IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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「……前書き。今回のお話は第七話のifストーリーです。リューンが五反田くんに『伏せるでござる』と言った所から派生した、Arcadiaの百人目様のリクエスト、ワタシとリューンが罰として五反田食堂で働かされるお話です。いつも以上にキャラ崩壊が激しく、色々とメタ全開でカオスですが、ifなのでここで起きた出来事は本編には一切影響を及ぼしません。なので深い事は何も考えず、激流に身を任せて楽しんで下さい。かっこ、きゃはおんぷ、かっこ閉じる。……これでいい、リューン?」
「ちょっとトーチちゃん! なんでカンペ通りにしないんですか!?」
「……意味不明。ちゃんとリューンが書いた通りに喋った」
「わっかってませんねー、トーチちゃん! そのカッコの中は『きゃは♪』と普段はテンション最低なトーチちゃんが萌え萌えキュンなポージングすることでギャップ萌えを演出し、読者の皆さんに露骨な萌えを見せつけそれに反応する豚共をブヒ(カチャ)ごめん火炎放射器こっち向けないで良い子だから」
「……分かればいい。それでは本編、始まり始まり」」


番外編 「ifストーリー 『五反田食堂へようこそ!』」

「今すぐ、伏せるでござるよ」

 

 

 

「なっ!? なんだぁ!?」

「……黙れ。そして伏せて」

「へっ? うおっ!?」

 

 暗闇で分からないが、恐らくトーチに引き倒され、弾は無理やり床に伏せさせられる。

 次にバリン、と窓ガラスが割れる音。そして『何か』が投げ入れられて店の床に転がった。うっすら見える、自分の前腕くらいのサイズの、まるで『パイナップル』の様な形をした何かが……。

 

「ひッ! ……いィ?」

 

 弾は理解した。が、意味が分からなかった。

 目の前に転がっているのは、パイナップル型をした『何か』ではない。丸みを帯びたシルエット、独特の形状をした瑞々しい濃い緑色のふさ、硬く黄色い甲羅のような皮。しかも身が下ぶくれしており、甘い香りがここまで漂ってくる。これは、ちょうど食べごろな状態であるというサインだ。そう、そんな完璧な、

 

「パイナップル……?」

 

 またの名をアナナス。言わずと知れた一般的なフルーツで、爽やかな酸味と甘みが凝縮された身と果汁が特徴の果実で、肉類と摂すると酸素の働きにより、胃の中で消化しやすくなり、また生肉と一緒にしておくと肉を柔らかくする効果もあったりする。

 どういうことなの? どうしてウチの窓にパイナップルが投げ込まれるの?

 仮に、これがパイナップル型の手榴弾だったら、まぁそれも喜ばしくは無いがまだ投げ込んだ相手が何をしたいかは分かる。しかし、爆発物でもなんでもない食べ頃のパイナップルを投げ込まれた場合は、どう反応すればいいのだ? 弾のまだ人生の半分も生きていない経験値では、まだこのナゾを解明することができない。

 きっと、どれだけ歳を喰っても解明する事はできないだろうが。

 

「油断してはダメでござる。五反田殿……」

「えっ……」

 

 薄暗くて顔はよく見えないが、聞えるリューンの声色は真剣一色だ。

 まさか、アレは見た目はタダのパイナップルだが、実はとんでもない兵器なのでは……。

 

「あれほど美味しそうなパインを惜しみなく投げ込んでくるとは、もしや『奴等』は……」

 

 どうやら、ただのパイナップルで間違いないらしい。

弾は一瞬でも本気で警戒した自分が、とてもアホくさくなってくる。

 

「や、奴等ってなんなんっすか?」

「……ええ、そうでござるな。巻き込まれてしまった以上、五反田殿も無関係ではござらんからな」

 

 何か聞きたい様な聞きたくない様な……だが、何時如何なる時でも真実を追い求めるのは、悲しきかな人の性である。

 

「『酢豚の中のパイナップル撲滅委員会』……五反田殿、この名を知ってるでござるか?」

「……………はぁ?」

 

 やっぱり聞くんじゃなかった。一言一句どこをどう吟味してもしょうもない予感しかしない。しかし後悔あとに絶たず。リューンは頼んでもいないのに、そのアホそうな組織の全容を説明し始めた。

 

「奴等は、『ツインテール・ベル』と呼ばれる謎の人物をリーダーに、全世界、いや全宇宙の酢豚の中のパイナップルをこの世から消し去ろうと日夜暗躍する非合法組織でござる。奴等に目を付けられ、酢豚のレシピからパイナップルを消されてしまった中華料理店は数知れず」

 

 やはり、どうしようもないアホ集団だった。無駄にスケールデカいし。つーかウチは酢豚なんか取り扱ってないし、五反田食堂は中華料理店ですらないが、なぜか気にしたら負けな気がする。

 くぅ……と忌々しそうに顔を歪めるリューンとは対象的に、弾は心底どうでもよさそうに立ちあがりズボンに付いた埃を払いながら、ポケットから取り出した携帯を『110』とプッシュして、

 

「もしもし、警察ですか? はい、不審者が店の中で暴れているんです。はい、場所は五だ……」

「スナッチ・アンド・クラッシュ!」

 

 警察に通報しようとした弾から携帯電話を素早く奪い取ると、リューンはそのまま携帯を360度折りたためる様に膝で粉砕……もとい改造した。

 

「ああっーーーーーーー!!! 何すんだテメェ!?」

「ダメでござる! 奴等は警察にも太いパイプを持ってるでござるよ。きっと、通報なんかしてももみ消されるのがオチでござる……!」

 

 弾は悟る。ああ、世の中って俺が思っているよりもずっと平和なのかもしれない。

 あと弾が言った不審者の中には当然、今しがた携帯をぶっ壊しやがったコイツ等も含まれている。

 

「つーか、お前らは一体何なんだよ!? その無駄に規模のデカい訳分からん組織と、どんな関係なんだ!?」

「それは……ん?」

 

 一応客だというのに敬語を完全に忘れた弾の叫びに呼応したのか、ぱぁ、と店内に、消えていた筈の文明の明りが蘇る。

 そして入口から、さっきからずっとフェードアウトしていた、もう片方の少女が一仕事終えたような顔をしながら手をパンパン、と払いながら入ってきた。

 

「……処分。終わった」

「おお、トーチちゃん! さっきから空気だと思ってたらいつの間に!」

「……さっき。リューン達がお喋りしてる間に、侵入した奴等は全員ボコってゴミ捨て場に捨てて来た。配電盤もズタボロだったけど応急処置はしたから、しばらくは大丈夫なはず」

 

 どうやら、人の店にパイナップルを投げ込んだ不届き者はいつの間にか、この不健康そうな少女によって成敗されたようだ。そう言えばさっきから、客が居ないのにやけに店内が騒がしかった気がするが、どうやらそれはこの娘が暴れていた音らしい。こいつら見た目とは違って、かなり強いのかもしれない。

 

「うんうん、さっすがトーチちゃん。完璧な仕事でござるな! うりうり~」

「……邪魔。暑いから離して」

 

 トーチの小さな身体に、後ろから抱きつきながら頭を撫でまわすリューン。口では嫌がっているが、無理やり振り解こうとしないのと、よく見れば薄らと笑っている所から、本人も満更ではないのだろうか。

 

「……で、お前らは、結局何なんだ?」

 

 そろそろ本格的に呆れが怒りに変わってきた弾が、ドスの利いた声で尋ねた。

 

「おお、そう言えば自己紹介がまだだったでござるな」

「……説明しよう。じつは私達、世界を股にかけるトップエージェント」

「なんなんだよ、アンタら……」

 

 エージェントが自分から名乗っていいのか? と、そんな弾の素朴な疑問は置いてけぼりに自己紹介は続く。

 

「ふっふっふ、なんだかんだと聞かれたら!」

「……貴様に名乗る名前はない」

「無駄に勿体ぶって無いのかよ!」

 

 今日だけでもう何回叫んだだろうか? 

 そろそろ本格的に水か、のど飴か、ハリセンが欲しくなってきた弾であった。

 

「こ、こらこら。それじゃあ自己紹介にならないでござるよ、トーチちゃん!」

「でも、コレを名乗るだけで誰かは一発で分かるって前の隊長が」

「それで誰だか理解してもらえるのは、天空宙心拳をマスターした人だけでござるよ! ほら、打ち合わせ通りに……」

「……了解。リューンに合わせる」

 

 どこか残念そうに頷くトーチ。実はあのセリフを結構気にいってたのだろうか?

 ていうかもう既に自分達の名前言ってないかこいつら?

 

「分かればよろしい。では五反田殿、もう一度お願いするでござる」

 

 口からヘドロが出そうな程めんどくさい……心の底からそう思う弾。

 しかし、これ以上長引いたらのど的にも精神的にも良くないので、ここは力を込めた迫真の演技でとっとと終わらせるとしよう。そしてこれ以上長引きそうならすぐに店から叩きだそう。そう決意を固め、弾は叫んだ。

 

「だっ、だれだお前らは!!?」

「……五反田殿、もしかしてそれはワザとやってるでござるか?」

 

 言われた通りにやったのに、何で睨まれなければならないのだろうか? 弾は首を傾げる。

 

「……貴様に名乗る名前はない」

 

 そしてトーチはトーチで、心なしか嬉しそうだが結局名乗らないし、訳がわからない。

 

「ってか、もう名前覚えちまったよ俺……デカいのがリューンで、小さいのがトーチだろ?」

「む、やるでござるな。この短時間に女の子の名前を覚えるとは、いいフラグ男になれるでござるよ五反田殿は」

 

 残念ながら、そういうのは全部悪友に持って行かれて在庫不足を起こしている。

 

「で、さっき自分達の事をトップエージェントだとか言ってたけど、何のエージェントなんだよお前ら? 『酢豚の中のパイナップル推奨委員会』とかそんなんだったら、今すぐ布団で簀巻きにして海に沈(チン)するぞ」

「…………え、そ、それ、マジでござる?」

「…………こ、後生。せめて指詰めで許してほしい」

 

 声が震え、本気で青ざめる『酢豚の中のパイナップル推奨委員会』のトップバカエージェント2人に弾は怒る気力も出ず、脱力しながら頭を抱えることしかできなかった。

 

「はぁ……別にいいけどな。お前らが例え何してようと、それは個人の勝手だし」

「ほっ、よかったでござる。それじゃあ、拙者達はこの辺で」

「……サラダバー」

「おい待て、どこへ行くつもりだお前ら?」

 

 回れ右して出口へとスタコラと歩いて行く2人の肩を掴んで、弾は彼女達を引きとめる。

 

「えっ、五反田殿? そんな、大胆でござるよ……」

「……注意。男は狼なの~よ、気を付けなさ~い」

「黙れ、そして聞け。お前らの身体なんぞこれっぽっちも興味はないわ」

「それはそれで傷つくでござるな……」

「……希少価値。貧乳はステータス……」

 

 まぁ、弾も年相応には性欲を持てあましてはいるが、それでもこのド変人共に欲情するほど餓えてはいない。……確かに、2人とも弾の目から見ても魅力的な美少女なのは否定できないのだが。

 

「残念ながら貧乳は知り合いで間にあってる。それより質問に答えろ、どこに行くつもりだ?」

「どこへ行くって、セーフティハウスに帰るんでござるけど。拙者達はエージェントでござるからなぁ、上が命令するままに夜を往くだけでござる」

「……離別。ワタシ達は2度と会う事は無い。触れあう事もない。それでいい」

「俺は……それでよくない。今お前達と、離れ離れになる訳にはいかない」

 

 弾は真摯な顔で、ハッキリと言い切った。嘘も偽りもない、己が紛れもない本当の気持ちを。そしてそれは、男性経験など皆無なエージェント2人の頭脳をオーバーヒートさせるには充分過ぎる破壊力を秘めていた。

 

「ごっ、ごごごご五反田殿ぉ!? れれれ冷静になるでござる! 拙者達、そんなにフラグ立ってたでござるかぁ!?」

「……冷静。冷静冷静ワタシハ冷静ミンナモ冷静スベテガ冷静アレ冷静ッテナンダッゲシュタルト」

 

 慌てふためく2人を余所に、弾はあくまでも冷徹に、ある場所を2つ指さして言った。

 

 

「お前らが居なくなったら、アレとアレの修理代、誰が払ってくれるんだ?」

 

 

 1つ目はパイナップルが投げ込まれ、粉々に砕け散った窓ガラス。

 そしてもう1つは、無残に足などが飛び散った椅子やテーブルなどの調度品の数々。恐らく、トーチが大暴れした際に粉砕されたのだろう。本人も明後日の方向を向いているし。

 

「それに俺のぶ~らぶら状態になった携帯と配電盤もプラスして、さて、どうやって弁償してくれるんですか? お客様?」

 

 最高の営業スマイルを浮かべる弾に、さっきまで真っ赤になっていた彼女達の顔色が再びデスラー総統のように真っ青になったのは、言うまでもないだろう。

 

 

 

                ☆★☆

 

 

 

 そして数日後の土曜日。五反田食堂のキッチン。

 着物ではなく、簡素なズボンにTシャツ、それに三角巾にエプロンを装備したリューンは、隣で黙々と作業をする、自分と同じような服装をしたトーチに話しかけた。

 

「……トーチちゃん、トーチちゃん」

「……専念。今、話しかけないで」

「いやだって、拙者達、何でこんなことしてるでござるか?」

 

 カチャカチャと泡だらけの流し台に立って手を入れ、皿を手にとってはスポンジで磨き、水ですすいで積み重ねる。それが終わるとまた次の皿を手にとって同じことの繰り返し。エンドレスウォッシュ。

 ……まぁ簡単に言えば、リューンとトーチの2人は五反田食堂で皿洗いをさせられていた。しかも、泊り込みでこの数日間ずっと。

 

「……必然。上から弁償代が下りなかった以上、店の修理費はワタシ達の身体で返さないと」

「その言い方は五反田食堂が、お水のお店みたいに聞こえるからやめるでござるトーチちゃん。あと今回、拙者あまり関係無いでござるよね? 窓と配電盤壊したの奴等だし、店壊したのトーチちゃんだし」

「……連帯責任。チーム1人の失敗はみんなの失敗、これ軍隊じゃ常識。あと携帯壊したのはリューン」

「拙者は過去を振り返らない女なのでござる。それに軍隊って、確か拙者達はエージェントでござるよね?」

「……無問題。番外編で細かい事を気にしたらダメ」

 

 そんな下らないメメタァな雑談をして手が止まっている2人の背中に、配ぜんを終えてキッチンに戻ってきた、雇い主である弾の怒声が突き抜ける。

 

「くぉらぁ! 無駄口叩く暇があったらさっさと手を動かせアルバイト共!! 手を動かすだけの奴はアルバイトだ! 手をもっと速く動かす奴はよく訓練されたアルバイトだ!!」

「い、イエッサー! でござる、弾殿!」

「……ホント。お昼の食堂は地獄だぜフゥフハハハー……」

 

 それだけ言い残して弾は父親が作ったシャケ定食を2人前持つとまた、オーバーブーストを吹かしたネクストのようにホールへと吹っ飛んで行く。

 お昼時、それは五反田食堂がもっとも繁盛する時間帯だ。

 お腹を空かせた昼休みの会社員や学生達が一挙に押し寄せ、安く、そして早い飯を所望してくる五反田食堂のメインターゲット層。

 お客の昼休みには刻限があるので、ハイペースで店を回す事が求められる。キッチン、オーダー、レジ、ウェイター、そして当然タダの皿洗いでさえも一丸となって運営は成り立つのだ。一時も気を緩める事など許されるはずがない。

 次の皿、それが終わればまた次の皿へと淡々と作業をこなしていく2人。しかし、汚れた皿の量は全然減る気配がしない。だんだんと終わりが無いのが終わりなのを悟りはじめている2人は、すでに考える事を半ば放棄しながらまた次の皿へと手を伸ばす。

 

「この皿洗い、いつまで続くでござる……?」

「……むせる。皿洗いには飽きたのさ」

 

 そんな事をぼやいてもまた空になった皿は増えていくし、作業は全然楽にならない。今まで仕事一筋で生きて来た2人にとって家事など、取説無しで戦略シミュレーションをするくらいに至難の技であった。

 そう、実際に……。

 

 パリン! パリン!

「あ……また割れたでござる」

「……おお皿よ。落とした程度で割れてしまうとは情けない」

 

 2人が手を滑らせたり、力を入れ過ぎたりで皿を割る度に、

 

「まーた割りやがったな!! この愚か者どもめが!!」

「お、お許しくださいメガとろばぁ!」

「……痛い。幼女虐待で訴える。そして勝つ」

 

 どこに居ようともいつの間にか、彼女達の背後に戻ってきている弾の容赦ない拳骨が2人の脳天に炸裂するのだ。

 

「お前らまるで成長しねぇな!? これで初日から何枚割りやがった!?」

「ふっふっふ、弾殿は今まで」

「『喰ったパンの数を覚えているのか?』とかほざきやがったら、七面鳥の丸焼きみたいにパンを体内に詰め込むぞ」

「……聞きたい? 昨日までの時点で98枚、そして今日2枚割ったから」

「記念すべき100枚目だな! オメデトウございますドアホがッ!!!」

 

 再び弾の拳骨が振り下ろされ、頭にたんこぶを作りながら正座させられて、お説教を喰らうリューンとトーチ。

 ここまでテンプレ。これが、ここ数日の五反田食堂の日常と化していた。

 丁度タイミングが良いのか悪いのか、客足もようやくマシになってくる時間帯に差しかかった事もあって、このまま弾のパーフェクト説教教室が始まるのかと、彼女達は腹を括ったが、

 

「おーい、弾! いるかー?」

「よーぅ五反田! 飯食いに来たぜー!」

 

 突然の来店した、ひと組の『夫婦』によって、彼女達へのお説教はお流れになった。

 

 

  

             ★☆★

 

 

 

「おう、いらっしゃい。一夏、朴月ちゃん」

「よう、弾。今日は寮に食材がなかったから来てやったぞ」

 

 弾はバカ2人に破片の掃除だけ命令して、店にやってきた中学からの悪友こと織斑一夏と、その彼の腕に抱きついて離れない彼の『伴侶』を出迎えた。

 

「おいおい、間違えんなよ五反田。オレはもう『朴月』じゃないんだぜ?」

「ああ、そうだったね。えーと織斑ちゃん? ……だと、このバカと被るな」

「いや、まだ挙式は挙げて無い! 挙げて無いからな!?」

「いいじゃん別に。オレはもう『朴月』じゃなくて、『織斑』なんだよ。今決めた」

 

 もう殆ど夫婦のようなもんじゃん。と弾は思う。

 真っ赤になって否定する一夏に、えへへー、とどこか照れているが幸せそうにほほ笑む『朴月姫燐』改め、『織斑姫燐』。

 そう、2人は相思相愛。もう既に協力関係では無く、新たな恋愛関係へと進んだイチャイチャラブラブのバカップルなのだ。

 

「いやー、俺は今、歴史的瞬間に立ち会えてるんだな……」

 

 割とマジに目がしらに感動の涙を浮かべながら、弾は肘で一夏を小突く。

 

「あの一夏が、鈍感を極めし者だった織斑一夏が、こんな良い娘を嫁にするだなんて……羨ましいぞチクショウめ! 爆発して粉微塵になれリア充!」

「そこまで言うか……いやそれ以前に、俺達は嫁とかそんなんじゃ……」

「……違うのか、一夏?」

 

 姫燐はその言葉に不安そうな声で、傷ついたような悲しんだような目をして、一夏を見上げる。そんな乙女のリーサルウェポンが直撃して、折れる事ができない男など、この世には存在しないだろう。

 

「う……まぁ……違わなくないけど……」

「だろぉ? そんな一夏がオレは大好きだぜぇ~。ぐりぐり~」

「お、おいキリ!?」

 

 瞬間、先ほどの表情が嘘のようにパァ、と姫燐の表情が明るくなり、姫燐はさらにきつく身体を密着させて擦り寄せてくる。というか先程の憂いの表情は、嘘のようにと言うか完全にタダの嘘なのだが、そんな所もまた彼女の魅力の1つだと理解している一夏は、別段なにも言わずに彼女のスキンシップに身をゆだねる。

 が、腕越しに伝わるその発育したボディの柔らかさや、女の子独特のいい匂いは、確実に一夏の理性をガリガリと削って行くので、余り為すがままにさせる訳にはいかない。

 一夏は慌てて彼女を引き離すと、肩を掴みながら何とか説得を開始する。

 

「やめてキリ、それ以上いけない!」

「なんだよ、いいじゃねぇか。寮じゃこんくらい日常茶飯事なんだし」

「いや、確かに寮じゃそうだけどな? でも、ここ一応人前だしそれにお前、手を出したら怒るだろ?」

「……ちっ、この前はマジになりそうだった癖に」

 

 実は一夏が姫燐と五反田食堂に訪れたのは初めてでは無く、このやり取りも初では無いのだが、そのときは一夏も完全に惚気きっており、弾の全力のツッコミが無ければここから先は完全にR指定になっていただろう。

 彼等の関係は恋人同士になってもさして変わらず、姫燐が全力でからかい、一夏はそんな彼女に振り回される。それが、少しだけ情熱的になっただけであった。

 

「そう何度も引っかかってたまるか。アレも冗談だった癖に」

「ま、そうなんだがな。もしお前がマジになったら、殴ってでもブレーキを掛けるつもりだったし。だけど……」

 

 姫燐は悪そうな笑みを浮かべると、ふっ、と背伸びして、一夏の耳元へ顔を近付け、決して他の奴には聞こえない位の小さな声でささやいた。

 

 

 

―――部屋に帰ったら、そん時はオレもノンストップでイカせてもらうぜ?

 

 

 

「ッツッッ~~~~~!!?!???!?」

「なーんてな、けっけっけ」

 

 その一言に耳までゆでダコ状態になった一夏を見て満足そうに頷くと、姫燐は彼の手を引っ張って席に座らせ、自分も心の底から楽しそうに笑いながらその反対側の席に座った。

 

「………………」

 

 2人の固有結界に完全に置いてけぼりにされた弾は、無言で彼等にメニューだけ渡すと、他の客から次に来るであろうオーダーに供え、キッチンへと戻る。

 

「「「「「すみません、この五反田食堂特製『お口の甘さ全滅激苦青汁』っての下さい」」」」」

 

 彼等が来店すると、他の客が必ず僅かな殺意を込めて異口同音に注文する青汁を、自分も一気飲みした後、弾は皆に配って行った。

 

 

 

                  ☆★☆

 

 

 

「……甘ったるいでござるな~、トーチちゃん」

「……嘔吐。口から砂糖が出そう」

 

 皿洗いをサボり、置いてあった青汁を勝手に飲みながらホールを覗き見て、お互いの感想を述べるリューンとトーチ。

 

「つか、あのキリって人、気のせいか前の隊長にメチャクチャ似てるでござるが……」

「……大丈夫。このお話はifストーリー、本編とは一切関係ないのでワタシ達と彼女は1ミリも関係ない。因みに何で2人が夫婦かと言うと、一夏とキリのラブラブ状態が見たいってリクエストが多かったのでやった。五反田蘭を含め他の一夏に気がある娘達はラブの邪魔なので、悪いけどこのお話では消えてもらった。反省してるけど後悔はしていない」

「たまにトーチちゃんって、本気で意味の分からない事を言うでござるよね」

「……不明。何でこんなこと言うのか、自分でもびっくり」

 

 不思議そうに首を捻るトーチ。合言葉は『番外編なのでしかたない』。

 空っぽになったコップを流し台に置くと、もう一杯別のコップに青汁を注いで一気飲みしながら、リューンはキッチンの奥を見遣る。

 

「しかし、あっちもあっちで重傷でござるなぁ」

 

「なんで一夏ばっかりチクショウ一夏ばっかりいいなチクショウおれもいちゃいちゃしたいチクショウつっこみ役はもう疲れたチクショウ俺原作どころか本編でもじゃこんなキャラじゃないのにチクショウモブなのが悪いのかチクショウこれといった特徴が無いのが悪いのかコンチクショウ」

 

 そこには、店の奥で壁によく分からない独り言を呪詛のように呟きながら、白い粉をキメた奴のような目をしてデコを一心不乱に壁に打ち付ける弾の姿があった。

 

「……痛い。色んな意味で見てて痛い」

「気持ちは分からんでもないでござるが……ん!」

 

 その時、リューンの頭に電球が浮かび、ピロリンと音が鳴った。……気がした。

 

「トーチちゃんトーチちゃん! 拙者にいい考えがあるでござる!」

「……却下。ダメ論外ゼッタイ異議あり汝罪あり死ぬがよい」

「そこまで!? まだ拙者なにも言ってないでござるよ!」

 

 その言葉の後に提案された作戦は、人事以外ではほぼ100%成功しない事を知っているので、トーチは即座に彼女の言葉をぶった切る。

 

「いーやーでーごーざーる! 拙者の作戦を聞いて欲しいでござるー! 聞いてくれないなら、これから毎晩トーチちゃんの枕に乾燥したイクラを詰め続けてやるでごーざーるー!!」

「……ちっ。屑が……」

「ごーざー……え、今何か言ったでござるか?」

「……別に。何も」

 

 ゴロゴロと一昔前の駄々っ子のように寝転がりながら海産物に謝れと言いたくなる事をほざくリューン。このままでは鬱陶しいだけなのでトーチは渋々話を聞くことにした。舌打ちの1つくらいは許されていいだろう。

 しゅば、と立ち上がるとリューンは悪事を思いついた三流悪役の様に表情を歪ませながら、作戦を説明し始めた。

 

「ふふふ、腰を抜かすなでござるよ……拙者が皿洗いをしている間に考えた作戦名! 名付けてッ!!」

「……作戦名? 名付けて?」

 

 既に嫌な予感しかしない。そんな彼女の懸念を無視して、リューンは姫燐に負けず劣らずのバストを堂々と張って言った。

 

「『反旗の夜明けはここから! 五反田食堂乗っ取り大作戦ッ!!』でござる!」

「…………はぁ?」

 

 乗っ取る? この五反田食堂を?

 皿を洗い過ぎて、とうとう頭にまで洗剤が染みついてしまったのだろうか? 無表情ながら内心で本気でそんな心配をしながら、トーチはすかさず目の前の石鹸脳みそに質問する。

 

「……何で? コツコツ働いて返すんじゃなかったの?」

「甘い、サッカリンより甘いでござるよトーチちゃん。明日に、未来に向けて足掻かない人間に、輝かしい夜明けは来ないのでござるよ……!」

「……愚考。下手に動いて泥沼に足を突っ込むよりマシ。それに、勝算はあるの?」

「当然でござるよ、まず最大の障害である弾殿はあの様子……」

 

 とうとう壁に赤い染みができても、まだ水飲み鳥のように頭を打ち付けるだけ簡単な作業を続けている弾。確かに、行動を開始するなら今が最適だろう。

 

「……でも。まだ弾くんのお父さんが」

「あ、それはさっき縛って袋に詰めて裏のゴミ捨て場にポイして来たから大丈夫でござる」

「……なん……だと……?」

 

 もう既に決行してやがったコイツ。ナイフ以上にバカに与えてはいけない行動力というモノに、恐ろしいまでに恵まれている。

 どちらにせよ、トーチに選択権は無かったのだ。賽は投げられた、後は一天地六の賽の目次第。そこに『後退』という二文字の選択肢は、無い。

 しかしここで、新たな疑問がトーチの頭に浮かびあがる。

 

「……質問。乗っ取った後はどうするの?」

「あと、でござるか? そりゃあ無理やり借金を帳消しにして、オサラバするだけでござるけど?」

「……回りくどい。そんなことしなくても、さっさと借金なんか踏み倒して、今すぐここから逃げればいいだけ」

「…………………」

「…………………」

 

 いつも通り不健康そうな顔のトーチと、目をパチクリさせたまま微動だにしないリューン。

 無言、沈黙、静寂。2人の間に、そんな時間がどれだけか流れて、

 

「ああ! その手があったでござるか!」

 

 ぽん、と手のひらの上に握り拳を置いて驚くおバカに、トーチは本気で帰ったら相棒を変えてと直談判しようか頭を悩ませる。

 まぁ、何はともあれ方針は決まった。あとは行動に移すだけだ。

 

「そうと決まれば!」

「……直行。言われなくても、スタコラサッサだぜぃ」

「……おいィ? お前ら、どこへ行こうというのかね?」

 

 エプロンを投げ捨て、裏口へと輝かしい未来に向けて撤退を始めようと回れ右した2人の肩に、いつの間にか精神世界から帰って来ていた弾の手が乗っかっていた。

 血が抜けて冷たいのに、それでいて力強く肩を掴む彼の手に、よくB級ホラーなどに出てくるゾンビってこんな感じなのかな? とリューン達は現実逃避する。が、五反田弾からは逃げられないので戦わないと、現実と。

 

「あ、あー、弾殿? これはその……別に逃げるとか、エスケープするとか、未来へ全力前進だとか、そんな気はハナから無いでござるよー? 拙者達ウソつかなーい」

「……心配無用。ワタシは嘘が大嫌いだから大丈夫、だけどリューンは息をするように嘘をつくから注意」

「なっ、トーチちゃん!? 仲間を売るでござるか!?」

「……真実。弾くーん、この人さっきこの店を乗っ」

「ぎゃーーーー! ストップ、シャラップ!! それ以上いけない!!」

 

 逃げようとしていた時点で2人とも同罪だというのに、不毛な擦り付けあいを繰り広げるリューンとトーチ。そんなコントを繰り広げる2人を余所に、弾は無表情で新鮮なカツオと包丁を持って来て、まな板の上に置き、

 

「いいから、働け」

 

 ズガン、ともの凄い音を立ててカツオの首を叩き落とした。

 ありえない事だが、胴体から旅立ってまな板に転がるカツオヘッドの死んだ瞳が、リューン達に告げている様な気がした。

 

――こうなりたくなかったら、余計な考えを捨てて大人しく言う事聞いた方が良いんじゃないかな? と……。

 

「おーい、弾―。注文いいかー?」

「ん、ああー! ちょっと待ってろー!」

 

 弾はカツオを急いで片付けると、一夏達のオーダーを取りにホールへと戻っていく。

 

「お前達が働く意思を見せなければ、俺は貴様らをこのカツオ君のようにするだけだぁ……」

 

 抱き合いながら歯を鳴らす、恐怖に喰われたバカ共にしっかりと釘を刺しながら。

 

 

 

                 ★☆★

 

 

 

「五反田、このシャケ定食と……どうしたんだ、その頭?」

「ん、ああ。なんでもないよ、ちょっとケチャップが付いただけさ」

 

 弾の頭に巻いたタオルから滲んでる赤い何かを不思議に思いながら、姫燐は注文を続ける。

 

「あとは、このうなぎ定食を1つ頼む」

「キリ、お前そんなに食べるのか?」

 

 先ほどシャケ定食を頼んだばかりだというのに、事もなさげに追加でうなぎ定食も頼む姫燐。いつの間に彼女はフードファイトに目覚めたのだろうか? これほどの量、男で食べ盛りの一夏でも流石に厳しいのに。

 

「あ、なに言ってんだよ。これはお前の分だぞ、一夏」

「はぁ!? ちょ、待ってくれキリ!?」

 

 勝手に自分のメニューまで決めている彼女に、慌てて一夏は静止を呼び掛ける。

 高校生のお財布事情は、この店で一番高い定食を頼めるほど潤っていないのだ。

 

「安心しろ一夏。今日はオレのおごりだ、何も気にすんな」

「……なんか、お前の事だから裏が有りそうで素直に喜べないな」

「おお、よく分かったじゃねぇか」

 

 一夏のげんなりとした視線などどこ吹く風か。澄まし顔でメニューを畳んで弾に返すと姫燐はちょいちょい、と人差し指をカムバックさせた。

 顔を近付けろ、という事だろうか?

 一夏が机に乗り出すように姫燐に顔を近付けると、彼女も同じように身体を乗り出して彼の耳元に、

 

 

 

―――それなりの金は払ったんだ。帰ったら満足させてくれなきゃ、嫌だぜ?

 

 

 

 消えそうで、甘く、とろけるような声色が、一夏の鼓膜を震わせた。うずまき管が脳に情報を送り、そして脳がやってきた情報を処理するために回転を始め、今までの経験や彼の中に詰まった情報を照らし合わせ送られて来た言葉の意味と意図を理k………リカ……りり……、

 

 ボンッ!!!

 

 一夏のOSに、深刻なエラーが発生してしまった。

 先ほどの言葉はどうやら、思春期絶賛営業中の彼にとっては、即死レベルのブラクラだったようだ。

 

「ったく、この程度でフリーズかよ。だらしねぇな」

 

 そんな通常の3倍で真っ赤になっている一夏を見て、ニヤニヤが止まらない姫燐。

 本当にいい性格をしている娘である。

 そんな性格のせいで彼との本来在るべきだった関係はここまで歪んでしまったというのに、本人は一向に退かないし媚びないし顧みない。それどころか、どこか開き直って更に過激なスキンシップをするように悪化してしまった。

 まぁ恋人関係になっても変わらず、姫燐は女の子にしょっちゅう浮気してナンパをするわ、以前にも増して平気で盗撮をするわ。それに彼女の中には、今まで軽い気持ちで一夏の心というかボーイの本能を弄びすぎた責任を取っている部分も有るには有るのだが、

 

―――そんな所も、大好きだぜ。一夏。

 

 その胸に秘めた本心は一夏にぞっこんなので、きっと問題無いないのだろう。

 うっすらと顔を赤らめながら、必死にシステムを再起動している一番大好きな思い人を眺め、姫燐は幸せそうに微笑んだ。

 

 

 

                  ☆★☆

 

 

 

「さて、状況を説明するでござる。トーチ軍曹」

「……最悪。どうしようもないでありますリューン3等兵」

「ちょっ! いくらなんでもそれは低過ぎでござらんか拙者の階級!?」

 

 相変わらず下らないコントをキッチンで繰り広げる、もういっそ芸人に転職したほうが良いんじゃないかと思えてくる2人。しかし、状況が最悪なのはシャレでもなんでもない。

 シャケ定食と、うなぎ定食。弾が持って帰って来たオーダーは2つ。

 しかし本来、そのオーダーを叶えるべき五反田食堂を支える大黒柱は、先走ったリューンのせいでゴミ捨て場に送られ不在。

 適当に言い訳して、弾に作ってもらうという案も思いついたのだが、

 

「弾殿は戻ってくるなり、また頭を打ち付ける作業に戻ったでござるし……」

 

 キッチンの奥で、またガガンガガンとさっきよりハイペースで痛い音が聞こえてくる。そろそろ救急車を呼ぶ準備をしといた方がいいだろうか? 白いのも黄色いのも両方。

 かといってオーダーを無視したり逃げ出そうとすれば、直ぐに弾は自分達の背後に人間ワープをしてくるのだろう。まだ自分達はあのカツオの様にマミりたくないので、『投げ出す』という選択は最初からボツだ。

 

「……やっぱり。今からでも回収して謝るべき」

「そうでござるよなぁ……それしか無いでござるよなぁ……」

 

 自分達の扱いは息子である弾に一任しているため彼の父親から説教を喰らった事は無いが、流石に今回は避けて通れないだろう。あの恐怖の説教魔の父……考えただけでも、耳がキンキンと耳鳴りしてしまう。

 

「はぁ……じゃあ、行って来るでござる」

「……達者で。いってらっしゃい」

 

 背中を丸めてリューンはトボトボと裏口へと向かい、ドアノブを捻った所で、

 

「そういえば、トーチちゃん」

「……なに?」

「た・し・か・拙者の記憶が正しければチーム『1人』の失敗は、チーム『全員』の失敗でござったよねぇ?」

「……ッッ!?」

 

 にへら、と思わずマザー・テレサでもドロップキックを叩きこみたくなるような笑みを張りつけながら、トーチの方へと振り向いた。

 

「……少し前。自分は過去を振り返らない女だって言ってたよね」

「人は、過去から学ぶ生き物なのでござるよ。トーチちゃん」

「……レッツゴー。脳外科か精神科」

「プクク……トーチちゃん、唇がピクついてるでござるよ。ド畜生でもいたでござるか?」

 

 今すぐ、自分の足元の棚に収納されている文化包丁を取り出して、口元を押さえて笑う目の前のド畜生以下に跳びかかろうか迷うトーチ。

 

「へっへっへ、こうなりゃ死なば諸共でござる! 拙者は独りだと死んでしまう生き物なので一緒に仲良く説教地獄へ落ちましょうやー!! ヘイヘイヘーイ!!!」

「……分かった。もっとお友達が多い所に送ってあげる」

 

 迷いなんて、あるわけない。

 トーチは即座に棚に手をかけると鈍く煌めく文化包丁を取り出して、半ばヤケクソ気味手を叩いて粗ぶる彼女の脳天目掛け、スローイングナイフと同じ要領で、

 

 ゴガガガガガガゴゴッゴ……ベキグチュバキベキボチュベキボキ………

 

 音が聞こえた。無論、包丁が眉間に刺さった音では無い。と言うかまだ投げて無い。

 どこか遠くで『大きな機械』が動き、そして何か硬い物と柔らかい物が……そう、例えば大きな『骨』と『肉』のような物が同時に潰されたような音が聞こえてきて……。

 

「……リューン。今日は、何ゴミの日、だっけ?」

「……確か……『生ゴミ』……でござ……る……」

 

 弾の父親は、ゴミ捨て場に捨てられた。

 口も身体も縛って気絶させて、外から見えないように黒いビニール袋に入れて、生ゴミを回収する日のゴミ捨て場に。

 驚いた。まだ状況に悪化の余地があったとは。。

 表情から血の気が引いて、一点に定まらないトーチの視線が、冷蔵庫に貼られたゴミ捨て場のスケジュール表に行く。そこには丁度今日、この時間にゴミ収集車がやって来る事が明確に記されており……。

 

「……ふむ、今回は拙者が60%、トーチちゃんが40」

「黙れ! 今回は100%リューンが悪い! ワタシは悪くないッ!!」

「ひっ!」

 

 初めて見る冷静さの欠片も無く半狂乱で声を荒げて怒鳴る相棒に、リューンは軽い悲鳴を上げてしまう。血走った目と今にも飛んで来そうな包丁との追加効果も相まって、完全にキャラ崩壊を起こしている。

 

「お、落ち着くでござるよトーチちゃん! 拙者を仕留めても何も変わらないでござるよ!? 第2第3の拙者がいつか……」

「……そうでもない。少なくともワタシの気分は天晴れ」

「何してんだお前ら……?」

 

 その騒がしさに、店の奥から弾が戻ってきた。……ただ、ノーメイクなのにそこら辺のB級パニックホラー映画に出て来そうな人相になっているが。

 

「おお、メシアよ!」

「……何でもない。すぐに終わる」

「そうも言ってられるかよ」

 

 弾はトーチの手から包丁を奪うと、彼女の脳天に手慣れたように拳骨を叩き落とした。

 

「殺るのは構わんが、外で殺れ。んでウチの包丁を使うな」

「え、ちょ弾殿、アンタなに言って」

「……了解。次からはそうする」

「あと、仕事中に何して……ん?」

 

 足元の違和感に、弾は視線を下におろすと、

 

「なんだ、スニーカーの靴紐が切れてやがる」

「え、あ、弾殿?」

「そういえば昔のマンガにあったよなー。仲間の1人の靴紐が切れたら、何か絶対に仲間が死ぬって奴」

「……だ、弾くん?」

 

 2人の脳裏にそのマンガの、額に『米』と書かれたキャラが浮かぶ。

 そう言えば彼も、主人公の親友ポジションだったような……。

 

「ま、現実にはそんなことある訳無いんだけどな」

「そ、そうでござるよなぁ! あっはっはっは……」

「……あっはっはっは」

「ところで2人共、親父はどこ行ったんだ? さっきから見ないんだが」

「そ、そういえば見ないでござるなぁー! きっと、トイレにでも行ってるのではござらんか?」

「……ワタシにそう言ってたから、間違いない」

 

 本当はもっと別の所に片道特急しているのだが、当然そんなことが言えるわけがない。

 

「ふーん。んじゃ、ちょっと靴代えてくる。あと、逃げるなんて思うなよ?」

 

 最後に念を押すようにドスの利いた声を残し、弾は店の奥へと帰っていった。

 冷汗が止まらない。今でさえこれなのに、あの事がバレた暁にはフェイタリティ程度で済むかどうかすら分からない。

 弾の足音が完全に消えたのを確認した2人は、肩を組み、緊急会議の体制に入った。

 

(どうする!? マジどうするでござるかトーチちゃん!?)

(……とりあえず、今は何とかして誤魔化すしかない)

(誤魔化す……って、何か手段があるでござるか?)

(……勝算はある。ようは、弾くんの親父さんが居るって思わせればいい)

 

 緊急会議終了。

 トーチは肩を解くと、再び別の包丁を棚から取り出した。

 

「ひっ! 結局ソレでござるかぁ!?」

 

 ファイティングポーズを取るリューンを無視して、トーチはキッチンへと立つ。

 流石にリューンも、彼女の目的が自分の刺殺ではなく、もっと別の所にあると悟った。

 

「……リューン。注文は何だっけ?」

「え、確かシャケ定食とうなぎ定食でござるけど……本当にやるつもりでござるか? 料理」

 

 そう、トーチの勝算とは料理人である弾の父親の料理を自分達が作って、ちゃんと生きていることを一時的にでも錯覚させることだった。時間稼ぎにしかならないだろうが、それでもやらないよりはマシである。

 

「でも、拙者達。料理なんてレトルトとか、そんなんしかやったこと無いでござるよな?」

 

 皿洗いも満足にできない自分達に、定食なんぞ作れるのだろうか? トーチの方も料理が得意だなどと聞いた事がない。今溜まっている注文は、あのバカップルのだけなのは幸いだが、それでも2人前だ。

 しかしそれでもトーチはすまし顔で、

 

「……何時から?」

「なに……」

「何時から、ワタシは料理ができないと錯覚していた?」

「……な、なん……だと……?」

 

 初耳であった。コンビを組んでからもう結構が立つが、彼女にこんな特技が隠されていたとは。

 

「……後片付けが苦手なだけ。料理の腕にはちょっと自信がある」

「マジですか! じゃあちゃちゃっとお願いするでござる、トーチ様!」

 

 リューンのおだてに無言で頷くと、トーチは手慣れた手つきで食材を手にコンロに火を付けた。

 

 

 

               ★☆★

 

 

 

「……お待たせしました」

「お、ようやく来たか」

 

 先にできたシャケ定食の乗ったお盆を手に、トーチは姫燐達のテーブルにお盆を置いた。

 

「あれ、君。新入り?」

「……はい。アルバイトです」

 

 五反田一家を除けば、誰よりも五反田食堂に詳しい一夏でも初めて見るトーチの顔に、興味を持った一夏は彼女に声をかけた。

 

「ふぅん、弾の奴も隅に置けないな。こんな可愛い子をアルバイトに雇うだなんて」

「……か、かわいい?」

 

 彼女連れだと言うのにタラシパワー全開である。

 本当に無意識だというのだからタチが悪いが、一緒にデートしている女性からしてみれば失礼以外の何物でもない。一夏の足を踏むなり嫌味でも言って不機嫌になるのが定石なのだが……

 

「まったく、一夏の言うとおりだぜ。ところで、この後予定とか空いてるかな? できれば一緒に買い物とかでも」

 

 男とのデート中だというのに、一緒になって女の子を口説きだす姫燐も大概であった。

 確かに一夏の事は大好きだが、美少女も大好きなのも一切変わらず。あわよくばそのあとお持ち帰りまでと、その腐った脳内で考えているのだから本物である。

 だが、そんな最低な彼女だからこそ、この最低天然フラグ男と上手くいってるのだろう。

 

「……あ、ぅ……し、仕事が、ありますから……」

 

 突然やってきた人生初のナンパに冷静な対処ができず、赤くなった顔を見られない様に俯きながら、トーチはそそくさとキッチンへと戻って行った。

 

「うーん、初心な娘ってのも悪くねぇなぁ」

「相変わらずだな。キリは」

 

 彼女がデート中なのにナンパをおっ始めるのも、今となっては見慣れた光景なので一夏は笑って気にも留めない。本当に変なバカップルである。

 

「だってなぁ、あんな感じに真っ赤になって恥じらう娘って激萌えだろうが?」

「まぁ、確かに。でも、寮でのキリも丁度あんなか」

「わぁーーーーーーーーーー!!!! な、ななな、大衆でなに言い晒してんだこの大バカ野郎ふぁ!!?」

 

 突如として戯けた事をカミングアウトしだした、ド大天然の口を大慌てで塞ぐ姫燐。

 

「む、むぐぐ、なに怒ってるんだよ、もちろんキリの方がもっとかわいぐぇぇぇぇぇ!」

「そこじゃねぇぇぇぇーーーー!!! そういうこと言われると我慢できなくなるってんだこのアホがぁぁぁーーーーーーー!!!」

 

 まだ毒電波を吐こうとする一夏の首根っこを持って、全力で頭をシェイキングして無理やり黙らせる姫燐。自分も相当に色々とカミングアウトしてるのだが、気にしたら負けと言うか爆発しそうなのでスルー。

 

「ぐふっ」

「ったく、バカ野郎が、バカバカバカ……」

 

 一夏が三途の川へと短期旅行に出かけた事を確認して手を離すと、姫燐は怒りと羞恥と興奮で桃色吐息になった頭を冷やすように水を一気飲みし、テーブルに置かれた箸箱から割り箸をとりだした。

 

「ふん、さて……と……?」

 

 気を取り直して割り箸を割り、シャケ定食へ舌鼓を打とうとした手が、止まる。

 

「なんだ、これ……?」

 

 今までナンパと一夏の口封じに躍起だったため、よく確認してなかったが、改めてじっくりと見て、いや、よく見なくてもこのシャケ定食、おかしい。

 

「いや、確かにシャケ定食だがな……?」

 

 お盆の上に置かれていたのはご飯とお茶とシャケだけだった。味噌汁とか副菜が一切ないが、まぁ一応シャケ定食と名乗って許されるだろう。それ『だけ』なら。

 そんな事が霞むくらいに、大問題なのは、

 

「なんで紅鮭が『丸ごと』のってんだよ!?」

 

 お皿からはみ出るくらいに、ドドンと存在感抜群に乗せられた大きな紅鮭。申し訳程度に焼かれているが、だから何だと言うのか? ただ焼かれただけの紅鮭をポンと出されて、「これがシャケ定食です」と言われて、それで納得できる人間がこの世界のどこに居るというのか?

 シャケ定食を頼んだ覚えはあるが、タダの紅鮭を頼んだ覚えは無い姫燐は、立ちあがり厨房へ文句を言いに行こうと、

 

「……お待たせしました。うなぎ定食です」

「あぁ?」

 

 したところで、先ほどの店員が、今度はうなぎ定食を持って来た。

 

「丁度いい、なんだこの紅鮭は」

「……すみません。クレームは後で」

「あ、こらテメッ!」

 

 置く物だけ置くと、こちらのクレームを一切無視して、ダッシュで厨房へと逃げ込んで行ってしまった。

 

「なんなんだ……一体?」

 

 姫燐は一夏ほど五反田食堂に詳しい訳ではないが、決してシャケを丸ごと出すような店では無い事だけは間違いなく言える。

 その疑念を確信に変えるため、置いて行ったうなぎ定食を見遣った。

 

「見た目は……まだ許せるな」

 

 うな重が1つだけ、ポツンと。

 相変わらず副菜などは一切無いし、少し作り雑なような気がしたが、まだ許せるレベルだ。少なくとも定食では無いが。

 ほかほかの白ご飯の上に乗せられた、ボリューム感たっぷりのうなぎのかば焼きに、上からいささか過剰なような気はするが、べったりと塗られた黒いタレが食欲をそそる。

 

「う、うーん……」

「ん、帰って来たか一夏」

 

 姫燐が黄泉道から帰って来た一夏を一瞥しながら、うな重に怪しい所が無いかどうか慎重に目を凝らしていると、

 

「お、もう俺の奴来てたのか」

「あ、おい! 待てっ!」

「んじゃ、ゴチになるぜ姫燐。いただきます」

 

 止めようとする姫燐の声を無視して、一夏は割り箸を割ってパクっと一口、うな重を食べてしまった。

 もぐもぐと無言で口を動かす一夏。それを少しハラハラしながら見遣る姫燐。流石に毒物などは入って居ないだろうが、それでも前例が前例なだけに、懸念がどうにも収まらない。

 

「むぐむぐ……」

「……………?」

 

 しかし、笑顔で口を動かしている彼の姿を見ると、それも杞憂だったのだろうか。

 口内のうな重を飲み込むと、一夏は水を手に取りそれを浴びるように一気飲みして、

 

 ズガァン!

 

 コップをテーブルに叩きつけた。

まるで撃鉄が雷管を叩きつけた様な、凄まじい音が店内に響く。

 コップは粉々に砕け散り、持っていた一夏の手の平にも無数の破片が刺さって、痛々しい鮮血が流れているが……

 

「い、一夏……?」

「ん、どうしたんだよキリ? 俺の顔に何か付いてるか?」

 

 その当の本人は、不気味なまでに涼しげな笑顔を浮かべていた。

 本人のイケメン具合も相まって、まるで雑誌のトップを飾る二枚目アイドルような風貌をかもし出しているが、姫燐にはそれが感情を完全に押し殺しきった、般若面のように見えてしかたがない。

 

「だ、大丈夫か……? その、手とか、他にも色々」

「ん、ああ、ゴメン。水、かからなかったかキリ?」

 

 そこじゃない、そこじゃないんだ一夏さん。

 

「なぁキリ。悪いガ、先に寮ニ帰っててクれるカ?」

「お、おい一夏? お前なに言って」

「本当にスマン。だケど俺はチょっと、弾とオ話するこトが出来ちマった。食材ヲ侮辱シた罪ヲ贖罪サセナクくハ」

 

 どこか危うい発音と共に採光が消えた瞳で立ち上がり、キッチンへと向かう一夏。

 怒ってる。それも、今まで見たことが無い程に怒ってらっしゃる。

 普段キレない奴がキレると、無茶苦茶怖いというのはどうやら真実であったらしい。

 姫燐は思い出す。普段はどこか抜けているし、ヘタレで天然ジゴロな一夏だが、その姓は織斑。そう、彼はあの人類最強のブリュンヒルデと同じ血を分けた姉弟。

 そして今、彼の中で眠っていた織斑の、阿修羅すら凌駕する戦闘民族の血が覚醒を迎えているのだ。

 クリ○ンが死んだわけでも無いのにいったい、何が彼の織斑の血を……いや、原因は分かってる。

 

(あのうな重、何が入ってたんだよ……!?)

 

 一夏は料理が上手い。

 姫燐もご馳走になったことがあるが、その手腕は下手な食堂とかで食べるよりもよっぽど美味であった。IS操縦者になるよりも、コックとか家政婦のほうが絶対にコイツに向いていると断言できる程に。

 そして彼は、絶対に食材を無駄にするようなことはしない。この前も、普段は捨てる様な余った部位を、一級品の料理に生まれ変わらせた時は惚れ惚れしたものだ。

 本人に理由を尋ねたところ、「ただの貧乏性だ」と笑っていたが、貧乏だった過去のことも関係しているのだろう。一夏が食材に、人一倍の敬意と感謝を持って接していることがよく分かる一時だった。

 だからと言って、ここまで怒り狂うとは完全に予想外だったが。

 

「待て待て! 落ち着け、れれれ冷静になれ!」

「贖罪か断罪か贖罪か断罪か食材か洗剤か贖罪か断罪か贖罪か断罪か贖罪か断罪か」

 

 完全にぶっ壊れた一夏の服を掴んで静止させようと努力するが、ヤミノナカオリムラノイチニメザメルイチカのパワーの前には敵わず、ずるずると引きずられてしまう。

 彼女の努力も虚しく、一夏はキッチンへと続くのれんをくぐり、

 

「あのうな重を作ったのは誰だあっ!?」

 

 どっかの雄山のような雄たけびを上げた。

 キッチンを潜った先に居たのは、本来居るはずの弾でもその父親でもなく、

 

「あ・れ・ほ・ど・余計な事はするなと言った!」

 

 激怒に目を血走らせ、歯を剥き出しにして包丁を手に暴れ回る先ほどのロリウェイターと、

 

「ギャーー―!!! お、お許しを! 次こそは必ず! 必ずや!」

 

 真剣白刃取りでその包丁を受けとめながら、毎週正義の味方にやられては許しを請う悪役の様にあやまる、見知らぬ女性の姿だった。

 

「黙れ、少しでも反省する気があるならここで死ね! 死んでワタシに害を及ぼさない生物に生まれ変われ!」

「そんなつもりは無いでござる! せ、拙者はただ、トーチちゃんが運びに行ったから代わりに仕上げを……」

「だ・か・ら、醤油をぶちまけたのか!?」

「醤油ではないでござる。無かったから、偶々あったそこの黒いのを代用に……」

 

 そう言って、首を調理台の上に置かれたビンへと首を向けるリューン。

 そこのラベルに書かれたのは、

 

「黒酢じゃねぇか、アレ……」

 

 確かに黒いのは黒いが、後の共通点は液体であること位である。

 黒酢をかけたうな重が美味な訳が無い。一夏がキレた理由もよく分かる。

 

「大体トーチちゃんもトーチちゃんでござる! なんでござるか、自信満々に料理が出来ないといつから錯覚していた(キリッ)とか言っときながら、やったのは紅鮭を焼いて乗せただけではござらんか! うな重も冷凍の切り身乗せただけでござるし!」

「大丈夫。大抵のモノは焼いたら食べれるから問題ない」

 

 果たして、それを調理と言っていいのだろうか?

 頭が悪すぎる見慣れぬ少女たちのコントに、姫燐がどうしたものかと頭を悩ませていると、

 

「おい、お前ら」

「あ、なんでござ……る……?」

 

 一夏の底冷えする様な一声に、ようやく彼等の存在に気が付いたのか、トーチとリューンは彼等の方を向くと、一瞬の硬直の後、お互いに顔を合わせアイコンタクトで同時に頷く。

 そしてトーチはリューンの背後に回ると首筋に手を回し、包丁を動脈に突き付ける。

 そう、あのよく銀行強盗とか、追い詰められた殺人犯がよくするあのポーズである。

 

「あーれー! お助けでござるー!」

「……動くなー。人質がどうなってもいいのかー?」

 

 心の底からどうでもいい。

 姫燐はズッコケるのを我慢しながら、偏頭痛がし始めた頭を手の平で押さえるのが精一杯だった。

 身長に差があるせいで背伸びをしないと届かないのか、犯人役は生まれたての小鹿の様にプルプルしてるとか、人質役マジで誰だよとか、つかさっきお前ら仲良くケンカしてたよなとか、突っ込み所が多すぎる。

 流石の一夏も、これにはポカンとするしかないようだった。

 

「……ふははー。道を開けろー、早くしないとこの娘が傷モノになるぞー」

「いやー、お助けー、ってトーチちゃん? あの、マジでちょっと刺さってるんでござるけど……?」

 

 本当にどうしようか?

 余りにシュールな光景に、姫燐と一夏は顔を見合わせて首を傾げ合うしかなかった。

 そしてチャンス到来とばかりに彼女達は裏口までチョコチョコと後ろ歩きし、外へ出ようと後ろ手でドアを開け自由への逃走を始めようとした。

 

「……待て、どこへ行く?」

 

 だが、彼女達は失念していた。

 

「誰が、何時、どこで何時何分何秒何周期」

 

 敗因はシンプル。自分達に立ち塞がる障害は、1つでは無かった事を忘れていたこと。

 

「仕事を、終えていい。と言ったんだ? この虚弱貧弱無知無能アルバイト共が」

「ご、五反田……」

「……だ、弾くん」

 

 自分達が繋がれた鎖を握る飼い主を、五反田弾の存在を……すっぱりと忘れていたことだった。

 

「さて、どんなお仕置きがいいんだ? 貼り付け? 石座布団? 逆さ釣り? 何でもいいぜ?」

「あわ、あわわわ……」

「……オ、オワタ」

 

 営業スマイルを浮かべながら、手をバキボキと鳴らしてゆっくりと怯える彼女達に近付いて行く。今頃、弾の脳内では2人共、見るもおぞましい拷問にかけられているのだろうか。

 

「お仕置き……美少女2人を……マジで……?」

「き、キリ……?」

 

 そんな光景を見て、あふれ出る鼻血を押さえながらハァハァする姫燐。今頃、彼女の脳内では2人共、弾の手によって見るもR―18な拷問にかけられているのだろうか。自重しろ。

 

「弾! 今すぐオレと交代しろ! そのヘブンにオレを導いてくれ!!!」

「姫燐ちゃん、なに言ってんの……?」

「大丈夫だ! ちゃんと首輪は専門の所に行って買ってくるから! アンタのペットの首筋がかぶれる心配はない!」

「キリさーーーーーん!? お願いだから帰って来て!」

 

 本当に何言ってんだろうか、この本編主人公は。

 全開で全壊な姫燐に、ドン引きする男子組。その弾達にとっては致命的な隙を、自分達にとっては千載一遇のチャンスを見逃す2人ではなかった。

 

「ふっふっふ、残念でござったな。弾殿」

「なっ、お前ら何して……ッ!?」

 

 弾の首筋に、冷たい感触が走る。

 いつの間にか包丁はリューンの手に渡っており、そして先ほど自分がされていたのと全く同じポーズを弾相手にしかけていた。

 

「なっ、弾!?」

「……動くな。動くと弾くんの命は保証できなくなる」

「くっ、テメェら……!」

 

 トーチの一言に、飛びかかろうとしていた一夏と姫燐の足が止まる。

 姫燐は心の中で己の失態を嘆く。いくらアホそうでも、コイツ等は不審者。このご時世に店に不審者が乗り込んできたなら、やる事なんぞ容易に想像が付くというのに完全に後手に回ってしまった。

 

「……これは何のマネだ? アルバイト共?」

「弾殿、確か最初に言ったでござるよな? 拙者達はエージェントだと」

「だから、何だってんだ?」

「……明確。エージェントは、状況の打開に一番確実な手を選ぶ」

「残念ながら、そこに人道とかそういう甘いのは、お払い箱なんでござるよ」

 

 耳元で、聞いた事が無い冷酷な声色でささやく。

 弾は思い知る。今まで自分が全て知っていた気になっていたのは、彼女達の上っ面だけだという事に。その真実の裏側に、自分は一度も踏み込んだ事がなかったことに。

 

「さーてと、それじゃあ未来への撤退の続きと参るでござるか」

「……了解」

 

 ずるずると弾を引きずりながら、裏口へと向かう2人を、一夏達はもどかしさを感じながらも見送る事しかできない。鎮圧そのものならISを使えばあっという間だろう。しかし今下手に動いてしまえば、弾の身が危ない。

 

「クソッ、あいつ等!」

「焦るな一夏、まだチャンスはある。だからまだ……!」

 

 口では彼女も平静を装いつつも、額から焦りの汗がにじんでいる。

 

「それでは、もう会う事も無いでしょうでござる」

「……アデュー」

 

 別れの言葉を呟きながらトーチは裏口のドアノブを捻り、ドアを押してとうとう自由な外の世界へと……

 

 

―――タンタタン♪ タタタタンタタン♪ タタタ、タタタンタタタンタタタンタタタンタ、タ、タ、タタン♪

 

 

 旅立とうとした途端、謎の軽快なBGMが店内に響き渡った。何だか、おい肉焼いてんだから蹴るなよとか、何で3rdでは生肉が売って無いんだとか、そんな感情が湧きおこるテーマだ。

 余りに唐突で前フリが無い不意の一撃に、ピタッと全員の時が止まる。

 

「……何だ、今の?」

「誰かの着メロか……?」

 

―――……ウルトラ上手に、焼けピッ、

 

「……もしもし」

 

 少し鬱陶しげにポケットから、携帯電話を取りしたトーチ。

 どうやら、彼女の着メロだったようだ。

 

「あ、はい……何でしょうか、ボス」

(ボス……ってことは奴等の元締めか? 組織的なグループってことか)

 

 姫燐の手のひらが嫌でも汗でにじむ。

 態度こそふざけてはいるモノのこのロリっ娘、電話しているというのに一分の隙も見せない。そんな奴等の元締め……中々に出来る奴のようだ。

 

(何でこんな奴等が五反田食堂に? いったい、どこの組織なんだ……?)

 

 これで彼女達が『酢豚の中のパイナップル推奨委員会』のエージェントだと知ってしまったら、姫燐の精神衛生上とてもよくない事が起こってしまうだろう。L5的な感じに。

 

「はい……はい、申し訳ありません。今すぐそちらに戻りま……え?」

 

 淡々と応答をしていたトーチの表情が固まった。

 何と言うか、全クリしたと思ったら「ご苦労だった……と言いたいところだが、君達には消えてもらう」と言われた時のような驚愕と茫然が支配している時の顔である。

 

「え、トーチちゃん? ボスは何て言ってるでござるか?」

「…………ボスが話したいこと……あるって……」

 

 トーチはギギギ、と油の切れた機械のような動きで携帯をリューンの耳に当てる。

 そのボスとやらの声が、弾の耳にも微かだが聞こえてくる。

 

「あ、もしもしボス? 今から帰るんでお土産は」

『もしもしリューンちゃーん? 君達クビだから♪』

「…………はぁ!?」

 

 般若のようなCVで、彼女達のボスはいきなり死刑宣告を言い渡した。

 

『簡単に言うと、もういらないからそこら辺で野垂れ死んでねってことなのだよ~』

「ちょ、ちょ待って下さいでござる! 拙者達のどこに落ち度が!?」

『今まで落ち度が無いと思ってた方が、天才の私でもビックリ』

 

 その点については、たった数日間だけ上司になった弾でも、嫌というほど同意できる。

 

『最近不況の波がウチにまで来ててね~、それでいらない産廃を切ろうかな~って♪』

「産廃扱い!? つーかあんたこの前、ISに全自動たまご割り機つけるオプションパーツで思いっきり儲けてたでしょ!」

「誰が買うんだよ、んなもん……」

「…………ごめん、弾」

「一夏!!?」

 

 居た堪れない表情で俯く、とても身近な所にいた購入者。

 彼女である姫燐も知らなかったのか、狼狽を隠せてない。

 

『とにかくもう君たちはクビだから、これからの就活がんばってね~♪』

「おんどりゃ! 待てこのクソ般に……ゃ……ぁ……」

 

 ツーツーツー、と無機質な音しか鳴らなくなった携帯をトーチが仕舞うと同時に、リューンは弾を解放した。

 

「弾! 大丈夫か!?」

「ああ、俺は大丈夫だ……」

 

 が、明らかに大丈夫な様子では無い元エージェント、現無職が2人。

 

「は、ハはっ……無職……ニート……ハロワ生活……」

「ワタシ達帰れる所ない……こんなに悲しい事はない……」

 

 茫然自失で棒立ちして、うわ言を呟く2人に、呆れるしかなかった姫燐も、怒っていた一夏もなんだか同情的な気分になってくる。

 しかし、そんな事もお構いなしな被害者が一人居た。

 

「おい、アホ共」

「……へ、うごッ」

「……痛ッッ」

 

 弾は、2人の首元を掴んで締め上げる。その双眸は、確かな怒りで揺れていた。

 

「だ、弾、女の子相手にやりすぎじゃあ……」

「そうだぜ五反田。気持ちは分かるが、互いに落ち着いてからでも」

「バカップルは黙ってろ。これは五反田食堂の問題だ」

 

 2人の意見にも馬念通風で、更に首元を締め上げる弾。

 

「さて、お前ら。覚悟はいいだろうな?」

「「……………」」

 

 2人共目を閉じ、やって来るであろう運命をただ受け入れる姿勢に入る。

 処遇はよくボコボコの後にブタ箱、悪くてデッドエンドであろう。

 しかし、それも案外悪くないかもしれない。行き場所も帰る場所も失った以上、自分達は言わば迷い子なのだから。彼が行き道なり、逝き道なり示してくれるなら、寧ろ感謝して然るべきだ。

 腹を括った2人を交互に見遣りため息を1つつくと、弾は、叫んだ。

 

 

「こんのバッカ共がッ!!! アルバイトは延長だ、今日から一生ウチでタダ働きでこき使ってやる!!! わかったな!!?」

「……え、弾殿?」

「……それって、わっ」

 

 

 言うだけ言うと2人を離し、流し台から石鹸とスポンジを持って来て、

 

「ほれ、今までサボってた分さっさと働け!」

 

 それぞれ、リューンとトーチに投げ寄こした。

 

「え、え、え?」

「……理解不能。なんで?」

 

 戸惑う2人を余所に、弾はテキパキと溜まっていた仕事を片付けながら口を開く。

 

「最初はしばいて海にコンクリ詰めにしようかと思ったが、それよりもウチで無給でタダ働きさせたほうが効率的で生産的だって気付いただけだ。拒否権なんざ、当然ないぞ」

「で、でも拙者達……弾殿のお父上を……その……」

「……まさかとは思うが、アレもお前達がやったのか?」

 

 そう言うと、弾は親指をキッチンの一角へと向けた。

 そこには、

 

「!!??!?!??」

「……お、オバケ、幽霊怨霊自縛霊ッ!!?」

 

 元気に調理に勤しむ、弾の父親の姿が!

 

「お、おじさんいつのま間に……!?」

「ご、五反田の親父さん、さっきまで居なかったよな!?」

「な、なんで!? どうして生きてるんござるか!?」

 

 死んだはずの存在が目の前に現れるだなんて、チープだが実際に起きてしまえば、心臓が弱い人なら即停止しかねないイベントに驚きを隠せない。

 

「さっき、ゴミ捨て場から変な音がしたから行ってみれば、黒いビニール袋が回収不可のシールを張られて捨ててあったんだ。デカイし重いし、何を詰め込んだのかと確認してみれば、親父が入ってた……何を言ってるか分かんねーかも知れんが、俺も意味が分からなかった」

 

 最近は、市が指定したビニール袋しか回収してもらえない事が、ここに来て思わぬ幸運を呼び込んでいた。

 

「じ、じゃあ、拙者達」

「……ここに、居ていいの?」

「何度も言わせるな、無駄口叩く暇があるならとっとと仕事しろ」

「っッ……弾殿ぉぉ!」

「……一生ついてく」

「う、うっとおしい! 離れろお前ら!」

 

 後ろから2人に抱きつかれて、思いっきり慌てふためく思春期。見ていて微笑ましくなってくる。

 

「これにて一件落着、でいいのかな、キリ?」

「ん~、いいんじゃねぇの?」

 

 涙を浮かべながら弾に激しく抱きつくリューンと、安らかな笑顔を浮かべて静かに抱きつくトーチ。口ではウザがりながらも、赤くなりながら満更でもなさそうな顔をしている弾。

 

「本人達が幸せならそれで、さ」

「ああ、そうだな」

「ところで一夏、」

「どうした、キリ?」

「んっ」

 

 ぎゅ、とキリも情熱的に一夏に抱きつくと、そしてその唇に、ふっ、と軽いキスをした。

 

「なっ、なななな! キ、キリ!? なんで、ここじゃあいくら何でも」

「いやな、アイツ等見てたらな、オレもそろそろ我慢が限界になって来てな、はははのはー」

 

 口では笑っているが、目は一切笑っておらず、一言で言うなら彼女の瞳は今、獲物を狙う狩人のソレそのものであった。

 

「な、ええやろ? ほんまええやろ?」

「キ、キリちょま、シャレになってな」

「大丈夫大丈夫、死角になる場所なら知ってるから、な?」

「いや『な?』じゃなくてあ、待って、だれか、弾助けアッーーーー!」

 

 ……その後、キッチンの隅で掃除をしていたトーチが『白くべたつくなにか』を見つけ、弾にそれの正体を訪ね、また一悶着起こってしまうのは、ここではちょっと語れない余談である。

 

 

 

                 ☆★☆

 

 

 

 五反田食堂には、2人の住み込みのタダ働きがいる。

 

「トーチちゃーん、椅子は全部下ろしたでござるかー?」

「……完璧。開店準備に抜かりは無い」

 

 そしてそれを監督する、五反田家の長男。五反田弾。

 

「ふん、ようやく仕事を覚えて来たじゃないか」

「ふふん、拙者達は一分一秒、そしてこの瞬間にも成長してるでござるよ」

「……だからこそ言える。今のワタシ達は、昨日のワタシ達より、もっともっと優秀」

「へぇへぇ、御託はいいから……開けるぞ、準備はいいな?」

「無問題、でござる!」

「……バッチ来い」

 

 そうして、ドアのカギを開くと、さっそくやってきたお客を、弾達は笑顔で迎えた。

 

 

 

『いらっしゃい! 五反田食堂へようこそ!』

 


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