IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
金曜日の夜、学生寮。
箒による虐待というか拷問スレスレの訓練からようやく解放されて部屋に戻り、今日の特訓内容を心底楽しそうに語るルームメイト兼幼馴染を尻目に、一夏は文字通り傾れ込むようにベッドに投身する。
確かにここに来るまでは運動などあまりしていなかったが、それでも運動神経はクラスでもいい方だったはずだ。だが、目の前で同じトレーニングをしていたというのに自分とは対照的なとても生き生きとした表情をする箒を見ると、もしや自分はの○太も真っ青な運動音痴ではないのかと思えてしまう。
……まぁ、ただ単に彼女が人の皮を被ったプ○デターか何かなだけであるが。
希望の見えぬ明日に、瞳のハイライトを尊厳というか色々大切なモノをズタボロにされた少女の様に曇らせながら無心に天井のシミを数えていると、携帯電話が軽快な音楽と共にメールの着信を告げた。
腕立て伏せのしすぎで動かす度に醒鋭孔を突かれたかのように激痛が走る腕を何とか律しながら、一夏はポケットから携帯を取り出し、ディスプレイに映し出された名を確認する。
そこには別におかしい事では無いのに、一夏の予想を大幅に裏切る人物の名が記されていた。
(キリ……?)
自分のクラスメイト兼協力者からの突然なメール。
彼女は日常生活ではまどろっこしい事を極力を嫌うため、用が有るならなら即座に電話の方で連絡を入れるので、メールで来るというのは非常に珍しい事に思う。 少なくとも、一夏が彼女のメールを受けるのは初めての事であった。
(何の用だろ……)
まさか、直接口では言えない事なのだろうか?
可能性として無い訳ではないだろうが、例え暴れた牛が100匹来ても優雅に歌っていそうな神経をしていそうな彼女が、この様な女々しい事をしてくるだろうか?
たとえ彼女なら、初デートの約束であろうと思い立った瞬間、閻魔の御前であろうとも背中を叩きながらありとあらゆる都合を無視して大声で相手に取り付けそうだ。
そんな本人に聞かれたら、利き腕じゃない方の腕で片足を持たれ、崖の上で逆さ釣りにされそうな事を思いながら携帯を開き中身を確認する一夏。
《篠ノ之の奴は今、近くに居ないか?》
最近流行りの顔文字も記号も何も無い飾りっ気が皆無な文章に、少し「キリらしいや」と思いながら一夏は文章を打ち込み返信した。
《箒ならシャワーを浴びに行ったけど、箒になんか用か?》
そして返信後、携帯を閉じて一息つこうとした瞬間、すぐさま今度は先程とは別のアラーム―――電話の着信を告げる音楽が手の内で震えだした。
ディスプレイに映し出され名は、言うまでも無いだろう。
『よぅ、一夏。伊達にあの世は見てないか?』
「……ああ、本当に、フランダースのネロ達に来たのと同じのがお迎えに来そうだ。んで用事は何だよ、箒ならまだまだ上がるのに時間かかるぞ?」
紛れも無い本心で、今の状況を簡潔に伝える一夏。
その言葉に苦笑いしながら、姫燐は事の次第を告げた。
『いやそうじゃない、今日オレが用が有るのは篠ノ之じゃなくてお前だ。一夏』
「俺に? お前が?」
一体なんだろうか? 彼女が自分に用などと、協力関係の事以外では思い当たる節が無い。
その協力関係であるが、目の前の問題は数週間後に控えている『クラス代表戦』ぐらいで、それはこの前、彼女自身が「トーナメント表が決まってない以上、気にしても仕方ないから今は、お前の専用機の調整と訓練に集中する」と言い切ったばかりだ。
しかし生憎と、専用機の訓練は前のクラス代表を決める戦いにて、対策の為にした賄賂などをフル活用したアリーナ独占が千冬姉にバレてしまい、しばらくのあいだ使用禁止を喰らってしまったため不可能。しかも彼女が使った賄賂も在庫ごと全て没収をくらったらしく、キリを含む生徒全員が非常に悔しがっていた事が記憶に新しい。
なぜか箒が何処となく嬉しそうだったのが気掛かりだったが、賄賂とは一体どんな物だったのだろうか?
そのあいだ手持ち無沙汰なので、姫燐の勧めもあり一夏は基礎体力を付けるために箒とのトレーニングに勤しむ事にした……結果がこの地獄のような筋肉痛の日々な訳だが。
「まさか、またグチを聞けって訳じゃないよな?」
『ああ、ソイツは……もういい。終わった……終わった事なんだよ……』
つい先日、一夏は姫燐の愚痴に散々付き合わされたばかりなのだ。
内容は主にセシリア・オルコットについてのモノで、彼女が言うにはこの前、セシリアが可愛かったから堪え切れずつい抱きついてしまったらしく、その日以来セシリアから露骨に避けられるようになってしまったらしい。
普通に挨拶しても明後日向かれるわ、昼食に誘っても即座に逃げられるわ、授業中に目が合っただけで寝た振りをされるわ、極めつけにはちょっとプリントを取る時に指が触れあっただけで、ワナワナと震えながら俯き、へたり込まれてしまった事まであるそうな。
ここまで避けられると、流石の姫燐でも飲まずにはやってられない。
チャイルド麦酒片手に一夏の部屋で延々と泣き語り、本来の部屋主達は朝まで一睡もさせてくれなかった。
いくら彼女にはデカい借りがあるとは言え、もうしばらくは勘弁願いたかったので一夏は少し胸をなで下ろす。
『んじゃ、もう一度確認だ。箒はシャワーに行って確かに傍に居ないんだよな?』
「ああ、居ないけど……?」
なぜここまで念入りに箒が居ない事を確認するのだろうか?
その答えを、一夏は嫌でも理解する事になる。
ニヒヒと、どこかの解決狐のような笑い声と共に、彼女は言った。
『うっし一夏。明日、オレとデートしろ』
その言葉にどこか、彼女と初めて会った時のような衝撃が一夏の中にリフレインして、
「…………はぁ?」
やはり、初めて会った時のような気の抜けた返事しか、織斑一夏には出来なかった。
第5話 「Escape From The School (前編)」
わからない、さっぱり分からないぞ。
次の日こと土曜日の早朝、私服姿の一夏は待ち合わせの駅で1人、悶々と昨日の電話について考察していた。
何故だ、彼女はガチレズ……格調高く言うと百合の人だったはずだ。
この前だって、お前女は『乳』と『尻』どっち派だ? と真顔で堂々とセクシャルハラスメントをして来たばかりだと言うのになぜ、水を被ると女になる訳でもない正真正銘『男』の自分をデートに誘う?
デート……もとい逢引、いくら恋愛とは無縁な自分でも、どのようなモノか位はマンガなどで知っている。愛し合う2人の男女が外にお出かけする事……で、間違いないんだよな?
あまりの異常事態に、自らの常識すら危うくなっていく。
ダメだ、非常識に囚われてはいけない。いいか冷静に、冷静に考えるんだ。
もしかしたら『デート』というのは名前だけで、友人同士の冗談と言う奴なのかもしれないし、それともセシリアにフられたせいで、元々ダメな頭がとうとう本格的にイレギュラーになってしまったのだろうか?
もしや、まさか俗に言う『二刀流』という奴に目覚めて……
「んな訳あるか、バカ」
「バィァラン!?」
後ろからの奇襲チョップに、一夏は頭を押さえながら振り向いた。
そこには、慣れ親しんだいつもと同じ呆れ顔、同じ声、同じ…………?
「あ、あのー……」
「ん、なんだよ。一夏」
「あなたは『朴月姫燐』さんで間違いない……んですよね?」
「それ以外に誰が居るってんだ。オレの後ろにス○ンドでも見えるってのか?」
「い、いやだって……」
一夏にはある意味スタ○ド能力者よりも、よっぽど奇妙で衝撃なモノが映っていた。
姫燐の足元が、足元が2つに分かれていない。
一夏が履いているジーンズとは違い、ゆったりとした布で出来ており、それがふわりと風に揺れている。ぶっちゃけてしまえば膝位までの長さの、
「スカート……だと?」
異常事態のターンはまだ終わっていない。それ以外にも何時ものトレードマークであるヘッドフォンも無く、代わりに首には赤いゆったりとしたスカーフが巻かれており、上も半袖のシャツの上に簡素なロングコートを羽織った出で立ち。
それらを赤と黒で統一し、いつもは適当に切り揃えられた赤髪も、パイロットキャップを被ってストレートに決めており、しかも何故か昨日までは肩位だったのに今では腰位まで伸びている。
まぁ、このエマージャンシーを一言で言ってしまえば、
「キリが……女の子だ……」
この一言に尽きるのであった。
普段、なぜか制服でも男物を着ている彼女が、仕草も趣味嗜好もおっさんそのものな彼女が、こういうのには無縁だと思っていた彼女が!
一夏に、電流走る。
馬子にも衣装とはいうが、これはもうそんなレベルでは無い。
普通に可愛いのだ。普段、色気もへったくれも無い格好をしている事も相まって、ギャップ効果という奴だろうか? ともかく、いつもの彼女とは違い嫌でも女性である事を認知させられて……。
(あ……あ……?)
一夏は、茫然とするしか無かった。
正直、自分と彼女がここまで仲良くなれた背景には、彼女が『男っぽかった』と言うのが少なからず関係している所がある。
異性では無理な、どんな事でも気兼ねなく話せる同性。
普通の生活では別に珍しくも無いはずのそれが、今の一夏の環境には逆鱗や、紅玉並みにレアな存在なのだ。だから彼を異性だからと言って意識せず、こちらも意識する必要が無い姫燐の存在は、この女だらけの学園生活で生活する上で、一種の清涼剤のような物だった。
だが、今の彼女は違う。
女物の服を着ているだけで、頭がどうしても彼女の事を『仲の良い友人』である以前に、『1人の女性』として認知してしまうのだ。
よろしくない……この状況は非常によろしくない……。
夢から覚めた直後の様に、だんだん現実味が帯びてくる。
これは白昼夢でも何でも無い、自分と、キリの2人っきりの逢引である事に。
「……? おい、どうしたんだよ一夏?」
「ふひゃい!?」
不意に肩に彼女の手を置かれ、つい過剰な反応でそれを振り解いてしまう一夏。
後ろを向き、大きく息を整えるその仕草を見て姫燐は一瞬ポカンとするが、次の瞬間には全てを理解したのか顔を過去最高に嫌らしく歪めて、
「うーん、オレは悲しいぞ一夏ぁ~♪」
「うひゃひゃおひゃ!?!??」
後ろから、彼の背中に思いっきり抱きついた。
無論、その豊満なπを満遍なく当ててんのよする様な形で。
「オレはお前の事を、今まで友人だと思ってたんだがなぁ~」
「ああああ、あのキキキキキリさんささささ!!???」
「まさか手を払われるとはなぁ~、オレは夢想転生を習得できそうなほどの哀しみを背負っちまったよぉ~」
世紀末で水を求めるモヒカンとどっこいどっこいな笑みを浮かべて、哀しみを語るイソップガール。無論、一夏に対するセクハラは更にヒートアップさせながら。
「あ、謝る! 男らしく何でもするからとにかく離して!! その双丘を離してくれキリ!!!」
「……言ったな」
計画通り……! 今の彼女の顔を表現するには、これ以上に適する言葉は無いだろう。
パッ、と未練も何もなく一夏の身体をリリースすると、姫燐は服の乱れを整え後ろ髪を掻き上げた。
「んじゃとりあえず、行きの電車代はお前持ちな。『男らしく』、頼むぜ?」
●○●
ハメられた……。
休日だというのに人が少ない電車の中で座りながら頭を抱え、一夏は自分が犯してしまった過ちをただひたすらに後悔していた。
いくら女の子の皮を被っているからと言って、こいつの中身は狡猾な策士なのだ。それは協力者であり、少し前にその恩恵を受けた自分自身が一番良く分かっていた筈なのに。
きっと、自分は今日中このネタで揺すられるのだろう。下手をすれば、このデートが終わった後もずっと……。
「安心しろ、流石にこれ以上はたからねぇよ」
そう言いながら、上機嫌で鼻歌を歌う姫燐。
一夏の隣に座る彼女はいつもの足組みではなく、ちゃんと足を解き、手を膝の上に置いた仕草でちょこんと座っている。
女の子なら別にどうと言うこと無い仕草だというのに、それがまた一層不気味に一夏には見えてしまう。
「な、なぁ、キリ」
「ん、どしたよ?」
なんとなく、聞くのが怖いのだが……それでも聞かない訳にはいかない。
「どうして、その……今日はズボンじゃ……」
「ああ、これか?」
そう言って、スカートの裾をひょい、と持ち上げる姫燐。
その無防備な振る舞いが、また一夏をヤキモキさせる。
「お前なぁ、一応オレも女だぜ? そりゃ休日くらいスカートを履くさ」
この言い分は本当の事ではあるが、それが全てではない。
確かに、姫燐はモテる為にそれ相応のファッションは勉強しているし、休日には女物を着て街に行く事だってある。だが、基本的にめんどくさい事が嫌いな彼女は別に人目を気にしなくてもいい時や場所……主にタダの買い物の時や、自室ではズボン(ていうかジャージ)1択だ。
学園は別にスカートでも構わないのだが、やっぱりズボンの方が楽であることや、そっちの方がレアで需要ありそうだから。という理由でズボンを着用している。
そして今日は別に気取る必要が無い相手……男の一夏とのお出かけな訳だが、あえて彼女はズボンではなくスカートを履いて行く事にした。
理由はとっても単純明快、一夏の反応が面白そうだったからである。
いつもはズボン姿の男っぽい姿しか見せた事が無いので、あえて今日はこういう女のファッションで出て行き、いわゆるギャップ萌えという奴をリアルでやるとどうなるのか実験してみたのだが、効果は抜群であった。
自分の女の子らしい服装に呆然としてあたふたする一夏の姿は、カメラを持っていなかったのが非常に悔やまれるほどに失礼ながら大爆笑モノだった。箒とかが居ればもっと面白い事になっただろう。
「そ、それでだな、昨日からずっと聞こうと思ってたんだが、なんで今日は俺とその……デートに?」
「あー、それはだな」
やはり緊張した声色で昨日、彼が悩みに悩み非常に疲れ果てているというのに、羊が柵を飛び越えるのをストライキする位に悩み抜いて結局答えが出なかった問題の答えを求める。
「なぁ一夏。お前ここ最近、トレーニングを休んだことあるか?」
「休んだことか……?」
そう言えば、クラス代表戦の対策から今日まで、平日も休みもずっとトレーニングに明け暮れていたような気がする。我ながら酷い青春だ。
「『継続は力なり』って言うがな、根の詰め過ぎも良くない。物事は大抵、ほどほどが一番だ」
彼女が思い立ったもの、そんな巨人のスター的青春を送りそうになっている一夏の身を案じての事であった。というか、昨日やたらハイテンションな箒との会話で明日からヘレクレス・ファクトリーも真っ青なトレーニングメニューを計画している事を聞き、一夏を多少強引にでも学校から引きずり出さないと、本格的に力石君みたいになりそうだと判断しての行動である。
昨日、箒が近くに居ない事を念入りに確認したのもこの事からだ。万が一聞かれれば、100%ややこしい事になる。
「だから……デート?」
「そう、故にデート」
これもサポートの一環だ。
前々から姫燐は思っていた。コイツには恋愛というか、他人の好意に気が付く回路が須らくイカれていやがる、と。
そいつはバッドだ。このまま生きれば、多分コイツは誰かが差しのべられた救いの手にすら気付かずに1人孤独にくたばるだろう。コイツがこれから進む道は、たった独りで大往生を迎えれるほど生易しくは無い。
コイツにはパートナーが必要だ。それこそ、この修羅道でさえ共に笑い合って墜ちて行く相方が。
無論、その道連れを選ぶのはコイツ自身だ。コレばかりは、所詮は他人のオレがあれこれ決めていい問題じゃない。
だから、一夏には自分で気が付いて貰わなくてはならない。
アンタと共に、墜ちる覚悟を持った人間の存在に。
だから姫燐はその一環として、このデートプランを企画した。
正常な男女のお付き合い、と言うモノを通してこのポンコツを少しでも修理できればと考えたのだ。これが今日、面倒が嫌いな彼女が女物を着て来た理由その2だ。
プラン次第では多少の荒療治も考えてはいたが、明らかにオレを意識しているこの様子なら廃案でいいだろう。
まずは、コイツに女性を意識する事を覚えさせないとな。自分から意識し始めれば、自然と他人の好意にも敏感になって行くだろう。主に箒とか、箒とか、箒とかの。
そんな事を思いながら心の中でガッツポーズをする姫燐の横で、一夏はとにかく心を静めようと他の事、他の事をひたすらに考えていた。
そうして、開口して飛んで来た言葉は、
「なぁ、キリ」
「ん、今度はなんだ? スリーサイズ以外なら答えてやる」
「俺……外に出ていいのかな?」
本来なら悟ったニートの戯言にしか聞こえないが、一夏が言うととたんに重みが別格になる言葉だ。
彼はその気になれば世界をちゃぶ台返しできるスーパーフェミニスト兵器―――ISを世界で唯一動かす事が出来る『男』で、当然その身体の謎を欲しがっている人間は誇張抜きで星の数だろう。
そんな数の人間が自分を狙っていると教えてくれたのは、他ならぬここで呑気に鼻歌を歌う彼女自身である。
「ああ、その件か」
「キリもこの前言ってたじゃないか。俺、迂闊に外に出かけたらマズいんじゃないかなー、って思ったんだけど」
「大丈夫だ、問題ねぇよ。やっこさんも、流石に今は仕掛けて来ないはずだ」
「なんで言い切れるんだ?」
「それはだなぁ……と、コホン」
姫燐は咳払いと共に一夏に説明を始めた。
「まず、お前はIS学園の生徒だ。この時点で相手からすれば厄介な事この上無い」
IS学園は各国から生徒が集まるだけあって、それらを統括するためにどの国の干渉も受けない一種の治外法権として機能している。
ここ生徒は言ってしまえばIS学園という国に住む国民であり、迂闊に手出しをすれば即座に外交問題に発展しかねないのだ。しかも、それが全国的な著名人であれば尚更に。
「でもさ、相手はその……その道のプロって奴等だろ? 俺をさらうのに、どこの国がやったのか分かるような証拠とか残すのか?」
「どうした、今日は妙に冴えてるな。その辺もオールライトだ」
もし万が一、どこかの国が一夏をさらい、その謎を解明して『男性でも動かせるIS』が量産できたとしよう。
しかし、それを表に出す事は非常に難しい。
当然、出来てしまえば『男でも動かせるIS』は世界唯一の技術となり、利益を求める為に国はその技術を独占したがるだろう。だが、独占してしまえば一発でバレてしまうのである。
「あの国は、織斑一夏を誘拐した」と。
そうなれば世論は一気に最悪レベルになり、外交も全て絶たれるだろう。敵も大勢増える。
そんなことになってしまえば、その国に残された道はただ1つ。
「滅び」、のみである。
かと言って、他の国と共同で開発しても滅亡すらチラつく超ハイリスクを負う割には、国という単位で考えるとリターンが少なすぎる。
しかもその技術自体も最悪、極度の女尊男卑思考の女性達によって闇に葬られかねない。
男と女が戦争したら3日と保たないで男が負ける。
このご時世をもっとも分かりやすく現した、どこの誰だか知らん奴が言った言葉だが、実に的を得ている。
例え男がISを動かせるようになっても、誰もが最初は素人なのだ。
技術的にも不安定な所が多いだろうし実戦経験も浅い集団では、技術的に安定した百戦錬磨の兵達にはやはり勝ち目が薄い。
個人的な見込みでは、良くても『3日』の部分が『1週間』に変わるだけだろう。
だから、迂闊に動いてもロクな結果にはならない。
織斑一夏は男達の『希望』であると同時に、一部の女共にとっては『絶望』という表裏一体の存在なのだ。
「下手すりゃ暗殺とかもして来るかもしれんが、その点も心配いらんだろ」
「な、なんでだよ……」
「そりゃお前がさっきも言った通り、『絶望』であると同時に『希望』だからさ」
そう、彼は『希望』。どんなに貧困に喘ぐ国でも、彼の謎さえ手に入れば一気に経済大国へと華やかにクラスチェンジするだろう。
それほどまでにISという兵器は今、この世界の根底を形成しているのだ。
例え一部の女共でも、余程のアホじゃない限りはいくらでも利用価値がある金どころか富権力財宝が全てごっちゃになった卵を即座に潰すなどと考えないはずだ。
「ま、余程のアホが来ても、そう簡単にはお前は死なねぇよ」
「……どういうことだよ?」
「決まってるだろ。このオレが、お前を護るからさ。シュワちゃんが銃撃戦で生き残る確率くらい安全だぜ?」
そう言って、彼女はウインクをしながらスカーフの下に隠された太陽のチョーカーをツンツンと突いた。
……なんで、こういう台詞を素面で吐けるのだろうか? 俺には絶対に無理だ。
などと、お前が言うな。と、どこからともなくツッコミが飛んで来そうな事を一夏は考えていた。
「それに今日は、『最強のボディガード』様がついてきてるからな」
「最強の……ボディガード?」
「お、着いたみたいだぜ」
一夏が聞き返すのとほぼ同時に、アナウンスが目的の駅に到着した事を告げた。
「さぁ、行くぜ。今日は遊び倒すぞーーー!」
「お、おい! ボディガードって……」
「大丈夫大丈夫。お前が心配する事なんざ、何も無ぇよ!」
そう言って姫燐は困惑する一夏の手を引き、電車から降り立つ。
駅のホームから覗く朝の陽射しは、そんな2人を微笑ましく見守っているように見えた。
○●○
セシリア・オルコットは激怒した。
必ず、かの邪智暴虐寝取り野郎を除かねばならぬと決意した。
休日、たまたま朝早くに目が覚めてしまい、何となく朝の散歩にでも出かけようと部屋の外にでた瞬間、彼女は偶然にも見てしまった。
姫燐の部屋から出て来た、可愛い洋服を着た『女の子』を。
心臓が急ブレーキをかけたかのように跳ね上がる。
ホワィ? 何故? どうしてこうなった?
我が愛しの彼女は人数の都合上、1人部屋でルームメイトは居なかったはずだ。
では、あの女は一体だれだ? もしや、自分以外にも彼女が?
そりゃあの日以来、「おはよ、セシリア」と挨拶されるだけで顔を直視できないし、「昼飯食いに行こうぜ、セシリア」と呼ばれるだけで食事が一切喉を通らなくなるので心配をかけないよう逃げるしかないし、「ん。悪りぃ、セシリア」とちょっと指先が触れあっただけで全身の力が抜けてしまうが、何も嫌われる様な事はしていないはずだ。うん。
ならばますます分からない。あの女は一体……?
そこで、セシリアの無駄に賢い入試トップブレインが閃いた。
(まさか……姫燐さん!?)
いつもとは違いすぎる服装に一瞬信じる事ができなかったが、この学園であのような美しい赤髪をしているのは彼女だけだし、先日に比べ妙に長い髪もエクステを使えば何とかなる。
では、姫燐はそのような格好で一体どこに?
多少心苦しいモノを感じたがそれよりも好奇心と使命感が勝り、ISの装着よりも遥かに速い速度で外行きに着替え、彼女の後を付けること駅前まで。
そして、そこに居た。討つべき寝取り野郎は。
(織斑……一夏ッ!!!)
待て、まだ慌てるな。感情を殺し、近くにあった植え込みに身を隠すセシリア。
姫燐が後ろから彼を小突き、振り向いた彼はやはり彼女の服装について自分と同じように驚愕している様に見える。
そして、彼女が肩に手を置くとオーバーリアクションで驚く一夏。
(あ……あざといですわ……!)
実際にはオーバーリアクションでも何でもないのだが、彼女の嫉妬に狂ったフィルターを通せばあら不思議、あっという間にあの男が姫燐の気を引く為に一芝居打った行動に早変わりである。
(ぐっ……ぐぐぐぐぐ!!!)
あの試合で、セシリアは一夏のことを中々に骨のある男だと思ったし、それに少しカッコいいかも……とまで評価を格上げしていた。
しかし、やはりそれは間違いであった。
男など、所詮は皆同じ。貪欲に女を狙うハイエナなのだ。
この前、後学のためにルームメイトに借りて読んだ「リリープリンセス」に書いてあった通りである。
(マンガというのも、案外バカにできませんわね)
バカなのは彼女の頭なのだが、それを口に出来る人間は残念ながら居ない。
そうして1人、うんうんとまた新たな勘違いを突貫建築していると、
ギュッ
(―――ッ!???!??!?!???!)
抱きしめた。彼女が織斑一夏を抱きしめた。
あまりの事態に己の中の小宇宙が消滅しかけるが、何とか持ち直し目の前の現実に立ち向かう。
姫燐が、後ろから、幸せそうな笑みを浮かべて、織斑一夏に、抱きついています。
どう見てもバカップルです。本当に、本当にありがとうございました。
(……神は、言ってますわ)
寸分の迷いなく『ブルー・ティアーズ』を腕だけ展開装着し、レーザーライフル『スターライトmkⅢ』を取り出すセシリア。
(その綺麗な顔の中身を、今ここで一切合切ぶちまけさせろと……!!!)
非常に自分勝手な神も居たモノである。
セシリアの中に仮にも人を1人殺そうとしているのに、自分でも恐ろしく思えてくる程の冷淡さがこみ上げてくる。だが、今は好都合。殺しに感情など邪魔なだけだ。
(くッ、姫燐さん退いて下さいまし! ソイツ殺せませんわッ!)
スコープを覗き、一撃で仕留められるよう脳天に照準を合わせようとするが、後ろから抱きついている姫燐が邪魔で思うように照準が付けられない。
(きぃぃぃぃぃ! 妬ましい羨ましい疎ましいですわーーー!)
自分も彼女に抱きしめられた事はあるが前からだけだ。バックはまだ未体験なのだ。
だというのにあの男は、あの男はァぁぁぁぁぁぁぁ!!!
(パニッシュ&デス……ですわ)
主よ、お許しください。そして出来れば、あの男を速攻で地獄に叩き落として遠慮なく骨の髄まで地獄の業火で炭火焼にしてくださいまし。
やっと姫燐が一夏から離れる。それは、奴の守護天使が彼を見捨てたのと同意義であった。
(デリート……!)
最高のオリジナル笑顔を浮かべながら、セシリアがトリッガーに指を掛けようとしたその時、
「ここで何をしているオルコット? 学校外でのISの起動は禁止されているはずだが?」
声が、聞こえた。
織斑一夏に憑く、もう1人にして文字通り史上最強の守護天使の、そしてセシリア・オルコットにとっては無慈悲な告死天使の、底冷えするような審判の声が……。
●○●
「それで、貴様が街のド真ん中でISを起動させ、一体何をしようとしていたか……弁解があるなら聞こうか」
休日だというのに空席が目立つ電車に揺られながら、セシリアは死罪を待つ罪人のように、そしてその死刑の執行人である彼女……織斑千冬はスーツじゃない以外はいつもと何ら変わりない威風堂々とした態度で隣り合って座っていた。
「私が見た限りでは、貴様はウチの生徒達にライフルを向けていた様に見えたが……私の見間違いだったか?」
全て解りきっている筈なのに、ここであえて事の次第を聞くのはセシリアに発言を許すという彼女なりの慈悲だ。もし千冬が本当に無慈悲なら、すぐにでもギロチンは落ちている。
「見間違いでは……ありません……」
デッドエンド。今のセシリアの状況は正しくソレである。
現場を目撃され、現行犯逮捕されてしまった以上、どうあがいても絶望。どう言い逃れしようとも道場送り。どう逃げ出そうにも石の中にいる。
もはや彼女に残された道は1つ、祈ることだけであった。
そして、告死天使はため息を1つ付き、セシリア・オルコットへの審判を下す。
「そうか。なら、次からは注意するように」
「はい。お母様、お父様、セシリアも今そちらに…………へっ?」
アイアンメイデンの蓋は、閉じる事が無かった。
どういう事かは分からない。
だが、セシリア・オルコットは一命を取り留めた。それだけは確かな真実だった。
「え? ん? ふぇ?」
「何を不抜けた声を出している。当然、帰ったら反省文は書いて貰うがな」
そのような紙切れで命を繋げる事ができるなら何百枚でも書くが、それでもセシリアは腑に落ちない。
何故だ? なぜ審判は下されない?
その事をセシリアはおずおずと千冬に尋ねると、
「ああ、その事か。……今回は初犯だからな、次回からは容赦はせん」
少し答えを溜めたのが気になったが、余計な事を口走って刑が再執行されても嫌なのでセシリアは何も言わない。
その代わりに、気になっていた別の要件を切り出す事にした。
「そ、その、織斑先生はどうしてこ……」
「偶然だ」
まだ言い切っていないのに、千冬は即答した。
「で、では何でわたくし達は何故この電車に乗っ……」
「偶然だ」
流石にコレは苦しい。
偶然で自分の弟が乗っている隣の車両に、しかも付かず離れずに向こうの様子がチェックできる丁度いい席に座るだろうか。
それにセシリアに説教をするならそこら辺の喫茶店でいいし、2人分の電車代まで払ってまで、この姫燐と一夏が乗るこの電車に無理やり引きこむ理由が無い。
……『セシリアへの説教』と『弟の尾行』を両立させるには、これ以上に適した手段はないが。
「……何かおかしいか? オルコット」
「い、いえ、とっても自然な理由ですわ先生……」
この人に眉間にシワを寄せながら睨まれて、NOを唱える事のできる人間なんてこの地球上に存在するのだろうか? 少なくとも、セシリアには到底不可能な事である。
「………………」
「………………」
気まずい、非常に気まずい。
なんなのだ、このプレッシャーは。無言で腕を組みながら座っているだけだというのに、大気が彼女にひれ伏し、この重圧を作っているのではないかと錯覚してしまう。
それにもう1つ、彼女の服装がまた威圧的だ。
「せ、先生? また、随分とその……こ、個性的な私服ですね?」
「……そうか? 私は外出する時はいつもコレだが」
嘘つけ。セシリアは心の底からそう思った。
トレンチコートにつば広ハット、男物のスーツにサングラスまで装備して、それらを見事に黒と僅かな白に統一した姿は、どう見てもメン・イン・○ラックか何かの成りそこないだ。
それらを見事に着こなしているのは素直に凄いと思うが、それでも傍から見れば完全に不審者である。というか、いわゆる裏社会でシノギをしている人にしか見えない。
客が少ないのもあるだろうが、自分達の周りに人が居ないのは間違いなくこの人のせいだ。と、セシリアは確信していた。
一昔前のスパイ映画だって、もう少しマシな服を着るだろう。
しかもそれを私服てアンタ……。
「なんだ、異存でもあるのか?」
「い、いえ……ありません」
言いたい事も言えないこんな世の中じゃ……な気分になっているセシリアを尻目に、ずっと一点のみを凝視する千冬。さっきから、姫燐が明らかにこちらをチラチラと見ているのにそれすら眼中に無いようだ。
神様は完璧な人間を作ることは決して無いという事を悟りながら、セシリアは口を開いた。
「あ、あの……先生? その辺にしといた方が……」
「バカを言うな。なんのために今日、山田先生に仕事を全て代わってもらったと…………オルコット」
「は、はひぃ!?」
今まで見たこと無い、獲物を狩る者の目をした千冬に正面から見据えられ、狩られる者でしか無いセシリアは完全に震えあがる。
そうして千冬はゆっくり、一言一句丁寧に殺気をラッピングし、両手でセシリアの双肩を掴みながら質問した。
「貴様は、先程、何かを、聞いたか?」
「聞いてません! 聞いてません! 最近、鼻炎が酷くて何も聞こえませんでした!」
「ならいい。あと、もう私に構うな」
肩から手を離され、涙目になりながら自分の胸に手を当てて、生きてる事の素晴らしさを実感するセシリア。完全に尋問だったが「もう命があるだけでいいや」と、どうでもよくなって来る。
そんなこんなをしている内に、電車のアナウンスが次の駅への到着を告げた。
「……降りたか」
この駅の付近は歓楽街で、若者が喜びそうな店は大抵揃っている。
確かにデートには持ってこいな場所だ。
千冬は立ち上がると、まだ座りながらエクトプラズム状態のセシリアに向かって言い放つ。
「いいか、オルコット。寮に真っ直ぐ帰れ、そして今日見たことは全て忘れろ。分かったな?」
「…………………ふぁい?」
「では、また学園でな」
セシリアを乗せたまま、千冬の背後で電車のドアが閉まる音がする。
さて、ここからが本番だ。
……前々から、問題児だとは思っていた。
確かに、一夏を良い方向へと導いてくれているのには感謝している。
特に、この前のクラス代表決定戦での著しい成長は目を見張るモノがあった。
だが、校則違反の常習犯である上に、犯罪にまで平気で手を染める。
あのような盗撮写真、一体いつ撮ったのだ。しかも、それを第三者にばら撒くとは……回収にどれほどの時間と労力を割いた事か。
そしてあまつさえ、どのような思惑があるかは知らないが一夏とデートなどと……もはや捨ててはおけん。
(やはり、あのような輩に一夏は任せてる事などできん!)
朴月姫燐、少しでもデート中に一夏におかしな行動をしてみろ……その時は貴様を……。
織斑千冬はコートを翻すと、またこっそりと決してバレないように2人のストーキングを再開した。……あくまで、本人はストーキングのつもりで。
ああ、最強のターミネーターにロックオンされてしまった姫燐。
そしてそれ以外にも別のもう1つの影が、彼等に近付きつつあった。
「一夏ぁ…………どこへ逃げたァ………」
はたして、彼等の運命や如何に。
―――中編に続く。