IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第8話 「白式、起動」

 夜、IS学園寮の一室に無機質なタイピング音が響く。

 明りが消えた部屋で、怪しく光を放つディスプレイ。時折聞こえる、マウスをクリックする時のカチカチ、といった独特のプッシュ音。カリカリ、と高速で雪崩れ込む情報を素早く処理していくハードディスク。

 そのパソコンの持ち主、朴月姫燐は一心不乱に机へと向かっていた。

 少し疲労が浮かんでいる双眸は右から左への往復のみを繰り返し、眠気対策のために入れておいたホットコーヒーはすっかり冷めてしまっている。

 

―――今日までに、仕上げなきゃな。

 

 授業が終わり、友人たちに別れを告げた後、姫燐は夕食すらとらずにずっとパソコンの前にかじり付いていた。理由は簡単、必ず出さなければならない『報告書』の期日が目前まで迫っていたからだ。

 面倒とはいえ、ミッションを円滑に進める為の必須作業だ。

 怠っていざという時に「情報不足でした。お許しください」。では、済まされない。

 それほどまでに、このミッションの重要性は大きいのだ。

 

「……次」

 

 1つの作業が終わり、また別の、今度は第三アリーナのデータを打ち込んでいく。

 広さ、詳細構造、監視カメラ、出入り口の数、緊急時のセキュリティ、脱出ルートetc……

 セシリアとの戦いや、一夏との訓練ついでに集めたデータに加え、後日みずから調べ上げた情報を頭の中でまとめ、無表情でキーボードを弾いていく。

 

「ふぅ……」

 

 そしてそれが一段落ついたところで、ようやく姫燐は背もたれに背中を預けると、完全に冷めきったコーヒーを飲んで、気分転換の一息をついた。

 我ながら、あくどい事をしている。

 クックック……と笑いをかみ殺し、彼女はディスプレイに映る、完成した第三アリーナの詳細なデータを改めて見直す。

 これなら、滞り無くミッションは成功するだろう。

 自惚れではない。何度頭の中でシュミレートしても結果は常に同じ。不測の事態も考えられない訳ではないが、それでも彼女達ならきっと上手くやってくれるはずだ。

 

「パーフェクト……完璧、だな」

 

 あとは、コイツを本部へと送信するだけなのだが、別にこのコーヒーを飲み終わる位のロスがあっても誰も文句は、

 

 ―――コンコン

「姫燐……居るか?」

「ッ!!?」

 

 背後から響いた第三者の声とノック。一夏では無い、女性の声だ。

 そして、自分のことを『姫燐』と呼ぶ人間は、この学園に1人しかいない。

 

「んー箒かー? すまーん、ちょっと待ってくれー」

「あ、ああ……」

 

 焦りを殺し、平常通りの声を出したつもりだったが、問題無かっただろうか。

 激しく警鐘を鳴らす心臓を無理やり黙らせ、驚いた衝撃で少しこぼしてしまったコーヒーを忌々しげに机の上に戻し、マウスをいじってデータを保存。そして、ウィンドウを閉じる。これで、問題無い。大丈夫だ。

 姫燐は立ち上がるとドアのカギを開け、突如やって来た来客を出迎えた。

 

「どうしたんだ、こんな時間に珍しい」

「少し……話したい事があってな……」

「話したいこと?」

 

 こんな時間になんだ、と一瞬思案するが、彼女が自分に相談しそうな事と、赤くなった―――おそらく、先ほどまで泣いていたのであろう眼が、姫燐に大体の察しをつかせた。

 

「まーた一夏と何かあったのか」

「っ!? な、な、な!?」

「わっかりやすい奴だなぁホント。とりあえず入れよ、誰かに聞かれちゃ嫌だろ?」

 

 エスパーでも見る様な視線で自分を見る彼女に、姫燐は呆れのため息を付きながら箒を部屋に上げた。

 箒にはベッドに座るように言い、向い合う形で姫燐は先ほどまで座っていた机の椅子に座る。

 

「で、今度は何があったんだ?」

 

 一昨日、あのショッピングモールで起こした事件のあと、トレーニングも姫燐が監修を入れることで、以前より遥かに現実的なモノに改善されたし、襲撃のことも後で箒から聞いたのだが、何も言わずにサボった自分にも非があったため、一夏はあっさりと彼女を許したそうなのだ。

 これにて一件落着……な筈なのに、昨日の今日でなんでまたこじれるのだろうか?

 ギャルゲーでもこんなに短期間にトラブルは続かねぇよ、と心の中で呆れながらを付きながら、姫燐は箒の話を聞く。

 

「実は……だな、その……むぅ……」

 

 あまり他人に、自分の心情を語ることに慣れていないのだろう。

 顔を赤くして、自分の気持ちをどう言葉にすればいいのか考えあぐねて、じっくり1分ちょい。

 まだ時間がかかりそうだな。と、姫燐は残ったコーヒーを一気に口に含み、

 

「今日……だな、一夏に告白したのだが……」

「ブフゥッ!」

 

 全部、壮大に噴射した。

 

「ま、まーた、ずいぶんと思いきったな……」

「やっ、やれと言ったのは姫燐の方ではないか!?」

「…………あ」

 

 そういえば、そんな事をノリと勢いで口走った記憶が薄らと。

 しかし、どうやら彼女の一生一代の大勝負は、パッピーエンドには終わらなかったらしい。

 もしここで箒の告白が成功しているなら、彼女の眼が赤く腫れることは無いし、実は成功した嬉し涙でした。というオチがありえないのも、その沈み切った表情から推して知るべしだろう。

 

「まぁ……オレはそんな経験が無いからなんて言えば良いか分かんねーけど……いい男ってのも一夏だけじゃないんだ。そう落ち込みなさんなって。それに少し視野を広げれば同せ……」

「い、いや、決してふられた訳じゃないんだ。ふられた訳じゃ……」

「……ふられたんじゃない?」

 

 はて、どうにも腑に落ちない。

 姫燐が知っている告白というイベントには、結ばれるか、ふられるかの2種類しか結末が無い。

 ―――まさか、逃げられた?

 いや、箒のベン・ジョンソンな脚力なら、いざとなれば無理やりにでも一夏を取り押さえることができるはずだ。それに姫燐の記憶では、アイツはそこまで救いようが無いヘタレではなかった様に思える。

 

「じゃあ、どうしたってんだよ?」

「……なぁ、姫燐」

「ん?」

 

 箒は俯きながら胸に手を置くと、一度息を大きく吸って、吐いて。

 そうして顔を上げ、熱っぽく、それでいて憂いを秘めた表情で口を開き、言葉を紡いだ。

 

 

「……篠ノ之箒は……あなたのことが、好きです」

 

 

 その呪詛は姫燐の耳から侵入し、彼女の脳へと到達すると、一瞬にして身体を制御する全神経を犯した。

 理解不能、解読不能、規律不能。

 五体に一切の力が入らず、椅子から転げ落ち、思いっきりフローリングの床に顔面を打ちつける。興奮と強打でボタボタと紅い雫が鼻から滴るが、それを意にも関せず姫燐は何とか立ち上がろうと四つん這いになり、ふと途中で先ほどの言葉をリフレインさせて、

 

「我が一生に一片の悔いなしッ……!」

 

 そのまま紅いアーチを作って、仰向けに倒れた。

 

「き、姫燐!? どうした、姫燐!?」

「へ、へへっ、わ、悪いな箒。どうやら、オレはここまでらしい……」

「な、何が!? 何がここまでなのだ姫燐!?」

「この姫燐、天に帰るのに人の手は借りぬ……」

「姫燐、まて逝くな! きりぃぃぃぃぃん!!!」

 

 そうして意識を手放した姫燐の寝顔は、大業をやり遂げた漢の顔だったと、後の世は語ったという。……訳もなく10分後。

 

「と、いう夢を見たんだ」

「いや、夢ではないぞ……」

 

 ベッドに寝かされた姫燐が意識を取り戻した直後、今までのことを全て夢で片付けようとした彼女に、即座に箒のツッコミが入る。

 

「ふぅ……悪いな箒、いやマイワイフ」

「……本当に大丈夫か、色々と」

 

 若干、本気で引かれているのにも気付かずに、まだ頭の悪さが止まらない姫燐。

 

「いやいやだってねようやく緻密に練って来たけど半分以上諦めかけてたフラグを回収できたんだよ? この喜びを何に例えようか例えば3本買って来たアイスが全部当たりだった時と例えようかアレしょぼくね? と君は思うかもしれないが以外とこういう小さな喜びから人類は宇宙にエントロピーを」

「さっきの言葉を!! 今日、私は一夏に言ったんだ!!!」

「……へ?」

 

 いい加減に苛立ちが募った結果、思わず大声で姫燐の電波を無理やり遮ってしまう箒。

 

「……ああ、そうだよな……そんなこったろうとは思ってたんだけどな……」

 

 言葉の冷水をぶっかけられ、ベッドに俯けに沈む姫燐。

 ブツブツと枕に小言をぶつける彼女に、箒は傷付けてしまったのだろうかと、人付き合いに慣れない自分を恨むが、完全に杞憂である。その証拠に、次の瞬間にはもうケロッとした様子で、

 

「で、さっきの言葉を言ったんだよな。一夏の奴に」

「そ、そうだ……確かに言ったんだ。だが……」

「まさか、あのバカ。『ああ、俺も好きだぜ箒。俺達、最高の幼馴染だよな!』とか、ほざいたんじゃ……ああ」

 

 なんで知っているのだ。と口よりも雄弁に語る箒の表情に、全ての合点がいった。

 些細な違いはあれど、どうせ似たような事を言ったのだろうあの大馬鹿は。

 この前のデートで少しはマシになったと思っていたが、箒へのこの仕打ちを見るとなぜか以前よりも酷くなったようにすら思えてくる。

 あれだけのど真ん中直球ストレートで決めても討ち取れないとくれば、実はあの男は自分と同類で、同性にしか興味が無いのかとすら錯覚してしまう。

 

「なぁ、姫燐、教えてくれ。私は、これ以上どうすればいいのだ……?」

 

 涙を浮かべて、姫燐に答えを問う箒。

 ハッキリ言って姫燐の方がその答えを聞きたい位だが、まだ具体案が思いつかない以上、下手な助言はできない。しかし、今すぐにやらなくてはいけないことだけはハッキリしている。

 姫燐はゆっくりと立ち上がると、

 

「なぁ箒、オレはハッキリ言って男との恋愛経験は無いから、ここまでどうしようも無い奴の振り向かせ方は分からない。けど、また考えておくから今日はここに泊っていきな。アイツと顔合わせ辛いだろ?」

 

 おもむろにタンスの中を漁り、麻袋と丈夫な縄と金属バットを取り出した。

 

「その提案は有難いが、その、それは一体、なんだ? 何をするつもりなんだ」

「ん、ああ。オレは今から、ちょっと」

 

 にぃ、と凍える様な笑顔を姫燐は浮かべて、

 

「人狩り、行って来るわ」

 

 バタン、とドアを閉めた。

 翌朝、女子寮にある噂が立ちのぼる。

 深夜、肉が潰れる音と一緒に、必死に抵抗するような物音と、痛みに呻く、くぐもった苦悶の声が、どこからか聞こえてくるという……。

 

 

 第八話 「白式、起動」

 

 

 クラス代表戦が数週間後に控えたある日の放課後。

 姫燐達は、数日前にようやくやって来た一夏の専用機、「白式」のテストを兼ね、もうすっかりおなじみの第三アリーナに集まっていた。ちなみに今回はちゃんと正式な手続きを踏んで使っているため、余計な事を心配する必要も無い。

 代わりに、個人ではなく「1年1組」として登録せねばならなかったので、余計な人員はいくらか居るが……その様な事を一々気にしていては、年が明けても訓練なんぞできないだろう。実際に彼女達が確認した、アリーナ使用のスケジュール帳もそう語っていた。

 クラスメイト達が放つ好奇目線の集中砲火に居心地の悪さを感じながらも、姫燐と一夏は予定していた訓練を開始した。

 

「うっし、一夏。起動してみろ」

「ああ、こい……白式!」

 

 姫燐の声に、アリーナの真ん中で特注の男用ISスーツに身を包んだ一夏は眼を閉じ、掛け声と共に右腕を突き出すポーズを取る。

 ISという兵器を扱うにあたって最も重要な要素は、イメージである。言いかえれば想像力とも言えるだろうか。

 兵器としてそれはどうなのか、と聞かれれば、こちらも小首を傾げるしかないが、実際問題そうなのだから仕方ない。

 装着する際、このISという兵器はどういう仕組みか所有者の意思意図を読み取って、瞬時にその装甲を展開、装着することができる。その時、所有者の頭には『その装甲を呼びだして装着する』という意思が発生し、その工程をイメージしなくてはならない。

 当然、イメージが速く、精確であればあるほど装着に時間を浪費することはなく、時を無駄に削らないという事は、古今東西いかなる状況においてでも非常に喜ばしい事である。

 その点では彼、織斑一夏は中々に優れた才覚を持っているようだった。

 右腕に装着していたガントレットから出た、光の膜が彼の全身を包む。

光は徐々に激しさを増し、腕、脚、胸、肩、頭。五体の全てに白の、汚れ無き雲を思わせるほどに真っ白な装甲が展開されていく。

 そして光が収まった先に立っていたのは、世界最強の装甲を身に纏う事を許された、世界唯一の男の姿。不覚にも、姫燐はその姿に一瞬見惚れてしまった。それ程にこの機体は、雄大で、力強く、美しかった。

 

「これが……俺のIS」

 

 その名に相応しい白となった両腕を、まじまじと見つめる一夏。

 自分が憧れる強さ、その結晶とも呼べる最強の現代兵器。

 彼の、織斑一夏のためだけに創造された、インフィニット・ストラトス。

 

「白式……か」

 

 いやがおうにも、やかましい心臓の動悸が止まらない。

 この時、周りにいた女子達のまるで街かどでアイドルにでもであったかのような喚きも、一切一夏の耳には届いていない。

 今、この世界に居るのは自分と、白式だけ。

 そんな錯覚すら覚えるほどに、一夏は興奮を覚えていた。

 

「うっし、上出来だ一夏。んじゃまずは、武装の確認から……おい、聞いてんのか?」

「え……あ、ああ。悪りぃキリ」

 

 姫燐の声によって、ようやく現実へと戻って来た一夏は、言われた通り白式に積まれた武装を確認しようとして、

 

「……なぁ、キリ」

「やらせたい事をイメージしろ。大体のことは、それだけで出来るようになってる」

 

 彼の質問を予想していたのだろう。要件を聞く前に答えを言う彼女に、敵わないなぁ、と少しバツを悪くしながら、一夏は頭から機体へ、伝令を走らせる。

 

(この機体の武器は……何だ?)

 

 白式は主に対する返事の代わりに、一夏の目の前に薄く青いディスプレイを展開させる。

 

(おお……)

 

 数週間前までは、普通にボタンを押したりしなくては言う事を聞かない機械しか扱った経験が無い一夏にとって、このISという機械は、非常に感動的な代物であった。……掃除機と、現代最強の兵器を比べるのも、色々とアレなモノだが。

 そんな庶民的な感動もそこそこに、一夏はディスプレイの内容に目を走らせる。

 まず、最初に目に飛び込んできたのは、独特の形状をもった日本の魂。

 

「ほぉ、刀か」

「これ……千冬姉の……」

 

 一夏は、この刀に見覚えがあった。

 自分の姉、織斑千冬が優勝を果たし、その名を全世界に知らしめたISの世界大会。第1回モンド・グロッソで操っていたIS『暮桜』が扱っていた刀。

 ディスプレイに、その名が浮かぶ。

 

「雪片弐型……千冬姉の武器……」

「へぇ、出してみろよ一夏」

「あ、ああ」

 

 姫燐に言われるがまま、一夏はその手を伸ばして、

 

「キ」

「イメージだ」

 

 もう少し人の話を聞いてくれてもいいのではないか。と、少し拗ね、同時に自分が聞きたかった答えであることに妙な悔しさも覚えつつ、それらを邪魔だとふり払い、一夏はまた想像する。

 己の手に意識を、切り裂く刃を、姉と同じ力を……!

 瞬間、装着したときと同じような光が手から棒状に伸びていき、鍔の無い刀の形を形成すると同時に、弾ける。

 光が弾けた場所には、先程までは姿形すらなかった一本の刀……『雪片弐型』がしっかりと握られていた。

 この機体を作ったのは誰だか知らないが、味な事をしてくれる。

 自分が憧れた力、自分を守り続けてくれた力、自分の大切な家族を守り続けてきてくれた力。それと全く同じ物を、自分に授けてくれるだなんて。

 一夏の口元が緩んでしまうのも、無理らしからぬことであった。

 

「……弐型ってことは、スキルもアレってことか……? だが、あんなもんトーシロには……」

 

 対象的に姫燐は雪片を見て、難しい顔でなにやら独りブツクサと呟いているが。

 

「ま、いいか。んじゃ次だ、他の武装は何がある?」

「おう、ちょっと待ってくれ」

 

 流石に何度も言われて学ばないほど、彼も馬鹿ではない。

 ISに、他の武装は無いのかと、脳内で命令を飛ばす。

 のだが、

 

(……あれ?)

 

 何度イメージしても、ディスプレイには雪片弐型しか映らず、一向に他の武装が移らない。弾の家でよくやるゲームで見たライフルとか、ミサイルとか、レールガンとか、とっつきとかを予想していただけに、肩すかしを喰らったような気分になる一夏。

 

(壊れてんのかな?)

 

 流石に、今日起動したばかりの機械が壊れるなどとは考えにくいが。とは思いながら、何となくディスプレイをコンコン、と叩く一夏。社会をひっくり返したスーパーウェポンであろうとも、やはり彼の中ではテレビか何かとそう変わらないようである。

 

「どうした、一夏。やり方なら」

「いや、そうじゃないんだ。さっきから命令してんだけど……」

 

 ふーん! と、気合を入れて唸った所でやはりディスプレイはうんともすんとも言わずに雪片弐型を映し続けるのみ。どうやらこれは本格的に、

 

「なぁキリ。ISも保証期間内なら修理できるよな? あーでも、そもそも契約した覚えないし、保障ってあるのかな?」

「……一夏、お姉さん怒らないからいっぺんだけ聞かせろ。お前は、ISを、一体何だと思ってんだ? もしかして、電気屋とかに並んでる掃除機とかテレビとかと同類に思ってないだろうな?」

「んなわけないだろう、いくらなんでも値段が違いすぎる」

「………………」

「「「………………」」」

「………………?」

 

 姫燐どころか、先程まであれほど騒いでいた周りのギャラリー達も沈黙するこの状況に、自分は何かとてつもなくマズい事を言ったのかと思案を巡らせ、

 

「ああ、そうか」

 

 ようやく合点がいったのか、手の平に拳をポンと乗せると、

 

「そうだよな、ISは電気屋には置いて無いもんな」

「「「そこじゃねぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」」」

 

 一夏はやはり、姫燐を含む、この場に居る女子達全員の異議に、首を傾げるしかなかった。

 

               ●○●

 

 一通りの情報を教えた後、急に黙って独り言に没頭しだした協力者に一夏は声をかける。

 

「おーい、キリ?」

「……どうしろって………刀一本……?」(ブツブツ)

「おーい、俺の話し聞いてる? 君にこの声が届いていますかー?」

「冗談キツ……まだ訓練機のほうが……」(グチグチ)

「……………」

「誰だよ……こんな産廃……送って……新手の嫌がらせ?」(グダグダ)

「……あ、ポロリ」

「どこだぁ!!!」

 

 ボソッと呟いた一夏の一言に、先程まで複雑に展開していた思考を一瞬でぶっちぎり、欲望のおもむくままにバッと顔を上げて、首を半信半疑あっちこっちする姫燐。

 恐るべき反応速度で周囲の女子全員を見渡し、眼球を不気味な位にギョロギョロ動かし、その服装に一片の乱れが無いことを確認すると小声で、

 

「……おい一夏、ポロリは? オレのポロリは何処へ行ったんだよ?」

「そうだよな、お前はそういう生き物だもんな……」

 

 泣いてないよ……と、明後日へと視線を向ける一夏。

 その様子に眉をひそめながらも、とりあえず一応の完成を迎えた意見を姫燐は口にした。

 

「あー、コホン。とりあえずだ。お前の専用機……白式なんだが、オレの見立てでは、お前が傷つかない様にマイルドに表現するとだな―――」

「……ゴクリ」

 

「文句のつけようも無い、完膚なきまでの『欠陥品』だよ、コイツは。この機体を作った奴は『戦闘』をこれっぽッちも分かってねぇ」

 

 姫燐の前フリも虚しく一夏が見るからにヘコんでいるが、そうとしか言いようが無いのだ、実際。

 

「まず、搭載されてんのが接近戦用の『雪片二型』だけ。この時点で舐めくさってる」

 

 確かに雪片は、非常に強力な武装だ。

 ISには、パイロットを攻撃から守る不可視の防壁『シールドバリア』と、それを貫通された時に発動する『絶対防御』という2つの防御機能がある。

 このシールドバリアは非常に堅固で、万全ならば戦闘機に搭載されるようなバルカンですら弾く圧倒的な強度を持つ。ISが現代最強の兵器と言われる所以だ。

 さらに万が一シールドバリアを突破されても、続く絶対防御は更に堅牢で、パイロット本人に通る攻撃を全てシャットアウトする。つまり、致命傷となりうる攻撃を自動で防御する反則級の防衛機能。

 故にIS同士の戦闘では、この防衛機能を形成するためのエネルギーを如何に消耗させ、相手の盾を消すことこそがもっとも基本的で、重要な戦術なのだ。

 しかし、この刀。『雪片二型』には、その常識が通用しない。

 この雪片が、実際に千冬がモンド・グロッソで使っていたあの雪片ならば、相手のシールドバリアを無効化し、その内側にある絶対防御を消滅させる能力を持っていたはずだ。

 つまり言ってしまえば、相手を盾ごと両断する力。

 防御不能というアドバンテージは、非常に強力である。

 ISという兵器は、防御をシールドバリアと絶対防御に任せているため、デッドウェイトとなるだけの余計な装甲を極力削っている機体が非常に多い。その分を他の機能に回したほうが有用だからだ。

 装甲を極力まで削った機体に、装甲で受け止めるしかない攻撃が入れば、どうなってしまうだろうか。答えは述べるまでもない。

 一撃必殺。それが、白式の刃。

 

「そう、雪片は確かにすげぇ武装だ。だけどな」

 

 確かに、雪片はISの根本すら無視できる兵器だ。相手からしてみれば充分に警戒の必要がある。

 

「それ『だけ』じゃ相手は警戒こそしても、脅威とはなりえないんだ」

「ど、どういうことだよ。姫燐」

「んじゃ、分かりやすい例えをしよう」

「例え?」

「お前は今、銃を持っている。銃弾も入ってるし、整備も万全。安全装置も外れていて、後は狙って撃つだけの代物だ」

「ん……? ああ」

「そんなお前の前に、ナイフを持った暴漢が現れた。そいつはお目々ギラギラ息をハァハァ身体ガクガクさせながらお前にナイフを突き付けて、今にも襲いかかってこようとしている」

「あ……あぁ」

 

 なんだか、妙に嫌でリアルな暴漢である。

 

「さて、質問だ。お前は、コイツが怖いか?」

「……んー」

 

 確かに、ナイフを持った暴漢は充分に恐怖すべき対象であるが、こちらには銃がある。流石に人を撃つのは気が引けるが、それでもいざとなれば自分はほぼ確実に、この男を止めることが出来るだろう。

 

「あんまり、怖くねぇな。人を撃つのはちょっとアレだけど、少なくとも脅威ではないかな」

「だろ? そして、その暴漢はお前だ。一夏」

「はぁ!?」

 

 いきなり何を言い出すのだろうかこの娘は。

 まさか、自分は彼女にとって、そこまでの危険人物と見られていたのでは……

 

「あー、言い方が悪かったな。お前の機体は万全な状態のIS相手なら、その暴漢と同程度の脅威にしかならねぇってことさ」

「む……」

 

 言いたい事は分かる。だが、一夏は釈然としない。

 実際に千冬はこの武器一つで、全世界の数々の猛者たちを打ち破り、世界一の座について見せたのだ。この白式は千冬と同じ武装を持つ。即ち、千冬が勝ち取った『世界最強』の実績を持つということと同じなのだ。

 それをただのそんじゃそこらの暴漢と同レベルと扱われるのは、彼にとって「ハイそうですか」と、黙っていられることではなかった。

 

「ようし、だったら一回実戦で示してくれよ。この白式が本当にお前の言うような欠陥品かどうかをな」

「ほぅ……ま、慣らしには丁度いいか。オーケー、やっぱり、こういうのは口であれこれ教えるより、一度身に沁みた方が確実に覚えるからな」

 

 温和な時が流れていた2人の空気に、亀裂が走る。決して目には見えないその亀裂は、それでも確かに一夏と姫燐の心理的な距離を、果てしなく遠いモノへと引き裂いていく。

 

「え? え? マジ? 織斑くんと朴月さんのマジバトル?」

「きゃー! あたし、朴月さんにおやつのプリン賭けるー!」

「じゃああたしは、特製プロマイドを3枚織斑くんへ!」

「なっ、まさかまだ残存していたのか!?」

「姫燐さんと先程からずっと2人……怨めしや口おしや煩わしや……」

 

 亀裂は何名か例外はいるがクラスメイト達にも伝染し、あっという間に皆観戦モードへと移行していく。

 一夏はあまり、特にここ最近は誰かの視線にいい思い出は無いので少し煩わしく思ってしまうが、逆に姫燐はザッとクラスメイト達を見渡し、ある一点で視線が止まる。

 流れる様な黒髪をポニーテールで纏めた、ムッチムチなバストをピッチピチのISスーツで隠す、性欲を持てあ―――もとい、我が友人の彼女を。

 ――仕掛けるなら今、か。

 

「うっし、折角だからオレ達も賭けをやらないか一夏」

「賭け?」

 

 一夏は突然の申し出に、いったい何事かと一瞬思考を巡らすが、答えは考えるまでもなかった。

 なぜなら姫燐がこのように、口元を最っ高に嫌らしく半月型へと歪める時は、いつも「今からロクでもないことを喋りますよ」の合図であるからだ。

 

「なぁに単純な賭けさ。お前がオレに一撃でも当てたら、お前の勝ち。お前のエネルギーが切れたらオレの勝ち。な、簡単だろ?」

 

 周囲のざわつきが、更に大きなモノになる。

 無理も無い。彼女が出した条件は、この模擬戦、相手を完封勝利してみせる。と豪語しているのと同じなのだから。

 簡単過ぎる勝利条件に、楽観よりも更なる警戒を強めて一夏は尋ねる。

 

「……で、『賭け』って言うぐらいなんだから、何を賭けるんだよ?」

 

 若干ドスの利いた言葉を向けられてもどこ吹く風と、姫燐は飄々とした態度を崩さず顎に手を当てると、

 

「ん~、んじゃオレが勝ったら晩飯はお前のおごりで」

 

 なるほど、まぁ学生同士の賭けとしては無難な所だろう。最悪、目か耳を賭けることを覚悟していた一夏にとっては一安心である。

 だから、一夏はついうっかり忘れてしまっていたのだ。

 姫燐が浮かべていた笑いは、「今からお前に、ロクでもないことをしますよ」という合図であったことを。

 

「んで、逆に。お前がオレに勝ったなら……」

 

 口元に三日月を浮かべたままシレっと、明日の天気でも言うかのように朴月姫燐は提示した。

 

 

「今晩、オレをお前の好きにしていいぞ」

 

 

 先程まで鉄火場と間違えてしまいそうな程の熱気に溢れていた第三アリーナが、液体窒素でもぶっかけられたかのように、シン……と静まり返る。

 ここに居る姫燐以外の誰もが、彼女の発言の意味と意図を図ることが出来ず、フリーズしていた。

 

「聞えなかったか? なら、もう一度言うぜ」

 

 ワザとらしく咳払いして大きく息を吸うと、姫燐は一言一句、ゆっくりしっかりハッキリ言い切った。

 

「お前が、この模擬戦で、オレに一撃でも入れたら、今日一日、お前はオレに何したってオッケーって言ったんだ。何をしようが万事許す」

 

 ズガン!

 沈黙を一番に打ち破ったのは、文字通りの鉄砲玉だった。

 米神辺りに走るヒリヒリとした痛みと、液体が頬を伝う感触。そして重力に逆らえなくなり、数本が風に揺られて落ちて行く自分の髪を見て、ようやく一夏は、自分が撃たれたのだということを認識した。

 

「う、うわぁあぁ!?!?」

 

 情けない声が出てしまうが、ここまで見事な不意打ちだと仕方がない部分もある。

 姫燐の先制攻撃かと彼女の方へと顔を向けるが、ISも展開していないし、なによりも彼女にしては珍しく、口をポカンと開けたまま本気で目を丸くしていた。

 では、いったい誰がと、一夏は辺りを見渡し、

 

「……おりムラァ……イちカぁ……」

 

 居た。蒼い鬼が居た。角も無く金棒も持っていないが、そんなものより遥かにおっかない現代最新最強兵器のISを身に纏って、手に持ったライフルや宙に浮いたビットを全門こちらに向けていた。

 

「Dei……or……kill……or……destroy……chooseing……」

 

 これはアレだろうか。「死ぬか、殺されるか、滅ぼされるか、好きなのを選んでね♪」と言って来ているのだろうか? 当然のようにどれも嫌だ。

 剥き出しに向けられた本気の殺意に、自然と身体がガタガタとマナーモードのように震えだす。自分は彼女に、なにか悪い事をしてしまったのだろうか。考えても、むしろ何もしていないため全く思い浮かばない。

 当然である。彼は完全に、とばっちりを受けているだけなのだから。

 

「Destroy……Destroy・them・all……」

 

 抹殺するだけの機械と化したセシリアに説得は不可能だろう。だったら誰か、助けを呼ぼうと一夏が視線を逸らした先には、

 

「どどど、どういうつもりだ姫燐!? お、おま、お前は何をぉ!?」

「あーいや、落ち着け、落ち着けって箒。涙目でこっちを見上げてくれるのは胸キュンなんだがお願いだから首絞めながら問いただすのは止めて死にます逝きます姫燐トンじゃう」

 

 向こうは向こうで修羅場みたいだ。

 周囲の学友達は、皆揃って首を不自然な方向に向けて明日を見つめている。騒がしい事に定評があるクラスメイト達でも、流石にここで茶々を入れる豪胆さを持つ奴はいない。やはり皆、我が身が大切なよ……

 

「ストップだよせっしー。落ち着いて落ち着いて。ドゥドゥ、ドゥドゥ」

 

 居たよ一人。全く物怖じせず、いつも通りののほほんとした口調で蒼鬼に向かうしんのゆうしゃが。

 駆動音が聞こえてきそうな程に人間味を感じない動作で、セシリアは彼女の方へと顔を向ける。

 

「……ジャマ……しないでくださいまし……」

 

 地の底から響いているかのような声での忠告もどこ吹く風か。勇者はあくまでもマイペースに語りかける。

 

「大丈夫だよぉ。女の子が勝算もないのに『私をその剣で好きにして!』なんて、言う訳無いよぉ。ね? ツッキー?」

「ゲホッ……あ、ああ、その通りだぜ。安心しなセシリア、あと箒も。お前らの思ってるようなことにゃならんよ」

「それは……どういうことですの?」

「そうだ! 説明しろ姫燐!」

 

 無理やり箒を引き剥がし、暴走モードに入った彼女達に姫燐は一夏には聞こえない様に、小声で言い聞かせる。

 

「オレは勝算のない戦いはしない。つまり、アイツ相手にパーフェクトゲームをする自信があるってこった」

 

 負ける訳がないから、何を賭けても問題ない。言葉にするだけなら、当然の事である。

 しかし、その当然がまかり通ってしまえば、世の中のパチンコ屋や競馬場は皆廃業だ。

 

「そ、それでも万が一ということが……!」

「心配すんなって。それに、これはお前達のための戦いでもある。負けねぇよ」

「私達のため……だと?」

 

 そう。この戦いには、ただ一夏のトレーニングのためだけでなく、箒とセシリアのためでもあった。

 箒は先日、あのバカにこっ酷く告白をスルーされたばかり。しばらくの間、箒は恋愛に関して消極的になってしまうのは目に見えていた。

 ―――しばらくは、このままでも構わないか。

 恋愛ではそういう思考が一番危ない。自分と彼はあるていど仲が良いから、もうゴールインは確定などと言う読みは、まさに泥沼。嵌っている……すでに泥中、首まで……NTR路(ルート)……! せせら嗤われる……恋愛という魔性に……!

 そうやってたった一度の失敗で自分から得物に遠ざかって行っては、あっという間に余所から来た泥棒猫に奪われる。恋は先手必勝、ドラ猫がお魚をくわえて行った後から、裸足で追いかけても時すでに時間切れなのだ。

 だから姫燐は、彼女を焚きつける為に燃料を投下する必要があると考えた。

 2人の恋路に立ち塞がる新たなる困難。ぬるま湯な現在状況を、一気に熱湯へと変え、箒に自分が退路無しの背水に立たされていると『錯覚』させるプロジェクトを考え付いたのだ。

 そして、この『賭け』がその一環である。

 自身という『他の女』が、断言はしないまでも一夏に露骨なアプローチをかけ、「一夏を狙う女はいくらでもいる」ということを、彼女に間接的に気がつかせる。

 そうすれば箒は彼を盗られまいと、積極的に自分から一夏の心を射止めるために動き始めるだろう。

 ただ傍目には、どう軽く見積もっても『朴月姫燐は織斑一夏が好き好きトキメキス』と映ってしまうだろうから、色々と事後処理が大変だろうが、まぁ……うんたらかんたらして、なんやかんやすれば大丈夫だろう。うん、きっと大丈夫だよ問題ない。

 

「それって、どういう事ですの? まさか……」

「ああ。セシリアには、一夏のデータが多く取れるだろうから、あとでこの前のリベンジをするなら喜んで渡そうと」

「……ハッ! やはり……そういう……」

「って、オイ聞いてんの」

「分かりましたわ姫燐さん! 思う存分、あの男をケチョンケチョンのボロ雑巾にしてやって下さいまし!」

「へ? あ、ああ。頑張るよ」

 

 ISを解除し、ガシッ、と感極まったように姫燐の両手を掴んでセシリアは言うと、先程までの鬼迫(誤字に非ず)が嘘のように鼻歌を歌いながら外野へとスキップで戻って行った。

 ちゃんと理解したのかと懸念する姫燐だが、無論セシリアはきっちりシッカリ1ミリも真意を理解していなかった。

 セシリアはその場で悶えそうになってしまうのを、何とか堪えて光悦の溜め息を付く。

 やはり、わたくしの目に狂いは無かった。と。

 あの人は恐らく一度、あのカカシに自分が今居る『立場』というモノを理解させるために、あのような賭けを申し出たのだ。

 確かにあの専用機は見事な一品だ。どこのメーカーが作ったのかは知らないが、それは間違いない。しかし今あの男に、代表候補生である自分に非情に認めがたくはあるが勝利したばかりの男に与えたらどうなるだろうか?

 人は、自分が軌道に乗っている時、失敗の可能性を考えない生き物である。

 今、間違いなく軌道に乗っているといっても過言ではないあの男に、専用機など与えたらどうなるだろうか?

 少なくとも、自分なら間違いなく舞い上がり増長する。この世に、自分に叶う敵など存在しないのではないかと、現実を知らぬバカげた幻想を抱く。

 その幻想を抱き続けたまま進めば、一体どうなるだろうか? 

戦いにおいて身の程を、自分の出来る事と出来ない事を弁えない奴は、間違いなく死ぬ。

 己が作りだした幻想に、その身を喰い殺される。

 では、それを防ぐにはどうしたらいいのか?

 簡単である。大事になってしまう前に、その幻想をぶち殺してやればいいのだ。

 実戦では無い訓練で、奴の歪んだ物差しをへし折り、正しい大きさを分からせる。

 そうすれば自分の強さや、出来る事と出来ない事を理解させ、更には「自分を負かした人間」という目標まで与えることまで出来る。

 無論、その折り方が派手であればあるほど、バカげた幻想は抱かなくなる。

 だから彼女は、あのような賭けを申し出たのだろう。一発も当てられない敗北……そのような屈辱、恐らく二度と忘れられなくなるに違いない。

 我が貞操を危機に晒してでも、友を正しく導こうとするその献身的な姿に、セシリアはますます深めていった。姫燐への愛情と、誤解を。

 そんなセシリアの背中を見送り、姫燐は小首を傾げるが、

 

「まぁ、いっか。とりあえずそういう事だ。悪い結果にはならねぇよ、だから待ってな。箒」

「むむむ……分かった」

 

 ここで作戦をネタばらししては意味が無いので、はぐらかす形になってしまったが、それでも箒も渋々、観客席に移動を始めたクラスメイト達の中に合流していった。

 

「むふふぅ、にしても結構大胆なんだねぇ。つっきーって」

「言うな。ほら、お前も観客席に行け。襲われてもしらねぇぞ。……っと、なんかだいぶ待たせちまったな一夏。さっそく始めっ……か?」

「………………」

 

 しんのゆうしゃが安全エリアに避難したことを確認してから、先程からずっと空気だった一夏に向き直るが、返事が無い。ただの屍のよう……ではないが、反応が無いのは確かだ。

 こっちを確かに見ているのだが、明らかに姫燐を見ていない。見ているのはその先、もっと別のなにかを見ている様な目線だ。顔も覇気のはの字すら感じない、ボケっとした腑抜け顔である。

 実戦なら即座に先制攻撃と行きたいところだが、これは模擬戦だ。丸腰の相手を仕留めても訓練にはならない。

 という訳で、姫燐は溜め息を付くと一夏へとズンズン歩み寄り、

 

「おーい、一夏お前もか? お前もオレの話を聞かな」

「ん―――くぁwせdrftgyふじこlp!!?!?」

 

 ほぼ目の前まで来てようやくハッとしたかと思えば、人間には発音不可能な単語を並べながら物凄い勢いで飛び下がる一夏。1メートルくらい飛んだように見える。

 

「お、おう! いつでも大丈夫だ! だけどそ、そのだな、人前でそんな恰好はよくな、あ、いや仕方ないけどな! 俺が、かかか、勝っても賭けとか俺は気にしないからな! いつでも、無効にしていいからな!」

 

 確かに、姫燐の出る所は出まくり、引っ込む所はしっかり引っ込んだ肢体に、ピッチリとしたISスーツは反則ではあるが、いくらなんでも挙動不審すぎである。

 全く落ち着かない精神を目を瞑ることと、大きく息を吸い込み全てを忘れることで、強制的に安定させ、一夏は右腕を突き出し叫ぶ。

 

「い、行くぞ! 『白式』!」

 

 マスターの声に従い、彼の腕にはめられていた白いガントレットが激しい光を放つ。そして光は分解され、質量保存の法則を全力で無視しながら、全身をつつみこむ白銀の鎧へと姿を変えて行く。

 

「プックッっくっ、愉快な奴だぜお前はホント。……でもなぁ」

 

 ここまでチェリーだと、からかい明利に尽きるというものだ。

 流石にエキセントリック思春期ボーイには刺激が強すぎたかもしれないが、ここまで過剰に反応してくれると、ついついもっと過激にイジメてみたくなるのが人の性……というか、朴月姫燐の性癖である。

 タダでさえコレなのに、これで自分が負けたら、いったいどれくらいキョどるのだろうか? 少し見てみたくもあるが、流石に貞操を売る気にはなれないし、それに「それはそれ、これはこれ」という偉人の言葉があるように、

 

「お気使い悪いが、負けてやる気はこれっぽっちも無いんでなぁ! 一夏ァ!」

 

 どのような事であれ『負ける』というのは、姫燐が最も嫌いな事がらの一つであった。

 首に付けた、太陽のチョーカーに触れて、定められた解放のコードを復唱する。

 

「Go for it! シャドウ・ストライダー!」

 

 白式と同じように、太陽のアクセサリーが激しい光を放ってはじけ飛び、またもや質量保存の法則に全力でケンカを売りながら、彼女の全身をくまなく包んでいく。

 光が収まった後に残るは、白式とは真反対の、闇すら己が腹の中へと飲み込まんとする程に深い紺色の鎧。IS、シャドウ・ストライダー。

 第三アリーナに相対する『白』と『紺』。

 片や『白』は剣を手に、片や『紺』は半身を引いて拳を突き出すように構える。

 嵐の前の静寂。一夏と姫燐、お互い共にどこか浮ついていた空気が、一瞬にして沈む。

 二つの鎧が放つ重圧がアリーナを圧巻し、2人の意識はどんどん認識できなくなっていく。ただ、前に立つ己の敵以外の全てを。それ以外はこの世界に、何もかもが不要だとでも言うかのように。

 一夏が、瞳を閉じる。息を深く吸い込み、吐きだすと同時。

 2人の世界が、揺れた。

 

「いくぞ! キリ!」

「来な! 一夏ァ!」


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