IS~インフィニット・ストラトス~ ―I AM…ALL OF ME…―   作:ヱ子駈 ヒウ

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第30話「生徒会役員共の一存(前編)」

「朴月ちゃーん? ねねっ、週末予定ある?」

 

 明日から、学生にとって何よりも待ち遠しい土曜日を控えた放課後。

 誰にも気付かれずに教室から退散するという姫燐のスニーキングミッションは、3秒という金メダル級のタイムで失敗に終わった。

 

「ひっ!?」

 

 動揺に足が竦む。僅かなタイムロス。

 しかし、既に獲物をロックしたハイエナの群れにとって、子羊の退路を奪うにはその一瞬で充分すぎた。

 

「どこへ行こうと言うのかね? 朴月ちゃん」

「君はー完全にー包囲されているー、諦めたまえー」

「逃さん……朴月ちゃんだけは……」

「あっ、いや、オレ、その……」

 

 たった一人の生徒を大勢で囲む、学園ドラマとかによくある陰湿な光景が展開される。

 ただ、姫燐の場合はドラマとは違い、危ないのは貞操だ。

 イジメられるのと、着せ替え人形。どちらがマシかと姫燐はふと考え、どっちにせよイジられていることには変わりないと迷妄を振り切り、何とかこの場を治めるための嘘を脳髄から絞り出す。

 

「わ、悪りぃな、お、オレ、こっから部活があるんだよ……だから」

「えー、朴月ちゃんって帰宅部でしょ? この前、織斑君が言ってたよ」

 

 遠巻きに、これは女子特有のスキンシップなのか、それにしては只ならぬ邪念を肌で感じてはいるのだがと、止めるかどうか判断しかねオロオロとしていた一夏に、姫燐の「オレを売ったのか!?」と糾弾するアイコンタクトが突き刺さる。

 

「あ、ああ! そうだそうだ、オレ、これから親父に呼ばれてて……」

「朴月博士なら、確か今日は織斑先生と、学園のセキュリティプログラムを見直すって言ってなかったっけ?」

「だな。今日はそのために織斑先生が出れず、山田先生が担任としての業務を受け持っていたからな。かなり本格的にやるらしく、明日も出れないとの事だが……」

「おお! やっぱり凄い人なんだねぇ、朴月ちゃんのお父さん。とっても、忙しいんだねぇ」

「箒ぃ……シャルルゥ……!」

 

 恨めしげに、しょうもない嘘の矛盾点をあっさりと暴きだした二人を睨む姫燐。

シャルは少し申し訳なさげに目を逸らすが、逆に箒はどこ吹く風と口元を僅かに綻ばせながら話題を逸らす。

 

「いやしかし、お前の父がこの学園に来ていると朝礼で聞いた時には驚いた。あとで一度、ご挨拶に向かわせてもらった方が良いだろうか?」

「いらねーよ別に。つか、オレのISの改修やるんじゃねぇのかよ親父の奴」

 

 と、彼女も口では愚痴りながらも、頭では納得はしていた。

 大方、IS学園の機材をレンタルするために、その頭脳を取引材料に使ったのだろう。

 敷地を使わせてもらう前に、大家に家賃を支払うのは当然のことだ。

 しかし、女の園のIS学園に、いきなり中年が一人放り込まれることになるこの現状。クラスでも多少なりともの抵抗を覚える者が多いのではないかと、姫燐は憂鬱に思っていたが、

 

「朴月ちゃんのお父さんって、どんな人なのかな? やっぱり、身長とか高くてスマートなの?」

「うーん、私は既婚者とは思えない、ちょっと耽美でクール系のお人と見たね。眼鏡と七三でキチッと決めてる感じの! でも朴月ちゃんみたいに、攻められるのに弱いの!」

「えー! 朴月ちゃんのイメージとちがーう! もっと少し毛深いぐらいのワイルド系だって! じゃなきゃ、あそこまでの小動物オーラは出せないよ!」

 

 自分も含め、えらく言いたい放題言われているが、割りと受け入れられている現状にはホッとしつつ、それでも注意が逸れたこの好機を逃さぬよう、即時撤退を決めるための条件(鞄)を探すが、

 

「姫燐、鞄は私が持とう。利腕が動くようになったからといって、まだ負担は控えた方が良いだろう?」

「……ハ、ハハッ、どうもご親切に」

 

 とても良い笑顔で既に自分の鞄を確保していた、あの日以来、なにか剥けてはいけない皮が剥けたルームメイトに、姫燐は戦慄を覚え苦笑する。

 

「お、おまっ、お前は普通に土日も剣道部あるだろ……? だから週末は関係」

「いや、私も今週末は、部を休ませて貰えるように言ってある。お前達と、出かけられるようにな」

「えっ?」

 

 そんな箒の言葉に一番驚いたのは姫燐では無く、遠巻きに一人罪悪感に沈んでいた一夏であった。

 

(箒が、部活を休んでまで? 友達と?)

 

 自分が知っている昔の箒も、ここで再会した箒も、本当に昔と変わっていないと一夏は安心感を覚えていた。

 それは彼女の良い部分も、悪い部分もひっくるめた評価だ。

 質実剛健。飾り気はなく、慣れ合うこともせず、常に緊張した空気を張り詰めている怖い人。

 それが、この学園で箒を初めて知った人の評価だろう。

 だが、一夏は違う。一夏は昔の、ISなど存在しなかった頃、ただのごくごく平凡な少女だった時の、本当の彼女を知っている。

 彼女はただ、すごく人見知りをしやすいだけなのだ。更に真面目でもあるため、目的があるなら黙々と一人で熱中していってしまう。

 それが他人には無関心で刺々しい、冷淡な人間のように映ってしまっているだけなのだ。

 本人がそんな自分の性分をどう思っているのかまでは、流石に一夏にも分からなかったが、

 

「ふふふっ、何処へ行こうか姫燐。恥ずかしながら、私はこんな時にどういった場所へと出掛ければ良いのか、あまり詳しくないんだ」

 

 しかし、こんなにも楽しそうな表情で、友人との外出を待ち焦がれる彼女を見てしまえば、もはやこのような分析など野暮でしか無い。

 そう結論を出した一夏は、良い方向へと向かい始めた幼馴染を微笑ましく見つめる。

 

「ただ私は、お前とならどこでも構わないと思っている。どこでも、とても愉しそうだ」

「アイエエエ……アイエエエ……」

 

 ただ、彼の結論は、箒は『楽しんでいる』というよりは、『愉しんでいる』と言った方が正しいという事だけは、綺麗に的を外していたが。

 

「でも、そろそろ時間だよな」

 

 一夏としても彼女たちの和気あいあい? に、水を差すようなことはしたくなかったが、少し約束の刻限が迫って来ている。

 席を立ち、さてどうやってこの女性熱帯雨林から姫燐を連れだすかと思案したところで、

 

「ぴぴー、ぴぴー、はなれてー。みんなーはなれてくださーい」

 

 先にのほほんとした力の抜ける声が、ぶかぶかの袖をオーライオーライと振りながら、熱暴走しかけている人混みを散らしていった。

 

「ほ、ほんちゃぁぁん……!」

「ほ、本音? 一体どうしたんだ」

「はーい、ほっきーごめんねぇ。きりりんはね、今日の放課後は生徒会室に行かないといけないんだぁ」

「生徒会室、だと?」

 

 役員以外は立ち入りできない生徒会室に用事があるという事実が半分、姫燐が本音を「ほんちゃん」と呼びながら縋るように彼女の後ろへと隠れたことが半分、教室中に動揺が走っていく。

 

「なぜ、姫燐が生徒会室に呼ばれないといけないんだ?」

「そうですわ! き、ききキリさんからあだ名で呼んで貰えるだなんて貴女は、貴女は一体ッ!?」

 

 説明を求める外野は一端置いておき、閉じているのか開いているのか分からない目で何かを促す本音の視線に、姫燐は安堵と観念の溜め息をついて、ポケットから昨日貰ったバッチを取り出す。

 

「ほら、オレ今日から、生徒会役員なんだよ。そこの一夏と一緒にな」

 

 と、一転して視線を向けられた一夏も、同じバッチを持っていることを確認すると同時に、一瞬のほほんと冷めかけていた熱がまたA組中にぶり返していく。

 

「な、なんだってー!?」

「異議あり! 朴月ちゃんも織斑君もA組の共有財産なのよ! いくら生徒会だからって横暴よおーぼー!」

「訴えるしか無いわね! そして勝つしかないわね! 法廷で会いましょう!」

「こうなりそうだから言いたくなかったんだよ……てか勝手に共有財産にすんな」

 

 自分達のここ最近の生き甲斐を奪われてなるものかと、徹底抗戦の構えを見せるA組であったが、そんな放課後バトルフィールドとは別の次元に生きているのかと思うほどいつも通りに、本音はのほほんと袖から一枚のプリントを取り出し、

 

「コレねぇ、みんな知ってるかもだけど、今度の夏に行く臨海学校の予定表なんだけどぉ」

「ワッツ?」

「ここにね、自由時間ってあるでしょー?」

 

 なぜ、本音がまだ二ヶ月近く先のイベントの予定表を持っているのかよりも、素直に夏の一大イベントのスケジュールが気になるA組の生徒たちは、いったん目の前の問題は置いておき、こぞって一枚のA4用紙に詰め寄る。

 

「実はねぇ、うちの学園って、毎年臨海学校は、花月荘っていう海がすっごい近くの民宿に泊らせてもらうんだぁ」

 

 海。浜辺。水着。肌色。次々と脳裏を掠める真夏のアバンチュールに、A組の生徒たちの眼光が瞬き、獲物の背筋が凍る。

 

「でねぇ、わたしがいっつもお洋服を買う行き付けのお店にね。今度、新しい水着を一杯入荷するから、『反応』も見たいし、出来ればたっくさんお客さんを連れて来て欲しいって頼まれてるの。代わりに……」

 

 口調は変わらず。しかし、そっと袖を口元に手を当て、まるで心底からドス黒く沸きだす愉悦を隠すかのように――

 

「お店、その日は、『何があってもいい』ように、私達の貸し切りにしてくれる――って」

「取引成立よ! 行って良し朴月ちゃん!」

「1ミリも良くねぇぇぇぇぇ!!!」

 

 自らの意思0%で生徒会とA組という、組織間のトレード素材にされている自身の境遇に対する理不尽に姫燐は叫ぶが、

 

「はーい。それじゃあみんな、行ってくるねー」

「あちょ、だから力強っ! 異議あり異議あり! なんだよこの展開! チクショウ! マトモなのはオレだけか!?」

「そ、それじゃあ、みんなまた明日な」

 

 異常であれど、民主主義によって可決した決議に対する異議など認められるはずもなく、あれよあれよと嵐に揉まれるボートのように姫燐は流されていき、A組の扉が閉じられると共に、その声は掻き消えて行った……。

 

               ○●○

 

 日が少し傾き始めたものの、まだ少し蒸し暑さが残る廊下は、放課後の解放感に酔いしれる者、その後すぐに続く部活動への準備を進める者、特に理由もなく教室で同級生と無駄話に華を咲かせる者と、十人十色で溢れていた。

 特別な才気に溢れたり、血のにじむような努力を続けた人間だけが集まるIS学園といえど、この特有の活気に溢れた慌ただしさは、自分が過ごしたごく普通の中学校と変わりなく、一夏はほんの少しの懐かしさと癒しを覚える。

 

「オレはどこで間違えた……? 何を間違えたんだ……? どこか……ズレた場所が思い出せないんだ……」

 

 たとえ、それが隣で今にもタイムリープマシンがあれば飛び付きそうな形相で歩く姫燐へ、かける言葉が見つからないがための、只の現実逃避であるとしても。

 

「そうだ、樹海に行こう……静かな場所がいい……」

 

 あ、これは本格的にダメそうだ。

 これ以上いけないと一夏は、ここ最近妙に慣れてきた、他人へのフォロー力を行使しようとするが、

 

「大丈夫、ひめりんはなーんにも間違えてないよ」

 

 それに先んじて、教室から姫燐の手をずっと握り続けていたのほほんとした声が、その腕に優しく抱きついた。

 

「ほっきーもみんなもね。それだけ、ひめりんの事がとっても大好きなだけだよぉ」

「うるせぇ、お前ほんと何なんだよ……煽るだけ煽りやがって、無責任によぉ……」

「じゃあ、責任、取ったら良いの?」

「良い訳ねぇだろ」

「ぶー……」

 

 と、露骨に嫌な顔をしながら愚痴りつつも、絡んだ腕を払おうとはしない辺り、二人の間には一朝一夕ではない、自分の知らない絆が見え隠れしていると、蚊帳の外で一夏は思った。

 

「それにしても、二人ともいつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

「あー? ……あ、そっか、お前にはまだ話してなかったか」

「そだねぇ、おりむーにはまだだったねぇ」

 

 軽いアイコンタクトも含み、この事を知っているのが箒だけであることを確認し合った二人は、自分達と生徒会、そして『楯無』のことについて軽く説明をしていく。

 あの、のほほんと穏やかな姿勢を崩さないクラスメイトが、昨日自分を徹底的にボコボコにした『楯無』の一員であることや、自分よりもずっと昔から姫燐の事を知っている友人同士であったことに、一夏は戦慄に近い驚きを隠せなかった。

 確かに自分は人の機微には疎いが、それでも能ある鷹は本当に爪を隠すのだと、また一夏は一つ、身を持って得難い経験を得る。

 

「んー、いっぱいお喋りしたら喉乾いちゃったなぁ。お姉ちゃんにココア淹れてもらおっと」

「そんぐらい自分で淹れろって。うつ姉に余計な仕事増やすなよ」

「じゃあ、ひめりんのココアがいいっ! すっごく飲みたい!」

「だから自分で淹、れ、ろ!」

 

 ……ただまぁ正直、半信半疑ではあるのだが。

 などと、一夏が狐か狸に化かされているのではないかという表情をしている内に、本音の足が、見慣れない扉の前で止まった。

 

「ささ、二人ともバッチを襟に付けてー」

「はいはい」

「付ければいいのか、のほほんさん」

 

 言われるままに慣れない手付きで、二人は制服の襟に水色の丸いバッチを付ける。

 そして、いつの間にかバッチを既に付け終えていた本音が扉に近付くと、電子音と共にIS学園の紋様が淡い光を放ち始める。

 

「うぉ、なんかかっけぇ」

 

 妙にSFチックなギミックをした扉の前で、軽い感動を覚える姫燐を余所に、生徒会室の扉が軽い音を立てて自動で開かれた――途端、

 

「およっ?」

「んぇ?」

 

 中から飛び出る腕。引っぱり込まれた姫燐と本音。そのままプシューと閉じる扉。

 二人とは一歩離れた位置に居た一夏は、イリュージョンのように綺麗な置いてけぼりを受け、空に手を伸ばし目を丸くしたまま……、

 

「い……いやいやいや! 大丈夫か二人とも!」

 

 急いで我に帰り、自分も自身のバッチを扉にかざして、一気に室内に突入した。

 複数の椅子や机が合わせて大きなテーブルのように見立ててあったり、コーヒーメーカーが置いてあったり、掲示板のようなものがあったりと、置いてある物自体は自分も良く知るような生徒会室と同じように見える。

だが、木製の机には色合いに高級感溢れる深みがあったり、掲示板のようなモノはよく見たら凄まじく薄いモニターであったりと、そのグレードだけは、明らかに自分の生活基準を何段階もランクアップさせたような雰囲気を醸し出していたが――今はどうでもいい。

いざとなれば、いつでもISを展開させられるよう、腕に力を込めながら周囲を警戒する一夏の目に飛び込んできたのは、

 

「キリ! のほほんさん! 無事……か?」

「あ……あぁ、まぁ」

「おりむー、なんかドラマの刑事さんみたーい」

 

 部屋の一角で、とりあえず怪我などはしていなさそうな、どうしたもんかと困惑したような堅い表情の姫燐と、こちらの心配など露知らずなコメントを残す本音。

 そして、

 

「……………………」

 

 そんな二人を両腕で、強く抱きしめたまま不動な、見慣れない女生徒の背中だった。

 

「あ、あのー……貴方は?」

「…………………」

 

 自分の声にも無反応、ただ無言無心で二人をギュッとし続ける見知らぬ人物をどうすればいいのかと一夏は視線で訴えるが、

 

「だいじょうぶだよおりむー、もうすこしで完了するから」

「か、完了?」

 

 人を抱きしめて何が完了するのだろうかという当然の疑問に答えるように、スッと姫燐と本音を放した女生徒は、几帳面に居服や眼鏡の乱れを整えると一夏の方へと振り返り、

 

「はぁぁぁ……すみません。久方ぶりの充電だったので、つい」

「じゅ、充電?」

 

 何を充電しているのか、ハグで回復するのか、そもそも人間には充電しないといけない器官は無かったように一夏は保健体育で記憶しているが、改めて相対してみて気付いた事実のほうが重要そうなので、一端この疑念は置いておくことにする。

 

「貴女、たしか弾のDVDを運んできてくれた……」

「はい、その節は上手く行きましたか? 織斑君」

 

 一度だけだが、自分は確かにこの女生徒――三年生の先輩と出会い、そして間接的にだが、かなり世話になったことがあったのだ。

 

「は? お前、なんでうつ姉のこと知ってるんだ?」

「あ、ああ、オレもビックリしたんだけど……」

 

 自分の二つ上とは良い意味で思えない、おだやかで理知的な雰囲気。のほほんさんと同じ少し赤っぽいブラウンの髪の色をしているが、ポニーテールにし、カチューシャで眼鏡にかからないよう前髪をあげているため、寝ぐせのように外に跳ねる後ろ髪をそのままにしている彼女とはかなり違う印象を受ける。

 

「あれれー? お姉ちゃん、おりむーと何かしてたのー?」

「ええ、正確には少しアドバイスした程度、だけれど」

「あ、ああ! だからあの時!」

 

――妹達がいつもお世話になっています。

 ようやく一夏は、彼女がなぜ自分にこの台詞と共に、菓子折りまで持って来てくれたのかを理解した。

 

「あ、ありがとうございます、あの時のクッキー! シャルからもお礼を言っておいて欲しいって、ええっと」

「布仏虚。IS学園三年生の整備科所属、生徒会では会計を担当してるの」

「整備科?」

 

 いつも通り聞き慣れない言葉にキョトンとする一夏に、いつも通り姫燐が横から小声で解説を入れていく。

 

「IS学園はな、二年から整備科っていう別クラスが一つ作られるんだよ。ドンパチじゃなくて、ISの整備や開発、研究を専攻して学ぶためのな」

「そんなクラスがあったのか……」

「ちなみに、虚はそこの主席。機体を弄ることに関しては、私より上なんだから」

「す、すげぇ……あの楯無さんより……」

 

 そして、いつも通りいつの間にか、水色の髪をして大きく『自慢』と書かれた扇子を広げる女性が二人の背後におり……、

 

「うわぁ! 楯無さん!?」

「うぉ!? かた姉!?」

 

 いつも通りのオーバーなリアクションで飛び退いてくれる二人に、楯無は満足げに扇子を畳んだ。

 そんな様子を「仲良しだねぇー」とコメントしながらナチュラルに姉に抱きつく本音と、「ええ、本当に」と抱きつく妹を撫でる虚。それをジッと見つめ、ピロンと私に良い考えがあると言いたげに、

 

「んっ」

 

 と、楯無は満面の笑みで、大きく両手を横に広げて一夏と姫燐の前に立ちはだかった。

 

「んっ、じゃねぇよ。やらねぇぞ」

「あの……楯無さん、流石に男女でそれは……」

 

 片や露骨に嫌そうに、片や顔を赤らめて目を逸らしながら、要するに自分が全力でそそられる表情を浮かべる妹と弟(予定)を前にして、自制することの無粋さを何よりも理解している人間が更識楯無だ。

 この後の展開を脳裏に走った一筋の光で察した義妹と、古い人類のように鈍い弟(将来)の背後へと音も無く移動し、豊満な身体を押し付ける肉ハグを敢行する。

 

「んもー! 相変わらず可愛らしいんだから二人ともー!」

「やーめーろー! 可愛くねェし離せコラ!」

「たたた、楯無さんストップ! き、キリ、キリが近っ!」

「おほほほほ!」

 

 両方とも別のベクトルで真っ赤になりながら、離してくれるよう暴れるなり懇願するが、それは猫の遊びに全力で応えてやっているのと同じように相手を喜ばせるだけであり、更に、

 

「む~、お嬢様だけずるーい!」

「あ、せっかくなので私も再充電を……」

 

 別の肉食獣の好奇心にも火を付けてしまう、悪循環へと繋がっていく。

 更に二名が追加された猛烈で熱烈な歓迎会は、新人達のなんかが色んな意味で折れる寸前に終了するという、異様に完璧な調整を以って終わることを今はまだ知らない一夏と姫燐は、ただされるがままに悲鳴を上げ続けるしかないのであった。

 

 

              ○●○

 

 

「さって改めまして、私達の生徒会へようこそ。お二人とも」

 

窓を背にした、一番奥の『生徒会長』と書かれた札が置かれた席に座り楯無は、フル充電が完了した非常につややかな頬の前で、「満悦」と書かれた扇子を開いた。

 

「……あ~……」

「………………あっ、はい」

 

 対象的に、絞られつくされた出涸らしと化して、椅子の背もたれに身体を投げ出す姫燐と、教会の懺悔室にでも座っているかのような神妙さで俯いたままの一夏は、理由こそ違えど両者とも最低のテンションで返事をする。

 

「あらら、少々やり過ぎたかしら?」

「大丈夫だよぉお姉ちゃん。ひめりん最近はね、いっつもクラスでこれぐらい可愛がって貰ってるから。こんな感じに」

「待てこらテメェ……」

 

 のほほんとブカブカの袖で器用にスマホを操作し、納められた画像を対面に座る姉に見せようとする隣の席の腕を阻止するため、姫燐の身体に僅かな活力が戻った。

 

「ごめんなさいね、織斑くん。ちょっと悪乗りが過ぎたかしら」

「あ、いえ、虚さんや楯無さんは悪くないんです。悪いのは節操がない……」

 

 と、そこまで言いかけて、一夏は露骨に、隣に座る虚から視線を逸らして言葉を濁す。

 これ以上は、誰も何も追求しないという密約をアイコンタクトで結ぶ優しい空気が、生徒会室に満ちた。

 

「じゃあ、さっそくなんだけれど、まずお二人には軽くこの生徒会について軽く説明しときましょうか」

 

 話の流れを変えるように扇子を閉じ、楯無は開口一番目に、

 

「ザックリ言っちゃえば、この生徒会は『更識』の学校内での拠点でね。だから、普通は私達の身内じゃないと入れないの」

 

 かなりとんでもない秘密を、さらっとぶっちゃけた。

 

「……え、それって……良いんですか?」

「いいのいいの。学園側も了承済みだし、学園のお願いも、国家間のややこしいことに影響が及ばない範囲で聞くって条件で契約してあるからWinWinな関係よ」

 

 むしろそれで更識を数年間も雇えるんだから、相当破格の条件なのよ? と、軽々言ってのける楯無の言葉に、一夏は改めて彼女たちが、ただ単純に腕っ節だけではない、本当の意味での『強者』であることを思い知らされる。

 そして同時に、そんな組織へと勢いだけで入ってしまった自分が、酷く場違いな人間であるように感じてしまい、一夏は申し訳なさげに手を上げ、

 

「お、俺なんかで、なにかお手伝い……できるんでしょうか?」

「ん? ……あぁ、そういうこと」

 

 自信なさげな態度に納得がいった楯無は、カラカラと笑い、

 

「安心して一夏くん。流石に貴方に更識のお仕事を手伝ってもらうつもりはないわ。むしろ、貴方にこっちも手伝ってもらうと困っちゃうのよ」

「あ、ああ、やっぱり俺じゃ力不足」

「違う違う。これに関しては、ヒメちゃんだって同じ」

「オレもなのか?」

 

 声にはしていなかったが、「結局何をさせられるのか」という部分は一夏と同じく気になっていた姫燐も、目を丸めて尋ねる。

 

「そ、実は学園側が出した条件なんだけど、実はもう一つあってね」

 

 と、言いながら、楯無はテーブルに置かれた『生徒会長』の札に手を当て、

 

「生徒会室を占領するんだから、当然生徒会のお仕事もちゃんとすることも、条件の内だったのよ」

「え、でも、そんなこと出来るんですか?」

 

 国家を影から護る一族の首領に、IS学園の生徒会長。

 スケールも何もかもが違いすぎるが、どちらも二足のわらじで易々とやれるような仕事ではないことぐらいは一夏でも分かる。

 更に、自分達を除けば、生徒会は見たところ、楯無に布仏姉妹の三人しか居ない様に見える。

 のほほんさんが自分達と同時期に入学したことを考えると、実質的には二人だ。

 それで二つの組織を回すなんて、到底無理なんじゃないかと一夏には思えて仕方が無い。

 が、

 

「無理を通して道理を蹴飛ばすのなんて、慣れっこよ慣れっこ」

「ちなみにお嬢様は、これに加えてロシアの代表操縦者も現在兼用しています」

「なるほど、三足のわらじ履いてるって事か。やっぱ人間じゃねぇ」

 

 即座に悪口の報復として裏回りからのほっぺをムニムニされている姫燐を横目に、深く一夏は納得する。

 

「ただ、それも最近すこーしだけ、厳しくなってきてねぇ」

 

 必死の抵抗をする小動物を、力任せにホールドしながら優しく撫でるという矛盾技をシレっと披露しながら、似合わない溜め息が楯無からこぼれた。

 

「前までは有難いことに暇――もとい、平和だったから、問題無かったんだけど、ほら、最近あれこれ学園が騒がしくなってきたじゃない?」

「…………っ」

 

 その理由に、借りてきた猫のように大人しくなった姫燐をこれ幸いと撫でまわす楯無の横から、すかさず虚が自分達の現状を補足していく。

 

「更識は現在、あのテロリスト達の追跡に加え、学園警護の強化、更なる特殊重兵装配備の認可などなど、とてもお嬢様や私抜きでは判断が難しい事柄や、事態に追われています」

「そんな感じで、ぶっちゃけたお話、生徒会のお仕事まで手が回らなくなっちゃってるのよ」

「へっ、その責任は自分で取れってことかよ」

「もぅ、この子は本当に」

 

 オシオキと言わんばかりに耳を唇で弄ばれ、黄色い悲鳴を上げる姫燐から出来るだけ眼も心も逸らすように、自分達の役割を理解した一夏が心身を埋め尽くすように声を上げる。

 

「つまりは! 俺達、生徒会の仕事を手伝えば良いんですね」

「その通り。話が早くて助かるわぁ」

 

 もはや完全にお人形のような扱われ方をしていた姫燐も、今度こそ力ずくで楯無を振り払い、彼女の鼻っ柱に指を突きつけ、

 

「じゃあさっさとその仕事を寄こせ! オレはなにすりゃいいんだ!?」

「そうねぇ、ヒメちゃんには、放課後いつでもここに居て貰って、私専用の愛玩妹に……」

「ではなく、ヒメちゃんには、査察をお願いしたいと思ってるわ」

「査察だぁ? どこの」

 

 割とマジなトーンだった楯無にはあえて触れないようにし、姫燐はもう一人の姉から頼まれた視察という仕事に小首を傾げる。

 

「部活動よ、ヒメちゃん。IS学園生徒会には週に一度、部活動に査察を入れ、その活動内容に審査を入れる仕事があるの」

「部活の予算割り振りをしているのも、ここでは生徒会なのよ。だから、ちゃーんと部活を頑張っているのか、追加の予算を下ろしてあげるのか、無駄遣いしていないか、そういったことを全部の部活を回ってチェックして来てもらって欲しいの」

「オレは別にかまわねぇけど……」

 

 楯無が言いかけていた恐るべき内容以外ならば、雑用を頼まれても文句を言うつもりはなかったが、思った以上にガッツリと金銭と責任が関わってくる話になると流石に少し躊躇が産まれてしまう。

 しかし、それも見越していたように、楯無はまた自分の席に座ると『心配無用』と達筆に書かれた愛用の扇子を口元で開いた。

 

「安心してヒメちゃん、いきなり一人で行けなんて言わないわ。心強いパートナーも一緒よ」

 

 と、楯無は視線を、先程からずっと無言で、姉に淹れてもらったホットココアに夢中になっていた、

 

「んぇ?」

 

 口元にココアの茶色いヒゲを付けている、頼り甲斐があるのほほんとした今回のパートナーに向けた。

 

「心……強い……?」

「ほんと! 今日はひめりんと一緒に行っていいの、お嬢さま!」

「ええ、二人で楽しんでらっしゃい、本音ちゃん」

「やった~! ひめりんとデートだぁ!」

「マジかよ……」

 

 いつもの閉じてるのか開いているのか分かり辛い眼を、この吉報にぱちくりと輝かせ、すぐさま姫燐の腕に抱きつく本音。

 そんな無邪気そのものな本音の仕草にも、最近の経験から既に邪念を感じずには居られないが、自分一人では査察など出来ないのもまた事実。

 半分諦めに近い境地で、姫燐は深々と溜め息と共に了承する。

 

「じゃあ、さっそくお願いして貰っても良いかしら? 一夏くんは私と虚と一緒に、会計の方を手伝ってもらえる?」

「分かりました、楯無さん」

 

 そそくさと会計の準備を始めた三人を余所に、姫燐もどっこらせと本音が抱きついているため物理的に重い腰を立ち上がらせる。

 

「にへへぇ、ひめりん早く早くっ」

「へいへい、あとひめりんは止めろ」

 

 自分の手を引く、相変わらずマイペース極まりない友達と、四年ぶりの小さなお出かけ。

 

(ま……悪くは無いけどな)

 

 あれだけ散々な目に合わされても、やはりどうしても心底から嫌いになることができないのほほんとした卑怯者。

 これは相手が上手なのか、それとも自分がちょろいのか。ぶかぶかの袖で器用に生徒会の腕章を付ける本音を見つめて、姫燐はふと考える。

 

「はい! これ、ひめりんの分」

「ん」

 

 ここだけはハッキリさせておかなければ、今後、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃないと、手渡された首輪を、今日は外してある待機形態のブリッツ・ストライダーを巻くように首へと――

 

「いい加減にしろよ、お前……」

「むみゃ~♪ いふぁいよふぃめりん~♪」

 

 手を回したギリギリのところで気付いた姫燐は、即座に首輪をゴミ箱に投げ捨て、そのニヤけ面を横に引っ張った。

 割と手加減なしで引っ張っているのに、心なしか今日一番嬉しそうな声で折檻を受け入れるのほほんとした愉快犯のことが、なおさら姫燐は分からなくなる。

 

(ったく、絶対に昔はこんなんじゃなかったのになぁ……)

 

初めこそ徹底的に他人のふりをした自分への仕返しかと思っていたが、こうやって直接手を上げてみて改めて底が知れない、明確で不鮮明な布仏本音という少女の腹の内。

これは仕返しなんかじゃない、ならば何がしたいのか?

雰囲気や立ち振る舞いは4年前とそこまで変わらないというのに、気が付けば、同じ姉を持つ姉妹同然だった友人のことが、姫燐には何も分からなくなってしまっていた。

だが、それは、自分だけじゃなく、本音もきっと……

 

――ひめりんが近くに居るのに、すっごく遠くに居るみたいで……――

 

「……お互いさま、ってことかね……」

「ふぃめりん……?」

「なんでもねぇよ」

 

自分を含めた誰にも聞いて欲しくない独り語を誤魔化すように、とりあえずもう少しだけ引っ張っておくことにした。

 

 

              ○●○

 

 

 ちゃんとした腕章を腕に巻き、姫燐と本音がまず最初に向かったのは、武道系の部活が集中している道場であった。

 剣道、空手、柔道などなど、ルールこそ違えど、交錯し合う気合を込めた掛け声や、互いの技や身体をぶつけ合う激しい音、胴着や武具特有の汗と染物が混ざり合った匂いは変わらない。

 女であれど互いに全力をぶつけ合うからこそ、この瞬間だけは胴着の乱れや汗で濡れる下着になどにも無頓着になるものだ。

 

(悪くねぇ……悪くねぇぞ……)

 

 つまりは眼福。

 ピッチリとボディラインを強調するISスーツとは違い、露骨でこそないが、胴着の隙間からチラチラと覗く無地のスポーツブラや、首筋や胸の曲線を伝う汗粒、身体をぶつけ合う事で押しつぶされて形を変える胸。ベクトルこそ違えど、どれも中々にグッドなエロスだ。

 今までは堂々と入れば見学かと思われて勧誘されそうで、こっそり覗くのは流石にそこまで性欲に従順にはなれずに見送ってきたが、今回は別である。

 

(そう、オレは生徒会のお仕事で視か……じゃなくて視察に来てるのだ)

 

 だからこういう風に、堂々と、誰にも責められず、品定めするようにジッと公務を果たすことができるのだ。合法、全て合法である。

 本音も道場に到着するなり、「ひめりんはゆっくりしててねー♪」と言い残して何処かへ行ってしまったので、やることが無い以上は、ヤルことは一つだけ。自分を止められる者は誰もいない。

 最近はゴタゴタが続き、気付けば誰かが自分の隣に居たため、こんな天国を堪能することも忘れていたことが、悔やんでも悔やみきれなかった。

 

(最高かよ生徒会……)

 

 そんな久方ぶりに煩悩全開で、神聖な道場に煩悩を持ちこみまくるクソレズの首が、ある部活の所でぴたりと止まる。

 

「うーん、デカい」

 

 顔は面を付けているので分からないが、剣道の銅を付けているのにハッキリと分かる、明らかに一人だけ浮いたレベルの見事な巨乳。姫燐の口から思わず品の無いコメントが漏れるが、

 

(ん? 待てよ、剣道部ってことは……)

 

 見事な巨乳を誇るルームメイトも剣道部であったことを思い出したのと、ちょうど試合を終えて面を外したデカい彼女が、視線を送る姫燐に気付いたのは同時であった。

 

「姫燐? 姫燐か?」

「あ、やっぱ箒だったか」

 

 汗を拭くのもほどほどに、珍しい来客に目を丸めながら箒は姫燐の腕にかかった腕章に視線を落す。

 

「生徒会の……視察? そういう仕事を任されたのか」

「そ、ちなみに本音の奴も一緒」

「ふむ、なるほど。人と接するのが上手いお前達なら、確かに適任かもしれんな」

「ん……ま、まぁな」

 

 こういう、裏表無くストレートに人の長所を褒めてくる所や、よく見る制服やISスーツとは違う、凛とした胴着姿の井出達。そして武道を嗜んでいる人間特有の、緩み無い女丈夫といった表現がしっくり来る振る舞い。

 少しだけ姫燐のツボからは外れているが、それでも少しクラっとしたのを、自分でも認めざる得なかった。

 

「どうした、少し顔が赤いぞ?」

「い、いや、なんでもねぇよ。それより、部活は良いのか?」

「ああ、さっき私の練習試合は終わったからな。少し休憩を挟むところだったし、お前がせっかく来てくれたのに、何の持て成しもしないのはな」

「そこまで気を使わなくて良いって。どうせこっちも仕事だし、持て成すっても、毎日部屋で顔合わせてんだろうがオレ達」

「ふふっ、それもそうか」

 

 今度は年相応の少女のように朗らかな笑みを浮かべた箒に、またもや胸キュンポイントが高まっていた姫燐の横から、ひょこりと小柄でのほほんとした声が割りこんできた。

 

「やっほ~、ほっきー」

「ああ、本音」

「ん、もう視察終わったのか?」

「殆どね~、剣道部が最後だよぉ」

 

 まだそこまで時間は経っていないように思ったが、もうやる事をほぼ全て終わらせたとのほほんと言い切った本音の言葉に、少し姫燐の眉が浮いた。

 

「もうそこまで終わったのかよ?」

「だって、ゆっくりしてたらお夕飯の時間になっちゃうでしょ? それまでに、もっとのんびりして、お菓子とか食べたいしぃ」

「……一応確認するが、手は抜いてねぇよな」

「ひめりーん。わたしだってやる時はやるんだよぉ?」

 

 疑惑に腕を組む姫燐と、頬を膨らませる本音のやり取りをクスクスと箒は眺めながら、

 

「では、時間を取らせるのは申し訳ないな。少し待っていろ、部長を呼んで」

「んんー、もう居るよ篠ノ之」

 

 ベリーショートに切りそろえた、女子にしては少し大柄の黒い胴着を着た部員が、背を向けて行こうとした箒を呼びとめた。

 

「部長」

「こんにちわぁ、部長さん」

「こ、こんちわっす」

「ん、新入りかい。本音ちゃん」

「そうだよぉ、きりりーって言うの」

「ちげぇよ。っと、初めまして、オレ、朴月姫燐って言います。今日から生徒会の役員やってるんです」

 

 頭を下げ、ぎこちなく挨拶する姫燐に、「朴月……朴月……」と、部長は頭の隅っこに引っかかる何かを模索するように呟き、

 

「ん、ああ! 朴月って、篠ノ之のルームメイトの」

「そっす、アイツのクラスメイトで部屋も一緒の」

「愛くるしい奴って、最近いつも篠ノ之が自慢している……」

「箒てっめぇぇぇぇ!!!」

 

 瞬間湯沸かし器のように真っ赤に沸騰した姫燐に胸倉を掴まれても、ハッハッハとすがすがしいドヤ顔を浮かべながら、

 

「ほら、愛くるしい奴でしょう?」

「ほうほう、いつも言うだけはあるな」

「うんうん、すっごい可愛いよねぇ~」

「愛くるしくねぇ! なに人の知らねぇ所で大ウソこいてくれてんだこの野郎!」

 

 ブンブンと胸倉をシェイクさせても、まるで効果が無いように箒は部長に涼しい顔で、

 

「このように少々狂暴な所はあるんですが、落ち込んだ時はこれが嘘のようにしおらしくなりましてね。そこが、ぎゃっぷ萌え、と言うんですか。またイジらしいんですよ」

「さっすがほっきー。きりりーをよく見てるねぇ」

「そんな言葉どこで覚えやがった! いや教えたのオレか!?」

 

 と、己の迂闊さに頭を抱えて座り込んだ姫燐を横目に、箒は着崩れた胴着を直し、

 

「普段は隙の無いように振舞っているつもりでも、寝顔は特に、頬を突いても起きないぐらい無防備なんですよ。ちょっと待っていてください、携帯のカメラに撮ってあるんで」

「へ…………!? !?!?」

「ええっ!? いいないいなー! わたしにも見せてー!」

 

 無許可に寝顔まで盗撮されていたショックにもはや声すら出すことが出来ず、ロッカールームへと軽やかな足取りで向かう箒と、後を追いかける本音の背中に、姫燐はただ手を伸ばすことしかできなかった。

 

「はは……災難だね、朴月ちゃん」

「ちゃんは……止めてください……」

 

 もはや初対面の人にも、ちゃん付けで呼ばれるようになってしまった己の不甲斐なさに、どんどん生気が肩から抜け落ちていく姫燐の様子を、まじまじと眺め部長は唸る。

 

「……君は、凄いな」

「はいィ?」

 

 なんの嫌味かとしかめっ顔を上げる姫燐だったが、彼女がからかう目的では無く、感嘆したような表情でこちらを見下ろしていたことに気付くと、その剣幕を引っ込めた。

 

「いや、気に障るようなことなら悪いんだけどね。ちょっと聞きたいんだけど――」

「けど?」

「君、もしかして篠ノ之の彼女さん?」

「ブボッッ!?!」

 

 あまりにも不意打ちかつ、図星に限りなく近いようで遠い質問に、気官の変なところに入った姫燐が猛烈にむせかえる。

 

「あ……やっぱそうなの?」

「ちち、違げーですってよ! アイツとオレはそんなんじゃなゴゲホッ!」

 

 反論がまた変なところに入り、悶絶する姫燐の反応をテンプレ的ツンデレリアクションと見たのか、部長は腕を組みながら頷き、

 

「いやいや、別に非難するって訳じゃなくてね。というかこのご時世で、女同士を否定する方が時代遅れだし、この道場内だけでもデキてるのが何組か」

「だーかーら! マジで違うんですって! アイツ、オレとは別に好きな奴、ちゃんと居ますし!」

 

 思い人が別にいると聞いて、流石に自分の予想が外れていた事を察した部長は、誤魔化すように後頭部を掻きながら謝罪する。

 

「あはは、ごめんごめん。惜しいとこ突いてると思ったんだけどな」

 

 割と本当に惜しいのが余計心臓に悪い。

 

「なんすか、唐突にもう」

「いや、まぁ朴月ちゃんも、身近に居たんだし分かると思うんだけどさ――篠ノ之の奴、本当に変わったなって」

 

 口にした『変化』は、悪い方向に行った訳ではない。むしろ正道へと無事に立ちかえった教え子を見るような、そんな安堵が乗った口調で部長は続けた。

 

「いや、むしろアレが素なのかな。そこまでは分からないけど、ウチに入部したての時は凄かったんだよ?」

 

 私達も悪かったんだけどさ。と前置きをして、部長は入部したての彼女を、今は笑って語れるようになった過去を思い出す。

 

「無口で無愛想で、そのくせ無敵。入部したてなのに、一応部長のあたしでも一勝も取れやしない」

「アイツ、そんなに剣道強かったんですか」

 

 いつも一夏相手にブチ切れて、竹刀や木刀を激情的に振り回している姿しかイメージに無い、割と失礼な箒への認識を姫燐は改めさせられる。

 

「そこからさ、自分の腕を誇って、こっちを見下してくれるなら、まだマシだったかな」

「マシっすかそれ……?」

「ああ、まだマシ。部の全員に勝ったのに、無表情で居られるよりはさ」

 

 箒が入部した初日、前々から箒の噂を聞いていた部員の一人が、彼女に練習試合を挑んだのが事の発端であった。

 その部員を文字通り瞬殺してしまい、プライドを傷付けられ、再試合を申し込んだ彼女をまた瞬殺。見ていられなくなった他の部員が交代で試合を申し込み、そして完封され、次もまた――

 

「ほんと、次元が違うって言葉を、織斑先生と生徒会長以外に使う日が来るとは思わなかったわ」

「は、はぁ……」

 

 ルール無用とはいえ、よくそんな相手に一回勝てたものであると、姫燐の額にじんわりと汗が浮かぶ。

 

「そんな異次元を人に見せつけたのにさ、当の本人は防具を外せば心ここに非ずって表情浮かべて、息一つすら乱してなくて。……そん時、みんな悟っちゃったんだよ。『やっぱりあたし達と篠ノ之は、住む世界とかが根本的に違うんだな』って……ほら、篠ノ之は、あの『篠ノ之』の妹だしさ」

「…………」

 

 部長が言わんとしていることは、姫燐にも何となく理解できた。

 彼女が自ら望んで手にした訳でもない、篠ノ之の名字が持つ意味は、この学園――いや、この世界において、あまりにも重すぎる。

 

「そっからは、もう誰もあの子に、何も言えなくなったよ。そしてあの子も、私達に何も言わなかった」

「あの野郎……ッ!」

 

 先程とは別の青筋が、姫燐のこめかみに浮かび上がった。

 

――人の事を心配だどうこう言う前に、テメェがまず心配されるようなことしてるんじゃねぇっての……!

 

 この一件は箒も、部長も、部員も誰も悪くない。誰も悪くないからこそ、余計に腹が立つ。

 ようは、互いに互いが、少し勘違いをしているだけなのだ。たったそれだけのことで、自分の友人が孤独になっていい訳が無い。

 

「アイツ……アイツは、悪い奴じゃないんです!」

 

 気が付けば姫燐は、声を張り上げ部長に詰め寄っていた。

 

「確かに箒は、不器用だしヘタレだし剣バカだしヘタレだし人を最近ペットか何かと勘違いしてるような奴ですけど! それでも……」

 

 パッと思い浮かんだのは日ごろの愚痴であったが、それでも、彼女は、篠ノ之箒は、

 

「オレみたいなのを……本気で心配してくれる、すっげぇ良い奴なんですよ……」

 

 彼女は確かに、親しい人間の中では、唯一『あの事情』を話していないし、自分の異常性をまだ、知らない。

 だが、そんな落ち込んでいる理由すら分からない、あまつさえ一度は突き離そうとすらしていた奴にさえも、箒は嫌な顔ひとつ見せず、ただ心配して、何か自分に出来ない事はないかと奔走すらしてくれていた。

 どうしようもない不器用さが証明する、実直さと誠実さを持つ少女。

 そんな彼女のためならば、姫燐は胸を張って、頭を下げられる。

 

「だからお願いします、部長さん! 一回、箒とちゃんと話をしてやってくれませんか!」

「あ。うん、朴月ちゃん?」

「なんなら、オレがいくらでも証明してやります。何から話しますか! ルームメイトになってから、毎朝ちゃんと起こしてくれる所からいきましょうか!?」

「うん。やっぱ君、可愛いわ」

「はぁ!?」

 

 いきなり話を逸らされた姫燐の青筋には更に血が昇っていくが、対象的に部長はにこやかな笑みを浮かべ、「分かるわ」としきりに頷く。

 

「いやさ、朴月ちゃん。あたし最初に言ったよね? 篠ノ之は『変わった』って」

「え……?」

 

 そういえばそんな切り口から始まった話であった事を、姫燐も思い出す。

 

「いやはや、やっぱりそういうことかぁ。あたしの勘も鈍っちゃいないなぁ、うん」

「いや、え、何一人で納得されてるんですか部長さん」

 

 何が「やっぱり」なのか、そして何か猛烈に嫌な予感を感じながら、姫燐は恐る恐る続きを尋ねる。

 

「ほら、よくあるじゃん。キレたナイフみたいにツンケンしてた子が、ある日女が出来てからは、急に性格が丸くなるっていうの」

「は、はぁ……ぁ」

 

 部長が何を言いたいのか、分からない。

 こういうことに察しは悪くないはずなのだが、今、この瞬間に限っては、まるで既に出ている答えを、脳が処理するのを全力で拒んでいるかのように、頭が回らない。

 平たく言えば、現実逃避していた姫燐の背後から、

 

「で、これがこの前、部屋に誰も居ないと思っていて、ポーズと決め台詞を一人で練習している時の姫燐です」

『やーん、かわいいー!』

 

地獄への誘いは、先程まで話題の中心であった彼女を中心にして、スマホ片手に群れを成して姫燐へと接近して来ていた。

 

「数日前に一緒に見たアクション映画の決めゼリフで、目を輝かせながら見入っていましたからね。ぜひ、モノにしたいと思っていたのでしょう」

「もー、卑怯ね。地道にコソ練してるとか可愛過ぎかよ……」

「ちなみに、帰ってきた私に気付くとすっ転んで、慌てて口笛を吹きながら床掃除をするフリをしていました」

「こんなイケメンなのに……尊い……ぽんこつ尊い……」

「篠ノ之ぉ。アンタ当然、そっちの目を輝かせてる時の姫燐ちゃんも用意してあるんでしょうね」

「先輩……私をあまり侮らないで頂きたい。当然それもこっちに」

「待てや篠ノ之ォ!!!」

 

 思わず呼び捨てで炸裂した咆哮と共に振り上げた拳を、部長が咄嗟に掴み取り、そのまま羽交い締めして姫燐を拘束する。

 

「ま、まぁこういう訳だ朴月ちゃん! 今、篠ノ之や部員達を取り巻く環境は、今はごらんの通り非常に良好だから」

「ナンデ!? なんでオレの盗撮写真で心一つになってんだ!? つか、いつのまにそんな写真撮りやがった箒ィ!」

「この消音機能を付けてもらった私のスマホでだが?」

「サイレンサーだとぉ!? そんなの、素人がちょっと改造したぐらいじゃ」

「頼んだら本音が一晩でやってくれたぞ」

「布仏ェェェェ!!!!」

 

 身内に居た共犯者の存在にも思わず呼び捨てで叫び狂いブチ切れるが、箒はそれすらも自分にじゃれてくる大型犬を可愛がるようにホッコリしながら、シャッターをタップしていく。

 

「安心しろ、姫燐。他の奴には見せるだけで、本音にもデータは渡していない」

「ふっざけんじゃねぇぞテメェ! 盗撮とかやっていい事と悪い事が……が……」

「ん?」

 

 と、ここに来て、盗撮うんぬんに関しては、昔おもいっきり一夏の盗撮しまくり、その写真をバラ撒いてオイシイ思いをしてきた自分に、人の事を悪く言う権利が全くないことを姫燐は思い出した。

 因果応報。悪因悪果。天罰てき面。

 見事に当初の勢いが消えて、青ざめながら口をパクつかせる姫燐の耳元に、部長がなだめるように小声で囁いた。

 

(いや、ほんとうに申し訳ないし、気の毒だとは思うけど……少しぐらい見逃してやってくれないかな朴月ちゃん)

(少し!? あれで少しですか!? 冗談はやめてくださいよほんと!)

(悪いとは思ってる。思ってるけど、頼むよ! 篠ノ之が、あそこまで心を開いてくれたのは君のお陰なんだから!)

(そ、そうなんすか……?)

 

 少しだけ朴月ちゃんと話をつけてくると、姫燐を集団から遠ざけながら、部長はこれまでのあらましを、出来る限り彼女を刺激しないよう話し始めた。

 始めは、あくまで世間話のつもりだったのだ。

 いつも休日は一番早くに道場に来て鍵を開けたり窓を開き、どんな日も最後まで残って道場の掃除や後片付けを黙々とやってくれている彼女の事を、部員達も理解こそ出来ないが悪印象だけは持っていなかったのだ。

 かといって中々話す切っ掛けも話題も見付からず、悶々としていたある日の部活終わり――傍から見ても、箒が明らかに上機嫌だった日があった。

 

(ほんと、一週間ぐらい前の日だったんだけどね)

(一週間前……?)

 

 一週間前に、箒がやらた上機嫌になるようなイベントなんぞあったかどうか、姫燐は思い返し――

 

――ふむぅ――

 

(ど、どうした朴月ちゃん!? なんか凄い油汗吹き出しながら震えてるけど!?)

(いいいいや、いやいや、問題ないダイジョブっすほんとマジつづ、続け、続けてくださいまし)

 

 真新しいトラウマに唐突にメスを入れられ、身体中が恐慌状態一歩手前になるが、なんとか持ち堪え、話しの続きを聞き入った。

 

――な、なんか今日は機嫌いいなー、篠ノ之?

 

 我ながら、堅く平凡な切り出し方だったと部長は語るが、箒は少し驚いたような顔をして、まずは部活中に弛んだ表情をしていた自分を自戒するような言葉を吐いたそうだ。

 相変わらず糞真面目な彼女の態度に部長は苦笑いを浮かべるしかなかったが、

 

――確かに、今日は……良いことがありました。

 

 躊躇いがちで、言葉を選んでいる感じは抜けきれなかったが、その日確かに、彼女は初めて自分自身の事を話してくれたのだ。

 切っ掛けさえ掴んでしまえば、あとはもう芋づる式である。

 根掘り葉掘り、ずるずると、あれやこれや、会話を続けて行くうちに――

 

(ど、う、や、っ、た、ら、ああなるんですかねぇ……!?)

(本当にごめん。ごめんとは思ってるけど……正直)

(正直、なんです)

 

 これは言っていい事なのか、躊躇するような趣きで、

 

(正直、隙だらけで、あざとすぎる君も少しは悪いと思う……)

(……ゴハっ)

 

 心の急所に、至近弾をぶち込んだ。

 もはや吐血すらしそうな勢いで白目を剥いて固まった姫燐を連れ、次の部活へと向かうのほほんさん達を見送る剣道部員達は、後に聞けば皆、一様に艶やかな笑みを浮かべていたという……。

 




気付いたら箒がえらいことになっていました、本当に申し訳ない。

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