ヨハンがチュワンに問いただそうと部屋を出たのと、チュワンがヨハンの部屋へ入ってくるのは同時だった。
チュワンは部屋に入るなり目の前に現れたヨハンの顔を、躊躇なく殴り飛ばした。
「やはりこの世界じゃだれも信用できねぇようだなぁ! あぁ?」
完全に勢いを削がれてしまったヨハンは、殴られた鼻先を押さえながら地面に倒れたままだ。そんなヨハンを見てチュワンは続けた。
「てめぇヨハン、俺たちを売りやがったな。タダで済むと思うなよ」
「待て、待ってくれ。何の話をしている」
今にも追撃の一撃を浴びせんとするチュワンを、やっとのことで立ち上がったヨハンが手を前にかざしながら遮った。
「売るって……何のことを言ってるんです。それどころか裏切ったのはあんたの方じゃないんですか」
ヨハンはつい数分前にユズからのメールを受信し、バルバロスが静養中のゲーミングチャイルドを使って海賊行為を行っている事実を掴んでいた。
これを裏切りと感じたヨハンはチュワンに直接問いただそうとしていたのだ。まさか自分が裏切り者扱いされ、殴り飛ばされるとは夢にも思っていなかったのである。
ヨハンの言葉を聞いたチュワンは、不気味とも思えるほどにあっさりと怒りに震えるこぶしを解いた。
ヨハンはそれに気づかず、ムキになって自分の言い分を続けた。
「海賊だからってやっていいことと悪いことがあるでしょうよ。
なんで子供が多いのかと思ったら、とんだ外道じゃないか!」
言っているうちに頭に血が上ってきたヨハンは、勢いに任せてチュワンに殴りかかった。
チュワンはそれを受けてやるつもりでいたが、そこに割って入った新たな声によってヨハンのこぶしは止められた。
「待ってください!」
「ユキ……」
ユキはチュワンからの急の呼び出しに応え、この部屋にやってきた。
呼び出し自体は珍しいことではなかったが、ヨハンの部屋へ来いというのが気になり走ってやってきたのだった。
この制止にはチュワンも驚いた顔を浮かべた。彼はユキがヨハンと親しくなっていたのを知り、彼女を使えばヨハンに自白を促すことができるかと考えていた。
しかし、ヨハンには何かを隠している様子はまるでなく、もう少し話を聞いてみるつもりでいたのだ。清算のつもりで殴られるつもりでいたチュワンは、つまらなさそうにユキに問いかけた。
「なんで、止めた。俺が殴らるのをなんでお前が止める」
不機嫌なチュワンに怯えるユキだったが、それでもしっかりと答えた。
「あの、だってチュワン様が殴られそうだったし……。それにヨハンにも殴って欲しくなかったので」
「でも、君達は療養中のゲーミングチャイルドなんだろう?チュワンをかばう理由がどこにあるんだ」
ヨハンはずっと気になっていたことを、遂に聞く決心をした。
今までも時折、なぜチュワンについていくのかそれとなく聞いたことはあったが、そのたびに困った顔をするため深くは詮索してこなかった。
しかし、チュワンの所業を知ったヨハンは、聞かないわけにはいかないと感じていた。
「チュワン様は……」
ユキはヨハンが本気であることを悟り語りだそうとしたが、今度はそれをチュワンが遮った。
「今大事なのは、ヨハンがここを外にバラしたかどうかだ。正義感に駆られて通報とかな」
「通報って、地球連邦がここに向かってるって話のことですか?それも併せて、さっき聞いたんですよ」
ヨハンも次第に状況が飲み込め、なぜ自分が裏切り者の疑いをかけられていたかを察した。
つまり、攻めてくる艦隊の手引きをしたのが自分ではないかと疑われていたのだ。
「でも、それならあんたを突き出して解決なんじゃないですか」
ヨハンは間抜けにもチュワンに向かってあっさりと言い放った。
チュワンの額に血管が浮かぶが、ユキがヨハンに反対した。
「ダメなんです。あの人たちにここを渡しちゃ……」
「なんでだ。もともとここは地球連邦軍の所有物なんじゃないのか」
「そうなんですけど、その」
どうしても先を言い出せないユキに変わって、チュワンが続けた。
「旧連邦時代からな、慰安施設なんだよここは」
「慰安?」
「このいかれた世界でのストレス発散のためのはけ口。病院を置いといたら、自然とそういう使い道になるだろ」
「な……」
絶句するヨハン。
現実世界で彼が住む国は治安が良く、そういったニュースは遠い異国での話であったが、今彼のいるGBWFではこんなにも身近なところで行われていたのだ。
彼の反応はチュワンには予測済みであったのか、構わず続けた。
「なんであれ、俺の今の拠点はここだ。
黙って奪われるわけにはいかねえんだよ」
チュワンは端末を操作すると、ユキに声をかけた。
「おい。アレ、使えるか」
「あ、えっと。はい、動かせます」
「それでいい。出す準備をしろ、今すぐだ」
チュワンはバタバタと走って部屋を出ていくユキを見送った後、ヨハンに向き合った。
「おい、お前はどうする。
戦うのか、それとも俺を突き出すのか。
ここで決めろ」
「俺は……」
ヨハンには、とっさに答えることができなかった。次々と襲い掛かってくる問題に対応できるほど、彼の頭は柔軟にはできていなかった。
そして、チュワンはこうした人間の扱いをよく心得ていた。チュワンはヨハンの胸ぐらをつかむと、鼻先が触れそうなほどに顔を近づけ、怒鳴った。
「わかりやすく言ってやる。
ここで俺に殺されるか、戦って逃げ延びるか。
選べ!」
チュワンの怒声はヨハンの思考をはっきりさせた。
そもそもチュワンがおとなしく捕まるなどという選択肢を選ぶはずがない。
答えは既に決まっていたのだ。
「……俺も出る、出ます。ここで死にたくはない」
「それでいい。お前も早く準備しろ!」
チュワンは胸ぐらをつかんでいた手を突き放し、口が裂けたような笑みを浮かべた。ヨハンはそれにぎこちない笑顔で答えると走って格納庫へと向かった。