IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…― 作:ヱ子駈 ヒウ
「一夏、調子はどうだ?」
「……ああ、問題無い」
一夏は姫燐の声に、自分の身体を包みこんだ鎧武者を彷彿とさせる第二世代型IS『打鉄』の腕を軽く動かす。
しばらくすると、PIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)が作動し、鋼鉄の身体が万有引力に逆らい宙に浮く。
嫌でも高鳴る鼓動を押さえ、左手を閉じたり、開いたり、
「どうした、震えてんのか?」
「……ああ、震えてるよ」
少し不安げな表情を浮かべる姫燐の言葉に、一夏は素直に答えた。
これから始まる決戦が、待ち受ける強敵が、重力を裏切るこの感覚が、これから試練を乗り越えてまた1つ強くなる自分自身が、
「楽しみで楽しみで、嫌でも身体が疼いちまう」
「くくっ、そうかい。あんま調子乗んなよ?」
巣立つ子を見送るようなはにかみで、姫燐はISを装着した一夏の太ももをコンコン、と小突き念を押す。
6日間。長いようで短い期間だったが、出来る手は全て打ったつもりだ。
それでも、一夏とオルコットの実力差に埋めがたいモノが有るのは事実。
しかし、それでも喰らい付き、喉笛を噛みちぎる為に努力はしてきた。
作戦もある。勝算もある。気合は元より。あとは……
「お前次第だ、一夏」
「ああ、これだけお膳立てしてもらったんだ。絶対に勝って来るよ、キリ」
現代で自由に羽ばたく翼を持つ唯一の男は薄暗いドックから、太陽の光さす戦場へと飛び立って行った。
「ああ! もし負けたら次の箒とのトレーニング、絶っ対に口出ししてやらねぇからなぁーーーーーーーーーー!!!」
ああ、それは困る。本当に、割とマジに本格的に死ぬ。殺される。鍛え殺される。
戦いが始まってもないのに背中に薄ら寒いモノを感じながら、一夏は向かい立つ。
眩い太陽に照らされた、『青い雫』の眼前へと……。
第4話 「恋と信念の円舞曲」
「あら? おかしいですわね。いくらわたくしがここ最近、『あの方』を思い眠れぬ夜を過ごしているとは言え、貴方のその機体。専用機でも何でもない、ただの第二世代に見えるのですが……?」
ドックから出て来た一夏の姿を見た瞬間、僅かな驚きを孕みながら明らかに人を小馬鹿にしたような口調で目を細めるセシリア。
会場である第3アリーナの客席からも、困惑のざわめきが沸き起こる。
無理も無い、彼には事前に第三世代の専用機が与えられる手筈となっていたのだが、今彼女の眼前に相対するのは、圧倒的にスペックで劣る第二世代のIS『打鉄』に身を包んだ織斑一夏……。
タダでさえ勝ち目が無いと言うのに、更に絶望的な状況に自分を追い込むとは、自棄でも起こしたのだろうか?
「……あー、今なら『これは夢だった』ってことにしといてあげますから、さっさとご自分の機体を取りに行かれてはどうかしら、おバカさん?」
「お気使いは感謝するが残念ながら、これは夢なんかじゃない。俺の機体は間違いなくこの『打鉄』で……」
一夏は、『打鉄』唯一の装備である刀を取り出し、
「今から『青き雫』を地面に叩き落とすのも、間違いなく俺『達』だ」
セシリアの顔面に、生涯最ッ高のしたり顔と共に突き付けた。
普段ならセシリアも、客席も、この世界中の誰もが笑い飛ばす台詞だろう。
だが、できなかった。むしろこの場にいるセシリアを含んだ殆どの人間が息を呑み、目の前の存在に畏怖すら感じてしまった。
彼がISを使える唯一の男だから? あの織斑千冬の弟だから? いや、そんな下らない理由では無い。
彼には、『迷い』が無いのだ。
この絶望の中でも、彼の表情が、態度が、言葉が、物語っている。
必ず勝利すると、敗走なんてする訳が無いと。敗北の可能性という『迷い』が一切見えないのだ。
ただ、彼の真っ直ぐな眼は勝利するという『希望』のみを見据えている。
――もしかしたら、この男なら本当にやってのけるかもしれない……。
――この絶望を、希望に変えてしまえるかも知れない……。
観客達は皆自然と、全くの無意識にそんな事を思ってしまっていた。
……数名の例外を除いては。
その例外の1人であるセシリアは、不愉快に心を煮えくり返してちゃぶ台返ししていた。
ふざけるな。自分が、このセシリア・オルコットと『ブルー・ティアーズ』が貴様程度の男などに墜とされるだと? ありえない、タダの状況が見えていない愚かなハッタリだ。
だと言うのに、なぜ心は平常を保てない? なぜ頭に上り続ける血流を押さえられない?
男など、取るに足らない存在だというのに!
しかも、『自分の』姫燐をたぶらかし、あまつさえ馴れ馴れしくあだ名で呼び接するこの男などに!!!
(……だったら、わたくしが直々に教えて差し上げますわ)
貴様がいかに愚かで、矮小で、脆弱かつ彼女に相応しくない大バカ者であるかを!
手加減など不要、最初から全力でブルー・ティアーズを作動させ、チャンスなど与える暇なく墜とす!
『それでは、仕合開始!!!』
「行くぞ、セシリア!」
「さぁ、踊りなさい……このブルー・ティアーズとセシリア・オルコットが奏でる円舞曲で!」
○●○
一方その頃、観客席。そこの最前列で、うっとりと自分の世界にトリップしている少女が1人。
(一夏……)
先程の勝利宣言を聞き、別の感情を寄せる例外の1人こと篠ノ之 箒は乙女の純情をバーストエンジェルさせていた。
どこからどう見ても一夏にベタ惚れな彼女は、久方ぶりに再会した時の想い人をこう評していた。『しばらく見ない内に見る影もない腑抜けとなってしまった男』と。
だが先程の一夏の宣言は、その幻想を彼女のハートごと偽・螺旋剣でぶち抜いてぶち壊した。
一夏は、私の婿はあの時から何も変わっていない所か、この6年で更に強く、凛々しく、カッコよくなっていたのだ。
(一夏…………)
ほぅ……と恍惚のため息を付き、彼の勇士を例え1フレームでありとも見逃さない様に食い入り、網膜に焼き付ける。
今すぐ立ち上がり、この胸の中で顎が尖った人達のギャンブルを見る人達みたいにざわめく思いを、どうせ聞えているからと開き直ったゲームチャンプのように情熱的に伝えたい……!
(一夏………一夏……!)
今はダメだ。分かっている、いくらなんでも人目が多すぎる。
しかし、この粗ぶる思いを今伝えずしていつ一夏に伝えるのだ?
思えば、自分が今までずっと彼と男女の仲となれなかったのは、どこか恐れていたからでは無いだろうか? 『もしも』に躊躇して、傷つくのを恐れて立ち止まる。
だから、自分は別れの時であろうとも弱いまま、彼に何も言えなかった。
だが、彼は立った今、 自分に見せてくれたではないか。迷いを捨て去った者の『強さ』を!
(一夏一夏一夏イチカいちか一夏イチカいちかぁァ!!!)
そう、迷いを捨てろ。恥や名聞など知った事か。
彼が、彼さえ隣に居ればそんなモノ、リサイクルすら出来ないゴミ屑同然。
深呼吸と共に眼をクワッ、と見開くと箒は観客席から立ち上がった。
身体が軽い。周りの有象無象の視線が、こんなにも気持ちいいなんて初めて!
もう、なにも怖くない!!!
「一夏ぁぁーーーーーー! 私は、お前が大すふふぉ!?」
「はーいお客様、前のお席で立つのは後ろに迷惑だからおやめ下さいね、っと」
しかし、恐怖を忘れるということは同時に、ありとあらゆる危機に対して疎くなるという事である。
彼女の一世一代の告白は、空気の読めるKYによる頭部をパックリ……ではなく、普通に頭に振り下ろされた手刀よって、フェイタルカウンターされてしまった。
「ほ、ほほほほほ朴月!? ななななななじぇここに!!」
彼女は一夏と共に、ドッグで最終調整をしていたはずでは!?
「とりあえず落ち着け。ドックの中じゃ生で見れないからな。ホレ、さっさと座れ」
そう言って姫燐は箒の横の席に、「よっこらせっぷく丸」と変な掛け声をして座り、未だに混乱する箒も、言われるがままに席に付く。
「な……なぁ、朴月……い、今のはな、別に邪な気持ちがあった訳では無くな……ただちょっと自分に正直に生きてもいいのではないか? と思っただけでな……」
「あぁ、分かってる。全部オールライトだ」
パァ、と今まで滝のように脂汗を流していた箒の顔が明るくなり、
「お前さんが、うちのクラス全員と先生方が居る中で、恥も外聞もまぁーったく気にせずに一夏に君が好きだと大・喝・采したかったのはよぉーーーーっく分かってますから」
「ッーーーーーーーーー!!?!!?!!?」
通常の三倍より更に赤く、魔を断つ剣・ブラッドも裸足で逃げ出す程に真っ赤になった。
切腹だ。とにかく切腹するしかない。もうこの世に生きてはいられない。
「ブッ!? お、おい何してんだバカが!」
「離せぇぇぇぇぁぁぁあぁ!!! もう死ぬしかないぃぃぃいいいぃいぃ!!!」
完全に正気を失い、泣き喚きながら服を脱いで、短刀も何も無いのに腹を掻っ捌こうとするバカを何とか羽交い締めにして止める姫燐。
当然、姫燐がこの時、目の保養に加えて関係無い所まで触りたおし、箒の肉体を思う存分堪能したのは言うまでも無い。彼女が暴れるのを止めるのについカッとなってやったので、セクハラにはならない。反省も後悔もしていない。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ハァ、ハァ……少し落ち着いたか……チッ」
ようやく抵抗が無くなった所で、姫燐は心底名残惜しそうに箒を解放した。
「告白は大いに結構だが、TPOを弁えろ」
「う……うむ……」
極上の餌の前で『待て』を喰らい、そして結局貰えなかった子犬のようにショボン……とする箒。
くそう、可愛いなぁ。でもここまで重症じゃ、今更オレが入り込む余地なんて無い。攻略は不可能だな……はぁ……。しかたない、これからは精一杯愛でさせて貰うとしよう。
アディオス、マイライクじゃなくてラヴ……。
「な、なぁ……朴月、苦しいんだが……」
「ん~……?」
おっと、つい失恋のショックとそのプリチーさに某動物王国の王張りのスキンシップをしてしまったが、流石に時期尚早だったか。
あーあ、このわがままボディを独占できる一夏の野郎マジ爆発し……一夏?
「……あ、忘れてた」
ここでようやく、姫燐は何のために自分がここに居るのか思い出す。
しまった。箒の告白未遂のせいで試合をまったく見て無かった。
急いで会場の方へと視線を戻す姫燐と箒。
ワァァァァァァァァァァァ!!!
「なっ………!?」
「ほー………」
沸き立つ観客、信じられない様なモノを見た顔で固まる箒、そしてその中でただ一人、別に何事も無いと言った冷めた表情をする姫燐。
そう、彼女も一夏の姿に別の感情を寄せる例外の1人。
朴月姫燐は最初から、彼の勝利しか信じていなかった。
●○●
いったい何がどうなっている?
セシリアは額から流れ出る汗を、湧き上がる焦燥を隠せない。
余裕だと思っていた。所詮は素人、自分のブルー・ティアーズのオールレンジ攻撃は、初心者如きがどうこう出来る代物では無い。第二世代の機動力なら尚更だ。
一瞬でブルー・ティアーズにハチの巣にされ、無様に落下すると思っていた。
だが現実はどうだ? 目の前の雑魚であったはずの男は、飛来する『最後の』ブルー・ティアーズが発射した弾道を、まるで未来が見えているかのように巧みにかわすと、
「これで、最後ォ!!」
そのまま突進し、すれ違いざまに手に持った刀でビットを両断する。
これで、最後の1機まで切り落とされた。
さっきから全てこうだ。自分がブルー・ティアーズを射出して敵を包囲しようとも、それら全てをいとも簡単に切り抜け、本体を決して狙わずにビットのみを破壊していく。
自分とした事が、頭に血が昇り過ぎていた。その狙いに気が付くのが遅すぎた。
「よう、どうした? 随分すっきりとしたデザインになったじゃないか?」
「ぐぐっ……織斑……一夏……!」
そう一夏の、姫燐と共に立てた作戦は、一番厄介なブルー・ティアーズをさっさと封じることであった。
これさえ封じれば後はライフルのみ。ライフルだけとなればいくら速かろうと所詮は『点』、避けるのはさして難しくない上に、一夏が使う打鉄の得意とする接近戦に持ち込めば、例え初心者であろうとも結果は一目瞭然だ。
そして彼が行って来た特訓は全て、このブルー・ティアーズを避ける事のみに特化してきた。
この前のデータを元に組まれた5日間、打鉄を使った状態での徹底した『朴月印の対ブルー・ティアーズ用』シュミレート・プログラム。
姫燐が気が付いた、セシリア本人すら気が付いていない『確実に全て自機狙い』であるという欠点も再現した、完璧なガチ対策。
アリーナの使用許可を得るのに非常に苦労したが、時には力尽くで(主に姫燐が)、時にはお話合いで(やはり姫燐が)、時には賄賂で(言うまでも無く姫燐が)、文字通りありとあらゆる手段を講じて使用権を奪取し操作訓練に明け暮れ、そのお陰もあって、一夏はブルー・ティアーズの軌道をセシリアと同じ、いや下手をすればセシリア以上に理解していた。
起動さえ分かれば、怖い物では無い。
「戦闘開始から3分38秒……ちょっと昨日より遅いな、キリにドヤされそうだ」
「な、何を言っていますの……?」
セシリアには、眼前に立ちふさがる底知れない男に恐怖を抱いた。
本当に、彼は1週間前の『織斑一夏』と同じ人物なのか? ただ、見下すだけの存在でしか無かった筈の彼が今、果てしなく立ちふさがる巨壁に見える。
己の不覚に奥歯を噛み締めるセシリア。
自分の油断、慢心、乱心、全てが己の首を絞めているこの状況を作った自分が、不甲斐なくて仕方が無い。
だが、後悔は後だ……。
「ふっ……ふふふ……」
「ん?」
「お見事ですわ、織斑さん。わたくしのブルー・ティアーズが貴方如きに完封されるとは、夢にも思っていませんでしたわ」
「そりゃどうも」
「……今まで申し訳ありませんでしたわ。正直、わたくしは今まで貴方の事を虚弱貧弱無知無能な島国のお猿さんだと思っていました」
「あ、ああ……」
今までの彼女からした自分の評価の酷さに、一筋汗をかく一夏。
「ですが、認めざるを得ないようですわ。貴方が、わたくしに立ち塞がる『壁』だという事を……ですから」
「ここからは、油断も慢心も無い。本当のわたくしで、お相手いたしますわ」
彼女を纏う気が変わる。
今までの、どこか真剣みに欠けていた表情ではなく、ただ立ち塞がる壁を破壊するために全神経を集中し、研ぎ澄まされた無表情へと一変させ、その殺気が一夏の身体を突き抜けた。
(ようやく……本番か……)
一夏の腕に、自然と力が篭る。
ここまでは予定調和。問題は、ここからだ。
観客席で、共に作戦を考えた姫燐も同じことを考えていた。
ブルー・ティアーズを封じ、あとは接近戦に持ち込むだけなのだが、この『だけ』が曲者なのだ。
機動力が圧倒的に負けているこちらが、どうやって接近するか? 当然、武装がライフルのみとなったセシリアは逃げに徹するだろう。一度第3世代の性能で引き離されてしまえば、第2世代である打鉄では追いつくのは絶望的だ。
かと言って、遠距離武装がない打鉄は何としても近付くしかない。遠距離武装がマトモに揃った『ラファール・リヴァイブ』で行くという案もあったが、ヒヨっこの一夏では遠距離武装を使いこなせないと判断し、なら武装が1つしかない分、集中できる打鉄のほうがまだマシだと判断したのだ。
だが、遠距離攻撃が無くては逃げ回る自分より素早い相手に接近するなど不可能。
一見、絶望的に詰んでいるように見えるこの状況。だが、一夏の眼から闘志が消える事は無い。
自分独りでは、とっくに諦めていたかもしれない。だけど、今の自分には不思議と不安は無い。
(本当に、俺はいいパートナーに恵まれたよ……)
なぜなら、彼は最高の相棒に教えてもらったから。
『戦術は、作戦しだいでいくらでもひっくり返せる』事を!
「行け! 一夏ぁ!」
「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
そうして彼は相棒の声援を受け、雄たけびと共に突進した。
……セシリアとは『反対側の』方向に。
「……………はぁ?」
一瞬、本人達を除くセシリアも含めた会場全ての人間があっけに取られた。
何故に? 前ならともかくよりにもよって後ろ?
どうなっている、ここまできて自棄になるとは思えない。
だがこの状況を打開するには、どう考えても逃げられる前に一か八かでセシリアに突進し、一撃を加える以外に勝機が無いように見える。その唯一のチャンスを、彼は自ら棒に振ったのだ。
「ど、どういうつもりかは知りませんが……容赦はいたしませんわ!」
気を取り直し、向こうから勝手に離れて行ったおかげで距離を離す必要が無くなったセシリアが、スコープを覗きライフルで一夏を狙い撃つ。
一夏も打鉄をフルスロットルで飛ばすが、それでもセシリアの狙いとレーザーのスピードの方が速く、どんどんシールドエネルギーを削られていく。
「一夏!」
観客席の箒が、居てもたってもいられずに立ち上がった。
何をしているのだ一夏は! これでは、ただ嬲り殺しにされるだけではないか!?
「どうなっている朴月! 作戦は一体どうしシャナ!?」
「だーかーら、お前は座ってろっての」
今度は膝の裏にチョップを直撃させ、無理やり箒を座らせる姫燐。
「し、しかし一夏が、一夏が!」
「安心しろ、まだアイツは負けちゃいない」
「これでは時間の問題だ! なぜあの状況で引かせた、一か八かなら勝てたかも知れんのに!」
「…………はぁ」
粗ぶる箒に姫燐はため息を1つ付くと、あくまでも冷静、冷淡に語り始めた。
「バーカ、『一か八か』だぁ? 何でこのオレの作戦が、んなもんに頼らなくちゃならねぇんだ。事前に対策練ったのに一か八かに縋るなんざ、救いようのないアホがやる事だ」
命を賭ける作戦に『一か八か』なんて不確かなモノは、あってはならない。
彼女が、一夏の為に丹精込めて練り上げた作戦は、そのような不良品では決して無い。
「だ、だが……」
「ま、ポップコーンでも片手に黙って見てろよ」
姫燐は先程とは打って変わってニカッ、と春風のような笑顔で恥ずかしげもなく言い切った。
「オレの自慢の相棒が、オルコットの野郎を叩きのめすその姿を、な」
ちなみに、この一言がまた箒を悶々とさせたのは言うまでも無い。
○●○
「へっくしぃ!」
うう、このタイミングでくしゃみとは、誰かが噂でもしているのだろうか。
だが、状況はそんな呑気なことを考えている場合ではない。
今まで一切消費しなかったからまだ余裕はあるが、それでもシールドエネルギーは着実に削られていく。あと数発マトモに喰らえば……負ける。
「あと少し、あと少しだけもってくれ打鉄!」
目的のポイントまで、あと少しなんだ!
被弾を繰り返しながらも、一心不乱にあの場所へと上昇する一夏。
「……随分と粘りますわね。でも、これで!」
所詮は悪あがき、スコープ越しに空を駆け上がる一夏の姿をしっかりと追いかけ、
「終わりですわ!」
トリガーに指を掛け、収束し照射された光の弾丸は容赦なく焼く。
「ッきゃあ!?」
「よし、かかった!!」
セシリア・オルコットを、正確には、彼女の『眼球』を。
一夏は『太陽』を背に受けながら、不意の襲撃に思わず目を押さえるセシリアを見て作戦の成功を確認した。
そう、今回の作戦はこの『逆光』を利用したモノだ。
自分を囮にし、セシリアにスコープで太陽を直視させる。
幼い頃、理科で学ばなかっただろうか? 太陽を『レンズ』で覗いてはいけない、と。
レンズはその仕組み故に光を一点に集める。しかもそれが、兵器に利用されるほど高性能なスコープに使われるレンズなら、そしてそれを肉眼で覗いたら果たしてどうなるだろうか?
全ては、この為の布石だった。先にブルー・ティアーズ破壊する事に集中したのも、その後、ワザと自分から引いたのも、全てセシリアをライフルを使った射撃に集中させるためだったのだ。
一時はどうなるかと思ったが、全ては『彼等』の思惑通り。
そして、ようやく生まれたこのチャンスを逃す愚か者などいない。
「トドメだ、一夏ァァ!!!」
「おっしゃぁぁぁぁぁぁあぁ!!!」
セシリアも何とか避けようと機体を必死に動かすが、もう遅い。ブーストを全開にしながら急降下し、刀を振り上げ一夏は全体重を乗せて彼女に叩きつけた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
散る火花、揺れる世界、落下していく2つの機影。
己の悲鳴と一夏と共に、セシリアは地面へと落下して行く。
激しい衝撃、舞う砂埃、そしてゆっくりと立ち上がる1つの機影。
機影は衝撃のショックにまだ少しふら付きながらも、刀を杖代わりにしっかりと2本の足で立ち上がり、呟いた。
「俺の……勝ち、だ。セシリア」
会場が、嵐のような歓声に呑まれた。
大番狂わせ、ブラックホース、そんなレベルではない。この少年は裏切ったのだ。
この第3アリーナに入る前に誰もが思った、セシリア・オルコットの勝利という未来を見事に裏切ってみせたのだ。
自分に向けられる一向に鳴りやまない拍手と喝采の中、一夏は思う。
本当に凄いのは俺なんかじゃない、キリと『打鉄』だ。と。
彼女の作戦無しでは、自分は間違いなくセシリアに勝てなかったし、打鉄がここまで保ってくれなかったらやはり自分は負けていた。
こんなに弱い自分を、支えてくれた彼女達が居たから、俺はこうしてここに立っている。
この勝利は、俺と、キリと、この打鉄のモノだ……!
彼女に礼でも言おうと、観客席に居るはずの姿を一夏は探す。
ISに備え付けられたハイパーセンサーは、最前列で立ち上がり叫ぶ彼女をハッキリと映し出した。
「…………ッ! ………………ッ!!! ………………………ッ!!!!」
何かを必死に叫んでいる様に見えるが、喝采が邪魔で聞えない。
彼女の声を聞こうとハイパーセンサーを限界まで集中させると、ようやくハッキリと聞え出した。
「バッカ野郎ッ! なに油断してんだ!! オルコットのシールドはまだ0になってねぇぞ!!!」
思考が、凍る。
その言葉の意味を真に理解したのは、背後から飛来した弾丸が頬を掠めた直後だった。
「チィッ! あんな使い方をしたせいでバレルがひん曲がってしまったようですわね……」
バッ、と先程自分が出て来た場所を振りかえる一夏。
砂埃が舞うクレーターからゆっくりと影は立ちあがると、ボロボロのライフルを邪魔だと言わんばかりに投げ捨てる。
「な……うそだろ……?」
最後の一撃は完全に入ったはずだ。
キリの話では、例え第三世代のISであろうとも耐えられるものでは無かったはずだ。
なのに、なぜまだ彼女は立ちあがれる!
異常事態に思わず後ずさりする一夏。そこで、ふと彼女が投げ捨てたボロボロの、刀傷が入ったライフルが足に当たる。
(……まさか!)
信じられない、まさか彼女は咄嗟にライフルを盾にしたのか!?
そのせいでダメージが軽減され、ギリギリで耐えきったというのか!?
「負けられませんの………」
「えっ?」
「こんな所で、わたくしは負ける訳には行きませんの……!」
血走った眼で残された最後の武装、接近戦用ショートブレード『インターセプター』を起動するセシリア。
とっくにその眼から正気は消え去っており、ただ自らを突き動かす確固たる信念のみが、満身創痍の彼女の身体を突き動かす。
『オルコット』の名を護るために、自分のプライドを護るために、そして……何よりも!
「わたくしを愛して下さった『あの方』のために! 貴方にだけは負けるわけにはいきませんのよぉぉぉ!!!」
ショートブレードを片手に、一夏に最後の接近戦をしかけるセシリア。
「くっ!!」
刺し、引き、薙ぐ。高速で振るわれる彼女の鬼気迫る猛攻に、一夏は防戦しかできない。
接近戦が有利なのは、あくまで彼女が遠距離用のライフルを持っていた時だけだ。
同じ土俵に立たれてしまっては、あとは経験と技量の差だ。
セシリアも本来は接近戦は専門外だが、それでも初心者の一夏のそれを越える実力も経験も備わっている。
「落ちろ! 落ちろ! 落ちろォォ!」
「ぐっ、うう……」
徐々に捌ききれなくなり、押され始める一夏。
そして、ついに刀を持った腕に、セシリアの一撃が入る。
「がぁア!!」
唯一の武器である刀を落とし、抵抗手段が無くなった一夏の腹部にすかさずセシリアの回し蹴りが飛ぶ。
「げほっ……!」
「一夏ッ!? あんのバカ野郎……!」
椅子に八つ当たりしながら姫燐も即興で策を考えるが、ダメだ。どうやっても一夏が勝つビジョンが浮かばない。
そもそも、あそこで落とせなかった時点で彼の敗北は決まっていたようなモノなのだ。
「クソッ! ここまで来て……」
箒も同様に唇を噛み締める。
このまま、オルコットの成すがままにされるしかないのか!?
しかし観客である彼女達に、出来ることなど何もない。
「これで……お終いですわァ!」
倒れて蹴られた腹を押さえる一夏に、セシリアはトドメを放とうとする。
迫りくるセシリアをどうこうする手段など無く、ただ茫然と眺めることしかできない一夏。
ああ、負けだ。こんなもの、勝利とは言えない。
ごめん……箒……打鉄……キリ……。
そして、勝敗を決するアナウンスは非常にも告げた。
「勝者、『織斑一夏』!」
この勝負の、勝者の名前を。
●○●
勝因は、セシリア側のエネルギー切れだった。
まぁ、即死しない方がおかしいほどのダメージを受けたのだ。いた仕方ないモノはあるだろう。
だが勝負は勝負。例えどんな内容であろうと勝者は、最後までエネルギーが残っていた織斑一夏に他ならなかった。
当然、本人達は納得している筈が無く、
「あれほど調子乗んなっつっただろうがこのボケがぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!」
「ごめんなさボルグ!!?」
アリーナの中に降り立った姫燐の容赦無いハイキックが、心身共にボロボロな一夏の側頭部をなにそれ関係無いね、とばかりに蹴り抜いた。
「ああ、てめぇはアレか? やっぱり3歩あるいたら大切な事を忘れるバードヘッドなのか? だったら今夜は焼き鳥パーティにしなくちゃなぁァ、このド畜生が!!!」
「だ、だから、ごめんマジギブ、ギブ!! 縦に割れる! 臓物一夏になっちゃうって!!」
ダウンした所を即座に持ち上げ、めちゃ許せん一夏にバックフリーカーを仕掛ける姫燐。
ロープを要求する声が聞こえるが完全に無視。完全にルール無用の残虐ファイトである。
未だかつて、ここまで彼女がプッツンした事があっただろうか? いやない。
「そこまでにしておけ、朴月」
「あぁ? なんでだよ篠ノ之?」
そんな一夏の姿を見かねたのか、姫燐に制止を呼び掛ける箒。
「ほ、箒……」
今の一夏には、彼女が救いの天使に見えていた。
「まだ一夏は初心者だ。同情の余地はある」
「だ、だけどなぁ……」
「だからこれから油断どころか、泣いたり笑ったり出来なくなる程に徹底的に鍛え直さなくてはならないな。当然、今から」
が、直ぐに地獄の獄卒とさして変わらなく見えるようになった。
「さぁ、行くぞ一夏! まずはグラウンド37564周からだ!!」
「い、嫌だぁぁぁぁああぁぁああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
姫燐から一夏を受け取ると、箒は断末魔を上げる一夏を引きずりながら意気揚々と第3アリーナを後にして行った。
なぜだろう大戦中に、桜花を見送った人達もこんな気持ちだったのだろうか?
胸に渡来するモノを「まぁ、どうでもいいな。アイツだし」と適当にスルーしながら姫燐は、未だ鳴りやまない歓声を掻き分け、アリーナの中心で独り茫然と立ち尽くす彼女へと声をかけた。
「よぅ、惜しかったな。オルコット」
「…………あ」
しかし、彼女の姿を見た瞬間、セシリアは俯きながらそっぽを向いてしまう。
「おいおい、どうしたんだ?」
「見ないで……下さいまし……」
「は?」
「こんな惨めなわたくしを……見ないで……」
頬に、一筋の透明な雫が浮かび上がっているのが分かる。
彼女は、セシリア・オルコットは泣いていた。
「惨めだ? んな訳あるかよ、あれは誰がどう見てもお前の勝ちだったさ」
「でも……でも……わたくしには、もうッ、なにも残ってッ……」
過程はどうであろうと、敗北は敗北だ。
自分は、『オルコット』を護るという誓いを、愛しい人の期待を裏切ってしまった。
その絶望感と、ズタボロになったプライドが後ろ指をさし続ける。
お前は、酷く惨めで無価値な負け犬であると。
「わだぐじはぁ……わだぐじはぁ……」
「…………」
だだ、子供の様に泣きじゃくる事しか出来なかった。
存在価値を失った自分に、意味なんてない。
だけど、どうしたらいいか分からずに感情のまま泣く事しかできない。
悲しい、悔しい、ただひたすらに無様。
どうしようもない感情の行き先が見付からない。
このまま、いっそこの世から消えてしまえたら……
ギュッ
「え……?」
そんな事すら考えていた彼女の凍え切った心と身体に、突然、暖かい物が渡来した。
あったかっくて、大きくて、優しい。まるで、全ての痛みを柔らかく包みこんでくれるようで……
「なッ……へェ!?」
突然の事に呆けていたセシリアだったが、ようやくそこで気が付く。
自分は、あの方に、愛する姫燐に抱きしめられているのだと。
「な、な、ななんあななきり、きりりりりりしゃん!」
「落ち着け……この際だから言う。正直に言ってオレはお前が嫌いだった」
「う、ぐすっ………」
「とりあえず最後まで聞けよ。今回の勝負だって、オレは一夏が圧勝すると思ってた」
あれだけ念入りなガチ対策にあの作戦だ。
姫燐は一夏の勝利は絶対だと確信を持って送り出した。
「だが、実際はどうだ? お前がエネルギー切れを起こさなければ、一夏の奴は間違いなく負けていた。それは何故だと思う?」
答えは実に簡単、それは単に……
「お前が強かったからだよ。オルコット」
「わたくしが……強い?」
「ああそうだ、オレはお前を、セシリア・オルコットを見くびっていた」
今まで姫燐はセシリアの事を、プライドが高いだけの世間知らずなお嬢様だと思っていたが、最後に立ちあがったあの気迫。そんじゃそこらの奴が、そう簡単に出せるモノでは無い。『あの方』とは誰の事だか知らないが、あの時、彼女が見せつけた力は姫燐の予想を大幅に超えていた。
「そ、そんな……あの時はただ無我夢中で……」
「だからこそ凄いんだ。無我夢中であれだけの力を出せる奴なんざ、そうは居ないぜ」
「姫燐さん……」
「それに、何も残って無い訳無いだろ。お前は生きている、生きてるなら何度でも、何だってやり直せるさ。オレだって、一緒に手伝ってやる」
そう言って姫燐はセシリアの頭を撫でる。
抱きしめられて、撫でられる。たったこれだけの事だというのに、どこか懐かしくて暖かいこの感触に、セシリアは心から満たされて行く。
こんな感覚、何年振りだろうか……。
「認めるよ。お前は、セシリア・オルコットは大した奴だ。誰がどれだけお前を貶そうともオレが……オレだけは何があっても胸を張って言い切ってやる」
「あ、ああ……!」
やはり、自分は間違っていなかった。
この人を信じて、好きになったのは正しかった……!
「あー、とにかくだっ。これからもよろしくな! 『セシリア』……ッ」
ここまで言って、姫燐はようやく自分が取った行動がこっ恥ずかしくなって来たのか顔を赤くしながらセシリアを離すと、回れ右して走り去ってしまった。
「セシリア……名前で……呼んでくれた……」
自分には、『オルコット』を取ったら何も残っていない。
感づいてはいたが、ずっと向きあわないようにしていた自分のコンプレックスが、今、ゆっくりと解けて無くなっていく音が聞こえる。
この胸の内で激しく高鳴る感情は、決して『オルコット』のモノなどではなく、確かに『セシリア・オルコット』自身のモノなのだから。
ようやく見つけた自分自身の姿、それを堪らなく愛おしく思いながら、彼女は第3アリーナを後にした。