また母親は中学生の娘に携帯電話を与えることもなく、この一ヶ月友人と会話すらしていない。
そして少女はある朝、学校へ通うことを決めた。
一ヶ月ぶりの制服に袖を通し、母親と顔を合わせないまま朝食を取り、家を出た。
友人達になんと言って顔を合わせたものだろう、と考えながら少女は通学路を歩く。
すでに時刻は九時を過ぎており、この時間帯は学園都市という性質上人通りが少ない。
ゆえに、少女は周りに一切の注意を向けず思考に没入しながら、学校への道のりを進んだ。
「ちょっと人生が嫌になって……いやだめだな。一足先に春休みを満喫したくて……これもだめだ」
そして少女は手すりのない階段から落下し、意識を失った。
注意一秒怪我一生。
麻帆良の都市は危険に満ちあふれている。
例えば図書館島と呼ばれる施設では地下が迷宮になっており罠が仕掛けられているし、道を歩けば大学の工学部作のロボットが暴走していたりするし、何より魔法の制御もままならない魔法使いの子供達が多数学校に通っている。
周囲に気を配るのはここで生活するうえで基本中の基本だというのに、一ヶ月の引きこもり生活ですっかり忘れてしまっていた。そのことを少女は救急車の中で深く反省した。
彼女が落ちたのは通学路にある階段。景観を保つために手すりがつけられていない二メートルほどの高さの階段から、頭から落下した。
本来であれば石畳の上に見事な血の華を咲かせていたところだったが、幸いなことに彼女は魔法使いであり、日頃から薄い魔法の保護膜を肌にまとわせていた。
しかしそれでも頭を地面に打ち付けて、さらに気を失うという事態は危険なことに変わりなく、そのまま総合病院へと運ばれ精密検査を受けた。
結果は異常なし。
連絡を受けてかけつけた母親を無視して少女は家へと帰った。
家に着く頃にはすでに陽が沈みかけており、結局学校へ行くことなく一日が終わった。
次の日、今度こそ学校へ行こうと励む少女だったが、あいにく天候は土砂降りだった。
彼女は沈む気持ちをなんとか奮い立たせて、傘を片手に家を出る。
何で学校へ行くだけなのにこんなに気合いを入れなくちゃいけないんだ、と一瞬思う少女だったが、余計なことを考えていては昨日の二の舞だと思い直し前をしっかり見て歩みを進めた。
だが、彼女の意識は前方にしか向いていなかった。
だから、後方から来る車に気がつかなかった。横にある泥水の溜まった水溜まりに気がつかなかった。車のタイヤがはね飛ばした泥水に気がつかなかった。
彼女がそれらに気がついたのは、頭から大量の泥水をかぶった後のことだった。
横から来る泥水に傘は何の役にも立たなかった。
泥にまみれた制服で学校に行くわけにもいかず、彼女は肩を落として家へと戻っていった。
家に帰ると真っ先に制服を脱ぎ、洗濯機へと叩き込む。
泥を被った頭をシャワーで洗い流し、学校指定のジャージに着替えるために部屋に戻ったところで、ジャージを学校に置いたままにしていることを思い出した。
一ヶ月放置したままのジャージのことを思うと気が気ではなかったが、学校に着ていく服がないためその日は登校を諦めた。
次の日、洗濯しアイロンをかけた制服を着て少女は三度学校へと向かった。
昨日の土砂降りが嘘だったかのように空は晴れ渡り、道路に水溜まりは残っていなかった。
それでも彼女の胸の中にはどうとも言い表せない不安が渦巻いており、教職員が学校へ向かうために走らせている車が横を通るたびに身構えて周囲を歩く生徒達に不信な目で見られた。
そして少女の不安は的中した。
彼女が気がつかないうちに通学路は魔法関係者以外を寄せ付けない魔法の結界で覆われており、二人の魔法生徒の決闘に巻き込まれて、魔法の流れ弾を全身に浴びて一昨日のように気を失った。
さらに次の日。
登校途中に、麻帆良に侵入した呪術師にさらわれ人質に取られたことで確信した。
自分は呪われているのだと。
失敗したと思っていた登校地獄の呪いは、違う形になって少女に取り憑いていた。
診断を行った魔法医曰く、不登校地獄の呪い。
そもそも登校地獄は学校教育が一般的になった近代に作られた魔法であり、歴史が浅いゆえに不安定な部分が多いらしい。
例えば、呪いを解かなければ例え学校を卒業しても、登校を続けなければいけない点などがあげられる。
不安定な魔法を精神的に余裕が無い状態の母親がかけたことで、効力が反転して登校をあらゆる不幸で妨害する不登校の呪いへと変わってしまった、らしい。
冗談ではない。今すぐ呪いを解いてくれ。
そう主張する少女だったが、今すぐ解呪することは不可能という答えが返ってきた。
呪いが捻れに捻れて凶悪なものになっており、これを解くには魔法本国から解呪専用の儀式道具を取り寄せなければならない。そしてその取り寄せには一ヶ月かかるという。
冗談ではない。
少女は絶望した。一ヶ月後といえば春休みの真っ最中であり、呪いが解けても学校に通うことができない。
度重なる妨害にあって意地でも学校に行ってやると決心していた彼女にとって、それは酷な話だった。
「出席扱いにするから家で勉強していてくれ」
魔法教師からはそう諭されたが、少女がそれを受け入れることはなかった。
そもそも勉強するために登校しようとしていたわけではないのだ。
友人達と遊ぶために一ヶ月間の引きこもり生活を脱したのだ。授業は寝るかサボるかしようと考えていた。
今更勉強付きの引きこもり生活など受け入れられるはずがない。
そして少女は決意した。自分の力で呪いに打ち勝ってみせようと。
不登校地獄の呪いを解くことはできない。少女はそれを理解していた。彼女は馬鹿ではない。
本来の登校地獄の呪いですら、子供の魔法使いでは解呪できないのだ。それが歪んでいて大人達でも解呪できないのだから、自分がいくら魔法を勉強したところで解呪不可能なのは解りきっている。
そこで彼女は、異なるアプローチで呪いに打ち勝とうと考えた。
その方法とは、どのような手段を用いてでも登校してみせること。
呪いの妨害を乗り越えて登校することで、呪いの精霊を叩き伏せようと考えたのだ。
力には力を。
彼女は知識という点では馬鹿ではないが、知性という点では馬鹿だった。
その日から少女の孤独な戦いが始まった。
無理矢理にでも登校してみせる、とはいっても少女に作戦といえるものは無かった。
四日間の登校妨害の経験上、階段から落ちることや人質に取られるといった命の危険にかかわる不幸に見舞われることは解っている。
だが、その不幸がどれほど幅広いものなのかどうかが不明であった。
登校地獄の魔法の特性について調べようとも考えたが、登校地獄は高位の魔法で自分の持つ魔法教本には名前すら載っていない。
身近な魔法関係者に訊ねてみるにも、親と教師しか心当たりがない。
親と会話をする気など全く無く、教師に関してはそもそも学校に辿りつかなければ会うことすらできない。教師の自宅の電話番号も学校の電話番号も母親が管理している電話帳の中だ。
ゆえに少女の取る行動は一つだった。
家から真っ直ぐ学校を目指して登校する。
魔法の防護壁を全力で作り出し、車にはねられても無事でいられるほどの強化を行って通学路を進む。
しかし、その程度で登校を許すほどこの魔法は甘くなかった。そもそもが不登校の魔法生徒に使う魔法なのだ。
車で妨害できないのなら、呪いの精霊はそれ以上の質量を持って妨害する。
少女は戦車愛好会がひそかに所持していた戦車にはね飛ばされた。
常人ならばこの時点で諦めていたのだろう。しかし、すでに己を見失っていた少女に、諦めるという選択肢は存在していなかった。
次の日、彼女は再び通学路を進んでいた。
周囲に危険物が存在しないか魔法で探知を行い、細心の注意を払って歩みを進める。
常に半径二百メートル以内に不信物がないか確認しながらの通学。だが彼女は倒れた。
外部からの妨害ではない。連日のストレスによって引き起こされた急性胃炎によるものだった。
幾度となく続く登校妨害を前にしても少女の心は折れることはなかった。
暴走ロボットが道を塞いでも、化学研の催眠ガス爆弾が破裂しても、大雨の日に落雷を受けても心は折れなかった。
始め彼女の母親は、呪いをかけた負い目から少女に話しかけることすらできず心配そうに見ているだけだったが、いつしか日が暮れるまで登校を続ける娘のために弁当を用意するようになった。
毎朝食卓の上に置かれている弁当箱を、少女は特に気にする様子もなく鞄につめている。
毎日のように不登校地獄との戦いを続ける彼女の頭の中は、いかにして登校を成功させるかのみで埋めつくされており、すでに母親との確執は記憶の片隅にすら存在していなかった。
やがて少女は嫌がっていたはずの勉強もするようになった。
とはいっても学校で習うような内容ではなく、登校を成功させるための勉強だ。そのほとんどが魔法に関するもので、苦手としていた身体強化や攻撃魔法、さらには危機回避のための短時間の未来予知まで習得した。
そして挑戦開始から二週間。
ついに少女は校門をくぐることに成功した。
「だっしゃあああああああ!」
叫ぶ少女を校庭にいる生徒達が注目するが、連日通学路で転がり続けた少女からは羞恥心という物など完全に失われている。
泥と血に汚れた制服のスカートを揺らして少女は中学校の校舎に入り、二階にある教室へと向かった。
妨害はなかった。
ついに呪いの精霊を屈服させたのだと歓喜する少女だったが、教室の扉を開いてそれは間違いだったことに気付く。
教室の中には、誰もいなかった。
現在時刻は午後四時。放課後。すでに授業の終わった教室に来ても、登校したことにはならない。
少女は崩れ落ちて悔し涙を流し、地面に拳を打ち付けた。
いつも通りの敗北の風景だった。
次の日、少女は慎重に登校を行うという安全手段を放棄した。
自転車にまたがり、魔力で限界まで身体を強化し、全力でペダルをこぐ。
車を追い越し風を追い越し自転車の出せる限界速度を超えて通学路を爆走した。
不幸が身に降るかかるより、早く、速く、何よりも速く学校へと。
幾度となく道を阻んできた暴走ロボットの脇をくぐり抜け、決闘を繰り広げていた魔法生徒をはね飛ばし、一呼吸する前に散布ガス地帯を突破する。
そして、自転車が崩壊した。
人の領域を越えた酷使に安物の自転車が耐えきれなかったのだ。
少女は地面へと投げ出され、慣性のままに車道を転がり、階段を滑り落ち、壁に激突することで停止した。
それを見ていた通行人はまたいつもの奴かと呆れ、携帯電話で冷静に救急車を呼んだ。そして少女もいつも通りその日のうちに病院を後にした。
自転車を失ってしまった少女は、文明の器具に頼ることをやめ自身の身体に全てを託した。
自転車とは違い柔軟な動きを可能とする肉体での疾走は、障害物を避け壁を乗り越え水上を道とした。
「うははははははは!」
学校が視界におさまり少女は勝利を確信した。
呪いの精霊討ち取ったり。
だが、呪いの精霊はその幼い慢心を軽々と打ち砕く。
偶然巡回を行っていた学園広域指導員である魔法教師に速度違反を見咎められた少女は、強化された動体視力でも追えない速度の拳を叩きつけられ、足場としていた川の中に沈んだ。
完全なる敗北。だが少女はこの方法に賭けた。
次の日も次の次の日も次の次の日も少女は路上をその肉体で爆走する。
魔法の強化を行ってのその全力疾走は日に日に速度を増し、やがて見習い魔法使いの域を超え、一人前の魔法戦士が辿り着く速さに到達した。無論彼女にはそのような自覚は無いのだが。
生物の領域から足を踏み外した少女に対し、呪いの精霊は学園広域指導員を使って妨害を続ける。
少女が何度拳を食らおうともその攻撃を見切ることは出来ず、やがて少女は学園都市の最高権力者の前へと連行された。
最高権力者、麻帆良学園の学園長は、本校の女子中等部に仕事部屋を構えている。
その学園長室で少女は正座をさせられ、学園長と魔法教師達から説教を受けていた。不登校地獄の呪いがありながらこの学園長室に入れたのは、彼女がこの校舎の生徒ではないからだ。
学園長達の説教は一時間以上続いた。もちろん少女はその説教を真面目に聞く気など皆無であり、正座で足をしびれさせながらもいかにして登校を成功させるかを考えていた。
速度をもってしても不登校地獄を攻略することは不可能だ。あの学園広域指導員はどうあがこうと対抗できる存在ではない。
そして彼女は、速度とは正反対の方法を使うことに決めた。
その日、通学路を歩く通行人達は、見慣れた少女の見慣れぬ姿を見て驚愕した。
この数週間で幾度となく救急車で運ばれていた奇妙な少女。
奇行は目立つが見た目は普通だったはずの少女が、見た目まで普通ではなくなってしまっている。
キャンプでも行くのかという大量の荷物を背に負い、交通安全と書かれた黄色いヘルメットを頭に被っていた。
少女は登校を成功させるために、長期戦を挑んだ。
今までは登校に失敗するたび家に帰宅していた。学校まで到達しても放課後になっていたらそこで終わり。始めからやり直しだ。
そこで彼女は、家に戻らず外で夜を明かすことにした。背中の荷物は家の倉庫にあったキャンプ道具だ。
もちろん病院送りになっては家からのやり直しになることは変わりない。何が起こっても絶対に倒れないよう、少女は今まで以上守りを固め周囲への警戒を強めた。
そして、守りを固め登校しようとする少女に、いつもの不幸が襲いかかった。
戦車が突撃してくる。魔法の障壁で弾き飛ばして横転させた。
多脚ロボットが暴走する。魔力をこめて殴り飛ばした。
どこからか逃げ出した羊の群れが道を埋めつくす。空を歩いてやりすごした。
いつか見た侵入者が襲いかかる。ロボットの光学兵器で焼き尽くした。
青カビ兵器がばらまかれる。風の魔法で吹き飛ばした。
一般人に魔法を目撃されることなど気にしていない。そもそも魔法を使わなければ身を守れない事件を起こす方が悪いのだ、と少女は開き直っていた。
少女が学校の前に付く頃には、すでに日は落ちかけていた。
作戦の第一段階を達成した少女は、学校の近くにある桜並木の下にキャンプを構えた。
学校の中で夜を明かすわけにはいかない。昨今の学舎というものはセキュリティが厳しいのだ。麻帆良学園都市ともなれば、魔法的なセンサーが設置されていても不思議ではない。
テントの中で食事を取った少女は、消耗した体力と魔力を回復させるため目を閉じ瞑想を始めた。眠るなどという無防備な行為はしない。彼女は徹夜で夜を明かすつもりだった。
身体を休めるうちに時間は過ぎ、夜も深まった頃、新たな妨害者が少女の元へとやってきた。
吸血鬼を名乗る幼女。幼女に血を頂くぞと言われた少女は丁重に断り、殴り飛ばした。
幼女が怒って魔法の矢を飛ばしてきたので、殴り飛ばした。
糸を操って動きを止めようとしてきたので、殴り飛ばした。
妙な人型ロボットを援軍に呼んだので、殴り飛ばした。
ロボットが光学兵器を撃ってきたので、殴り飛ばした。
数えるのもおっくうになる回数殴り飛ばしているうちに空が白みはじめ、幼女とロボットは空を飛んで帰っていった。
ロボットは学校の制服を着ていたので、きっとどこかの学生で登校の準備があるのだろうと少女は推測した。
ロボットが学校に通うことを不思議に思う感性は、この数週間で完全に消え去っていた。
その後、妨害者が少女の前に現れることは無かった。
呪いの精霊もいい加減ネタ切れを起こしたのだろう、と少女は勝利を確信しかけたが、すぐにその思いを打ち消した。油断が命取りになると身をもって学習していた少女が、慢心で警戒を怠ることは無かった。
そして時刻は午前八時。少女はテントを片付け校舎へと向かい、校門をくぐり抜けた。
予想していた妨害が訪れることは無く、玄関で靴を脱いで校舎へと入る。上履きに履き替えることはしない。下駄箱を開けた瞬間に仕掛けられていた爆弾が作動する可能性などいくらでもあるのだ。
階段を上がり教室へと向かう途中、廊下の向こうから教師が歩いてくるのを見つけた。
ヒゲにグラサンの担任教師。魔法を知る教師でもあり、少女にかけられた呪いを知る一人でもある。
担任教師に向かって少女は学生特有の気をつけ姿勢を取り、宣言した。
「不登校地獄を克服しました。本日から学校に復帰します」
それを受けた教師は、しばし無言。
数秒の沈黙の後、渋く重たい声で喋り始めた。
「わざわざ来てもらったところで残念だが……」
教師は、申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに言った。
「今日から春休みだ」
-おわり-