IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第7話 「Escape From The School (後編)」

「ふーん、五反田弾ってのかアンタ」

「おう、あのバカと同じ中学出身さ。よろしくな、朴月ちゃん」

 

 お互いの簡単な自己紹介を済ませた姫燐と弾は、軽快なBGMが流れる男物のファッションを扱う専門店であのバカこと一夏に着せる為の服を選んでいた。

 あの後、姫燐の説得もあって何とか誤解は解け(弾は終始『分かってる』としか言わなかったのが気掛かりだが)、もういっそこれなら新しいのを買った方が速いという事で、弾の紹介によってこの店に3人でやって来たのだ。……あのバカこと一夏は、ちゃんと弾の羽織っていたジャケットを借りたので補導はされなかった。念のため。

 因みにその本人は今、また半裸になりながら試着室で頑固な染みと果てしない闘争を繰り広げている。

 

「しっかし、なんでアイツばっかりいつもこんな可愛い娘とばっか……くぅ」

「一夏の野郎、中学の時も似たような感じだったのか?」

「ああ、そりゃもう。『女殺しの織斑』と言えば、うちの近隣校で知らない奴はいなかったからね」

 

 おかげで、野郎共に命を狙われた事も1度や2度じゃないぜ、と乾いた声で笑う弾。普通なら冗談だと笑う所なのだろうが、彼がこの時だけチラッと見せた地獄を見飽きた最低野郎のように濁った眼が、今までの苦労を物語っていた。

 弾の話によれば中学の時も、告白紛いの約束まで取り付けるほどに彼にお熱な少女が居たそうだが、結果は今の彼を見る限りお察し下さいということだろう。

 

「ったく、ホントに進歩のねぇ奴だぜ」

「いや、アイツは充分変わったよ」

「はぁ? どこがだ、今の学校でも本当に人類か疑わしくなってくる唐変木さは一切変わってねぇぞ?」

「確かに、アイツは本当にホモサピエンスから生まれて来たのか怪しく思える筋金入りの唐変木だ。だけどな、さっきその唐変木さまに今日何をしに来たのか聞いたらなんて答えたと思う?」

 

 今日何をしに来たのかと聞かれれば、そりゃあやっぱり……

 

「『デート』だよな。オレと一夏の」

「ああ、流石の俺も、今日ばかりはギャラルホルンが本当に鳴るんじゃないかと思った」

 

 因みに、『ギャラルホルン』とは北欧神話にでてくる、天使達が鳴らすこの世をラグナロク状態にするのを宣言する時に使われる角笛で、まぁ鳴ってしまったらざんねんながら人類は死滅してしまった! 状態になってしまうハタ迷惑な一品だ。平日の目覚まし時計と同じくらい永遠に鳴って欲しくない代物である。

 

「だってな、『あの』一夏が、だよ? アイツの口から『デート』なんて単語が飛び出すなんて、マジ心臓が止まるかと思った」

 

 そう、彼―――五反田弾が知る限りでは、織斑一夏という人間は明らかに『異常』だった。

 一夏のモテっぷりは老いも若きも関係無く、燦然と輝くダイヤの様に全ての女を魅了して止まない。どんな女性でも彼の前では『恋する乙女』と変わりなく、もはやここまで来るとルックスや中身などの問題ではなく完全に『呪い』の域だ。そう確信させるほどに、彼はとにかく異性という異性に好かれた。

 一夏に好意を寄せる女はそれこそ星の数。そしてその星々全てが玉砕していった。

 理由は簡単。彼は、これまた呪われているとしか思えない程に『女心』という奴に鈍感なのだ。

 どれだけ激しく好意を示そうとも、どれだけ露骨にアプローチしようとも、その一切合切にあの男は気付かない。もし女の恋心に気が付かない事が法律的に罪ならば、今頃一夏は石座布団に座りながら市中引きずり回しののち、討ち首獄門されたあと、アイアンメイデンにぶち込まれるくらいの大罪人となるだろう。

 そんな男にこの目の前の少女は、2人っきりで出かけてるこの状況を『デート』と言い切らせたのだ。

 彼の心臓が止まりそうになったのは、冗談も膨張も無い本心。それほどまでに、この事件は衝撃だったのだ。

 無論、やたらおモテになる一夏が女性と2人っきりで出かけたのはこれが初めてではない。

 

「昔な、俺達のクラスメイトに『凰 鈴音』って奴が居たんだ。そりゃもう見てるこっちが恥ずかしくなるくらい一夏にぞっこんな奴でな、何度もアイツと2人っきりで出かけた事がある」

「……ちょっと待て、一夏の野郎すこし前に『デートなんて今日が初めてだ』とか抜かしたばっかだぞ?」

 

 午前中に何となく気になったので聞いた所、証言した発言だ。

 こんな嘘を付いた所で意味など無いし、なにより彼の少し照れくさそうな仕草は嘘に見えなかった。

 

「そら、アイツが言うならそうなんだろう、『アイツの中では』な」

「ま、まさか……」

「そう、そのまさかさ。アイツにとっちゃ鈴とのデートは『ただのお仲のいいお友達同士のお出かけ』だったんだよ」

 

 鈴音が一夏と2人っきりで出かけたのは、1度や2度ではない。

 弾達クラスメイト一同も『もしや鈴なら……鈴ならやってのけるのかも』と思い、常に2人を同じ班や係にしたり、皆で出かけても彼等だけを残して即座に撤退したりとサポートを惜しまなかった。

 が、駄目。中学2年生の頃に両親の都合で彼女が転校してしまい、最後まで彼女の淡い恋心は伝わらないまま、全てのお膳立ては徒労に終わってしまったのだ。

 

「その鈴って奴も可哀想に……」

「ああ、全く心から同情する。それなのに朴月ちゃんは、俺達が1年以上かけても出来なかった事をモノの数カ月でやってのけたんだ。ホント、一体どんな魔術を使ったんだよ?」

 

 どんな魔術って、普通に「デートに行こうぜ」って誘っただけなんだが……。

 返答に困る姫燐だが、そのストレートこそが最強のルールブレイカーだったという事に気が付かないのは致し方無いことだろう。

 

「まぁ、正直に言うとだな、俺は君に感謝している」

「えらく唐突だな。オレはまだアンタに会ったばかりだぜ?」

「会ったばかりでも分かるさ、俺はアイツと定期的にメールでやり取りしてるんだが、君の事は何度も一夏から聞いているよ。色んな事を教えて、常にあのバカの手助けをしてやってるそうだね」

 

 寂しそうな、それでいてほんの少しだけ悔しそうな顔をする弾。

 

「本当はな、一夏がIS学園に行くことになっちまった時、心配だったんだ。アイツはちゃんとやって行けるのかってね」

 

 それは酷いモンだった。完璧にスネてたアイツが、友達を、それも異性の友達を作る事なんて出来るのか心の底から弾は心配だったのだ。

 愛は憎しみと表裏一体。誰が言った言葉だっただろうか。

 しかしIS学園に来た一夏には、この言葉が重く、重く圧し掛かる。

 彼は、無意識に他人の愛を呼び込んでいく。それは同時に、他人の憎しみをも呼びこんでいくのと同意義だ。

 人は、四六時中憎しみを向けられて生きていけるほど強くは無い。

 仮に生きていけたとしても、きっと人として大事なモノを捨てなければ正気を保っていられないだろう。だからだろうか、あの男が人の好意に異常なほど鈍感なのは。

 憎しみに、愛に気が付かなければ、苦しむ事などないのだから。

 今までは弾のような『男』の友人達が、『友情』によってそれを誤魔化し続けて来た。

 しかし、『女』しか居ないIS学園に、彼と『友情』を結ぼうとする人間が果たして現れるだろうか?

 きっと、現れない。弾の中には確信に近い何かがあった。どこまで行っても男は男、女は女。同じ人でも、真に分かり合えない2つの道。今の社会がまさにソレを体現している。

 憎んで憎んで憎まれ続ける。孤立、どこまでも孤独。そうして、また彼はゆっくりとその心を異常狂人に歪ませていく。

 その果てに待ち受けているのか何であるか? 少なくとも、真っ当な幸福など欠片もありはしない。弾の少ない人生経験でも、それだけは薄々と感じ取れていた。

 

 しかし、彼の前に裏切り者は現れる。

 百合の花にしか興味を示さない、男に非常に近い裏切り者が。

 

「話を聞いた限りでは、アイツにとって非常にいい友人だそうだね。だから1つだけ聞きたい。じゃあ、何で、今日は『デート』にアイツを誘った?」

 

 嘘は、絶対に許さない。そのような強い言葉と、言い知れぬ威圧、鋭い視線を歯牙にもかけず、少し鬱陶しそうに姫燐は言い切った。

 

「ただの気分転換だ。アイツ最近、色々と大変そうだったからな。言い方が違うだけで、その鈴とやらとしたのと同じ『お友達同士のお出かけ』と変わんねーよ」

 

 ついでに、壮大にからかってやるつもりでな。そう言って笑いながら、非常にそっけなく答える彼女に、弾は確信する。

 

「……くくく、俺の負けだよ。やっぱり、今のアイツには君が必要だな」

 

 本当に、アイツはいい友人を持った。

 彼女になら、俺の唐変木で、どこか抜けてるイカれた悪友を任せる事ができる。

 正直に言うと妬ましかった。ISが使えない、それだけで俺とアイツの距離は物理的にも、いやそれ以外もずっと、ずっと遠くなってしまった。

 なのに、俺が本来居たはずの席にのうのうと座る彼女が、妬ましい。

 そして、ダチをその席で憎み追い詰め続けるというのなら、許せない。

 だが、今日実際に会って見て分かった。彼女は、朴月姫燐は自分の大切なダチを任せるに足る女……いや人間であることに。

 

「なんだよ、いきなり訳が分からんぞ」

「いや、いいんだ。気にしないでくれ」

 

 やはり少し妬ましい。けれど、今なら手を振って彼等を応援できる。

 彼の中で、今まで溜まっていたモヤモヤが吹っ切れたような感じがした。

 

「さーてと、んじゃま、さっさとあのバカの服を選びますか!」

「そうだな、あのバカにピッタリな……エプロンドレスとかどうだ?」

「いや、確かに似合いそうだけど遠慮するよ……」

 

 

                ●○●

            

 

 姫燐と弾は、ゆったりと広めにスペースが取られた店内で、時には離れ、時には比べ合いながら一夏の服を吟味していた。

 店が流すポップなBGMをバックにして、笑いながら、小突きながら、少し文句を垂れ合いながら、ゆっくりと穏やかな時間は流れて行く。

 

「うーん、やっぱり一夏にはエプロンが似合うと思うんだが……どう思うよ五反田?」

「いや、確かに朴月ちゃんの意見も一理あるが、それじゃあアイツ帰り半裸エプロンに、てか何で男物の服屋にエプロ……ん?」

 

 その時、弾の視界に珍しいモノが飛び込んできた。

 

「ん、どうした?」

「いや、アレ見てみろよ」

 

 ヒソヒソ声で、弾は突如現れた珍客に指をさす。

 

「あの姉ちゃん、何で道着なんだ? しかもアレ……刀か? どこのラストサムライだよ」

「……なんでここに居やがんだよチクショウめ……!」

 

 へいおんと緩やかな日常終了のお知らせ。

 それを見た瞬間、姫燐の血がサッ、とどころかドバッ、と引いて行く様な気がした。

 

「しかもおっかねー……何だよあの顔、仇でも探してんのか?」

「あ、あっははははは……」

 

 あながち、間違いではない。

 見慣れた黒髪ポニーに、怒りの極みに達し無表情の仮面と化した顔面。完全なる殺意はもはや感情ではなく、冷徹なる意志とはよく言ったモノだ。背後にダークサイドの禍々しいフォースが見える。そのナイス、ナイスなボディも前かがみになったゾンビの様に歩くから台無しだ。

 狙いは間違いない、一夏だ。訓練をサボったアイツをここまで追って来たのだろう。

 コー……ホー……、と息づかいが少し離れたここまで聞えて来る。

 あ、目が合った客の1人が泡吹いて失神した。無理も無い。フォースパねぇ。

 今のダース・ベ……もとい篠ノ之箒に睨まれたら、地獄の獄卒も土下座して命乞いするだろうさ……!

 

「すまん五反田、少し待っててくれ!」

「へ? あ、ちょっと朴月ちゃん!?」

 

 エマージェンシ、スーパーピンチだ。

 今の篠ノ之に一夏と合わせる訳には絶対にいかない。アイツだけならまだしも、下手すりゃ同伴していた自分の首まで宙を跳ぶ。

 迷っている暇など無い。急いで姫燐はそこら辺にあった男物の服を数点かっぱらうと、試着室へと突入した。

 

「ん? キ、キリ!?」

「すまん、ちょっと借りるぞ……!」

「へ、なんでってうわ! なななななにしてんだ!?」

「うっさい静かにしてろ……! 死にたいのか……!?」

 

 どうやら一夏が入ってる試着室だったようだが、今の姫燐には関係ない。羞恥は一時の恥、躊躇はこの一生の終幕だ。

 いきなり自分が入ってる試着室に押し入って来たかと思えば、突如ストリップショー始めた友人に、当然一夏はかつて無いほどにテンパる。

 

「キ、キキキキキリさぁぁぁぁん!? いったい何がどうなゴベキュ!?」

 

 意外と趣味が可愛い水玉のブラとショーツと、これが若さかと言わんばかりに艶のいい肌色等々が見えて、色々粗ぶる一夏の腹に姫燐は満足パンチをかまして黙らせると、簡単なシャツにジャケットとジーンズと、いつもの彼女とさして変わらない服に素早く着替え、作画崩壊気味な一夏を放置して即座に試着室を跳び出す。

 

「あ、あれ朴月ちゃわぉ!?」

「すまん五反田、オレに合わせろ……!」

 

 何故か服が男物になって戻って来たかと思えば、いきなり襟首を掴んで引っ張り、小声で訳のわからない指示を飛ばす姫燐に弾は困惑するが、それでも何とかついて行く。

 そして彼女は、こともあろうにあの暴走モードの前に立ち塞がった。

 

「よう、篠ノ之。奇遇だな、こんな所でどうした?」

「……ォォォォォォほおづきィィィィィ……?」

 

 やだ、何これ怖い。

 子供が見たら泣くどころじゃないよこれ。恐れるなオレの心。悲しむなオレの闘志。

 今はあくまでも自然に、オーガニック的に情報を集めろ……。

 

「オレか? オレは昔の友人に会ったんでな、ちょっと話しこんでたんだ。なぁ、五反田?」

「へっ? ああ、そうです、俺が朴月ちゃんの友人の五反田弾です!」

 

 いきなり大嘘をパなす上に、いきなり暗黒卿との面会に強制参加させられパニックになりかけながらも、しっかりと合わせる弾。どこかの誰かと違って胆が据わっている。

 知り合いに会った故か、少しだけ威圧感をマシにしながら、篠ノ之ベーダーは問う。

 

「丁度いい……朴月、一夏を見なかったか?」

「へっ、一夏? 一夏ならイッづ!」

「あー、見て無いわぁー! 今日は1回も見て無いわぁー!」

 

 なに食わぬ顔をしながらブーツのヒールで弾の足を踏み、大声でしらばっくれる姫燐。

 一か八かの賭けだったが、どうやら自分と出かけた事までは知らないようだ。

 実はと言うと、女物の服で来た最後の理由がコレで、万が一誰かに見付かっても、最悪自分であることを即座に見切ることが出来なくするためだ。クラス1のイケメンとデートして他の奴に見付かり、色々といざこざが起こるだなんて完全に一昔前の少女漫画のテンプレだが、現実問題として起こる可能性が無いと言えないのが怖い。

 流石にあそこまで普段と違えば、何も無しに初見で自分であるということを見切るなど、人類には不可能だろう。そうなれば、今の様にまだ誤魔化しが効く。

 本当に最悪のケースを考えての一手だったが、どうしてここが……?

 この事態だけは決して起きない様に、一夏には箒が寝静まったのを見計らって部屋の外で寝るように指示をしたはずなのに。

 それに、足止め用の抱き枕(姫燐特製、一夏愛の囁き寝言レコーダー付き)をベットに身代わりに入れるようにも指示したから、出て行く所を見られた可能性も薄い。それに篠ノ之の性格から考えて、オレ達を見たならそこで即座に仕掛けてくるはずだ。

 

「そうか……オルコットの情報によれば、この付近に居ることは確かなのだが……」

 

 アイツかい、情報元。電車から見なくなったと思ったら、何しくさってんだ。

 そう、あのあと寮に帰ったセシリアはまだ諦めていなかった。

 千冬に言われるがままIS学園に帰宅した後、どうにか我が愛しの君と、それを狙う野獣を引き離そうと策略をめぐらしていた彼女は一夏を探し学校をさ迷う箒を見つけ、そこで悪魔のウィズパーを彼女に授けたのだ。

 

「織斑一夏が、他の女とデートに出かけた」と。

 

 当然、ここであえて姫燐の名前を伏せたのは、彼女に少しでも迷惑がかからないようにするための配慮だが、充分に迷惑千万である。

 まぁ事実、今はそれに助けられているのが何とも言い難いことだが。

 

「オノレぇ……どこへ逃げた一夏めぇぇ……」

(な、なぁ、このシス、一夏の知り合いなのか……?)

(あー、知り合いというか、愛して止まないというか……)

 

 それだけで弾は全てを悟った。

 ああ、あのバカ、また厄介な女を引っかけたんだな……と。

 とりあえず、このままではラチがあかない。この場所に一夏が居る以上、見付かるのはここにいる全員のデッドエンドだ。無論、その中には完全に無関係な弾や他の客も含まれている。

 とにかく自分が箒をどこか別の所に誘導して、その隙に弾に一夏を何処かに逃がして貰わなければ、自分達に明日は無い。死と隣り合わせの任務だが、考えようによっては好都合だ。彼女には色々と2人っきりで腹を割って話したい事がある。

 大丈夫だ、問題無い。箒は単純だからコロッと騙されてくれるだろう。なぁに、オレの話術は不可能を可能にできるのさ。

 

「あー、篠ノ之。一夏なんだがな、確か今日はちょっと開かれたオーラロードの先にだな……」

「……どこだ、そのオーラロードとは?」

 

 うっし、喰いついた! へへっ、やっぱりオレの話術は不可能を……可能に……

 

 

 

「痛つっ……いきなり何すんだよキ……あれ、箒じゃないか? こんな所で何してんだ?」

 

 

 

 ……ああ、やっぱり今回もダメだったよ。

 瞬間、空気、凍結。

 試着室から一応人前なのでコーヒーで汚れたままのTシャツを着用して、腹を押さえながら出て来た青年に全員の視線が集まる。本人は呆ける。友人達は終わりを悟る。ハンターは獲物を自動マーキング。

 きっと空耳なのは分かっている。だが極限状態まで追い詰められた姫燐の耳には幻聴だとしても、ハッキリと、その声が聞こえてしまった。

 

―――狩リノ 時間ダ―――

 

 静寂の店内に、怒声が駆け抜けた。

 

「逃げろ一夏ァ!!!」

「へっ?」

 

 いきなり自分に怒声を浴びせる姫燐と、そして全く同じタイミングでいつの間にか自分の真正面に出現して木刀を振りかぶる箒に、瞬時に対応できるほど一夏はスーパー地球人ではない。

 駄目だ、完全に出遅れた。今からでは、例えISを展開した姫燐でも間に合わない。

 幼馴染のような何かが浮かべる狂乱の笑みと共に、白刃がゆっくりと脳天へと落ちて行く。あ、死にそうになると世界って本当にスローになるんだ。とか、明日役に立ちそうに、というか使えそうにないムダ知識に感嘆してしまう一夏。

 そのまま哀れ一夏は、頭蓋を砕かれ骨と脳味噌のシェイクになる……と思いきや、救援は意外な所から現れた。

 そいつはまだ状況が理解できていない一夏の押し倒す様な形で無理やり回避させ、間一髪で振り下ろされた箒の剣閃は背後にあった棚を砕くだけで空振りし、即刻で体制を立て直す。

 

「ナイス五反田!」

「あとで何か奢れよ一夏ァァァ!!!」

「ああ、彗星はもっとバァーって輝くもんな……」

 

 なぜいきなり幼馴染に頭をカチ割られかけたのか、訳が分からない現実のせいで虚無空間へと旅立ってしまった一夏を連れながら、弾は出口に向け全力で走りだす。

 

「腑抜けが! 男に後退の二文字は無いぃぃィ!」

「なぁっ!?」

 

 無論、それを許す狂戦士ではない。

 ゼロシフトもビックリな速度で弾達の正面へと高速移動すると、すかさずステンレスの商品棚をいくつか両断しながら横薙ぎに一閃を放つ。完全にOFか何かなアクションに、完全に虚を突かれた。回避が、間にあわないッ……!

 

「むぅ!?」

 

 だが、一夏を護るのは1人だけでは無い。

 カメラが入った箱を盾に姫燐は箒と弾達の間に入り、その一閃を受け止めた。剣戟を受け止めたショックと、完全にお陀仏になった新品のカメラに心理的ショックを受け、顔をしかめる姫燐。

 

「今の内に逃げろ! 五反田!」

「だ、だけど朴月ちゃん……!」

「バッカ野郎、迷うな! オレなら心配ない!」

「くッ……死ぬなよ、朴月ちゃん!」

「暑苦しいな。ここ。出られないのかな。おーい、出してくださいよ。ねぇ」

 

 正面を塞がれてしまったので、今度は裏口へ向け疾走を始める弾。

 まだ一夏はコックピットの中から帰って来ない。

 

「逃がさぬわぁぁぁぁ!」

 

 箒が咆哮を上げて弾達の背中を追おうとするが、一歩を踏み出そうとした瞬間、何かが頬を掠めた。

 

「つれないねぇ、オレの事は無視かよ篠ノ之?」

「朴……月……?」

 

 箒の頬から滴り落ちる赤い液体。それが、彼女の完全にオーバーヒートしていた頭を急速冷却させていく。

 目の前に立ち塞がるは、目が据わり、両腕を下にぶらん、と掛かる重力に従わせ、セリフそのものは何時もの彼女なのに、声に起伏が全くない姫燐。

 姫燐は一夏達を追う箒を足止めするために、ワザと箒の頬を掠める位の間合いで蹴りを放った。それだけだ。ただ、

 

(軌道が、一切見えなかっただと……!?)

 

 いくら不意打ちだったとは言え、箒ですら視認する事の出来ない程のスピードで。

 彼女の直感が告げる。恐らく、今の姫燐を無視して一夏を追う事など不可能である事を。

 初対面の時からタダ者ではないとは思っていた。平時からヘラヘラしている様で隙のない立ち振る舞い。後頭部を強烈に討ちつけたのに、たった数分間で意識を取り戻す耐久力。時たま覗かせる、一切の希望的観測を排除した、ただ目の前の現実のみを冷徹に見据えた瞳。

 そして決定的なのは、剣道で全国大会を優勝した箒でも見抜けなかった今の鋭い蹴りと、箒に向けられた非情なまでに冷たく、ねっとりと肌を舐めまわすように粘りつく確かな……殺気。ただ箒の暴走に怒っているだけでは、この様な物騒なモノは出ない。そう、殺気など放出するのは当然……殺す時だけである。

 仮にも仲が良い同級生を流血させたのに眉を微動だに動かさない目の前の少女は、自分の知る朴月姫燐であって、自分の知る朴月姫燐ではない。もっと、非情で冷酷な何かだ。

 感情の消え失せた顔、自分だけを見据えた冷徹な瞳、確かな殺気。

 

(コイツは一体……何者なのだ……!?)

 

 そんな箒の迷いを余所に、変貌した姫燐は仮借無い連撃を加える。

 

(くっ、なんだ! なんなのだ!?)

「…………………」

 

 流れる様な動作で、それでいて鉛の様に重い手刀と脚技の嵐。

 仮にも武器を持った相手だというのに、その拳に躊躇いなどは一切なく、ただ目の前の敵を沈黙させる事のみを目的とした無慈悲な連撃を、箒は何とか捌いていく。

 しかも先程から、至近距離でありながらも最適最短の拳と足技でこちらの退路を塞いでいく。こんなもの一朝一夕で出来る芸当ではない。それが姫燐の練度を物語っている。

 だが、箒もやられっぱなしで終わる様なタマではない。

 

「隙有りッ!!」

「ぐッ…………!」

 

 一瞬の攻防。箒は姫燐を突き飛ばし、一定の距離を離す。

 箒は自分の有利となった戦況にようやく一息を付く。それを理解しているのか、姫燐の視線が更に鋭いモノとなった。

 戦いにおいてリーチとは、もっとも単純で、もっとも重要な勝敗を決する要素だ。

 少し昔の戦場で刀が消え、銃が戦場の主役となっていったのが分かりやすい例だろう。敵の攻撃が届かず、こちらは一方的に攻撃が出来る状況。戦いにおいて最も理想的なパターンである。

 今の姫燐と箒の状況は、正にそれだ。

 木刀と拳。圧倒的な射程の差。いくら速度があろうとも、届かない攻撃に意味は無い。姫燐が箒に一撃を加えるには、再びその拳が届く距離―――インファイトへと持ち込まなくてはならない。

 しかし、それを簡単に許すほど箒は甘く無い。先程は不意打ちだったからこそ、容易に懐に潜り込めたのだ。一分の油断すら消し去った今の彼女に不用意に近付けば、即座に木刀はその身体に叩きこまれるだろう。

 そして何よりもこの距離は箒がもっとも得意とする、高速の一投から繰り出される面を叩きこめる間合いだった。

 再び訪れる静寂、逸らさず真っ直ぐに火花を散らす2人の視線。

 箒の絶対なる有利。だが、相手は敵の油断を最強の銃弾とする狡猾な策士。今この瞬間にも彼女の頭には、絶対不利な状況をひっくり返すための策が練られているに違いない。

 ならば、取る行動は1つ。

 

(策を練る時間など、与えん!)

 

 箒の足が、地面を蹴り飛ばした。

 

「めぇぇぇぇぇぇぇん!!!」

 

 無論、少しずらして急所は外すつもりだが、それでも一切の手加減無しで木刀を振りかぶり、姫燐へと肉迫する。そうしなければ、殺られるのは……自分だ。

 姫燐の目が見開かれる。だが、もう遅い。この距離で討ち損じることは無い。

 

(もらった……!)

 

 疾走と共に振りかぶり、確信と共に振り下ろされる一刀。

 しかし、その閃きは姫燐の肉に当たること無く、止まる。

 

「なっ、バカ……な……?」

 

 木刀は、姫燐が箒の頭上へと掲げた足に……正確には履いていたブーツのヒールに受け止められていた。

 箒が信じられないのも無理は無い。全力で振り下ろした筈の一撃が、たかが靴の底で受け止められたのだ。

 これにはとある『トリックとロジック』が隠されてあった。

 箒が操る剣道には、型というモノがある。一般的に剣道で打ち込んで判定があるのは頭頂部に叩きこむ『面』、前腕を打ち払う『籠手』、横腹に打ち込む『胴』、喉を突く『突き』の4種類。打ち込む際にその狙う部位を叫ばなければ判定にならないのも特徴だ。

 そう、今から攻撃する部位を、『事前』に。

 そして、いくら箒が速かろうと人が何の助けも無く、音の速さの壁を超えることなど不可能。つまり彼女は、朴月姫燐は、箒の掛け声から次の攻撃を予測し、その部分へと脚を掲げたのだ。

 如何に鋭い剣閃でも、威力が乗らない頭上で受け止められては物体を絶ち切る事は不可能である。

 無論こんな一歩間違えれば、いや、間違えなくても右足を犠牲にしかねない戦法など、常識の欠片も無い狂気の沙汰に等しいが、卑怯だ、反則だ、などと文句など言える筈が無い。

 これは剣道のような格式ある競技ではなく、ただただ血泥に塗れた『殺し合い』。

 どんな事があろうと、生き残る者こそが全てなのだから。

 

「ぐっ、朴月っ……!」

「……篠ノ之、良い事を教えてやる」

 

 姫燐は、開いた腕で軽く彼女の腹を殴り胴を奪うと、

 

「対象を仕留める際には、余計な事を喋らない事だ」

 

 耳元で子守唄をささやくような声で、箒の横腹へと回し蹴りを放つ。

 武器であり半身の木刀を失った箒にそれを防ぐ手段など、ある筈が無かった。

 

 

                ○●○

 

 

 強烈な一撃が直撃し、意識を失った箒が次に眼を覚ました時に飛び込んできたのは、天国でも地獄でもなく、自分の顔を心配そうに覗き込む姫燐の顔だった。どうやら自分は、箒に膝枕をされるような形でベンチか何かに寝転がっているようだ。

 

「う……ううん……」

「おっ、目が覚めたか。篠ノ之」

 

 弾んだ声で、少し安心したような笑顔を姫燐は浮かべた。少し前までの眉1つ動かさない冷徹さは何処へやら、余りに何時もと変わらないその姿に、箒は『アレ』は本当に現実だったのだろうか疑念を覚えてしまう。

 

「ここは……?」

「さっきの店から結構離れた自然公園さ。隠れる場所も多いし、この時間なら人も少なくて丁度いい」

 

 いやぁ、大変だったぜ。と語る姫燐。

 壮大に暴れたせいであの店の中は、何があったのかと聞かれれば、『第3次大戦だ』としか答えられないような惨状になってしまったらしい。無論、被害は彼女の手持ちで弁償できるような金額では無いだろうから……ここから先は考えない方がいいだろう。

 

「ッッ……」

「すまん。割と容赦なく蹴っちまったからな、まだ痛むだろ?」

 

 とりあえず身体を起こそうとして、鈍痛に横腹を押さえる箒。

 その確かな痛みが、あの出来事が夢ではない現実だと告げる。

 

「悪いな、流石にオレも、あの時の篠ノ之は本気じゃないと止められる自信が無かったんだ」

 

 そこで、ようやく彼女と大ゲンカした理由と目的を箒は思い出して……バッ、と跳び上がるように立ち上がり、ベンチに立て掛けてあった自分の木刀を手に取った。

 

「お、おいおい! 第2ラウンドに突入するには速過ぎやしないか!?」

「……………」

 

 慌てて立ち上がる姫燐を無視して、箒は無言で道着の上着を肌蹴けさせる(下はサラシなので大丈夫)と、夕暮れに照らされ赤くなった地面に正座をし……

 

「待てやコラ」

「ふもっ」

 

 事態を察した姫燐の軽い踵落としによって、犬だかネズミだかよく分からないマスコットのような声を上げる箒。

 

「切腹するならオレのモノに……じゃなくて、余所でやれ。いや、木刀で出来んのかそもそも」

「うう……だが……」

 

 目尻に涙を溜めながら俯く箒。

 

「嫌われた……一夏に……絶対……」

「あーもう。嫌われるって分かってんなら、何であんなマネするかねぇ」

「だって……他の女と一緒に……許せなくて……」

「だからって、木刀持って追いかけ回すのはやり過ぎだろ……」

 

 このどうしようも無いほどに不器用な少女に、姫燐は呆れかえる事しかできない。

 まぁ、これじゃあ無理だわな。アイツと相思相愛になるのは、不器用な箒にはいささかハードルが高過ぎる。だけどどれだけ届かなくとも、『諦める』というカードなど、始めから手札にありはしない。恋という奴は本当に厄介な病だ。

 きっとこのままじゃ箒はずっと同じ様な堂々巡りを、アイツが別の女とくっ付くまでし続けるだろう。それでは、余りにも彼女が哀れで……

 

 ―――まぁ、これもある意味サポートの一環か。

 

 どこまでやれるか分からないが、処方箋を出してみますかね。

 

「箒、ちょっと話したい事がある」

「話したい……こと?」

「そうだ、とりあえず正座は止めろ」

 

 姫燐は木刀を再びベンチに立て掛け、箒の腕を引いて立ち上がらせて座らせると、自分もその横にもたれかかる。

 

「朴月、話とは……なんだ?」

「色々あるが、まず1つ目。今日一夏をデートに誘った女ってのは、このオレだ」

 

 先程まで俯いて涙を流すだけだった箒の眼が、驚愕に見開かれる。

 

「おっと、勘違いすんなよ。オレは一夏にライクは懐いてても、ラヴはこれっぽっちも無い」

「で、ではなぜ……」

「お前のせいだよ、篠ノ之」

 

 事情をイマイチ飲み込めないと言った表情を浮かべる箒。そんな箒に姫燐はゆっくりと諭すように事のあらましを説明していく。

 

「オレは確かに一夏のトレーニングをお前に頼んだ。だけどな、誰も虐待スレスレまで痛めつけろとは一言も言ってねえぞ。だから、お前から遠ざけるためにオレはアイツをデートに誘ったんだ」

「違う……私は……そんなつもりは……」

 

 分かっている。コイツのトレーニングに悪意の『あ』の字すら無いのは、あの果たし状の事を聞いた電話の時、一夏との時間をとても幸せそうに語っていた彼女を姫燐は知っている。

 

「だけどな、恋愛ってのは1人でするもんじゃないんだぜ?」

 

 悪意の無い悪ほど、罪深きモノは無い。

 彼女の愛は、独りよがりの一方通行すぎるのだ。

 

「なぁ、篠ノ之。お前は、一夏の気持ちを考えた事があるか? アイツがなぜ今日、サボったらお前が怒ることなんて判りきってる筈なのにデートに行った訳が分かるか?」

「一夏の……気持ち……ッ」

 

 そこで、箒は己の過ちに気が付く。

 言われてみれば、自分は一夏の気持など考えた事も無かった。なぜ自分の事を見てくれないのか、なぜ姫燐ばかり相手にするのか、なぜ昔のように自分に笑ってくれないのか……ただ自分の感情だけで精一杯で、今の彼の事など知ろうともしなかった。

 自分もこの6年で変わった様に、彼も6年前のままでは無い。

 結局、自分は一夏と再会などしていなかったのだ。自分は彼という肉体に再会しただけで、彼の心とは6年前に離れ離れになったままで、一度も触れあってなど……いない。

 

「アイツは疲れ切っていた。相手の気持ちを理解しようとしないで、自分の事だけを知ってもらおうなんて、おこがまし過ぎる。そう思わないか、篠ノ之?」

「……っ……っ……」

 

 もはや言い返す言葉も無い。完敗だ。

 自分は、最低だ。相手の気持ちを考えずに、ただただ自分の考えだけを押し通して、それが相手の為だと勝手に納得して……。本当にっ、最低の人間だ……っ。

 自分など、彼の傍に居ない方がきっと……。

 

「はいそこ。さっそく閉じこもらない」

「むにゃ!」

 

 ずぷずぷと泥中に沈んでいた世界が、姫燐の脳天割によって覚醒する。

 

「篠ノ之、お前の生まれは知ってる。確かに、あんな姉ちゃん持っちゃ苦労も多かっただろうさ。だけどな、恋愛もそうだが、人生って奴も1人でするモンじゃないんだぜ?」

 

 箒の人生を歪めた、大いなる存在。

 篠ノ之 束。この世界を歪めた超兵器『IS』を開発した天才科学者。

 彼女がISを発明したせいで箒は政府によって、重要人物保護の名目で各地を転々とし、その先々でずっと独りで立ち続けて行くこととなった。

 どこへ行こうとも姉の影は消えず、男からはこの世界を狂わせた奴の妹として影で蔑すまれ、女からもまるで『御神体の些細な飾り』でも扱うかのような扱いを受ける最悪な日々。

 人は無意識に、どのような場所でも己の心を最適な形に適応することができる。生き残るための本能といってもいいだろう。

 そして悲しくも箒の本能は、その最悪に適応してしまった。

 ただ、己の世界に閉じこもる。そうすれば、誰が何を言おうとも関係無い、この世界に居るのは自分だけだのだから。そうやって、彼女は今までを乗り越えて来た。

 何も見ず、何も知らず、何も聞かず。ただ己の声を信じるのみ。

 だが、それではいけないと、横に座る同級生は、優しくほほ笑んだ。

 

「吐きだしてみろよ、篠ノ之。お前は、本当はどうしたいんだ?」

「私は……私は……」

 

 脳裏に浮かぶは、愛する彼。

 昔、男女といじめられていた自分を庇ってくれた彼の背中。

 6年ぶりに再会して、随分と大きくなった彼の姿。

 ISを纏い、凛々しく刀を構える彼の勇姿。

 そして、明るく、地獄の底でもずっと忘れることがなかった彼の……明るい笑顔。

 もっと見たい、もっと知りたい、もっと聞きたい。

 彼の全てが欲しくて、そして自分の全ても知ってもらいたくて堪らない。

 そう、自分は、篠ノ之箒は、

 

 

「私は……一夏を愛してる! だから、もっと一夏の事が知りたいし、私のことも、もっともっと知って欲しい! 今の、この篠ノ之箒を……」

 

 

 ふっ、と、ずっと心の中にあった霧が消えたような気がした。

 見える。今なら、自分が何をしたかったのか、自分が本当の望みがハッキリと。

 

「不思議だ……声に出すだけで、こんなにもスッキリするだなんて……」

「だろ? 何があろうとも、自分の心にだけは嘘をついちゃいけない。嘘は、他人だけじゃなくて自分の心まで曇らせる。だけどな、もし何かのはずみで霧が深くなったら、そんな時は誰かに話せばいいんだ。例えば……」

 

「青狸よりもとーっても頼りになる、素晴らしい友達とかにな」

 

 そう言って、姫燐はニカッ、と笑う。

 その笑顔はどこまでも眩しくて、真っ直ぐで、それでいて……どこかおバカで。

 

「……ぷっ、くくく……それはまさか、お前の事を言っているのか?」

「な、なんだよ、笑うな! 命が惜しければ笑うなー!」

 

 顔を赤くして、腕をブンブン振り回す彼女。

 本当に、よく分からない奴だ。月光の様に冷たいかと思えば、次の瞬間には太陽のように朗らかで、だけど……どんな時でも真っ直ぐで。

 

「ふふふ、すまない。私とて命は惜しい」

「ふ、ふん、分かればいいんだ。分かれば」

 

 箒は、少しだけ考えて、言った。

 自分の過ちに気が付かせてくれた、拗ねてそっぽを向いている、

 

 

「ありがとう、姫燐」

 

 

 友達に送る、感謝の言葉を。

 

「……ふん、どういたしましてだ。箒」

 

 姫燐も、友達に返しの言葉を送る。まだ、少しだけ拗ねながら。

 その後、2人は話をした。他愛のない雑談や、好きなモノを語り合ったり、一夏のダメさ加減に一緒に呆れたりと、些細だけど、とても、とても充実した時間を過ごした。

 そうこうしている内に、日は完全に沈み、公園に備え付けられた外灯に次々と火が灯る。

 

「さて、私は一夏の所に行くよ」

「……念のため聞いておく。何をしに、だ?」

「まずは……今日の事を謝ろうと思う。簡単に許してくれるとは思えんが……」

「くくく、大丈夫だって、あのトリ頭の事だ。どうせもう忘れてるに決まってる」

「ふふっ、だと良いがな」

「それに丁度いい機会だ。めんどくさいし、もうそのまま勢いで告っちゃえよ。もしくは押し倒すか」

「なっ! ななななななっ!! ぷ、ぷじゃけるな! そ、それじぇひゃな!!」

「ああ、じゃあな。また明日」

 

 頬を紅色に染めながら、箒は全速力で走り去っていった。

 あの様子なら、もう心配はいらないだろう。彼女は、きっと上手くやって行ける。

 それに再び間違えたなら、また処方すればいいだけだ。

 

 彼女の友人である、朴月姫燐が頑張って。

 

「……それにしても、今日は疲れた……」

 

 ようやく1人になった彼女の双肩に、今までの疲れが一気にフィールドバックしてくる。

 本当に今日は色々とあった。一夏をからかって、カメラを買って、色んな店によって、喫茶店でUMAより珍しいモノを見て、一夏の旧友にも会って、服を選んで、箒とケンカして、アイツの友達になって……全く、ヘヴィだぜ。

 

「ったく、明日の学校が憂鬱だぜ。そうは思いませんか…………織斑先生?」

「……いつから気が付いていた?」

 

 瞬間、彼女が座っているベンチの後ろの茂みから、ガサゴソと音を立て、黒ずくめの女が飛び出て来た。

 そう、この時間帯に見付かれば、一発で職質モノの最高に怪しい格好をした担任教師、織斑千冬である。

 

「最初っから。学園を出た辺りからですよ。喫茶店で一度はまきましたが、その後オレが弾と買い物をしてる辺りから、ずっと見てましたよね?」

「……末恐ろしい勘だな」

 

 いや、アレほど怪しい奴に気が付くなって方が難しいような……そんな事を思いながらも、面白そうなので口には出さない姫燐。

 

「で、何の用ですか? 一夏の奴なら今頃は寮に帰ってると思いますけど?」

「いや、用があるのは貴様だ。朴月」

 

 そう言うと千冬は、手に持っていた紙袋から服を取り出した。

 

「まずは、お前の服だ。あの店に忘れてきてただろう?」

「おっ、ありがとうござ」

「そしてコレが、今お前が着ている服と、篠ノ之と共に台無しにしてきた店の物品のレシートだ」

「いま…………あ……あ……?」

 

 次に取り出した生まれて初めて見る、人の身長ほどある長さのレシートに、お礼の言葉と服を受け取ろうとした手が止まり、代わりに油汗がとめどなく流れて行く。居た堪れなくなって視線を落とすと、まだ『値札が付いたまま』のジーンズが彼女の眼に入った。

 万引き、器物損壊、その他諸々……なんだこの罪状は?

そして、目の前にティーチャー千冬!! おいおい、これじゃあMEの詰みじゃないか!!

 

「私が弁償しておいたから良かったモノの、下手をすれば貴様は今頃ブタ箱の中だ。どうだ、今の気分は?」

「は……はははははは……」

 

 恐怖が限界まで達すると、人は笑うか、逆ギレするしかなくなると言う。

 千冬に至近距離からガンの集中砲火を受ける今の姫燐に、逆ギレなんて選択肢が残っているはずがなく、自然と選ぶのは前者に限られてしまう。仕方ないね。

 

「この金は、私のポケットマネーから落としておく。二度とこの様なマネはするな。分かったな?」

「はい、死ぬ準備はできて……はぃぃ?」

「聞えなかったのか? 私は、二度とこの様なマネはするなと言ったんだ」

 

 どういうことだ。あの、人がちょっと先生の弟を盗撮しただけで石座布団を持ってくる雛見沢の緑その2も真っ青な拷問狂がなぜ自分を許す? まさか、これも全てゴルゴムか乾巧って奴の仕業……

 

「そんなわけあるか、馬鹿者」

 

 なぜ人の心が読めるのだろう。人類最強になるには読心術も使えなくてはならないのだろうか? スネークは死ぬほど下手くそなくせに。

 

「先生、ダンボールなんてどうでしょうか?」

「いきなりダンボールをどうでしょうと聞くお前の頭がどうなんだ」

 

 はぁ、と深いため息1つと共に、千冬はさっきまで箒が座っていた姫燐の隣へと座る。

 

「まぁ冗談はこれ位にして、何でお咎め無しなんすか先生?」

「……これから言う事は、『全て』独り言だ。私だって、独り言を呟く時もある。分かったな朴月?」

 

 ずいぶんと念を押す独り言だことで。

 

「こほん。……実はな、私は『ある生徒』に、とても感謝している」

 

 ふっ、と顔を綻ばせながら千冬は、『本人曰く』独り言を呟き始めた。

 

「私は正直に言えば不安だった。一夏の奴が、このIS学園で上手くやっていけるかどうか」

「ま、普通の男なら無理っすよね」

「………………」

「はいはい、独り言でしたよねー。黙ってますよ」

 

 だからそんな、見るだけでISすら撃墜できそうな視線をこっちに送らないでお願い。

 

「友人も居らず、女しかいない学校で、慣れぬ戦いの訓練。いくらアイツの為だとは言え、それが本当に一夏の幸せの為なのか? 随分と、悩まされた」

 

 

 きっと彼をIS学園に無理やり入学させた時も、その鉄面皮の裏で、謝罪し続けて来たのだろう。

 自分の進む道を、自分の手で選ばせてやれなかった事を。

 

「事実、この学園に入ると決まってから、一夏は滅多に笑わなくなった。卒業するまでの3年間、一夏の顔に笑顔が戻らないのか思うと、負い目を感じずには居られなかった……だが、アイツには良い友人ができた」

 

 そう言って千冬は、姫燐の顔を見遣る。

 

「そいつは少々……いや、大分問題が多い不良だが、その生徒と出会ってから、確かに一夏の顔に笑顔が戻ってきた。アイツの事をいつも気にかけてくれるし、友人の妹とも仲良くやってくれている。そして今日、一夏はこの学園生活の事を『悪くない』とまで言ってくれた。姉として、教師として、これほど嬉しいことは無い」

 

 傍から見れば、唇が微妙に釣り上がっただけで、ほんの少しだけ嬉しそうにしか見えない千冬の笑みだったが、いつも不機嫌そうな彼女の顔に見慣れている姫燐にとっては、それはとても極上の笑顔に思えた。

 

「だから……ここからは質問だ、朴月」

「質問? いやー、光栄っすよ。まさかあの織斑千冬に興味を持って頂けるとは。これはフラグですか?」

「旗が何かは知らんが、これだけは、大切な弟と親しくなる奴として、どうしても知っておかなければならない」

 

 千冬の表情が一転、元の鉄面皮に戻っ―――いや、これは違う。

 平時の表情とは違う。いつも真剣な彼女だが、それでもこの真剣さは段違いだ。

 姫燐の眼を一直線に見つめ、千冬は問う。

 

「朴月。お前は、いったい何者なのだ?」

 

 浮ついていた姫燐の表情が、締まる。

 その瞳から暖かさが消え、急速に冷たく、鋭く磨かれていく。

 

「……いやですね先生、オレ達の話を聞いてたんでしょう? オレはただの一般家庭に生まれた―――」

「一般家庭に生まれ、普通に過ごして来た奴が、そんな目をするか?」

 

 彼女の言い分をピシャリと遮った千冬に注がれる視線が、また、一段と鋭利になる。

 

「その目だ。私は貴様のような目に、非常に見覚えがある」

 

 そう、彼女は今まで非常に様々な地を転々としてきた。

 呆れかえるほど平和な国もあれば、常に銃声が鳴り響く地獄様な国すらあった。

 そして、彼女の、朴月姫燐が今、千冬に向ける瞳は、

 

「貴様の目は鉄が心にまで染みついた、殺し、殺されるのが当たり前の世界。そんな地獄の住人共の目だ」

 

 ただただ、目の前に広がる現実に、冷徹に容赦無く鉛玉をぶち込んでいく、そうしなければ生き残れない。そんな世界に順応した、いや心の底まで染まりきった双眸。

 

「だが、貴様はそんなロクデナシ共とは何か違う。確かな暖かさを持っているのも確かだ」

 

 一夏や箒に見せた、義理人情と呼べるモノ。

 不確かで形の無いそれは、地獄の住人どもが忌み嫌い、無意味だと吐き捨てる綺麗事。

 だが、この世のどんなモノよりも、人の心を暖める大切なモノ。それを彼女は確かに持っている。

 

「だから、私は知らなければならない、いや知りたい……だから、もう一度聞く」

 

 

 

「朴月姫燐、本当のお前は、一体どちらなのだ?」

 

 

 

 真摯な千冬の声が、夜の公園に響き渡って溶けていく。

 いくら時間が経っただろうか。冷たい春風、電灯の光る音、ありとあらゆる環境音が、とても大きく聞え、そして、姫燐はその冷たい瞳を閉じて、

 

「Iam……」

「………………?」

「Iam……all of me……」

 

 ゆっくりと、ささやく声で姫燐は説明する。

 

「『オレが、オレの全て』って意味ですよ、先生。どれが、じゃない。いつものオレも、さっきのオレも、全部ここに居るオレって存在なんです」

「……それで、納得しろと?」

「ええ、でも信じてくれ、と言うしかありませんよ。オレが一夏に言った事に嘘偽りはありませんし、自分でも訳が分かりません。何で本気になると、こんな目をするのか」

 

 姫燐の顔に浮かぶ表情は、不安。

 

「ハッキリ言って、自分でも怖いんです。箒を傷付けておきながら、あそこまで冷淡になれる自分が、怖い」

 

 冷たさが消え、代わりに瞳に憂いが宿る。

 本当に自分でもあの感情が何なのか、分かっていないのだろう。それが突然牙を剥き、友人を襲う、それがどうしようもなく怖い。そんな顔をしていると、千冬は思う。

 

「でも、それもオレって人間なんです。だから『オレが、オレの全て』、そうとしか言いようがありません。ですから……」

「わかった」

 

 千冬は、彼女の答えを聞かずに立ち上がった。

 

「もういい、それ以上喋るな」

「……分かりました」

「ああ、私とした事が、無駄な時間を過ごした」

 

 千冬はコートのずれを直し、吐き捨てる。

 

「本当に、無駄だった。何を今更聞く必要があったのか、お前は元々私の信じるべき、生徒の1人ではないか」

 

「……ありがとうございます、先生」

 

 嬉しそうに笑う姫燐を無視して、彼女はこれ以上話す事は無いと言わんばかりに、スタスタと速足で去っていく。そのつれない仕草でも、今の姫燐にはとても暖かなモノに見えた。

 

「……あ、そうだ。先生!」

「なんだ、お前も遅くならない内に……っと?」

 

 振り向くと共に、姫燐がこちらに何かを投げ寄こした。

 千冬はキャッチすると、手のひらの上の姫燐が投げた何かを見る。

 

「これは、ネックレスか?」

 

 黒いリングに、銀を台座に蒼と純白が混ざった水晶があしらわれた、翼のレリーフ。

 あまり高い物ではないが、中々に趣味が良い男物のネックレス。

 

「それ、一夏の奴に渡しておいてください」

「……なぜ、コレを一夏に?」

 

 千冬が理由を尋ねると、姫燐はエクステで伸びた後ろ髪を恥ずかしそうに掻いて、

 

「いや、この前のクラス代表決定戦でアイツ、それなりに頑張ってたのに叱ってばっかだったから、少しは労ってやろうかなーって、さっきの男物の服屋で……ほ、本当にそれだけですよ!?」

「なら、お前が渡せばいいだろう」

「いや、そりゃそうなんですけど……」

 

 顔を真っ赤にしながら、少し俯いてそっぽを向き、

 

「こんな女々しいマネ、オレのガラじゃないっつーか……」

 

 本当にガラじゃないその一言に、心底意外そうな表情を浮かべる千冬だったが、次の瞬間には不出来な生徒を見るいつもの鉄面皮に戻って、

 

「分かった、これは私が、責任を持って一夏に渡しておこう」

「あ、あと! オレからって事も伏せて下さいよ! 絶対にですよ!」

「まったく、意外と心配性だなお前は。ではな、明日遅刻するなよ」

 

 それでは意味が無いのではないだろうか? そんな事を思いながら、渡す時に絶対、赤くなりながら呟いた事も含めて在りのままを伝える事を決意した千冬の姿は、元々真っ暗だった事もあり、すぐに闇夜へと溶けていった。

 

「……ったく、散々だぜ。今日は」

 

 千冬の気配が完全に消えた事を確認すると、姫燐はベンチに思いっきりもたれ掛り、右手を顔に当てながら恨み事を呟く。

 カメラは買った瞬間箒に壊わされるし、弱点を一夏に知られてしまうし、果てはあんな醜態を千冬の目の前で晒してしまった。

 そして何よりも一番アウトなのは、ずばりと『自分の闇』を言い当てられてしまった事だ。

 

「くくっ……くはは……はははははははっ…………」

 

 ぐにゃり、と右手の下の顔が歪む。

 笑いが喉の奥から、愉快なほどに湧き出て、止まらない。

 

 

 

「……『Iam all of me』……ええ、それだけですよ。織斑先生……」

 

 

 

 さて、そろそろ自分も帰るとしよう。姫燐は立ち上がると、ゆっくりと誰も居なくなったベンチを後にする。明日からも、日々は続いて行くのだから。

 

 そう、彼らとの別れの日までは、ずっと……。

 

 

 

                  ○●○

 

 

 

 服屋から逃げ出した弾は、何とか無事にコックピットから帰って来た一夏を適当な駅まで送り届け、すっかり夜も更けた頃にようやく自分の家に帰って来ることができた。

 

「つ、疲れた……」

 

 自分はリフレッシュのために街に出た筈なのに、どうしてここまで疲弊して帰って来なくてはならないのだろうか? 本当なら今すぐベッドにダイブしたいのが本心だが、生憎と家業がそれを認めない。

『五反田食堂』、近所ではちょっとは名が売れた食堂で、基本的には両親が営んでいるのだが、休日のような人が多い日には自分も手伝いに駆り出される日が多々ある。

 そして今日は街に出る軍資金の前借の条件として、帰ったら食堂を手伝う事を約束していたのだ。

 

「はぁ~……ついてねぇ」

 

 これで、見た目麗しい女の子が「お仕事、頑張ってね♪」の一言でも言ってくれたら俄然やる気もその他色々も出ると言うモノだが、生憎と自分の周りには周辺の女運を全て吸っていく、ダイソンも真っ青な奴がいるので期待は出来ない。

 因みに妹は居るが、そいつは自分にエールではなく暴力という名のランチャーを良く送って来る。

 

「ま、頑張るしかねぇか……」

 

 愚痴を言っても仕方が無い。調理に集中している父親に一声かけ、洗剤で手を洗うとエプロンを手に取り、ホールへと出る。

 古臭く、そこまで大きく無い木製のテーブルと安物のイスが多数置かれた、いかにも下町の食堂といった言葉が良く似合う幼い頃から見慣れたホール。

 しかし、今日は少し何時もとは様子が違った。

 

(なんだ? 今日は、えらく空いてるじゃねぇか)

 

 夜も更けて来たこの時間帯は、飲食店にとっては一番の書き入れ時であるというのに、ホールには閑古鳥が鳴いており、居るのは最近常連になったOLさんと、そして……

 

(誰だ、アレ?)

 

 自分と同年代だろうか? 見慣れない外国人の女の子2人だけだった。

 片方はハンチング帽を目が見えるか見えないか位に深めに被り、腰位までの流れる様な少しくすんだ青髪をお下げにして纏め、出る所は出ておきながらスラッとした体型が魅力的な、大人びた少女だ。……しかし、なぜ着物を着ているのだろうか? 非常にミスマッチだ。チラチラ見える肌色が、非常にナイスだが。

 もう片方は、これまた背が低い、クラスメイトであった『凰鈴音』にそっくりな少女だ。もちろん、体型が。しかし顔色は何処か具合が悪いのか、余り良いとは言えず、病的なまでに白い肌とサイドテールに纏められた消し炭のように灰色の髪と、パッチリと開かれているのにハイライトが虚ろな瞳が余計に病弱な印象を与える娘だ。因みに、こっちもなぜが着物姿である。

 2人共、どこか不機嫌そうに何かを話しているが、外国語なので何を言っているのかさっぱり分からない。少なくとも英語では無いようだ。

 もの珍しいのは確かだが、お客はお客だ。

 弾は父親に呼ばれ、出来た2人前の焼き肉定食を受け取ると、2人の席へと運んで行く。

 

「焼き肉定食を2人前、お待たせしました!」

「む、スマンな。恩に切るでござる」

 

 ……ござる? 日本語も喋れる事に驚きだが、弾は寧ろ受け取った青髪の方の少女の、妙に時代錯誤な物言の方が衝撃だった。

 

「では、さっそく頂くでござろうか」

「……異常。リューン、日本語がおかしい。見て、五反田さん明らかに引いてる」

 

 リューンと呼ばれた青髪の少女は、顎に手を当てながら灰色の少女の言葉を思案する。

 

「しかしトーチちゃん。拙者が見た日本語の教科書では、この『ござる』こそが日本語の最大の特徴だと書いてあったでござるよ?」

「……質問。その教科書、なんてタイトル?」

「『これでニホンはマスター! ニホンジダイゲキの全て』というタイトルでござる」

「……論外。何で普通の翻訳書を買わなかったの?」

「いや、店員に聞いたら『ニホンを知りたいならコレしかない!』と強く推されて……」

「……馬鹿。どう考えても本屋の在庫処分に協力させられただけ」

「で、では、日本人は皆、外着は着物だというのも嘘なのでござるか!?」

「……当然。というか、外を歩いてる人が1人でも着物着てた? ワタシは服なんて別にどうでもいいけど」

 

 少し特徴的だが、トーチと呼ばれた少女の方がまだ日本語ができるらしい。

 しかし何と言うか、個性的というか……もしや彼女達もIS学園の生徒だろうか?

 あそこの外国人は、皆スラスラと日本語が使えると聞くし、何よりもこんな所に来る外国人などそれくらいしか思いつかない。

 少し彼女達に興味をそそられた弾は、話を聞いてみる事にした。

 

「ねぇ、君達?」

「ござ?」

「……なに?」

「君達って、もしかしてIS学園の生徒?」

「いや、残念ながら違うでござるよ」

「あ、そうなんだ……」

 

 はて、コレが外れなら一体、彼女達はなぜここに? 五反田食堂も、とうとう外国人客が来る程に人気がでたのだろうか?

 アテが外れて思考を展開する弾を余所に、キュ~ッと可愛らしい音がどこからか聞こえて来た。

 

「……空腹。先に食べていい?」

「うむ、トーチちゃん。日本では食べる前に、手を合わせて頂きますと……ってコラ!」

「……美味。このトマトはイケる」

 

 日本のうんちくを語るリューンを無視して、焼き肉の皿に乗っていたプチトマトを素手で摘み、ひょいと口に放り込むトーチ。

 

「トーチちゃん、箸を使うでござるよ!」

「……ヤダ。コレ、無駄に使いにくい」

「何を! 箸を使わずに日本食を食べるなど、食に対する冒涜でござる!」

「あ、あの~、フォーク使いますか?」

 

 弾は、すかさず厨房からフォークを持って来て、トーチの前に差しだす。

 するとトーチは即座に引ったくり、余程お腹が空いていたのだろう再び食事に没頭していく。

 

「……感謝。五反田さん」

「いえいえ、どうもっす」

「そういえばお主、先ほどIS学園がどうとか言っておったでござるな?」

「ええ、そうですけドゥエイ!?」

「む、どうしたでござる?」

 

 リューンの方へ視線を向けた弾は、思わず奇声を上げてしまった。

 別にしょうゆ瓶を手に持ったリューン自体は色々とおかしいがおかしい所は無い。問題は、そのしょうゆ瓶の口の先に広がる光景だった。

 黒、黒、黒。焼き肉定食『だった』それは、ご飯やみそ汁にほうれん草のおひたし、そして当然焼き肉すらも真っ黒に染まっていた。それでもまだ足りないのか、更にしょうゆが投下されていく。

 

「む、ショウユが切れたでござる。五反田殿、おかわりをお願いするでござる」

「は、はい……」

 

 そして弾が厨房から持って来た新しいしょうゆも、ドバドバと遠慮なく料理へとかけていく。今すぐに「もうやめて! とっくに料理の味はしょうゆよ!」と叫び引きとめたいが、別に犯罪をしている訳でもないお客に店員がそのような事を言うことは出来ない。

 そうして、2本目が半分を切った所でようやく納得がいったのか、

 

「それでは、いただきます。でござる」

 

 リューンは手を合わせ、箸を外国人とは思えないほどに器用に操ると、しょうゆでボドボドになったおひたしをパクっと一口で食べる。

 

「うむ、うまいでござる!」

 

 舌死んでんのかコイツ。

 もうここまで来たらコレはほうれん草のおひたしじゃない。ほうれん草の食感がするタダのしょうゆだ。さっきトーチに食の冒涜だとか何とか言っていたが、コイツの方がよっぽど食を冒涜している。

 

「いやー、やはり日本食と言ったらショウユ! これに限るでござる。トーチちゃんは要らないでござるか? ホレホレ」

「……不要。その黒いモノをこっちに向けるな馬鹿が」

 

 あくまでも視線は定食から目を離さずに、はしゃぐリューンを軽くあしらうトーチ。

 何だろうか、どう見てもスタイルのいいリューンの方が年上なのに、先ほどから見は目は幼女なトーチの方が年上に見えて仕方が無い。

 

「あ、そうそう。五反田殿、IS学園のことだったでござるよね?」

「あ、はい、そうですけど」

「もしかして五反田殿、『織斑一夏』のお友達か何か?」

「えっ、一夏の奴をしってるんっすか?」

「ふっふっふ、そりゃ世界的な有名人でござるからな。同年代の男、そしてIS学園が近い少年が男には無縁の学園の事を聞く理由なんて、それくらいでござろう?」

 

 どうやらこの少女、言動は残念だが、それなりに頭は切れるらしい。

 

「それじゃあ、そんな五反田殿に拙者から助言でござる」

 

 助言? 一体、何だろうか?

 リューンは箸を手元に置くと、静かに告げた。

 

 

「今すぐ、伏せるでござるよ」

 

 

 瞬間、蛍光灯が消え、店内が暗黒に包まれた。

 

「なっ!? なんだぁ!?」

「……黙れ。そして伏せて」

「へっ? うおっ!?」

 

 暗闇で分からないが、恐らくトーチに引き倒され、弾は無理やり床に伏せさせられる。

 次にバリン、と窓ガラスが割れる音。そして『何か』が投げ入れられて店の床に転がった。うっすら見える、濃い緑色をした手のひらサイズの、まるで『パイナップル』の様な形をした何かが……。

 

「ひッ!」

 

 弾は、理解した。してしまった。

 自分がやってるゲームにもよく出てくる代物だ。それはパイナップルの様な形をしており、栓を抜くと数秒で爆発し、破片を飛び散らせる……人を殺すための兵器。そして、投げ入れられたという事は、今殺されそうなのは、自分。

 動けない。動かない。ここから逃げなければ自分は確実に死ぬというのに、首に当てられた死神の鎌に、完全に身体が竦んで動けない。

 

「あ……あぁ……!」

 

 死ぬのか? 俺は、このまま本当に死ぬのか?

 例え、脳内でなにを問答しようとも時間は無情に過ぎていく。

そして無情に、パイナップルは破裂し、爆音が店内に響いた。

 

「ッッ………!!」

 

 恐らく直ぐに襲いかかるであろう破片の数々に、弾は咄嗟に目を閉じて頭を隠し、少しでも生存率を上げる虚しい努力をするが……。

 

「…………?」

 

 どれだけ時間が経っても、破片は自分に襲いかからない。

 しゃっくりが止まった時の様な、嫌な感覚が弾の身体を支配する。

 いったい、何があったのか? 恐る恐る瞳を開けると、

 

「無事でござるか、五反田殿?」

 

 自分の目の前に、庇うように紫の鎧が立っていた。

 いや違う、これは鎧などではない。

 手榴弾どころか、バルカン砲でも傷1つ付かない装甲。世界を文字通り作り変えた超兵器……!

 

「インフィニット……ストラトスッ……!」

「イエス、その通りでござるよ、五反田殿」

 

 声から察するに、リューンのISなのだろう。

 暗めの赤を基調にした、女性的でありながら全身を包む威圧的な鎧に、目元が隠れる位に深く被った、竜の頭のような形状をした兜。よく見れば、装甲もどこか鱗を思わせるような彫が入っている。背中から生えているコウモリのような翼も相まって、まさにその姿は人の形をしたドラゴンそのものである。

 

「怪我はないでござるか?」

「あ、ああ、何とか……ッ!」

 

 足音が2つ、いや3つ。誰かが、この店に入ってきた。

 恐らく、先ほど店内に手榴弾を投げ込んだ奴等だ。

 

「な、なんなんだよあいつ等も、アンタも!」

「ちょ、五反田殿、声が大き―――っ!」

 

 チャ、と何かがこちらに向けられた音がする。

 そして同時に、間髪無い発砲音。

 

 ズドドドドドドッ!

 

「う、うわぁぁぁぁぁ!」

「五反田殿! 動くなでござる!」

 

 放たれた銃弾は、全てISのシールドバリアに弾かれる。下手をすれば戦車砲にさえ耐えられる装甲だ。アサルトライフルごときで、貫ける代物ではない。

 しかし、このままでは動けない。下手をすれば、弾に銃弾が当たってしまう。

 さてどうしたものか、とリューンが高速で思考を巡らせていると、

 

「……発見。捕縛」

「ぐ、わぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

 トーチの声と共に、銃声は止み、代わりに響くは銃を撃っていた奴の悲鳴。

 弾が姿勢をずらして覗き見ると、トーチは侵入者の首を掴み、軽々と持ち上げていた。

 当然、彼女もISを展開して。

 まず一番に目立ったのは、その不自然に巨大なまでに両腕だ。トーチの首くらいまでのサイズがあるだろうか、深海のような灰色のブルーをメインカラーとし、背中に積まれたジェットパックらしき物と、胸元に鈍く輝くコアのような物が特徴的だ。

 

「は、離せ! はなせぇぇぇぇぇ!」

 

 弾には分からない外国語で、侵入者は叫ぶ。

 仲間を捕まえたトーチのISに、他の仲間が集中砲火を仕掛けるが、それでもISの前には無力。たとえ3対2とお荷物付きであろうとも、IS相手にただの歩兵に勝ち目などある訳が無い。

 

「くそッ、なぜだ!? 貴様、まさか……!」

「……ハァ」

 

 首元を持たれて宙づりになりながらも暴れながら、ごちゃごちゃと分からない事を叫ぶ侵入者にトーチは心底鬱陶しそうにため息をついて、

 

 

「うるさい。燃えちゃえ」

 

 

 赤くコアが光り輝き、侵入者の身体はトーチの腕から噴き出た蒼い炎に、あっという間に飲み込まれた。

 

「ぎゃあああああぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁ!!!!!!」

 

 暗かった店内が、命の炎で照らされる。他の2人の姿が丸見えになったが、2人共目の前の惨状に動けずにいた。

 外国語でも分かった。彼の叫びは、命が燃える絶叫へと変わる。

 昔、理科の実験でやった、タンパク質を燃やした時と全く同じ匂いが、店内に充満する。

 その、人が生きたまま丸焼けになる余りにもショッキング光景に、弾はただ茫然とすることしかできない。

 

「タスケ!! タス!! アツいダレカタケシテスケテスケタス!!!」

「……だから、うるさい」

 

 トーチの巨腕からゴキャ、という嫌な音が鳴る。

 必死に足掻いていた火達磨は2度と叫ばず、動かなくなった。

 

「……照明。コレでいいよね?」

「うむ、充分でござる」

 

 物言わぬ、タダの松明となった死体を持ったままトーチは尋ねる。

 それを言い終わるか終わらない内に、弾の前に立っていたリューンが姿を消す。

 

「ひっ、バケモ」

「遅いでござるよ」

 

 ヒュン、と風を斬る音がした。

 いつの間にか手に槍を持っていたリューンが、茫然としていた2人目の真正面に立ち槍を振り抜いた音だ。そして次に、ドサァ、と重い物が地面に落ちる音と、プシャァ、と噴水が吹き出る様な音が弾の耳に届く。

 そしてリューンが身体を退けた先には、上半身が無い2人目が、ただ棒立ちしていた。

 

「どうなってんだ……どうなってんだよ……」

 

 呪われたように、弾は同じ言葉を呟く。

 訳が分からない。いきなり訳の分からない奴等に襲われて、訳の分からない外国人に助けられて、そして訳が分からないまま、目の前で人が2人も死んで。

 

「一体、何がどうなってんだよ!!!」

「まぁまぁ、落ち着くでござるよ。五反田殿」

「……錯乱。よくない」

 

 返り血でISを真っ赤に染めたリューンと、人間松明を持ったままのトーチが彼をなだめるが、効果なんてある筈が無い。むしろ完全に逆効果だ。

 

「黙れ! なんで、なんでお前らは人を殺してそんなに落ち着いてるんだよ!!?」

「なんで、と言われましても、ねぇ?」

「……平常。おかしいのは五反田さん」

「おかしい……? 俺が、俺の方が狂ってるってのか!? ふざけんじゃ……ッ」

 

 そこまで言って、弾は気が付く。

 彼女達の表情は、冷たく、どこまでも冷徹で、穏やかな湖水のように微塵も揺れ動いていない。本当に、これが同じ世界を生きる、同じ人間のできる表情なのだろうか?

 

「こらこらトーチちゃん。五反田殿は『向うの世界』の住人ですから、殺しが当然じゃないのは当たり前でござるよ?」

「……失念。ごめんなさい、五反田くん」

 

 ようやく、弾は悟った。

 コイツ等は、俺達と根本的に違う。人殺しに何も感じない、地獄を生きるロクデナシであることに。そしてここは、そんな地獄の1丁目。奴等のホームグラウンドで、アウェーな自分が何を言おうとも、それはただの戯言でしかないことに。

 

「さて、それじゃあ最後の人に、話を聞くとしましょうかでござる」

「ヒッ! た、助けて、助けてくれ!」

 

 完全に戦意を喪失し、腰を抜かして壁にもたれ掛り命乞いをする最後の1人。

 そんな彼にリューンはしゃがみ込む形で視線を合わせ、外国語で尋問を始めた。

 

『さて、吐いて貰おうか「チーム・オットー」。なぜ勝手に動いた?』

「チ、『チーム・セプリティス』……それは、奴の親友である五反田弾を人質にすれば、織斑一夏を簡単に」

『五反田弾には、指示があるまで手を出すな。というのが上からの命令だったはずだ』

「そ、それは……」

『貴様らが功に焦ったせいで、これから五反田弾の警備はより一層厳重になるだろうな』

 

 そう言って、先ほどからずっとISを腕部のみ展開させ、こちらを狙うOL……恐らく日本が誇る裏仕事のプロフェッショナル……更識家の者だろう、を横目で見遣るリューン。

 

「ゆ、許してくれ! この失敗は、必ず、必ず次に!」

『……もう、何も言うな』

 

 呆れたようにリューンは、ポンと彼の頭にその手を置いて、

 

 

『言い訳の続きは、地獄でやってこい』

 

 

 ぐしゃ、と生物が潰れる音が、した。

 

 

 

                   ●○●

 

 

 

「……通達。後始末は別働隊に任せて、セーフティハウスに帰っていいらしい。ただし、報告書は後で送ることだって」

「はぁ、ついて無いでござるなぁ……」

 

 冷たい風が吹きすさむ、ビルの屋上。下の街明りがイルミネーションの様に輝いていて、非常に美しい。まさに地上の星、と言えるだろう。

 そこのフェンスに肘を乗せながら、リューンとトーチの2人は佇んでいた。無論、不法侵入で。

 

「……幸運。更識と一戦構えずにすんだだけ、マシ」

「あれは、拙者達が同士討ちをしてたから、見逃してもらえただけでござるよ。本当に憂鬱なのは、あの店にもう2度と行けない事でござる……」

 

 最後の1人を処分したあと、2人は物言わなくなった3名を担ぎ、店の弁償代とご飯の代金と掃除屋の番号だけを渡して店を去った。特に最後のはキツすぎたのか、弾は最後まで放心状態だったが、まぁそこは運が悪かったと諦めてもらうしかないだろう。

 

「しっかし何で本部は、あんなアホ共をこんな重要な作戦に起用したのでござろうなぁ……」

「……不明。ただ単に節穴なんじゃない?」

 

 彼女達に課せられた任務、それは『織斑一夏の誘拐』……その為に、『組織』から派遣されたリーダーを筆頭として、スリーマンセルの10チーム―――今は9チームが派遣された。その中でも『チーム・セプリティス』は専用機を持つ数少ないチームで、リーダーと選りすぐりのエースのみが就任することを許された主力部隊だ。だというのに……。

 

「なんで拙者達、隊長の命令とは言え、こんな『暴走しそうな小物共の見張り』だなんて下らない任務に付かなきゃならないんでござるか?」

「……遺憾。前の隊長ならこんな事はなかった。というか、隊長ならきっとオットー達が行動に移す前に処分してた」

「はぁ……ですよねぇ……でござる」

 

 自分達は前のリーダーと共に配属されて以来、ずっとそのセプリティスの座を護り続けて来た。しかし……。

 

「特別任務、一体なんなのでござろうなぁ……」

「……不詳。とても大事な任務らしいけど」

 

 隊長は3月頃にその高い能力を買われて、独りだけとても重要な特別任務へと引き抜かれてしまった。強く聡明で、非常に高いカリスマを持ち合わせていた隊長をとても慕っていた彼女達にとっては、とてもショックな出来事だったが、所詮は組織の末端でしかない自分達に何かが出来る訳ではない。

 リューンは少し寂しそうに携帯端末を取り出し、隊長とトーチとで最後に撮った記念写真を眺めた。

 

「……またそれ?」

「いいじゃないですか、思い出に浸るくらい」

「……確かに、悪くない」

 

 トーチも、その画面を共に覗きこむ。

 そこには野戦服を着て明るくピースサインをして笑うリュートと、同じく野戦服を着た相変わらず不健康そうだが同様に薄らと笑うトーチ。そして、2人に挟まれた自分達と同年代の、野戦服にロングコートを羽織った直立不動で顔面神経痛をおこした様にしか見えない少女。

 

「……傑作。隊長は笑うのが下手糞だった」

「そうでござるなぁ。笑顔と言っても、隊長はコレが限界でござったからなぁ」

 

 適当に切り揃えられた燃え上がるような赤髪、服の下からでも分かる発育のいい身体、首に掛ったヘッドフォン、そして、太陽レリーフが付いたのチョーカー型の専用機。

 

 

 

「キルスティン隊長……拙者達、また、どこかで会えるでござるか?」

 

 

 

 そんなリューンの悲しい吐露が、風に乗って街の中へと消えていった。


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