IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第31話「生徒会役員共の一存(中編)」

「もうやだ帰りたい」

 

 もはやHPもMPも使い果たした冒険者のように、ハイライトと意思の光が消えかかった、亡者めいた懇願が姫燐の口から溢れだす。

 

「まだまだ、お仕事は始まったばっかりだよぉひめりん?」

 

 そんなテンション最低な連れを、鼻歌まで交えた上機嫌さで引っ張っていく本音の姿は見事に対象的であった。

 

「いやでも、部屋戻っても箒居るし……そうだ生まれ変わろう、トラックとかにぶつかってファンタジー異世界転生俺TUEEEしてハーレム作ろう」

「ひめりんなら、きっと素敵なお姫様になれそうだよねぇ」

「お前ホントもう……やめて……」

 

 随分と欲望がダダ漏れな自殺願望を、黒歴史で押し留めるファインプレーを決めつつ、二人の足取りが次の目的地で止まる。

 こうなったらもう仕事に逃げるしかないと気合を入れ直し、姫燐は手持ちのリストから、これから査察する部活動の名前を読み上げた。

 

「ここがテニス部のハウスだな」

 

 とはいえ、今もボールを打つ快音が響くテニスコートがすぐ隣に見えている上、眼前の部室には小奇麗な看板もかかっているため間違いようは無いのだが、これは気持ちと気分と気合の問題であるため、特に本音も何も言わずに扉をノックする。

 

「はぁい? どなたですの?」

 

 中から聞こえてきた、育ちの良さが一発で分かるような通りが良く穏やかな声。聞き慣れてはいるが、この場所から聞こえるのは予想外だった姫燐の整った眉が上がる。

 

「あら? 本音さんに……キ、キリさんッ!?」

「セシリア? あれ、お前テニス部だったのか? ていうか、その格好」

「ひゃい!? ちが、そのこれは!?」

 

 そんなにおかしな所はないのに、指摘しただけで顔を真っ赤にして頬に手を当て、視線を逸らされたのが気になり、姫燐は改めてセシリアの服装をまじまじと観察する。

 いつものフワッと横に広がったロールヘアーを今日は運動用にポニーテールに纏めており、服装も普段の淑女然と改造したドレスのような制服とは大きく異なり、運動用の半袖でミニスカートな純白のテニスウェア。

そこに品の良いブルーのサンバイザーとリストバンド、有名ブランドのシューズをしっかり装備した、テニスウェアとしてはオーソドックスな外見でありながらも確かな気品を感じさせる、実に彼女らしさを保ったままに新しい魅力を伝えてくれる着こなし。

ようは、問題無しで、よく似合ってると口にしようとしたところで、

 

「も、もうしわけありませんわ、キリさん……ただ今、休憩時間でして、その、わたくし先程まで練習試合を……」

「ん?」

 

 モジモジと恥ずかしげに、若干距離を取ろうとするセシリアに、姫燐は少しだけ小首を捻ったが、

 

「あぁ、そういう」

 

 彼女がなぜ自分と距離を取ろうとしているのかを察し、姫燐は制服のポケットからハンカチを取りだすと、

 

「ほら、ちょっと動くなよ?」

「ひょえぃ!?」

 

 逃げられる前に大きく一歩を踏みこみ、顔をセシリアの鼻先まで近付けると、彼女の頬に伝う大粒の汗を、そっと拭き取ってやった。

 

「別に気にしねぇよ、汗の臭いなんぞ」

「あ……その、キリさ、距離ちかっ」

「そら六月に外で思いっきり運動してたら、汗だってかくさ」

 

 セシリアが先程から気にしていたのは、激しい運動の直後であったため、身体中に張り付いていた汗の事だったのだ。

蒸し暑い六月の気候もあって、テニスウェアの上からセシリアの身体のラインがハッキリ分かるほど流れている汗は、当然それなりに臭いこそする。

女性なら自分の体臭には、細心の注意を払うのは当然のことであったが、姫燐はそれを同じ女性として理解しながらも、ニッと爽やかに笑い飛ばすのだ。

 

「これは、セシリアが頑張ってる証拠だろ? オレは好きだぜ」

「キリさっッッ!?!?」

 

 頑張ってる奴がさ。と、姫燐は言った『つもり』で、ニカっと白い歯を剥きながらハンカチを仕舞うが、

 

「え? お、おい大丈夫か?」

「ふふぇあい……」

 

 顔を真っ赤にしてフラフラと、今にもダウンしてしまいそうなセシリアに、まさか熱中症にでもなってしまったのだろうかと姫燐は勘ぐりながら、椅子に座るようセシリアに言うと近くの自販機からスポーツドリンクを急いで買ってくる。

 

「ほら、セシリア」

「は、はい……このような、ふつつか者ですが……」

 

 買いに行っていた間にタオルもちゃんと出しており、渡したドリンクも問題なく飲んでいるが、何を言っているのか少々怪しい姿に、姫燐の心配の色が若干濃くなる。

 

「……………」

「ん? どうしたんだよ。まだ、どっかしんどいのか?」

 

 汗も引き、水分補給も終えたのに、まだどこか思い詰めたような、何かを言おうか言うまいかを判断しかねているような様子のセシリアに声をかけつつ、輪護も対面に座る。

 

「ぁ……いえ、身体のことでは……ある意味、身体的な事ではありますが……」

「は?」

「…………その、キリさんは、あの転校生について、何か気付いた所というか……いえ、どう思ってらっしゃったり……とか?」

 

 何でもハッキリと口にするセシリアらしからぬ歯切れの悪さで、恐らくシャルルのことについて尋ねてきたセシリアに、イマイチ要領を掴みきれない姫燐が足を組んで聞き返す。

 

「気付いた所とか、どう思ってるかって言われても……具体的に言うと、どういう感じに?」

「い、いえ! ととと、特にこれといった意味はありませんのでしてっ!?」

 

 意味が無いと意味深なキョドりっぷりで言われても説得力がないが、とりあえず望んでいる答えかどうかは分からないが姫燐は答えを絞り出す。

 

「んー、まず、可愛いよなシャルル。あれで男とかマジかよって思うほど」

「おとっ!? そうですわよね! 殿方らしくありませんがシャルロっ、シャルルさんは間違いなく殿方ですわよっ!?」

「シャルロ……? いや、そこまで断言されなくても分かるけど……」

 

 何が何やらといった様子で姫燐は、やっぱり分からん時があると頭を掻くが、セシリアの心中はそれどころでは無いほどに、気が気でなかった。

 

――どどど、どうしましょう……やはり、シャルロット・デュノアの件、キリさんにも打ち明けて相談した方が……。

 

 そう、彼女はあの晩、デュノア社の影に気付いてしまったもう一人の生徒なのだ。

 今までは後日に改めて名乗られたシャルロットに加えて、なぜか一夏にまで一緒に頭を下げられ、二人からこの秘密を誰にも明かさないで欲しいと言われていたため、姫燐はおろか担任である千冬や真耶にすら黙秘を貫いてきたセシリアではあるが、

 

――そもそも、たった三人で、三年間も隠し通せる訳がないじゃありませんの……!

 

 なぜ彼女を匿うのかという理由理屈はシャルや一夏の口から説明されていたため、セシリアも承知はしていたが、納得できるかと言われれば、それは別問題である。

 頼みこまれた以上、無碍には出来ないが、そもそも客観的に見てセシリアからすれば彼女の事を黙認する理由が無いのだ。シャルロットもそこは理解しているのか、自分に出来る事なら何でもすると負い目に似た約束をしてくれては居るが、

 

――この事……責任問題には、なりませんわよね……?

 

 万が一発覚してしまった時に考えうるリスクはメリットを遥かに上回る、セシリアにとっては想像もしたくない程のモノばかりであった。

 自分はセシリア・オルコットであると同時に、イギリスの代表候補生――即ち、国家の代表候補なのだ。

そんな存在が、デュノア社の、下手をすればフランスという国家の暗躍を知っていながらも黙認していたと露呈してしまえば、祖国イギリスとの国際問題に発展してしまう未来など火を見るよりも明らかで、本当に最悪の場合、この責任を言及され、代表候補生の座もふいに、専用機も没収。代表の座に賭けるオルコット家の存亡にすら飛び火しかねない。

 それほどまでに、シャルロット・デュノアという『女性』の存在はセシリアにとって、特大級の地雷なのだ。

 

――かといって、無責任に突き離すのも……。

 

 合理的に考えればセシリアに選択の余地などまるで無い二択であるが、ここで躊躇ってしまうのが、彼女と言う人間の甘さであり、美徳であった。

 愛する母との死別、唐突に現れた無慈悲な父、会社の道具となるようへの教育。

 一夏が彼女の境遇に納得できなかったように、両親を事故で亡くしているセシリアもまた、シャルロットの境遇には共感と義憤を覚えずには居られなかったのだ。

 自分と同じように――彼女もまた、幸せを掴み取るべき……いや、絶対に掴み取らなくてはならない。でなければ、あまりにもこの世は残酷だ。

 そう思うと――自然に思えてしまうから――セシリアはこうして頭を抱えるしかなく、せめて相談ぐらいは出来るような、頼れる存在が無性に欲しくなってしまう。

 故に、思わず自分が最も信頼する姫燐に中途半端な声をかけてしまったのだが、

 

「おっとっと……これは、そういうことかー……?」

 

 ハッと、姫燐を置いて顔を俯け、黙考してしまっていたセシリアの首が上がる。

 

「キ、キリさん!? わ、わたくしったら、せっかくキリさんがお話を聞いてくださっているのに……」

「いやいや、繊細な問題なんだろ? 口にし辛くったって仕方ねぇさ」

 

 話題を振っておいて勝手に押し黙る無礼も、まったく気にしていないと言った風に、姫燐は立ち上がるとセシリアの肩を優しく叩いた。

 

「あんまり気にすんなよ、オレとお前の仲じゃねぇか」

「キリさん……!」

 

 多少の非礼は笑って許す。女性ではあるがまさに紳士の鑑といった態度に、胸のキュンキュンがストップ高し続けているセシリアの様子を見て、姫燐は何かを確信した風に頷き、

 

「いつでも相談になら乗るぜ。『恋バナ』とか、まさにお姉さんの専売特許みたいな奴だしなっ!」

「えぇ、ありが………………恋バナ?」

 

 ちょっと待てと、凍りついたセシリアの表情とは裏腹に、全部分かってるってと言いたげなドヤ顔を崩さないまま、姫燐は妙にテンション高く自前の大きい胸を叩いた。

 

「そうだよなぁ、シャルル可愛いし性格良いし強いし、分かる。超分かる」

「き……キリ、さん……あの?」

「くっ……オレとしても、相手がシャルルじゃなければ、大手を振って応援したいところなんだが……」

「あのっ! キリさん!?」

「いーや! それでもお姉さんはあえて言うぜっ!」 

 同年代に恋バナを相談されると言うお姉さんポジション的憧れのシチュエーションに遭遇し、微妙に自分の世界に旅立ってしまっている姫燐には、致命的な勘違いを訂正しようとするセシリアの声も全く届かず、

 

「お姉さん、お前とシャルルのこと応援するからなっ! セシリアっ!」

 

 快晴の浮かれ顔で、姫燐は会心のサムズアップをセシリアへと手向けた。

 

「もし、何かあるなら全力でサポートするからさ。いつでも相談してくれよ? なんなら、いいデートスポットとか紹介して」

「…………ね、ねぇ、きりりん?」

「お? 終わったか、本音」

 

 うっすら目を開き、珍しくすごく何かを言いたげな表情で、いつの間にか居なくなっていたのに、いつの間にか傍に立っていた本音に姫燐は気付く。

 

「悪いな、なんかお前に任せっきりで」

「う、うん……それは、良いんだけどぉ……」

「じゃ、さっさと次行こうぜ。あんま時間かけると、かた姉達に心配かけちまうかもだしな」

「その前に、せっしーに……」

「おっと、そうだった」

 

 本当に珍しく、若干青ざめているように見える本音の様子になど気付く素振りも見せず、ハイテンションのまま姫燐は硬直するセシリアの背中を叩き、

 

「じゃあなセシリア! これからはライバルみたいなもんだけど、恋も部活も、お互いに頑張ろうなっ!」

「あわわわわぁ…………」

 

 片やあっはっはと高笑いすら残して行きそうなほどの能天気さで、片や解体に失敗した爆弾から即座に撤退するような切迫さで、テニス部の部室を後にする二人。

 入れ違いに、さっきまでセシリアと練習試合をしていた部員が入ってくる。

 

「ねぇちょっと、オルコットさん? さっきの練習試合なんだけど、流石に集中力欠けすぎじゃない。ちょっと腑抜けてんじゃ……」

「誰が……」

「は?」

 

「誰が、腑抜けで、間抜けで、お笑い草……ですって?」

 

「………………ひぇっ」

 

 ぐるりと覗く、怒髪の頂点を通り越した、般若の能面。

 その後の部活で響く、悪鬼と化した彼女のラケット捌きからは、まさしく鬼の慟哭のような衝撃音が鳴り止まなかったという……。

 

 

                 ○●○

 

「てなことがさっき、テニス部であってなー、鈴」

「鬼か……」

 

 ラクロス部の号令とボールが飛び交う、IS学園のグラウンド。

 鈴は部室に案内するなり、部長がいきなり片方の胸だけはあるちびっ子と二人っきりで話を進め始め、まるで即席の二人組からあぶれたようになっていた姫燐を、部活紹介と言う名目でグラウンドに連れ出していた。

 

「いやー、セシリアが恋だなんて、青春だよなぁ」

「……ちなみに、お相手は?」

 

 その流れで話題は、一般生徒には無縁な生徒会の活動についてになり、先程行ったと言うテニス部の視察について鈴は尋ねていたのだが、

 

「おっと、そいつはプライベートって奴だ。お姉さんの口からは言えねぇから、気になるならセシリアに直接聞いてみな」

「あぁ、うん、今ので大体分かった」

「えっ、なんで、すげぇ」

 

 セシリアの奴、かわいそ……。と、自分のとは別ベクトルに鈍感な彼女の想い人に、鈴は心底同情しながら肩を落とす。

 

「ていうか、アンタって最近まで帰宅部だったんだ。運動部の一つぐらいには所属してるもんだと思ってたんだけど」

「あー、いや、それはな」

 

 バツが悪そうに、隣を歩く鈴から目を逸らす姫燐。

 

「こう、やっぱリサーチって大事じゃん? 三年間のキャンパスライフに打ちこみ続けるモンなんだからさ。ちゃんと念入りに調査しきってから……」

「まさかとは思うけど、調査って要は自分好みの女の子が居るかどうか調べてた、って訳じゃないわよね?」

「んーふー♪」

 

 逸らした顔から脂汗が吹き出す様子に、一夏もセシリアも、よりにもよって真正のコレにとか、難儀よねぇと鈴は露骨な溜め息を隠そうともせず、

 

「危なーーいっ!!!」

「へ?」

 

 だからこそ、唐突に横面に向けて飛来してくる、誰かのミスで飛んで来たラクロスボールに対して、鈴は素っ頓狂な声を出すぐらいの抵抗しか出来なかった。

 反射神経で認識できても、身体が間に合わない完全な不意打ち。

 軟式野球ほどの硬度とはいえ、人一人の頭に当たれば、只では済まない勢いがついたボールは――

 

「おっと」

 

 いつの間にか、自分を庇うように立っていた姫燐によって、いとも簡単に素手でキャッチされ、

 

「おーい、気をつけろよー」

 

 そのまま、何事も無かったかのように、何度も頭を下げる部員達の元へと投げ返されていった。

 

「…………ぁ」

 

 鈴がこの突発的な危機を、彼女に救われたことを悟れたのは、これら一連の動きが流れるように終わった後の事であった。

 

「……あ、ありがと」

「ん、怪我とかしてねぇな、鈴?」

 

 本当に、何者。

 口では礼を言いながらも、鈴の胸中には当たりかけたボールのことよりも遥かに強く、警戒の鐘が鳴り響いたままであった。

会話に没頭していたという条件は同じはずなのに、この反応の差。

体格、経験、実力。鈴は、自分の前に立ちふさがってきたそれらのハンディキャップを、常に負けん気と共に乗り越えてきた。

しかし、唐突な強襲を自然体で処理してしまう、この姿。

眼前で痛みを飛ばすように手を振る彼女から感じるのは、反骨精神ではどうにもならないような――まるで、認識している世界からして違うかのような、猫と虎のどちらが強いかを比べてしまうような、どうしようもない達観に似たような感覚を感じてしまうのだ。

 そして、それを裏付けるような――キルスティンという名の、影。

 鈴の小さな口が、意を決したように、開く。

 

「……ねぇ、アンタ。昔からそんな反応とか良かったの?」

「え? そだなぁ……」

 

 不意に尋ねられた昔の自分に、姫燐は頭を掻きながら、脳裏に仕舞われた記憶を引っ張り出して行く。

 

「まぁ、昔から親譲りで反射神経は良い方だったな」

「親って、確か今居るっていう、朴月永悟博士だっけ?」

 

 父親。つまり、男である永悟が、この学園にしばらく滞在するというのは全校生徒に連絡が行き渡っていない方が不自然なので、姫燐は鈴の口から父親の名前が出てきても特に驚きはせず訂正する。

 

「うんにゃ、親父はそこまでだけど、母さんの方が良くてな」

「へぇ、珍しいわね。母方の方からなんて」

「あぁ、なんたって戦闘機のパイロットだったからな、母さん」

「戦闘機……戦闘機ですって!?」

 

 シレっと口から出てきたとんでもない職に、思わず姫燐の方へと首が向く鈴。

 

「そうそう、今はISが主流だからお払い箱ってことで、引退して専業主婦やってるけどな」

「そ、そうだったのねアンタ……」

 

 血筋が全てを決める訳ではないが、それでも彼女の、デタラメなISを力づくで制御する様な無重力下での、飛び抜けたバランス感覚は、まさに天性のモノであったのだと鈴は納得する。

 

「昔はそこそこ有名人だったらしいぜ? なんか、ルフトなんとかだったかな、二つ名で呼ばれるぐらいには」

「戦闘機乗り、か……アタシ達のご先祖様みたいなもんだしね」

 

 そう言って、鈴は何気なく空を見上げた。

 自分が子供だった時、この空を自由に駆け巡っていたのは、ISではなく、ジェット戦闘機という存在だったのは、彼女も歴史の授業で習ったことがある。

 古くから人類が夢見た『翼』の体現者として、飛行機は今も飛んではいるが、それはあくまで旅客機としてであり、戦闘機というカテゴリはISが歴史の表舞台に登場して以来、その存在価値を大きく落して久しい。

 無論、研究が進まなかった訳ではない。

 選ばれた適性を持つ女性にしか操れず、生成方法すら不明なブラックボックスに軍事を委ねるなど愚の極みだと、怒声を揃えて異を唱えた当時の軍事関係者達によって集められた、潤沢な資金と天才と呼ばれた技術者たちの努力は、戦闘機に凄まじい発展と進化をもたらした。

 それらの中には、旅客機にも転用された画期的な技術も少なくは無かったが――それでも航空力学という絶対不変のルールに抗えない戦闘機と、既存の概念全てを裏切って見せたISとでは、余りにも埋め難い差があったのだ。

 世界中の天才が、たった一人の天災に屈したのだと――誰もが口にせずとも、暗に悟った瞬間……戦闘機という存在は、空の王者から従者へと、その存在を変えていった。

 

「で、ウチの母さんは、ISが主流になっていく空軍を嫌って軍を退役したって訳」

「でもそれ、よく許したわよね、ここの入学」

「そこはまぁ……親父と、大分悶着あったらしいけどな」

 

 詳しくは姫燐も知らないが、納期三日前より修羅場だったよとは、親父の言葉である。

 

「ほんと女の子しか居ないからって、普通親と修羅場ってまで入学する?」

「おいこら、流石にオレもそれだけで入学は決めねぇぞ……」

「え、そうなの?」

 

 心底意外そうに目を丸める鈴に、姫燐は彼女が抱いている自分のイメージに軽く頭を抱え、

 

「だったらわざわざ難関なIS学園じゃなくて、普通の女子校行くっての」

「それもそうよね。じゃ、どうしてここを選んだのよ」

「んー、あえて言うなら……もっとカッコよくなれる気がしたから、かな?」

「えぇ…………」

 

 女漁りと似たようなもんじゃないと、軽蔑が混ざり始めた鈴の視線に、慌てて姫燐は補足を加え始める。

 

「待った! 確かにちょっと言葉足らずだった! 気になったんだよ、母さんが見てた世界がさ!」

「母さんの……見てた世界?」

「あぁ、オレの母さん。自慢じゃねぇけど、すっげぇカッコいいんだぜ? 親父が本気でメロメロにされたぐらいにはな」

「アンタの母親ねぇ」

 

 姫燐の少し悪戯っ気がある整った顔立ちや、高い身長に、女性の魅力が詰まったプロポーション。女として持つモノを全部持っている人間の親となれば、持たざる者である鈴としては、少し興味が沸いてくる。

 

「どんな感じなのよ、アンタの母さんって」

「写真がありゃ手っ取り早いんだが……そうだなぁ、アレだ、見た目っていうか、雰囲気は織斑先生が似てる。アレをもうちょっと表情豊かにした感じ」

「あー、軽い千冬さんみたいなタイプねぇ」

 

 なるほど。確かに軍人をやっていた程の女傑であった事を考えれば、あの人のような雰囲気が近くなるだろうと、鈴は頭で、髪が姫燐のようになった千冬をイメージする。

 

「昔は親父と一緒に、そんなカッコいい母さんが大好きってだけだったんだけどさ。よく空を見ていた母さんの眼差しは、一体何を見てたんだろうって思ってな」

 

 母親と言う存在をどう思うかと聞かれれば、姫燐は『英雄』という言葉が一番しっくり来ると思っている。

 誰よりも強く、たくましく、優しく。そんな存在に護られる自分を、誇らしく思えるほどに高潔な人であると幼い姫燐は思っていた。

 一番憧れたのはかた姉の姿であっても、姫燐は今でも、自分を抱きながら果てしなく続く空を見上げていた母の姿を、鮮烈に覚えている。

 記憶の中で、無邪気に何を見ていたのか尋ねる幼い自分に、母は微笑んで手を伸ばし口ずさむのだ。

 

――あの空が、待っている気がしてね。

 

 いま思い返しても意味はサッパリ分からないが、ふと進路を決める時に、姫燐が思い出したのがこの言葉だったのだ。

 あの時、母さんには何が見えていたのだろうか。この空には何が待っているのだろうか。

 そんな疑問が胸に沸いた瞬間、自分の進むべき――いや、飛び立つべき道が、姫燐には見えた気がした。

 

「ま、今はその答え合わせの真っ最中ってとこさ。全然、見えてこねぇけどな」

 

 そう笑い飛ばしながらも、諦めや妥協といった影は微塵も感じられず、まだまだ飛び続けるさと笑顔で語る少女の横顔。

 心地よく吹きぬけていく風のように、気持ちが良い姫燐の言葉に、鈴も自らが抱いていた邪念はこの瞬間だけは無粋でしか無いと肩と顔の力が抜けていく。

 

「あとは、そうだなぁ……もう一つあるんだが理由」

「他にもあるの?」

「ああ、これはずっと思ってたことなんだけどな……」

 

 急に顎に手を当てて、シリアスで神妙な顔つきになった姫燐に釣られるように、鈴も思わず息を飲み、

 

「ISスーツって、マジドスケベじゃん? あんな性的な格好を年中着て授業する所なんて、ここを置いて他にねぇからな……」

「………………」

 

 とりあえず、その無駄に大きい尻に、渾身のタイキックをぶち込んだ。

 

                 ○●○

 

「いたた……鈴の奴、ちょっとしたジョークだってのに本気でやりやがって」

「ひめりん、大丈夫ー?」

 

 一通りの運動部を視察し終えた二人の珍道中は、放課後の校内へと舞台を移し、残った文芸部を目指して足取りを進めていた。

 ラクロス部から既に数カ所回ってはいるが、未だに痛みが取れない尻を引きずる姫燐を、心配そうに本音が見上げる。

 

「くっくっく、別に構わねぇさ。これでオレのヒップが更に大きくなったら、絶対にアイツの可愛そうな身体付きの前で煽りたおしてやる……」

「大丈夫そうだねぇ♪」

 

 残酷極まりない仕返しを邪悪な笑みと共に画策する様子を見て、まだまだ大丈夫だと確信した本音は、軽やかな足取りで次の部室へと向かっていく。

 

「ひめりーん、はやくはやくー♪」

「お、おい、お前なぁ」

 

 姫燐が半分のほほんと引っ張られるような形で辿りついた次の部室には、『調理室』のプレートが付けられていた。

 

「調理室ってことは、料理部か。一夏の奴が目の色変えそうな部活だな」

「実はわたしも大好きなんだよぉ? お料理」

「……あぁ、だろうな」

 

 確かに食べる方はお前大好きだからな、と、もう大体何が言いたいのか分かってる姫燐は塩対応で、調理室の扉を軽くノックして開く。

 

「お邪魔しまーす。生徒会の使いなんですけどー」

「やっほーみんなぁ、頑張ってますかなぁ?」

 

 今日はお菓子作りでもしていたのか、調理室の中からは焼けた砂糖やバターの甘ったるく、女の子なら誰しもが思わず心奪われてしまいそうな香りが漂っており、

 

「本音さま!」

「本音さまだ! 本音さまがいらっしゃったぞ!」

「お待ちしておりました、本音さま!」

 

 そんな姫燐の余韻を一瞬で吹き飛ばすように、部員たちは各々の作業を投げ出すと一斉に本音へと殺到し、降臨した神にでも敬うかのように跪いた。

 

「うむぅ、みなの者、くるしゅうないぞ~」

 

 明らかに上級生も混ざっているのに、いきなりどこの殿だよと言いたくなるような口調でのほほんと胸を張る本音。

 その隣で呆然とする姫燐を余所に、エプロンを付けた部長らしき年長の部員が、恭しく大きな皿に乗せられた貢物を本音へと差し出す。

 

「本日のレシピ――リクエストされていたミルクティーシフォンケーキ、1ホールでございます。どうぞ、お納めください」

「おぉ~! おっきぃ~!」

 

 先程から部屋に漂っていた甘い香りの正体はこれであったらしく、姫燐の素人目で見ても、もはや学校の部活でちょっと作るようなモノとは別次元に気合が入った出来のケーキを、満面の笑みで本音は受け取り、

 

「部長さん、またまたケーキ作り上手になったねぇ」

「いえいえ、私などまだまだ。これも本音さまの応援あってこその賜物……それよりも、今月の部費に関してなのですが……」

「あい分かった、便宜をはかろ~う。そちもワルよのぉ~」

「いえいえ、本音さま程では……」

 

 顔を寄せ合い、あくどい高笑いをシンクロさせる生徒会と調理部の官僚に、そろそろ頃合いかと、

 

「おいコラ、なに堂々と汚職してんだお前ら」

「あうんっ」

「あだぁ!」

 

 姫燐は頭上から思いっきり、断罪の正義チョップを振り下ろした。

 

「ほ、本音さま、こやつは一体!?」

「ええ~い、殿中で抜くのはご法度であるぞ~」

「黙れ、あとそろそろその口調止めろ」

 

 スッと姫燐が二発目を額に入れる構えを取ると、本音は口を尖らせながらも部長にケーキを再び渡し、別の部員が促すように引き出した椅子にちょこんと座った。

 

「きりりん? きりりんは、わたしがお菓子で買収されちゃうような子に見える~?」

「見える」

 

 即答である。

 だが、本音は気に障るような素振りは見せず、腕を組み視線で糾弾する姫燐をとりあえず隣に座るように促し、

 

「まぁまぁ、まずはどうぞどうぞ」

「おいしいよ~」

「……まぁ、いただきます」

 

 席に着いた姫燐の前に、上品な小皿に切り分けられた先程のシフォンケーキが部長から差し出される。

 せっかく出された物を無碍に断るのも不躾であるし、なによりも先程から単純に刺激され続けていた小腹と女の子の本能から、姫燐は警戒しながらもフォークを手に取った。

 生地は史上の羽毛のようにふわりとフォークを飲みこみ、一口サイズに分けられたシフォンケーキを口に運んだ瞬間――姫燐の背中に、電流走る。

 

「……本音」

「うんうん?」

 

 フォークを思わず落した仕草から、堕ちた事を確信した本音は真剣一色な表情の姫燐へと、身を乗り出すほどにうっすら目を開いた顔を近付かせ、

 

「一夏の奴、生徒会辞めさせてこっちに入れさせないか? レシピ盗ませて毎日これ作らせようぜ」

「その手があったかぁ~!」

 

 自分の一歩上を往く彼女の提案に、目を輝かせて同意した。

 

                ○●○

 

 絶品のシフォンケーキを本音や部長、他の部員と平らげた姫燐が、食後の紅茶を堪能しながらも落ち着いて他の部員から聞いてみれば、この部長は割かし真面目に功績を叩き出している人物であるらしく、予算が多めに下りるのは別に袖の下というわけではないらしい。

 あの姉がそんな分かりやすい不正を許すとも思えないし、これも部長が拘って淹れたらしい、姫燐でも違いが分かる紅茶の味からも判断するに、本当の事なのだろうと納得する。

 

「では、本音さま。こちら、いつもの会長殿や副会長殿の分になります」

「うむぅ、話は通しておくぞよ~」

 

 しかし、まさかとは思うが、末端ではなく本丸にまで根深く不正腐敗の根が行き渡っているのではないかという懸念も、捨てきれはしなかったが。

 紅茶も飲み終え頭に糖分も回ったことだし、色んな意味でそろそろ任せきりではなく、やり方を聞いてみるかと、お土産を受け取る本音へと二発目のチョップを振りおろそうとした――その瞬間、

 

「ん?」

 

 姫燐は閉まった扉の小窓に、いつの間にか映っていた人影の存在に気が付いた。

 数秒待ってみても、不審な影は一向にノックも入って来るような様子も見せず、ただ廊下に立って不動のまま。

 それに、なんとなくこのシルエットに見覚えがあった姫燐は、

 

「悪い本音、ちょいお花摘み」

「は~い」

 

 と、それとなく席を外し、あえてもう一つの、反対側の扉から物音を立てない様に出ると、調理室のプレートを見上げ胸に手を当てたまま、まるで気付く気配が無い背中を軽く叩いてやった。

 

「よっ、何してんだよシャルル」

「ひゃわぃ!? ほ、朴月さん!?」

 

 分かりやすく跳ね上がる肩を押さえ、姫燐は自分の唇に指を立てると、予想通りであった影の正体に小声で話しかける。

 

「シッ、デカい声出したら見付かって騒がれるぞ? こっちだ」

「う、うん……!」

 

 未だお茶会に夢中な調理室から離れ、人通りの少ない階段へと姫燐はシャルルの手を引いて案内する。

 汚れなど気にせず階段に座る自分とは対照的に、立ったまま壁に背を預けるシャルルを見上げ、姫燐は悪戯っぽく気さくに話しかけた。

 

「で、何してたんだよシャルル。覗きか?」

「のぞっ、そんな一夏みたいな破廉恥な真似しないよ!」

 

 顔を赤くしながら――なんか、詳しく聞いた方が良いような事を口走った気がしたが――否定するシャルルに萌えながらも、緊張がほぐれた様子に満足して本題を尋ねる。

 

「じゃあ、調理部に何か用事でもあったのか?」

「よ、用事とかって訳じゃないんだけど……あそこも、今日は一夏が生徒会で居ないから、ちょっと一人で散歩してみようって、たまたま通りかかっただけで……」

 

 歯切れが悪い様子で、また胸に手を当て――よく見ると、夕焼けに反射して光を放つ何かを握りしめているように見えた姫燐は、そちらの方を先に聞いてみることにした。

 

「その手の奴、ネックレスか?」

「あっ、うん……これはね」

 

 シャルルの柔らかそうな白い掌に握られていたのは、楕円形の蒼いエナメルでコーティングされた、優しげに微笑む聖母が刻まれたチャームネックレスであった。

 

「メダイユっていう、フランスのお守りでね。聖母さまが奇跡を起こしてくれるって言う言い伝えがあるんだ」

「へぇ。メダイユって言うのか、初めて見るな」

 

 立ち上がって、夕陽を反射してきらめく、新品のメダイユをまじまじと興味深そうに眺める姫燐。

 

「日本じゃ、そんなにメジャーじゃないんだね。フランスだと、結構一般的なお守りなんだけど」

「こんなの持ってたんだなシャルル。首は確か、いつもはIS巻いてるよな」

「うん、僕も……実はこれ、誰のメダイユか分からないんだけどね。今朝気付いたんだけど、本国で準備して貰った荷物の中に入ってたんだ」

「へ? そうなのか」

 

 このメダイユにシャルルが気付いたのは、改めて一夏に手伝ってもらいながら、荷解きをしていた最中のことであった。

 今となっては自分の私物なんて目覚まし時計ぐらいで、あとは全てデュノア社から支給された色気のない必需品ばかりであったため、唐突に出てきた見覚えのない新品のメダイユに戸惑いこそ覚えたモノの、

 

「昔、母さんの付けてたメダイユに少し似てたから……ちょっとだけ、借りてるんだ」

 

 母の葬儀の時に、共に土の下へと眠りについた別のメダイユのことを思い出してしまい、元の持ち主には少し罪悪感を感じながらも、持ち主を特定する方法も返す手段も分からないため、シャルルは少しだけ借り受けることにしたのだ。

 独り善がりでちっぽけなセンチメンタルと言えばそれまでだが、こうして握りしめていると感じる不思議な温もりは、冷めた心と背中に、思い出と言う力を流しこんでくれているように、シャルルには思えていた。

 

「昔ね、母さんと一緒に料理を作るのが好きだったんだ」

「シャルルも料理するのか? ウチの男性陣、ホント女子力高けぇな」

「えっ? ……あ、う、うん! そうなんだ、母さんがあんまり身体が頑丈じゃ無かったから、負担をできるだけ減らしてあげたくて」

 

 よく出来た子だよ全くと感心する姫燐に、うなじを流れる冷や汗をさり気なく指で拭きとるシャルル。

 

「それを抜いても僕自身も料理がけっこう好きだし、もし部活するなら調理部が良いかなぁって」

「ほほう! マジかマジか……ふんふん」

 

 思わぬ言葉に、姫燐の頭に設置された打算モードのスイッチが、勢いよくONに弾かれる。

 

「じゃあシャルル? よければさ、毎日、オレの味噌汁を作ってくれないか?」

「え、毎日ってなると、うーん……ミソスープは作ったことないしなぁ……」

 

 期待した答えこそ返って来なかったが、完全に袖にはされない悪くは無い反応に心中でガッツポーズを決めながら、

 

「まぁ、今のはジャパン流のジョークなんだが、ここの部長さん、料理かなり出来るんだよな。話も好きなら合いそうだし、新しいレシピとか、特にケーキの作り方とか、色々と教えて貰えるんじゃねぇか?」

「うん……」

 

 姫燐の欲望が若干滲みでている紹介に、どこか遠慮しているような浮かない様子でシャルルは返事をする。

 そういう顔をされてしまうと、途端に心配性にスイッチが切り変わるのが朴月姫燐の性分であった。

 

「……あー、またなんか地雷踏んだか?」

「ち、違うよ! 朴月さんは悪くないよ! だ、だって……」

 

 あの場所に、母の面影を追う『シャルロット』の居場所は、あってはならないから。

 とは、誰よりも優しい彼女にだけは言えず、シャルは咄嗟に思い付きの嘘を吐き出してしまう。

 

「も、もう日本料理は、一夏に教えて貰ってるんだよ! ミソスープも、今度教えてもらう予定なんだ!」

「え、そうだったのか?」

「うん、だから部活に入るのはまた、もう少し落ち着いてからでいいかな? 心配しないで朴月さん」

「なんでぇ……アイツ、一言もそんなこと言ってなかったけど」

 

 一瞬、ハリボテな嘘の隅を突かれたかとシャルルの胆が冷えるが、どことなく面白くなさそうに鼻を鳴らす姫燐の仕草は、

 

「ま、仲良くやれてるなら、それでいいけどさ」

 

 どことなく玩具を取られて拗ねる子供のように、シャルルには見えた。

 

「意外と意識はしてるのかな……?」

「そいや普段は、部屋とかで二人で何してるんだ? アイツ全然その辺り話さねぇんだよ」

「あはは、それは……」

 

――気軽に話したら、ボロ出すって自分でも分かってるんだろうなぁ……。

 

呟きを覆い被すように向けられた姫燐の質問に、シャルルは苦笑いしながら目を逸らす、

 心遣いは有難いが、アフターケアが少し出来ていない彼の課題点をまた一つ見つけながらも、そこをフォローするのは自分の役割だとシャルルは判断し、改めてシャルは自分と彼の生活を思い返してみた。

 この学園に転校してきてから、まさに怒涛の一週間と少し。

 自己紹介からいきなりA組特有のテンションに揉まれ、姫燐と出会い、セシリアに決闘を挑まれ、性別を一夏とセシリアに暴かれ秘密を共有し、技練習にも付き合い、タッグの模擬戦をして――なんとも、一日一日がとてつもなく濃いイベント塗れだが、それでも息をつく時間ぐらいはあるものだ。

 

「えっと、大体はその日受けた授業の、補習みたいなのもやってるかな」

「へぇ、その辺もちゃんと勉強してるんだなアイツ」

 

 知力もまた、紛れもない力であると痛感する一夏の熱心さに、所詮は『貰いモノ』の知識であっても期待に応えられるならばと、シャルは自身の知識を惜しげもなく彼に教授していた。

 間違いなく彼に足りておらず、そして自分が教えられる強さの一つを、特にタッグ戦があったあの日から、一心不乱に遅くまで一夏は磨き続けている。

 

「だから、最近たまに眠そうにしてるのか」

「うん、すっごく頑張ってるよ。あとは、そうだなぁ」

 

 無論、鍛錬ばかりではない。

 同じ部屋で共同生活を送れば、自然と日常的な家事も共に行うことも増えていく。

 

「他には、朝食と夕食はたまに二人で作ってるし、家事は当番でやってるかな」

「ほんほん」

「基礎トレーニングも、最近は朝に篠ノ之さんと三人で一緒にやることが多いね」

「あー、だから箒の奴……」

 

 毎朝うっきうきで出掛けていた箒のテンションが、最近少し低くなっているのはそこに起因しているのだろうと、姫燐は察した。

 もしやと推察するが、最近の自分へのどう考えても行き過ぎた『可愛がり』は、彼女なりの一種のストレス発散であるのかもとすら思えてくる。

 そう考えると同情できる部分もあり、彼女の暴挙にも多少は寛容に――

 

「なれないな、うん、ねぇわ」

「ど、どうしたの朴月さん?」

「あ、いやこっちの話。他には?」

「他には、えーっと……」

 

 ここは少しばかり誇張を加えてでも、正体を悟られない様にする意図も含め、自分と彼が仲の良い『男同士』であることをアピールしておこうと、なんとなく面白くなってきたシャルは指折り、

 

「汗かいたら、一緒にお風呂とか入ったりするかな」

 

 さらっと、何でもない事のように、そう、言い切った。

 

「ほん…………ほ…………もおおおおお!?!?!」

「へ?」

 

 いきなり投下されたトンデモ無さ過ぎる大爆弾は、姫燐の精神的均衡を、一瞬にして吹き飛ばし大恐慌へと陥れた。

 自分の口走ったことが、どのような意味を持つのか――それを理解し切れていないシャルは、姫燐に肩を力任せに掴まれても困惑することしかできない。

 

「お、おおおままま、お前ら、一緒に風呂入ってるのか!? いつも!?」

「え? え? そ、そんなに変な事なのかな……?」

 

 シャルとしては勝手に風呂場に入ってきたとあの過去を、違和感がないよう自然に改変したつもりであったのだが、姫燐からしてみれば不自然の塊でしかない二人の蜜月に、思考回路がショート寸前に暴走を続けてしまう。

 

「いや、ちょ……え、ナチュラル? ナチュラルに二人でかっ!?」

「そ、そういうものじゃないの……日本では?」

 

 事前にシャルが日本に馴染むため仕入れていた知識では、日本人は同性なら共に湯浴みをすることは、そういった専門施設が随所に作られるほど、別段珍しいことではないと記憶していたのだが、

 

「いやいやいや、マジなのか……ガチなのか……!?」

 

 それはあくまで温泉などと言った公衆浴場のみの話であり、個室の風呂は同性だろうと一人ずつ入るのが普通であるという点を、シャルはモノの見事に勘違いしてしまっていたのだ。

 当然、赤の他人の野郎同士が特に理由も無く、一緒に個室風呂に入るような裸の付き合いをしていれば、薔薇な関係と疑われてしまっても仕方が無い訳で、

 

「嘘だろ……オレですら箒と風呂入るのは妄想で留めてるぞ……」

 

 そろそろ煙が出始めそうな頭を抱え、ブツブツとうずくまり始めた姫燐の尋常ではない様子に、自分がとんでもない爆弾発言をしてしまったことだけはシャルにも分かる。

 完全な自滅で後に引けなくなってしまったシャルであったが、ここで全ての間違いを訂正してしまえば、当然の帰結として理由の追及が始まるだろう。そうなってしまうと、話は自分の秘密へと直結してしまいかねない。

それだけは回避しなければと、なんとか体裁を取り繕うため、テンパった頭であたふたと先程と同じ言い訳を思い付き――思い付いて、使い回してしまい、

 

「え、っと! 一夏、一夏にそう教わってね! こういうのが日本の文化だって!」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!? 一夏からだとぉ!?」

 

 さらに、とんでもない大穴をあけてしまう。

 自分の失言が本当にシャレになっていないことに気付くには、シャルは織斑一夏という男が築いてきた唐変木の歴史を、まだ完全に理解しきっていなかった。

 

「ちょま、待て待て待て!!? 嘘だろキャラ作ってたのかアイツ!? まさかあの唐変木さを!?」

「ほ、朴月さん?」

「だから箒や鈴から、あんだけ露骨にアプローチされてもスルーしてたってのかよ!? いや待て、この前提が覆れば、こんな桃園にぶち込まれても問題一つ起こさない枯れ具合にも説明がつくのか……ついちまうのか!?」

 

 ポーズと表情を目まぐるしく変えながらも、大混乱からド真剣な真顔へと変わっていき、徐々に虚構の現実を本気で受け入れ始めた姫燐の勘違いを訂正できる人間は、喜劇的かつ非劇的にここにはおらず、

 

「……オーケー、分かった。安心してくれ、シャルル」

「あ、朴月さん、その」

「この問題は、本当にデリケートな奴だからな。安心しろ、オレは同性愛に理解がある。一回、一夏とはオレが真剣に話しとくから。ていうかするから」

「でりけーとって、同性愛ッ!!?」

 

 今までにないぐらい真摯な態度でまた肩を掴まれ、ここでシャルも、ようやく自分の迂闊な嘘が、収集がつかない方向へと転がり始めていることを理解する。

 

「ち、ちが、同性!? 一夏は絶対にそういうんじゃなくて!」

「違うんだ、シャルル。オレは別に、一夏を責めたりしてるわけじゃなくてさ」

 

 責められる言われがないので当然であるが、姫燐は確かに怒っているわけでも、ドン引きしているわけでもなかった。ただ――

 

「ちょっと、ショック……でな。なんで一言でもいいから、オレに話してくれなかったんだ、って」

 

なぜ、今の今まで自分に――言ってしまえば同類である自分だけには一声でいい、相談や話をしてくれなかったのかと、姫燐は言いようのない寂しさや、やるせなさを感じずには居られなかったのだ。

 

「ほんっと……気付いてやれなかった、オレも間抜けなんだがな」

 

 掌で目を隠して、姫燐は天井を見上げる。

 同性愛者は、自然の摂理に逆らう存在である。

 それは、どれだけ世間が認めようと、自由の権利をかざそうとも、捻じ曲げられない単純な事実だ。だからこそ、姫燐は自分の性癖を自覚し始めてから、この事実を常に忘れずに生きてきた。

 自分だけの問題なら露見はしてもいいが、秘めた恋心で誰かに迷惑だけはかけたくない。

 その一心で、自分好みの同性が多いIS学園だろうと、姫燐は自分の性癖をオープンに語る事だけは決してしないように心掛けてきたのだ。

 

――それでも。

 

 それでも、下世話な話題であろうとも、誰かと本心から語り合いたくはなってしまうのは、言葉と言葉で通じ合える人間の性というモノなのだろう。

 自分の性癖を受け入れてはいないが、認知はしている鈴との会話は、それだけで姫燐にとっては得難い機会でもあったように、そういったことはいつまでも胸に押し留めておけることではないのだ。

 要は、ガス抜きなのである。

溜め続けてしまうと、染み付いて、離れなくなってしまう孤独という猛毒を抜くための。

 誰にも秘密を共有できない、女しか居ない学園生活――それは自分にとっては天国でも、相反する……いや、自分以上に本心を語らなかった彼にとってはどうだったのだろうか?

 アイツは、織斑一夏は、自分が想像するよりも、ずっとずっと、哀しく、孤独な存在であったのだろうか?

 あんなに一緒に居たのに、いざとなってみればアイツのことが何も分からない自分が、どうしようもなく不甲斐ない。

 

――だから、なのかね……。

 

 こんな自分とも根気強くヨロシクやってくれているのは、男っぽい立ち振る舞いだから、女なのに女が好きな性癖で、女らしくないからなのかとも、姫燐には思えてしまう。

 だったら、尚更カッコいい自分がなんとかしてやらねぇと。

そう、思い直す――ほんの少し、心の、どこか片隅で、

 

――もし、オレが普通に女らしかったら、アイツは今みたいに、オレの隣に居てくれなかったんじゃ…………。

 

 過った、そんな僅かな可能性をぶっ潰すように、姫燐は壁に額を叩きつけた。

 

「ど、どうしたのっ!?」

「……悪い、ちょっと真剣に頭冷やしてくる。また明日な、シャルル」

「ま、待って待って! 一夏は、一夏は同性愛者じゃなくて、絶対に朴月さんのことが……」

 

 何かを必死に訴えるシャルルの声も、全く耳に入って来ないほどに、赤くなった額と、

 

「……ちくしょう。なんか、なんかすっっげぇ、モヤモヤするっ……!」

 

 同じくらい赤くなった目尻を振り払うように、姫燐は手洗い場にめがけ、一心不乱に廊下を駆け抜けていった。

 




シャルが男だと思ってた頃の一夏はどうみてもホモだったし、ま、多少はね?

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